ウマ娘 ロストロード   作:ツカッチ

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トレーナーのみなさん、こんにちは。

転入試験最終科目、実技です。


第二十八話 転入試験 実技

 面接試験を終えた受験生たちは、休憩時間に入っていた。

 

 時刻は12時を少し過ぎた頃。昼食真っ只中な時間ではあるが、普段のトレセン学園の昼休みとは少し様子が違っていた。

 

 食堂は開放されているものの、通常のメニューは提供されていない。

 

 午後には、転入試験最後の実技試験が控えている。

 

 そのため、受験生たちが必要以上に食べることのないよう、簡単にエネルギーを補給できるものだけが用意されていた。

 

 購買の前には、カロリーバーやゼリー飲料、スポーツドリンクなどがずらりと並んでいる。

 

「次の方どうぞ!」

 

「こちら、お釣りになります!」

 

「実技試験、頑張ってください!」

 

 普段より多い店員たちが総出で対応しており、会計の列も途切れることがない。最後の一本が購入されても、即座に補充される。

 

 それでも、食堂そのものにいる受験生はそれほど多くなかった。食べ終えた者の多くは、すぐに待機教室へ戻っている。

 

 そんな中――。

 

「これにしようかな。」

 

 ロードは並べられたカロリーバーを眺め、そのうちの一つを手に取った。

 

「私はこっち。」

 

 隣にいたミラージュも、一つ選ぶ。

 

「イーリスは?」

 

「私はこれにする!」

 

 イーリスは少し離れた場所から、別の商品を手に取って見せた。

 

「じゃあ、会計してこよう。」

 

 三人はそれぞれ商品を購入すると、食堂の一角にある席へ向かった。

 

 大きな食堂には、ぽつぽつと受験生が座っているだけ。あんなに賑やかだったはずの空間も、今日はどこか静かだった。

 

 三人も必要以上に会話をすることなく、買ったものを口にする。

 

 午後には、最後の試験が待っている。

 

 自然と、そんな空気が三人の間にも流れていた。

 

 やがて――

 

 ロードのスマートフォンが、小さく振動した。

 

「……ん?」

 

 ほぼ同時に、ミラージュとイーリスのスマートフォンも震える。

 

「私もだ。」

 

「イーリスも。」

 

 三人は顔を見合わせ、それぞれスマートフォンを確認した。画面に表示されていたのは――実技試験の組み合わせと出走順。

 

 受験番号ごとに、何番目の組で走るのか。そして、その組で誰と競うのかが記載されている。

 

「……俺は――」

 

 ロードが自分の番号を確認する。

 

「三組目。」

 

「私は……五組目。」

 

 ミラージュも自分の番号を確認する。

 

「イーリスは?」

 

「えっと……八組目だって。」

 

 三人は、それぞれの画面を見比べる。

 

 そして――

 

「……被ってないね。」

 

「うん。」

 

「よかった……。」

 

 三人揃って、ほっと息を吐いた。

 

 もし同じ組になっていれば、ここで誰か一人が落ちる可能性もあった。

 

 もちろん、全員が合格できるとは限らない。

 

 それでも。

 

 今は、三人とも自分のレースに集中できる。

 

「これなら、みんな自分の走りができるね。」

 

 ミラージュが、少し安心したように笑う。

 

「だな。」

 

 ロードも頷く。

 

 イーリスも、いつもの満面の笑顔を浮かべた。

 

「じゃあ……みんな、頑張ろうね。」

 

「ああ。」

 

「うん!」

 

 それぞれの手元には、まだ食べかけのカロリーバー。

 

 そして、その先には――。

 

 最後の試験が待っていた。

 

 

 

 

・・・・・

 

 

 

 

 トレセン学園が、ヒリついた空気を纏っている。校内からは誰かの声一つせず、静寂に包まれている。

 待機室。ロードたちは、来る実技試験に向けて精神を整えていた。

 

 すでに一組、二組目のウマ娘たちが教室を後にした。実技試験を終えた者はそのまま帰宅しても良いため、彼女たちが戻ってくることはない。

 その奇妙なルールが、緊張感を加速させていた。

 

 待機教室の前方にいた係員が、受験生たちへ声をかけた。

 

「三組目の方は、荷物を持って廊下に出てください。」

 

 その言葉に、教室の空気が僅かに変わる。

 それまで静かに待っていた受験生たちが、一斉に顔を上げた。

 

(来たか。)

