ギルドの受付嬢は定時に帰りたい 〜最強のハンマー使いと隠蔽工作の相棒〜 作:can'tPayPay
すみません
それは、アリナにとっての「福音」だった。
「――特別休暇、ですか?」
支部長から渡された書面を見た瞬間、アリナの脳内では勝利のファンファーレが鳴り響いた。
普段の「完璧な受付嬢」の仮面が、一瞬だけズレそうになるのを必死に堪える。
(やった……! やったわ! 三日間! 三日間もあのクソ忌々しいカウンターに立たなくていいのね! 朝寝坊し放題、パジャマのままゴロゴロし放題、誰の顔も見なくて済む……これこそが人生の真理、有給休暇……っ!)
「……承知いたしました。……突然のことで驚きましたが、ゆっくり休ませていただきます(震える手で歓喜を隠しながら)」
アリナは、スキップしそうになる足を気合で抑え込み、優雅な足取りでギルドを後にした。
### 2.
休暇一日目の昼過ぎ。
王都の端にある、カイトの自宅兼隠れ家。
「――うぅ……動きたくない……一歩も歩きたくない……」
そこには、昨日の凛とした受付嬢の姿は微塵もない、ソファで液体のように溶けているアリナがいた。
大きなシャツ一枚にショートパンツというラフな格好で、カイトの膝を枕にしながら、死んだように目を閉じている。
「アリナ、もう昼過ぎだよ。せっかくの休みなんだから、何か美味しいものでも食べに行かない?」
「やだ……。カイト、外は危険がいっぱいよ。冒険者はいるし、魔物は湧くし、何より『仕事の知り合い』に会う可能性があるわ。……私はこのまま、あんたの膝の上で永遠に眠りにつくの……」
カイトは苦笑しながら、アリナの柔らかい髪を指で梳いた。
アリナにとって、最大の贅沢は「何もしないこと」だ。カイトという、世界で唯一気を許せる安全地帯(セーフエリア)で、ただ泥のように眠る。それが彼女の至福。
「でも、昨日の夜に言ってた『期間限定の巨大モンブラン』、今日までだよ?」
「…………っ!」
ピク、とアリナの眉が動く。
片目だけを薄らと開け、カイトを恨みがましく見上げた。
「……卑怯よ、カイト。私の弱点を知り尽くして……」
「だって、せっかくの休みだろ。アリナを一日中寝かせておくのもいいけど、たまには日を浴びさせないとカビが生えちゃうからね」
「……わかったわよ。行くわよ。……ただし」
アリナはカイトの首に腕を回し、ぐいっと自分の方へ引き寄せた。
「……お店までは、あんたがエスコートしなさい。あと、帰ってきたらまたここで寝かせてくれること。いいわね?」
「はいはい。お望みのままに、お姫様」
### 3.
着替えて街へ出た二人は、目当てのカフェで巨大なモンブランを堪能した。
アリナの機嫌は、糖分の摂取量に比例して目に見えて良くなっていく。
「……ふぅ。生きててよかった……。仕事なんて、やっぱり滅びるべき文化だわ……」
「それを言っちゃおしまいだよ。……お、アリナ、あそこ。新しい雑貨屋ができてる。寄ってみる?」
カイトが指差した先。だが、そこには雑貨屋よりも先に、アリナにとって「最悪の障害」が立ちはだかっていた。
「――助けてくれ! 下水道から、巨大なヘドロスライムが這い出してきたぞ!」
街の通りがパニックに包まれる。
不快な臭いと共に、建物の隙間から溢れ出すドロドロの魔物。
「……はぁぁぁぁあああ!? なによ、今いい気分だったのに! 私の休日を、こんな汚物で汚すつもり!?」
アリナの背後から、真っ黒なオーラが立ち昇る。
「カイト! 結界! 一秒で! 私の休暇に触れる不届き者は、一分子残さず消去するわ!!」
「わ、わかったから! アリナ、落ち着いて! ハンマーは一回だけだよ!」
カイトが瞬時に周囲の認識を阻害し、音と光を遮断する多層結界を展開する。
結界が閉じたコンマ一秒後――。
ドォォォォォン!!
アリナの放った『神器』の風圧だけで、ヘドロスライムは乾燥・粉砕・消失した。
「……ふん。ゴミ掃除完了。……カイト、服に匂いついてない? 大丈夫?」
アリナはすぐさまカイトに抱きつき、クンクンと匂いを嗅ぎ始める。
「大丈夫だよ。……でも、アリナ、もう帰りたくなっただろ?」
「当たり前じゃない。……もう、今日はこれ以上動かない。あんた、私を抱っこして家まで帰りなさい。……これは命令よ」
### 4.
夕暮れ。
再びカイトの家に戻ったアリナは、宣言通り、ソファでカイトに抱きついたまま動かなくなった。
「……ねえ、カイト」
「ん?」
「私、仕事は嫌い。……寝てるのは大好き。……でも、あんたと一緒にいる時間は……その、二番目くらいに好きよ」
「……二番目なんだ?」
「一番目は『寝ること』だもの。譲れないわ。……でも、あんたの隣なら、もっと深く、気持ちよく寝られるの」
アリナはカイトの腕の中で、幸せそうに小さな寝息を立て始めた。
最強の力を隠し、完璧な笑顔で仕事をこなし、定時で逃げるように帰り、そして大好きな相棒の傍で泥のように眠る。
アリナ・クローバーにとって、これ以上の「有給休暇」は存在しない。
カイトは、自分の腕の中で無防備に眠る「世界で一番面倒で、愛おしい相棒」を、夜が深まるまで静かに抱きしめ続けていた。