ウマ娘 ロストロード   作:ツカッチ

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トレーナーのみなさん、こんにちは。

新章開幕の前日譚です。


第五話 Rubedo

「ここが、トレセン学園……。」

 

 車から降りたロードは、目の前の校舎を見上げ、小さく呟いた。

 

 毎日通う学校とは比べ物にならないほど広い敷地。

 

 少し離れた場所に見えるトレーニング場。

 

 そして、そこから聞こえてくる歓声……。

 

 今までテレビの向こう側でしか知らなかった景色が、そこには確かに広がっていた。

 

 そんな彼を見て、ライトはくすっと笑う。

 

「校舎の背中側だけどね。」

 

「……いいんだよ、別に。」

 

 ロードは「大事なのはそこじゃない」と言いた気に、ライトを見た。しかし母の言う通り、正面から見た時に言うセリフだったと若干後悔した。

 

 と、その時。

 

「ロード君! ライトさん!」

 

 来賓用玄関口の前で大きく手を振る影。緑色のスーツに身を包んだ、駿川たづなだった。

 

 いつもの穏やかな笑み。だがその表情は、どこか楽しそうにも見える。

 

「こんにちは、たづなさん。」

 

 ライトが軽く頭を下げる。

 

 ロードもそれに続いて小さく会釈した。

 

「こんにちは。」

 

「ふふ、お待ちしていました。」

 

 たづなはそう言って二人へ歩み寄る。

 

 そして、ちらりとロードの顔を覗き込んだ。

 

「ロード君、緊張してますか?」

 

「……してる。」

 

 即答だった。

 

 ライトが少し驚いたように目を瞬かせる。

 以前のロードなら、こういう時は「別に」と誤魔化していただろう。

 

 だが今は、不思議と取り繕う気になれなかった。

 

 そんな彼を見て、たづなはくすりと笑う。

 

「ふふっ、正直ですね。」

 

「隠しても仕方ないし。」

 

 ロードは少しだけ視線を逸らしながら答える。

 

 その様子がどこか年相応で、ライトは思わず小さく目を細めた。

 

「理事長がお待ちです。ご案内しますね。」

 

 たづなはそう言って校舎の中へ歩き出す。

 

 二人もその後へ続いた。

 

 来賓用玄関を抜けた先には、広々とした廊下が続いていた。

 

 磨き上げられた床。

 

 壁に飾られた数々の写真。

 

 どこかで聞こえる賑やかな声。

 

 時折、廊下の向こうをウマ娘たちが駆け抜けていく。

 

「………。」

 

 ロードは静かに周囲を見渡していた。

 

 憧れだった場所。

 

 自分とは無縁だと思っていた場所。

 

 その中を、今こうして歩いている。

 

 不思議な感覚だった。

 

「ロード君?」

 

「……いや。」

 

 たづなに呼ばれ、ロードは小さく首を振る。

 

「思ったより、普通の学校なんだなって。」

 

「ふふっ。」

 

 たづなが楽しそうに笑った。

 

「でも、実際は“普通”じゃない部分も多いですよ。」

 

「例えば?」

 

「食堂のご飯の量とか。」

 

「確かに……。」

 

 自分の食事量を思い出して、ロードは小さく頷いた。

 

 そんな他愛ない会話を交わしながら、三人は廊下を進んでいく。

 

 やがて。

 

「こちらです。」

 

 たづなが足を止めた。

 

 少し顔を上げれば、“理事長室”と書かれたプレートが目に入る。

 

 ロードは小さく息を吐き――静かにその扉を見据えた。

 

 すると、たづなは静かに一歩下がり、ロードへ視線を向ける。その目は、「大丈夫」と優しく背中を押してくれているようだった。

 

「………。」

 

 手を扉に伸ばそうとして、一度ロードは隣に立っていた母を見やる。

 ライトはにこりと微笑み、力強く頷いた。

 

 言葉はなかった。

 だが、その眼差しだけで十分だった。

 

 ロードは改めて理事長室の扉を見る。

 