 

 ロードは椅子から立ち上がり、足元に置いていた鞄を手に取る。

 

 鞄の中身を確認する。

 

 忘れ物はない。必要なものはすべて揃っている。

 

 あとは――実力を証明するだけだ。

 

 そう思いながら、ロードは教室を出ようとした。

 

 その時、不意に、背中に視線を感じた。

 ロードは少しだけ振り返る。その視線の先には、ミラージュがいた。

 

 彼女は何も言わなかった。

 

 ただ、小さく目配せをする。

 

 ――頑張って。

 

 そんな意味が込められているように感じた。

 

 ロードも、ほんの僅かに頷く。

 

 それだけで十分だった。

 

 言葉を交わす必要はない。

 

 さっき交わした約束は、もう二人の間にある。

 

 ロードは前を向き、教室を出た。

 

 廊下には、同じように荷物を持った受験生たちが集まり始めていた。

 

 係員が名簿を手に、一人ずつ受験番号を確認している。

 

「受験番号を確認します。」

 

「174番です。」

 

「はい、ありがとうございます。」

 

 ロードも列へ加わる。

 

 周囲を見渡すと、そこには自分と同じように、これからレースへ向かうウマ娘たちがいた。

 

 誰もが静かだった。

 

 会話をしている者などいない、

 

 ある者は目を閉じて深呼吸を繰り返し、ある者はスマートフォンを確認している。

 そして、ただ真っ直ぐ前を見つめている者もいた。

 

 ロードはそんな受験生たちを見ながら、静かに息を吐く。

 

 ここにいる全員が、自分と同じように、この場所を目指してきた。

 

 筆記試験を受け、面接を受け――。

 

 そして今、最後の実技試験を迎えている。

 

 その時だった。

 

 ロードは、同じ教室から出てきた最後のウマ娘が視界に入った。

 

「……あ。」

 

 青鹿毛の髪。

 鋭い目つき。

 そして、周囲を警戒するような、どこか張り詰めた雰囲気。

 

 リアルディナイだった。

 

 彼女もロードに気づいたらしく、僅かに顔を上げた。

 

 一瞬だけ、視線が交わる。

 

 しかし――。

 

 ディナイは、すぐに目を逸らした。

 

 まるで、これ以上見る必要はないと言わんばかりに。

 

 ロードは何も言わず、その横顔を見つめる。

 

 その反応が少し気になったものの、ロードもまた、それ以上は何もしなかった。

 

 まだ試験は始まっていない。けれど、この先にあるターフで、自分たちは競うことになる。

 

 彼女は、ミラージュのように約束を交わした仲間ではない。ただ、この場所で合格を目指す――一人の受験者。

 

 だからこそ。

 

 ロードは、静かに前を向いた。

 

 自分もまた、その一人なのだから。

 

 係員が、列の先頭へ向かって歩き始める。

 

「それでは、実技試験会場へ移動します。」

 

 受験生たちが、一斉に歩き出した。

 

 ロードもその流れに続く。

 

 胸の奥に、静かな緊張が生まれていた。

 

 だがそれは、適度な緊張。不安感はどこにもない。

 

 ここまで来た。

 

 あとは――。

 

 自分の脚で、走るだけだ。

 

 

 

 

・・・・・

 

 

 

 

『不思議なやつ』。

 

 初めてアイツに出会った時、そう思った。

 

 小学一年生の頃。

 

 同じクラスになった、ルベウスロード。

 

 男の子なのに、ウマ娘と同じ耳と尻尾を持っていた。

 

 ……ただ、それだけだった。

 

 当時のアタシは、そこまで気にしていなかった。

 

 男の子なのに耳があって、尻尾もあって。

 変わっているとは思ったけれど、それ以上でも、それ以下でもなかった。

 

 アイツ自身も、普通にクラスにいた。

 

 だからアタシも、普通に接していた。

 

 それが変わり始めたのは、もう少し後のことだった。

 

 小学校で過ごしていくうちに、私は少しずつ「ウマ娘」というものを知っていった。

 

 ウマ娘は、女の子として生まれる。

 

 特徴的な耳があり、尻尾がある。

 

 そして――走る。

 

 それが、当たり前だった。

 

 テレビでレースを見るようになった。

 学校でヒトとウマ娘の身体の違いついて学んだ。

 友達との会話でも、当たり前のようにそんな話が出てきた。

 

 そうやって、私は「普通」を知っていった。

 

 だから。

 

 ある時、ふと思った。

 

 ――じゃあ、ルベウスって何なんだ?

