ウマ娘 ロストロード   作:ツカッチ

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トレーナーのみなさん、こんにちは。

ついにロード君がターフを駆けるそうです。


第八話 試作機

 ロードは左足を踏み出す。それを続くように、右足も前へ出た。

 

 最初は普通のジョギングの速度だった。

 ライツに言われた通り、まずは慣れることから始める。

 

 夕暮れのターフ。

 

 柔らかな芝。

 

 そして今履いている蹄鉄シューズ。

 

 その全てを確かめるように、ロードはゆっくりと走り始めた。

 

 踏み込む。

 脚が前へ出る。

 また踏み込む。

 

 ただ、その繰り返し。

 

 だが――

 

(……走りやすい。)

 

 河川敷とは全く違い、アスファルトを蹴る時の硬さがない。

 

 足への衝撃も少ない。芝が適度に沈み込み、そして押し返してくる。

 

 不思議な感覚だった。

 

 そして、第一コーナーを抜ける頃には――ロードの歩幅は、少しだけ大きくなっていた。

 

 奇妙なくらい、体が軽かった。

 

 シューズが変わったからなのか。

 蹄鉄のおかげなのか。

 それともターフの影響なのか。

 

 理由は分からない。

 

 ただ、気持ちよかった。

 

 やがて第二コーナーを抜け、向こう正面に入る。

 ある程度感触を覚えたロードは、ほんの少しだけ身体を前へ倒した。

 

 普段と変わらない。

 

 無意識の動作だった。

 

 その瞬間。

 

「……っ!」

 

 景色の流れが変わった。

 

 体を叩く風が強くなる。

 

 周囲の景色が勢いよく後ろへ流れていく。

 

 思わずロードは目を見開いた。

 

『速い』。

 

 河川敷で走る時よりも。

 

 もっと強く踏み込んだ時よりも、明らかに速い。

 

 なのに。

 

 身体は苦しくない。

 

 むしろ逆だ。

 

 力はまだ抜いているはずなのに、脚が自然と前へ進んでいく。

 

 踏み込んだ力が、そのまま速度へ変わっているような感覚。こんなことは初めてだった。

 

(なんだ、これ。)

 

 もう一歩。

 

 さらにもう一歩。

 

 踏み込むたびに身体が前へ出る。まるで、風に背中を押されているように。

 

 否、風に押されているのではない。

 

 自分が “風になったような” 感覚。

 

「――ははっ。」

 

 思わず声が漏れた。

 

 誰かに聞かせるためではない。自然と零れ落ちた笑いだった。

 

 河川敷を走っていた時とは違う。

 胸の奥から込み上げてくる熱い感情を、もう抑えられなかった。

 

 一方その頃、ライツは黙ってロードの走りを見つめていた。

 

 だが、周囲の声は嫌でも耳に入ってくる。

 

「速くなってきた!」

 

「いけーっ!」

 

 いつの間にか、トレーニング場の空気は変わっていた。

 最初は物珍しさから集まっただけのウマ娘たちも、今は純粋にその走りへ目を奪われている。

 

 そんな彼女たちを見て、ライツは小さく笑った。

 

「見えるかい、たづなさん。」

 

 隣に立つ女性へ声を掛ける。

 

「はい?」

 

「ロード君の様子だよ。」

 

 彼女はターフを指差す。

 走るロードの姿は、先ほどまで研究室で悩んでいた少年とは全くの別人だった。

 

 たづなは目を細める。そして、静かに頷いた。

 

「とっても嬉しそうです。」

 

 たづなは目を細める。

 

 夕陽に照らされたターフ。

 その上を駆けるロードの表情は、ここからでは細かく見えない。

 

 それでも。

 

 その走りからは確かな高揚感が伝わってきた。

 

「しかし……すごいですね。」

 

 ふと、たづなは目を丸くしながら言った。

 

「初めてターフを走っているはずなのに……。」

 

「ああ。」

 

 ライツは静かに頷く。

 

「私も驚いているよ。」

 

