ウマ娘 ロストロード   作:ツカッチ

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トレーナーのみなさん、こんにちは。

ダイヤがロードを認めない理由とは……?


第十七話 一つ隣の特等席

 いったい、いつからだろう。

 キタちゃんの話の中に、ルベウスさんがいるのが当たり前になったのは。

 

「ロードくんってね。」

「ロードくんがさ。」

「ロードくんはーー」

 

 会話の中でその名前が出るたび、胸の奥が少しだけ落ち着かなくなる。

 

 ……どうしてだろう。

 

 小学生の頃だって、男の子と話すことはあった。クラスで遊ぶことも、一緒に笑うことも。

 だから、男の子と話すこと自体は何もおかしなことじゃない。

 

 なのに。

 

 ルベウスさんと話すキタちゃんを見ていると、その頃とは何かが違う気がした。

 

 心の底から楽しそうで。

 他の誰かと話すよりも嬉しそうで。

 

 私には、その “何か” が分からない。

 

 分からないからこそ、不安になる。

 

 もし、このまま二人がもっと仲良くなったら。

 もし、私の知らないところで笑い合う時間が増えたら。

 

 ……その時、私はどうなるんだろう。

 

 そんなことを考えてしまう自分が、少しだけ嫌だった。

 

 本当なら、応援するべきなんだと思う。

 

 キタちゃんが楽しそうに笑っているなら、それを喜ぶのが幼馴染なんだって。

 

 だけど。

 

 このまま二人をただ眺めるだけでいたら。

 

 気づかないうちに何かが変わってしまう気がして、怖かった。

 

 だから私は、彼を拒むような言葉をぶつけた。

 

 私は彼を認められない。認めたくない。

 

 だって、私たちはーー

 

 ずっと一緒にいたんだから。

 

 

 

 

・・・・・

 

 

 

 

 朝のトレーニング場には、いつもと変わらない時間が流れていた。

 

 トラックを駆け抜ける足音。

 

 芝を揺らす風の音。

 

 その中を、一人の少年が何度も駆け抜けていた。

 

「………。」

 

 私は観客席の後方から、その姿を静かに見つめていた。

 

 一本走るたびにライツ博士と言葉を交わす。

 

 少し考えては、またスタートラインへ戻る。

 

 それを何度も走り直す。

 

 ただひたすらに、自分の走りだけを追い求めるように。

 

(……どうして。)

 

 あの日から気がつけば一週間が経っていた。

 

 その間、ルベウスさんは何一つ変わらなかった。

 

 走る姿も、夢を追い続ける姿も、以前と同じまま。

 

 私には分からなかった。

 

 あの日、自分はちゃんと伝えたはずだった。

 

 それなのに。

 

 彼は足を止めることもなく、俯くこともなく、まるで何事もなかったかのように今日もターフを駆けている。

 

 その姿が、どうしても理解できない。

 

(どうして、変わらないんですか……。)

 

「お待たせ、ダイヤちゃん!」

 

 聞き慣れた声に、私は振り返る。

 お手洗いから戻って来たキタちゃんは、ニコッと笑った。

 

 今日の私たちはオフの日。

 本当は体を休めるべきだけど、朝だけは一緒に自主トレーニングをしようと約束していた。

 

「でも、どうして観客席に……」

 

 そう言いかけて、キタちゃんの視線が固定される。

 

 その視線の先にいたのはーー

 

「あっ、もしかしてロードくん見てた?」

 

「っ……!」

 

 心臓が、小さく跳ねた。

 思わず尻尾がぴんと伸び、耳までぴくりと動いてしまう。

 

「転入試験、受けるって言ってたもんね!」

 

 キタちゃんは嬉しそうにルベウスさん眺める。

 

「やっぱり気になっちゃうよね。最近ロードくん、すごく頑張ってるもん。」

 

「そ、そうだね……。」

 

 やっとのことで返した声は、自分でも分かるほどぎこちなかった。

 

 けれど、キタちゃんは気付かない。

 

「ロードくんも頑張ってるし、私たちも負けてられないね!」

 

 屈託なく笑うその横顔は、一週間前と何一つ変わっていなかった。

 

「うん……。」

 

 小さく頷きながら、私はもう一度ルベウスさんへ視線を向ける。

 

