トレーナーのみなさん、こんにちは。
ロード君、初のレースです。
1600mのスタート地点へ向かって歩くスピカの面々。その中でも、ひときわ上機嫌なのがゴールドシップだった。
「本日は一段とやる気に溢れていらっしゃいますわね。」
不思議そうに尋ねるマックイーン。トレーニングをサボりがちなゴルシがここまでのやる気を見せるのは、初めてのことだった。
「あったりめーだろ! 模擬レースでゲートがないんだぜ!」
「いい加減、ゲートに慣れなよ。」
そうツッコむのはテイオー。
彼女にしては珍しく、分かりやすいほど呆れた表情を浮かべている。
「アンタにだけは絶対負けないから!」
「こっちのセリフだ!」
そのすぐ前では、スカーレットとウオッカが早くも火花を散らしていた。
永遠のライバルである二人にとって、勝負事に大小など関係ない。どんな些細なことでも、全力だ。
一方。
ロード、キタサン、スズカ、スペシャルウィークの四人は、少し離れて後ろを歩いていた。
前方の様子を眺めながら、ロードがぽつりと呟く。
「みなさん、楽しそうですね。」
「ふふ。頼もしいでしょう?」
スズカがくすっと笑う。
その横顔を見ながら、スペシャルウィークが口を開いた。
「そういえば、トレーナーさんから聞いたんですが……。」
「ルベウスさん、走り方を変えたんですよね?」
「走り方というか、考え方ですね。」
ロードはスペを見ながら答える。
「レースの知識が不十分な自分が勝つには、自分の走りに集中できる方がいいのではと言う話になりまして。」
「その結果が、『逃げ』なんだよね!」
キタサンが嬉しそうに口を挟む。
「うん。」
「スズカさんと同じですね。」
「ふふっ。そうね♪」
スペに言われて、スズカは頬に手を添え、嬉しそうに微笑んだ。よく見ると――ほんの少しだけ、頬が赤い。
「スズカさん、なんだか嬉しそう。」
キタサンが顔を覗き込む。
「そうかしら?」
「そうですよ。」
スペも頷く。
スズカは少しだけ照れたように笑った。
「逃げを目指すウマ娘と一緒に走るのは、楽しみだから。」
そして、ロードへ視線を向ける。
「簡単に前を走らせるつもりはないわ。」
スズカは確かに笑っていた。しかしその瞳は、早くもレースを見ていた。
ロードは、ほんの少しだけ目を細める。
スズカから、まるで見えない火が灯っているようだった。それでもロードは、負けじとスズカの瞳を見つめた。
「しっかりと勉強させてもらいます。」
その返事に、スズカの笑みがさらに深くなる。
――明らかに、いつもより楽しそうだった。
そうして一同はスタート地点付近へ到着。すると、マックイーンが集合をかけた。
「それでは、並び順を決めましょうか。」
そう言って、彼女は周囲を見渡す。
その視線がロードで止まった。
「ルベウスさんは模擬レースは初めてですから、一番内側にしましょう。その方が走りやすいでしょうし。」
「賛成です!」
真っ先に手を挙げたのはキタサンだった。
「俺もいいと思うぜ。」
ウオッカも頷く。
「アタシも異論ないわ。」
スカーレットが続く。
「文句なーし!」
ゴールドシップが手をひらひらさせながら言った。
「私も。」
「私も大丈夫です!」
スズカとスペも笑顔で頷く。
「じゃあルベウス君が一番内側で決まり!」
テイオーが手を叩く。
ロードは少し驚いたように一同を見回した。
「……いいんですか?」
「もちろんですわ。」
マックイーンが微笑む。
「今日はあくまで模擬レース。経験を積むことが目的なのですから。」
「ありがとうございます。」
ロードが頭を下げる。
「じゃあ、残りの順番はどうしますか?」
キタサンが尋ねる。
「ここは公平にジャンケンで決めようぜ! せーのっ!」
「ま、待ちなさい!」
「やっぱテンションおかしいって。」
スカーレットが慌てて止め、ウオッカが開かれた風に言う。
「いいじゃん、ジャンケン!」
