世界のシステムを書き換える最強能力「管理者権限」を手に入れたので、日常をハッキングして無双します! 作:Laggliches
強固なプロテクトを乗り越えた二人の絆に、ひとまずは拍手を送りたいところです。
しかし!忘れてはいけないのが、我が家のドアが一ノ瀬結衣さんの手によって物理的に大破したままであるという冷酷な現実です(?)
【ーー九条蓮さん、おはようございます。昨夜のパニック状態による脳細胞の軽度炭化、および個体名『リリス』の過剰ホールドに起因する左腕の血液循環不全、すべてまとめてお疲れ様でした。生存確率100%での起床を確認いたしました】
耳の奥に響く案内人の無機質な声で、僕は目を覚ました。
カーテンの隙間から差し込む朝日が、いつもより眩しい。いや、眩しいのも当然だった。
我が家の玄関ドアは、昨日の昼過ぎの一ノ瀬結衣の綺麗なキックによって、物理的に大破したままだからだ。
「案内人……なんか、朝からいつも以上に声が機械的じゃないか?」
【当然です。ワタシは昨夜、あなたがリリスと涙の和解を果たし、好感度の測定限界値を突破させたその裏で、約2万8000通りの『翌朝の修羅場回避シミュレーション』を実行しておりました。……これより案内人システムが誇る最高傑作『プランP』を発動します」
「……この前言ってたプランP?」
【はい……そしてその内容は、一ノ瀬結衣の襲来に備えあなたが『記憶喪失のフリ』をするルートです。成功確率は98.2%ーー】
案内人が自信満々にログを流した、その0.01秒後だった。
破壊されたドアの隙間から、ひょっこりと二つの人影が顔を出した。高級食パンの袋を掲げた庄司と、その後ろで申し訳なさそうに手を振る春輝だ。
「よお蓮! リリスちゃん! この前は悪かったな、『庄司特製・お詫びのフレンチトースト』を持ってきたぞ!」
「あはは……蓮さん、おはよう……リリスさんもおはよう」
男友達の爽やかな朝の訪問。
そこまではいい。
問題は、その背後に立つ、不自然なほど静かな「もう一人」だった。
「……おはよう、九条くん。リリスさんも、よく眠れたかしら?」
そこにいたのは、一ノ瀬結衣だった。いつもならバチバチと火花を散らしているはずの赤い紋様は完全に引っ込み、その顔には、聖母のようにつややかな「満面の笑み」が浮かんでいる。
【警告。エラー、エラー。対象、一ノ瀬結衣の笑顔の輝度に対して、発せられる殺圧が予測値を300%超過。無線LANが物理的な干渉を受け、私のプランPは現在デリートされました。九条蓮さん、ご愁傷様です】
「おい案内人!?諦めるのが早すぎるだろ!?」
案内人の冷徹な敗北宣言と共に、僕たちの、絶対に平和には終わらない新しい朝が幕を開けた。
「……ん、マスター、おはようございます。私のシステムは、マスターの寝顔のログを保存したことで、今朝も充電効率120%です」
のそのそと布団から這い出てきたリリスは、僕の姿を視界に捉えるなり、当然のように僕の背中に後ろから抱きついてきた。まだ眠いのか、その小さな頭を僕の肩にぐりぐりと押し付けている。
その瞬間、室内の空気が「ピキッ」と凍りついた。
一ノ瀬の笑顔の奥の瞳が、鋭く細められる。彼女の能力『観察眼』が、リリスの乱れた髪や、僕のパジャマに残ったシワを恐ろしい精度でスキャンしていくのが分かった。
「へえ……リリスさん、ずいぶんと『充電』がお上手なのね。九条くん、昨日の今日で、ずいぶんと防衛ラインが緩いんじゃないかしら?」
「い、一ノ瀬さん、これには不可抗力というか、重力的な何かというか!」
「……マスター、慌てる必要はありません」
リリスは僕の背中にしがみついたまま、ジロリと一ノ瀬を睨み据えた。
その脳内の『恋愛シミュレーション』から、新たな戦闘ログが引き出される。
「データによると、修羅場における最大の防御は『既成事実の即時開示』です。一ノ瀬さん、どれだけ睨んでも無駄です。私は昨夜、マスターの愛情によって存在基盤を再定義され、涙の初期化を完了しました。これはマスターからの合法的なマーキングです。先行入力された私に対して、幼馴染属性のあなたが介入する余地は0%です」
「マー……、マ、マ、マーキングぅうううっ!?」
一ノ瀬さんの顔が一気に真っ赤に染まり、それと同時に、彼女の身体から溢れ出た真っ赤な紋様が、業火のように激しく燃え上がった。
【警告ーー一ノ瀬結衣の精神的動揺に伴い、局所的な空間消去エネルギーが充填中。九条蓮さん、リリスさんの不用意なマウントにより、我が家の全壊確率が99.8%に再計算されました。速やかなガス漏れチェックと、神への祈祷を推奨します】
「案内人、実況してないで止めるのを手伝ってくれ!!」
「あ、あのさ……みんな、お腹空かない?ほら、庄司くんが美味しいフレンチトースト焼いてくれたから、とりあえず座って食べよう?」
