ギルドの受付嬢は定時に帰りたい 〜最強のハンマー使いと隠蔽工作の相棒〜 作:can'tPayPay
中庭の空気が、凍り付いたように静まり返る。
Sランク冒険者シグルド。彼が放つ威圧感は、並の冒険者なら膝をつくほど鋭い。対するカイトは、相変わらず地味な外套を纏い、所在なげに立っているように見えた。
「――よかろう。貴様の『後始末』の実力、身をもって知るがいい」
シグルドが動いた。
目にも止まらぬ速さで踏み込み、白銀の剣がカイトの首筋へと奔る。峰打ちではあるが、その速度は音を置き去りにしていた。
「カイト……!」
アリナが叫び、神器を呼び出そうと虚空を掴む。だが、その一瞬早く、カイトの姿が霞のように消えた。
「――残念。そこ、もう僕の『仕事場』ですよ」
シグルドの背後から、温度のない声が響く。
カイトは、シグルドの剣筋を最小限の動きで回避したのではない。あらかじめ配置していた「転移の座標(マーカー)」を使い、空間ごと入れ替わっていたのだ。
「何っ!?」
驚愕するシグルドの足元で、幾何学模様の魔方陣が淡く輝く。
カイトがナイフを地面に突き立てると、粘り気のある漆黒の影が、シグルドの足を、腕を、そして白銀の鎧を侵食するように絡みついた。
### 2.
「これは……重力魔法、いや、拘束結界か……!?」
「アリナが全力で暴れるためには、周囲に被害を出さない『壁』が必要なんだ。……だから僕は、どんな力も逃さない『箱』を作ることに特化してきた」
カイトがナイフを翻すと、結界の強度が跳ね上がる。
Sランクの身体能力を以てしても、一歩も動けない。シグルドは歯噛みした。
「貴様……これほどの力を隠しながら、なぜアリナ嬢のパシリなどに甘んじている……!」
「パシリじゃない。相棒だよ」
カイトは冷めた瞳で、拘束された騎士を見据えた。
「シグルドさん。あんた、アリナを騎士団に連れて行きたいって言ったよね。……でも、あんたたちに彼女が守れるのか? あいつが上層部の理不尽な命令にブチギレて、その場にいる全員をハンマーでミンチにしようとした時……誰がその罪を隠し、誰が彼女の代わりに頭を下げて、誰が彼女の好きなスイーツを用意して機嫌を取るんだ?」
「……それは……」
「それができるのは、世界で僕だけだ。……あんたに、彼女の『仮面』を支える覚悟があるのかよ」
### 3.
シグルドは沈黙した。
目の前の男は、戦闘力で自分に勝とうとしているのではない。
アリナ・クローバーという爆弾を、誰よりも理解し、コントロールし、日常という名の平穏に繋ぎ止めている。その「専門性」において、自分は足元にも及ばないと突きつけられたのだ。
「……ッ、離せ。私の負けだ」
カイトが指を鳴らすと、影の拘束が霧散した。
シグルドは剣を鞘に収め、乱れた襟元を整えると、背後に立ち尽くしていたアリナを一瞥した。
「アリナ・クローバー。……貴女の相棒は、想像以上に狂っているな。……その男が隣にいる限り、貴女が騎士団に下ることはないだろう」
「……当たり前です。私はカイトとじゃないと、まともに仕事もできませんから(ニッコリ)」
アリナはいつの間にか、完璧な「受付嬢の微笑み」を取り戻していた。だが、その目はシグルドが去るまで、一瞬たりとも神器召喚の予備動作を解いてはいなかった。
### 4.
シグルドの気配が完全に消えた後。
中庭には、再び二人だけの静寂が訪れた。
「……あー、怖かった。Sランクを相手にするなんて、寿命が縮むよ」
カイトが地面にへたり込み、大きく息を吐き出す。
すると、アリナがトコトコと歩み寄り、座り込むカイトの頭を、自分の胸にぎゅっと抱き寄せた。
「カイト。……あんた、かっこよすぎ。反則よ」
「……苦しい、アリナ。鎧(胸当て)が当たって痛いんだけど……」
「うるさい! ここは甘やかされておきなさいっての! あんな生意気な騎士様に『相棒だ』なんて言い切っちゃって……もう、私の心臓、今の衝撃波で壊れそうなんだから!」
アリナの顔は、月明かりの下で見てもはっきりと分かるほど赤くなっていた。
彼女はカイトの髪をかき回しながら、消え入るような声で囁く。
「……ありがと。私の『隣』、誰にも譲らないから。……約束よ?」
「……ああ。定時まであと数分でも、世界が滅びそうでも、僕が君の『後始末』をしてあげるよ」
二人はしばらくの間、重なり合ったまま夜風に吹かれていた。