ウマ娘 ロストロード   作:ツカッチ

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トレーナーのみなさん、こんにちは。

早く「結果発表〜!!」したい。


第二十九話 もう一度、隣へ

 当時のロードは、トゥインクルシリーズを目指していた。広いターフで、強いウマ娘たちと一着を競い合う未来を見ていた。

 

 ロードの母であるルベウスライトがどんなウマ娘だったのかを聞かされていたからこそ、『俺も母さんのようなウマ娘なりたい』と思っていた。

 

 それが、当時の夢だった。

 

 走ることが好きだった。

 

 だから、いつか自分もあの舞台に立てると信じていた。

 

 でも――。

 

 ある程度身体が成長した頃から、ロードは検査を受けることになった。

 

 身体について。

 

 走ることについて。

 

 何か問題がないか、慎重に調べられた。

 

 何度も検査を受けて、長い時間をかけて調べてもらった。

 

 そして、最後に告げられた。

 

『トゥインクルシリーズを目指すことは、残念だが認められない。』

 

 何かあってからでは遅いから。

 遺伝子レベルで身体に異常がないにしても、慎重になるのも仕方がなかった。

 

 誰かがロードを嫌っていたわけじゃない。

 

 ロードを傷つけようとしたわけでもない。

 

 ただ、安全のために。

 

 しかし――

 

 ロードにとって、あまりに理不尽な決定だった。

 

 ずっと憧れていた場所。

 いつか走りたいと思っていた舞台。

 

 そこへ行く道が、目の前で閉ざされた。

 

 加えて、失ったのはトゥインクルシリーズへの道だけじゃなかった。

 

 レースを目指せないのなら、ウマ娘のための学校に通うこともできない。すなわち、自由にターフを走ることもできない。

 

 それでも、夢は簡単には消えてくれなかった。

 

 ニュースでレースの映像を見れば、自然と胸が騒いだ。ウマ娘たちがターフを駆け抜ける姿を見れば、自分も走りたいと思った。

 

 もう無理だと分かっているのに。

 

 諦めなければならないと分かっているのに。

 

 それでも、思ってしまう。

 

 ――走りたい。

 

 そんな気持ちを、どうにかして紛らわせたかった。

 

 だから、河川敷を走るようになった。

 

 堤防の上にある道を、ただひたすら走った。

 

 最初は、溜まったストレスを発散するためだった。

 

 何も考えずに身体を動かす。

 

 走っている間だけは、余計なことを考えなくて済んだ。

 

 夢のことも。

 

 レースのことも。

 

 自分がもう、あの舞台を目指せないことも。

 

 全部忘れられた。

 

 ……そのはずだった。

 

 気がつけばロードは、『走る』ことの味を覚えた。

 

 幼い頃とは、また違った味。

 

 風を切る感覚。

 身体が前へ進んでいく感覚。

 昨日より少し速く走れた時の、あの感覚。

 

 もっと速く走りたい。

 

 もっと遠くまで走りたい。

 

 もっと――。

 

 速く。

 

 そう思ってしまった。

 

 それは、嬉しいことのはずだった。

 

 でも同時に、苦しかった。

 

 走れば、夢を思い出す。

 

 もっと速く走りたいと思えば思うほど、叶わなくなった夢が頭に浮かぶ。

 

 あのターフを走りたい。

 

 あの舞台に立ちたい。

 

 母さんのようなウマ娘になりたい。

 

 でも、それはもう叶わない。

 

 だから、走ることが楽しいほど。

 

 速くなりたいと思うほど。

 

 その先にある現実が、苦しくなった。

 

 走らなければ、ストレスが溜まる。

 

 走れば、夢を思い出す。

 

 走りたい。

 

 でも、走りたくない。

 

 そんな矛盾した気持ちを抱えたまま、ロードは河川敷を走り続けた。

 

「……それから、どうなったの?」

 

 ディナイは、自然とそう尋ねていた。

 

 ロードは少しだけ黙る。

 そして、小さく息を吐いて顔を上げた。

 

「走る回数は減ったけど……その反動で、毎日が退屈になった。」

 

 ロードは、少しだけ遠くを見る。

 

