ウマ娘 Lost Road   作:ツカッチ

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トレーナーのみなさん、こんにちは。

やよいの提案を受け、ロードの返答は……?


第四話 風が吹いた日

「――以上が、我々から君へ返したい選択肢だ。」

 

 静かなリビングへ、やよいの声が響く。

 

 やよいが提示した、二つの道。

 今まで通り学校へ通いながら、放課後や休日にトレセン学園で走る。その中で、改めてロードの身体機能や適性を確認していく。

 

 その結果によっては、トゥインクル・シリーズへ進む道が開く可能性がある。

 

 そのロードの指先が、僅かに動いた。

 やよいの言葉に嘘はない。

 

 だが同時に、安易な希望だけを見せているわけでもなかった。

 

「もちろん、無理に答えを急がせるつもりはない。」

 

「これらの提案を受けるかどうかは、君自身が決めることだ。」

 

 静かな沈黙が落ちる。ロードはゆっくり視線を落とした。

 

 正直、提案そのものに不満はなかった。たとえトゥインクル・シリーズへ届かなかったとしても、“走る場所”だけは残る。

 

 夢を追った先に、何も残らないわけではない。それはきっと、自分が思っていたよりずっと救いのある未来だった。

 

「………。」

 

 ロードの指先が、僅かに動く。

 

 受け入れるべきなのかもしれない。

 

 そう思った、その時だった。

 

 

 

『最悪――二度と走れなくなる。』

 

 

 

 脳裏へ、不意にあの日の言葉が蘇る。

 河川敷で出会った、真正面から自分の走りを見抜いた、あのトレーナー。

 

 ロードの表情が、僅かに陰った。

 

「……理事長さん。」

 

 静かな声だった。

 

 やよいが「うむ」と頷く。

 

「俺のこと、“あるトレーナーから聞いた”って言ってましたよね。」

 

「その通りだ。」

 

「……俺の“走り方”について、何か聞いてますか。」

 

 その瞬間。ライトの肩が、ぴくりと揺れた。

 

 ロードが自分から“走り方”について触れたことなど、今までほとんどなかったからだ。

 

 やよいは誤魔化さなかった。

 

「……危険な走り方だったと聞いている。」

 

 静かに、真っ直ぐ答える。

 

「どのような走法なのかまでは詳しく聞いていない。だが、このまま続ければ、いずれ脚を壊す可能性が高いと。」

 

「………。」

 

 その言葉を聞いた瞬間。

 ロードの目が、すぅ……と細くなる。

 

 それは怒りではない。だが、どこか冷めたような――静かな諦めに近い表情だった。

 

 やはり、そこへ辿り着くのか。そんな声にならない感情が、その瞳には滲んでいた。

 

 やがて、ロードは目を伏せる。

 河川敷で走る時、自分はいつだって限界の先だけを見ていた。いつか脚が壊れるかもしれないことなど、最初から分かっていた。

 それでも、“全てを賭けて走る瞬間”だけが、自分を解放してくれたのだ。

 

 だが、もしトレセン学園へ行けば。

 

 もし誰かに教わることになれば。

 

 きっとその走りは、“危険だから”と止められる。

 

 否定される。

 

 直される。

 

 そして――。

 

 やがて、ロードはゆっくりと顔を上げる。

 

「……すみません。」

 

 その声は、どこまでも静かだった。

 

「少し、考えさせてください。」

 

 その言葉が落ちた瞬間。

 ライトは、ロードが何を言っているのか分からなかった。

 

「……ロード?」

 

 戸惑いの滲む声だった。

 

 提案に不満があるようには見えなかった。むしろ先ほどまでのロードは、確かに心を動かされていたはずなのだ。

 

 トゥインクル・シリーズへの可能性。

 たとえ届かなかったとしても、走る場所だけは失わない未来。

 

 それはきっと、ずっとロードが欲しかったもののはずだった。

 

 なのに、なぜ。

 

 どうしてここで立ち止まるのか。

 

「………。」

 

