話は進みますが、主人公はキタちゃんです。
トレーニング場の観客席。
後方の日陰になった席に、ロードとキタサンは並んで腰掛けていた。目の前のターフではウマ娘たちが風を切り、懸命に駆け抜けていく。
キタサンは隣に座るロードの顔を見ると、ふふっと笑った。
「どうした?」
「ううん。これからロードくんと一緒に毎日を過ごすことになるんだなって思ったら、嬉しくって。」
キタサンは隣に座るロードを見て微笑んだ。ロードも小さく笑い、再びターフへと視線を戻す。
その拍子に、二人の肩がちょん、と触れた。
(……!)
ほんのわずかな接触。けれど、キタサンの頬は自然と緩んでしまう。
肩が触れている。ただそれだけのことなのに、なんだか嬉しかった。
「クラスはどうなるんだろうね。」
「さぁ。知ってるウマ娘がいてくれたらいいけど。」
ちょん。
また触れた。
その小さな感触に、キタサンは小さく笑う。
実際には、キタサンが少しロードの方へ寄って座っているからなのだが、今の彼女はそんなことにも気づいていない。
ただ肩が触れる。それだけで、なんだか嬉しかった。
「……そういえば、キタサン。」
ふと、ロードが口を開く。
「なぁに?」
「菊花賞、走るんだってな。スカーレットさんが言ってたよ。」
「もちろん走るよ!」
キタサンは大きく胸を張る。
「ここまで良いところナシだけど、今度こそ負けないよ!」
皐月賞は三着、日本ダービーは十四着と、不甲斐ない結果に終わってきたキタサン。今度こそロードに、スピカの仲間たちに良いところを見せたい。
すると、ロードが尋ねた。
「……ドゥラメンテに勝つ算段はあるの?」
「……えっ?」
その問いに、キタサンは思わず目を丸くした。
「『えっ』てなんだよ。ドゥラメンテはクラシック三冠に王手だろ? 出てこないわけがない。」
どうやらロードは素で言っているようだ。キタサンは少し驚いたように目を瞬かせた。
「ドゥラメンテちゃんは、菊花賞に出ないんだ。」
「え、そうなの?」
「日本ダービーの後に骨折したって、すごく大きなニュースになってたよ。」
「へぇ。そんなにニュースになってたの?」
「うん、すごかった。学園の食堂でも何回も見たよ。」
「なら俺も聞いてたんだろうけど、他のことで抜け落ちたのかも。」
確かにロードは転入試験でフォーム改造や筆記試験の勉強に精を出していた。彼にとってドゥラメンテの故障の話は、あまりにもどうでも良かったのだろう。
「ドゥラメンテは出ないのか……。」
ロードはそう呟くと、ふっと笑った。
「じゃあ、今度こそキタサンが勝つところを見られるってことだな。」
「…………え?」
思いがけない言葉に、キタサンはロードの顔を見つめた。
ロードは本気だった。
そこには、キタサンが勝つ姿を心から楽しみにしている表情があった。
「キタサン?」
ロードが尋ねるがキタサンは答えられなかった。
俯いたまま、膝の上でぎゅっと手を握る。
「……ごめん、変なこと言ったかな?」
「ち、違うの! そうじゃ、なくてね……。」
突然のロードの謝罪に、キタサンは慌てて誤解だと話す。それでも、言葉の最後の方は小さな声だった。
それから、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「……アタシね。ドゥラメンテちゃんが故障したってニュースを見たとき……その……」
「よ……喜んじゃったんだ。」
「喜んだ……?」
ロードの言葉に、キタサンは肩をビクリと震わす。背筋が凍るような感覚を覚えた。
「ドゥラメンテちゃんが出ないなら、私が勝てるんじゃないかって……思っちゃったんだ。」
キタサンは俯いたまま、膝の上でぎゅっと手を握りしめる。
ロードの顔を見ることができない。彼に失望されるのが怖い。
だけど、もう引き返せない。
キタサンは、小さな声で言った。
「アタシ……最低、だよね。」
「なんで?」
返ってきた言葉に、キタサンは思わず顔を上げた。
ロードは不思議そうに首を傾げている。まるで、何をそんなに気にする必要があるのか、本当にわからないとでも言いたげだった。
「ドゥラメンテが出ないなら、自分が勝てるかもしれない。そう思ったんだろ?」
ロードは、ごく当たり前のことを確認するように言う。
「……うん。」
「それの何が悪いの?」
キタサンは、言葉に詰まった。