 そして。

 

 コンコン、と静かに扉をノックした。

 

「入りたまえ!」

 

 すぐに聞こえてきたのは、聞き覚えのある声。

 ロードはレバーハンドルに手をかけ――ゆっくりと扉を開いた。

 

「失礼します。」

 

 理事長室の中には、秋川やよいがソファに腰掛けていた。帽子の上では、子猫が気持ち良さそうに丸くなっている。

 

「歓迎ッ! 待っていたぞ!」

 

 やよいはぱっと表情を明るくし、ロードたちを迎えた。

 

「お久しぶりです、理事長さん。」

 

 ロードが軽く頭を下げる。

 

 その時だった。

 

 

「彼が――そうなのだな?」

 

 

 不意に、聞き慣れない声が部屋へ響いた。

 

「……?」

 

 ロードがそちらへ視線を向ける。

 

 やよいと向かい合うように置かれたソファ。

 そこには、ターコイズブルーの髪を持つウマ娘が座っていた。

 

「ああ。彼が、博士に検査を頼みたいウマ娘だ。」

 

 やよいの言葉に、彼女は「なるほど」と小さく頷く。そして、ゆっくり身体を動かし始めた。

 

 その傍らに置かれていたのは、白を基調とした機械的な椅子……。

 

「時間がかかってすまない。」

 

 静かな声だった。

 彼女はそう言いながら、白い椅子へ身体を預ける。

 

 ロードはそこで初めて気づいた。

 

 それが、車椅子だったことに。

 

「はじめまして。私が、君の身体の検査を担当する――“シュガーライツ”だ。」

 

 そこでようやく、ロードは彼女と真正面から視線を合わせる。

 

 肩口で切り揃えられた髪。理知的な光を宿した薄紫色の瞳。その手には、小型のタブレット端末が握られている。

 

 彼女はロードを観察するように静かに目を細めた。

 

「どれほどの付き合いになるかは分からないが、よろしく頼む。」

 

「………。」

 

 一瞬だけ言葉が詰まる。

 だがロードは、すぐに小さく頭を下げた。

 

「ルベウスロードです。よろしくお願いします。」

 

 

 

・・・・・

 

 

 

「シュガーライツ博士は、工学分野を専門とする研究者だ。」

 

 やよいはそう言って、ソファの隣で車椅子に座るライツへ視線を向けた。

 

「特に、“走れないウマ娘”を支援するための研究では有名だ。義足や補助機構、身体負荷の解析……研究内容は多岐に渡る。」

 

 ロードはソファに腰掛けながら、静かにライツを見る。車椅子に座る彼女は、やよいの説明を受けても特に表情を変えなかった。

 

「理事長には大層に紹介してもらっているが……私はただ、“自分のための研究” を続けているだけに過ぎない。」

 

 ライツは淡々とそう返す。

 その口調に自嘲の色はない。事実を述べているだけのようだった。

 

 やがて、薄紫色の瞳が静かにロードを見つめる。

 

「君の走りについて、理事長から大まかな話は聞いている。」

 

「正直に言って――とても興味深い。」

 

 その言葉に、ロードは小さく眉を寄せた。

 

 危険だ。無茶だ。

 

 そう言われることには慣れている。

 

 だが、“興味深い”と言われたのは初めてだった。

 

「無論、まだ推測の段階だが。」

 

 ライツは静かに腕を組む。

 

「だからこそ、実際に見てみたい。君がどのように走るのかを。」

 

 ロードは何も答えなかった。だが、その瞳は真っ直ぐにライツを見ている。

 

 ライツはそんな彼を見て――やがて、わずかに視線を落とした。

 

「理事長。」

 

「うむ?」

 

「少し、彼と二人で話がしたいのだが、いいかな。」

 

 その言葉に、ライトが僅かに目を瞬かせる。

 

 やよいは一瞬だけロードを見た後、静かに頷いた。

 

「隣の応接室を使うといい。」

 

「ありがとう。ロード君、ついて来てもらえるかい。」

 