 その視線はロードから離れない。

 まるで映像の一瞬たりとも見逃すまいとしているかのように。

 

「ターフへの適応に加え、蹄鉄への順応も想定以上だ。」

 

 そして、ライツは小さく目を細めた。

 

「何より彼は今、走ることを楽しんでいる。」

 

 ライツたちがそう話す間に、ロードは第三コーナーへ差し掛かろうとしていた。

 

 彼は、ライツたちの視線に一切気付いていなかった。

 

 周囲の歓声も、ざわめきも。

 今は何も聞こえない。

 

 その意識は、ただ前へ。

 

 風が頬を叩く。

 身体は軽い。

 脚は止まらない。

 

 気付けば、ロードはさらに身体を前へ倒していた。

 

 景色が流れる。

 芝を踏むたびに、身体が前へ押し出される。

 

(まだ、行ける。)

 

 根拠などない。だが、そう確信できた。

 

 第四コーナーが近付く。

 

 ここを抜けた先には、最後の直線。そこは、ライツが“少しだけ” 踏み込んでみろと言った場所。

 

 もっと速く走りたい。

 もっと前へ行きたい。

 胸の奥から湧き上がる衝動が収まらない。

 

 ターフで風を感じ、速度を感じた。

 

 そして今。

 

 ロードは、自分の知らない世界へ手を伸ばそうとしていた。

 

 第四コーナーを抜ける。

 

 視界が開ける。

 

 その瞬間。

 

 胸の奥で膨らみ続けていた感情が、一気に弾けた。

 

「「――!」」

 

 刹那、ライツとたづなはヒュッと喉を鳴らした。第四コーナーを抜けたロードが、明らかに姿勢を変えたからだ。

 

 ロードの身体が、さらに前へ倒れる。

 まるで、地球の重力に従うかのように。

 

 なぜいきなり姿勢が崩れた?

 このタイミングで脚が壊れた?

 

 ライツとたづなは、そう錯覚した。

 

 刹那――

 

 ドォッ!!

 

 左足が力強くターフを踏み締める。

 そして――

 

 

 ロードは倒れるどころか、さらに加速していた!

 

 

「「……っ!?」」

 

 ライツとたづなは揃って困惑する。だがそれは、観客のウマ娘たちも同じだった。

 

 前傾した姿勢は、陸上競技の短距離選手がクラウチングスタートを切った直後。スタートラインから飛び出す瞬間の、あの低い姿勢。

 

 ロードはそれに近い角度でターフを駆けていた。

 

 あのまま走れば身体は前へ倒れ込み、脚が追いつかなくなる。バランスを崩し、顔から転倒してもおかしくない。

 

 だが。

 

 ロードは止まらない、転ばない。

 ただ前を見据えて走り続ける。

 

 ……いや、果たして前は見えているのだろうか?

 

「あんな姿勢で……!」

 

「なんで走れてるの!?」

 

「あ、危ないよ!」

 

 観客席からは不安な声が広がる。

 しかし、それはロードには届かない。

 

 それどころか彼は――楽しそうに笑っていた。

 

 景色の流れが加速する。

 ターフが後ろへ飛んでいく。

 耳元で風が唸る。

 

 まるで誰かに背中を押されたかのように、ロードの身体は前へ前へと突き進む。

 観客席のざわめきが遠ざかる。誰もが息を呑み、その背中を見つめていた。

 

 そして――ロードは勢いを殺さぬまま、ゴール板を駆け抜けた。少しずつスピードを落とし、何事もなかったかのように上体を起こす。

 

 その表情は晴れやかだった。

 

 息は上がっており、額には汗も浮かんでいる。

 

 それでも。

 

 ロードの口元には、確かな笑みが浮かんでいた。

 

「あんな走り方が……。」

 

「……想像以上だ。」

 

 たづなは冷や汗を一筋流し、ライツは背もたれに寄りかかり、肩の力を解いた。

 

