トレーニングの休憩時間。
スピカの面々は購買でドリンクを買い、それぞれ談笑しながらトレーニング場へと戻っていた。
ふと、キタサンの視線が、少し先を歩くウマ娘の背中に吸い寄せられた。
見慣れたブレザーとスカート姿の生徒が二人。しかしその中に、ひとりだけ違う格好をしたウマ娘がいた。
白いシャツに、薄紫のスラックス。
この学園では一度も見たことがない服装だった。
顔は見えない。髪も、後ろ姿だけでは確信が持てない。
それなのに。
「……ロードくん?」
気づけば、名前を呼んでいた。
声を聞いたウマ娘が、ゆっくりと振り返る。
そして、その顔を見た瞬間。
「キタサン、久しぶり。」
間違いなかった。
そこにいたのは、ずっと、ずっと会いたかった相手だった。
「……っ。」
キタサンの瞳が揺れる。
河川敷で再会した日のこと。
ロードと交わした言葉の数々。
波音に揺られながら、夜に繋いだ電話。
そして――彼がトレセン学園に合格したと知った日のこと。
たくさんの思い出が、一度に胸の中を駆け巡った。
ずっと、この日を心待ちにしていた。
再会したら、笑顔で『おめでとう』と言おう。『よく頑張ったね』と、胸を張って迎えよう。
そう、決めていたはずなのに。
「ロードくん……!」
声が震えた。
目の前の彼を見つめているだけで、涙が次々と溢れてくる。
「なに泣いてるんだよ、キタサン。」
ロードは少し困ったように眉を下げた。
「だって、嬉しくて……!」
「……わかってるよ。」
短い返事だった。
けれど、その声はいつもと変わらず優しかった。
「合格おめでとうございます、ルベウスさん。」
「にししっ、キミなら受かるって信じてたよ!」
マックイーンとテイオーが歩み寄り、それぞれロードに祝福の言葉をかける。
「ありがとうございます。」
ロードは二人に向かって、静かに頭を下げた。
その間、マックイーンはキタサンの背中をそっと撫でていた。テイオーも、今は何も言わずに彼女を見守っている。
少し離れたところにいたスズカたちも、どこか温かな笑みを浮かべていた。
ロードはそんな彼女たちの様子を見て、小さく頷く。それから、ちらりと後ろを振り返った。
少し離れた場所で、ミラージュとイーリスが彼を待っている。今は、学園案内の途中。いつまでもここにいるわけにはいかなかった。
ロードは再びキタサンへと向き直り、そっと歩み寄る。
「……ごめん、キタサン。みんなを待たせるわけにはいかないんだ。」
「……うん。」
「この後の予定が終わったら、必ずキタサンのところに行くから。」
「うんっ……!」
返事をしようとした声は、まだ少し震えていた。
ようやく涙は落ち着き始めていたものの、胸の奥から込み上げてくる感情は、まだ簡単には収まりそうになかった。
本当は、もっと話したかった。
聞きたいことも、伝えたいことも、たくさんあった。
けれど、今の自分では、まともに言葉を交わせそうにない。
キタサンは涙を拭いながら、精いっぱい笑顔を作った。
「また、あとでね。ロードくん。」
「うん。またあとで。」
ロードは小さく手を振ると、待っている四人のもとへと戻っていった。
その背中を、キタサンはじっと見つめていた。
「……えへへ。」
涙の跡が残る顔に、ようやく本当の笑みが浮かんだ。
――ロードくんが、トレセン学園に来た。
その事実が、たまらなく嬉しかった。
・・・・・
「すみません、お待たせしました。」
ミラージュたち四人の下へと戻ってきたロードは、開口一番にそう言う。
「……もういいのかい?」
やよいが、ロードに問いかけた。
ロードは一度だけキタサンたちの方を振り返り、それから静かに頷いた。
「俺もキタサンも、優先すべきことがありますから。」
「そうか。」
やよいは小さく笑った。その隣で、たづなもにこりと微笑む。
「ルー君に会えたことが、すごく嬉しかったんだね!」
