ウマ娘 ロストロード   作:ツカッチ

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トレーナーのみなさん、初めまして。
ウマ娘のアプリを引退して約2年。思い出すかのようにMs.VICTORIAを聴いて、思わず筆を取りました。

なかなか特殊な主人公ではありますが、楽しんでいただけると幸いです。


第一話 ルベウスロード

 沈み始めた太陽は、街の輪郭を綺麗にしすぎていた。本来あるはずの雑音だけが、どこか削ぎ落とされたように薄い。

 

 歩道を、一人の少年が歩いている。

 

 学ラン。藍色の帽子。

 目立つ要素は何一つないはずなのに、“現実から少しずれている”ような感覚があった。

 

 ふと、彼の視線が前方へと引き寄せられる。

 専用のランニングレーン、その一角をトレーニングウェア姿のウマ娘が駆け抜けていった。

 

 彼は足を止めるでもなく、ただ一瞬だけウマ娘を目で追った。見ていたのは、通り過ぎたウマ娘そのものではない。

 

 “走る”という行為だった。

 

 風を裂く音。

 地面を踏みしめるリズム。

 遠ざかっていく背中の残像。

 

 それらを目で追ったあと、彼は何事もなかったかのように視線を前へ戻して歩き出した。

 

 やがて、彼の家に着く。玄関扉を開けると、夕食の匂いが静かに流れ出てきた。

 

 扉を閉め、彼は靴を脱ぎながら短く「ただいま」とだけ言ってリビングに入る。キッチンでは母が調理をしており、「おかえり」と返した。二人の間に、それ以上の会話は必要なかった。

 

 その沈黙は気まずさではなく、理解として成立していた。

 

 食卓に背を向けるようにして、彼は自室へと向かう。階段を上がる足音は静かで、感情の起伏をほとんど伴わない。

 

 それからしばらくして、彼は再びリビングに姿を見せた。

 

 先ほどの制服姿とは違い、黒色のジャージに着替えている。帽子も藍色から黒色に変わっていて――2つの穴から“何か”が飛び出していた。

 

 冷蔵庫からお茶を取り出し、コップに注ぐ。それをゆっくりと染み渡らせるかのように飲み、彼は一度だけ帽子の位置を指先で確かめた。

 

「……少し、走ってくる。」

 

 隣で調理を続ける母にそれだけを伝え、玄関に向かう。

 

「車と歩いている人には気をつけるのよ。」

 

 リビングのドアノブに手をかけた時、母からの言葉が背中に飛び込んで来る。振り返ると母は、鍋をかき混ぜる手を止め、彼に笑いかけていた。

 

「分かってるよ。」

 

 短く返事をし、リビングを後にする。

 その背中が遠ざかるとき、“それ”はふわりと揺れた。

 

 腰のあたりから伸びる、黒色の髪のようで、しかし髪ではないもの。

 

 それはまるで、“尻尾”のようだった。

 

 

 

 

 

 河川敷近くにある土手の道に着いた少年は、足を止めた。

 

 視線の先には、緩やかに流れる川と、ゲートボールの会場。土手沿いの桜はすでに咲き始めていて、風が吹くたび淡い花弁がアスファルトの上を転がっていく。

 空はオレンジ色に染まり始めているが、日が沈むのはまだ先の話。

 

 この道には誰もいない。

 いや、正確には“誰もいないように見える”場所だった。

 

 彼は帽子の位置を軽く直すと、その場で軽く息を吐いた。大きく吸うでもなく、整えるでもなく、ただ一度だけ呼吸を置き換えるように。

 

 やがて、準備運動を始めた。

 

 肩をほぐす。脚を回す。足首を軽く鳴らす。

 ひとつひとつの動作は、ほとんど無意識。ただ、身体が「これから動く」という事実を思い出すための作業。

 筋肉が温まるにつれて、余計な静けさが少しずつ剥がれていく。

 

 ――本当は分かっている。

 

 走れば、また思い出してしまう。

 

 風の感触も。

 地面を蹴る感覚も。

 胸の奥が熱くなる、あの感覚も。

 

 一度思い出してしまえば、簡単には消えてくれない。

 

 だから諦めたはずだった。

 

 夢を見なければ、苦しくならずに済むから。

 

 ……なのに。

 

 走らなければ、心は満たされなかった。

 

 身体の奥が、少しずつ鈍くなっていく。

 自分が何者なのかさえ、分からなくなっていく。

 