 ロードは答えない。

 ただ静かに視線を落としたまま、自分の手元を見つめている。

 

 その横顔には迷いがあった。

 

 だがそれは、“夢を追うかどうか”を悩んでいるようには見えなかった。

 

 もっと別の何か。

 

 もっと深いところで、立ち止まっているような――そんな雰囲気があった。

 

 対して、やよいとたづなはただ静かにロードを見つめている。

 

 第一印象は、感情を押し殺したように大人しい少年。だが、その静けさの奥には、“走り”への異様なまでの執着が沈んでいた。

 

 限界の先へ届こうとする、純粋な渇望。

 

 やよいはそこに、強烈な資質を感じ取っていた。

 

 そしてたづなは、その輝きがいつか彼自身を壊してしまうのではないかと、微かな危うさを覚えていた。

 

 

 

・・・・・

 

 

 

「今日は、話を聞いてくれてありがとう。」

 

 玄関先で、やよいは真っ直ぐロードを見上げながらそう言った。

 

 太陽は沈み始めており、涼しい静かに吹き抜けている。

 

 ロードはそんなやよいを見つめ返し――やがて、小さく目を伏せた。

 

「……いえ。」

 

 短い返事だった。

 

 まだ迷いは消えていない。

 それでも、先ほどのような拒絶の色は薄れていた。

 

 やよいはそんなロードの様子を静かに見つめ、それから穏やかに口を開く。

 

「答えを急ぐ必要はない。これは、君が自分で決めることだ。」

 

 その言葉に、ロードは小さく頷いた。

 

「……はい。」

 

 やよいは満足そうに「うむ」と頷く。

 

 そして最後に、真っ直ぐロードを見据えた。

 

「私たちは、君の味方だ。」

 

 一拍置いて、静かに続ける。

 

「どうか、それだけは忘れないでくれ。」

 

「………。」

 

 ロードは何も答えなかった。だが、その言葉を振り払うこともできず、ただ静かにやよいたちを見送る。

 

 やがて二人は車へ乗り込み、静かに発進する。

 テールランプの赤い光が、ゆっくりと道の向こうへ消えていった。

 

 しばらくして。

 

 静かに走る車内で、たづなが小さく息を吐いた。

 

「……不思議な子ですね。」

 

 運転席へ座るやよいが視線だけを向ける。

 

 たづなは窓の外を見つめながら、静かに続けた。

 

「ロード君は、“普通のウマ娘のように走りたい”と言っていました。」

 

「ですが同時に、“普通では満足できない”ようにも見えました。」

 

「………。」

 

 やよいは何も言わない。

 

 たづなは、ロードのあの瞳を思い出していた。

 

 静かで、落ち着いていて。

 だがその奥には、常人では抱えきれないほど強い“走り”への執着が沈んでいた。

 

「あの子にとって、“走る”ことは……きっと、生きることそのものなんでしょうね。」

 

 だからこそ。

 

 限界を超えようとする。

 

 壊れることすら厭わず、前へ進もうとする。

 

「“普通”を望んでいるのに、“普通”では止まれない……か。」

 

 やよいがぽつりと呟く。

 

 その声音に否定はなかった。

 

 むしろどこか、納得したような響きすらある。

 

「……あのままでは、いずれ自分を壊してしまいます。」

 

 たづなの声には、微かな不安が滲んでいた。

 

 だがやよいは静かに腕を組み、夜道を見据えたまま口を開く。

 

「だが、あの渇望を“間違い”だとは、私は言いたくない。」

 

「………。」

 

「限界の先を求める気持ちそのものは、決して悪ではない。」

 

 やよいは静かに目を細める。

 

「問題は、それしか知らないことだ。」

 

 その言葉に、たづなは小さく目を見開いた。

 

「だからこそ、必要なのだろう。」

 

 やよいは静かに続ける。

 

「彼を“止める”のではなく、“支える”者が。」

 

 

 

・・・・・

 

 

 

 やよいたちを見送った後。

 ルベウス家のリビングには、静かな空気だけが残されていた。

 