 変わらない。

 

 キタちゃんも。

 

 ルベウスさんも。

 

 まるで、あの日など存在しなかったかのように。

 

 それが、分からない。

 

 理解できない。

 

(……どうして。)

 

 そんな問いだけが、胸の奥で静かに繰り返されていた。

 

 

 

 

・・・・・

 

 

 

 

「じゃあダイヤちゃん、先に戻ってるね!」

 

「うん。また後でね。」

 

 軽いトレーニングを終えた後、手を振るキタちゃんを見送り、私はその場に残った。

 

 なんとなく、すぐに帰る気にはなれなかった。

 

 近くのベンチへ腰を下ろし、小さく息を吐く。

 

 見上げれば、青空の下を雲がゆっくりと流れていた。

 

「………。」

 

 静かだった。

 

 頭の中には、この一週間で考え続けたことが何度も浮かんでは消える。

 

(ルベウスさんは……。)

 

 あの日から、変わらない。

 

 落ち込んでいる様子は、一度も見ていない。

 

 それどころか。

 

(私にも、普通に……。)

 

 数日前、キタちゃんと廊下を歩いていた時の事。

 私たちは、トレーニングに向かう途中であろうルベウスさんに出会ってしまった。

 

 彼を見るなり嬉しそうに声をかけるキタちゃん。その光景を見た瞬間、胸の奥がちくりと痛んだ。

 

 その、次の瞬間だった。

 

『サトノダイヤモンドさんも、こんにちは。』

 

 あろうことか、彼は私にも挨拶をしてきた。

 

 責めるでもなく。

 

 怒るでもなく。

 

 もちろん、キタちゃんを避ける様子もない。

 

(どうして……?)

 

 分からない。

 

 何を考えているのか。

 

 何を思っているのか。

 

 あの日の言葉を、どう受け止めたのか。

 

 考えれば考えるほど、答えは遠ざかっていく。

 

 

「眉間に皺が寄ってるよ、ダイヤ。」

 

 

「ーーっ!」

 

 突然聞こえた声に、私は勢いよく体を起こした。

 

 そこには、腰に手を当てながらこちらを見下ろす一人のウマ娘。

 

 クラちゃんこと、サトノクラウンだった。

 

「クラちゃん……。」

 

「そんな難しい顔をして空を見てたら、雲まで逃げちゃうよ?」

 

 そう言ってクラちゃんは隣へ腰を下ろす。

 

 しばらく沈黙が流れた。

 

 風が吹き、草木の匂いがふわりと漂う。

 

「………。」

 

「………。」

 

 クラちゃんは何も聞かない。

 

 ただ私と同じように空を見上げている。

 

「……何か、悩み事?」

 

 不意に聞こえた声は、とても穏やかだった。顔を向ければ、そこには優しい笑みを浮かべているクラちゃん。

 

 無理に聞き出そうとするでもなく、いつものクラちゃんでいてくれている。

 それだけで、不思議と胸の奥の張り詰めたものが少しだけ緩んだ。

 

 同じサトノのウマ娘として、彼女になら話していいと思った。

 

「その……ルベウスさんのことなんだけどさ。」

 

 私は勇気を出して、クラちゃんに話す。

 

「ルベウスさんとキタちゃんは、とても仲がいいんだよね。」

 

「うん。」

 

 クラちゃんは静かに頷く。

 

「購買で会った時も、キタサンすごく楽しそうだったね。」

 

「それで……ね。」

 

 そこで一度言葉を切り、深呼吸を挟む。

 私はクラちゃんの目を見て、ゆっくりと口を開いた。

 

「最近、二人が一緒にいるのを見ると……この辺りが苦しくなるの。」

 

 私はそう言いながら、胸元に手を当てた。

 

 クラちゃんの目が、僅かに細くなる。

 

「ぽっかり穴が空いたみたいで、イガイガってなって……。」

 

「それが辛くて、私はーー」

 

「ルベウスさんに、『絶対に認めません』って言ったんだ。」

 

 あの日、自分が口にした言葉。

 

 後悔しているわけではない。

 

 けれど、その言葉が頭から離れなかった。

 

「……『認めない』って、何を?」

 

「ルベウスさんが、キタちゃんと仲良くしてるのを……。」

 

