終宿主 作:学マスオタク
秦谷さんのプロデュースは、端的に言って順調そのものだった。
よく馴染む、と言えばいいだろうか。初星学園時代に培ったノウハウはやはり秦谷さんに最適化されたものだったのか、想定外なことは何も起きない。瞬く間にアイドルとしての名声を得て、地位を築き上げていった。
社内でも、俺について様々な噂を耳にするようになった。曰く、ようやく本領を発揮し始めたというポジティブな意見から、結局秦谷美鈴に寄生しているだけの無能だったという、ネガティブな意見まで。後者の方が声として大きいことまで知っていた。
別に構わない。どうでも良い。気にも止めなかった。
俺が秦谷美鈴に選ばれた。同僚や先輩たちは、秦谷美鈴に選ばれなかった。それだけの違いだろう。
「この方は、どなたですか?」
「前の担当の、前任プロデューサーですね。先輩です」
「では、もう引き継ぎはないので不要ですね」
秦谷さんが平坦な声で話しながら、スマートフォンの液晶を操作していく。
「では、こちらの女性は?」
「以前の担当アイドルです」
「では、こちらも不要ですね。こちらは?」
「母親です」
「まあ。では、こちらは残しておきましょう」
感慨はなかった。俺にはもう、秦谷美鈴さえいれば良いとすら思っていた。
「いえ。そもそも、こうすれば良いですね」
秦谷さんがスマートフォンを数回叩くと、そのまま端末を手渡される。
不思議に思い確認しようとするが、顔認証が反応しなかった。今度はパスコードで開こうとするが、慣れた手つきで打ち込むパスコードでは、開かない。
「秦谷さん、これは……」
「ふふっ。わたし以外と連絡を取る必要なんて、もうあなたにはないでしょう?」
手渡された俺のスマートフォンは、もう動かせない。ただ無機質な液晶に、時刻を映し出すだけの端末と成り下がっていた。
秦谷さん以外と連絡を取る必要などない。その言葉が頭の中でリフレインする。繰り返される言葉の裏で浮かぶ、学友たちと、かつての担当の顔。本当に、彼らと連絡を取る必要は、もうないのか。
母親とすら、最後に送ったメッセージの内容も思い出せなかった。答えは、肯定だ。
「今日は、素敵なプレゼントも用意しましたよ」
ベッドに座っていた俺の両方を、秦谷さんの細腕がとんと押した。意識外からの衝撃に、あえなく俺の体はベッドに倒れ込む。
特にあわてることもなく上半身を起こすと、秦谷さんが足元にしゃがみ込んでいた。下を向き、両手で何かしている。
足元に冷たい感触が触れた。驚き立ちあがろうとするが、かしゃり、と金属音が鳴って俺の動作を阻害してくる。
秦谷さんが立ち上がり視界が開けたので、足元に視線を落とす。ベッドの端と俺の足を、金属製の拘束具が繋いでいた。
「秦谷さん、これでは動けな──」
「ご安心ください。朝には、外して差し上げますから」
ベットに腰をかけたまま動けなくなった俺を、秦谷さんの視線が見下ろす。
視線が俺のつま先から頭の先までをゆっくり舐るようになぞって俺と目が合うと、秦谷さんは音もなく笑った。
「素敵な姿ですね、プロデューサー。ああ、なんて可愛らしい」
秦谷さんの小さな体が、俺の懐に飛び込んでくる。またしても衝撃に、俺の体はベッドに倒れ込んだ。
陽の光を十分に受けて育った花のような香りが鼻腔を擽る。軽い体だ。手は自由に動く。押し返すのは簡単なはずだった。それでも、体は動かない。
胸元からこちらを見つめる秦谷さんの瞳。曇りのない瞳の中の闇に、魅入られる。
「今日はもうこのまま、眠ってしまいましょうか」
俺は、どこかで何か、間違えたのだろうか。
彼女を自室に招き入れるようになったあの時か。彼女と再会して、夕食をとった時か。卒業のあの日、秦谷さんと会って、もっと話をしておくべきだったのか。
あるいは、最初に彼女の姿が目に止まったあの時既に、こうなることは決まっていたのだろうか。
自由を奪われ、自分一人ではこの社会で何もできずに、秦谷さんに生かされる。
いまさら抵抗したところで、きっと無駄だろう。相手は今を煌めくトップアイドルで、俺は会社の腫れ物。世間がどちらを信じどちらに味方するかなんて、考えなくてもわかる。
それ以上に、俺を包み込むこのたおやかな腕に、俺はなぜだか勝てる気がしなかった。
「目が覚めたら、またあなたの夢の続きを、見せてさしあげますから」
それならいっそ、彼女の敷いたレールを歩き、夢を夢のまま見続けることが、俺に残された幸せなのではないかと。そう、思った。
そういえば、卒業するとき彼女の担当を引き継いだ彼は、今どこで何をしているのだろうか。そう考えた時、俺の体を包む秦谷さんの腕が、わずかに強張ったような気がした。
失踪の報を聞き、一度は連絡が繋がり、その後はあさり先生からも言及はなかった。連絡が繋がり無事にしているものだとばかり思っていたから、秦谷さんにもそのことについてこれまで尋ねたことはない。
今さらになって、そのことだけが気に掛かった。先ほど秦谷さんに私用携帯を触れられていた際も、彼の名前はついぞ出てこなかった。連絡先は、今も携帯の中に残ったままかもしれない。
理解が現実に追いつかないまま、本能も他にすることなどないと理解しているのか、強烈な睡魔が襲ってくる。どうせ何もできやしないので、抵抗の意思もなく目を閉じた。
「おやすみなさい、プロデューサー」
暗闇の中で、意識を手放す。
一片の月明かりも見えないような、深い曇り空の夜だった。