第三十五話 宣戦布告
9月14日 12時30分 URA本部3F 会見場。
会場には、日本各地から多くの報道関係者が集まっていた。テレビ局のカメラが何台も並び、新聞社や雑誌社の記者たちが席を埋めている。
普段の記者会見とは明らかに規模が違う。
それもそのはずだった。
今回の会見は、ほぼすべての地上波テレビ局で生中継されることになっている。また、インターネットでも同時配信が行われ、スマートフォンからその様子を見守る人々も少なくない。
しかし、会見の内容については、事前にほとんど明かされていなかった。
URAと中央トレセン学園が揃って会見を開く。それだけでも十分に注目を集める出来事だった。
学校の教室で。街頭の大型モニターの前で。自宅のリビングで。あるいは、仕事の手を止めてスマートフォンを手に取りながら。
多くの人々が、これから何が発表されるのかと画面を見つめていた。
やがて、会見場の扉が開く。
URA会長と、中央トレセン学園理事長のやよいが姿を現した。
二人が壇上へ向かうと、会場中の視線が一斉に集まる。テレビカメラがその姿を追い、無数のフラッシュが焚かれた。
二人は用意された席に着くと、正面に並ぶ報道関係者たちを見渡した。
「本日はお忙しい中、お集まりいただき、誠にありがとうございます。」
URA会長が一礼する。同時に、やよいも静かに頭を下げた。
「今回このような会見を開くことになったのは、あるウマ娘のトゥインクル・シリーズ参戦について、説明をさせていただくためです。」
その言葉に、記者たちがペンを手に取る。
ある一人のウマ娘。
いったい誰のことなのか。何について話すつもりなのか。
ここに集まった者たちの関心が、壇上へと向けられていく。
会長は一度言葉を切り、ゆっくりと話し始めた。
「かつてのレース界には、勝利に愛されたウマ娘がいました。」
その名を知らない者はいない。
数々の記録を打ち立て、幾多のレースで勝利を重ねた伝説のウマ娘。
ルベウスライト。
会長の口から彼女の名が出た途端、会場に小さなざわめきが広がった。
今なお語り継がれる、偉大な競技者。その名を、まさかこの場で聞くことになるとは思っていなかったのだろう。
「彼女は現役を退いた後、結婚し、やがて子を授かりました。」
ライトの子供。
伝説の血を受け継ぐ存在が、どのような走りを見せるのか。世間の関心は、当然のようにその子へと向けられた。
しかし、その期待は長く続かなかった。
子供は走ることに興味を示さず、レースの世界に身を置くつもりもない。
そう伝えられたことで、人々の関心は次第に薄れていったのだ。
会場では、何人かの記者が頷きながら話を聞いていた。
誰もが知っている話。だからこそ、大半の人々は察した。
『その子が、ついにターフに立つのだ』と。
そして同時に、疑問に思った。
『わざわざこのような会見を開く意味があるのか』と。
ルベウスロード。
その名を覚えている者は少なくても「ルベウス」の名を見れば、ライトの子供だと思い出す者は多いだろう。
それこそ出走ウマ娘の名簿を見れば、メディアは即座に食いつくに違いない。
会長は、そこで一度言葉を止めた。
「……ですが。」
先ほどまでの穏やかな声に、わずかな変化が生じる。
会場のざわめきが、少しずつ静まっていった。
「それは全て、虚偽の話です。」
その瞬間、会場の空気が一変した。
記者たちが顔を上げる。隣の者と顔を見合わせる者もいれば、そのまま動かない者もいた。
テレビカメラは壇上のやよいを映し続けている。各地で中継を見ていた人々も、画面から目を離せずにいた。
会長は、会場の反応を静かに受け止める。やよいもまた、改めて正面を見据えた。
先ほどまでとは全く違う緊張が漂っている。
「我々が真実を隠していた理由。それは――」
「そのウマ娘が、男として生まれてきたからです。」
その瞬間――日本から、声が消えた。
会場にいた記者たちは、誰一人として言葉を発しなかった。
手元のペンを止めたまま、壇上を見つめる者。
口を開きかけたまま、動きを止める者。