「はい。」

 

 ロードが小さく返事をすると、ライツは静かに車椅子の向きを変えた。

 

 そして、薄紫色の瞳が真っ直ぐロードを見る。

 

「ウマ娘やヒトを対象に研究するには、信頼関係を築くことが何よりも重要だからね。」

 

 

 

 

 理事長室の隣にある応接室は、思っていたよりも落ち着いた空間だった。窓際には観葉植物が置かれ、柔らかな陽光が室内へ差し込んでいる。

 

 ロードはソファへ腰掛けながら、小さく息を吐いた。

 

 一方のライツはタブレットを操作しながら、ロードへ目を合わせて話し始めた。

 

「さて……まずは二点、確認しておきたいことがある。」

 

 穏やかな声音だった。

 

「ライトさんから、君が“研究者”という存在にあまり良い印象を持っていないと聞いた。測定されることへの嫌悪感や、不満があるのではないかと。」

 

「その点、どう思っているのかな。」

 

 ロードは少しだけ目を伏せる。

 

 確かに、昔はそうだった。

 

 数字ばかり見られて。“ルベウス”という名前ばかり期待されて。

 自分自身ではなく、“内側にある才能”を見られているような感覚があった。

 

 だが――。

 

「ありません。」

 

 ロードは静かにそう答えた。

 

 迷いのない声だった。

 ライツは何も言わず、その続きを待つ。

 

「計測されることはとっくの昔に慣れてますから。」

 

 ロードは小さく息を吐き、ライツの目を真っ直ぐに見る。

 

「それに、ここに来るって決めたのは俺自身なんで。」

 

「………。」

 

 ライツは静かに目を細める。

 その返答だけで、ロードがどのような覚悟を持ってここへ来たのか、何となく伝わってきた。

 

「なるほど。」

 

 彼女は小さく頷いた。

 

「では、次の質問をしよう。」

 

 薄紫色の瞳が、真っ直ぐロードを見る。

 

「君は、自分の走りに強いこだわりがあると聞いたが……そこに不安はないのかい?」

 

「例えば、“走り方を変えられてしまうかもしれない”とか。」

 

「……こだわりはあります。」

 

 ロードは静かに答える。

 

 その言葉には、はっきりとした熱が宿っていた。

 

「でも。」

 

 一拍置いて、ロードは続けた。

 

「『全てを変える必要はない』って教わったので、全く気にしてません。」

 

 ライツは僅かに目を瞬かせる。

 

 ロードの声音には、以前のような迷いがほとんど残っていない。それどころか――自分の中で何かを整理し終えた者のようだった。

 

「そうか……。」

 

 ライツは小さく呟く。

 

「どうやら君は、思っていた以上に柔軟らしい。」

 

「……二つ目の質問については、友人に答えを貰っただけですけど。」

 

 ロードは静かにそう返した。

 

 その返答にライツは一瞬だけ目を瞬かせ――やがて、ふっと微笑む。

 

「誰かの意見を聞き、自分の思考に取り入れられる。それは、柔軟に物事を捉えられる証拠さ。」

 

 ライツはそんなロードを見ながら、静かにタブレットを閉じた。

 

「私から聞きたいことは以上だ。」

 

 一瞬、静かな間が落ちる。

 そしてロードは、ライツを見ながら口を開いた。

 

「……わざわざ部屋を移動したのには、何か理由があるんですよね?」

 

 その言葉に、ライツは少しだけ視線を落とした。

 

「……鋭いな、君は。」

 

 彼女は静かに頷く。

 

「今からする話は、ライトさんに聞かせるわけにはいかないと思ってね。」

 

「……?」

 

 ロードが僅かに眉を寄せる。

 

 ライツは静かに続けた。

 

「君を見ていて、ふと気になったんだ。」

 

 薄紫色の瞳が真っ直ぐロードを見る。

 

 

「……ロード君。君は普段、右脚へ僅かに重心を逃がしているね。」

 

 

「――っ。」

 