それは、つい先ほどのキタサンとのやり取りのことだろう。イーリスは楽しそうに笑顔を咲かせた。
「……そうだね。」
ロードは少しだけ目を細めた。
「ずっと、待っていてくれたんだと思う。」
その隣で、ミラージュは黙ってロードを見ていた。
先ほどの光景が、頭から離れなかった。
ロードの姿を見つけた途端、涙を流したキタサン。それを当たり前のように受け止めるロード。そして、二人の間に流れていた、言葉だけでは説明できない空気。
「……ミラージュ?」
「なんでもないよ。」
ロードに声をかけられ、ミラージュはいつもの表情に戻った。
「そう?」
「うん。」
それ以上、彼女は何も言わなかった。
やがて一行は、次の施設へと歩き始めた。
学園の敷地内にある特別な施設。
最初に向かったのは、屋内プールだった。
たづなの説明を聞きながら、ロードは施設を見渡した。ライツ博士とスタミナトレーニングをしていた頃が懐かしい。
すると、ちょうどプールから上がってきたウマ娘たちが、こちらに気づいた。
「あれ、ルベウス君?」
「ほんとだ! 久しぶり!」
「ルベウス、トレセンに来たんだね!」
先輩後輩限らず次々と声をかけられ、ロードは足を止める。
「お久しぶりです。みなさんもお元気そうですね。」
「もちろん!ルベウスくん、合格おめでとう!」
「ありがとうございます。」
簡単な挨拶を交わすと、ロードは再び案内の一行に合流した。
だが、それで終わりではなかった。
別の施設へ向かう途中でも、すれ違ったウマ娘たちがロードに声をかけてくる。
そのたびにロードは足を止め、相手の顔を見て返事をした。
その様子を隣で見ていたイーリスは、感心したように目を輝かせる。
「ルー君って人気者なんだね!」
「人気者というより、知り合いかな。みんな、並走トレーニングの相手になってくれたウマ娘たちなんだ。」
「へぇー!だからあんなに速く走れるのかな?」
「まぁ、いろいろとお世話になったのは間違いないね。」
ロードはそう言って、また声をかけてきたウマ娘に軽く手を振った。
「ふーん……。」
ぽつりと、ミラージュが呟いた。
「ミラねぇ、どうしたの?」
隣を歩いていたイーリスが、不思議そうに顔を覗き込む。
「なんでもないよ。」
「ほんと?」
「ホント。」
ミラージュは前を向いたまま、そっけなく答えた。イーリスは小首を傾げたものの、それ以上は追及しなかった。
そうして学園のトレーニング施設を一通り見て回ったロードたち。次の施設へ向かおうとしたところで、たづなが足を止めた。
「ここからは、ロード君は秋川理事長に、ミラージュさんとイーリスさんは私について来てください。」
「む? ルー君は一緒に行かないんですか?」
イーリスが不思議そうに首を傾げる。
「これから案内するのは、君たちが生活するための寮だ。」
やよいが説明を引き継いだ。
「ロード君については、男性トレーナー寮の一室を使ってもらうことになっている。」
「……なんで、ルー君はダメなんですか?」
イーリスは納得がいかない様子で、やよいを見つめた。
「頑張って合格したのに、一人ぼっちなんて……。」
「こ、こら、イーリス。」
イーリスの予想外すぎる反発に、ミラージュが慌てて止めようとする。
「理事長さんたちを困らせちゃダメでしょ。」
「ミラねぇ、でも……。」
「イーリス。」
納得がいかない様子のイーリスを、ロードが穏やかに呼びかけた。そして、彼女の目の高さと揃えるように、膝をつく。
「どんなに俺のことをみんなが受け入れてくれていても、線引きがあるのは当たり前だよ。」
「ルー君……。」
「俺たちは同じ学園に通う仲間だ。だけど、だからといって何もかも同じにできるわけじゃない。」
ロードはイーリスの目を見て、静かに続けた。
彼女は少し口を結んだ後、尋ねる。
「……ルー君は、寂しくないの?」
「そりゃあ、みんなと生活できたら楽しいとは思うよ。」
ロードは少しだけ笑った。
