トレーナーのみなさん、こんにちは。
この転入試験ですが、北海道や九州などの遠くから来るウマ娘たちの宿泊のお金は、全てトレセン学園持ちです。
「……俺が男だって、気にならないのか?」
ロードの問いに、二人はすぐには答えなかった。
ミラージュは箸を止め、じっとロードの顔を見る。隣では、イーリスもおにぎりを持ったまま固まっていた。
やがて、ミラージュが小さく首を傾げる。
「それって、そんなに重要なこと?」
「……え。」
予想していなかった返答だった。
ロードは思わず聞き返す。
「だって、さっき言ってたよね。」
ミラージュは、少し前のロードの言葉を思い返す。
「『自分はウマ娘だって胸を張って言えるようになりたい』って。」
「だったら、どうして今もそんなことを気にしてるの?」
ミラージュの声に、責めるような響きはない。
ただ純粋に、不思議そうだった。
「胸を張りたいのに……どうして他人の顔色を伺ってるの?」
「………。」
ロードは何も答えられない。胸の奥に、何かが引っかかったような感覚があった。
他人の顔色を伺っている。
確かに、そうなのかもしれない。
何も知らない者たちに自分が男だと知られたら、どう思われるのか。
拒絶されるのか、はたまた『ここはお前が来る場所じゃない』のようなことを言われるのか。
そんなことばかりを考えていた。
「キミがトレセン学園でトレーニングを積んでいた時も、そんなふうにビクビクしてたの?」
「いや……してない。」
「じゃあ、どうして同じことができないんだろう?」
ミラージュに問われ、ロードは考える。
そして――
「……あ。」
ロードはある答えに辿り着く。
トレセン学園では、確かに何の問題もなく過ごせていた。けれどそれは、最初から自分がある程度受け入れられることを知っていたからだ。
やよいが事情を話してくれていたからこそ、周囲の視線を恐れる必要がそこまでなかった。
中学校でもそうだ。母が事前に自分のことを話してくれていたから、初めての同級生たちとも仲良くなれた。
では――
何も知らない人たちの前では?
ロードは、初めてそのことを考えた。
「……情けないな、俺。」
強く、固く拳を握る。
生まれ変わったと思っていた自分は、未だに誰かによって助けられていた。
自分一人では乗り越えられないことに、言葉にできない悔しさが込み上げる。
しかし、ミラージュは――
「でも、本当にそうなのかな?」
ミラージュの言葉に、ロードが顔を上げる。
「……実際そうなんだよ。トレセン学園だって、今通ってる中学校だって……理事長や母さんが助けてくれたから、深く考えずに通えたんだ。」
「でもさ。」
ミラージュは、隣にいるイーリスへ視線を向けた。
「自分が男だってこと、イーリスには自分から話したよね?」
「……!」
ロードの表情が止まる。
「私はキミが男だってことが分かっていたけど、イーリスは知らなかったじゃん?」
「……でもそれは、イーリスがミラージュと仲が良かったから……。」
「んー……。変なところで頭が硬いんだなぁ、キミは。」
ミラージュは、呆れたように小さく笑った。
けれど、その表情には責めるような色はない。
「どんなに仲が良くても、必ずしも同じ答えになるとは限らない。」
「イーリスがどんな反応をするのか、キミには分からなかったはずだよ。」
ロードは、黙ったままイーリスを見る。
彼女は話を聞きつつも、先ほどと変わらない様子で残っていたおにぎりを食べている。
その姿を見ながら、ロードは少しだけ考えた。
確かに、そうだった。
イーリスが自分のことをどう思うのかなんて、話すまで分からなかった。
驚くかもしれない。
戸惑うかもしれない。
もしかしたら――嫌な顔をされるかもしれない。
それでも。
「それでもキミは、話すことを選んだんだよ。」