テイオーは反対に楽しそうだった。
「コホン。それでは改めて……」
マックイーンの咳払いに、全員が拳を構える。
「最初はグー!」
「ジャンケン――」
「ポン!」
・・・・・
熾烈なジャンケン勝負を終え、並び順が確定した。
内埒側から、ロード、テイオー、スカーレット、スズカ、マックイーン、キタサン、ゴールドシップ、スペ、そしてウオッカ。
一同は第二コーナーを走ってくるウマ娘がいないことを確認し、スタートラインに並んだ。
「よーし!負けないからね!」
「それはこっちのセリフですわ。」
スタートを待つ間も、あちこちで火花が飛び交っている。
ウオッカとスカーレットは密かに火花を散らし、ゴールドシップはなぜか一人で楽しそうに笑っている。
その他のメンバーも、リラックスした雰囲気で立っている。
そんな光景を、ロードは隣でぼんやりと眺めていた。
視線の先にあるのは、横一列に並ぶウマ娘たち。
そして、その向こうに広がるターフ。
スタート地点からゴールまでを改めて見た。
「………。」
気がつけば、ロードはその景色に見入っていた。
「どうしたの?」
隣から声をかけられる。
ロードが振り向くと、テイオーが不思議そうにこちらを見ていた。
「なんか、ぼーっとしてたからさ。」
「ああ……。」
ロードは少し考えてから答えた。
「……一人で走る時と、全然景色が違って見えて。」
「景色?」
「はい。」
ロードは前方を見る。
「一人で走った時は、ただゴールまで走ることだけを考えていました。」
「でも今は……。」
左右へ視線を動かす。
「ここにいるみんなが、同じゴールを目指して走るんですよね。」
「………。」
「そう思うと、なんだか不思議な感じがします。」
テイオーは少しだけ口元を上げた。
「もしかして、怖くなった?」
どこか揶揄うような口調。ロードは一瞬、テイオーを見る。
そして――小さく笑った。
「いや。」
その表情から、さっきまでの穏やかさが消える。
目が細くなる。
静かだった瞳に、鋭い光が宿った。
ロードは、正面を見据える。
「むしろ、ワクワクしてます。」
「………!」
刹那、テイオーの表情が変わった。
今まで見たロードとは明らかに違う。
穏やかで、落ち着いていて、どこか一歩引いたところから物事を見ているような少年。
それが今は――。
ただ、走ることだけを見ている。
今の自分よりも速くなりたい。
もっと先へ行きたい。
そのためなら、自分たちを追い越すことすら厭わないと言うかのような――。
「……へぇ。」
テイオーの口元が、ゆっくりと吊り上がる。
「そういう顔、できるんだ。」
「……?」
「ううん。」
テイオーは前を向いた。
その瞳にも、火が灯る。
「なんか、ボクもワクワクしてきた。」
さっきまでの笑い声が、少しずつ消えていく。
「ルベウス君には悪いけど、手加減しないから。」
「喰らいつきます。」
そして、全員が前を向いた。
ロードもまた、ターフの先を見る。
ここにいる全員が、敵ではない。
けれど――。
走っている間だけは、誰にも負けたくない。
そんな気持ちが、胸の奥から湧き上がっていた。
全員がスタートの姿勢に入る。
空気が変わる。
先ほどまでの笑い声は消え、誰もが前を見据えている。
ロードも静かに呼吸を整えた。
その瞬間だった。
「……あのー。」
キタサンが、ぴょこんと顔を上げる。
「誰が合図するんですか?」
「…………。」
沈黙。
全員の視線が止まった。
「……あ。」
マックイーンが目を丸くする。
「………。」
スカーレットも固まる。
「……考えてなかったね。」
テイオーがぽつりと呟いた。
「おいおいおい!」
ゴールドシップが頭を抱え、叫んだ。
「誰かー!暇なヤツはいねぇかー!?」
「お前なぁ……。」
ウオッカが呆れたように睨む。
「そんな都合よく暇なヤツがいるワケ――」
「私がやろう。」
「いるのかよ!……って」
「「「………え?」」」