 深く沈んだ上半身。それを追い掛けるように動く下半身。まるで転倒寸前の姿勢を、力任せに維持しているかのようだった。

 

 脚への負担も、普通とは比べ物にならないだろう。

 

「………。」

 

 たづなが言葉を失う。

 

 ロードの走りから目を離せなかった。

 それなのに、気付いた時には少しだけまぶたに力が入っていた。

 

 その一方で、ライツの瞳は興味に満ちていた。

 

 危険だ評された理由は、完全に理解した。

 だが、その走りの奥にある理屈だけは、どうしても見逃せなかった。

 

 

 

・・・・・

 

 

 

 ロードはゆっくりと歩きながら、ライツたちの元へ戻っていく。

 

 胸の鼓動はまだ速い。身体も熱を帯びている。

 だが、不思議と疲労感はなかった。

 

 むしろ――

 

 “もっと走りたい”。

 

 そんな気持ちの方が強かった。

 

 周囲からはざわめきが聞こえる。

 

「……見た?」

 

「あんなフォーム、ありなの?」

 

「速かった……けど……。」

 

 そんな声が耳に入る。

 周囲のざわめきは未だ収まらない。

 

 だが今のロードにとって重要なのは、そこではなかった。

 

 自分の走りを見た二人が、何を思ったのか。それだけが気になっていた。

 

 だからだろうか。

 

 声を掛ける直前、胸の奥が少しだけざわついた。

 

「……どうですか、俺の走りは。」

 

 ロードが問い掛けた時、たづなが小さく肩を震わせた。

 

 何かを言おうとしている。だが、その言葉をどう伝えるべきか迷っているようにも見える。

 

 その様子に気づいたライツが、小さく息を吐く。

 

「……何か言いたいようだね、たづなさん。」

 

「えっ?」

 

 突然話を振られ、たづなは少しだけ目を丸くした。そして、ちらりとロードを見る。

 

 数秒の沈黙。

 

 やがて彼女は意を決したように口を開いた。

 

「その……。」

 

 胸元で手を握る。

 彼女の瞳は、よく見る優しいものではなかった。

 

 

「――すごく、怖かったです。」

 

 

「え。」

 

 たづなの答えに、ロードは固まった。

 

 意味が分からなかった。

 いや……言葉の意味は分かる。

 

 なぜ、そのような感想が出てくるのかが分からなかった。

 

 “危険だ”と言われることに抵抗は一切なかった。彼自身、それを自覚していたから。

 

 だが。

 

 自分の走りが誰かに恐怖を与えるものだとは、考えたこともなかった。

 

「それは……どういう……?」

 

 思わず問い返す。

 責めるつもりも、否定するつもりもない。

 

 たづなはそんなロードを見つめる。そして、少しだけ視線を落とした。

 

「……転ぶと思ったわけじゃないんです。」

 

 さらなる予想外の答えに、ロードは目を瞬かせた。

 

 たづなは静かに続ける。

 

「最初は危ない走り方だと思いました。」

 

「でも、最後の直線を見て気付いたんです。」

 

 たづなの視線が、自然とロードの脚へ向く。

 

「ロード君は、()()()()()()()()()()()()()()って。」

 

「………。」

 

「だから考えてしまったんです。」

 

 少しだけ、彼女の声が小さくなる。

 

「もし、その脚に限界が来たら。」

 

「もし、少しでもバランスが崩れたら。」

 

「もし、身体が少しでも応えてくれなくなったら。」

 

 ロードの表情が僅かに曇る。

 その先は、彼自身にも容易に想像できた。

 

「その瞬間。」

 

 たづなはぎゅっと唇を結ぶ。

 

「ロード君はきっと、二度と走れなくなる。」

 

 夕暮れの風が静かに吹き抜ける。

 

 誰も言葉を挟まない。

 

「私はトレーナーではありませんから、難しいことは分かりません。」

 

「でも。」

 

 そこまで言って、彼女は真っ直ぐロードを見つめた。

 

 