 

 アタシたちと同じ、ウマ娘の特徴を持っている。

 

 でも、男の子だ。

 

 ウマ娘なのに、男。

 

 男なのに、ウマ娘。

 

 それまで「変わっている」で済ませていたものが、少しずつ違って見えるようになった。

 

 自分が知っている「ウマ娘」という存在。

 

 自分が知っている「男の子」という存在。

 

 その、どちらにも当てはまらない。

 

 ルベウスは、アタシが知っている現実から外れていた。

 

 ……いや。

 

 アタシにとっては、そう見えた。

 

 それからだった。

 

 ルベウスを見るたびに、その違和感が大きくなっていった。

 どうして男なのに。

 

 どうしてウマ娘なのに。

 

 どうして――そんな存在が、普通にここにいるんだ。

 

 気づけば、アタシはルベウスを避けるようになっていた。

 

 話しかけなくなった。

 

 一緒に遊ばなくなった。

 

 そして、他の女子たちも次第にルベウスを「変なやつ」として扱うようになった。

 

 私は、それを止めなかった。

 

 むしろ――自分もそう思っていた。

 

 ルベウスは、おかしい。

 

 アタシたちが知っている「ウマ娘」とは違う。

 

 アタシたちが知っている「男の子」とも違う。

 

 だったら。

 

 そんな存在を、どうして「普通」として受け入れなければならないのか。

 

 だから、拒絶した。

 

 ルベウスロードという存在そのものを。

 

 アタシは、自分を「間違っていた」とは思わない

 

 あの頃のアタシには、それが「現実」だったからだ。

 

 ウマ娘は女の子。

 

 男の子はウマ娘ではない。

 

 それが当たり前だった。

 

 だからこそ――。

 

 アイツは、その現実からかけ離れた存在だった。

 

 アタシは、その現実を守るために。

 

 ルベウスを拒絶した。

 

『トレセン学園は、アンタが来るところじゃない。』

 

 あの言葉も、嘘じゃなかった。

 

 アタシの中では、今も。

 

 アイツがここにいることそのものが、受け入れられない。

 

 なのに。

 

 今、そのルベウスが。

 

 アタシと同じ場所へ向かっている。

 

 アタシは、もう一度だけルベウスの背中を見る。

 

 そして――すぐに目を逸らした。

 

 認めたくない。

 

 認めるわけにはいかない。

 

 だから、勝つのはアタシ。

 

 自分が弱者ではないと証明するために。

 

 ルベウスロードという現実を、否定するために。

 

 

 

 

・・・・・

 

 

 

 

 体操着へと姿を変えた受験生たちは、トレーニング場へと足を踏み入れた。

 普段なら聞こえるはずの学生たちの声は、一切聞こえない。

 

 スタート地点に設置されたゲート。

 場所が違うにしても、見慣れた光景のはずなのに、今日はいつもとは違って見えた。

 

「それでは、受験番号を確認します。」

 

 係員が名簿を手に、一人ずつ番号を読み上げていく。

 

 呼ばれた受験生は返事をし、自分のゲートを確認する。

 

 ディナイも、自分の受験番号が呼ばれたことを確認した。

 

「受験番号、確認しました。」

 

 係員が全員を見渡す。

 

「それでは、自分の好きなタイミングでゲートへ入ってください。ただし、後ろの組の進行もありますので、ゲートインまでの制限時間は三分です。」

 

 ディナイは小さく頷いた。

 

 いよいよだ。

 

 胸の奥で『ドクン、ドクン』と、心臓が大きく鳴っている。

 

 けれど――。

 

 それが、心地よかった。

 

 怖くはない。

 

 むしろ、身体の奥から力が湧いてくる。

 

 脚が軽い。

 

 頭も冴えている。

 

 はっきり言って、負ける気がしなかった。

 

 するとディナイは、隣のウマ娘へと視線を向ける。

 

「………。」

 

 そこには、ロードがいた。

 

 何の因果か、よりにもよって隣のゲート。

 

 だが、それ以上に気になったのは――ロードの様子だった。

 

「………。」

 

 ロードは、何もしていない。

 

 静かに立ち、ただ呼吸をしている。

 

 周囲を見回すわけでもなければ、ストレッチをするわけでもない。ましてや落ち着かない様子もない。

 