 ロードの目が僅かに見開かれる。

 

「歩幅。座り方。立ち上がる時の癖。」

 

「無意識だろうが、左脚に力が加わるのを避けている。」

 

「………。」

 

 ロードは反射的に自分の左脚へ視線を落とした。

 

 言われるまで、気づいていなかった。

 

 だが確かに。走った後、左脚はいつも鈍い痛みを持っていた。

 

「踏み込み脚が左なのだろう。」

 

 ライツは静かに言う。

 

「おそらく君の走り方は、瞬間的に強烈な推進力を生み出す代わりに、一点へ極端な負荷が集中しているのだと思う。」

 

「だからと言って、『これからは右脚で踏み込め』なんてことは言わない。慣れない動きをするのは、新たな故障の原因になるからね。」

 

 ロードは黙って話を聞いていた。

 

 ライツの言葉には否定の色が全くない。ただ、事実だけを丁寧に並べている。

 

「これまでと同じ走り方はさせられない。」

 

 その言葉に、ロードの瞳が僅かに揺れる。

 

 だが。

 

「だけど、君が先ほど言ったように――全てを変える必要もない。」

 

「!」

 

 ロードは静かに顔を上げた。

 

「君がこれからも走りたいと言うのなら、たくさんのことを学ばなければならない。この先、トゥインクル・シリーズを走るとなれば尚更だ。」

 

 ライツは一呼吸挟み、真っ直ぐにロードを見据えて言った。

 

 

「……ロード君。生まれ変わる覚悟は、できているかい?」

 

 

 ロードは静かに目を伏せる。“生まれ変わる”と言う言葉が、やけにストンと胸に落ちた。

 

 脳裏を過るのは、これまでの自分。

 河川敷を、ただ壊れるために走った。夢を見ることを恐れ、終わりばかり望んでいた。全てを出し切らなければ、生きている気がしなかった。

 

 けれど――。

 

 

『まずは、やってみましょう!』

 

 

 不意に、あの明るい声が蘇る。

 

 この学園には彼女がいる。そう思えただけで、不思議と心が軽くなった。

 彼女が近くにいるなら、どんな壁でも乗り越えられる気がした。

 

 やがて、ロードはゆっくりと顔を上げる。

 

 そして――

 

「はい。」

 

 その返事に迷いはなく、確かな強さが宿っていた。

 

 ロードはライツを真っ直ぐ見返したまま、静かに口を開く。

 

「俺は……これからも走り続けたい。」

 

 一度、小さく息を吐いた。

 

「壊れるためじゃなく―― “自分はウマ娘だ”って、胸を張って言うために。」

 

 応接室へ、静かな沈黙が落ちる。

 

 ライツはしばらく何も言わなかった。ただ、薄紫色の瞳で静かにロードを見つめている。

 

 やがて。

 

「……そうか。」

 

 小さく零れたその声は、どこか穏やかだった。

 

 否定も、同情もない。

 

 ただ、ロードの決意を静かに受け止めるような声音だった。

 

「ならば、私も全力で君を支えよう。君の走りを終わらせないために。」

 

 ロードは、その言葉を静かに聞いていた。

 

 そして。

 

「よろしくお願いします。」

 

 小さく頭を下げる。

 それはきっと、ロードが初めて誰かへ向けた、“走り続けるため”の願いだった。

 

 

 

・・・・・

 

 

 

 ロードとライツが応接室で面談をしている中、理事長室では、ライトとやよい、たづなの三人が静かに話をしていた。

 

「――しかし、数日見ないうちに、ずいぶん真っ直ぐな目をするようになったな。」

 

 やよいが感心したように腕を組む。

 初めてロードと出会ったあの日は迷いや危うさがあったのに対し、今日のロードは固い決意を秘めた目をしていた。

 

「私も驚いています。」

 

 ライトは苦笑混じりにそう返す。

 

「二日くらい前から、急に顔つきが変わったんです。」

 

「何があったのか聞いても、『新しい視点をもらった』としか教えてくれなくて。」

 