 時計の針が時を刻む音だけが、小さく響いている。

 

「……ロード。」

 

 やがて、ライトが静かに口を開いた。向かい側へ座るロードは、小さく「なに」と返す。

 

「どうして……迷っているの?」

 

 その問いに、ロードは少しだけ視線を伏せた。

 

「理事長たちの話、嫌だったわけじゃないんでしょう?」

 

「………。」

 

「走る場所もあって、可能性もあって……。」

 

 ライトは言葉を選ぶように続ける。

 

「なのに、どうして……。」

 

 ロードはしばらく黙っていた。

 

 静かな沈黙。

 

 やがて、小さく息を吐く。

 

「……俺の走り、多分止められるから。」

 

「え……?」

 

 ライトが目を瞬かせる。

 ロードは視線を落としたまま、ぽつりと続けた。

 

「さっき言ってたでしょ。“危険な走り方だ”って。」

 

「それは……。」

 

「多分……トレーナーがついたら、直される。」

 

 その声に怒りはない。

 ただ、静かな確信だけがあった。

 

「“そんな走り方じゃ壊れる”って。」

 

「ロード……。」

 

 ライトは言葉を失う。

 

 ロードは静かに、自分の手のひらを見た。

 

 河川敷で走っている時だけだった。限界とか悩みなんてどうでもよくなるくらい、ただ前だけを見て走れた。

 

「……どうして、そこまでその走り方に拘るの?」

 

 ライトの問いは、責めるものではなかった。

 

 純粋に知りたかったのだ。どうしてそこまで、“壊れるかもしれない走り”へ執着するのかを。

 

 ロードは少しだけ黙り込む。

 

 やがて。

 

「……自分を、解放できるから。」

 

 静かな声だった。

 

「……っ。」

 

 ライトの息が詰まる。

 

 ロードは続ける。

 

「走ってる時だけは、全部どうでもよくなるんだ。」

 

「周りとか、将来とか……そういうの。」

 

 淡々とした口調だった。

 けれどその言葉は、ライトの胸へ重く突き刺さる。

 

「ただ、前に行きたいって思える。だから……」

 

 ロードは小さく目を伏せた。

 

「その走りじゃないと、駄目なんだ。」

 

「でも、それじゃあなたは――」

 

 ライトは思わず言葉を零しかける。

 

 壊れてしまう。

 

 そう続けようとして――止まった。

 

 ロードは静かに立ち上がる。

 

「……母さんの気持ちは、よく分かるよ。俺だって、母さんの悲しむところはもう見たくない。」

 

「でも……ごめん。」

 

 その声は、どこまでも静かだった。

 

「これだけは、譲れない。」

 

 ライトが息を呑む。

 

 それは、ロードが初めて見せた“拒絶”。

 

 否――。

 

 初めて、自分の意思を貫こうとした瞬間だった。

 

 ロードはそのまま背を向け、静かにリビングを後にしようとする。引き止めようとして、ライトは反射的に右手を伸ばした。

 

「ロード、お母さんは――」

 

 だが。

 

 その先の言葉は、出てこなかった。

 

 ロードはリビングを出て、階段を上っていく。

 

 伸ばされた右腕だけが、宙に取り残される。行き先を見失ったまま、ただ静かに震えていた。

 

 

 

 それから数日。

 

 ロードの日常は、ほとんど変わっていなかった。

 

 いつも通り学校へ行き。

 

 授業を受け。

 

 友人と言葉を交わし。

 

 そして時には、いつもの河川敷を走る。

 

 だが――。

 

「……ロード、聞いてる?」

 

「ん。」

 

 教室の窓際。

 頬杖をついて外を眺めていたロードは、友人の声でようやく視線を戻した。

 

「いや、絶対聞いてなかっただろ。」

 

「……そうかも。」

 

 小さく返したその声に、友人は苦笑する。

 

「なんか、ぼーっとしてること増えたよな。」

 

「考え事?」

 

「別に。」

 