 そうして結局、またここへ来てしまうのだ。

 

 やがて彼は動きを止める。軽く地面を踏みしめると、アスファルトの感触が靴越しに伝わった。視線を前に固定したまま、もう一度だけ呼吸を整える。

 

 彼はその場に立ったまま、何も考えず目を瞑った。

 

 ただ、足だけが落ち着かなかった。

 

 ここで走れば、同じことの繰り返し。

 

 それでも――身体だけは、とっくに前を向いていた。

 

 その時、ふっ……と彼の身体が前へと傾いた。重力に身を任せるように、筋肉を弛緩させる。

 

 そして、足に力を込める。沈み込んだ身体がわずかに静止した。

 

 瞬間、地面を蹴る。

 景色が“流れる”より先に、視界の端から消えていった。

 

 風が頬を裂く。

 呼吸が熱を帯びる。

 

 難しいことは考えない。

 考え始めれば、止まってしまう。

 

 彼はただただ走る。限界が来る寸前まで、速度だけを追いかける。

 

 息が上がることも。

 筋肉が軋むことも。

 一度走り出してしまえばどうでも良かった。

 

 速くなるほど、世界が静かになる。

 

 自分を囲む声も。

 諦めたかつての夢も。

 今はもう、何も聞こえない。

 

 全てを忘れて走っているこの瞬間だけは――彼は、間違いなく“ウマ娘” だった。

 

 

 

・・・・・

 

 

 

「ついに4月かぁ……。」

 

 河川敷。土手の道をジョギングをしながら、キタサンブラックは小さく息を吐いた。

 

 土手沿いに並ぶ桜はすでに半分ほど散り始めている。風が吹くたび、薄桃色の花弁がアスファルトの上を転がっていった。

 

「いよいよって感じです……!」

 

「まだ少しだけ早いわよ。気負いすぎ。」

 

 隣を走るダイワスカーレットが、彼女を落ち着かせるように肩を竦める。キタサンの肩には力が入っており、わずかに挙がっていた。

 

「でも、分かるぞその気持ち。」

 

 少し後ろから、ウオッカが笑って声をかける。

 

「初めて走るG1レースだもんな!」

 

「はいっ!」

 

 キタサンは元気よく返事をして笑った。

 

 クラシック三冠路線――その最初の関門となる皐月賞。ウマ娘なら誰もが憧れる舞台を前にして、彼女の胸は自然と高鳴っていた。

 

「キタちゃんなら必ず勝てるよ!」

 

「私たちも、全力でお手伝いします。」

 

 にししと白い歯を見せるトウカイテイオーと、穏やかに頷くメジロマックイーン。レース界を代表する二人からの激励に、キタサンは力強く応えた。

 

「緊張するのは当然だ。それだけ本気ってことだからな。」

 

 自転車に乗ったトレーナーが最後尾を走りながら、キタサンに声をかけた。

 

「けど、飲まれるのは違う。いずれはその緊張すらコントロールできるようになれ。」

 

「頑張ります!」

 

 そうやって喝なり激励なりをしている中、先頭を走っていたサイレンススズカの耳が、小さく揺れた。

 

「……?」

 

 視線が前方へ向く。

 長い一本道の先に、黒い影のようなものが見えた。

 

 最初は風に揺れる木影かと思った。

 

 けれど、何かがおかしい。

 

「……ねぇ、スペちゃん。」

 

「はい、スズカさん!」

 

 スズカは自分のすぐ後ろを走っていたスペシャルウィークに声をかける。そして、道の先に見える何かを指差した。

 

「あの“黒いもの”は……こっちに近づいて来ているのよね?」

 

「えっ?」

 

 スペはじっと目を凝らす。

 数秒後、彼女は目を見開いた。

 

「そ、そうです! きっとウマ娘さんです!」

 

 黒い影は、こちらへ向かって走ってきていた。

 

 しかも、異様な速度で。

 

「皆さん! 前方からウマ娘さんが走って来ます!」

 

「お前ら、もう少し端へ寄れ。」

 

 スペの声を聞いて、トレーナーが即座に指示をする。全員がコースの左側へ避けた、その直後。

 

 黒い影が、すぐ横を駆け抜ける。

 腰部から出ていた尻尾が、一瞬だけ視界の端を掠めた。

 

(速――)

 

 そう認識しかけた瞬間。

 

 

 ブァァァッ!!