「………。」
「誰かが代わりに話してくれたわけでもない。誰かに『言ってみれば』って背中を押されたわけでもない。」
ミラージュは、ロードの目を見つめる。
「キミ自身が、自分のことを伝えようと思ったんだ。」
「……そうか。」
ロードは、ゆっくりと拳を開く。
完全に不安が消えたわけではない。
それでも、今までとは少し違う。
自分が思っていたよりも、自分は前に進めていた。
「……ありがとう、ミラージュ。」
「ううん。私は、思ったことを言っただけだよ。」
ミラージュは、いつものように穏やかに笑った。
これで話は終わった。
ロードも、そんな気がしていた。
けれど――。
「………。」
なぜか、視線を感じる。
ロードがそちらを見ると、イーリスが頬をぷくっと膨らませながら、じっとこちらを見ていた。
「……イーリス?」
「むぅ。」
「どうしたの?」
「ミラねぇには聞いて、イーリスには聞かないんだ。」
「……え?」
ロードが目を瞬かせる。
どうやら、自分だけ話に入れてもらえなかったことが不満らしい。
「イーリスだけ仲間はずれにしちゃってさ。」
「いや、そういうつもりじゃ……。」
ロードが困ったようにミラージュを見る。
するとミラージュは、少しだけ笑った。
「ほら、ちゃんとイーリスにも聞いてあげて。」
ロードは、少し考える。
そして、改めてイーリスへ向き直った。
「……イーリスは俺が男だってこと、気にならない?」
すると、イーリスは首を傾げる。
「なんで?」
「なんでって……。」
ロードの方が困ってしまう。
「ロード君が男だって言ってたのは覚えてるよ。」
「でも、それだけだよ。」
あまりにもあっさりと返されて、ロードは言葉を失った。
「ロード君は走りたくてここにいるんでしょ? だったらそれでいいじゃん。」
イーリスは、当たり前のことを話すように言った。
「誰も、そんなことを考えてる暇はないと思うよ。」
その言葉に、ロードはしばらく何も言えなかった。
イーリスにとっては、本当にそれだけなのだろう。
ロードが男であることを知らなかったから仲良くしていたわけではない。男だと知ったからといって、態度を変える理由もない。
ただ、自分と同じように走ることを大切にしている。
それだけで、友達になるには十分だった。
「……そっか。」
ロードは小さく笑う。
「イーリスって、結構考えてるんだね。」
「む! それは少しシツレーなんじゃない?」
「ごめん。」
ロードは片手を顔の前に持っていき、申し訳なさそうに笑う。
するとイーリスはすぐに機嫌を直して笑った。
「絶対に合格しようね!ルー君!」
不意に呼ばれた名前に、ロードは目を瞬かせた。
「……ルー君?」
「ルベウスだから、ルー君だよ!」
「いいねイーリス。私もこれからそれで呼ぼうかな。」
「いいよ!」
ロードが口を開く。
何か言おうとした――が。
「ルー君、明日の試験も頑張ろうね!」
「よろしくね、ルー君。」
もう決まってしまったらしい。
ロードが何か反応する暇すら与えられないまま、二人の間ではあっという間に呼び方が定着していた。
(選択権は俺じゃなくてイーリスにあるのか……。)
そんな疑問を抱きながらも、ロードは特に訂正することもなく、二人を見る。
ミラージュとイーリスは、楽しそうに笑っている。
――まあ、いいか。
「改めてよろしく。ミラージュ、イーリス。」
そう言って、ロードも二人に笑い返すのだった。
・・・・・
転入試験二日目。試験科目は、数学、社会、競走史の三教科だった。
数学は加減乗除や文字式、連立方程式、比例・反比例から、平面・立体・空間図形まで。
社会は世界のさまざまな地域や日本の諸地域、そして旧石器時代から江戸時代初期までの歴史。