 ロードはそう答えた。

 だが、否定した直後に、自分でもそれが誤魔化しだと気づいてしまう。

 

 頭の中から、やよいたちの言葉が離れないのだ。

 

 “走る場所は保証する”。

 

 “トゥインクル・シリーズへの道”。

 

 そして――。

 

 あのトレーナーの声。

 

「………。」

 

 ロードは小さく目を伏せる。

 気づけば、以前より“考える時間”が増えていた。

 

 どう走るか。

 

 どう在りたいか。

 

 自分は、本当はどうしたいのか。

 

 そんなもの、今まで考える必要などなかったはずなのに。

 

 ――ある日の放課後。ロードはいつものように河川敷へ足を運んでいた。

 

 夕暮れの土手道。

 

 吹き抜ける風。

 

 見慣れた景色。

 

 ここだけは、何も変わっていない。

 

「………。」

 

 ロードは小さく息を吐き、地面を蹴った。

 

 加速。

 

 風が頬を打つ。

 

 もっと前へ。

 

 もっと速く。

 

 いつものように、限界まで――。

 

「……っ。」

 

 だが。

 

 思ったほど、速度が乗らない。

 

 脚が重いわけではない。

 身体の調子も悪くない。

 それなのに、どこかで踏み込みきれなかった。

 

「なんだよ……。」

 

 ロードは僅かに眉を寄せる。

 

 もう一度強く地面を蹴る。

 

 だがやはり、以前のような“突き抜ける感覚”が来ない。

 

 無意識のうちに、身体がどこかで力を逃がしていた。

 

 まるで――。

 

 自分自身の脚を、守ろうとしているかのように。

 

「………。」

 

 ロードはゆっくりと速度を落とした。

 

 呼吸は乱れていない。

 

 まだ走れる。

 

 だが、前のように“壊れることすら構わない”と思い切れなかった。

 

「……っ。」

 

 ロードは小さく奥歯を噛む。

 

 考えたくなんてなかった。

 

 今まで通り、全部を振り切って走れればよかったのに。

 

 けれど、一度生まれてしまったものは、もう消えてくれない。

 

 ――まだ、走れるかもしれない。

 

 その可能性だけが、静かに胸の奥へ残り続けていた。

 

「………。」

 

 ロードはゆっくり視線を落とす。

 

 その時だった。

 

 

「……ルベウスロードさん、ですよね。」

 

 

 不意に、背後から声をかけられる。ロードは反射的に振り返った。

 

 そこに立っていたのは、ウマ娘だった。長い黒髪を揺らしながら、彼女はどこか気まずそうにこちらを見ている。

 

「……あ。」

 

 ロードは小さく目を瞬かせた。彼女は、前に会ったことがある。

 

 

『走りたくても、走れないウマ娘だっているんですよ!』

 

 

 あの時、真っ直ぐに怒鳴ってきたウマ娘だった。

 

「この前は、その……。」

 

 黒髪のウマ娘は困ったように眉を下げる。そして――

 

「すみませんでした!」

 

 勢いよく頭を下げた。

 

「え。」

 

 ロードが思わず声を漏らす。

 彼女はそのまま慌てた様子で言葉を続けた。

 

「私、ロードさんのこと何も知らなかったのに、勝手なこと言っちゃって……!」

 

「その……後からすっごく反省して……!」

 

「………。」

 

 ロードはしばらく黙ったまま、頭を下げ続ける彼女を見つめていた。

 

 以前会った時と同じく、やたら感情表現が真っ直ぐなウマ娘だと思う。ただ、前のような勢いだけではない。

 

 今はちゃんと、“申し訳ない”と思っているのが伝わってきた。

 

「……別に、気にしてない。」

 

 やがて、ロードは静かにそう返す。

 黒髪のウマ娘が、おそるおそる顔を上げた。

 

「ほ、本当ですか?」

 

「あの時の俺の言い方に怒るのは……現役のウマ娘なら、当然だと思う。」

 

 そう話すロードに、彼女はほっとしたように胸を撫で下ろす。その反応があまりにも素直で、ロードは思わず少しだけ目を細めた。

 