隣の記者と顔を見合わせ、何かを確かめようとする者。
誰もが、今聞いた言葉を理解しようとしていた。
テレビの前にいた人々も同じだった。
リビングで家族と画面を見ていた者も、街頭モニターの前で足を止めた者も、スマートフォンを片手に配信を見ていた者も。
その言葉を聞いた瞬間、反応を忘れてしまったかのように固まっていた。
“ウマ娘” はその名前からして、全員が女性として生まれる。男として生まれる確率は、間違いなくゼロ。
誰もがそう思っていた。
だからこそ、今の発表をすぐには受け入れられなかった。
しかし、壇上にいるのはURAのトップと中央トレセン学園のトップ。冗談で済ませられるような立場の人間ではない。
やがて、会場のあちこちから小さな声が漏れ始めた。
「……男?」
「ウマ娘なのに?」
「そんなこと、あり得るのか?」
静寂は、少しずつ困惑へと変わっていく。
そして、それはすぐに大きなざわめきへと変わろうとしていた。
困惑が広がり始める中、会長は静かに口を開いた。
「……皆さんがそうであるように、我々もこの事実を簡単に受け止めたわけではありません。」
ざわめきが少しずつ収まっていく。
「彼が生まれてから、我々は関係各所と協議を重ね、秘密裏に必要な検査を行ってきました。」
「しかし当時は前例のない事例であったこともあり、医学的にも競技的にも不可解な点が多く、彼の身体が今後どのように成長していくのか予測することが困難でした。」
やよいは一度言葉を切る。
「そのため、当時の我々は彼がレースに出走することを認めませんでした。」
会場の記者たちが、再び手元の資料に目を落とす。
「その後、彼の本格化の訪れに伴い、改めて身体の状態を確認することにしました。そこで、関係各所の協力のもと、必要な検査と調査を実施しました。」
「その結果、本格化を迎えた現在においても、彼の身体は非常に安定しており、競技生活を送るうえで重大な懸念は認められませんでした。」
「これらの結果を踏まえ、URAおよび中央トレセン学園は、彼がトゥインクル・シリーズに参戦することを認める決断に至りました。」
その言葉に、会場の空気が再び動き始めた。
記者たちの表情には、驚きや困惑、そして抑えきれない好奇心が浮かんでいる。
聞きたいことは山ほどあるだろう。
彼はどのような姿をしているのか。本当に男性なのか。どのような走りをするのか。そして、なぜ今になって公表することになったのか。
無数の疑問が、会場に渦巻いていた。
会長は隣に座るやよいへ一度視線を向ける。
やよいは小さく頷いた。
「それでは、そのウマ娘に登場してもらいます。」
会長がそう告げると、空気が再び張り詰めた。
会場の脇にある扉へ無数の視線が集まる。
そして――。
扉が開いた。
そこから姿を現したのは、紫のスラックスに薄紫のシャツ、胸元に紫のネクタイを身に纏ったウマ娘だった。
黒い髪に、同じく黒い尻尾。頭の上にはピンと立つウマ耳。赤銅色の瞳は、集まった報道関係者たちを静かに見渡している。
その姿を認めた瞬間、会場中のカメラが一斉に彼へと向けられた。
フラッシュが焚かれる。
一度や二度ではない。絶え間なく光が瞬き、会場の一角が白く染まるほどだった。
少年は無数のフラッシュにも臆することなく、真っ直ぐに壇上へと歩いていく。その表情に、目立った緊張はない。
彼こそが、伝説のウマ娘の子。
彼こそが、男のウマ娘。
彼こそが、ルベウスロードだった。
・・・・・
ロードは、URA会長とやよいの間に用意された席へと向かった。
会場中の視線を浴びながらも、彼は落ち着いた足取りで歩いていく。そして、二人の間に腰を下ろした。
ロードが座ったのを確認すると、今度はやよいがマイクを握った。
「ここからは私、秋川やよいが、彼自身についてお話ししたいと思います。」
やよいは隣に座るロードへと目を向ける。
「彼の名前はルベウスロード。現在、9月より中央トレセン学園に転入した中学二年生です。」
改めて名前を告げられ、会場の記者たちが一斉にペンを走らせる。