「私は、()()()()()()()()()()()に怪我をしてほしくないんです。」

 

 

 ロードは、返事ができなかった。

 

 たづなの言葉は否定ではない。怒りでもない。

 

 ただの、純粋な心配。

 それなのに、なぜか胸の辺りがじんわりと温かくなるのを感じた。

 

 ロードは静かに俯く。

 その温もりの正体を探そうと、言葉の引き出しをひっくり返して回った。

 

 だが、それに見合う言葉は見つからない。ただ一つ言えることは、その感覚は不思議と嫌ではなかった。

 

「……私も同じ意見さ。」

 

 ふと、ライツが口を開いた。

 ロードは顔を上げる。彼女もまた、真っ直ぐにこちらを見つめていた。

 

「君の走りは “危険” であり、“見る者を不安にさせる” ところがある。無論それは、オリジナリティ溢れる走りだからと言える。」

 

「速度を代償に足の負担を顧みない。なんとも君らしい走り方だ。」

 

 ロードは黙って話を聞いていた。

 

 反論するつもりはない。ライツに言われたことは、全て事実だった。

 

 速く走るため。ただそれだけを考えて走り続けた結果が、今の走りなのだから。

 

「………。」

 

 ロードは僅かに視線を落とす。

 やはり、この走り方は認められないのだろう。

 

 そんな考えが頭を過ぎった時だった。

 

「だが。」

 

 ライツは静かに言った。

 

「私は、その走りそのものが間違っているとは思わない。」

 

「……え?」

 

 思わず顔を上げる。

 

「何度も言うように君の走りは危険だ。では、なぜ危険なのだろうか?」

 

「なぜ……?」

 

 先述したように、ロードは自分の走りが危険だと自覚している。だが、なぜ危険なのは一度も考えたことがなかった。

 

「ブブー、時間切れだ。」

 

 ライツは両方の人差し指でバツ印を作りながら言う。

 

「君の走り方が危険な理由。それは――」

 

 

「 “未完成” だからだ。」

 

 

 夕暮れの風が吹く。

 

 ロードは言葉を失い、たづなは目を瞬かせた。彼らが予想していた言葉とはあまりにも違っていたから。

 

 ライツは続ける。

 

「重心の使い方、踏み込み、衝撃の逃がし方、身体の支え方……。どれも荒削りだ。」

 

 そう言うと、彼女はタブレットを操作した。

 

 映し出されたのは、先ほどのロードの走り。第四コーナーを抜けた瞬間の、あの異常なまでに深い前傾姿勢だった。

 

 ライツの口元が僅かに緩む。

 

「この発想自体は、実に面白い。」

 

「発想……?」

 

「ああ。」

 

 ライツは頷いた。

 

「君は、自身にかかる重力を推進力として利用している。身体を前へ倒し、その落下を前へ進む力に変えているんだ。」

 

 ロードは黙って画面を見る。

 言われてみればそうなのかもしれない。

 

 だが、それはあくまでも結果論だ。彼は理論を考えて走っていたわけではない。

 

 ただ速く走りたかった。

 その結果、今の走りに辿り着いただけだ。

 

「……君の走りを見ていて思い出したものがある。」

 

 ライツは車椅子の背もたれに身体を預けた。

 

「新幹線だ。」

 

「……新幹線?」

 

 思わずロードは聞き返す。

 

「そう。」

 

 ライツは頷く。

 

「新幹線の先頭車両の形は分かるね?」

 

「こう……どんどん細くなっていく感じです。」

 

 ロードは両腕を使い、ジェスチャーを交えて答える。どこか愛嬌のある彼の動きに、ライツは微笑んだ。

 

「超スピードを出すために、限界まで空気抵抗を減らすために改良された先頭車両。君の走り方はまさにそれだ。」

 

「重力を利用して走るフォームが、意図せず空気抵抗を減らす働きをしていたんだ。」

 

「………。」

 

 ロードは改めて画面を見る。

 そこに映る自分の姿は、確かに前へ前へと伸びるような形をしていた。

 