「学校へ行くのも、宿題をやるのも……作業するような感じだった。」

 

 朝起きて学校へ行く。

 授業を受ける。

 家に帰る。

 宿題をする。

 ご飯を食べて眠る。

 

 また、次の日も同じことを繰り返す。

 

 クラスメイトと交わすのは、必要最低限の会話のみ。誰かと遊ぶなんて、したことも考えたこともない。

 

 何かを楽しみにすることもなく、ただ一日を終わらせる。

 

 そんな毎日だった。

 

「別に、その生活が辛かったわけじゃない。」

 

「ただ……何もなかった。」

 

 ディナイは黙って聞いている。

 

 ロードは自分の脚へ視線を落とす。

 

「『勉強で頭をいっぱいにしよう』とかも考えたけど……無駄だった。」

 

 時間が経てば経つほど、忘れたはずの夢が頭の中に浮かぶようになった。

 

 トゥインクルシリーズ。

 広いターフ。

 大勢の観客。

 そして――一着を目指して走る自分。

 

 諦めたはずなのに。

 

 もう無理だと分かっているのに。

 

 夢だけは、どうしても消えてくれなかった。

 

 やがて、ロードは気づく。

 

 夢を思い出させているのは、何なのか。

 走りたいと思わせているのは、何なのか。

 

 全部――この脚だった。

 

「……だったら。」

 

 ロードは、ぽつりと呟いた。

 

 

「この脚がなければいいんじゃないかって、思うようになった。」

 

 

「………。」

 

 ディナイの表情が固まる。

 

「走れないなら、夢を見ることもない。」

 

「この脚さえなければ、もう『走りたい』なんて思わなくなる。」

 

「そうすれば……今度こそ諦められる。」

 

 今思えば、とロードは続ける。

 

「もちろん、今はかなり歪んだ考えだったと思ってる。」

 

 けれど――。

 

 当時のロードにとっては、それが正解だった。

 

 走りたい。でも、走れない。

 夢を諦めたい。でも、諦められない。

 

 そんな矛盾の中で、ロードは自分の脚そのものを憎むようになっていった。

 

 大好きな『走り』と共に夢を終わらせられるのなら、きっと後悔はしない。

 そしてロードは、自らの走りで脚を壊すために走り出した。

 

「………。」

 

 ディナイは、何も言えなかった。

 

 こんなことを考えていたなんて、知らなかった。

 

 走ることが好きだったことも。

 夢を諦められなかったことも。

 それでも、夢を諦めるために――自分の脚を壊そうとしたことも。

 

 何も知らなかった。

 何も知らないまま、彼を拒絶していた。

 

 おかしいと決めつけて、近づこうともしなかった。

 

 その記憶が、今になって重くのしかかってくる。

 

「………。」

 

 ディナイは、膝の上で手を握った。

 

 もっと聞きたい。

 ロードに聞きたいことが、まだまだたくさんある。

 

 その後、どうなったのか。

 どうして今、ここにいるのか。

 どうして、あんな走り方をするようになったのか。

 

 でも――。

 

 怖かった。

 

 もし、この先を聞いたら。

 

 自分が知らなかったロードの過去を、もっと知ってしまったら。

 

 その中に、自分がしてきたことまで繋がってしまったら。

 

 今まで見ないようにしていたものまで、全部見えてしまいそうだった。

 

「……もう、いい。」

 

 ディナイは小さく呟いた。

 

「ルベウスのことはよく分かったから……もういいよ。」

 

 ロードは、少しだけディナイを見る。

 

 けれど、何も聞かなかった。

 

「そっか。」

 

 それだけ言って、ロードは視線を前へ戻した。

 

 しばらく、沈黙が続く。

 

 やがて――。

 

「じゃあ……次は俺から質問してもいい?」

 

 ディナイが顔を上げる。

 

 ロードは、とても穏やかな表情をしていた。

 

「いいけど……。」

 

 その声は、少しだけ震えていたように聞こえた。

 

 しかしロードは気にすることなく尋ねる。

 

「ディナイの考える『才能』って、なに?」

 

「……才能?」

 

 思いもよらない質問だった。

 