 

 

 遅れて吹き抜けた風が、アスファルトに散っていた桜の花弁を一斉に巻き上げた。

 

「っ……!?」

 

 キタサンたちは、思わず足を止める。

 

 視界いっぱいに舞い上がる薄桃色。

 髪が揺れる。耳の奥が遅れて震える。

 

『速い』。

 

 そんな言葉では、まるで足りなかった。

 

 影はすでに数十メートル先へ離れている。

 だというのに、風だけが今になって身体を叩いていた。

 

「な、なんですか今の……!?」

 

 キタサンが呆然と呟く。

 

 誰もすぐには答えられない。

 

 その中で、ゴールドシップだけが去っていく背中を見つめていた。

 

「……ははっ。」

 

 小さく笑う。

 

『速い』。

 

 だが、それ以上に違和感があった。

 

 ペースを一切作っていない。

 呼吸も、脚の使い方も、全部が滅茶苦茶だ。

 

 レースの走りじゃない。

 

 勝つための走りですらない。

 

 まるで――今この瞬間、自分の欲を満たすためだけに走っているみたいだった。

 

「……おもしれー奴!」

 

 ゴールドシップの口元が、獰猛に吊り上がる。

 次の瞬間には、もう地面を蹴っていた。

 

「待ちやがれぇぇぇッ!!」

 

「ゴ、ゴールドシップさん!?」

 

 突然飛び出した白い背中に、キタサンが慌てて声を上げる。しかし彼女は聞く耳を一切持たず、黒いウマ娘を追いかけに行ってしまった。

 

「な、何やってるのよ……!」

 

「アイツ、本気かよ!?」

 

 ウオッカとスカーレットが顔を見合わせる。しかし、そんなことをしている間にもゴールドシップは遠くへ行ってしまう。

 

「ゴールドシップ! 待ちなさい!」

 

「あいつはオレたちが連れて帰る!みんなは先行っててくれ!」

 

 ウオッカとスカーレットが慌てて後を追う。

 

「まったく、ゴールドシップさんは……。」

 

 マックイーンが深々とため息を吐いた。普段から先の読めない行動をするゴールドシップだが、まさか「追いかける」選択を取るとは。

 

 巻き上げられた桜の花弁が、まだ風の余韻に揺れている。

 

「……でも、今の子……。」

 

 キタサンは、去っていった黒いウマ娘を思い出していた。

 

『速い』。

 

 それは確かに思った。

 

 だが、それだけじゃない。

 どこか、胸の奥がざわつくような走りだった。

 

「ほらキタちゃん。トレーニング再開だよ。」

 

 不意に、テイオーが肩をトントンと叩き、軽く笑って見せる。

 

「……あ、はいっ!」

 

 キタサンは慌てて前を向く。

 皐月賞まであと少し。今は、もっと考えるべきことがある。

 

 そんな中。

 

「………。」

 

 なぜか、トレーナーは動かなかった。

 黒いウマ娘が去って行った先を見つめたまま、僅かに目を細めている。

 

「……トレーナーさん?」

 

 マックイーンの呼びかけにも反応しない。口元を押さえたまま、低く何かを呟いている。

 

 やがて彼は、小さく息を吐いた。

 

「……あんな走り方をしていたら、間違いなくすぐに脚を壊してしまう。」

 

「え……?」

 

 トレーナーの口から出た言葉を、マックイーンは正しく理解できなかった。

 一方のトレーナーは、何かを決心したかのようにキタサンたちを見る。

 

「すまん!俺はトレーナーとして、何としてもあのウマ娘を止めなければならない!」

 

「……はい!?」

 

 次の瞬間、自転車のペダルを強く踏み込む。

 

「ちょ、トレーナーさんまで!?」

 

 キタサンが慌てて声を上げるも、一度決意したトレーナーはもう止まらない。ゴールドシップたちが向かった方へ、勢いよく走り去っていく。

 

「……どうするの、これ。」

 

 テイオーが呆れたように息を吐いた。

 

「予定通りトレーニングを続けましょう!行き先は分かっているんですから。」

 

 スペはトレーニング続行を選択。しかし、そこにスズカが待ったをかける。

 

「私たちのこの後のトレーニングは、神社の階段ダッシュ。もしトレーナーさんがいない状態で怪我をしたら、大変なことになる。」

 

「それは、確かに……。」

 