「もちろん。」

 

 ライツは人差し指を立てる。

 

「現状では欠点の方が圧倒的だ。如何にして速度を出すかの一点だけを突き詰めた結果が、今の君さ。」

 

「言うなれば―― “試作機” だね。」

 

 試作機。

 

 それは、ロードが昨日の自分よりも速く走るためだけに磨いてきたもの。

 誰にも教わらず、誰にも見てもらえず、ただひたすら走り続けた結果、それが試作機だと言われた。

 

 だが、不思議と嫌な気持ちはしなかった。むしろ、胸の奥で何かが熱を帯びていく。

 

 ライツは先ほど、危険で不安になる走りだと言った。

 

 それでも。

 

 この走りを捨てろとは、一度も言わなかった。

 

「………。」

 

 やがて、ロードは一歩前へ出る。

 その燃えるような瞳は、真っ直ぐにライツを見据えていた。

 

「……教えてください。」

 

 迷いはなかった。

 

「俺はこれから、何を身につければいいんですか。」

 

 ライツは少しだけ目を見開く。

 そして、嬉しそうに口元を緩めた。

 

「君が身につけるものは沢山あるが、中でも大切なのは――」

 

 

「速さを扱う技術だ。」

 

 

 その言葉に、ロードは眉を寄せた。

 

 聞き慣れない言葉。

 だが、ライツはそれ以上を語らない。

 

「……さて、今日はここまでにしようか。」

 

「え。」

 

 いきなり過ぎる話の切り替わりに、ロードは気の抜けた声を出した。

 

「今から説明し始めたら、日が暮れてしまうよ。」

 

 そう言って、彼女は夕焼け空を見上げる。

 既に太陽は遠くの住宅街の影に隠れ始めていた。

 

「それに。」

 

 ライツは笑った。

 

「私にも準備が必要だからね。」

 

「……分かりました。」

 

 ロードは少しだけ頷く。

 

 本音を言えば、今すぐ続きを聞きたかった。

 だが、ライツが語った「速さを扱う技術」という言葉は、それ以上に彼の興味を引いていた。

 

 

 

・・・・・

 

 

 

 夕暮れのトレーニング場。

 ロードたちから少し離れた観客席には、数人のトレーナーたちの姿があった。

 

 全員が同じ方向を見ている。

 その視線の先には、ライツたちと話すルベウスロードの姿。

 

 しばらくの沈黙。

 

 やがて、その空気を破ったのは沖野だった。

 

「……相変わらず危なっかしい走りだな。」

 

 深く背もたれに身体を預けながら呟く。ポケットからコーラ味のチュッパチャップスを取り出し、口に咥えた。

 

「てっきり途中で転ぶかと思ったぜ。」

 

「転ばないでしょう。」

 

 即座に返したのは東条だった。

 

 腕を組み、冷ややかな視線をターフへ向ける。

 

「先ほどの走りを見る限り、本人はあのフォームに慣れている。」

 

「……でも、問題はそこじゃないわ。」

 

 彼女は小さく息を吐いた。

 

「あの走り方は――論外よ。」

 

 容赦のない一言が放たれる。

 沖野は肩をすくめながら、両方の掌を空へ向けた。

 

「さすが、おハナさんは厳しいねぇ。」

 

「トレーナーとして、当然のことを言ったまで。」

 

 どこか揶揄うような沖野の言葉をひらりと躱わし、続ける。

 

「彼の速さは認めるわ。でも、再現性が皆無よ。」

 

「本気でトゥインクル・シリーズを目指すのなら、速いだけでは意味がない。」

 

 東条は腕を組んだまま続ける。

 

「レースを走るたび、ターフの条件は変わる。その中で常に結果を出せてこそ本当の実力よ。」

 

 彼女の意見に誰も反論しない。

 むしろ全員が、その意見を理解していた。

 

「あのー。」

 

 次に口を開いたのは、南坂だった。

 

「一つだけ沖野トレーナーにお聞きしても?」

 