 ディナイは、少し考える。

 

 今まで何度も考えてきた言葉だった。

 

 けれど、いざ言葉にしようとすると、意外と難しい。

 

「……最初から、他のウマ娘より優れているもの。」

 

 しばらく考えた末、ディナイはそう答えた。

 

「生まれた時から持っている、とか……そういうものだと思う。」

 

 ロードは黙って聞いている。

 

 ディナイは、自分の中にある考えを整理するように続けた。

 

「例えば、普通のウマ娘なら息が上がるような距離でも、平気な顔で走り続けられる “圧倒的なスタミナ” とか。」

 

「最後の直線になった途端、他のウマ娘じゃ追いつけないくらい一気に加速できる “強い末脚” とか……。」

 

 そこで、ディナイはロードを見る。

 

「……アンタのフォームも。」

 

「俺の?」

 

 キョトンとするロードに、ディナイは小さく息を吐く。

 

「あんな走り方、普通じゃないでしょ。」

 

 つい先ほどのレースを思い出す。

 

 並んでいたはずなのに。

 

 気づいた時には、もう前にいた。

 

 深く上半身を倒した、異様な姿勢。

 

 当たり前ではあるが、ディナイは見たことがなかった。

 

「アタシには……いや、全世界のウマ娘は、あんなことできない。」

 

「きっとそれが、ルベウスだけの才能なんだと思う。」

 

「……なるほど。」

 

 ディナイ自身、これが正しい答えなのかは分からない。

 

 けれど、今まで自分が「才能」と呼んできたものを言葉にするなら、それが一番近かった。

 

 ロードは、そんなディナイの答えを聞いて、少しだけ考えるように目を伏せる。

 

 そして――

 

「……似てるね。」

 

「え。」

 

 思わず、ディナイが顔を上げる。

 

 ロードは、こちらを見ながら小さく笑っていた。

 

「俺も、才能っていうのは生まれた時から持っているものだと思ってる。」

 

 ディナイの表情が、少しだけ和らぐ。

 

 似ている。

 

 そう言われたことに、どこか安堵している自分がいた。

 少なくとも、今の自分の考えを頭ごなしに否定されたわけではない。

 

「だけど俺は――才能っていうのは『持っているか、持っていないか』じゃないと思うんだ。」

 

「……?」

 

 ディナイは、首を傾げる。

 

 さっきまで似ていると言っていたのに。

 

 それなら、何が違うというのだろう。

 

「……どういうこと?」

 

 ロードは少しだけ口元を緩める。

 

「才能は、生まれながらにして持っているもの。その考えはディナイと同じ。」

 

「でも、それは選ばれたウマ娘だけじゃない。」

 

 ロードは、ゆっくりと言葉を続ける。

 

「俺もディナイも、この世界にいるすべてのウマ娘が才能を持っている。」

 

「……全員?」

 

「うん。全員。」

 

 あまりにも迷いのない答えだった。

 

 ディナイは、思わずロードの顔を見る。

 

「じゃあ……アタシにも?」

 

「もちろん。」

 

「………。」

 

 その即答に、ディナイは少し戸惑った。

 

 自分には、そんなものがあるのだろうか。

 

 今までずっと、自分には何かが足りないと思っていた。

 

 努力しても、強くなっても。

 

 あと一歩、何かが足りない。

 

 それを、ずっと「才能がないから」だと思っていた。

 

「ディナイが言った圧倒的なスタミナも、強い末脚も、自分の才能を見つけて、磨いた結果なんだと思う。」

 

「……見つけて?」

 

「そう。」

 

 ロードは頷く。

 

「最初から『自分にはこれがある』って分かってるわけじゃない。」

 

「走って、試して、振り返って……その中で、自分に何ができるのかを知っていく。」

 

 ディナイは黙って聞いている。

 

「現に、俺のあのフォームも、初めからできたわけじゃないし。」

 

「そうなの?」

 

 ロードは、自分の左脚に視線を落とした。

 

「『速く走りたい』という思いと、『脚を壊したい』という思いが合わさった結果、あのフォームが生まれたんだ。」

 