全員が一斉に振り返った。
そこに立っていたのは――。
「カイチョー!?」
テイオーが目を丸くする。
我らが会長、シンボリルドルフ。
彼女は穏やかな笑みを浮かべながら、スタート地点へ歩いてくる。
「君たちの様子を眺めていたが、随分と楽しそうだったのでね。」
「い、いつからいたんですか!?」
「さて、いつからだったかな。」
ルドルフが微笑む。
そしてロードの前に立った。
「私の記憶が正しければ、君にとって初めての模擬レースだったね。」
「はい。」
「生徒の長として、見届けさせてもらうよ。」
そう言って、ルドルフはスタート地点を示すポールへ歩み寄る。
そこに取り付けられていた箱を開き、中から白い旗を取り出した。
ルドルフは旗を軽く掲げる。
「ウオッカ。この白旗は見えているかい?」
「はい!大丈夫ッス!」
「よろしい。」
ルドルフは全員を見渡した。
「それでは、構えたまえ。」
その言葉に、全員が一斉に姿勢を低くする。
ロードも同じように構えた。
「ルベウス君。」
「はい。」
「この世界では、『よーい』という掛け声は使わない。」
ルドルフが白旗を正面に構える。
「旗を振り上げた瞬間にレースは始まる。よく見ておくんだ。」
「は、はい!」
突然伝えられるこの世界の常識に戸惑うも、ロードはすぐに白旗へ視線を向けた。
その瞬間。
さっきまでの和やかな空気が、完全に消えた。
風の音。
ターフの揺れる音。
隣に並ぶウマ娘たちの息遣い。
それらすべてが、妙に鮮明に聞こえた。
誰も喋らない。
周囲のウマ娘たちの声も耳に入らない。
ロードは、ゆっくりと息を吐く。
――前へ。
それだけを考える。
視線は、真っ直ぐに白旗へ。
ルドルフが静かに腕を引く。
そして――。
旗が振り上げられた。
刹那。
九名のウマ娘が、一斉にターフを蹴った。
・・・・・
スタート直後。
先頭へ飛び出したのは、やはりスズカだった。
その速度は、ロードの想像を遥かに超えていた。
「……っ!」
ロードも必死に食らいつく。
同じ逃げ。
同じように前を目指している。
ならば――。
(離されるな。)
必死に脚を動かす。
しかし。
背後から、音がする。
ドドドドドッ!!
複数の足音が、鼓膜を叩いていた。
姿は見えない。
けれど、確かにそこにいる。
追ってくる。
その事実だけが、嫌というほど伝わってくる。
(……これが。)
ロードは歯を食いしばった。
(追われるってことか……!)
一人で走っていた時には、感じたことのない圧力だった。
背中を見られている。
捕まえようとされている。
そんな感覚が、じわじわと身体を蝕んでいく。
前を向け。
後ろを見るな。
そう言われていたはずなのに。
どうしても、背後が気になってしまう。
「……っ!」
やがて、コーナーへ差し掛かる。
ロードは身体を傾け、必死にスズカの背中を追った。
しかし――。
少しずつ。
少しずつ、距離が開いていく。
(速い……!)
肺が痛い。
息が苦しい。
空気を吸っているはずなのに、うまく身体へ入ってこない。
それでも、ロードは前を向いた。
(まだ……!)
第四コーナーを抜ければ、直線がある。
そこで前傾姿勢に入れば。
あのフォームなら――。
まだ、届くかもしれない。
そう信じて、脚を動かし続ける。
そして――。
第四コーナーの中間を過ぎた、その時だった。
視界の端に。
一瞬だけ、影が映った。
「……!」
後ろから迫る、ウマ娘の姿。
その瞬間。
ロードの身体が反応した。
前へ。
もっと前へ。
身体を沈める。
腰を落とし、上体を前へ預ける。
――前傾姿勢。
フォーム移行は、確かにできた。
しかし。
「……っ!」
思うように身体が前へ出ない。
脚が重い。
もう、スタミナが残っていなかった。
序盤で使いすぎた。
スズカについていくために。
後ろから迫る存在から逃げるために。
ロード自身が、自分のペースを崩してしまった。
(まだ……!)