「だ、だって……ドゥラメンテちゃんは怪我をしたんだよ? 走りたくても走れなくなっちゃったんだよ?」
「うん。」
「なのに、アタシは……」
彼女がいないから、自分が勝てるかもしれないと思った。そのことが、どうしても許せなかった。
ロードはしばらくキタサンを見つめ、それから静かに口を開いた。
「……キタサンは、ドゥラメンテが怪我をしたことを喜んだの?」
「ち、違うよ!」
キタサンは勢いよく顔を上げ、強く反対する。
「そんなつもりじゃ……なかったの。ドゥラメンテちゃんが怪我をしたことは、悲しかった。」
「じゃあ、いいじゃん。」
ロードは迷いなく言った。
「ドゥラメンテが走れなくなったことを悲しむのと、自分が勝ちたいと思うことは、別の話だろ?」
キタサンは、目を見開いた。
「誰だって勝ちたいんだよ。」
ロードはターフへと目を向けた。
「相手が強ければ勝つのは難しくなる。相手がいなければ勝てる可能性が高くなる。そう考えること自体は、何もおかしくないと思うけど。」
そこまで話して、ロードは再びキタサンへと顔を向けた。
「そもそも、キタサンは全く悩んでないんだろ?」
「……どうして、そう思うの?」
キタサンは、少し驚いたようにロードを見つめた。
「トレーニングしてる時のキタサン、いい目をしてたから。」
ロードはそう言って、目の前のターフへと視線を戻す。
「今も悩んでいたなら、あんな目はできないと思うよ。」
その言葉に、キタサンは目を丸くした。
ロードは、自分がどんな顔をして走っているのか、ちゃんと見てくれていた。
勝つために、少しでも速くなるために。悩んでいた頃とは違う気持ちで、毎日のトレーニングに打ち込んでいることを。
彼は、それをわかってくれていた。
キタサンはしばらく黙っていた。
それから、少しだけ困ったように笑う。
「……実は、だいぶ前に立ち直ってる。」
「やっぱり。ごめんな、思い出せてしまって。」
「ううん。むしろ、よりスッキリできたよ。」
キタサンは首を横に振る。
あのとき、自分が何を思ったのか。どうしてそんな気持ちになったのか。それを誰かに打ち明けることは、少し怖かった。
けれど、ロードは責めなかった。驚きもしなかった。ただ、今の自分を見て、もう大丈夫なのだとわかってくれた。
それが、なんだか嬉しかった。
「ありがとう、ロードくん。」
「どういたしまして。」
ロードはいつもの調子で答えた。
それから二人は、これからの学園生活についてを軽く話した。
会話の中で、再び肩が触れる。
キタサンは小さく笑う。
今度は、さっきよりも少しだけ晴れやかな気持ちで。
・・・・・
9月1日、午前8時30分。二学期初日。
その日の二年生の学年棟は、朝からやけに賑やかだった。
久しぶりに顔を合わせたクラスメイトたちが夏合宿ほ思い出を語り合う中、あちこちである話題が持ち上がっていた。
――三名の転入生。
今日から新たにトレセン学園へ加わる三人が、いったいどのクラスに所属することになるのか。それは、二年生たちにとって大きな関心事だった。
「うちのクラスに来るかな?」
「バラバラなのか、一つのクラスに入るのか、どっちだろう?」
「いろいろ話してみたいなぁ。」
教室のあちこちで、そんな会話が交わされる。
もっとも、その話題の中心にいる人物は、ほぼ決まっていたのだが。
ルベウスロード。
三ヶ月にわたるトレーニング期間を経て転入試験に合格し、正式な生徒として学園に通うことになった “男のウマ娘” 。
彼がどのクラスに配属されるのか。どんな自己紹介をするのか。
気になることはいくらでもあった。
もちろん、転入生はロードだけではない。
ミラージュとイーリス。彼女たちもまた、今日から学園の一員となる。
だが、少なくとも今朝の二年生たちの関心は、一人の少年に大きく傾いていた。
やがて、朝のホームルームの時刻が近づく。
教室の扉が開き、担任の先生が入ってきた。
「お前らー、席につけー。」
ざわめきが少しずつ収まっていく。
先生は教壇に立つと、教室を見渡した。
「さて、まずは転入生を紹介する。」
その一言に、教室の空気が変わった。
身を乗り出す者。隣の友人と目を合わせる者。期待を隠しきれず、扉の方へ視線を向ける者。
そんな生徒たちを見て、先生は小さくため息をついた。
「……先に言っておくが、誰が来てもちゃんと歓迎するように。それと、あんまり騒ぐなよ。」
「はーい!」