「でも、あのフォームを作れたのは、それを可能にするだけの身体があったからだと思う。」

 

 ロードは、自分の脚へ目を向ける。

 

「全身の筋肉もそうだけど……やっぱり、強い体幹が一番かな。」

 

 ただ速くなりたくて。

 ただ走りたくて。

 

 何度も何度も身体を動かしているうちに、無意識のうちに自分の身体を少しずつ理解していった。

 

 その積み重ねの中で、今の走りに繋がるものを見つけた。

 

「だから、才能っていうのは最初から分かりやすい形で存在しているとは限らないんだと思う。」

 

「自分では何気なくやっていることが、実は自分だけの武器だったりする。」

 

 ディナイは、黙ったままロードを見る。

 

「……じゃあ。」

 

 少し間を置いて、尋ねる。

 

「才能があるかどうかじゃなくて……自分の才能に気づけるかどうかが大事ってこと?」

 

 ロードは頷いた。

 

「俺は、そう思ってる。」

 

 才能を持っているか、持っていないか。

 

 今までディナイがずっと考えてきたのは、その二つだった。

 

 持っている者は強くなれる。

 持っていない者は、どれだけ努力しても追いつけない。

 

 だから、自分には何かが足りない。

 

 そう思っていた。

 

「……なんか、不思議。」

 

「?」

 

「才能って、もっと……特別なものだと思ってた。」

 

 ディナイは、自分の手を見つめる。

 

「一部のウマ娘だけが持っていて、それを持ってる子が上に行くものだって。」

 

「そう考えるのも、分かるよ。」

 

 ロードは否定しなかった。

 

「でも――」

 

 ロードは、ディナイを見る。

 

「そんな考え方は、楽しくないだろ?」

 

「………。」

 

「ディナイにも、間違いなく才能はある。」

 

 ロードは、当たり前のことを言うように続ける。

 

「ただ、今はまだ――」

 

 ほんの少しだけ笑って。

 

「ディナイ自身が、それに気づいてないだけだよ。」

 

 

 

 

・・・・・

 

 

 

 

「じゃあ……そろそろ帰るね。」

 

 ディナイは、ゆっくりと立ち上がる。窓の外を見れば、いつの間にか日が傾き始めていた。

 

 三日間に及んだ転入試験。筆記試験から始まり、実技試験まで。特に今日は、本当に長い一日だった。

 

「三日間、お疲れ様。」

 

 ロードがそう言う。

 

「……うん。アンタもね。」

 

 ディナイは短く返した。

 

 それだけ。

 

 それだけ言って、そのまま歩き出す。

 

 これでいい。

 

 今日は、十分すぎるほど話した。

 

 自分が知らなかったロードのことを知った。

 

 自分の考えも話した。

 

 そして――今まで一度もまともに向き合おうとしなかった相手と、並んで座って、普通に話をした。

 

 それだけで十分だ。

 

 これ以上、何を話す必要がある。

 

 そう思っていた。

 

 数歩、歩いたところで。

 

 ディナイの足が止まった。

 

「………。」

 

 胸の奥に、何かが引っかかっている。

 

 さっきまで気にしていなかった。

 

 いや。

 

 気にしないようにしていた。

 

 ロードの過去を聞いた。

 

 自分が知らなかった苦悩を知った。

 

 それなのに――

 

「………。」

 

 ディナイは、俯いた。

 

 帰ればいい。

 

 そのまま何も言わずに帰ればいい。

 

 なのに。

 

 どうしても、このまま帰る気にはなれなかった。

 

「ディナイ?」

 

 後ろから声がした。

 

「……っ。」

 

 名前を呼ばれただけなのに、胸が跳ねる。

 

 ディナイは振り返らなかった。

 

「どうしたの?」

 

 答えられない。

 

 自分でも分からなかった。

 

 何を聞きたいのか。

 

 何を言いたいのか。

 

 ただ――。

 

 このまま帰ったら、きっと後悔する。

 

 そんな気がした。

 

 ディナイは、ゆっくりと振り返る。

 

 そして――。

 

 来た道を、もう一度歩き始めた。

 

 ロードの前まで戻る。

 

「……?」

 

 ロードは首を傾げる

 