「理事長さんたちは俺を仲間外れにしたいわけじゃない。俺たちが互いに嫌な気持ちにならないようにしてくれているんだ。」
「イーリスは、嫌じゃないよ。」
「イーリスがそうでも、他のウマ娘たちは違うかもしれないだろ?」
その言葉に、イーリスは答えることができなかった。
「それに、同じ寮じゃないからって一緒に過ごせなくなるわけじゃない。」
「……うん。」
イーリスはまだ少し残念そうだったが、やがて小さく頷いた。
「分かった。」
「ありがとう。」
ロードはそう言って、彼女の頭を軽く撫でた。
そして、イーリスはやよいへと体を向ける。
「理事長さん、ごめんなさい。」
「気にすることはない。むしろ、君たちの仲がとても良いようで嬉しいよ。」
やよいはそう言って、にこりと笑った。
そうしてロードとやよいはイーリスたちと別れ、男性トレーナー寮へと向かう。その際、やよいが口を開いた。
「……分かってくれてありがとう、ロード君。」
その声には、申し訳なさが滲んでいた。
しかし――
「分かるも何も、当然のことだと思います。」
ロードは、特に気にした様子もなく答えた。
「こんなことで周りからの印象を悪くするのは嫌ですし、それは理事長さんも同じでしょう。」
「俺は、俺を受け入れてくれたトレセン学園に迷惑をかけたくありません。」
やよいは一瞬だけ目を丸くしたあと――
「時折、君が大人に見えるよ。」
そう言って、微笑んだ。
・・・・・
寮の案内を終えたロードたちは三女神像の前に集まっていた。
「それでは、これにてオリエンテーションは終了だ!」
やよいが、いつもの調子で声を張り上げる。
「ご自宅に送付した書類にも書かれていますが、入寮する日の前日には、学園に連絡を入れてくださいね。」
たづなは念を押すように言う。
ロードたちは「はい」と揃えて返事する。
「それでは皆の者! また会おう!」
やよいはそう言って手を振ると、たづなと共に学園の施設へと戻っていった。
残された三人は、しばらくその場に立っていた。
「……さて、どうしよっか。」
ふと、ミラージュが言う。
学園の案内は終わった。ここからは残るも帰るも自由にしていい時間だが、帰るにはまだ早いと思った。それは、イーリスも同じだった。
一方で、ロードには行っておきたい場所があった。けれど、二人を誘う気にはなれなかった。
……いや、「一人で行きたかった」という方が正しいのかもしれない。
そんなときだった。
『ぐぅ~~』
「………。」
イーリスのお腹の音が、静かな広場に響いた。
「……お腹、空いた。」
イーリスは、少し恥ずかしそうにお腹を押さえた。それを見たミラージュが、くすりと笑う。
「ふふっ。じゃあ、合格のお祝いも兼ねてお昼にしようか。」
「賛成!」
イーリスの顔が、ぱっと明るくなる。
「トレセン学園のごはん!」
その目は、まるでこれから特別なイベントにでも参加するかのように輝いていた。
そんな彼女に、ロードが問う。
「そんなに楽しみなの?」
「だってトレセン学園だよ? ごはんもすごいのがあるはずだよ!」
「はいはい。じゃあ、早く行こうか。」
ミラージュに促され、ロードたちは食堂へと向かった。
午前11時。昼食には少し早い時間だったため、席には余裕があった。
それぞれ食券を手に、カウンターに並ぶ。ロードたちが選んだのは、学園名物――にんじんハンバーグ定食だった。
その人気は凄まじく、毎日売り切れは当たり前。まさに、小さな祝賀会にはもってこいの料理だろう。
そして、三人の前に置かれたおぼんには。
「………。」
しばらく、誰も言葉を発しなかった。
白米四合。その隣には、分厚いハンバーグが三枚。山のように重なり、頂上からは崩れ落ちるのを防ぐためなのか、一本のにんじんが突き刺さっている。
もはや定食というより、ちょっとした挑戦状だった。
「……これが無料って、すごいね。」
ミラージュが、しみじみと呟いた。