「そして、彼はトゥインクル・シリーズのデビューに向けて、トレーニングに励んでいます。」
やよいは正面へと視線を戻した。
「彼がどのような道を歩み、どのような走りを見せてくれるのか。それは、これから皆様に見ていただくことになるでしょう。」
そこで、やよいは少しだけ表情を和らげた。
「早速ですが、彼自身の言葉で、皆様に挨拶をしてもらいたいと思います。」
やよいはマイクの電源を切り、隣に座るロードへと顔を向けた。
「できるかい?」
「できます。」
即答だった。
ロードは静かに、しかし迷いなくマイクを手に取る。そして、電源を入れた。
そして、小さく息を吸い上げる。
「……皆さんが俺をどう見るかは、皆さんに任せます。」
ロードは、会場を見渡した。
「俺が男であることを、どう受け止めるかも自由です。理解できないと思う人がいても、それは仕方のないことだと思います。」
淡々とした口調だった。言い訳をするわけでも、理解を求めるわけでもない。
「俺は、一人のウマ娘としてレースを走ります。」
そこで一度、言葉を区切る。
「誰よりも速く走るために、誰よりも先にゴールを駆け抜けるために、中央トレセン学園に来ました。」
そして、最後に短く告げる。
「ルベウスロードです。よろしくお願いします。」
ロードは軽く頭を下げて、マイクの電源を切った。
会場に、短い沈黙が流れる。
「おお……。」
どこかから、感嘆の声が漏れる。
それにつられるように、何人かの記者も小さく息を吐いた。
まだ、彼の存在をどう受け止めればいいのか分からない者もいるだろう。
それでも、目の前に立つ少年の姿には、確かな意志が感じられた。
彼は何かを誇示するでもなく、誰かに認めてもらおうとするでもなく、ただ自分の言葉を伝えた。
まるで、これから走ることが当たり前であるかのように。
「ありがとう、ロード君。」
やよいは微笑みながら、彼の方へ目を向けた。
「今の挨拶を聞いて、皆様も彼がどのようなウマ娘なのか、少しお分かりいただけたのではないでしょうか。」
そう言って、会場を見渡す。
「彼は、自分の置かれた境遇を理由に走ることを諦めませんでした。そしてこれからも、それを理由に立ち止まることはありません。」
やよいは一度言葉を区切った。
「もちろん、彼の前にはまだ多くの課題があるでしょう。これから先、乗り越えなければならない壁も、一つや二つではないと思います。」
「それでも、彼は走ることを選びました。私たちはその選択を尊重し、彼が一人の競技者として成長できるよう、支えていきたいと考えています。」
やよいはそう締めくくると、会場を見渡した。
「それでは、質問のある方は挙手をお願いします。」
その言葉を受け、会場のあちこちで手が上がる。
当然のことだった。
話の中心にいるのは、男のウマ娘という前代未聞の存在。
トゥインクル・シリーズ参戦について。
これまでの歩みについて。
これからの道について。
聞きたいことは一つ二つでは収まらない。
やよいは挙手した記者たちを見渡し、一人を指名した。
「それでは、そちらの方。お願いします。」
指名された女性記者が立ち上がる。
「初めまして、『月刊トゥインクル』の乙名史と申します。」
乙名史は一度ロードの方へ笑みを向けてから、手元のメモに目を落とした。
「ルベウスロードさんにお聞きします。あなたが目標としている、憧れているウマ娘はいらっしゃいますか?」
最初の質問は、競技者としてのロード自身に向けられたものだった。
乙名史は続けて尋ねる。
「もしいらっしゃるのであれば、その理由も教えていただきたいです。」
その問いに、他の記者たちもほぼ同じウマ娘を思い浮かべていた。
彼の母親、ルベウスライト。
しかし、同時にこう考える者も少なくなかった。
――それはないだろう、と。
確かに、母である彼女を目標に掲げることは自然なことかもしれない。だが、彼女はあまりにも強すぎた。
彼女が残した記録も、数々のレースで見せた圧倒的な走りも、今なお多くの人々の記憶に刻まれている。