 スズカの意見にハッとするスペ。

 仮にスズカの言うように、階段で転んで怪我をしても助けてくれる大人は誰もいない。連絡手段もないので助けを呼ぶこともできない。

 

「となると……私たちも追いかけるしかありませんね。」

 

 スペが小さく肩を落とす。

 その隣で、マックイーンが僅かに頬を膨らませていた。

 

「まったく……キタさんの皐月賞の話をしていましたのに、いったいどういうおつもりなのでしょうか。」

 

「確かトレーナーさんは、『走り方が危ない』みたいなことを言っていました。」

 

 キタサンが、トレーナーたちが去っていった方向を見つめる。

 

「ふふ……。」

 

 スズカが小さく笑った。

 

「チームじゃないウマ娘まで気にかけるなんて、トレーナーさんらしいわね。」

 

 言いたいことは色々ある。だが結局、五人は来た道を引き返すしかなかった。

 

 走り出したキタサンたち。その背後で、巻き上げられた桜の花弁が静かにアスファルトの上を転がった。

 

 

 

 

・・・・・

 

 

 

 

「待ちやがれぇぇぇッ!!」

 

 地面を思い切り蹴る。

 瞬間、ゴールドシップの身体が一気に加速した。

 

 風を裂き、土手のアスファルトを駆け抜ける。

 後方でウオッカたちが何か叫んでいたが、よく聞こえなかった。

 

 視線の先にいるのは、ただ一人。

 

 謎の、黒いウマ娘。

 

 一定の速度を保ったまま、夕暮れの河川敷を駆けていく。

 

「はっ……!」

 

 ゴールドシップの口元が吊り上がる。

 

 やはり、『速い』。

 

 ペース配分。

 駆け引き。

 後半を見据えた脚の使い方。

 

 そんなものは一切無い。

 

 ただ、前へ。

 ただ、速く。

 

「……ははっ。」

 

 自然と笑みが零れる。

 

 こんな走りをするウマ娘を、彼女は見たことがなかった。

 

 常識外れ。

 滅茶苦茶。

 

 なのに。

 

 どうしようもなく、目を奪われる。

 

(マジでおもしれーな、お前……!)

 

 さらに脚へ力を込める。

 

 だが。

 

(……あ?)

 

 ふと、彼女は違和感を覚えた。

 

 影の速度が落ち始めている。

 呼吸が乱れているのが、遠目にも分かった。

 

(流石に、限界か。)

 

 黒いウマ娘が脚を止め始めたのを見て、彼女もスピードを落とした。

 

 乱れた呼吸。

 上下する肩。

 

 脚は、まだ小さく震えている。

 

 それでも。

 

 その背中だけは、まだ前を向いていた。

 

「はっ……ははっ!」

 

 彼女は笑い、歩み寄る。

 

「やるなぁお前!ずっと後ろ走ってたのに、全然気づかねーんだもんな!」

 

「………。」

 

 返事はない。

 黒いウマ娘は、ただ黙ってゴールドシップを見ていた。

 

 その目には困惑より先に、警戒があった。

 

「いやぁ、あんな走りする奴初めて見たぜ!」

 

「………。」

 

「お前、名前は――」

 

 そこで初めて、ゴールドシップが気づく。

 

 とても会話するような空気じゃない。

 

「………。」

 

 黒いウマ娘は、一言も喋らなかった。

 ただ、“知らない何か”を見るような目でこちらを見ている。

 

「……あ、あれ?」

 

 流石のゴールドシップも、少しだけ困ったように頭を掻いた。

 

「えーっと……。」

 

 返事はない。

 黒いウマ娘は、ただ黙ってこちらを見ていた。

 

 呼吸は少しずつ落ち着き始めている。だが、その視線だけは変わらない。

 

「いや、別に取って食おうってわけじゃ――」

 

 その時だった。

 

 背後から、慌ただしい足音が近づいてくる。

 

「何やってんだゴールドシップ! 迷惑だろうが!」

 

「ウオッカ! スカーレット!」

 

 振り返ると、追いかけてきた二人がようやく到着したところだった。

 

 ウオッカは肩で息をしながら、呆れたようにゴールドシップを見る。

 

「いきなり飛び出していく奴があるかよ……!」

 

「な、なぁ!こいつなんにも喋んねーんだけど!」

 

「初対面の相手に何言ってんだバカ!」

 

 即座にツッコミが飛ぶ。

 

「ご、ごめんなさい! このバカの言うことは気にしないでください!」

 