「ほぅ。」

 

 やよいは興味深そうに目を細める。

 

 すると隣で、たづなが小さく微笑んだ。

 

「ロード君、少し柔らかくなりましたよね。前よりもちゃんと周りを見ている感じがします。」

 

「ああ。」

 

 やよいは静かに頷く。そして、手にしていた扇子を勢いよく広げる。扇面には力強く『前進ッ!』と書かれていた。

 

「彼に必要だったのは“選択肢”ではなく――背中を押してくれる存在だったのかもしれないな!」

 

 ライトはその言葉を聞き、小さく目を伏せる。

 

 思えば自分は、ずっと“正しい道”を示そうとしていた。母親として、ロードが将来苦しい思いをしないように。

 

 けれどロードに必要だったのは、“一緒に前を向いてくれる誰か”だったのかもしれない。

 

「何か、彼の心を動かす出会いがあったのだろう!」

 

 やよいが楽しそうに笑った、その時だった。

 

 理事長室の扉が静かに開く。

 

「戻りました。」

 

 先に姿を見せたのはライツ。そして、その後ろからロードが部屋へ入ってくる。

 

「………。」

 

 ライトは思わず息を呑んだ。

 

 2人が理事長室を出てからたった数十分。

 

 それなのに。

 

 そこに立つロードの雰囲気は、先ほどまでとはまるで違って見えた。

 

 肩の力は抜けていて、表情もどこか穏やかだった。

 

 けれど、その瞳の強さだけは変わっていない。

 

 ――いや、違う。

 

 以前よりもずっと、その輝きは澄んで見えた。

 

 今までのロードは、何かを振り切るように前を見ていた。

 

 だが今の彼は違う。

 

 ちゃんと、“その先”を見据えていた。

 

「どうやら、身のある話ができたようだな。」

 

 やよいが楽しそうに口元を緩め、ライツに声をかける。

 

「ああ。」

 

 ライツもまた、微笑みながら静かに頷いた。

 

「とても有意義な時間だった。」

 

 その声音は穏やかで――どこか満足そうだった。

 

 やよいはそんな二人を見比べ、小さく目を細める。

 

 2人が話していたのは、ものの数十分。だが、ロードの纏う空気が先ほどとは明らかに違っている。

 

 張り詰めていたものが、少しだけ解けている。

 

 それでいて、その瞳の奥にある意志は、以前よりもずっと強く見えた。

 

 ロードは静かに歩み寄ると、ライトの隣へ腰を下ろした。

 

「……母さん。」

 

 その声が、静かに理事長室へ落ちる。

 

 ライトは何も言わず、隣に座る息子を見つめた。

 

 ロードは一度、小さく息を吐く。まるで、自分の中にある想いを整理するように。

 

「……俺は、今までの走りが悪かったとは思ってない。」

 

「………。」

 

 ライトの耳が、僅かに揺れる。

 

「母さんがすごく心配していたのも、理解してる。」

 

 ロードは静かに続ける。

 

「でも。」

 

 そこで一度、言葉を切った。

 

「その走り方が、“ルベウスロード”を表現できる走りだったから。」

 

 ただ速さを求めるだけではない。限界を超えて、自分という存在を解放するような走り。

 壊れることさえ恐れず、全てを出し切ることでしか辿り着けない領域。

 

 それが、今までのロードだった。

 

 ライトは黙ってその言葉を聞いていた。

 

 否定しない。

 

 遮らない。

 

 ただ、一つ一つを受け止めるように。

 

「だけど、いつまでもそれに囚われていたら……俺は変われない。」

 

 その声は、静かだった。

 

 だが、はっきりと前を向いている。

 

「俺さ、“壊れること”ばかり考えてたんだ。脚が壊れれば、夢を見ることもなくなるって。」

 

「それでいいって、ずっと思ってた。」

 

 理事長室が静まり返る。

 

 やよいも、たづなも、ライツも。

 

 誰も口を挟まなかった。

 

 ロードはゆっくりと顔を上げる。

 