それでも脚を動かす。
必死に前へ進もうとする。
だが――。
横を、一人。
また一人。
ロードを追い抜いていく。
視界の端を、次々とウマ娘たちが駆け抜けていく。
「………。」
気づけば。
ロードの後ろには、誰もいなかった。
先ほどまで感じていた「逃げる」という感覚は、もうどこにもない。
ただ、遠ざかっていく背中を見つめることしかできなかった。
ゴールへ向かう足音が、遠くなっていく。
ロードは、重くなった脚を動かしながら、初めて思い知る。
――自分が定めた「標」は。
思っていたよりも、ずっと高いところにあった。
・・・・・
結果、先頭でゴールしたのはスズカだった。
先頭を保持したまま、最後の直線で再ブースト。テイオーたちがすぐ後ろに迫っていたものの、一バ身の差をつけて勝利した。
「はぁ……!」
走り終えたスズカの顔は、なんとも清々しい表情をしていた。
「だあー!負けたー!!」
「マジ、バケモンかよ……。」
ウオッカは天を仰いで叫び、ゴールドシップは膝に手をつきながら完敗を認めた。
キタサンはターフの上で膝をつき、歯を食いしばっていた。
ロードはと言うと……スタミナを完全に使い果たし、ターフの上にぶっ倒れていた。
「はぁ、はぁ……!スズカ!」
息を整えながら、テイオーが声を上げる。
「今日……いつもより速かったよね!?」
「……そ、そうですよ!」
スカーレットも続く。
「明らかにペース上げてましたよね……!?」
「私も……少し速いと思いましたわ。」
さらに、マックイーンまで。
そんな三人に囲まれて、スズカは息を整えながら少しだけ目を丸くした。
「そうかしら……?」
「そうだよ!」
テイオーが頬を膨らませる。
「最初から飛ばしすぎ!」
「……ふふっ。」
スズカは小さく笑った。
「みんなには負けたくなかったのと、ルベウス君がいたから、つい……。」
「「「…………。」」」
三人が一瞬、黙り込む。
前者はまだいい。だが、後者まで理由に含まれているとなると――。
ロードに見てもらいたくて、あの速度で走ったということになる。
なかなかに鬼畜な所業である。
(ただ……。)
マックイーンは、誰にも聞こえないように小さく息を吐いた。
(ルベウスさんにとって、悪い影響にならなければいいのですが……。)
「あんま無茶するなよな……スズカ。」
そこへ沖野が歩いてくる。
呆れたように頭を掻いているが、その口元には笑みが浮かんでいた。
「自己ベストだよ、ったく。」
「え?」
沖野は右手に握っていたストップウォッチを、スズカへ差し出す。
表示されている数字を見て、スズカの目が丸くなった。
「1分34秒9。」
「……!」
スズカがストップウォッチを見つめる。
「や、やったぁ……!」
思わず声を弾ませる。
「これが、ルベウスパワーってか。」
ゴールドシップがニヤニヤと笑った。
「おめでとう、スズカさん!」
スペも嬉しそうに拍手する。
「これじゃあ、もう文句言えないじゃん。」
テイオーも苦笑しながら笑った。
スピカを包む空気は、一気にスズカの自己ベストに祝福ムードへと変化した。
その一方で――
「お疲れ、ロード君。」
ゴールしたロードへ、ライツが声をかける。
ロードはすぐには答えなかった。
荒い呼吸を繰り返しながら、両手、両膝をついている。
やがて、ふらつきながらも、立ち上がった。
「…………すみません。」
かすれた声だった。
「少し、席を外します。」
「……ああ。」
ライツは、それ以上何も言わなかった。
引き止めることもしない。
理由を尋ねることもしない。
ただ、ロードが歩き出すのを静かに見送った。
足取りは重い。
それでも、ロードは振り返らなかった。
やがて、その姿がトレーニング場の建物の向こうへ消える。
「………。」
残された一同も、誰一人として声を上げなかった。
そんな中、スズカがライツの隣に並んで、小さく呟いた。
「……私のせい、でしょうか。」
俯いた彼女の表情には、僅かな不安が浮かんでいた。
「私が、最初から飛ばしすぎたから……。」
「スズカ君。」
ライツが静かに呼ぶ。
「これは彼が選んだ道だ。君に非はない。」
「………。」
ライツはロードが消えた方へ視線を向ける。
「彼は自らの意思であの場所に立った。」
「そして、自らの意思で君の背中を追った。」
「………。」
「だから――」
ライツは穏やかに微笑んだ。
「必ず戻ってくるよ。」
その言葉には、迷いがなかった。
「彼は、そういう子だからね。」
スズカはしばらく黙っていた。
そして、ロードが去っていった方を見つめる。
そして、小さく頷いた。
「きっと……戻ってきますよね。」
「ああ。」
ライツは短く答えた。
その言葉を最後に、二人は何も言わなかった。
・・・・・
トレーニング場に隣接する男性トイレの個室。
扉を閉めた瞬間、ロードは大きく息を吐いた。そのまま壁に背を預け、ゆっくりと座り込む。