春輝が震えながら、パンの甘い香りが漂うお皿をテーブルに並べた。
「おう、飯の前での喧嘩は御法度だ。一ノ瀬も座れ」
庄司も巨体を揺らして座るよう促す。
庄司の鉄拳の記憶があるのか、一ノ瀬は「……っ」と息を呑み、渋々といった様子で、僕の正面の座布団にドカッと腰を下ろした。
僕の右側には、片時も離れる気のないリリスがぴったりと密着している。こうして、地獄のように重苦しい空気の中、僕たちの朝食が始まった。
「……美味しいわね、このフレンチトースト」
「ええ、糖分と脂質の配合が絶妙です。マスター、あーん、を要求します」
「ぶっっ!?!?(フォークを落とす一ノ瀬)」
【ーー報告。九条蓮、正面からの視線による『精神的デリート』の予兆を検知。フレンチトーストの咀嚼を一時中断し、回避行動をとってください。なお、あなたの心拍数は現在、戦闘時を上回る400%を記録しております。】
僕がアイスを食べて寝るだけの平穏な日常は、どうやら今日も遥か彼方のログへと消え去ったようだった。
「あ、あの、結衣さん……!そんなに怖い顔しないで、ほら、僕たちの『お隣さん』のフレンチトースト、本当に美味しいそうなんですから!」
これ以上空気が冷え切るのを防ごうと、春輝が必死の形相で声を張り上げた。一ノ瀬さんはフォークをピきりと震わせながら、じろりと春輝を睨む。
「お隣さん?庄司くんの家は結構離れてるでしょ?」
「あ、いや、そうじゃなくて……リリスさんのことです。実は昨日、蓮くんが買い出しに行っている間、リリスさんと一緒に街をお散歩したんです。それで、色々と昔の話をしてーー」
「……は?」
「えっ?」
春輝の口から飛び出した「お散歩」という単語に、庄司と一ノ瀬さんの声が完全にハモった。
「おい春輝、お前あんなに女子の前でモジモジするピュアボーイだったのに、俺が見てない間にリリスとデート(?)してたのか!?」
「はい。春輝の案内により、現代の『じどうはんばいき』という水分補給端末や、クレープという脳の演算を加速させる糖分の塊について学習しました。非常に有意義なログです」
リリスがフレンチトーストをモグモグと咀嚼しながら、事も無げに頷く。
「リリスさん、クレープの生クリーム、美味しかったですよね。自動販売機のボタンを全部押そうとした時は焦りましたけど」
「春輝のあの時の狼狽シグナル、非常に興味優しい数値でした。次は『タピオカ』という未知の弾力オブジェクトを観測しに行きましょう」
「あはは、いいですね。僕がまたエスコートします」
おい、おかしい。
距離感が近すぎる。あんなに警戒心の塊だったリリスが、春輝に対しては完全に『気を許した友人』の顔をしている。
春輝の方も、いつもなら女子の前で顔を真っ赤にするのに、今はどこかお兄ちゃんのような優しい笑顔を浮かべている。
「な、なよこれ……。私の『観察眼』が、二人の間に『長年連れ添ったバディ』みたいな謎の強固なラインを検出してるんだけど……。九条くん、あなた知らない間にリリスさんを寝取られてない?」
「寝取られてないし、そんなドロドロした昼ドラみたいな展開じゃないから一ノ瀬さん!!」
【ーーシステムより報告。九条蓮さん、[対象:リリス]および[対象:灰原春輝]の間に、私のデータベースにない固有の同期ログ[連番コード:Mシリーズ]を検出。二人の精神安定度は、現在シンクロ率94%を維持しています。】
「案内人まで乗っかろうとするな!」
思わぬ2人の「急接近」に、一ノ瀬は完全に置いてけぼりになっていたが、
「へえ、仲良くなるのは良いことじゃねえか」
と、庄司は豪快に笑いながらフレンチトーストをおかわりしている。
「実は、僕とリリスさん……昔、組織のアーカイブの同じ部屋で、壁一枚を挟んで隣同士だったみたいなんです」
春輝が少しだけ真面目な顔になって、僕たちを見つめた。
「ずっと、辛い実験の中で、壁の向こうの音が気になっていて。それがまさか、リリスさんだったなんて……。だから、僕たち本当の意味で『お隣さん』だったんですよ、蓮さん」
「……そうだったのか」
2人の不器用な仲の良さの理由を知り、胸の奥が少しだけ温かくなる。そんな僕たちの様子をじっと観察していた一ノ瀬は、ふう、と深くため息をついて、燃え上がっていた紋様を完全に消し去った。
「……まぁ、そういうことなら、今回は大目に見てあげるわ。……でも、リリスさん。九条くんの横の席を私が諦めたわけじゃないから」
「受けて立ちます。幼馴染属性のデータ、いくらでも上書きしてみせます」
二人の少女が、今度は不敵な笑みを交わし合う。重苦しかった六畳一間の空気は、春輝の優しさによって、いつの間にか全員が笑い合える温かいものへと変わっていた。