 私がそう答えると、クラちゃんは少しだけ目を丸くした。

 

「……ダイヤにしては、珍しくストレートに言ったんだね。」

 

 クラちゃんは少し驚いたようだったけど、すぐにふっと柔らかく笑った。

 

 私は頷くことも、否定することもできない。

 

 あの日の言葉を思い返すだけで、胸の奥が締め付けられるように苦しくなる。

 

「ちなみに、それを言った理由は?」

 

 責めるような口調ではなかった。

 

 ただ、私の気持ちを知ろうとしてくれている。

 

 だからこそ、誤魔化せなかった。

 

「キタちゃんが…… “私の知らないキタちゃんになってしまう” かもしれないと思ったから……。」

 

 言葉にした瞬間、自分でもその表現に戸惑う。

 

 知らないキタちゃん。

 

 そんな曖昧な言葉でしか、この気持ちは表せなかった。

 

「私の知らないキタちゃん……?」

 

 クラちゃんは小さく首を傾げる。

 

 否定も肯定もしない。

 

 その続きを待つように、静かに私を見つめていた。

 

「それって、どういうこと?」

 

 優しい問い掛けだった。

 

 けれど、その一言で胸の奥にしまっていた記憶が、ゆっくりと浮かび上がってくる。

 

「キタちゃんがルベウスさんと話をする時……私たちと話している時とは違う笑顔をするの。」

 

「違う笑顔?」

 

「声のトーンもいつもより少しだけ高くなって……なんだか、弾むみたいに楽しそうで……。」

 

 ずっと隣にいたからこそ、小さな変化に気づいてしまう。幼馴染の私ですら知らないキタちゃんが、確かにそこにいた。

 

「そのうち、私が知っているキタちゃんじゃなくなってしまうんじゃないかって……。」

 

 言葉を口にするたび、胸の奥が締め付けられる。

 

 これが私の本当の気持ちだった。

 

 クラちゃんは最後まで口を挟まず、静かに耳を傾けてくれていた。

 

「ダイヤの気持ちは、よく分かったよ。」

 

 クラちゃんは一度、小さく頷いた。

 

「聞きたいんだけど……ダイヤは、キタサンと話すルベウス君にモヤモヤしてるんだよね?」

 

「うん。」

 

 迷いはなかった。

 あの二人が並んで笑っている姿を見るたび、胸が締めつけられる。

 

 その気持ちだけは、もう隠せない。

 

「でもさ。」

 

 クラちゃんは私の顔をまっすぐ見つめた。

 

 

「いつも先に話しかけてるのって――キタサンの方じゃない?」

 

 

「……え。」

 

 思わず言葉を失う。

 

 その問いは、考えたこともない視点だった。

 

 頭の中で、これまでの光景が一つずつ浮かび上がる。

 

 トレーニング場で会った時も、購買で会った時も、放課後に会った時も。

 

 ――そうだ。

 

 思い返せば、いつも。

 

 最初に声を掛けていたのは、キタちゃんだった。

 

「少なくとも私は、ルベウス君からキタサンに話しかけるところは見たことがない。」

 

「それは、ダイヤも同じじゃない?」

 

「………。」

 

 言葉が出なかった。

 

 自分の中にあった考えが、音もなく崩れ落ちていく。

 

「だからさ……。」

 

 クラちゃんは言葉を選ぶように、数秒空を見上げる。

 

 そして、私の目を真っ直ぐ見た。

 

「もし、本当に二人が仲良くなるのが嫌だって思うなら。」

 

「止めるべき相手はルベウス君じゃなくて……キタサンになるんじゃないかな。」

 

 喉の奥で言葉が詰まる。

 

 そんなこと、考えたこともなかった。

 

 だけど、それ以上に――

 

「そんなの、できないよ……。」

 

 思わず漏れた声は、自分でも驚くほど震えていた。

 

 クラちゃんはその言葉を否定することなく、静かに受け止める。

 

「それは、どうして?」

 

 優しい問いだった。

 

 責めるような響きは、どこにもない。

 

「キタちゃんを悲しませるようなことは……私には、できない……。」

 

 小さく俯く。

 

「そっか。」

 

 クラちゃんは一つ頷くと、ゆっくりと言葉を紡いだ。

 