「うん! すっごくおいしそう!」
イーリスは目を輝かせ、今にも食べ始めそうな勢いだ。
確かに、ウマ娘たちが思い切り走るためには相応の食事が必要だ。いつかのやよいも『余計な心配をせず、思い切り走ってもらいたい!』と、生徒たちを第一に考えた言葉を発していた。
……その気持ちはよく分かるのだが。
「これは……逆に心配になるな。」
思わず、ロードの口からそんな言葉が漏れた。
特別にトレーニングをさせてもらっていた頃は特に何も思わなかったが、生徒になったことで少し違った視点を手にしたらしい。
「ルー君、早く座って!」
「ああ、ごめん。」
ロードは苦笑しながら、席に着く。
三人はテーブルを囲み、それぞれ水の注がれたプラスチック製のコップを手に取る。
「それじゃあ、準備はいい?」
ミラージュの言葉に、ロードとイーリスは互いの視線を交わし、頷く。
そして――
「合格、おめでとう!」
「おめでとう。」
「おめでとー!」
コンッ。
三つのプラスチック製のコップが、軽やかな音を立ててぶつかった。
昼食を囲む三人の話題は、自然と実技試験のことへと移っていった。
「それにしても、イーリスのタイムが一位だったなんて。すごいな。」
ロードが感心したように言うと、イーリスは嬉しそうに頬を緩めた。
「えへへ、ありがとう!」
「イーリスは、マイルレースは負け無しだもんね。」
隣からミラージュが補足する。
「負け無し?」
ロードが聞き返すと、ミラージュはふと思いついたようにイーリスへ顔を向けた。
「イーリスが最近勝ったレースって、なんだっけ?」
そして、手元にマイクでもあるかのように、イーリスへ向ける仕草をする。
その意図を察したイーリスは、待ってましたと言わんばかりに胸を張った。
「桜花賞です!」
ピースサインを浮かべ、満面の笑みを見せる。
――刹那、ロードの動きが止まった。
「……桜花賞って、GⅠレースの……!?」
ロードは驚きを隠せない。
クラシック路線と並行して行われるティアラ路線。その三冠レースの一つである桜花賞を、目の前の小さな女の子が制したというのだ。
改めてイーリスを見る。
どう見ても、無邪気な女の子にしか見えない。
「普段のイーリスはこんな感じだけど、レースになると全然違うんだよ。」
ミラージュとイーリスは顔を見合わせ、楽しそうに笑った。
そんな二人の様子に、ロードも思わず笑みをこぼす。けれど、ふと気になったことがあった。
「最近勝ったレースが桜花賞ってことは……オークスは?」
その問いに、イーリスは少しだけ苦笑いを浮かべた。
「うん、負けちゃった。」
「イーリスはスタミナ不足が課題なの。マイルなら大丈夫なんだけど、中距離になるとどうしても最後に失速しちゃって。」
ミラージュが説明する。
小さい身体が織りなす鋭い加速を武器に、マイルの舞台では勝ち続けてきたイーリス。しかし、距離が延びれば、その武器だけでは押し切れないこともある。
それでも、イーリスの表情に落ち込みはなかった。
「でもね、イーリスはそれを克服するためにトレセン学園に来たんだよ!」
小さな拳をぎゅっと握り、そう宣言する。
その瞳には、静かな闘志が宿っていた。
「……そっか。」
ロードはイーリスの目を見つめ、穏やかに微笑んだ。
「イーリスならできるよ。」
「うん!」
迷いのない返事。
それを聞いて、ロードも満足そうに頷いた。
そこで、いったん会話が途切れる。
ロードは隣に座るミラージュへと視線を移した。
「……ミラージュがトレセン学園に来たのは、自信をつけるため?」
「そうだね〜。でも、ルー君がいるから解決しちゃったかも。」
「む? どういうこと?」
イーリスが不思議そうに首を傾げる。
「試験前、不安になった私にルー君がおまじないをかけてくれたんだ。」
「おまじない?」
「そしたら、全然緊張しなくなったの。」
ミラージュは楽しそうに笑った。
「ホント!?」
ガタッ!