「話はそれだけ?」

 

「え。」

 

 ロードはそう言いながら、再び土手の道へ視線を向けた。

 

 頭の中には、まだ色々な考えが渦巻いている。正直、今は誰かに構っている余裕などなかった。

 

 だが。

 

「ま、待ってください!」

 

 黒髪のウマ娘はロードを引き止める。彼女はどこか言いづらそうに視線を泳がせていた。

 

「今のルベウスさんの走り……なんだか、迷ってるみたいに見えたんです。」

 

 その言葉に、ロードは小さく目を伏せる。

 

 図星だった。

 

 だからこそ、返す言葉が出てこない。

 

「……別に。」

 

 やがて、短くそう返す。だが、その声に以前ほどの覇気はない。

 

 黒髪のウマ娘は、一歩、ロードに歩み寄った。

 

「何か……悩み事があるんですか?」

 

「……君に話したところで、答えが見つかるとは思えない。」

 

 静かな声だった。

 

 突き放すようにも聞こえる言葉。だが、そこに怒気はない。

 むしろ、“これ以上踏み込まないでくれ”と壁を作るような響きだった。

 

 それでも、黒髪のウマ娘は引かなかった。

 

「それでも、放っておけません。」

 

「………。」

 

「前に会った時のルベウスさん、もっと……こう、真っ直ぐ走ってたから。」

 

 ロードは何も答えない。

 だが、その言葉は確かに胸へ引っかかっていた。

 

 しばらく沈黙が落ちる。

 

 やがてロードは頭に手を当て、深いため息を吐いた。

 

「……君、名前は。」

 

「えっ。」

 

 刹那、黒髪のウマ娘が目を瞬かせる。

 

「キタサンブラックです!」

 

 ぱっと表情を明るくした。

 

「キタサンって呼んでください!」

 

「そうか。」

 

 ロードは小さく頷く。

 

「俺のことはロードでいい。」

 

 一瞬。

 

 キタサンの動きが止まった。

 

「えっ、下の名前……?」

 

「ルベウスと呼ばれるのは……あまり慣れてない。」

 

 静かな声だった。

 

 キタサンは、その言葉の奥にある何かを一瞬だけ感じ取る。

 

 だが――。

 

「じゃあ、ロードさんで!」

 

 嬉しそうに言い直した。

 

「………。」

 

 ロードは思わず小さく目を瞬かせる。

 さっきまであんなに気まずそうにしていたのに、切り替えが妙に早い。

 

 けれど、不思議と悪い気はしなかった。

 

 

 

 

 夕暮れの河川敷。

 オレンジ色に染まった空の下、ロードとキタサンは芝生の上へ並んで座っていた。

 

 吹き抜ける風が、草を静かに揺らしていく。

 

「……理事長さんたちと直接話して、トレセン学園で走らないかって言われたんだ。」

 

 ぽつりと、ロードが口を開いた。

 

 キタサンは驚いたように目を瞬かせる。

 

「えっ。」

 

「放課後とか休日に、トレセンの施設を使っていいって。」

 

 ロードは視線を前へ向けたまま、淡々と言葉を続ける。

 

「その中で身体機能を測定して、結果次第では……トゥインクル・シリーズを走れるかもしれないってさ。」

 

「それって……!」

 

 キタサンの耳がぴんっと立つ。

 

「すごい話じゃないですか!」

 

「……そうでもない。」

 

 ロードは小さく呟いた。

 その反応に、キタサンは僅かに表情を曇らせる。

 

「俺の走り方は危ないって認識されてるから、あの日みたいに、トレーナーたちに止められる。」

 

 その声音は静かだった。

 

 怒っているわけでもない。

 

 ただ、“そうなる”と理解しているような声だった。

 

「……ロードさんは、自分の走り方が危ないって分かってるんですよね?」

 

「分かってる。」

 

 ロードは即答した。

 

「無理をし過ぎていることも、脚を壊すかもしれないことも……全部分かってやっていた。早く壊れてくれれば、夢を見ることもないから。」

 