「ん?」

 

 沖野はチュッパチャップスを咥えたまま視線を向ける。

 

「河川敷でルベウス君と会った時も、あの走りだったんですか?」

 

「ああ。」

 

 迷うことなく、短く頷いた。

 

「初めて見た時から、あんな感じだった。」

 

 前へ倒れ込むような姿勢。

 

 常識外れの重心移動。

 

 そして、それを力任せに成立させる脚力。

 

 思い返しても、ロードの走りは最初から異質だった。

 

「なるほど。」

 

 南坂は静かに頷く。

 

 そして東条へ視線を向けた。

 

「それなら尚更、興味深いですね。」

 

「何が?」

 

「彼は今日、初めてターフを走りました。」

 

 南坂の言葉に、その場が少し静かになる。

 

「これまで彼が走っていたのは、おそらく河川敷のアスファルト。それが今日は芝へ変わり、シューズに蹄鉄が加わりました。」

 

 一つずつ指を折りながら数えていく。

 

「走る環境は大きく変わっています。ですが――」

 

 彼はロードへ視線を向けた。

 

「彼は、問題なく走ることができました。」

 

 夕暮れの風が吹き抜ける。

 

 東条は何も言わない。

 黙って南坂の考えに耳を傾ける。

 

「もちろん、トゥインクル・シリーズは別物です。東条さんの懸念も理解できます。」

 

「ですが、彼の走りが環境の変化に対応できないものだとまでは思いません。」

 

「少なくとも私は、もう少し観察したいです。」

 

「……一理あるわね。」

 

「あのおハナさんを納得させるたぁ、やるじゃねーか南坂。」

 

 東条は小さく頷き、沖野は楽しそうに手を叩いた。

 

 その一方で――

 

「フン。」

 

 低く鼻を鳴らしたのは黒沼だった。

 

 腕を組んだまま、ロードを睨むように見ている。

 

「黒沼さんはどう思った?」

 

「……根性は認めてやる。」

 

「そこなの?」

 

 東条が呆れたように返す。

 

 だが黒沼は気にしない。

 

「あの姿勢を維持する精神力は本物だ。普通なら、“倒れる” という恐怖で身体が起き上がる。」

 

「だがヤツは踏み込んだ。」

 

 第四コーナーからの加速を思い出したのだろう。

 

 黒沼の口元が僅かに歪む。

 

「少なくとも、自分の限界から目を逸らすようなウマ娘ではない。」

 

「……なるほど。」

 

 そこで、静かだった一人の女性が口を開いた。

 

「皆さんは、彼のフォームを見ているのですね。」

 

 メイド服に身を包んだ女性。サトノ家が集まるチームカペラのトレーナー。

 

 全員の視線が集まる。

 東条が首を傾げながら、彼女に尋ねた。

 

「あなたは違うの?」

 

「はい。私は、彼の目を見ていました。」

 

「目?」

 

 沖野が首を傾げる。

 

「ええ。」

 

 小さく微笑む。

 

「諦めている者の目ではありませんでした。」

 

 静寂。

 

 夕暮れの風だけが吹き抜ける。

 

「何度否定されても、何度失敗しても。それでも前へ進もうとする覚悟。」

 

「まるで――自分自身の運命に抗うかのような目でした。」

 

 誰もすぐには言葉を返せなかった。

 

 サトノ家のウマ娘たちを見てきた彼女だからこそ、重みのある言葉だった。

 

 沈黙。

 

 やがて沖野が頭を掻く。

 

「なるほどなぁ。」

 

 観客席から見下ろす先。

 そこではロードがライツへ頭を下げていた。

 

 彼への評価は、この五人だけでも様々だった。だが、誰一人として “才能がない” とは言わなかった。

 

「厄介なヤツが来たもんだ。」

 

 沖野は苦笑する。

 

 その言葉に、誰も否定しなかった。

 

 観客席に座る五人のトレーナーたちは、それぞれの視点で一人の少年を見つめていた。

 