イーリスが勢いよく席を立つ。
「ルー君って、もしかして魔法使い!?」
「流石に違うかな。」
思わず苦笑するロード。
イーリスも、ミラージュがレース前に不安に駆られることに悩んでいたことはよく知っている。だからこそ、実技試験で彼女が一位を取ったことがまるで自分のことのように嬉しかったのだ。
「応援はするけど、俺がいなくても勝てるようになってくれよ。」
ロードは少し困ったように言う。
「はーい♪」
ミラージュは、なぜか嬉しそうに返事をした。
まるで、もう一度おまじないをかけてもらえたかのように。
「……そういえば。」
今度は、ミラージュがロードへと尋ねる。
「ルー君がトレセン学園に来たのは、トゥインクルシリーズに参加するためだよね?」
「そうだね。」
ロードは頷いた。
その答えに、ミラージュも「そっか」と頷き返す。
一旦、それで話は終わった――はずだった。
ミラージュは何かを思い出したように、再び口を開いた。
「じゃあさ、何か勝ちたいレースとかある?」
その問いに、ロードはしばらく考え込んだあと、ミラージュへと視線を向けた。
「……難しい。」
「ふふっ。頑張って一つに絞らなくても、クラシック三冠とか天皇賞連覇とかでもいいよ。」
ミラージュは微笑みながら、いくつかの目標を挙げてみせる。隣では、イーリスもハンバーグを頬張りながら、興味深そうに二人の話を聞いていた。
けれど、ロードの返答は予想とは違うものだった。
「……多分、答えられない。」
「 “答えられない” ……?」
“分からない” や “決められない” ではなく、“答えられない” 。ミラージュとイーリスは、思わず首を傾げた。
ロードはコップを手に取り、水を一口飲んだ。
それから、何でもないことのように答える。
「初めから、 “勝ちたい” って考えたことがないから。」
――刹那。
ミラージュとイーリスは、思わず動きを止めた。
周囲では、たくさんの生徒たちが食事を楽しんでいる。食器の触れ合う音も、賑やかな話し声も、何一つ変わっていない。
それなのに、二人には、まるで食堂の音が遠のいてしまったかのように感じられた。
今、この場にいるのは三人だけ。
そんな錯覚さえ覚えるほどに。
「……それは、どういう意味?」
ミラージュが尋ねる。
まさか、負けても構わないという意味なのだろうか。
いや、そんなはずはない。
ロードが本気で走っていることは、二人とも知っている。
だからこそ、分からなかった。
勝つために走るのなら、勝ちたいと思うのが自然ではないのか。
そんな二人の疑問を察したのか、ロードは少し考えてから口を開いた。
「……ルドルフ会長にも言ったんだけど。」
そう前置きして、ロードは続けた。
「俺は、母さんを超えるために走るって決めたんだ。」
「え……。」
「ルー君のお母さんって……。」
「うん。ルベウスライト。」
ロードは、普段の会話と何ら変わらない声色で答えた。
けれど、その名前を聞いた二人の動きは止まったままだった。
ルベウスライト。
数々の輝かしい戦績を残した、誰もが知る『伝説のウマ娘』。その名を知らない者など、トレセン学園にはいないだろう。
そして、目の前にいるロードは、その伝説のウマ娘の息子なのだ。
「母さんを超えるには、“勝ちたい” じゃなくて、“勝つ” じゃないとダメなんだと思う。」
ロードは静かに語る。
「クラシック三冠、天皇賞連覇、有マ記念……。母さんは、普通じゃ考えられないような戦績の持ち主だ。」
「だから、初めから気持ちで負けてちゃダメなんだ。」
確かに、それは大切な考え方なのだろう。
目指すものが高ければ高いほど、簡単に諦めるわけにはいかない。相手がどれほど偉大な存在であっても、最初から勝てないと決めつけていては、届くものにも届かなくなってしまう。