返事だけは、やけに元気だった。
先生は苦笑し教室の扉へと目を向ける。
「それじゃあ、入ってきてくれ。」
扉の向こうに、影が見える。
そして――ゆっくりと、扉が開いた。
ざわめきが止む。
最初に目に入ったのは、扉の向こうから差し込む廊下の光。そして、その中から姿を現した一人の影だった。
一歩。
上履きが床を踏む音が、妙にはっきりと聞こえた。
制服に身を包んだ転入生は、臆する様子もなく教室へと足を踏み入れた。
背筋は伸び、歩調は一定。周囲から向けられる視線にも、特に反応を示さない。
そのまま教壇へ向かって歩いていく。
誰かが息を呑んだ。
期待と好奇心が入り混じった視線が、その背中を追う。
そして、転入生は教壇の前で足を止めた。
赤銅色の目が、教室を見渡す。
落ち着いた眼差しが、並ぶ生徒たちを順に捉えていく。
そして “彼” は、自己紹介を始めた。
「ルベウスロードです。よろしくお願いします。」
教室の空気が、わずかに揺れた。
「ルベウス君、目標を……。」
先生がロードに聞こえるくらいの声で耳打ちする。目標を話すことをすっかり忘れていたロードは、僅かに目を見開いた。
「あ、すみません。」
ロードは、思い出したように小さく頭を下げた。
そして、小さく咳払いをし、改めて教室を見渡す。
「俺の目標は、母さんを超えることです。……いや」
一度、言葉を切る。
ほんのわずかな間を置いて、ロードははっきりと言い直した。
「絶対に、ルベウスライトを超えるウマ娘になります。」
――沈黙。
誰一人として、声を発さなかった。
この教室に来る転入生が本当にルベウスロードだったことへの驚き。そのロードが、自分の母であるルベウスライトを超えると宣言したことの驚き。
そんな衝撃が重なり、教室にいた全員がそろって固まっていた。
ロードはそんなクラスメイトたちを見渡し、先生に視線を向けた。
先生もまた一瞬だけ言葉を失っていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……はい、拍手〜。」
パチ、パチ、パチ
先生の控えめな拍手を合図に、ようやく教室に音が戻ってきた。
生徒たちも拍手を始める。
しかし、その拍手にはどこか力がなかった。
ロードの言葉は、決して大きな声で発せられたものではない。声を張り上げたわけでも、自分の決意を誇示したわけでもない。
ただ静かに。それでいて、迷いなく言い切った。
母であるルベウスライトの偉大さを、彼が知らないはずがない。
それでも、超えると言った。
いつか超えられたらいい、ではない。
絶対に、超えるのだと。
その言葉に込められた覚悟を、誰もが感じ取っていた。
彼女らが想像していたよりも、ロードの目指す場所はずっと遠い。
そして、彼はそこへ至ることを本気で望んでいる。
その決意を笑う者は、この場にはいなかった。
それどころか、誰も、何も言えなかった。
「ルベウス君の席は、後ろの廊下側に見える空席だ。」
「はい。」
ロードは短く返事をすると、教壇を下り、自分の席へと向かう。その姿を、クラスメイトたちは黙って見つめていた。
四つ隣の席に座るキタサンもまた、そのうちの一人だった。
つい先日、再会したばかりだった。
また会えたことが嬉しくて、無意識に尻尾を振り回した。隣に座って話をして、肩が触れ合うその距離が心地よかった。
これから、また一緒に過ごせる。
そう思うだけで、胸が弾んだ。
けれど。
『絶対に、母を超えます。』
ロードの言葉が、頭から離れなかった。
ルベウスライト。数々の偉業を成し遂げ、今なお伝説として語られるウマ娘。
そんな相手を超えると口にすることが、どれほど恐れ多いことなのか。
その背中を追い続けるだけでも、並大抵のことではない。ましてや、彼女を超えると決めるのなら、自分のすべてを懸ける覚悟がなければ到底口にできることではなかった。
だが、ロードの目にも、言葉にも、迷いはなかった。それどころか、『絶対に』と言い直した。
(……アタシは、ロードくんの何を見てたんだろう。)
ロードのことは、誰よりも知っているつもりだった。
あの日、河川敷で彼の背中を押したのは自分だし、彼の過去も聞かせてもらった。
彼のことをもっと知りたいと思った。もっと一緒にいたいと思った。
いつか、友達以上の関係になれたらと思った。
なのに。