 ディナイは、すぐには話し出せなかった。

 

 自分でも、どうして戻ってきたのか分からない。

 

 でも。

 

 ここまで話を聞いて。

 

 こんなふうに向き合ってもらって。

 

 何もなかったことにして帰るのは――違うと思った。

 

「……ねぇ、ルベウス。」

 

 ようやく絞り出した声は、あまりにも小さかった。

 

「アタシが……今までアンタにしてきたこと。」

 

 口にした瞬間、胸が重くなる。

 

 けれど、もう目を逸らさなかった。

 

「アンタは……どう思ってたの?」

 

 ディナイは今日、本当のルベウスロードを知った。

 

 今まで自分が見ていたのは、ほんの一部分だった。

 

 自分たちとは違う。

 

 おかしい。

 

 そう決めつけて、距離を取った。

 

 けれど――実際は違った。

 

 自分の話を否定せずに聞いてくれた。

 自分が抱えていた悩みにも、真剣に向き合ってくれた。

 

 彼がこんなに優しいヤツだったなんて……思いもしなかった。

 

 だから、もう大丈夫だと思った。

 

 きっと、何を言われても受け止められる。

 

 怒られても、責められても。

 

 それは当然だと思える。

 

 だって――。

 

 ロードがこれまで抱えてきたものを考えれば、自分がこれから受ける言葉なんて、それに比べればずっと軽い。

 

 ディナイは、静かに答えを待った。

 

 ロードは少しだけ考えるように視線を落とし、やがて顔を上げた。

 

 

「別に?」

 

 

「……へ?」

 

 あまりにもあっさりした答えに、ディナイは腑抜けた声を漏らした。

 

 慌てて咳払いを挟み、聞き返す。

 

「ほ、本気で言ってるの……?」

 

「うん。」

 

 ロードは頷いた。

 

「ディナイたちに何かされた以前に……」

 

 少しだけ考えてから、ロードは続ける。

 

「俺自身が、自分のことを分かってなかったから。」

 

「……で、でも。」

 

 ディナイは、言葉を探す。

 

「アンタ、不登校になってたじゃない。」

 

 その言葉を聞いた瞬間、ロードの表情がほんの少しだけ変わった。

 

 けれど、それは悲しそうなものではなかった。

 

「ああ、あったね。そんなこと。」

 

 思い出を振り返るような言い方に、ディナイは困惑する。

 

 一方のロードは、気にすることなく続けた。

 

「実は、不登校になったのは……俺自身のせいなんだよね。」

 

「……は?」

 

 それは、あまりにも軽い言い方だった。

 

「俺が勝手に色々考えて、勝手に塞ぎ込んだだけだから。」

 

「でも、それってアタシたちが……。」

 

「……もちろん、何もなかったとは思ってないよ。」

 

 ロードは、ディナイの言葉を受け止める。

 

「でも、俺自身が『自分は何なのか』ってことばかり考えてたのは事実だ。」

 

 少し遠くを見る。

 

 そして、ゆっくりと言葉を続けた。

 

「早い話――あの時ディナイたちに言われたことは、俺自身の言葉でもあったんだ。」

 

「………。」

 

 ディナイは、何も言えなかった。

 

 事実は、自分が思っていたものとは違っていた。

 

 いや、違うというより――

 

 自分たちが、ロードを追い詰めたと思っていた。

 

 けれど、ロードの中には、そのずっと前から自分自身への疑問があった。

 

 自分は何なのか。

 

 どうして自分だけが違うのか。

 

 ウマ娘なのか、ヒトなのか。

 

 その答えすら分からないまま、ロードは一人で抱えていた。

 

 かつての自分たちの言葉が、彼の傷に触れたのは間違いない。それでもロードは、それだけを理由にしようとはしなかった。

 

 ディナイたちのせいだと責めることも。

 

 ロード自身だけを責めることもない。

 

 ただ――

 

 あの頃に起きたことを、そのまま自分の人生の一部として受け止めている。

 

 けれど、だからといって――何もなかったことにするわけにはいかなかった。

 

 ディナイは、ゆっくりと頭を下げる。

 