「……もしダイヤの言葉がきっかけで、ルベウス君がキタサンと距離を置くようになったら。」

 

「キタサンは、その理由を必死に探したと思う。」

 

 私は何も言えなかった。

 

 そんなキタちゃんの姿が、容易に想像できてしまったから。

 

「原因がダイヤにあると知った時、キタサンはどんな反応をするのかな。」

 

 考えたくない。

 

 悲しそうなキタちゃんの顔なんて、見たくない。

 

「そんな時でも、ダイヤはそのままでいられる?」

 

 答えは、分かりきっていた。

 

「………。」

 

 首を横に振ることさえできない。

 

 もしそうなったとしても、キタちゃんに謝る資格なんて私にはない気がした。

 

 しばらく沈黙が流れる。

 風が木々を揺らし、葉擦れの音だけが静かに耳へ届く。

 

「じゃあさ、ダイヤ。」

 

 クラちゃんは、少しだけ話題を変えるように微笑んだ。

 

「ルベウス君と出会って、キタサンはダイヤに冷たくなった?」

 

「……?」

 

 予想もしていなかった問いに、私は顔を上げる。

 

「例えば……話す頻度が減ったり、ご飯を別々で食べるようになったりした?」

 

 思い返してみる。

 

 朝の挨拶。

 

 一緒に食べる昼食。

 

 他愛もない会話。

 

 レースの相談。

 

 どれも、何一つ変わっていない。

 

「……なってない。」

 

 その答えは、自分でも驚くほどすぐに出た。

 

「ってことはさ。」

 

 クラちゃんは穏やかに笑う。

 

「キタサンは、何も変わってないんじゃないかな。」

 

「あ……。」

 

 胸の奥で、何かが音を立てた気がした。

 

 変わったと思っていた。

 これから先、自分の知らないキタちゃんが増えていくと思っていた。

 

 でも。

 

 キタちゃんは今も変わらず私に笑いかけてくれる。

 

 今も変わらず隣を歩いてくれる。

 

 変わったのは、本当にキタちゃんだったのだろうか。

 

「でも……じゃあ、どうして私は……。」

 

 ぽつりと零れた言葉に、クラちゃんはすぐには答えなかった。

 

 その沈黙が、私に考える時間をくれる。

 

 どうして、こんなにも苦しかったんだろう。

 

 キタちゃんは変わっていない。

 

 ルベウスさんも、何か悪いことをしたわけじゃない。

 

 それなのに、私は。

 

 私は――。

 

 その時、脳裏に浮かんだのは、幼い頃からずっと隣にいたキタちゃん。

 

 一緒に笑って、一緒に泣いて。

 嬉しいことも、悔しいことも分け合いながら、互いに励まし合ってきた。

 

 どうして、その景色がこんなにも大切だったんだろう。

 どうして、それを失うことが怖かったんだろう。

 

 ――それは。

 

 

 私が、キタちゃんの “幼馴染” だからだ。

 

 

 その立ち位置は、私にとって当たり前で、誰にも譲ることのない特別な場所だった。

 

 だから。

 

 ルベウスさんが現れて。

 

 キタちゃんに、私の知らない姿が増えていくたびに。

 

 胸の奥が締め付けられた。

 

「私が怖かったのは、キタちゃんが変わることじゃなかった……。」

 

 ゆっくりと顔を上げる。

 

「幼馴染としての私が……キタちゃんの一番近くにいる私が、変わってしまうことだったんだ……。」

 

 ぽろぽろと大粒の涙が溢れ、ズボンに小さなシミを作っていく。 

 

 自分があまりにも情けなく感じた。

 キタちゃんのためなんて嘘をついて、本当に守りたかったのは自分の居場所だった。

 

「自分で答えを見つけられたね。」 

 

 クラちゃんはそっと距離を縮め、「偉いよ」と泣きじゃくる私の肩を優しく抱きしめた。

 

「でもね、ダイヤ。」

 

 泣き腫らした私の目を、クラちゃんはまっすぐ見つめる。

 

「他の子じゃできない、幼馴染のダイヤだからこそできることがあると、私は思う。」

 

「私だから、できること……?」

 

 クラちゃんは、ふっと優しく微笑む。

 その笑顔は、まるで私の背中を押してくれているようだった。

 

 すると次の瞬間、クラちゃんは勢いよく立ち上がった。

 