 

 

・・・・・

 

 

 

「それでは、私たちは先に学園へ戻るよ。」

 

 ライツは車椅子の向きを変える。

 

 隣ではたづなも小さく会釈した。

 

「早速、明日からプロジェクト開始だ。楽しみにしておいてくれ。」

 

 そう話すライツの口元には、笑みが浮かんでいた。

 

「はい。」

 

 ロードは深く頭を下げる。

 

 そして。

 

 二人の姿が夕暮れのトレーニング場から遠ざかっていくのを見送った。

 

 風が吹く。

 

 ターフは静かだった。

 

 ――いや。

 

 静かだと思ったのは、一瞬だけだった。

 

 ドンッ!

 

「っ!?」

 

 突然、背後から衝撃。

 

 反射的に振り返ると、そこには――

 

 

「ずいぶんと楽しそうだったなぁ、ルベウス!」

 

 

 満面の笑みを浮かべたゴルシがいた。

 

「あ……確か、河川敷で会った……。」

 

「ゴールドシップだ!よく覚えとけコノヤロー!」

 

「痛っ!?」

 

 ゴルシはロードの首元に右腕を回し、がっちりとホールド。そのままこめかみの辺りを左拳でグリグリと押した。

 

「いきなり何やってるのよバカ!」

 

「なんで印象最悪なことしかできねぇんだ!」

 

 二人のウマ娘が現れて、ゴルシを引き剥がす。その勢いでロードは芝の上に倒れ込んだ。

 

 いきなりの出来事に困惑するロード。顔を上げるとそこには、見知った顔たちがあった。

 

「やっほー、ルベウス君!」

 

「お久しぶりですね。」

 

 こちらの顔を覗き込むように手を振るのは、テイオーとマックイーン。

 

「最後の直線、すごかったです!」

 

「ちょっと心配になるくらいだったけどね。」

 

 興奮しているのか、尻尾をぶんぶんと振るスペ。その隣でスズカが苦笑する。

 

「本当よ。」

 

 スカーレットがゴルシを組み倒しながら平然と話し始める。

 

「見てるこっちの寿命が縮むかと思ったわ。」

 

「でも、すげー速かったよな!」

 

 同じくゴルシを組み倒しているウオッカが素直に言う。

 

 一斉に向けられる視線。

 

 ロードは少しだけ困ったように頭を掻いた。

 

「その……。」

 

 何から話せばいいのか分からない。それほどまでに、スピカのメンバーたちの行動はカオスだった。

 

 と、その時。テイオーがどこかへ手を振りだした。

 

「おーいキタちゃん。そんなトコで何やってるの?」

 

 見れば、少し離れた場所でキタサンがこちらを見ていた。突然名前を呼ばれたキタサンは、耳と尻尾をピーンと勢いよく伸ばす。

 

「えっ、あ、いや……。」

 

 ようやくキタサンは少しずつこちらへと歩み寄る。

 

 時々チラリと見る視線の先にはルベウスロード。どうやらかなり緊張しているようだ。

 

「にししっ!本当にルベウス君のことが好きなんだね!」

 

「ちっ、違います!!」

 

 慌てて否定するキタサン。だが、顔を真っ赤にして慌てているのは答えを言っているようなものだ。

 

「こらテイオー。他人の恋路をあまり揶揄うものじゃありませんわ。」

 

「マ、マックイーンさんまで……!」

 

「ナチュラルに揶揄っていくスタイル……。」

 

 スカーレットが静かにツッコむが、悪意のないマックイーンは気づかない。

 

 そんな騒ぎを見ていたロードは、小さく首を傾げた。

 

 何が起きているのかはよく分からない。

 だが、顔を真っ赤にしているキタサンだけは目に入った。

 

「キタサン。」

 

「ひゃいっ!?」

 

 変な声が出た。

 

 ロードはゆっくりとキタサンの方へ歩み寄る。

 

 全員がそちらを見る。

 彼が何を言うのかワクワクしながら見守った。

 

 するとロードは、キタサンへ向けてそっと手を伸ばした。

 

「……?」

 

 ポカンとその掌を見るキタサン。

 やがてロードは小さく笑い、言った。

 

「久しぶり。」

 

 その一言で、キタサンは全て理解する。ロードが今求めているのは――

 

「久しぶり!」

 

 パシッ!