競走史では、競走の起源や日本における競走の歴史だけでなく、現在の競走界における重賞競走や、その出走条件など、競走に関する幅広い知識が問われた。
「………。」
ロードは問題用紙に目を通し、一問ずつ淡々と解いていく。
昨日と同じように、焦る様子はない。分からない問題があれば一度飛ばし、解ける問題を先に埋めていく。
そして最後の問題まで解き終えると、残った時間で答案を見直した。
やがて――。
「そこまで。」
試験官の声が響くと同時に、ロードは筆記用具を置いた。
問題用紙および回答用紙が回収され、試験官が退室。こうして、二日目の試験が終了した。
試験が終わり、帰宅の用意を終えた受験生たちが少しずつ教室を出ていく。
「ロード君、帰ろっか。」
ミラージュが声をかける。しかしロードはすぐに返事はせず、教室の中を見渡した。
そして、一人のウマ娘の姿が目に映る。
「ごめん、少し待ってて。」
そして、彼女の下へと歩いていく。
そのウマ娘は、昨日、試験前にロードへ詰め寄ってきたウマ娘だった。
「………。」
ロードが近づいていくと、少女はすぐにその姿に気づいた。
そして、露骨に嫌そうな顔をする。
それでもロードは気にする様子もなく、彼女の前で足を止めた。
「少し、いいかな。」
そのウマ娘は何も答えない。
ただ、じっとロードを見つめている。
「リアルディナイ……で、合ってる?」
「…………そうよ。」
かなりの間があってから、ようやく返事が返ってきた。
それでもロードは、嫌な顔一つしなかった。
「やっぱりそうか。」
ロードは、どこか安心したように笑う。
「昨日、帰ってから小学校のアルバムを引っ張り出して、君に似たウマ娘を探したんだ。」
ディナイの眉がわずかに動く。
「……それで?」
「違ってたらどうしようと思ってたんだけど、合っててよかった。」
呼吸を整え、目の前のウマ娘に目を合わせる。そして――
「――久しぶり、ディナイ。」
ロードは昔の友人に再会したような、自然な笑顔を見せた。
しかし――
「……何のつもり?」
ディナイの声に、警戒の色が混じる。
「今さら、何のつもりでアタシに話しかけてるの?」
ロードは少し考える。
そして、当たり前のことを答えるように言った。
「久しぶりだから。」
その言葉に、ディナイは顔をしかめた。
「アタシに話しかけないで。」
「どうして?」
「チッ……。」
ディナイは苛立ったように舌打ちする。
ロードの問いかけが、まるで本当に理由が分かっていないようで、腹立だしかった。
「アタシとアンタは友達でもなんでもないし、なにより――」
「アンタをウマ娘だと認めていないから。これで十分?」
「そっか。」
ロードは、それだけ答えた。
反論もせず、怒りもしない。
ただ、ディナイの言葉をそのまま受け止める。
「………。」
それがかえって、ディナイには不気味だった。
やがて、ディナイは席から立ち上がる。そして、それ以上何も言わずにロードの横を通り過ぎ、教室を出ていった。
ロードはその背中を見送り、待たせていたミラージュへと振り返った。
だが――
そこには、彼女の姿は無かった。
・・・・・
ディナイは、一人で廊下を歩いていた。
試験を終えたばかりだというのに、足取りは重い。
「………。」
さっきのことが、頭から離れなかった。
――久しぶり、ディナイ。
あまりにも普通だった。
もっと何か言われると思っていた。
昔のことを責められるかもしれない。
どうしてあんなことをしたのかと問い詰められるかもしれない。
あるいは、顔を見た瞬間に嫌な顔をされるかもしれない。
けれど、ロードは何も言わなかった。
ただ、本当に久しぶりに会った同級生に声をかけるように、笑っていた。
「……何なのよ、アイツ……」
思わず口から漏れる。
自分は、あの頃のことを完全に忘れていたわけではない。