「場所を変えるよ、ダイヤ!」

 

「へっ?」

 

 突然のことに、思わず間の抜けた声が漏れる。

 

「こ、これから何をするの?」

 

 クラちゃんは悪戯っぽく笑った。

 一歩前へ踏み出し、こちらへ手を差し伸べる。

 

「何って、作戦会議だよ!」

 

「ほら、早く来て!」

 

 そう言って、クラちゃんは私の返事も待たずに手を取り、引っぱる。

 

「ま、待ってよクラちゃん!」

 

 転びそうになりながら、慌ててそのバランスを立て直す。そうして私たちは、校舎へと駆け出した。

 

 さっきまで胸を締め付けていた苦しさは、まだ消えてはいない。

 

 それでも。

 

 進むべき道が、ほんの少しだけ見えた気がした。

 

 

 

 

・・・・・

 

 

 

 

 日も傾き始め、茜色に染まった空がトレセン学園を優しく包み込む。

 私はトレーニング場の入場口付近で、ルベウスさんが現れるのを待っていた。

 

 あの後、私はクラちゃんとたくさん話をした。

 

 キタちゃんの幼馴染として何を考えるべきなのか。そして、ルベウスさんとどう向き合えばいいのか。

 

 その答えは一つだった。

 

 自分の目で見て、自分の心で答えを出す。

 もう二度と、感情に身を任せたりはしない。

 

 すると、トレーニング場の入場口の向こうから、二つの影がゆっくりと伸びてきた。

 

 顔を上げた瞬間、思わず息を呑む。

 

 影の正体は、電動車椅子に乗ったライツ博士と、ルベウスさんだった。

 

「無意識への移行はどうだい?」

 

「……なかなか上手くいきません。」

 

 ルベウスさんは、ライツ博士の車椅子に歩幅を合わせるように、ゆっくりと歩いてくる。

 

 その姿を見つめるだけで、胸の鼓動が少しずつ速くなっていく。

 

 まだ、こちらには気づいていない。この位置なら、先に声を掛けるのは私だ。

 

 怖い。

 

 逃げ出したくなるくらい、怖い。

 

 それでも。

 

 もう目を逸らさないと決めた。

 

 ルベウスさんと向き合うために。

 そして、キタちゃんの幼馴染としての役目を果たすためにーー

 

 私は一歩、前へ踏み出した。

 

「おや……。」

 

 最初に私へ気づいたのは、ライツ博士だった。

 その声に、ルベウスさんもゆっくりと顔を上げる。

 

「……サトノダイヤモンドさん?」

 

 私は深く息を吸い込む。

 

「ルベウスロードさん。」

 

 震えそうになる声を、必死に押さえ込む。

 

「少し、お話ししたいことがあります。」

 

 

 

 

・・・・・

 

 

 

 

 私たちは、トレーニング場の観客席へと移動した。

 

 夕日に照らされるスタンドには誰もいない。ただ静かな風だけが、芝の匂いを運んできていた。

 

 ルベウスさんは日陰がある一番後ろの席に腰を下ろす。

 私は少しだけ迷ってから、その隣――ではなく、一つ椅子を空けた席に座った。

 

 この距離が、今の私たちらしかった。

 

「それで……」

 

 スポーツドリンクを一口飲んだルベウスさんが、静かに口を開く。

 

「話って、何ですか。」

 

 責めるような口調ではない。挨拶をしてくれた時と何一つ変わらない、穏やかな声だった。

 

 そのことが、かえって胸を締め付ける。

 

 私は膝の上で両手をぎゅっと握り締めた。

 

 ここまで来たのに。

 

 頭の中で何度も練習した言葉が、喉の奥で止まってしまう。 

 

 ルベウスさんが不思議そうにこちらを覗き込む。その真っ直ぐな瞳が、私の弱さをすべて見透かしてしまいそうで、たまらなく怖かった。

 

 ――でも、逃げない。

 

 もう目を逸らさないって、クラちゃんと約束したから。

 

 私は膝の上の拳に力を込める。爪が手のひらに食い込むのを感じながら、深く息を吸い込んだ。

 

「……まずは、謝らせてください。」

 

「一週間前、私はあなたに『絶対に認めない』と、とても理不尽で酷い言葉をぶつけてしまいました。本当に、申し訳ありませんでした。」

 