その背中を追いかけようとするウマ娘は、いないに等しい。憧れることはできても、目標にするにはあまりにも遠い。
それが、ルベウスライトというウマ娘だった。
「……超えると決めたウマ娘ならいます。」
ロードは少しだけ間を置いて答えた。
その言葉に、乙名史は興味を示すように身を乗り出す。
「“超えたい” ではなく “超える”! それはいったい?」
会場の記者たちも、彼の答えを待っていた。
ロードは迷うことなく、その名を口にした。
「ルベウスライトです。」
その瞬間――日本から、再び声が消えた。
会場にいた記者たちは、誰一人として言葉を発しなかった。テレビの前で見守っていた人々も、配信を見ていた人々も、同じように画面を見つめている。
あまりにも予想外の答えだった。
目標でも、憧れでもない。
あのルベウスライトを、超える。
間違いなく、そう言ったのだ。
「………。」
質問した乙名史も、ロードを見つめたまま固まっていた。
やがて、彼女の口から小さな声が漏れる。
「あ……。」
まるで、自分が何を尋ねたのか、今になって思い出したかのようだった。
手元のメモに目を落とす。
そして、もう一度ロードを見る。
そこにいる少年は、特別なことを言ったつもりなどないような顔で、静かに彼女の次の言葉を待っていた。
「ル、ルベウスライトさんを超えると決めた理由は、なんですか?」
乙名史は、まだ少し戸惑いを残した声で尋ねた。
「そこが、レース界の頂点だと思ったからです。」
ロードは間を置かずに答えた。
「やるからには一番上を目指したい。それだけです。」
あまりにも簡潔な答えだった。
そこに迷いも、気負いもない。
まるで、目指す場所を尋ねられたから、その場所を答えただけのようだった。
「それは――」
乙名史がさらに質問を重ねようとした、そのとき。
「すみません、次の質疑応答に移ります。」
やよいが穏やかな声で告げた。
乙名史は、まだ聞きたいことがあると言いたげに、少し歯切れの悪そうな表情を浮かべる。
しかし、すぐに気持ちを切り替えると、
「……ありがとうございました。」
そう言って、ロードに向けて丁寧に頭を下げた。
そして、メモをまとめるために席に座った。
そして、別の記者が手を挙げる。
「東都スポーツの田中です。これほど重大な事実であれば、もっと早い段階で公表することもできたはずです。なぜ、今まで伏せていたのでしょうか?」
その質問に、会長がマイクを手に取った。
「理由は大きく二つあります。一つは、社会的な混乱を避けるためです。」
会長は落ち着いた口調で続ける。
「当然のことではありますが、彼のような存在は前例がなく、十分な情報もありませんでした。そのような状況で公表すれば、本人だけでなく、社会全体にも大きな混乱を招く可能性がありました。」
「もう一つは、ご両親の意向です。彼らは何よりも子供の成長と生活を大切に考えていました。私たちもその意向を尊重し、これまで公表を控えてきたのです。」
会場の記者たちは、会長の説明に耳を傾けていた。
それからも、いくつかの質問が続いた。
ロードの身体的特徴について。今後の競技生活に問題はないのか。そして、彼と同じような存在が現れた場合、URAはどのように対応するのか。
それぞれの質問に対し、会長ややよいが答えていく。
ロード自身もいくつかの質問に答えたが、どれも落ち着いた受け答えだった。
会見は滞りなく進んでいるように見えた。
そんな中、一人の男が手を挙げた。
「……はい。そちらの方、お願いします。」
やよいが指名すると、男は席を立ち、マイクを受け取った。
「スポーツ紙の藤井です。」
その口から飛び出した関西弁に、会場の一部で小さなざわめきが起こった。
当の本人はそんな反応を気にする様子もなく、ロードの方へ視線を向ける。
「ルベウスロード君にお聞きしたいんですが。」
「キミがウマ娘ということを疑うつもりはありません。しかし、キミが男であることも事実です。」
一度言葉を切り、ロードの反応を確かめる。
