ウマ娘 ロストロード   作:ツカッチ

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トレーナーのみなさん、こんにちは。

今更ですがすっかり夏ですね。
そして、どうして休日はすぐに過ぎ去るのでしょうか。


第十三話 足りない変数

 教室の掃除を終えたロードたちは廊下に並び、担任教師が教室の清掃確認を終えるのを待っていた。

 いつもなら友人たちと他愛ない話をしながら時間を潰すところだが、今日のロードは違う。

 

 膝が落ち着かない。

 

 何度も時計を見ては、窓の外へ視線を向ける。

 

「……ロード。」

 

 ふと、隣から声が飛んできた。

 

「ボーッとしていきなり覚醒したかと思えば、今度はソワソワしやがって。何があったんだよ、」

 

 同じ掃除の班の友人が、ロードに尋ねる。

 ロードは少しポカンとした後

 

「そんなに分かる?」

 

 と、尋ね返した。

 

「分かるわ。朝から別人じゃねぇか。」

 

「まぁ……色々あったんだよ。」

 

 それだけ言うと、ロードは照れ隠しのように笑う。

 

 今日の体育の授業を経て、ロードは一つの“答え”に辿り着きかけていた。

 スズカの走りを眺めるだけでは見えなかったものが、今なら見える気がした。

 

 とは言え、仮説は仮説だ。それが間違っている可能性は十分ある。

 

 だからこそ、試したい。

 

 その気持ちだけが胸いっぱいに膨らんでいた。

 

 すると教室の扉が開き、担任の先生が現れる。

 

「はい、お疲れ様でした。」

 

「ありがとうございました!」

 

 先生の言葉が終わるや否や、ロードは教室に駆け込む。

 

 教科書を鞄へ放り込み、肩へ担ぐ。

 

「じゃ!」

 

「あ、おい――」

 

 返事を待つことなく教室を飛び出した。

 

 背後から友人の声が聞こえた気がする。

 けれど、もう耳には届かない。

 

 足は自然と駆け出していた。

 

 向かう先は、ただ一つ。

 

 トレセン学園。

 

 安全に注意しつつ階段を駆け下り、靴を履き替えて生徒玄関を飛び出す。

 

 今までなら、のんびり歩いて帰っていた。

 周囲の視線を集めないために、普通の男子中学生として見られるために。

 

 だが、今日は違う。

 

 広い道に出たロードは軽く準備運動をして、歩道脇に設けられたウマ娘専用レーンへ足を踏み入れる。

 

 そして、次の瞬間。

 

 学ランを風になびかせ、一気に駆け出した。

 

 景色が流れる。

 

 名前も知らない人たちの声が後ろへ消えていく。

 

 走行風を受けた何人かが振り返った。

 

「速っ……ん?」

 

「えっ……!?」

 

「が、学ラン……!?」

 

 そんな声も耳には入らない。

 周りの視線なんて、どうでもよかった。

 

 今はただ、一秒でも早くターフを走りたい。

 

 この仮説を、己の脚で立証するために。

 

 

 

 

 トレセン学園。

 空の青色が澄み始めた頃、研究室には静かな時間が流れていた。

 

 カタカタ、とキーボードを叩く音だけが室内に響く。

 

 机の上には数冊の専門書と測定データの束。

 その傍らには、湯気の立つコーヒーカップが置かれていた。

 

「……ふむ。」

 

 ライツは一口コーヒーを口に含み、モニターへ視線を戻す。

 

 今日協力してもらったトレセン生徒たちの測定結果を整理しながら、論文の原稿へ考察を書き加えていく。

 

「やはり、被験者を集めやすい環境というのは助かるな……。」

 

 誰に言うでもなく呟き、再びキーボードへ指を走らせる。

 

 ――その時だった。

 

 バァン!