けれどロードにとっては、もう過去のことなのだろうか。
「………。」
ディナイは、少しだけ拳を握った。
その時だった。
「待って。」
後ろから声が聞こえた。
「……?」
ディナイが振り返る。
そこには、ミラージュがいた。
少し早足で歩いてきたのだろう。けれど、表情はいつもと変わらない。
「……何?」
「ちょっと、話したくて。」
ミラージュはディナイのところまで歩いてくると、少しだけ間を空けて立った。
「ルー……ロード君のことなんだけど。」
その名前を聞いた瞬間、ディナイの表情が僅かに曇る。
「……何よ。」
「どうして、ロード君にあんな態度を取るの?」
ディナイはすぐには答えなかった。
しばらく黙った後、小さく息を吐く。
「……アイツがウマ娘じゃないから。」
ミラージュは少しだけ考える。
「でも、ロード君にはウマ耳も尻尾もあるよ。」
「それは分かってる。それでも。」
ディナイは振り返る。
「アイツは男でしょ?」
「……うん。」
「じゃあ、ウマ娘には当てはまらない。」
迷いのない言葉だった。
ディナイにとって、それは当たり前のことなのだ。
ウマ娘は女の子。
ロードは男。
ならば、ロードはウマ娘ではない。
そこに矛盾はない。
「………。」
ミラージュは何も言わなかった。
ディナイの言葉を否定することもしない。
「……何?」
「ううん。」
ミラージュは少し首を傾げる。
「キミがどうしてロード君を認められないのか、少し分かった気がする。」
「………。」
「ロード君に何かされたから、ってわけじゃないんだね。」
ディナイは少しだけ苛立ったように答える。
「……話を聞いていたなら分かるでしょ。アタシとアイツは友達でもなんでもないし――」
「ウマ娘だと認めてない。」
今度は、少しだけ声が低くなった。
「だから、ここにいること自体がおかしいのよ。」
「……試験を受けること?」
「そう。」
ディナイは周囲を見渡す。
ここは、ウマ娘たちが競走のために集まる場所。
速く走ることを目指して。
夢を追いかけるために。
そんな場所に――ロードがいる。
「……そっか。」
それだけだった。
ミラージュは、それ以上踏み込まなかった。
「話は終わり。じゃあね。」
「あっ、待って!」
階段を降りて行こうとしたディナイを慌てて呼び止める。
ディナイは心底うんざりした様子で振り返った。
「さっきからなんなの?」
冷たい視線。しかし、ミラージュは動じない。
「私から言いたいことは一つ。」
少し間を挟み、ディナイの目を見て伝えた。
「ロード君と、話してみて。」
「……は?」
ディナイは、ミラージュが言っていることの意味がわからず、目を丸くした。
「なんで、アタシがそんなこと――」
「無理にとは言わないよ。」
ミラージュは穏やかな声で続ける。
「どうするかは、キミが決めることだから。」
「………。」
「キミの考えを否定するつもりはない。」
「でもそれは、今のロード君を知ってからでも遅くないんじゃないかな。」
ディナイは黙った。
反論しようと思えば、いくらでもできる。
けれど、ミラージュは何かを押しつけているわけではない。
ただ、話してみろと言っている。
それでも、ディナイは――
「……アイツと仲良くする理由なんて、ない。」
ミラージュへ背を向け、階段を降りて行く。なぜここまでロードのことを推されるのか、ディナイには理解できなかった。
階段の踊り場に足をついた、その時。
「明日の実技と面接試験、頑張ろうね。」
背後から、ミラージュの声が聞こえた。
ディナイは一瞬、足を止める。
「………。」
しかし、振り返ることはしなかった。
ただほんの少しだけ、その声に耳を傾ける。
やがてミラージュは、教室へと戻っていった。
「………。」
ディナイも、再び歩き出す。
