赴任から一ヶ月。中央営業所の朝礼では、配られた冊子に存在しないはずの「八行目」を、所員全員が唱和している。
「口伝だから気にするな」と先輩は言う。
録音してみると、その数秒間だけが、削り取られていた。
赴任して一ヶ月が経った頃、私は中央営業所の社訓を、まだ完全には覚えていなかった。
朝礼の冒頭で「我ら十六名」と唱えたあと、所員全員で社訓を斉唱する。所員には、入社時に小さな冊子が配られている。私も赴任初日に田島さんから渡された。
冊子は手のひらに収まる大きさで、表紙に「中央営業所 所訓」とだけ印字されている。本社の社訓とは別物で、この営業所固有のものらしい。
中を開くと、番号付きで七行の文句が並んでいる。
一、我ら、業務を継ぐ者なり
二、我ら、先達の声を聞く者なり
三、我ら、欠けたる席を埋めぬ者なり
四、我ら、数を問わず、定めに従う者なり
五、我ら、書かれざる行を諳んずる者なり
六、我ら、扉を開かずに在る者なり
七、我ら、十六の名において、ここに在り
意味のとれない文句が混ざっていたが、社訓とはそういうものだ、と思った。
問題は、朝礼での斉唱が、七行で終わらないことだった。
最初に気づいたのは、赴任して三日目だった。
田島さんが「所訓、唱和」と号令をかける。所員全員が、声を揃えて読み始める。
「一、我ら、業務を継ぐ者なり──」
私は冊子を見ながら、口を合わせた。七行目まで読み終えた。
そこで、皆の声がやまない。
「八、我ら、継承の業に──」
私は冊子に視線を落としたまま、口を閉じた。冊子には、七行までしか書かれていない。八行目は、ない。
それなのに、所員全員が、はっきりとした声で、八行目を唱えていた。
その日のうちに、私は津田さんに訊いた。
「所訓の八行目って、どこに書いてあるんですか」
津田さんは少し首を傾げた。
「八行目? ああ、口伝だよ」
「口伝、ですか」
「みんな自然に覚える。気にしなくていい」
津田さんはそれだけ言って、自分のデスクに戻った。
翌日から、私は朝礼で耳を澄ませた。
八行目の文句を、聞き取って覚えてしまおうと思ったのだ。
ところが、奇妙なことが起こった。
所員全員が、同じ文句を、はっきりと、同時に唱えている。それは間違いない。私の耳にも、確かに声は届いている。
しかし、聞き終えたあと、何を唱えていたのかが、思い出せない。
一日目は「継承の業に──」までは聞き取れた気がした。二日目は、その続きが思い出せなかった。三日目は、冒頭の「我ら」しか思い出せなかった。
私は試しに、朝礼の音声を録音してみた。スマートフォンを胸ポケットに入れて、所訓唱和を録音した。
席に戻ってから、イヤホンで再生した。
「一、我ら、業務を継ぐ者なり──」
七行までは、はっきりと聞こえた。
七行目の最後の「ここに在り」が終わると、音声は途切れていた。録音時間は十二秒しか経過していなかった。十五秒、録音したはずだった。
私は何度か再生し直した。録音は途切れているのではなく、最初から十二秒しか入っていなかった。
その夜、私は冊子を、もう一度開いた。
七行目までを、何度も読み返した。
「五、我ら、書かれざる行を諳んずる者なり」
五行目で、視線が止まった。
書かれざる行を、諳んずる。
冊子の中で、すでに八行目の存在は予告されている。七行で完結している冊子の中に、八行目という"書かれざる行"の指示が、五行目として埋め込まれている。
冊子は、七行で完結しているわけではなかった。七行という形式そのものが、八行目を要求する構造になっていた。
私は冊子を閉じた。
赴任して一ヶ月と三日目の朝、私は廊下に整列した。
「我ら十六名、本日も、業務に専心いたします」
唱え終えた。続けて、田島さんが「所訓、唱和」と号令をかけた。
「一、我ら、業務を継ぐ者なり──」
私は、冊子を見なかった。
七行目までを、所員全員と同じ速度で、同じ声量で、口にした。
「七、我ら、十六の名において、ここに在り」
声がやまない。
私の口も、止まらなかった。
何を唱えているのかは、わからなかった。ただ、口の形が、舌の動きが、声帯の震えが、所員全員と完全に揃っていることだけが、わかった。
唱え終えたあと、私は何を言ったのかを思い出そうとした。
思い出せなかった。
ただ、八行目を諳んじた、ということだけが、わかっていた。