「……今まで、ごめん、ルベウス。」

 

「うん。」

 

 ロードは、それ以上何も言わなかった。

 

 ただ、その言葉をまっすぐに受け止める。

 

 そして座席から立ち上がり、ディナイのもとへ歩み寄ると、そっと手を差し出した。

 

「ここで会えて、本当に良かった。」

 

「……そうね。」

 

 ディナイは、その手をしっかりと握り返した。

 

 二人の顔には、屈託のない笑顔が浮かんでいた。

 

 ほんの少し前まで。

 

 互いに、こんなふうに笑い合える日が来るなんて思ってもいなかった。

 

「それじゃあ、今度こそ帰るね。」

 

「うん。気をつけてね。」

 

 ディナイはロードに背を向け、歩き出す。

 

 数歩進んだところで――ふと、足を止めた。

 

 そして振り返る。

 

「ルベウス。」

 

「なに?」

 

 ディナイは、人差し指をロードへ向ける。

 

「絶対に合格しなさいよね。」

 

 その顔には、もう迷いはなかった。

 

「勝ち逃げなんて、絶対に許さないから。」

 

 一度だけ言葉を切る。

 

 そして――。

 

「アタシだけの才能を必ず見つけて、次こそアンタに勝つ!」

 

 ロードは笑う。

 

「楽しみにしてるよ。」

 

 その言葉を聞いて、ディナイも笑った。

 

 そして今度こそ、ロードに背を向ける。

 

 その背中は、もう以前のように遠くはなかった。

 

 

 

 

・・・・・

 

 

 

 

 ディナイの姿が見えなくなるまで、ロードはその場に立っていた。やがて小さく息を吐き、スマートフォンを取り出す。

 

 ミラージュとイーリスはどうなったのだろう。それに、母にも連絡をしなければ。

 

 そう思って画面を開いた、その時だった。

 

 通知が一件。

 

 送り主は――ライツ博士。

 

『まだ学園にいるなら、私の研究室に来てほしい。』

 

 短いメッセージだった。

 

「……研究室?」

 

 ロードは首を傾げる。

 

 何か用事でもあるのだろうか。

 

 少し考えた後、ロードはスマートフォンをしまい、ライツの研究室へ向かうことにした。

 

 廊下を歩き、研究室の前まで来る。

 

 扉を軽くノックした。

 

「どうぞ。」

 

 聞き慣れた声が返ってくる。

 

「失礼します。」

 

 扉を開ける。

 

「……え?」

 

 そこで、ロードは足を止めた。

 

 研究室の中には、ライツ博士だけではなかった。

 

 ソファには、二人のウマ娘が並んで座っている。

 

 ロードが入ってきたことに気づくと――。

 

「「ルー君!」」

 

 二人が同時に立ち上がった。

 

 そして、嬉しそうな笑顔を浮かべながら、こちらへ駆け寄ってくる。

 

「ミラージュに、イーリス……?」

 

「おかえり、ルー君!」

 

「お疲れ様ー!」

 

「ど、どうしてここに……。」

 

 ロードは完全に困惑していた。

 

 ミラージュは少し申し訳なさそうに笑う。

 

「実は、ずっとルー君を探してたんだけどね。」

 

「あの子と話している最中だったから、邪魔しちゃいけないなって思って。」

 

「それで、ライツ博士にお願いしたの。」

 

 ミラージュが後ろを振り返る。

 研究室の奥では、ライツが楽しそうにこちらを眺めていた。

 

「……二人とも、君を心配していたよ。」

 

 その声はとても静かで、しかし芯の通った声だった。

 

「その表情からして、試験は問題なかったのだろう?」

 

「はい、勝ちました。」

 

 ロードは、いつもの調子で答える。

 

「やはり、心配はいらなかったね。」

 

「心配してくれていたんですか?」

 

「ふむ、何のことだろうね?」

 

 ロードが呆れたように目を細める。

 そんな二人のやり取りを見ていたイーリスが、突然声を上げた。

 

「ルー君ルー君!イーリスも勝ったんだよ!」

 

 褒めて褒めて、と言わんばかりに飛び跳ねるイーリス。ロードは彼女の頭にそっと手を置き、優しく撫でた。

 