 その瞳は、もう迷っていない。

 

「今はもう、違う。」

 

 ロードは小さく笑みを浮かべる。

 

「俺はここで、本当の自分の走りを見つけてみせる。」

 

「………。」

 

 理事長室へ、再び静かな沈黙が落ちる。

 

 ライトはしばらく何も言わなかった。

 

 だがやがて。

 

 ふっと、小さく笑う。

 

「……そう。」

 

 その声は、どこか嬉しそうだった。

 

 安心と。

 

 誇らしさと。

 

 そして、少しだけ寂しさの混じった声音。

 

 ライトは静かにロードを見つめる。

 

「“ルベウス”っていう名前の意味……昔、ロードに話したことあったわよね。」

 

「『Rubedo(ルベド)』――“再生”を意味する言葉だって。」

 

 ロードは静かに頷く。

 

「うん。覚えてるよ。」

 

 ライトは優しく目を細めた。

 

 まだ彼が幼かった頃。

 自分の膝の上で、不思議そうにその名前の意味を聞いてきた小さな背中を思い出す。

 

 その幼かった子が今、自分の意思で未来を選ぼうとしている。

 

「お母さんはね。今のロードなら、その名前に相応しいって思う。」

 

 ライトは静かに言った。

 

「壊れるためじゃなくて――自分の意思で前へ進もうとしてる、今のロードが。」

 

「………。」

 

 ロードは何も言わなかった。

 

 けれど。

 

 その横顔は、どこか照れ臭そうで――そして、少しだけ誇らしげだった。

 

 

 

・・・・・

 

 

 

 トレセン学園、放課後のトレーニング場。

 緑広がるターフを、ウマ娘たちが勢いよく駆け抜けていく。

 

 だが、その日の学園には、どこか落ち着かない空気が流れていた。

 

「ねぇ、今日から来るんでしょ?」

 

「あー、例のウマ娘でしょ?」

 

「男子のウマ娘って、本当なのかな……?」

 

「どんな走りするんだろー!」

 

「理事長直々に受け入れたって話だぞ。」

 

「というか、男なのに『娘』ってどうなの?」

 

 あちこちで交わされる噂話。

 

 生徒だけではない。

 

 トレーナーたちですら、その話題を口にしていた。

 

 誰もが、“その存在”を気にしている。

 

 そんな中。

 

 トレーニング場の片隅では、チームスピカのメンバーたちが準備運動をしていた。

 

「なんか、学園中そわそわしてるよねー。」

 

 テイオーが苦笑混じりに呟く。

 

「むしろ、話題にならない方が不思議かと思います。」

 

 マックイーンが肩を竦めた。

 

 だが。

 

 その横で、キタサンだけはどこか嬉しそうだった。

 

「えへへ……。」

 

「?」

 

 スペが不思議そうに首を傾げる。

 

「キタサンちゃん、なんだか嬉しそうですね?」

 

「だって!」

 

 キタサンはぱっと表情を明るくする。

 

「ロードくんがトレセン学園に来るんですよ!」

 

 その声には、隠しきれない期待が滲んでいた。

 

 河川敷で別れたあの日から、キタサンはずっと楽しみにしていた。

 

 今度は、“トレセン学園”で一緒に走れることを。

 

「……あの河川敷で再会した話は聞いたけど、何があったんだろうな?」

 

「さぁ……。」

 

 やけにニコニコなキタサンの様子を見て、ウオッカとスカーレットは目を合わせる。

 

 その一方で……

 

「キタサンよぉ。そんなにルベウスロードのことが好きなのか〜?」

 

 ゴルシはキタサンの肩に腕をまわし、ダル絡みをしていた。

 

「すっっっっ………!!!??」

 

 突然の質問に、キタサンの顔はタコのように赤くなっていく。今にも顔から蒸気を噴き出しそうだった。

 

「ちがっ、違います!! 決してそんなのではありません!!」

 

「いや〜、これは怪しいなぁ?」

 