 

 突然、研究室のドアが勢いよく開いた。

 

「ひゃッ!?」

 

 ライツの耳と尻尾が、反射的にピンと立つ。

 振り返ると、肩で息をするロードが立っていた。

 

「ロ、ロード君!せめて入る時は落ち着いて入りたまえ!」

 

「すみません!ちょっとそれどころじゃなくて!」

 

 肩で息をしながら答えるロードの目は、興奮で輝いていた。

 

 ライツは車椅子を動かし、ロードへと顔を向ける。

 

「何かあったのかい?」

 

「授業中、ある仮説を思いついたんです。」

 

 間髪入れずに返ってきた答え。

 

「どうしても、早く試したくて……!」

 

 そう言い残すや否や、ロードは隣の準備室へ駆け込んだ。

 

 ドアの向こうから慌ただしい物音が響く。

 

 制服を脱ぐ音。

 

 ロッカーを開ける音。

 

 何かを落として「あっ」と小さく漏らす声。

 

 そんな騒がしい音を聞きながら、ライツはコーヒーカップを手に取り、小さく息をついた。

 

「………。」

 

 そして、どこか嬉しそうに口元を緩める。

 

「この三日間で……随分と研究者らしくなったな。」

 

 答えを教わるのではなく、自らの頭で仮説を立て、検証しようとする。

 

 それこそが、研究の第一歩。

 

 ライツはパソコンの電源を落とし、コーヒーを飲み干す。洗い場にカップとソーサーを置き、呟いた。

 

「……私の理論を超えていけ、ロード君。」

 

 そうしてライツは、いつものタブレットを手に取るのだった。

 

 

 

 

・・・・・

 

 

 

 

 体操服に着替えたロード。壁際に置かれた荷台の取っ手を握ると、ゆっくりと廊下へ押し出す。

 

 ケースの中には、以前の床反力測定でも使用した高速度カメラが収められている。

 ガラガラ、と車輪が静かな廊下に音を響かせた。

 

 ライツはロードが部屋を出たのを確認すると、電動車椅子の操作パネルへそっと指を添えた。軽い電子音と共に車椅子が静かに動き出す。

 

 窓から差し込む光が、二人の長い影を廊下へ映し出している。

 

「それで。」

 

 ライツは前を向いたまま口を開く。

 

「君が考えた仮説を、教えてもらってもいいかな。」

 

「はい。」

 

 その一言を待っていたかのように、ロードは話し始めた。

 

「今日の体育、バレーボールだったんです。」

 

「ふむ?」

 

「アタックのためにジャンプした時に、ふと気付いたことがあって。」

 

 少しだけ考えるように視線を落とす。

 

「ジャンプする時、足にほとんど力を入れてなかったんです。」

 

 ライツは何も言わず、続きを促した。

 

「もちろん、全く力を使ってないわけじゃありません。でも、踏み込む時に思い切り押し込んでる感覚はなくて……。」

 

「膝を軽く曲げた反動を使って、一瞬だけ大きな力を出してる。」

 

「その時に、思ったんです。」

 

 ロードは自分の足元へ目を向けた。

 

 

「もしかしたら、走る時にも応用できるんじゃないか……って。」

 

 

 電動車椅子の静かな駆動音が廊下に反射する。

 

「今までの俺は、着地する前からずっと力を入れてました。速く走ろうとして、地面を強く踏み続けて……。」

 

「結果、左足に負担が掛かってた。」

 

 ライツは何も言わない。

 

 やがて、彼女は小さく頷く。

 

「なるほど。」

 

「つまり君が言いたいのは、“力をかけるタイミングを一点に集中させる” ということだね。」

 

 その言葉に、ロードは少し不安そうにライツを見た。

 

「……変ですかね?」

 

「いや。」

 

 ライツは穏やかに首を振る。

 

「発想としては極めて自然だ。運動学的にも、力学的にも十分に筋が通っている。」

 

 ロードの表情が少し明るくなる。

 

 少し間を開けて、ライツは続けた。

 

「……どうしても、左足の加速は手放せなかったんだね。」

 

 すると、ロードは少しだけ目を伏せた。

 

「ライツ博士が考えてくれたフォームを否定したかったわけじゃないんです。」

 

「分かっているよ。」

 

 ライツは穏やかに頷いた。

 

「私が提示したのは、君が長く走るための理論だ。」

 

「だが君は、その先にある “君自身の走り” を探している。」

 

 ライツの言葉に、ロードは僅かに頬を緩ませた。

 

「やっぱり、あの加速が好きなんです。」

 

「左足で前へ飛び出すあの感覚だけは……どうしても忘れられなくて。」

 

 その声に、迷いも言い訳もない。

 ただ自分の心の奥底にある本音を、そのまま言葉にしただけだった。

 

 ライツは静かに頷く。

 

 否定も肯定もせず、その想いを受け止めるように。

 

「……ならば。」

 

 電動車椅子がゆっくりと止まる。

 二人の前には、夕陽に照らされたターフが広がっていた。

 