けれど。
『ロード君と、話してみて。』
頭の片隅に、ミラージュの言葉が響く。
「………。」
それでもディナイは、何も答えなかった。
・・・・・
青い海。どこまでも広がる夏空。
照りつける太陽が、白い砂浜を容赦なく焼く。
潮の香りを含んだ風が吹く中、たくさんのウマ娘たちが今日も砂浜を走っていた。
夏合宿。
普段とは違う環境でのトレーニングも、すっかり日常になりつつあった。
「ペース落とすなー!」
沖野トレーナーの声が飛ぶ。
「分かってるよー!」
その声に応えるように、テイオーが砂を蹴った。その後ろには、キタサンたちの姿もある。
普段のトラックとは違う、足場の不安定な砂浜。一歩踏み出すたびに砂が沈み、思うように前へ進めない。
だからこそ、普段とは違った負荷が脚にかかる。
「テイオー、少し速すぎますわ!」
「違うよ!マックイーンが遅れてるんだよ!」
「なっ……!?」
「テイオーさん、前見て走って!」
スカーレットの声が飛ぶ。
そんなやり取りを交わしながらしばらく走り続け――目標のセットを終える頃には、全員ヘロヘロになっていた。
砂浜に膝を着くテイオーたち。そんな彼女たちの耳に、沖野トレーナーの声が響いた。
「よし、それじゃあしばらく休憩だ。」
キタサンたちは互いに肩を貸しながら、パラソルの日陰に腰を下ろす。
「んぁぁ、疲れたぁ!」
テイオーが砂浜に大の字になる。それでも、テイオーの表情は笑顔だった。
その隣では、マックイーンたちも水分を取りながら、しばしの休憩を楽しんでいる。
「そういえばさ、キタちゃん。」
ふと、テイオーが顔を上げた。
「ルベウス君の試験って、明日が最終日だよね?」
「はい。確か、明日は面接と実技だったはず。」
「へー。ところで、実技って何するんだ?」
「そんなのレースしかないでしょ、バカね。」
「一言余計だろ!」
ウオッカとスカーレットも話に参加する。
テイオーは少し考えたあと、あっさりと言った。
「でも、ルベウス君なら普通に受かるでしょ。」
「私もそう思いますわ。」
マックイーンも頷く。
「彼がトレーニングしている様子を見ていれば、実力について心配する必要はないでしょう。」
「そうですね!」
「あいつなら、しっかり準備してるだろうしな。」
スペとゴールドシップが言う。
スズカも話にこそ参加しないが、柔らかい笑みを浮かべていた。
誰も心配などしていない。それは、ロードの実力を実際に見てきたからだ。
短い間ではあるが、一緒にトレーニングをしてきた。
走り方も、考え方も。
ロードがどれだけ真剣に、この試験に向けて準備してきたのかも知っている。
だから――。
「キタちゃん?」
不意に名前を呼ばれた。
「……え?」
キタサンが顔を上げる。
「どうしたの? ボーッとしてたけど……。」
「……あ。」
テイオーに言われて、キタサンは周りを見た。
みんなが自分を見ている。
「い、いや、あたしは――」
「も、もしかして熱中症じゃ……!」
「何っ!?」
スカーレットの一言で、隣のパラソルに座っていた沖野が勢いよく飛び起きる。
「大丈夫かキタサン!」
「ち、違いますよ! 疲れてただけですっ!」
実際、キタサンは先ほどまでのセットメニューでかなりの体力を消耗していた。ボーッと海を眺めてしまうのも無理はない。
「本当か?」
「ホントですよ! 水分補給もちゃんとしてますし。」
「そうか……。」
沖野は小さく息を吐く。
「気分が悪くなったら、すぐに言えよ。 お前らもな。」
「「「 はーい。」」」
みんなが返事をする。
それを聞いて、沖野は再びパラソルの下へ戻っていった。
「トレーナーさんは心配性ですね。」
「キタちゃんがボーッとしてるからでしょ。」
「う。」
テイオーに言われ、キタサンは苦笑する。