 ゴルシはにやにや笑いながら、わざとらしく腕を組む。

 

「河川敷で二人きり! しかも“ロードくん”呼び! これはもう地球のように青い春ってヤツじゃねぇの〜?」

 

「ち、違いますってばぁ!!」

 

 キタサンは顔を真っ赤にしながら、ぶんぶんと両手を振る。

 

「ロードくんは、ただ困ってただけで……! あたしはその、少しお話しただけで……!」

 

「へぇ〜?」

 

「その“少し”で、あそこまで顔変わるか普通?」

 

 ウオッカが呆れ半分に笑う。

 

 スカーレットも、小さくため息を吐いた。

 

「でも、確かに気になるわね。」

 

「キタサンがここまで誰かのこと話すの、かなり珍しいじゃない。」

 

「そ、そうですか……?」

 

「そうだよ〜。」

 

 テイオーが楽しそうに笑う。

 

「なんか、“すごいウマ娘なんだ!”って感じが伝わってくるもん。」

 

「えへへ……。」

 

 キタサンは少し照れ臭そうに笑った。

 

 だが、その瞳には確かな期待が宿っている。

 

「ロードくん、本当にすごいんですよ。」

 

 その言葉に、場の空気が少しだけ変わった。

 

 ふざけ半分だったスピカのメンバーたちも、自然とキタサンへ視線を向ける。

 

 キタサンは、まるで大切なものを語るように続けた。

 

「走ることが、本当に大好きなんです。」

 

「でも、不器用で……色んなことを一人で抱え込んじゃう子で。」

 

「だから。」

 

 キタサンは小さく笑う。

 

「今度は、トレセンで一緒に走れるのが楽しみなんです!」

 

「………。」

 

 その笑顔を見て、スズカは静かに目を細めた。

 

 ――走ることが、大好き。

 

 その言葉が不思議と胸に残り、響く。

 

 彼女はそっと、ターフへと視線を向けた。

 

「そうか……。」

 

 ゴールドシップが呟き、にやりと笑う。

 

「我らがキタサンがそこまで言うなら、ちょっと楽しみになってきたな!」

 

「はい。」

 

 その言葉に、マックイーンが続いた。

 

「私たちが出会ったあの日からどう変わったのか――ぜひ、お目にかかりたいですわね。」

 

 その言葉に、スピカのメンバーたちも小さく頷いた。

 

 キタサンはそんな仲間たちを見て、どこか嬉しそうに笑う。

 

 と、その時。

 

「お前らー、準備運動終わったのかー?」

 

 少し離れた場所から、沖野トレーナーの声が飛んでくる。

 

「あ、トレーナーさん!」

 

「今やってるところだよー!」

 

 テイオーたちが返事をする中、沖野は苦笑混じりに頭を掻いた。

 

「ったく……今日はどこもかしこもソワソワしやがって。」

 

「……ま、気持ちは分かるけどな。」

 

 そう言いながら、彼もまた校門の方へちらりと視線を向ける。

 

 今日、この学園へやって来る“新しいウマ娘”。

 

 今この瞬間も。

 

 トレセン学園の誰もが、その存在を待っていた。

 

 

 

 

 時同じくして、トレセン学園。

 その校門の前で、彼は静かに足を止めた。

 

 見上げた先に広がるのは、全国のウマ娘たちが憧れる場所。

 

 先日、来賓用玄関から見た時も校舎の大きさには驚いた。だが、正門から見上げるトレセン学園はそれ以上に広く、圧倒的だった。

 

「ロード君。」

 

 聞き慣れた声に視線を向けると、たづなが小さく手を振っていた。その隣には、車椅子に座るライツの姿もある。

 

「お待ちしていました。」

 

 たづなが柔らかく微笑む。

 

 ロードは小さく頭を下げた。

 

「すみません、お待たせしました。」

 

「いや、私たちも今来たところだ。」

 

 ライツは穏やかに答える。

 春の優しい日差しが、ターコイズブルーの髪を鮮やかに照らしていた。

 