「………。」
何も言えなかった。
ただ、俯く。
すると。
頬を、一筋の涙が伝った。
「……っ。」
慌てて袖で拭う。
けれど、止まらなかった。
次から次へと、涙が溢れてくる。
「……くそっ。」
ロードは顔を伏せた。
悔しかった。
ただ、それだけだった。
スズカについていけなかったこと。
後ろから追い抜かれたこと。
自分が思っていたより、ずっと遠かったこと。
そして――。
どれだけ頑張っても、今の自分では届かなかったこと。
「……全然、ダメだ。」
声が震える。
壁に背を預けたまま、ロードは目を閉じた。
勝てないことは分かっていた。それでも、これまで積み重ねてきたものが、一切通用しなかった。
その現実が、悔しくて仕方がない。
「……もっと。」
小さく呟く。
「もっと、強く……。」
涙を拭う。
それでも、また溢れてくる。
しばらくの間。
ロードは、一人で泣いた。
誰にも見られない場所で。
誰にも聞かれないように。
ただ、悔しさを吐き出すように。
――やがて。
ロードはゆっくりと顔を上げた。
赤くなった目元を袖で拭う。
まだ涙は残っている。
けれど、呼吸は少しずつ落ち着いてきた。
ロードは立ち上がる。
扉へ手をかける前に、一度だけ目を閉じた。
そして――。
今度は、自分の足で戻るために。
個室の扉を開いた。
・・・・・
「……まあ、そういうことだよね。」
テイオーが体を伸ばしながら言う。
「ルベウス君は、まだまだこれからだよ。」
「そうですわ。」
マックイーンも静かに同意する。
「今日のだけで、全てが決まったわけではありませんもの。」
「だな。」
ウオッカも強く頷いた。
そんな話をしていた、その時だった。
「――戻ってきました!」
スペが、ふと顔を上げる。
全員が一斉に振り返った。
そこには、こちらへ歩いてくるロードの姿があった。
「ロードくん!」
「ルベウス君!」
キタサンとスズカが笑顔になる。
特にスズカは自分のせいではないかと心配していたため、少しだけ心が軽くなった。
「おかえり!」
「おかえりなさい、ルベウスさん。」
「おかえり。」
テイオーやスペたちも、次々に声をかけた。
「……ただいま。」
少女たちに勢いよく駆け寄られ、ロードはその迫力に押されながら返事をした。
「もう大丈夫なの?」
「はい。」
少し赤くなった目元。
けれど、誰もそれには触れなかった。
――ただ一人を除いて。
「それで――」
「あっ、さては泣いてたなオメー!」
ドスッ!
ゴールドシップがノンデリ発言をぶちかました瞬間、スカーレットがノールックで腹部へと拳を叩き込んでいた。
「………ッ‼︎!⁇」
ゴールドシップがその場で崩れ落ちる。
辺りを包む気まずい空気。一瞬、ロードはどう反応すればいいのか分からなかった。
一方のスカーレットをはじめとするスピカの面々は、初めから何もなかったかのようにロードを見ていた。
「………。」
ロードは小さく息を吐いた。
そして、一度だけ目を閉じる。
まだ胸の奥には、さっきまでの悔しさが僅かに残っている。
「……その。」
声が、僅かに震える。
言葉を探すように、視線を落とした。
「今は……全然、届かないけど。」
悔しさが、また込み上げてくる。
けれど、今度は涙を零さなかった。
そのまま、もう一度みんなを見る。
「いつか絶対、みんなに勝ちます。」
声はまだ少し震えていた。
それでも、その言葉だけははっきりと響いた。
誰も、笑わなかった。
むしろ――。
全員の顔に、静かな笑みが浮かんでいた。
「その言葉、待ってたよ!」
テイオーがビシッと指を指しながら言う。
「ええ。」
スカーレットも頷いた。
「やるからには一番を目指さないと、楽しくないもの。」
「俺も負けねぇからな!」
ウオッカが笑う。
「次に走る時は、今日よりもっと差をつけてやる!」
「私も、楽しみにしています!」
スペが柔らかく微笑む。
すると、スズカとキタサンがそっとロードに歩み寄った。
「ルベウス君、ごめんなさい。」
「……え?」
先に口を開いたのはスズカ。その一言目は、まさかの謝罪だった。
ポカンとするロードに対し、スズカは申し訳なさそうに彼を見る。
「ルベウス君にとって初めての模擬レースだって分かっていたのに、飛ばし過ぎてしまった。」
「それで……辛い思いをさせてしまったと思う。」
「だから、ごめんなさい。」
再びの謝罪を受けて、ロードは少し考えた。
そして、首を横に振る。
「……むしろ、感謝しています。」
「えっ?」
「スズカさんが、教えてくれたんです。」
ロードは小さく微笑む。
「 “レース” がいったいどんなものなのか、自分のペースを守ることがどれだけ大切なのかを。」
そして、スズカを真っ直ぐに見つめた。
「だから、ありがとうございました。」
「……ルベウス君。」