「心配させちゃってごめんなさい、テイオーさん。」
「気にしないで!」
テイオーはそう言って、また大の字で寝転がった。
キタサンも笑顔を浮かべる。
けれど――。
胸の奥にある、もやもやしたものは消えなかった。
ロードならきっと合格する。無論、それはキタサン自身も信じている。
だからこそ、未来を想像してしまう。
朝、一緒に登校して。
ダイヤたちと一緒に勉強して。
休み時間には、みんなでレースの話をして。
そんな毎日が、当たり前になる。
「………。」
キタサンは、膝の上で手を握った。
全部、まだ起きていない未来の話だ。
それなのに。
まるで本当にそこにあるみたいに、鮮明に思い浮かんでしまう。
だからこそ怖かった。
もしも。
もしも、その未来が来なかったら。
そんなことを、考えてしまっていた。
・・・・・
ザザァン……
寄せては返す波。
静かな夜の海辺に、その音だけが響いていた。
砂浜に座り、キタサンはぼんやりと海を眺めていた。
昼間はあれほど暑かったというのに、夜の海辺には涼しい風が吹いている。
「…………。」
キタサンは、膝を抱えながら空を見上げていた。
昼間のトレーニングで疲れているはずなのに、なかなか眠る気にはなれなかった。
「……明日、か。」
ぽつりと呟く。
ロードの試験。
明日が、最終日。
「…………。」
キタサンは膝に顔を埋める。
昼間、テイオーたちは言っていた。
『ルベウス君なら、普通に受かるでしょ。』
キタサンだって、そう思っている。
ロードなら大丈夫。
これまで一緒に走ってきたから分かる。
ロードがどれだけ努力してきたのかも知っている。
走ることに対して、どれだけ真剣なのかも。
だから、心配なんてする必要はない。
……本当なら。
「…………でも。」
胸の奥が、少しだけ苦しい。
「もし……。」
その先を言うのが怖くて、キタサンは口を閉じた。
もし、合格できなかったら。
そんなこと、考えたくない。
ロードならきっと合格する。
そう信じている。
それなのに――。
「……あたし。」
自分でも少し驚く。
「こんなこと、考えてたんだ……。」
その時。
「キタちゃん?」
「……!」
背後から声がした。
振り返る。
「ダイヤちゃん……?」
そこにはダイヤが立っていた。
「……どうしてここに?」
「なかなか戻ってこないから、探しに来たの。」
ダイヤはそう言って、キタサンの隣を見る。
「……隣、座ってもいい?」
「うん。」
ダイヤが隣に座る。
二人の間に、しばらく沈黙が流れた。
聞こえるのは、波の音だけ。
「綺麗だね。」
「うん……。」
キタサンは空を見上げる。
けれど、ダイヤはすぐに気づいた。
「……何か、考えごと?」
その問いに、キタサンはすぐに答えなかった。
代わりに、膝を抱え直す。
「……ロードくんの試験、明日が最終日なんだ。」
「あたし、絶対に受かるって信じてる。ロードくんなら大丈夫だって。」
そこまで言ってから、キタサンは少しだけ俯いた。
「……でも。」
「でも?」
「あたし……。」
言葉が続かない。
やがてキタサンは、その膝に顔を埋めた。
「……明日が来るの、ちょっと怖い。」
ダイヤは、そんなキタサンの姿を見つめた。
「あたしが考えてる『もしも』が起きたらどうしよう、って。」
「……そっか。」
ダイヤは少し考える。
そして、静かに尋ねた。
「キタちゃん。」
「なに?」
「本当に、ロードくんのことが好きなんだね。」
「そんなわけじゃ……!」
反射的に顔を上げ、ダイヤに詰め寄るかのように否定する。
けれど、その言葉は最後まで続かなかった。
「……いや。」
キタサンは再び膝を抱える。
そして――
「……あのね、ダイヤちゃん。」
「うん。」
「あたし、ロードくんのことが好き。」
波の音が、二人の間を通り過ぎる。