 スカーレットが慌てて頭を下げた。

 

「誰がバカだ!」

 

「アンタよ!」

 

 騒がしい。

 

 彼女たちにとっては日常茶飯事な騒ぎだったが、黒いウマ娘はただ黙ってそのやり取りを見ていた。

 

 何も言わない。

 ただ、警戒するように距離を取ったまま、三人を見ている。

 

「……なんか。」

 

 最初に口を開いたのはウオッカだった。

 

「やけに警戒されてねーか、オレたち。」

 

「全部ゴールドシップのせいよ。いきなり追いかけたものだから、怖がらせちゃったんでしょ。」

 

 スカーレットが呆れたように言い返す。

 

「いや、でもよ……。」

 

 ウオッカが黒いウマ娘を見る。

 

 普通じゃない。

 

 それは走りだけじゃなかった。

 

 まるで、他人と関わることそのものに慣れていないような――そんな空気があった。

 

 その時だった。

 

「お、お前ら……速すぎる……。」

 

 背後から、聞き覚えのある声。

 三人は同時にそちらを振り向いた。

 

「ト、トレーナー!? みんなも!?」

 

 そこにいたのは、ふらつきながら歩いているトレーナーと小走りで追いかけてきたキタサンたちだった。

 

 トレーナーに至ってはもはや自転車には乗っていない。途中で体力が尽きたのか、ハンドルを掴んだまま押していた。

 

「はぁ……っ、はぁ……っ……。」

 

 肩で息をしながら、ようやくゴールドシップたちの元へ辿り着く。

 

「トレーナー、大丈夫かよ。」

 

「だ、大丈夫に見えるか……?」

 

 ウオッカの問いにトレーナーは力なく返す。

 

「無茶しすぎですわ……。」

 

 マックイーンが呆れたようにため息を吐いた。

 

「でも、ちゃんと追いつくんだからすごいよね。」

 

「褒めてる場合じゃないかと……。」

 

 感心したように笑うテイオーに対し、スペが苦笑いで反応する。

 

「そんなことより……君!」

 

 トレーナーが、ゆっくりと黒いウマ娘へ歩み寄る。

 

「……?」

 

 相手が反応するより早く、その場へしゃがみ込んだ。

 

「トレーナーさん、まさか――」

 

「少し、脚を見せてくれ。」

 

 そう言うや否や、ジャージ越しにふくらはぎへ触れる。

 

「っ――」

 

 黒いウマ娘の身体がわずかに引いた。

 

 次の瞬間。

 

「テメーも大概だ!!」

 

「アンタも十分ヤバいわよ!!」

 

「ぐへぁっ!!」

 

 ウオッカとスカーレットの蹴りが同時に炸裂した。

 

 トレーナーが勢いよく吹き飛び、道路を転がる。

 しばらくは蹲っていたが、やがて身体を起こし、黒いウマ娘へ顔を上げた。

 

「い、いいかい。今の君の走り方では、いつか必ず――」

 

 その時だった。

 

 帽子の奥に見えた顔立ち。それは――どこか幼さの残る“少年”のものだった。

 

 刹那、トレーナーの表情が固まる。

 

「……君。」

 

 思わず、言葉が漏れた。

 

「もしかして、“男”……か?」

 

「はぁ!?」

 

「アンタこの期に及んでまだ失礼重ねる気!?」

 

 ウオッカたちが追撃しかけた、その時。

 

「ああ。」

 

 低い声が、静かに響いた。

 

 今の声は、誰のものだ。

 スピカのメンバーたちが思わず辺りを見回す。

 

 だが、この場にいるのは自分たちだけ。

 

 そして。

 

 黒いウマ娘だけが、静かに九人を見ていた。

 

「まさか、本当に……?」

 

 キタサンが目を瞬かせた。

 

 少年は数秒だけ沈黙し、やがて帽子へ手を伸ばす。

 

 ゆっくりと外された黒い帽子。

 

 黒鹿毛色の髪と耳がはっきりと現れて、夕風に小さく揺れた。

 

「……“ルベウスロード”。俺の名前だ。」

 

 その声は、とても静かだった。

 

 けれど――その場にいた誰もが、その名前を妙に強く覚えていた。

 

 

 

 つづく




男性であり、ウマ娘でもある主人公。
勘違いしないでほしいのは、性に関する話をするつもりは微塵もないということです。

では、また次回。
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