 緊張しているようには、とても見えなかった。

 

 その顔には、焦りも不安もない。

 

 むしろ――。

 

 どこか楽しそうだった。

 

 これから始まる試験を、待ち望んでいるようにさえ見える。

 

(……何なのよ、アイツ。)

 

 ディナイは僅かに眉を顰めた。

 

 やがてロードが、ふっと息を吐く。

 

 その瞬間――表情が変わった。

 

 ほんの僅かに。

 

 それまでの穏やかな顔から、覚悟を持った顔へ。

 

 そしてロードはゲートの中へ入り、係員によって扉が閉じられた。

 

 ディナイは、閉ざされたゲート越しにロードを見る。

 

 もう、逃げ場はない。

 

 ここから先は、己を信じて走るだけ。

 

 それは、アイツも同じだ。

 

 なら――。

 

 ディナイは、静かに拳を握った。

 

「……全力で潰す。」

 

 その言葉に、迷いはなかった。

 

 

 

 

・・・・・

 

 

 

 

 最後のウマ娘がゲートに入る。

 スターターは駐立する16名のウマ娘の様子を確認し、赤い旗を振った。

 

 静寂。

 

 張り詰めた空気が、トラック全体を包み込む。

 

 そして――

 

 

 ガコンッ!

 

 

 一斉にゲートが開き、ウマ娘たちが飛び出した。

 

 ――その中で。

 

 真っ先に飛び出したのは、ルベウスだった。

 

 他のウマ娘たちよりも、ほんの僅かに早い。

 

 一歩。

 

 たったそれだけの差。

 

 けれど、その一歩がルベウスを先頭へ押し出し、背中を押していった。

 

 しかし、普段からマイルから長距離を中心に走っている私にとって、この距離を走り切ること自体は難しくない。仕掛けるタイミングも頭に入っている。

 

 だからこそ――。

 

 スタートしてすぐ、私はルベウスの意図を理解した。アイツは既に、かなりの速度で走っている。

 

 逃げ。

 

 序盤から先頭に立ち、後続との距離を広げ、そのまま追いつかれることなくゴールを目指す脚質。その性質上、終盤まで先頭を維持するためにはどうしても体力を使う。

 

 自滅する可能性も大いにあり得る、諸刃の剣。

 

 だから――

 

(このペースなら……最後に躱わせる。)

 

 アタシはそう判断した。

 いや……アタシだけじゃない。後ろのウマ娘たちも同じような判断をしている。

 

 いきなり追おうとはしない。むしろ、それぞれが自分のペースを守る。

 無理に前へ出れば、余計な体力を使う。掛かってしまえば、それこそアイツの思う壺だ。

 

 だからこそ――

 

『へばったところを叩く。』

 

 そう考えた。

 

 アタシもルベウスから視線を外し、自分の走りに集中する。周囲との位置関係を確認し、呼吸を整える。

 

 これでいい。

 

 このまま走れば、終盤で必ず差せる。

 

 脚が軽い。

 呼吸も安定している。

 余裕は十分にある。

 

 やがて、レースは中盤。第三コーナーに差し掛かった頃。場の空気が変わった。

 

 後方にいたウマ娘たちが、少しずつ動き始める。

 

 位置取りが変わる。

 

 そして、拍手のような足音に紛れて、大きな足音が二つ……いや、三つ。

 

 後ろのウマ娘が仕掛けたのは、言うまでもない。

 

(だったら、こっちも!)

 

 脚に力を込め、解き放つ。

 

 自然と身体が前へと伸びる。

 

 ルベウスとの距離が少しずつ縮まっていく。

 先ほどまで遠くに見えていた背中が、徐々に大きくなっていく。

 

(やっぱり……。)

 

 口元が、僅かに緩む。

 

(追いつける。)

 

 周囲のウマ娘たちも加速していた。

 

 そして――。

 

 最後のコーナーを抜ける。

 

 視界が開けた。

 

 最後の直線。

 

 ここからが、本当の勝負だ。

 

 私はさらに加速する。

 

 後ろのウマ娘なんて知らない。

 見るのは前。ゴールへと続くターフのみ。

 

 残り400m。

 

 ルベウスまで、あと二バ身。

 

 一バ身。

 

 すぐそこまで来ている。

 

 だんだんと息が苦しくなってきた。

 

 でも、まだ脚は残っていることは分かる。

 

 大丈夫。勝てる。

 

 そしてついに、ルベウスの隣へ並ぶ。

 

 アタシは即座に目と耳で周囲を確認する。

 

 大きな差はないけど、アタシが僅かに速い。

 

 いける……!