 

 二人の手が触れ、弾ける音が鳴る。

 先ほどまでの恥ずかしい気持ちはどこへやら。キタサンの表情は、笑顔で溢れていた。

 

「ずっと待ってたよ!」

 

 キタサンの尻尾がぶんぶんと風を切る。

 それを見たテイオーが、ニヤけながら言った。

 

「今日のキタちゃんね、ルベウス君に会えるってすごいはしゃいでたんだよ。」

 

「テイオーさん!恥ずかしいから言わないで!」

 

 再び顔を真っ赤にするキタサンを見て笑うスピカメンバーたち。それに釣られてロードも小さく笑った。

 

 それを見たスペが目を見開く。

 

「わぁ、ルベウス君って笑うんですね!」

 

「スペちゃん、その言い方は少し失礼よ。」

 

「あっ、すみません!」

 

「言いたいことはちゃんと伝わってますよ。」

 

 スペの少し直球すぎた言い方に、スズカが注意する。しかしロードは気にすることなく、微笑みながら答えた。

 

「初対面の時は……すみませんでした。」

 

「いやいや、謝る必要はねぇよ。こっちもルベウスのこと何も知らなかったし。」

 

「そうよ。私たちも気にしてないわ。」

 

 その言葉に、ロードは少しだけ目を瞬かせた。

 

 河川敷で別れた後も、どこか引っかかっていた出来事。だが、当の本人たちは全く気にしていなかったらしい。

 

 と、その時。

 

「んなことよりルベウス!」

 

 先ほどまで組み伏せられていたゴルシが、勢いよくロードの肩を叩いた。

 

「この後ヒマなら競争しよーぜ! 前回のリベンジマッチだ!」

 

「……すみません。」

 

 ロードは少し申し訳なさそうに答えた。

 

「明日から始まるトレーニングのために、ライツさんからストップがかかっていて。」

 

「あー?」

 

 ゴルシが露骨に不満そうな顔をする。

 

「んだよ、つまんねーなー。」

 

「ライツさんの許可が下りたら、いつでも相手しますから。」

 

「言ったな?」

 

 ゴルシがビシッと指を突き付ける。

 

「嘘ついたら毎朝ゴルシちゃんが『おはよう♡』って囁き続ける魔法をかけるからな。」

 

「普通にホラーだからやめてください。」

 

「そこは喜べやゴラァ!!」

 

「やべぇ! ゴルシがキレた!」

 

「ルベウス君逃げて!超逃げて!」

 

 トレーニング場に笑い声が響く。

 

 夕暮れの空、風に揺れる芝。

 そして、その中心で笑う少年。

 

 つい数日前まで一人で河川敷を走っていたとは思えないほど自然に、彼は輪の中に溶け込んでいた。

 

 

 

 

 

 少し離れたトレーニング場の入り口。

 

 一人のウマ娘が壁に寄りかかりながら、その光景を眺めていた。

 

「…………。」

 

 何も言わない。

 

 ただ静かに見つめている。

 

 楽しそうな声が、笑い声が聞こえてくる。

 

 その中心には、あの少年がいた。

 

 少女は小さく目を細めた。

 

 しばらくして、静かに壁から背を離す。

 

 もう十分だった。

 

 踵を返す。

 

 夕暮れの廊下へ足を踏み出したその時。

 

 

私は絶対に――あなたを認めません。」

 

 

 ただ、それだけを残して。

 

 少女はトレーニング場を後にした。

 

 

 つづく




毎朝ゴルシに「おはよう♡」と囁かれる魔法……。皆さんはどう思いますか?
僕は嬉しいです。

では、また次回。
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