「もう二度と、情けない姿は見せません。」
スズカの目が、僅かに見開かれる。
そして――。
「……ええ。」
小さく微笑んだ。
「楽しみにしているわ。」
スズカは一歩下がる。
その視線が、自然と隣にいたキタサンへ向いた。
「ロードくん、その……。」
キタサンは両手を胸の前で握る。
「私も、思ったような結果は出せなかったんだ。」
「………。」
「前にロードくんは、私を信じるって言ってくれたけど……。」
そこで言葉に詰まる。
「私も、ホントにまだまだで……その……!」
両手が、わちゃわちゃと動き始める。
「だから、その……なんていうか……!えっと……!」
キタサンは必死に言葉を探す。
そして――。
「よ、要するに!」
顔を上げる。
「一緒に頑張ろうってこと!」
「………。」
あまりにも端折られた結論に、ロードは思わず目を丸くする。
そして――吹き出してしまった。
「ははっ……!」
「な、なんで笑うのっ!」
キタサンの顔が、みるみる赤くなる。
ロードは笑みを残したまま、首を横に振る。
「ありがとう。キタサン。」
ロードはそう言って、右手をゆっくりと前へ差し出した。
「一緒に強くなろう。」
キタサンは、その手を見つめる。
そして、すぐに意味を理解した。
「うんっ!」
笑顔で、自分の手を重ねる。
――パンッ。
乾いた音が辺りに響いた。
二人は顔を見合わせる。
「約束だよ!」
「うん。」
そのやり取りを見ていたマックイーンは、静かに息を吐いた。
(……よかった。)
マックイーンはロードを見る。
スズカに食らいつこうとしたロード。
そして、力尽きて後続に抜かれたロード。
あの姿を見た時には、少しばかり不安だった。
あまりにも大きな差を見せつけられてしまったのではないか。
それが、彼の心を折ってしまったのではないか。
けれど――。
今、目の前にいるロードは違う。
悔しさを知り。
涙を流し。
それでも、もう一度立ち上がった。
「……これなら、大丈夫ですわね。」
マックイーンは微笑んだ。
ただ、心から安堵していた。
この敗北が、彼にとって悪いものにはならなかった。
むしろ――。
きっと、これから先へ進むための糧になる。
そう思えた。
と、その時。
少し離れたところで、ゴールドシップがようやく身体を起こした。
「……いてて。」
腹を押さえながら、ゆっくりと立ち上がる。
「おお、やっと起きた。」
ウオッカが言う。
その声に心配するような感情は微塵も乗っていなかった。
「ゴルシちゃんを心配してくれるヤツは誰もいねぇのかよ……。」
「あれは空気を読めないアンタが100%悪い。」
「思っても言わないよ、フツー。」
スカーレットとテイオーからも冷たい言葉が飛ぶ。
そんな中――
「ゴルシさん、大丈夫ですか?」
声をかけたのは、まさにノンデリ発言を受けたロード本人だった。
「いいのよルベウス君。こんなヤツ放っておいても。」
「で、でも……。」
ゴールドシップの目が、みるみる輝きを取り戻す。
そして――
「お前だけだよルベウス!アタシを心配してくれるのは!」
「え?」
次の瞬間、ゴールドシップがロードに飛びついた。
「ぅあっ!?」
「本当にいい奴だなぁ!あんなこと言って悪かった!」
ロードの身体を、ゴールドシップの腕ががっちりと抱き締める。
「は……離して……!」
「やだ!」
「く、苦し……!」
ロードはなんとか腕を抜こうともがく。
しかし――びくともしない。
「お、おいゴールドシップ!」
見かねたウオッカが駆け寄る。
「ルベウスが苦しそうだぞ!」
「そうですよ!」
スペも慌ててゴールドシップの腕を掴む。
「離してあげてください!」
「離しなさい!」
スカーレットも加勢し、ゴルシの腕を掴んだ。
「ちょ、三人はずりーぞ!?」
「当たり前でしょ!」
「ルベウス君、頑張って!」
さらに、テイオーも反対側から引っ張る。
しかし――。
「それでも!ルベウスはやらねぇ!!」
ゴールドシップは微動だにしない。
「……なんで!?」
テイオーが叫ぶ。
「なんでこんなに力強いの!?」
「ゴルシさん……!」
キタサンも加わる。
ロードを助けようと、必死にゴールドシップの腕を引っ張った。
「は、離してあげてください! ロードくん、本当に苦しそうです!」
「離さない!アタシはコイツを弟にすると決めたんだ!」
「む、無茶苦茶だ……!」
「ロードくん、大丈夫!?」
「………!」
「あ、マジでヤバいやつだ!」
「ゴールドシップさん、いい加減にしなさい!」
マックイーンまで加わったところで、ようやくゴールドシップの腕が僅かに開いた。
「今だ!」
テイオーが叫ぶ。
「せーのっ!」
全員が一斉に引っ張った。
「しまっ……!!」
ゴールドシップの身体が後ろへよろめく。
その隙に、ロードの体がするりと抜け出した。
「キタちゃん!」
「はいっ!」
がしっ!