 私は椅子に座ったまま、深く頭を下げた。

 ルベウスさんは一瞬、驚いたように息を呑む気配がした。

 

「俺は別に気にしてないですよ。」

 

 あまりにも穏やかな返事だった。

 けれど、それで終わらせてはいけないと分かっていた。

 

「その、質問なのですが……」

 

 一度深呼吸を挟み、本題に入る。

 

「どうしてルベウスさんは、変わらなかったんですか?」

 

「変わらなかった……とは?」

 

「あの日、私はあなたに『認めない』と言いました。」

 

「なのにルベウスさんは、翌日からも何事もなかったように走ったり、お話ししたりしていて……。」

 

「どうして、そんな風に平気でいられたんですか?」

 

 クラちゃんと話しても、どうしても分からなかった疑問。ルベウスさん一瞬目を丸くしたあと、ふっと柔らかく笑った。

 

「平気なわけないですよ。」

 

「……え?」

 

「『認めない』と言われた時、正直めちゃくちゃショックでした。」

 

 ルベウスさんはスポーツドリンクのボトルを見つめながら、ぽつりぽつりと話しだした。

 

 その言葉に、胸が締め付けられる。

 

 やっぱり、傷ついていたんだ。

 

 当たり前のことなのに、今さら気づいてしまう。

 

「だけど、それは諦める理由にはならないんです。」

 

「……?」

 

 私は小さく首を傾げる。

 ルベウスさんは少しだけ空を見上げてから、静かに続けた

 

「いきなり現れた正体不明の存在を警戒するのは、何も不思議なことじゃない。むしろ、そっちの方が正しい反応だと思います。」

 

 穏やかな口調だった。

 

 責める気持ちは、本当に一つも感じられない。

 

「だから、考えたんです。」

 

「そんな時は言葉じゃなくて、態度で認めさせるしかないって。」

 

 ルベウスさんはボトルを置き、私をまっすぐ見つめた。その瞳には、一筋の迷いもなかった。

 

「じゃあ、私に挨拶をしたのも……。」 

 

「俺がどんなウマ娘なのか、ちゃんと見てもらいたかったからです。」

 

 その言葉に、胸がぎゅっと締め付けられる。

 ルベウスさんは続けた。

 

「たとえ今は受け入れてもらえなくても。」

 

「いつか、『ここにいてもいい』って思ってもらえるように。」

 

 そう言って、ルベウスさんは微笑んだ。その言葉に、彼の底知れない覚悟を、私は見た気がした。

 

(……本気だ。)

 

 目の前にいるルベウスさんを見つめる。

 

 その瞳に、揺らぎは少しも無かった。

 

(ここまで真っ直ぐに向き合えるほどに、キタちゃんのことを……。)

 

 私が拒絶しても逃げなかった。

 諦めることも、キタちゃんから距離を置くこともしなかった。

 

 ――だからこそ。

 

 キタちゃんがあの笑顔をルベウスさんにだけ見せる理由が。

 

 何となく、分かった気がした。

 

「少し、お話は変わるのですが……」

 

 私はそこで、一度言葉を区切った。

 すぅ、と深く息を吸い込み、乱れそうになる心を落ち着かせる。

 

「キタちゃんは、ルベウスさんがトレセン学園に生徒として来る日をとても楽しみにしているんです。」

 

 ルベウスさんは少し驚いたように、夕日に照らされた目を瞬かせた。

 

「そうなんですか。」

 

「はい。いつも本当に嬉しそうに、ルベウスさんのお話をしてくれるんです。」

 

 ただの世間話のような内容。

 しかしこれは、彼女の幼馴染である私が聞かなければならないことだった。

 

「そこで、一つ聞かせてください。」

 

 私は膝の上の拳をほどき、まっすぐにルベウスさんの瞳を見つめた。

 

「もしこの先、キタちゃんの隣に立つ時が来たら――」

 

「あなたはその隣に、立ち続けられますか?」

 

 

 つづく




どんなに普段大人しかろうと、精神はまだまだ幼い子供。いきなり現れたイレギュラーに危機感を覚えるのも無理ないかと思います。

ずっと一緒に過ごしてきたのなら、尚更です。

では、また次回。

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