ダイヤは驚いた様子を見せた。
けれど、すぐに穏やかな表情に戻る。
「ロードくんが落ちるなんて、少しも思ってない。」
「だよね。」
「絶対に受かるって思ってる。」
「うん。」
「でも……。」
キタサンは胸元に手を当てる。
「もし、そうじゃなかったらって考えちゃう。」
「……。」
「ロードくんがトレセン学園に来てくれると思ってた。」
声が少し震える。
「一緒に登校して。」
「学校で会って。」
「ダイヤちゃんたちと一緒に勉強して。」
「一緒にレースの話をして……。」
一つ一つ、思い浮かべる。
まだ起きていない未来を。
「……そういう毎日が来るんだって。」
キタサンは小さく笑った。
「勝手に、そう思ってたんだ。」
「……キタちゃん。」
「……あたし、その未来がなくなるのが、すごく怖い。」
ダイヤは何も言わない。
ただ、隣にいる。
「仮に落ちたとしても……理事長さんから『ターフを使ってもいい』って言われてるみたいだから、ロードくんが二度と走れなくなるわけじゃない。でも……」
それでも。
「……あたしは、ロードくんと同じレースを走りたい。」
キタサンは顔を上げた。
夜空を見上げる。
「たくさんの歓声の中で、ロードくんと本気で一着を競ってみたい。」
「だから……。」
少しだけ笑う。
「絶対に、合格してほしい。」
それは、ロードのためだけではなかった。
自分自身の願いでもあった。
「……そっか。」
ダイヤが静かに笑う。
「だから、そんなに不安だったんだね。」
「……うん。」
キタサンは小さく頷く。
少しだけ、胸の中が軽くなった気がした。
自分でも、どうしてこんなに不安なのか分からなかった。
ロードなら大丈夫だと思っている。
絶対に合格すると信じている。
それでも、明日が来るのが怖かった。
けれど――。
「……そんなに不安なら、電話してみたら?」
「……え?」
突然の言葉に、キタサンが顔を上げる。
「ロードくんに?」
「うん。」
ダイヤは頷いた。
「消灯時間までは、まだまだ時間があるし。少しくらいならいいと思うよ。」
「……出てくれるかはロードくん次第だけど、少しは落ち着くと思うよ。」
キタサンは黙り込む。
ロードが電話に出てくれるかどうかも分からない。
それでも――。
「……電話。」
キタサンは、自分のスマートフォンを見る。
「して、みようかな。」
「うん。」
ダイヤは立ち上がった。
「それじゃあ、私は先に部屋に戻るね。」
「……え?」
「二人で話した方がいいと思うし。」
そうしてダイヤは立ち上がる。
服に着いた砂を軽く払い、宿泊施設に戻ろうとした――その時だった。
がしっ
「……キタちゃん?」
キタサンが、ダイヤの手を掴んだ。
「……怖いから、そばにいてほしい。」
キタサンは顔を上げられない。
「電話して……ロードくんの声を聞いたら、きっと大丈夫だと思うから。」
「……分かったよ。」
ダイヤは微笑み、再びキタサンの隣に腰を下ろした。今度は肩をピッタリと合わせて。
キタサンはスマートフォンを取り出す。
画面に表示された名前を見つめる。
「………。」
一度、深呼吸。
そして――。
指先で、通話ボタンを押した。
静かな砂浜に、呼び出し音が響く。
一度。
二度。
三度。
「………。」
キタサンは息を呑む。
そして――。
『もしもし?』
電話の向こうから、聞き慣れた声が返ってきた。
「……!」
キタサンは目を見開く。
隣にいたダイヤは、そっと微笑んだ。
波の音だけが、二人の間に静かに響いていた。
つづく
リアルディナイの名前の由来ですが、アプリにあるウマ娘プロフィールみたいな感じで、キャラ紹介・容姿の説明と一緒に載せようと思うので、少々お待ちください。
ロード、ミラージュ、イーリスも一緒に載せます。
次回、試験最終日です。