 

 そして、ルベウスとの差を見るために目を向ける。

 

 

 刹那――アタシは目を疑った。

 

 

 視界に映ったのは、ルベウスの身体ではなかった。

 

 さっきまで隣にあったはずの身体。

 

 その姿が、ない。

 

 代わりに。

 

 視界の端を――尻尾が揺れていた。

 

「……は?」

 

 一瞬、意味が分からなかった。

 

 尻尾。

 

 アタシはゆっくりと前を見て……目を疑った。

 

(……なんで?)

 

 さっきまで、確かに隣にいた。

 ほんの一瞬、意識を他のウマ娘へ向けただけなのに。

 

 それなのに――

 

 ルベウスが、僅かに前を走っている。

 

 アタシは、ずっと周囲を警戒していた。

 

 周囲の足音に、呼吸。

 

 全部、聞こえている。

 

 だからこそ。

 

(……今の、一歩は?)

 

 分からない。

 

 ルベウスが地面を蹴った音―― “加速するための一歩” が、分からなかった。

 

 いつ踏み込んだ?

 

 いつ前へ出た?

 

 いや、そもそも――

 

(何なの……あれ。)

 

 後ろから見ていても分かる。

 アイツの走り方は、「異常」以外の何者でもなかった。

 

 頭が腰よりも下にある。身体を、地面へ倒れ込むようなほど深く前へ傾けている。

 普通なら、あんなに身体を倒せば間違いなく転倒するはず。

 

 もう、意味が分からなかった。

 

 ルベウスは深い前傾姿勢のまま、速度だけが上がっていく。

 

 追いつけない。

 

 届かない。

 

 どれだけ脚を動かしても、その距離は大きくなっていく。

 

 私は、歯を食いしばった。

 

(どうして……?)

 

 何度も何度もトレーニングした。

 

 苦しい日もあった。

 

 諦めたくなる日もあった。

 

 それでも、走った。

 

 少しでも速くなるために。

 

 少しでも強くなるために。

 

 自分が弱者ではないと証明するために。

 

 なのに――

 

(なんでっ……!なんでアンタなの……!?)

 

 才能。

 

 そんな言葉が、頭をよぎった。

 

 あのフォーム。

 あの加速。

 

 あんなものを、今まで見たことがない。

 

 あんな走りは、きっとルベウスにしかできない。

 

 自分にはないものを、最初から持っている。

 

 そうとしか思えなかった。

 

 どれだけ努力しても届かない。

 どれだけ積み重ねても、たった一歩で追い越される。

 

 ――そんな経験は、もうたくさんだった。

 

 

 

 

・・・・・

 

 

 

 

 ゴールしたロードは、何も言わなかった。

 

 ゆっくりと速度を落とし、そして立ち止まる。

 

 大きく息を吸い、ゆっくりと吐く。

 肩が僅かに上下している。それでも、倒れることはない。

 

 ただ静かに、呼吸が整うのを待っていた。

 

 その後ろでは――

 

 何人ものウマ娘が、倒れ込んでいた。

 

 両手をターフにつき、肩で大きく息をする者。

 

 その場に座り込んでしまう者。

 

 誰もが限界まで走り切っていた。

 

 それでも。

 

 誰一人として、すぐには動かなかった。

 

 ただ――

 

 全員が、前を見ている。

 

 その先にある、ロードの背中を。

 

 しばらくして、ゴール地点にいたスタッフの一人が声をかけてきた。

 

「お疲れ様でした。これにて試験は終了です。」

 

 その声を聞き、ウマ娘たちはゆっくりと身体を起こした。

 

 疲労で重くなった脚を引きずるようにしながら、一人、また一人とトレーニング場を後にしていく。

 

 その中には、小さな嗚咽を漏らす者もいた。

 

 きっと、悔しかったのだろう。

 

 届かなかった。

 あと少しだった。

 

 そんな思いを抱えながら、彼女たちは去っていく。

 

 やがて。

 

 ロードも、トレーニング場を後にする。

 

 出口のゲートを潜るとそこには――ディナイが立っていた。

 

 風が吹く。

 

 彼女の前髪が揺れ、その目元を隠している。

 

「……あの末脚。」

 

 ディナイが口を開く。

 

「手加減してたの?」

 