「でも……それだけじゃないんだ。」

 

 キタサンは黙ってロードの横顔を見る。

 

 ロードは少し目を伏せた。

 

「全部を出し切らないと、走った気がしない。満足できない。」

 

 ロードは静かに拳を握る。

 

「“ウマ娘としてのルベウスロード”を解放できるのは、あの走り方しかないんだ。」

 

 キタサンはしばらく何も言わなかった。ただ静かに、ロードの言葉を聞いている。

 

 否定も、同情もせずに。

 

 やがて、キタサンが小さく口を開いた。

 

「全部を変える必要って、ないんじゃないですか?」

 

 その言葉に、ロードが目を瞬かせる。

 キタサンは前を向いたまま、どこか当然のように続けた。

 

「ロードさんの走りって、ロードさん自身なんですよね?」

 

「だったら、それを全部捨てる必要なんてないと思います。」

 

 夕風が、二人の髪を揺らしていく。

 

「もちろん危ないなら、考えなきゃいけないことはあると思います。」

 

「でも、“だから走っちゃ駄目”にはならないじゃないですか。」

 

 ロードは何も言えなかった。

 

 そんな風に言われたのは、初めてだった。

 

 彼女は、“走ること”そのものを否定しなかった。

 

「走る場所があるなら、たくさん挑戦してみたらいいと思います。」

 

 キタサンはそう言って、真っ直ぐロードへ笑いかけた。

 

「上手くいかなかったら、その時また考えればいいんです。」

 

 そして――。

 

「ロードさん。まずは、やってみましょう!」

 

 その瞬間。

 

 河川敷を、強い風が吹き抜けた。

 

 芝生が揺れ、二人の髪をさらっていく。

 

「………。」

 

 ロードは小さく目を見開いた。

 

 風の音だけが、静かに耳へ残る。

 

 脳裏を過ったのは、これまでの自分だった。

 

 夢を見る前に諦めて。

 

 傷つく前に終わらせて。

 

 期待してしまわないように、“無理だ”と言い聞かせ続けてきた。

 

 壊れてしまえばいいとさえ、思っていた。

 

 そうすれば、もう夢を見なくて済むから。

 

 けれど――。

 

 

『まずは、やってみましょう!』

 

 

 その言葉が、胸の奥へ静かに落ちていく。

 

 難しく考えすぎていたのかもしれない。

 

 全部を決めてからでなければ、前へ進んではいけないと思っていた。

 

 だが、本当は。

 

 走れる場所があるのなら。

 

 挑戦できる道があるのなら。

 

 まずは、一歩踏み出してみればよかったのだ。

 

「………。」

 

 ロードは静かに空を見上げた。

 

 夕焼けの空は、どこまでも広かった。

 

 やがて。

 

 ロードは小さく息を吐き――ほんの少しだけ、笑った。

 

 それはまるで、長い間纏わりついていた何かが、静かに剥がれ落ちたような笑みだった。

 

「……もう、諦めてばかりの俺ではいられないな。」

 

「……え?」

 

 キタサンが目を瞬かせる。

 

 ロードはそんな彼女を見つめ、小さく口元を緩めたまま続けた。

 

「……キタサンがそう言うなら、やってみてもいいかもしれない。」

 

 静かな声だった。

 

 けれどそこには、先ほどまでの迷いとは違う色が確かに宿っていた。

 

「……!」

 

 キタサンは思わず目を見開く。

 

 ロードが、笑った。

 

 キタサンは一度もロードの笑顔を見たことがないそれどころか、彼がどのように感情を表へ出すのかさえよく知らない。

 

 だからこそ。

 今、目の前で見せたその笑みが――どこまでも爽やかなものだったことだけは、はっきりと分かった。

 

「……っ。」

 

 キタサンの耳がぴくりと揺れる。

 

「はわ……。」

 

「?」

 

「あっ、い、いや何でもないです!」

 

 キタサンは慌てたようにぶんぶんと首を振る。

 