「君がやるべきことは、一つ。」

 

 ライツはまっすぐ前を見据えたまま告げる。

 

「その仮説を、ターフの上で立証することだ。」

 

 ロードは大きく息を吸い込む。

 

 胸の奥で熱く燃え続けていた想いが、ようやく前へ進むための力へ変わっていく。

 

「はい!」

 

 その返事は、これまでで一番迷いのない声だった。

 

 ライツは静かに頷く。

 

「では、始めようか。」

 

 そうして、[[rb:二人 > ・・]]の研究者がターフへ並んで向かった。

 

 

 

 

・・・・・

 

 

 

 

 カメラの設置を終え、ロードは第三コーナーと第四コーナーの中間に向かう。

 橙に染まり始めた空の下で、ロードは静かに立ち止まった。

 

 風が黒鹿毛の尾を揺らし、芝がさわさわと鳴る。

 

 少し離れた場所では、ライツが電動車椅子を止め、タブレットを手にロードを見つめていた。

 

 ロードは目を伏せ、深く息を吸う。

 

 そして、頭の中で自分の走りを何度もなぞる。

 

 これまでなら、より速くなろうとして着地の前から脚に力を込めていた。

 

 接地してもなお踏み続け、地面を押し潰すように前へ進もうとしていた。

 

 その積み重ねが、左足へ大きな負担を与えていた。

 

「………。」

 

 ロードはゆっくりと瞼を持ち上げ、左足に視線を落とした。

 

 脳裏に浮かぶのは今日の体育。ネット際へ駆け込み、跳び上がったあの瞬間。

 

 踏み込みで無理に力を込めたわけではない。

 

 沈み込んだ身体が反動を蓄え、最後の一瞬だけ、爆発するように力を解放させた。

 

「それを、加速に置き換えるだけ……。」

 

 踏み込むために力を使うのではなく、前へ飛び出すために、一瞬だけ使う。

 

 余計な力はいらない。

 必要なのは、力を引き出すタイミング。

 

 その一瞬だけ、誰よりも強く、誰よりも速く。

 

 ロードは少し離れた場所で見守るライツへ、小さく手を挙げる。するとライツもまた、静かに手を挙げ返した。

 

 それを確認して、ロードは走り出しの姿勢に移る。

 

 理論は組み上がった。

 

 あとは――立証するだけだ。

 

 もう一度深呼吸を挟む。

 

 次の瞬間、ロードは駆け出した。

 

 十分な速度を保ち、そのままの勢いで直線に向かう。

 

 力は入れない。

 肩の力を抜き、腕を自然に振る。

 

 脚も必要以上に持ち上げず、地面へ身体を預けるように一歩一歩を繋いでいく。

 

 カーブを抜け、長い直線が目の前へ現れた。

 

 左足が地面に降りていく。まだ力は入れない。

 

 地面に接地。しかし、まだ。

 

 体重を支えるために膝が僅かに沈み、自然と上半身も前へ落ちる。それでも、まだ。

 

 そして、膝が伸び始めた瞬間。

 

 一気に力を解放する――はずだった。

 

「っ……!」

 

 身体は前へ出た。

 

 だが、思っていたほど伸びなかった。

 

 思い描いた瞬間と身体が実際に力を発揮する瞬間に、微かなズレが生まれる。

 

 結果、力は前方への推進力になり切れず、身体を持ち上げる方向へ逃げてしまう。

 前へ伸びるはずの一歩が、わずかに体を浮かすだけで終わった。

 

(もう一回……!)

 

 カメラは通り過ぎたが、諦めない。

 次こそは合わせようと意識した瞬間、身体が構えてしまう。

 

 接地の前に力が入り、脚が硬くなる。

 

 さっきまでの滑らかなリズムが完全に崩れた。先ほどまでの速度はもうない。

 

「クソ……。」

 

 ロードは人知れず悪態をつく。

 

 今日の目的は、左足にかかる床反力の変化を計測することだ。しかしロードの頭を占めていたのは、測定の成否ではない。

 

 思い描いた走りを、一歩たりとも再現できなかったことだった。

 

 

 

 

・・・・・

 

 

 

 

 ロードが水分補給をしている間に、ライツは高速度カメラをノートパソコンへ接続する。

 数秒後、解析ソフトの画面に先ほどの走行データが表示された。

 

 ライツはロードを手招きする。ロードはタオルで汗を拭いながら、ライツの隣に腰を下ろした。

 