「……してないよ。」

 

 ロードは首を横に振る。

 

「最初から最後まで、全力だった。」

 

「……そう。」

 

 ディナイは俯いた。

 

 拳を握る。

 

 何か言わなければならない。

 

 けれど、言葉が出てこない。

 

 やがて、吐き出すように呟いた。

 

「……まぁ、勝って当然よね。」

 

「アンタは――男なんだから。」

 

 それは、負け惜しみだった。

 ロードが自分たちより速かった理由を、そうやって片付けようとした。

 

 ――男だから。

 

 ウマ娘でありながら、男として生まれた。

 

 自分たちとは違う。

 

 だから、あんな走りができた。

 

 そういうことにしてしまえばいい。

 

 そうすれば、少なくとも――

 

 自分が負けた理由を、考えなくて済む。

 

 すると、ロードが口を開いた。

 

「ディナイ、あの走りは――」

 

「やめて。」

 

 瞬間、ディナイが遮った。

 

 ロードが僅かに目を見開く。

 

「どうして?」

 

「……聞きたくない。」

 

 ディナイは俯いた。

 

 拳が、強く握られる。

 

「アタシは……」

 

 声が震える。

 

「アタシには、自分だけの武器がない。」

 

「後ろから一気に前に出る強い末脚も、アンタみたいに誰にも真似できないフォームもない。」

 

 悔しかった。

 

 認めたくなかった。

 

 けれど、もう誤魔化せなかった。

 

「あの走りを見て……分かった。」

 

 最後の直線。

 

 並んだはずだった。

 

 勝てると思った。

 

 なのに、気づけばロードは前にいた。

 

「あれが……アンタの “才能” なんでしょ。」

 

「………。」

 

「アタシには……そんなものない。」

 

 ディナイは顔を上げる。

 

「トップに駆け上がるための才能が……アタシにはない。」

 

 ロードは、しばらく黙っていた。

 

 そして――

 

 

「才能があるかないかって、そんなに大事?」

 

 

「……っ!」

 

 瞬間、ディナイの顔が歪んだ。

 

「大事に決まってるでしょ!」

 

 思わず、ロードへ一歩詰め寄った。

 

「才能がある者とない者じゃ、同じトレーニングをしたって、辿り着ける場所が違う!」

 

「アタシは――!」

 

 そこで、言葉が止まる。

 

 ロードは何も言わない。

 

 ただ、真っ直ぐにディナイを見ている。

 

 その目は、責めるでもなく、哀れむでもなかった。

 

 ただ静かだった。

 

「……ディナイ。」

 

 ロードが、ゆっくりと口を開く。

 

「そこまで分かっていながら――トレセン学園の転入試験を受けたんだね。」

 

「……っ!」

 

 ディナイは答えられなかった。

 

「才能がなければ勝てない、努力しても届かない。」

 

「もし、それが本当だとしたら。」

 

 ロードは、静かに続ける。

 

「どうして、ディナイはここに来たの?」

 

 ディナイの胸が詰まる。

 

 答えは、すぐには出てこなかった。

 

 けれど、分かっている。

 

 自分は、諦めなかった。

 

 才能がないと思っていても。

 自分だけの武器がないと思っていても。

 それでも、ここまで走ってきた。

 

 そして今は、トレセン学園に入ろうとしている。

 

 それは、一体なぜだろう?

 

 

 

「そんなの……勝ちたいからに、決まってるでしょ……!」

 

 

 

 ぽろり。

 

 頬を、一筋の涙が伝う。

 

「……勝ちたい。」

 

 もう一度、呟く。

 

「こんなアタシだって、勝ちたいの……!」

 

 涙が次々と零れ落ちる。

 

「でも……現実は、そんなに簡単じゃない。」

 

「どの時代だって、最後まで生き残るのは才能のあるウマ娘たち。」

 

「どれだけ努力しても、届かないことがある……。」

 

 ディナイは涙を拭う。

 

 けれど、止まらない。

 

「……ルベウスライトさん。」

 

 その名前を口にする。

 

「アンタのお母さんが、まさにそう。」

 

 ロードは黙って聞いている。

 

「伝説って呼ばれたウマ娘。現役を引退するその時まで……ずっと最前線にいた。」

 

「そんなウマ娘を見てきたからこそ……分かるの。」

 

 ディナイの声が震える。

 

「才能のあるウマ娘が、どれだけ強いのか。」

 