「おめでとう、イーリス。」

 

「えへへ……!」

 

 百点満点の笑顔。

 そんなイーリスに、ミラージュも続く。

 

「私も勝ったよ!」

 

 その声には、隠しきれない喜びが滲んでいた。

 

「すごく、嬉しかった……!本当に、ありがとうルー君!」

 

 次の瞬間。

 

 ミラージュがロードへ飛びついた。

 

「わっ……!?」

 

 突然のことに、ロードは少しだけ身体を揺らす。

 

 けれど、振り払うことはしなかった。

 

 ライツとイーリスの目があるが、彼女は特に気にしていない様子だ。

 

 それもそのはず。トゥインクルシリーズとは一切関係のないレースだが、「一着」という事実は、ミラージュにとって大きな意味を持っていた。

 

 今まで積み重ねてきたものが、初めて形になった瞬間。その喜びを、ロードも理解している。

 

「おめでとう、ミラージュ。」

 

「うんっ……!」

 

 ロードもミラージュの背中に手を回す。そして、ほんの少しだけ、その背中に触れた。

 

 それだけで十分だった。

 

 ロードもミラージュの背中に手を回し、少しだけ触れる。

 

 そして、二人はゆっくりと元の位置に戻った。

 

「あとは、合格発表を待つだけだね。」

 

「うん。」

 

「イーリスたちなら大丈夫だよ!」

 

 誰一人として、不安な顔をしていない。それだけでも、最高な空気だった。

 

 すると、隣にいたイーリスが何かを思い出したように何かを取り出した。

 

「あ! そうそう、ルー君!」

 

「ルー君って、すごい走り方するんだね!」

 

「……え?」

 

 ロードへ向けられたのは、タブレット端末。

 

 そこに映し出されていたのは――。

 

 ロードがこれまで行ってきた、並走トレーニングの映像だった。

 

 スタートから徐々に前へ出ていく姿。

 そして、最後の直線で深く身体を沈め、一気に加速する姿。

 

 何度も繰り返し再生されている。

 

「………。」

 

 ロードの顔が固まった。

 

 数秒の沈黙。

 

「……博士。」

 

「なんだい?」

 

「何勝手に見せてるんですか。情報漏洩ですよ、これ。」

 

「ははは。」

 

 ライツは楽しそうに笑う。

 

「すまない。彼女たちの探究心に、思わず乗せられてしまったんだ。」

 

「こんなの、敵に塩を送るようなものじゃないですか……。」

 

 ロードは深いため息をついた。

 

 しかし、抗議したところでもう遅い。

 

 すでに自分の走りは、二人の好奇心をたっぷりと刺激してしまったらしい。

 

「ねえねえ、この前に身体を倒すところってどうなってるの?」

 

「これって自分で考えたの?」

 

 そんな質問が次々と飛んでくる。特にミラージュからの圧がすごい。

 

 ロードはしばらく黙っていたが――

 

「……分かったよ、話すよ。」

 

 諦めたように、肩を落とすのだった。

 

 

 

 

・・・・・

 

 

 

 

 一週間後。

 

 ロードは、自宅のリビングにいた。

 

 ノートパソコンに映し出されているのは、トレセン学園の転入試験結果発表ページ。

 

 画面中央には、大きなタイマーが表示されている。

 

 合格発表まで

 

 ――残り5:59

 ――残り5:58

 ――残り5:57

 

 数字は、一秒ずつ確実に減っていく。

 

「あと六分……。」

 

 ロードの父が小さく呟く。

 

 母もまた、落ち着かない様子で画面を見つめていた。

 

「大丈夫かな……。」

 

「絶対に大丈夫よ。……大丈夫よね?」

 

 二人とも、明らかにそわそわしていた。

 

 けれど――。

 

 そんな両親とは対照的に、ロードは妙に落ち着いていた。

 

 ソファに座り、そわそわする両親に挟まれながら画面を静かに眺めている。

 

 特に何かを話すわけでもない。

 

 ただ、タイマーが一秒ずつ減っていくのを見ていた。

 

 ……ドクン。

 

 心臓が鳴る。

 