「さぁ、確認しようか。」

 

 まず表示されたのは、前に見た骨格模型と青色の矢印だった。ライツはキーボードを操作し、前回の測定データと重ね合わせる。

 

 その違いは明らかだった。

 

 柱のように伸びる赤い矢印と比べ、青い矢印はそれほど大きくない。加えて、力を受けている時間も短い。

 

「君の仮説通り、床反力は明らかに低下しているね。」

 

 ライツは淡々と告げる。

 

 ロードは思わず画面を見返した。

 

「じゃあ――」

 

 成功だった。

 

 そう言いかけて、口が止まる。

 

 身体は思い通りに動かず、十分な加速もできなかった。それなのに、データは仮説どおりの変化を示している。

 

「……まだ問題が残っています。」

 

 ロードが小さく呟く。

 

 その言葉に、ライツは満足そうに頷いた。

 

「そうだね。ならば――」

 

 画面を閉じ、穏やかに微笑む。

 

「次は、その謎を明かしにいこう。」

 

 

 

 

・・・・・

 

 

 

 

 太陽もほとんど市街地の影に隠れ、トラック周りのライトが点灯した頃。

 それでもトレーニング場には多くのウマ娘たちの足音だけが響いていた。

 

 その片隅で、ロードは今もなおスタートラインに立つ。

 

 彼がが導き出した仮説は正しい。床反力は確かに減っていて、それを受ける時間も短くなっていた。

 

 それなのに、速くならない。

 

 いや――速く走れない。

 

「……もう一度。」

 

 誰に言うでもなく呟き、ロードは地面を蹴った。

 

 左足を置く。

 

 荷重を乗せる。

 

 すぐに蹴ろうとする衝動を抑え、膝が伸びる瞬間まで待つ。

 

 そして解放。

 

「っ……!」

 

 数歩走ったところで、上半身が不自然に起き上がる。

 

 まるで左足を支点に、身体が梃子のように持ち上げられたかのようだった。

 

 前へ進む感覚がない。

 

 ロードは速度を落とし、悔しそうに息を吐いた。

 

「違う……。」

 

 理論は合っている。頭でも理解している。

 なのに身体が、その動きを拒んでいるようだった。

 

 ロードは深く息を吐くと、再びスタートラインへ戻った。膝が伸びる瞬間の体勢をイメージしながら、左足を前に出す。

 

 無意識だった。

 

 地面に触れた左足が、荷重を受け止める前に押し返そうとしている。

 それは、昔から染み付いた走り方だった。

 

「違う……。」

 

 ロードは上体を起こしながら減速。

 その場で立ち止まり、左脚を見下ろす。

 

 まるで身体そのものが、“着いたら押せ” と命令しているようだった。

 

 何本走っても同じだった。

 

「何が足りないんだ……。」

 

 仮説は間違っていない。ライツが録ったデータが、それを証明している。

 

 だとすれば、間違っているのは理論ではない。

 

 自分だ。

 

「今度の俺は、何を見落としてるんだ……?」

 

 群青の空を見上げ、そう呟いたところでーー

 

「ロード君。」

 

 ライツが声をかけた。

 

「今日はここまでにしよう。無闇に走り続けても、答えは見つからないよ。」

 

「……はい。」

 

 短く返事をすると、ロードはトラックへもう一度だけ視線を向けた。

 照明に照らされた芝は、昼間とは違う静けさをまとっている。

 

 それでもコースでは何人ものウマ娘が汗を流し、土を蹴り上げながら走り続けていた。

 

 ロードは無意識に左足へ視線を落とす。

 

 この脚は、今日だけで何十本と同じ動きを繰り返した。

 

 それでも、一度として理想の一歩は踏み出せなかった。

 

「………。」

 

 拳を握りかけ、すぐに力を抜く。

 

 ライツの言うように、焦ったところで答えは出ない。

 

 それでも胸の奥に燻るもどかしさだけは、どうしても消えなかった。

 

 軽く頭を下げ、ロードはトレーニング場を後にする。背中越しに、ターフを駆ける軽快な足音が聞こえた。

 

 誰もが自分だけの走りを追い求めている。

 その音を聞きながら、ロードは心の中で静かに呟いた。

 

(スズカさんの走りには、まだ何かある。)

 

 その確信だけを胸に抱えたまま、夕闇の校舎へと歩き出した。

 

 

 

 

・・・・・

 

 

 

 