「アタシみたいなウマ娘がどんなに努力したって、越えられない壁があるって。」

 

 それでも。

 

 ディナイは顔を上げる。

 

「……それでも、勝ちたい。」

 

 その言葉だけは、はっきりしていた。

 

「才能がないからって、諦めたくない……。」

 

「届かないかもしれないって分かってても……それでも、勝ちたいの……。」

 

 その言葉を聞きながら、ロードはディナイを見つめていた。

 

 矛盾した感情が、同時に存在している。

 

 その姿が――どこか、昔の自分と重なって見える。

 

 もっと速く走りたい。

 

 もっと、速く。

 

 それなのに。

 

 同時に思っていた。

 

『こんな脚、さっさと壊れてしまえばいい。』

 

 走りたい。

 

 走りたくない。

 

 二つの気持ちが、自分の中にあった。

 

 どちらも、本物だった。

 

 どちらか一方を嘘にすることなんてできなかった。

 

 だからこそ、苦しかった。

 

 ロードは、目の前で涙を流すディナイを見つめる。

 

 そして――。

 

「俺と、同じだね。」

 

「……え。」

 

 ディナイが顔を上げる。

 

 ロードは静かに言う。

 

「俺も、少しでも速く走りたいと思ってた。でも同時に……」

 

「もう走りたくないとも思ってた。」

 

 ディナイには、その言葉の意味が分からなかった。

 

 速く走りたい。

 

 それなのに、走りたくない。

 

 どう考えても、矛盾している。

 

「……それって、どういう意味?」

 

 気づけば、そう尋ねていた。

 

 ロードはすぐには答えなかった。

 

 ほんの少しだけ視線を落とす。

 

「……聞きたい?」

 

 ディナイは黙った。

 

 今までならここで……いや、そもそも話そうともしなかった。

 

 ロードのことを、知ろうとも思わなかった。

 

 理解する必要なんてない。

 

 そう決めつけていた。

 

 けれど――今は違う。

 

 自分は、ロードに弱いところを見せた。

 

 勝ちたいという気持ちも。

 

 才能がないことへの恐怖も。

 

 涙まで見せてしまった。

 

 ここまで見られておいて、今さら「男だから」なんて理由で距離を取るのもおかしい。

 

 それに。

 

 ふと、昨日言われた言葉が蘇った。

 

『ロード君と、話してみて。』

 

 名前も知らないウマ娘からもらった助言。

 

 あの時は、意味のないことだと思っていたけど――今なら、違う受け取り方ができると思った。

 

「……聞きたい。」

 

 ディナイは、ゆっくりと顔を上げる。

 

「アンタが……ルベウスが今まで何を考えてたのかを、知りたい。」

 

 ロードは、少しだけ目を見開いた。

 

 けれど、すぐにいつもの表情へ戻る。

 

「……そっか。」

 

 そして、ロードは周囲をキョロキョロと見ながら口を開いた。

 

「じゃあ、どこか日陰に座って話そうか。」

 

「……ここで話さないの?」

 

「え、この太陽の下で話すつもり?」

 

「それは……そうね。」

 

 ロードが歩き出す。

 

 ディナイも、その隣へ並んだ。

 

 一歩。

 

 また一歩。

 

 これまでなら、決して歩かなかった距離。

 

 いつもなら、ロードの隣ではなく、離れた場所を選んでいた。

 

 それなのに――。

 

 今は、何の抵抗もなく隣を歩いている。

 

 ディナイは、ちらりと横を見る。

 

 すぐ隣を歩くロード。

 

 その横顔は、いつもと変わらなかった。

 

 けれど、ディナイにとっては違う。

 

 これまでずっと、自分とは別の世界にいると思っていた存在。

 

 理解することを拒んでいた存在。

 

 それが今は――。

 

 自分から、その話を聞こうとしている。

 

「……ルベウス。」

 

「ん?」

 

「ちゃんと話すから、ルベウスも隠さず話してよね。」

 

 ロードは少しだけ振り返る。

 

「もちろん。」

 

 二人はそのまま、校舎へ向かって歩いていった。

 

 

 つづく




レースの結果は、半バ身差でロードの勝利です。
何気に初めてロードの前傾姿勢を外側から書きましたが、初見殺しみたいな性能ですね。

ボコボコになったであろうターフは、トレセンが呼んだたくさんのバ場作業員たちが必死になって毎回直してました。本当にお疲れ様です。

では、また次回。
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