ゴルシの腕から抜け落ちて自由落下するロードを、キタサンがしっかりと抱き止めた。
「あ……ありがとうキタサン。……キタサン?」
「………。」
「キタサン、聞こえてる?」
「はっ!」
キタサンが我に返る。
「ご、ごめん!」
「いや、大丈夫だけど……。」
「その……ロードくん、ちゃんと受け止めないと危ないと思って……!」
「分かってるよ、ありがとう。」
「………。」
「キタサン?」
「な、なんでもないよ!」
キタサンは慌ててロードを立たせる。
「ほら、もう大丈夫!ねっ!」
「……うん?」
ロードは不思議そうに首を傾げた。
と、その時。
「ロード君。」
後ろからライツの声が響いた。
「今日はもう上がるかい?」
ライツは、少し疲れた様子のロードを見ながら尋ねる。
今日のトレーニングは、決して軽いものではなかった。
初めての模擬レース。
そして――その結果を受け止めたばかりだ。
普通なら、ここで休ませるところだろう。
しかし。
「……もう少しだけ、走りたいです。」
ライツかは目を細める。
「そうか。」
それだけ言って、静かに頷いた。
「なら、付き合おう。」
「ありがとうございます。」
ロードはスピカの面々へ向き直る。
「それじゃあ、みなさん。」
そして、ペコリと頭を下げた。
「今日はありがとうございました。」
「また走ろうね、ルベウス君!」
テイオーが手を振り返す。
「またな!」
「次も負けないからね!」
ロードは最後にもう一度頭を下げると、ライツとともにターフの奥へ歩いていった。
その背中が遠ざかっていく。
「………。」
キタサンは、しばらくその姿を見送っていた。
「……キタサン?」
スズカが声をかける。
「へっ!?」
キタサンが振り返る。
顔は――まだ赤い。
「どうしたの?」
「な、なんでもないですよ!」
必死に否定するキタサン。
すると、テイオーがくすっと笑った。
「さっき、随分と嬉しそうだったよね!」
「え?」
「ルベウス君を、ぎゅっと抱き止めた時!」
「――っ!?」
キタサンの顔が、一気に赤くなる。
「ち、違います!あれはロードくんが落ちてきたから……!」
「ふふっ。」
スペも笑う。
「でも、すごく素早かったですよね。」
「あ、危なかったですし!」
「でも、お顔が真っ赤ですわよ?」
マックイーンまで微笑む。
「マ、マックイーンさんまで!?」
キタサンは両手で顔を覆った。
「もう!みんなして!」
その様子を見ていたスズカが、小さく笑う。
「……でも、よかったわね。」
「な……何がですか?」
「さあ?」
スズカは答えず、楽しそうに微笑んだ。
キタサンはさらに顔を赤くする。
「も~~っ!」
その声が、夕暮れのトレーニング場に響いた。
その一方で――
「アタシの弟ォーーッ!!」
そんな叫び声もまた、同じ場所に響き渡るのだった。
つづく
ロード君がここからどこまで成長するのか見ものですね。
次回はプールに連れて行く予定です。
では、また。