 その日の夜。

 ロードは部屋の机に向かい、スマートフォンの画面を見つめていた。

 

 再生されているのは、先日録ったスズカが走っている映像。何度も巻き戻しては一時停止し、また再生する。

 

 接地の位置。

 

 重心の移動。

 

 膝が伸びるタイミング。

 

 腕振り。

 

 自分が考えられる要素を、一つずつ確認していく。

 

 だが、決定的な違いだけが見つからない。

 

「………。」

 

 ロードは椅子に深く座り、体重を預けた。

 

「わっかんねぇ……。」

 

 天井を見上げながら頭を掻く。

 

 “力をかけるタイミングを一点に集中させる”という仮説は、おそらく間違っていない。

 

 問題は、その先だった。

 

 スズカは、どうしてあれほど滑らかに加速できるのか。

 ロードが同じことをしようとすると、身体は起き上がり、加速が途切れる。

 

 スズカも地面を押し潰しているようには見えない。

 

 それでいて、一歩ごとに自然と速度を乗せていく。

 

「何が違う……?」

 

 フォーム?

 筋力?

 柔軟性?

 それとも、もっと別の何か?

 

 ロードは体を起こし、映像を巻き戻す。

 

 コマ送り。

 停止。

 再生。

 

 何度見返しても答えは見つからない。

 はっきり言って、お手上げ状態だった。

 

「……はぁ。」

 

 思いつく限りの可能性は、もう洗い尽くした。

 

 それでも答えは見えない。

 

(これ以上一人で考えても時間の無駄か……。)

 

 今ロードが欲しいのは答えではない。

 

 “自分にはない視点”。

 

 それだけでいい。

 

 ロードは映像を止め、チャットアプリ『LANE』を開いた。

 

「………。」

 

 一番上のアカウントは、シュガーライツ。

 だが、彼女に聞くのは違う。きっと一緒になって考え込んでしまうだろう。

 

 今欲しいのは、理論ではなく “走る側” の視点。

 だからこそ、頭に浮かんだ人物は一人しかいなかった。

 

 ロードはサッと画面をスクロールし、あるアカウントで指を止める。

 

 その名前こそーーキタサンブラック。

 

「……悪いな、キタサン。」

 

 そんな前置きを挟み、ロードはメッセージを打ち始めた。

 

『お疲れ、夜遅くにごめん。

 明日、キタサンのトレーナーと少しだけ話す時間をもらえないか聞いてもらってもいい?』

 

 意を決して送信ボタンを押す。

 メッセージはあっという間に相手へ届けられた。

 

「………。」

 

 あのトレーナーの力を借りなければ、この壁を乗り越えられない気がする。

 そう考えながら、ロードはスマートフォンをベッドへ置こうとした。

 

 ――ピコン。

 

 画面が光る。

 

 表示された通知には、

 

『キタサンブラック』

 

 の文字。

 

「早っ……。」

 

 思わず声が漏れた。

 

 画面を開くと、そこにはいつも通りの明るい文章が並んでいた。

 

『お疲れ様!』

 

『全然大丈夫だよ!トレーナーさんに聞いてみるね!』

 

 あまりのテンポの良さに、思わず苦笑する。

 もう少し遠慮というものを挟むと思っていたが、その行動力こそがキタサンブラックらしい。

 

 ロードは肩の力を抜き、小さく息を吐いた。

 

「……助かる。」

 

 返信を送り終えたロードは、スマートフォンを充電器と繋ぎ、枕元へ置いた。

 

 キタサンならすぐに結果を知らせてくれるだろう。そう思いながらも、瞼は重かった。

 

 今日だけで何本走っただろうか。

 

 理論を確かめるため、同じ動きを何度も繰り返した。その疲労は、身体だけでなく頭にも深く積み重なっていた。

 

「ねむ……。」

 

 ベッドへ身体を預ける。

 そして、目を閉じた次の瞬間には、意識は深い眠りへと落ちていた。

 

 少しして、枕元ではスマートフォンの画面が一度だけ淡く光る。

 

 だが、その光に気付く者は、その場にはいなかった。

 

 

 

 

・・・・・

 

 

 

 

 翌日、放課後。

 

 トレセン学園トレーニング場の外埒付近。

 沖野は柵に軽く肘を預けながら、コースを走るキタサンやチームメイトのウォーミングアップを眺めていた。

 

 ホイッスル。

 土を蹴る音。

 ウマ娘たちの掛け声。

 