 ……ドクン。

 

 また鳴る。

 

 自分でも分かるくらい、心拍は速くなっている。

 

 それでも、ロードの表情は変わらない。

 

(……緊張してるんだな、俺。)

 

 そう思うと、少しだけ可笑しくなった。

 

 試験そのものは、もう終わった。

 

 今さら何をしても結果は変わらない。

 

 なら、待つしかない。

 

 そう考えると――不思議と落ち着いていた。

 

 画面の数字が、また一つ減る。

 

 ――残り5:00

 

 ロードは静かに画面を見つめた。

 

 その胸の奥でだけ、心臓が激しく鳴り続けていた。

 

 

 つづく




というわけで次回、結果発表です。

「ネームドウマ娘が四人だけだから分かりやすい」と思ったそこのあなた。ゴルシの飛び蹴りを喰らえッ。

では、また次回。
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朝起きたらウマ耳と尻尾生えとるんやけど...!?!?!?(作者:飽之七起)(原作:ウマ娘プリティーダービー)

『ウマ娘』▼彼女たちは、走るために生まれてきた。▼ときに数奇で、ときに輝かしい歴史を持つ別世界の名前と共に生まれ、その魂を受け継いで走る。▼それが、彼女たちの運命。▼なら彼は、いったい何なのか。▼名前も、魂も、何も受け継いでなどいない。▼何故こうなったのか、どうすれば戻れるのか、いや、そもそも戻る気があるのか...?▼彼もまた、走り続ける。誰にもわからない、…


総合評価:200/評価:6.22/連載:9話/更新日時:2026年07月16日(木) 19:05 小説情報

引退したけど写真屋として関わりたい(作者:サフラニン)(原作:ウマ娘プリティーダービー)

TSしてウマ娘になった元サラリーマン。走りまくって脚ぶっ壊しかけて引退して、かねてからの夢、写真屋を開業した。折角ならレースを走るウマ娘を撮りたいじゃん?


総合評価:530/評価:8.43/連載:4話/更新日時:2026年07月31日(金) 22:37 小説情報

ウマ娘とイチャイチャしてぇなぁ…え?ダメ?(作者:mashiyu)(原作:ウマ娘プリティーダービー)

▼ウマ娘とイチャイチャしたくてトレーナーになった。▼しかし、実際はイチャイチャとは程遠く、現実は非情だった。▼「お願い三女神様!贅沢は言わないのでウマ娘とイチャイチャさせてください!え?ダメ?はーつっかえ…三女神ってクソだわ。もう三女神信仰すんのやめます」▼


総合評価:310/評価:6.67/完結:20話/更新日時:2026年09月22日(火) 15:18 小説情報

【ウマ娘if】転移した俺は、トレセン学園で運命に抗う(作者:KUROX)(原作:ウマ娘プリティーダービー)

40歳を過ぎ、一度は心を折りながらも、それでもどうにか生きてきた男。▼ある日、彼が目を覚ますと――そこは、見覚えのない世界だった。▼知らない場所。▼知らない人々。▼そして、なぜか自分を『トレーナー』と呼ぶ少女たち。▼戸惑いながらも彼女たちと日々を過ごすうち、男は少しずつ、この世界の正体に気づいていく。▼同時に思い出してしまう。▼この先、彼女たちを待ち受けてい…


総合評価:36/評価:-.--/連載:22話/更新日時:2026年10月04日(日) 19:00 小説情報

存在しないはずのライスシャワーの娘に転生しました(作者:雅媛)(原作:ウマ娘プリティーダービー)

転生した。▼ウマ娘になった。▼そして母親はライスシャワーだった。▼前世でライスシャワーを応援していたTS転生ウマ娘ピュアホワイトにとって、それだけで今世は大当たりである。▼しかも両親は優しい。▼生活にも困らない。▼身体は健康。▼走れば速い。▼やはり自分は幸運だ。▼多少大外枠ばかり引こうが、妙な事件に巻き込まれようが、そんなものは誤差である。▼不幸だと思う母か…


総合評価:1859/評価:7.91/完結:33話/更新日時:2026年09月15日(火) 18:00 小説情報


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