「仮にレースで勝ったとしても、『男だから勝てた』と思う人がおるかもしれません。あるいは、そうした声がキミに向けられることもあるでしょう。」
藤井は真っ直ぐにロードを見つめた。
「そんな声について、キミの考えをお聞かせください」
ロードは、ほんのわずかに考えるような間を置いた。
しかし、答えに迷っている様子はない。
「先ほど話したように、俺をどう見るかは皆さんの自由です。」
落ち着いた声だった。
「俺は、俺の夢のために走るだけです。」
会場のあちこちで、ペンを走らせる音が聞こえる。
藤井はその答えを受け止めるように頷いたあと、さらに問いを重ねた。
「批判的な意見は無視する……ということですか?」
「個人の意見を制限する気は毛頭ありません。」
ロードは即座に答えた。
そこで一度、視線を会場全体へと向ける。
「俺は、そんな声に左右されるつもりはありません。俺がターフを走るのは、誰かに認めてもらうためではなく、自分の夢を叶えるためですから。」
それから、再び藤井へ視線を戻した。
藤井は、しばらくロードを見つめていた。
(……なるほど。)
批判を受け入れると言っているわけではない。まして、批判を恐れているわけでもない。
ただ、自分が走る理由と、他人が自分をどう評価するかを、きっぱりと分けている。
藤井は小さく息を吐き、マイクを握り直した。
「……自分がどう見られるかに関係なく、夢のために走る。その覚悟はよう分かりました。」
そうして今度は、URA会長とやよいへ視線を向けた。
「では今度は、会長さんと理事長さんにお伺いします。」
会場の空気が、わずかに変わった。
藤井は二人を見据えたまま、問いを投げかける。
「彼のトゥインクル・シリーズ参戦がもたらすレースの結果が、完全に公平なものだと言いきれますか?」
その言葉に、会場がざわめいた。
それは、誰もが気になっていたことだった。
記者たちも、画面の向こうの視聴者たちも、心のどこかで考えていた。
だが、それを質問として切り出す者はいなかった。
藤井が、その沈黙を破った。
「もしルベウスロード君が、身体的な優位性によって勝利を重ねることになったら、それはこれまで努力してきたウマ娘たちに対して、あまりにも不公平ではないでしょうか。」
藤井の質問が終わると、会場にわずかなざわめきが広がる。それまで静かに耳を傾けていた記者たちのほとんどが、賛同するかのように頷いた。
確かに、競技の公平性は重要な問題だ。ロードが男性として生まれたウマ娘である以上、その身体的な特徴がレースにどのような影響を及ぼすのか。疑問を抱くこと自体は不自然ではない。
それは会場にいる記者だけでなく、テレビやスマートフォンを通じて会見を見守っている人々にとっても同じだった。
壇上のやよいとURA会長は、一度視線を交わした。
やよいは静かに頷くと、会場の端にいたスタッフに視線を向ける。会長もそれを確認し、手元のマイクを持ち直した。
そして、会長がマイクを手に取る。
「ありがとうございます。その質問には、資料を用いてご説明させていただきます。」
会長がそう話すと、天井から大型スクリーンがゆっくりと降りてきた。それまで会場を照らしていた照明が落とされ、壇上とスクリーンだけが目立つようになる。
会場のカメラも、スクリーンを映し出すために向きを変えた。
先ほどのスタッフがパソコンを操作し、スクリーンに一枚の報告書が映し出された。
画面の中央には、大きな文字で題名が記されている。
『男のウマ娘の筋肉量比較』。
その下には、研究者の名前が添えられていた。
シュガーライツ。
見覚えのある名前だったのか、何人かの記者が手元の端末を確認し始める。
振り返ってスクリーンを見ていたロードも、わずかに目を見開いた。
「こちらは、ロード君のトレーニングの補佐を担ってくださいました、シュガーライツ博士の報告書です。」
会長の説明に合わせるように、画面は次のページへと切り替わる。
「比較対象は、被験者として応じてくれた中央トレセン学園に所属する中等部一、二、三年生のウマ娘、276名です。」