今、目の前を歩いていくロードが、ひどく遠い存在に思えた。
少し移動すれば、届きそうな距離にいる。
同じ教室で、これから毎日顔を合わせることだってできる。
それなのに、彼が見ている景色は、自分の知らないものなのかもしれない。
ロードはどこまで先を見ているんだろう。
どんな景色を目指して走ろうとしているんだろう。
自分は、そのことを少しでも考えたことがあっただろうか。
いくら考えても、答えは出なかった。
・・・・・
朝のホームルームが終わると、教室の空気は一変した。
先生が教室を出ていくのを待っていたかのように、あちこちの席から生徒たちが立ち上がる。その視線の先にいるのは、後ろの廊下側の席に座ったばかりの転入生だった。
「ねえ、ルベウス君!」
「ちょっと聞いてもいい?」
「えっと、まずは握手してもらってもいいかな……?」
次々に声をかけられ、ロードは少しだけ目を瞬かせた。
「……別にいいけど。」
そう答えた途端、彼の机の周りに人だかりができた。
「ライトさんって普段、どんな感じなの?」
「やっぱり、家でもトレーニングとかしてたの?」
「今まで走れなかった分、これからはいっぱいレースに出たいって感じ?」
聖徳太子か、とツッコミたいくらい、質問が次々に飛んでくる。
しかしロードは急かされる様子もなく、一つずつ答えていった。
「母さんは多分、みんなの母さんと大差ないよ。」
「トレーニングは、とにかく河川敷の道を走りまくってた。」
「レースには出たいけど、どれくらい走れるかは実際にやってみないとわからないかな。」
一つずつ、簡潔に答えていく。
そうでもしないと質問に押し潰されそうだった。
「そういえば、前にキタサンと二人で歩いてたよね?」
「私も見たよ! キタサンの尻尾がすごいことになってたよね。」
「ちょ、ちょっと! 何聞こうとしてるの!」
キタサンの話題に本人登場。
クラスメイトたちは『待ってました』と言わんばかりにキタサンをロードの隣に立たせ、二人に質問を投げかけた。
「ズバリ、二人の関係は!?」
「っ!?」
キタサンの顔がみるみる赤く染まりだす。そんな反応に、クラスメイトたちのボルテージは、どんどん上がっていった。
一方、ロードは笑みを浮かべた後、少しだけキタサンの方へ目を向けた。
そしてーー
「俺にとってキタサンは、尊敬するウマ娘だよ。」
「へっ?」
キタサンの肩が、ピクリと跳ねた。
クラスメイトたちからは「おお〜!」と歓声が上がる。
「どんなところを尊敬してるの?」
「明るくて、すごく前向きなところ。」
即答だった。
「キタサンがいなかったら、たぶん、俺はここにはいなかった。それくらい助けられてる。」
話し終えると、クラスメイトたちの視線が一斉にキタサンへと向いた。
「すごいじゃん、キタサン!」
「ルベウス君の人生を変えたってこと!?」
「じ、人生を変えたって、そんな大げさな……。」
慌てて手を振るキタサン。
けれど、ロードは小さく頷いた。
「いや、俺にとっては大きなことだよ。キタサンには感謝してる。」
刹那、キタサンの胸の奥に、ちくりと刺すような痛みが走った。
嬉しかった。自分の言葉がロードの背中を押せたことも、こうして感謝してくれていることも。
なのに。
『――絶対に、母を超えます。』
先ほどの言葉が、ふいに頭をよぎった。
あんなにも大きな目標を、迷いなく口にしたロード。自分は、そんな彼の背中を押した。彼がここに来るきっかけになれた。
それなのに――
自分が思い描いていたロードの夢と、彼自身が見据えていたものは、大きくかけ離れていた。
「……キタサン!」
「えっ? あ、なに?」
不意に呼ばれ、キタサンは顔を上げた。
「次はキタサンが答える番だよ!」
「ルベウスのこと、どう思ってるの!?」
「どうって……い、言わなきゃダメ……?」
「「「 ダメ!」」」
「そ、そんなぁ〜。」
頭を抱えながら、なんとか笑顔を作る。
ロードが自分のことをこんなふうに話してくれたのは、本当に嬉しかった。
そう、嬉しいはずなのに。
どうしてだろう。
胸の奥に、小さな棘が残っていた。
と、その時。
「私からも、質問よろしいでしょうか。」
お淑やかな声が響く。
声の主は、サトノダイヤモンドだった。
「もちろん。」
ロードの返答に、ダイヤは小さく咳払いをしてから話し始めた。
「ライトさんの偉業は、私たちもよく理解しています。伝説と呼ばれる、その