けれど。
ミラージュとイーリスには、それを聞いてもなお、分からないことがあった。
ロードが母親を超えたいと思っていることは分かった。そのために、勝利を当たり前のものとして捉えようとしていることも。
それでも――。
「……どうして、お母さんを超えたいって思ったの?」
ミラージュが、そっと問いかけた。
クラシック三冠を獲りたい。
天皇賞を連覇したい。
有マ記念を走りたい。
そういった具体的な目標なら、二人にも理解できる。
けれど、ロードが目指しているのは、それらを一つずつ達成することだけではない。
そのすべてを成し遂げた、伝説のウマ娘を超えること。
どうして、そこまで高い場所を目指そうと思ったのだろう。
ミラージュは、その理由を知りたかった。
しかし、当の本人は、なぜそんなことを聞かれたのか分からないとでも言いたげに、きょとんとしていた。
そして、あっけらかんと答えた。
「目指すなら、一番上だろ。」
その言葉は、単なる目標ではなかった。これまでの色んな想いが、全て乗せられている気がした。
ミラージュは、ロードの顔をじっと見つめた。
いつもと変わらない表情。大きな夢を語ったというのに、そこに気負いは感じられなかった。
まるで、それが当たり前のことだとでも言うように。
「……ルー君らしいね。」
やがて、ミラージュは小さく笑った。
ロードがどれほどの想いを胸に秘めているのか。
その全てを理解できたわけではない。
それでも、彼が本気で頂点を目指していることだけは、よく分かった。
「イーリスだって負けない!」
隣から聞こえた声に、二人は顔を向ける。
彼女は、目を輝かせてロードを見つめていた。
「イーリスも、もっともっと強くなる!それでいつか、ルー君と一緒に走るんだ!」
イーリスは満面の笑みを浮かべ、小指を立ててロードに向けた。
「約束!」
ロードは一瞬きょとんとしたものの、すぐに微笑んで、その小指に自分の小指を絡めた。
「ああ、約束だ。」
二人が指を絡める様子を、ミラージュは微笑ましそうに見つめていた。
そして、彼女も口を開く。
「私は、ルー君みたいな大きな夢は持ってないけど――」
ミラージュは、少しだけ言葉を切った。
「ルー君の前に立ち塞がるくらいなら、できると思う。」
「……『背中を押す』とかじゃなくて、立ち塞がるんだね。」
ロードが呆れたように言うと、ミラージュはくすっと笑った。
「一番背中を押す方法が、これだと思ったから。それに――」
そこで一度、ロードの顔を見つめる。
「ルー君が頂点に立つところ、近くで見たいから。」
その言葉に、ロードは一瞬だけ目を丸くした。
けれど、ミラージュはすぐに、いつもの調子で笑ってみせる。
「私やイーリスに負けてちゃ、頂点には立てないぞ?」
そう言って、隣のイーリスへ顔を向けた。
すると、イーリスは待ってましたとばかりに腰に手を当て、胸を張る。
「イーリスも立ち塞がるよ!」
ふんす、と鼻息を漏らすイーリス。
そんな二人を見て、ロードは思わず笑った。
「……それなら、本気で俺を止めに来てくれよ。」
ロードは、二人をまっすぐに見つめた。
「俺はそれを、振り払ってでも進むから。」
その言葉に、ミラージュとイーリスも笑った。
「お互い、頑張ろうね。」
「ああ。」
三人が目指す目標は違う。
けれど、これからを共に過ごす仲間として、そして互いに立ちはだかるライバルとして走り出す。
それぞれが見る道の先にあるものを目指して。
つづく
有馬を有マと書いた理由は、ウマ娘の世界に「馬」という漢字は存在しないからです。(そのくせして東京優駿の「駿」はしっかり馬なんですよね。)
指摘はともかく、三人のお話はもう少し続きます。
では、また次回。