276名。
その具体的な数字に、会場の記者たちが小さく反応する。
学年ごとに分けられた人数や、調査項目の一覧を確認しようと、スクリーンを見つめる者もいた。
今度は、比較結果を示すグラフが映し出された。
ロードの数値と、比較対象となったウマ娘たちの数値。それぞれが並べられ、ひと目で違いを確認できるようになっている。
「報告によりますと、ロード君の筋肉量は同年代のウマ娘と比較しても大きな差が認められなかった、とのことです。」
会場に、ざわめきが起こった。
予想していなかった結果だったのだろう。スクリーンを見つめたまま、隣の記者と小声で言葉を交わす者もいる。
会長は、そうした反応を静かに受け止めながら話を続けた。
「持久力については、単純に性別だけで優劣を判断できるものではありません。心肺機能や筋持久力、走行効率など、複数の要素が関係しており、それらには個人差があります。」
「故に、今回は筋肉量に絞って比較を行っていただきました。」
その結果が示すものは、あくまでもロードの身体的特徴の一側面にすぎない。それでも、男性であるという理由だけで、他のウマ娘たちより大きな身体的優位性を持っていると決めつけることはできない。
会長はその点を踏まえたうえで、改めて会場を見渡した。
「我々は、彼が世にも珍しい “男のウマ娘” であるという理由だけで競技への参加を認めたわけではありません。反対に、“男のウマ娘” であるという理由だけで、その可能性を閉ざすべきでもないと考えています。」
会場は静まり返っていた。
先ほどまで聞こえていた小さなざわめきも収まり、記者たちは会長の言葉に耳を傾けている。
スクリーンに映し出された研究結果は、ロードの参戦を無条件に保証するものではない。しかし、彼がどのような身体的特徴を持ち、どのような調査を経て競技への参加を認められたのか。その一端を示すものではあった。
会長は最後に、もう一度だけスクリーンへと目を向ける。
「競技における公平性とは、すべてのウマ娘が同じ身体的特徴を持つことではありません。それぞれが異なる個性や能力を持つ中で、競技者として正当に競い合える環境を整えることだと、我々は考えています。」
そして、会長は最後にそう締めくくった。
会場には、しばらく沈黙が流れた。
それは、先ほどロードの正体が明かされたときのような、何も言葉が出てこない沈黙とは少し違っていた。
目の前に示された研究結果をどう受け止めるべきか。会長の説明をどう評価するべきか。
記者たちは、それぞれに考えを巡らせていた。
・・・・・
その後も、会見ではいくつかの質問が続いた。
今後の出走予定や所属チームについて。ロード本人に向けられた質問もあれば、URAや中央トレセン学園の今後の方針について尋ねるものもあった。
ロードはその一つひとつに、落ち着いた様子で答えていく。
時折、やよいや会長が補足を加えながら、会見は滞りなく進んでいった。
やがて、質問の数も少なくなり、会場にいる記者たちの手も徐々に下がっていく。
それを確認したやよいが、マイクを手に取った。
「それでは、以上をもちまして、本日の記者会見を終了させていただきます。」
そう言って、やよいたちが会釈をしようとした、その時だった。
「すみません。」
隣から聞こえた声に、やよいが顔を向ける。
ロードが、ゆっくりと立ち上がっていた。
「……ロード君?」
やよいだけでなく、会長も彼の方を見る。
会場の記者たちも、何事かと視線を壇上へ戻した。
ロードは手元のマイクを持ち直すと、正面を見据える。
「最後に、一つだけ話をさせてください。」
やよいは一瞬だけ驚いた表情を浮かべたが、すぐに小さく頷いた。
ロードは、会場に集まった記者たち……ではなく、テレビカメラを見る。
その向こうには、テレビやスマートフォンを通じて、この会見を見ている大勢のウマ娘がいる。
彼女たちに向けて、ロードは話し始めた。
「もう一度言います。俺は、必ずルベウスライトを超えます。」
その言葉に、会場の空気がわずかに変わる。