「そんな “伝説のウマ娘” を、どうして超えたいと思うようになったのですか?」
その質問に、周囲の空気が少し変わった。
ロードは、転入試験に向けてトレセン学園でトレーニングをしていた頃から注目を集めていた。
彼がこれから走れるようになることを楽しみにしている者もいれば、ぜひ友達になりたいと思っている者もいる。
しかし、彼自身が何を目指しているのか。
それについては、誰も知らなかった。
ロードは少し間を開けて、答えた。
「目指すなら、一番上だと思ったからだよ。」
「一番上、ですか?」
ロードは小さく頷く。
「こうして走れるようになったんだ。中途半端なところでは、絶対に終わりたくない。」
あまりにもあっさりとした言い方だった。
まるで、頂点を目指すことに特別な理由など必要ないとでもいうように。
「そして、目指すのがライトさんの先と……。」
「うん。」
真っ直ぐな返事に、ダイヤも他のクラスメイトたちも、何も言えなかった。
「……気を悪くしたら申し訳ないんだけど。」
少しして、ウマ娘だかりの少し後ろから、一人のウマ娘が遠慮がちに口を開いた。
「もし……もしも、ライトさんを超えられなかったら、どうするの……?」
「ちょ、ちょっと……!」
すぐ隣のウマ娘が、慌てて彼女を止めようとする。しかし、彼女に怒るようなことはしなかった。
「ご、ごめん。やっぱりいい。」
「いや、答えられるよ。」
「え……。」
ロードは気にした様子もなく答えた。
彼女を止めようとする者はいても、その疑問を否定する者はいない。周囲の誰もが、その答えを気にしていた。
もしも、届かなかったら。
もしも、どれだけ努力しても、母の背中を越えられなかったら。
そのとき彼は、どうするのだろう。
「そんなの、考えてない。」
ロードは、あっけらかんと言った。
――え?
キタサンを含め、周囲の全員が言葉を失った。
「だいたい今の俺は、デビューっていうスタートラインにすら立ててないんだ。」
「出だしからずっこけてズルズル引きずるかもしれないし、逆に、ストレートで頂点まで行っちゃうかもしれない。」
「言い方が悪いかもだけど、考えるだけ無駄だと思ってる。」
まるで、明日の天気でも話すような口調だった。
自分がどんな道を歩むことになるのか。どこまで進めるのか。そんなことを、ロードは少しもわかったふうには語らない。
ただ、これから先に無数の可能性があることを、ごく当たり前のように受け入れていた。
「まっすぐなレールが敷いてあるわけじゃない。未来の自分がどうなってるかは、考えたってわからないよ。」
その言葉に、キタサンはロードを見つめた。
『考えたって、わからない。』
さっきから、ずっと考えていた。
ロードはどこまで先を見ているのだろう。自分の知らない、どんな景色を目指しているのだろうと。
彼の目標の大きさを知った途端、彼がひどく遠い存在になったような気がした。
けれど、ロード自身にも、未来はわからない。
母を超えるという夢を抱いていても、そこへ至る道筋までは見えていないのだ。
それなのに自分は、彼の見ている景色がわからないことに戸惑っていた。
(……そっか。)
胸の奥で、何かが静かにはまった。
わからないのなら、知っていけばいい。
これからもっと話をして、もっと一緒に過ごして、少しずつロードのことを知っていけばいい。
今すぐ、彼の夢をすべて理解する必要なんてない。
「……ふふっ。」
キタサンの口元が、自然と緩んだ。
「ロードくんでもわからないなら、私たちが気にしたってしょうがないね。」
周囲の視線が、キタサンへと集まる。
ロードは一度彼女を見て、それから小さく頷いた。
「そういうこと。」
いつもと変わらない、落ち着いた返事だった。
それを聞いて、キタサンはもう一度笑った。
胸の奥に残っていた、あのもやもやが完全になくなったわけではない。ロードの夢が大きいことも、彼が自分の知らない何かを見ていることも、変わらない。
けれど、それでいい。
自分はいつも通り接すればいい。
キタサンは、ロードの隣で顔を上げた。
これからの学園生活で、いくらでも知っていけばいい。
そう思ったら、さっきまで遠く感じていた彼との距離が、少しだけ近くなった気がした。
つづく
ロード君、ついにトレセン学園デビュー!
新章開幕みたいな雰囲気ですが、まだです。もう少し先になります。
では、また次回。