 ロードは再び、目の前の学園へ視線を向ける。

 

 するとライツが、ふと思い出したように口を開いた。

 

「君のことは、秋川理事長が全生徒、全トレーナーへ事前に告知している。どうか安心してくれ。」

 

 その言葉に、ロードはゆっくりとライツを見る。

 

「……逆に安心できないんですけど。」

 

「ふふっ!」

 

 思わず零れた本音に、たづなが吹き出した。

 

「大丈夫ですよ、ロード君。皆さん、ちゃんと歓迎してくれると思いますから。」

 

「まぁ……それはどっちでもいいですけど。」

 

 ロードはどこか居心地悪そうに視線を逸らす。

 

 だが、その表情は完全に嫌というわけではなかった。

 

 ライツはそんな彼を静かに見つめる。

 

「緊張しているかい?」

 

「……少しだけ。」

 

 ロードは正直に答えた。

 

 その表情を見て、たづなはどこか嬉しそうに目を細める。

 

 やがてライツは、静かに車椅子の向きを変えた。

 

「さて。」

 

 薄紫色の瞳が、真っ直ぐ前を見る。

 

「それでは、行こうか。」

 

「――はい。」

 

 ロードは頷く。

 

 そして。

 

 トレセン学園の門を、自分の足で踏み越えた。

 

 壊れるためではなく、“本当の自分の走り”を見つけるため。

 

 その長旅の第一歩だった。

 

 

 つづく




ゲーム版ウマ娘に登場したライツ博士。
車椅子って時点でロードに影響を与えそうな人物です。
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ゼロバンゲート〜枠外からの挑戦者〜(作者:茶坊主(ぽんぽん))(原作:ウマ娘プリティーダービー)

男として生まれたウマ娘――ゼロバンゲート。 ▼存在そのものが“世界の枠外”とされ、隔離されて育った彼は、 ▼ただひとつの願いを胸に抱えていた。▼「走りたい。でも、誰も傷つけたくない」▼その矛盾する想いは、やがて世界を巻き込む事件へと変わっていく。 ▼そしてゼロバンゲートは、望まぬまま“ダークヒーロー”として ▼表舞台へ押し上げられていくのだった。▼※…


総合評価:14/評価:-.--/完結:26話/更新日時:2026年03月08日(日) 00:00 小説情報

『華麗なる一族』に生まれた僕、パリピな太陽神に心を撃ち抜かれる。(作者:えれくとろにくす)(原作:ウマ娘プリティーダービー)

▼『華麗なる一族』▼あらゆる分野で卓越した能力を発揮し、各界の権威となる人物を多数輩出してきた名家。▼華麗なる一族として生を受け、妹と共に由緒正しい生活を送ってきた主人公。▼そんな主人公が、突然とある爆アゲパリピウマ娘と出会って人生が一変する話。▼


総合評価:3302/評価:8.86/連載:8話/更新日時:2026年03月06日(金) 18:06 小説情報

"やさしい"ウマ娘――UN-CROWNED――(作者:灯火011)(原作:ウマ娘プリティーダービー)

最速のウマ娘が一人。曇らせっぽい何かです。▼11話ぐらい。から伸びに伸びて30話ぐらい。


総合評価:532/評価:8.14/短編:29話/更新日時:2026年04月01日(水) 19:00 小説情報

本当は怖いウマ娘プリティダービー(作者:電動ガン)(原作:ウマ娘プリティーダービー)

与太話と本当に言えるか?力の強い女の子との付き合い方。


総合評価:850/評価:7.8/完結:20話/更新日時:2026年05月24日(日) 18:30 小説情報

とっても天使なウマ娘さん(作者:レース場の散った芝)(原作:ウマ娘プリティーダービー)

天使は実在するみたいです。▼慈愛に満ちていて、可愛くて、速くて、可愛いらしいです。ウマ娘は皆例外なく可愛いけど。


総合評価:730/評価:8.88/連載:7話/更新日時:2026年05月22日(金) 06:00 小説情報


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