先ほどの質疑応答でも語られた目標。だが、今度の言葉には、先ほどとは違う響きがあった。
ロードは一度、息を吸う。
「これからデビューするウマ娘さん、俺と同学年のウマ娘さんは、全力で俺に勝ちに来てください。俺の道に立ち塞がってください。」
静かな会場に、彼の声がよく通る。
「走ることを諦めようとしているウマ娘さんたちも、俺に勝つために走ってください。」
「俺は、あなたたちよりも速く走って見せます。」
言葉を終えたロードは、マイクを下ろさずに立っていた。
それは、誰かを見下すような態度でも、相手を威圧するような振る舞いでもなかった。
ただ、真っ直ぐだった。
自分の目標を掲げ、その道を阻む者が現れることを望んでいる。そして、その相手を乗り越えることを疑っていない。
会場の記者たちは、すぐには言葉を発せなかった。
やがて、誰かが小さく息を呑む。
ロードの言葉は、会場にいる者たちだけに向けられたものではない。
日本中でこの会見を見ている、すべてのウマ娘たちに向けたものだった。
・・・・・
記者会見が終了し、ロードたちは会場に隣接する控室へと移動していた。先ほどまで大勢の報道関係者で埋め尽くされていた会場も、今では少しずつ静けさを取り戻している。
控室には、ロードとその両親、URA会長、そしてやよいが集まった。
会長は椅子に腰掛けると、ロードの方へ顔を向けた。
「それにしても、最後の宣言には驚かされたよ。」
「そうですか?」
「うん。まさか、あんな形で全国のウマ娘たちに呼びかけるとは思わなかった。」
会長は少し笑みを浮かべる。
「ライバルを増やして、良かったのかい?」
ロードは少しも迷うことなく答えた。
「ライバルがいるからいいんです。」
「そうだぞ、会長!」
隣で聞いていたやよいが、勢いよく言葉を挟んだ。
「ロード君の言う通りだ! 競い合う相手がいるからこそ、互いに高め合える! 強いライバルがいるというのは、決して悪いことではないからな!」
「そうだね。本当に強いウマ娘だよ、君は。」
会長は楽しそうに笑った。
そんな二人のやり取りを、ロードの両親も穏やかな表情で見守っていた。
やがて、ライトがロードへと視線を向ける。
「あなたの宣言、しっかりと耳に焼き付けたわ。」
その声には、母親としての優しさだけではない、どこか誇らしげな響きがあった。
「ルベウスロード。 あなたの走りを、この目で見届けさせてもらうわよ。」
ロードは母親の目を真っ直ぐに見つめる。
「最後まで、見ていて。」
その言葉を聞いたライトは、一瞬だけ目を見開いた。
そして、ゆっくりと笑みを浮かべる。
隣にいた父が、そんな彼女の様子を見て口を開いた。
「嬉しそうだな、ライト。」
「ふふ、当たり前よ。嬉しくて仕方がないわ。」
ライトは迷いなく答えた。
自分の息子が、自分の意志で走る道を選んだ。
そして今、その道の先にあるものを、自分の言葉で世界に宣言した。
母親として、これほど嬉しいことはなかった。
ロードはそんなライトを見て、ほんの少しだけ表情を和らげる。
まだ何も始まっていない。
これから出会うライバルも、立ちはだかる壁も、どれほど険しい道になるのかも分からない。
それでも今日この日、ロードは確かに一歩を踏み出した。
そんな中、URA会長がふと表情を引き締めた。
「ウマ娘の反応はそれぞれだろうが、メディアは君に注目するだろう。」
ロードは会長の方へ視線を向ける。
「期待の眼差しがあれば、疑念の眼差しもある。」
会長は静かに言葉を続けた。
「君の存在を歓迎する者ばかりではないだろう。今日の会見で示した研究結果を受け入れられない者もいるかもしれない。これから先、君の走りだけでなく、君自身の存在を問われることもあるはずだ。」
それは、脅すための言葉ではなかった。
これからロードが歩む道の険しさを知っているからこその忠告だった。
「君は、それに立ち向かえるかい?」
ロードは少しだけ目を伏せた。
そして、すぐに会長を見返す。
「その回答はすでにしましたよ、会長さん。」
会長の表情がわずかに和らぐ。