 そんな彼女を見て、ロードは少しだけ不思議そうに目を瞬かせた。

 

 だが、その表情もどこか柔らかい。

 

「……ありがとう。」

 

 やがて、ロードが静かに口を開いた。

 

「君に話してなかったら、多分……まだ同じところで止まってた。」

 

 ロードは小さく空を見上げる。

 

 夕焼けの空は、もう少しで夜へ変わろうとしていた。

 

「……だから、とても感謝してる。」

 

 キタサンはぽかんとしたまま、しばらく固まっていた。

 

 やがて。

 

「~~っ!」

 

 ぱぁっと顔を明るくする。

 

「えへへっ、どういたしましてです!」

 

 その笑顔は、まるで自分のことのように嬉しそうだった。ロードはそんな彼女を見ながら、ほんの少しだけ目を細める。

 

 しばらくして、二人は並んで芝生から立ち上がった。

 

「それじゃあ、次はトレセン学園で会いましょうね!」

 

「……あぁ。」

 

 ロードは静かに頷く。

 その返事に、キタサンは嬉しそうに耳を揺らした。

 

 そして別れ際。

 

「あ、そうだ!」

 

 キタサンが何かを思い出したように振り返る。

 

「ずっと気になってたんですけど、ロードさんって何歳なんですか?」

 

「14。」

 

「14歳! あたしと一緒ですね! ……えっ?」

 

 そこまで言ってから、キタサンの動きがぴたりと止まった。

 

「ってことは、中学2年生……!?」

 

「うん。」

 

 キタサンは思わずロードを見つめ直す。

 

「もっと年上かと思ってました……。」

 

「……よく言われる。」

 

 ロードは小さく肩を竦めた。

 

 その仕草はどこか年相応で、キタサンはまた少しだけ目を丸くする。

 

 さっきまで見えていた“大人びた誰か”ではない。今はちゃんと、自分と同じ年頃の少年に見えた。

 

「えへへ……なんだか、ちょっと嬉しいです。」

 

「なにが?」

 

「同い年だったことです!」

 

 キタサンはそう言って、満面の笑みを浮かべた。

 その笑顔につられるように、ロードもほんの少しだけ口元を緩める。

 

「じゃあ、またね! ロードくん!」

 

 夕焼けの河川敷へ、キタサンの明るい声が響く。

 

 そして彼女は、軽やかな足取りで駆け出していった。

 

 ロードはその背中を、しばらく静かに見つめている。

 

 吹き抜ける風は、もう冷たくない。

 

「……また、ね。」

 

 小さく零れたその声は、以前よりほんの少しだけ前を向いているようだった。

 

 キタサンの背中が、夕暮れの向こうへ小さくなっていく。ロードはしばらくその場に立ち尽くしていた。

 

 河川敷を吹き抜ける風は、どこか心地良い。

 

 ロードは小さく息を吐く。

 不安が消えたわけじゃない。自分の走りがどうなるのかも、まだ分からない。

 

 それでも――。

 

「……やってみるか。」

 

 小さく呟き、ロードは地面を蹴る。

 

 風が頬を抜け、景色が後ろへ流れていく。けれど、その感覚は以前とはどこか違っていた。

 

 “壊れるため”ではなく――“走るため”に。

 

 ロードは今、前へ進んでいる。

 

 その向かう先は、もう決まっていた。

 

 

 つづく




これで序章が終わったあたりですかね。
次回からはロードの挑戦が始まります。
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 ブエナビスタの幼馴染トレーナー概念が公式になったので幼馴染トレーナーの二次創作が100万ぐらい出ると思っていたのに全然でないので自分で書きます。▼ ダイワスカーレットとその幼馴染のトレーナーのお話。▼ 八幡悠(https://syosetu.org/user/330079/)さんからもらったアイデアをもとに勢い任せで書きました。▼ 幼馴染は緋色の女王様(h…


総合評価:1899/評価:8.14/完結:46話/更新日時:2026年03月24日(火) 06:00 小説情報


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