 その喧騒の中でも、背後から近づく足音だけははっきりと耳に届いた。

 

「沖野トレーナー。」

 

 沖野は視線だけを静かに向ける。

 

「おう、ルベウス。」

 

「時間をいただき、ありがとうございます。」

 

「気にすんな。」

 

 そう言って再びコースへ目を戻す。

 

「キタサンから話は聞いてる。相談があるんだってな。」

 

「はい。」

 

 ロードはズボンのポケットからスマートフォンを取り出し、沖野に渡す。画面に映っていたのは、昨日撮ったロード自身の走りだった、

 

 沖野は画面をタップし、再生する。映像を見てもらいながら、ロードは話を続けた。

 

「 “力をかけるタイミングを一点に集中させる” 。それがスズカさんの走りの秘密だと考え、フォーム改造を進めました。」

 

「そのおかげで、足にかかる負担を大きく減らすことができました。」

 

「そうか!それは良かった。」

 

 沖野は嬉しそうに言う。

 あの日、ロードの走りが危険だと真っ先に気付いた彼だからこそ出てきた感想だった。

 

「ですが……何かが足りない。」

 

「スズカさんにはあって今の俺にはないもの。それのヒントをいただきたくて。」

 

 沖野は画面に映る映像に目を落とす。

 

 しばらくの静寂。

 

 やがて、彼は小さく口角を上げた。

 

「……いいセン行ってるな。」

 

 ロードは顔を上げる。

 

「お前のこの走り、ちゃんとスズカの走りを落とし込めてる。」

 

 その言葉に、ロードは少しだけ目を見開いた。

 

「だが。」

 

 沖野はもう一度映像へ目を落とす。

 

「確かに、何かが足りねぇ。」

 

 再び沈黙。

 

 やがて沖野は肩を竦め、いつもの調子で笑う。

 

「しかし、本当にヒントでいいのか? 俺なら今すぐ答えを教えられるぜ。」

 

 冗談めかした口調。しかしロードは一切表情を変えない。

 真っ直ぐ沖野を見つめるその眼差しは、角度によっては睨んでいるようにも見えた。

 

 沖野は思わず苦笑する。

 

「はは、悪かったよ。」

 

 そう言って再びコースへ視線を向けた。

 キタサンたちがコーナーから直線に入り、こちらに戻って来るところだった。

 

「今のルベウスがやるべきことはーー他のウマ娘の走りを見ることだ。」

 

 沖野はスマホをロードに差し出しながら、そう言った。

 

「……他のウマ娘?」

 

「テイオーでもマックイーンでも、誰でもいい。そいつらの走りをスズカと比較してみろ。」

 

「それが、俺から言えるヒントだ。」

 

 返されたスマホを手に取り、ロードはポケットに仕舞う。

 

 と、その時だった。

 

「しゃあっ!俺の勝ちだ!」

 

「何言ってんのよ!アタシの方が先だったでしょ!」

 

 ウォーミングアップを終えたウオッカとダイワスカーレットが、いきなり言い合いを始めた。

 

 その様子に、後からゴールしたマックイーンが呆れたように肩を竦める。

 

「あなたたち……まだウォーミングアップですのよ?」

 

「あははっ!」

 

 テイオーが思わず吹き出す。

 周囲にも笑い声が広がり、張り詰めていた空気が不思議と和らいだ。

 

 その輪から少し離れた場所で、サイレンススズカは静かに立っていた。

 彼女の隣へ駆け寄ったキタサンが、ぽん、とその背中を軽く叩く。

 

 キタサンは何も言わず、ロードの方へ視線を向けて手を振った。スズカもまた、静かにロードへ目を向ける。

 

 何かを伝えようとしているわけではない。ただ、「頑張って」と背中を押すような笑顔だった。

 

 ロードは小さく頷き、沖野へ向き直った。

 

「ありがとうございました。」

 

「おう。」

 

 沖野は短く返すだけだった。

 

 ロードは踵を返し、歩き出す。

 

 その背中を追う者はいない。

 

 だが、その足取りは昨日までよりもわずかに軽かった。

 

 答えはまだ見つかっていない。

 

 それでも、次に見るべき景色だけは、はっきりと見えていた。

 

 

 つづく




問題が解決することで新たな問題が浮き彫りになることってありますよね。小説書いてたら何度も起きてます。
負けるな、ロード君。

では、また次回。
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