「俺が走るのは、認められるためではありません。自分の夢を叶えるために走ります。」
ロードの声に迷いはなかった。
誰かに認めてもらうために走るのではない。
誰かの疑念を晴らすために走るのでもない。
ただ、自分が目指す場所へ辿り着くために走る。
その気持ちは、今日の会見で何を語ったとしても変わらない。
「……ああ、そうだったね。」
会長は小さく笑った。
目の前にいる少年は、誰かに背中を押されなければ進めないようなウマ娘ではない。
自分で考え、自分で選び、自分の足で歩いていく。
だからこそ、彼の選択を尊重しようと思ったのだ。
ライトもまた、息子の横顔を見つめていた。
その表情には、心配がないわけではない。それでも、彼が自分の意志で進もうとしていることを、誰よりも誇らしく思っていた。
・・・・・
記者会見が終わり、報道関係者たちがそれぞれ帰路につき始めた頃。
一人の記者が、会場から少し離れた駐車場に停めていた車へと乗り込んだ。
後部座席に鞄を置き、運転席に腰を下ろす。
エンジンをかける前に、スマートフォンを取り出した。
画面には、編集長からの着信通知が表示されている。
記者はそのまま電話をかけ直した。
『終わったか?』
「はい。今、会場を出たところです。」
『それで、直接見てどうだった?』
電話の向こうから、落ち着いた声が聞こえてくる。
記者はフロントガラス越しに、会場の建物を見つめた。
先ほどまで目の前にいた少年の姿が、頭の中に浮かぶ。
会見の冒頭、全国から集まった報道陣の視線を浴びても臆することなく壇上へ歩いてきた少年。
自分の母親を超えると、迷いなく言い切った少年。
そして、他のウマ娘たちに向けて、全力で自分に勝ちに来てほしいと呼びかけた少年。
記者は小さく息を吐いた。
「……おもろい子がおったもんですわ。」
『ほう?』
「いやほんまに。あんなウマ娘、今まで見たことありません。」
記者の口元に、自然と笑みが浮かぶ。
最初は、ただ珍しい存在として注目していた。
男性として生まれたウマ娘。伝説のウマ娘の息子。世間を騒がせるには十分すぎる話題だった。
けれど、実際に会ってみれば、そんな肩書きだけでは語れない少年だった。
自分の言葉を持ち、自分の目標を持ち、何よりもレースそのものを楽しみにしている。
そして、他のウマ娘たちと本気で競い合うことを望んでいた。
『それで、記事にはできそうか?』
「もちろんです。」
『なら、期待してるぞ。』
「……編集長。」
『ん?』
記者は一度、窓の外へ視線を向けた。
それから、少しだけ声の調子を変えて尋ねる。
「ルベウスロード君を、追いかけさせてもらってもいいですか?」
電話の向こうで、わずかな沈黙が流れた。
『ようやく、次の目標が見つかったのか。』
「……そうみたいですわ。」
記者はハンドルに手を置く。
そして、最後にこう付け加えた。
「それに……あんな宣戦布告を聞かされて、追いかけんわけにはいかんでしょう?」
『……分かった。好きにやってみろ。』
「ありがとうございます。」
通話が終わる。
記者はスマートフォンを助手席に置き、エンジンをかけた。
窓の外には、夕暮れの空が広がっている。
今日、新たなウマ娘が世間に姿を現した。
そして、この記者もまた、新たな追いかけるべき存在を見つけたのだった。
――ルベウスロード。
彼の走る道の先には、いったい何が待っているのだろうか。
記者は、これから始まる物語に胸を躍らせながら、車を走らせた。
つづく
ゲーム版ウマ娘より乙名史悦子記者、漫画「ウマ娘シンデレラグレイ」より藤井泉助記者が参戦です。藤井さんは全く考えていなかったのですが、読者さんからの要望で登場させました。
オグリキャップたちの時代が終わり、次なるウマ娘を探していた藤井記者……みたいな感じ。乙名史さんはいつも通りです。
僕のシンデレラグレイの知識は「中央を無礼るなよ(ウララちゃんは別だ)」程度ですので、解釈違い起こしてたらマジで申し訳ないです。もし違ってたらすぐに教えてください。
では、また次回。