表現の違和感や誤字脱字等ありましたら教えていただけると幸いです!!
雲一つない青空が広がる休日。高専のグラウンドには、逃げ場のない真夏の太陽が容赦なく降り注いでいた。
「最強」と謳われる少年たちの組手を見守るのは、木陰のベンチに陣取った硝子だけだ。彼女は保冷バッグから取り出した冷たいスポーツ飲料を首筋に当て、気だるげにフィールドの中央を見つめていた。
「……暑苦しいねぇ、君たちは」
硝子の呟きは蝉時雨に消される。その視線の先では、悟、傑、摂の三人が、それぞれの間合いを保って対峙していた。
「まずは僕と傑でいいかな、悟」
「おう、いいぜ。じっくり見学してやるよ。摂、あんまり傑をいじめてやるなよ?」
悟が不敵な笑みを浮かべてベンチまで下がると、傑がスッと右手を前に出した。
その掌からは、どろりとした不浄な呪力が溢れ出し、影のように地面を這う。
「手加減はしないよ、摂。君のその余裕、いつまで保つかな」
「望むところだ。君の呪霊たちが、僕の『言葉』をどこまで理解できるか試させてもらうよ」
傑が掌を翻すと同時に、その「影」から数体の一級・二級呪霊が這い出した。
一体は、無数の腕を持つ蜘蛛のような異形。もう一体は、巨大な口だけで構成された肉塊。それらが傑の意志に従い、全方位から摂へと殺到する。
摂は動かない。制服のボタンを一番上まで留めた「静」の佇まいのまま、具現化した『空音』の柄を指先で軽く弾いた。
コ───ン──…。
音叉の如き澄んだ音が、熱せられた空気の層を震わせて広がる。
次の瞬間、摂の喉笛を裂こうとしていた蜘蛛の呪霊が、空中で奇妙な反転を見せた。
「……なっ!?」
傑が目を見開く。蜘蛛の呪霊は、あろうことか隣を走っていた「口だけの肉塊」に対し、その鋭い脚を突き立てたのだ。肉塊もまた、摂を無視して蜘蛛の胴体に噛みつく。傑の『呪霊操術』による支配下にあるはずの怪異たちが、互いを不倶戴天の敵と見なし、凄惨な共食いを始めた。
「私の支配を上書きしたのか……? いや、違うな」
「そう。僕は支配なんて面倒なことはしないよ、傑。ただ、彼らの五感に少しだけ『嘘』を混ぜたんだ。『目の前にいるのは、君を殺そうとしている宿敵だ』とね。彼らはただ、自分の生存本能に従って動いているだけだよ」
摂は微笑んだまま、混乱の渦中にある呪霊たちの隙間を、まるで散歩でもしようかという足取りで通り抜ける。
その足取りに合わせて、空音の放つ虹色の光がシャボン玉のように弾けた。
「……面白い。だが、五感に頼らない呪霊ならどうかな!」
傑がさらに巨大な、視覚を持たず熱源と呪力に反応する特異な呪霊を地中から呼び起こす。同時に、傑自身も体術を織り交ぜて摂の死角へと踏み込んだ。
傑の拳が摂の側頭部を捉える――はずだった。
「……捕まえたと思ったかい?」
傑の拳が空を切り、空中の熱気が揺らぐ。そこにあったはずの摂の姿は、陽炎のように消えていた。
傑の背後に、いつの間にか眼鏡の奥の瞳を細めた摂が立っている。
「君が今『殴った』感触さえ、僕が君の脳に受理させた『嘘の報酬』だよ」
「……っ、タチが悪いな、君の術式は!」
傑が即座に距離を取り、体勢を立て直す。二人の間で火花が散るような呪力の応酬が続く中、ベンチでそれを見ていた悟が、堪えきれないといった様子で身を乗り出した。
「あーもう、見てらんねぇ! お前ら楽しすぎ! 俺も混ぜろ!」
我慢の限界といった様子で、悟が乱入した。
「無下限」を纏った悟の回し蹴りが、摂の残像を豪快に薙ぎ払う。
「おい悟、邪魔をするなと言っただろう!」
「うるせぇ、二人でやった方が楽しいだろ! 摂、まとめて相手してやるよ!」
こうして、乱戦は始まった。
悟は「無下限」による絶対的な機動力で、傑は「呪霊操術」による変幻自在な手数で摂を攻め立てる。
だが、摂はその二人を相手に、冷や汗一つ流さない。
「二人同時か。贅沢だね」
摂が『空音』を縦に振る。
虹色の輝きがグラウンドを満たした瞬間、悟の視界の中で、傑の呪霊が摂の姿に見えた。
「そこだ!」
悟が拳を叩き込むが、それは摂ではなく傑の放った呪霊を粉砕したに過ぎない。
「悟、どこを狙っている! 私だ!」
「あぁ!? 今のは摂だっただろ!」
「残念、こっちだよ」
二人の背後から、摂の穏やかな声が響く。
六眼を持つ悟でさえ、摂が放つ圧倒的な呪力の「出力」によって、脳に届けられる情報そのものをバグらされている。
「右」にいるという確信を、「左」だという暴力的な信号が上書きする。
悟と傑、高専最強の二人が、たった一人の「嘘」に翻弄され、互いの攻撃をぶつけ合いそうになる。
「……っ、傑! こいつの術式、まともに付き合ってたらキリがねぇぞ」
悟が顔を顰め、サングラスを投げ捨てた。青い瞳が、これまでになく鋭く摂を射抜く。
「情報の精度で負けるなら、情報を遮断するまでだ。傑、合わせろ!」
「了解だ、悟!」
傑が瞬時に理解し、手持ちの呪霊の中でも最大級の闇を吐き出す個体を召喚した。
黒い霧がグラウンドを覆い尽くし、物理的な視界を完全に奪う。
さらに悟が指を組んだ。
「術式順転『蒼』」
悟は、自分自身の耳に届く「音」さえも無下限で無限の彼方へ沈め、物理的に音をシャットアウトした。
視覚を傑の闇で潰し、聴覚を自身の無限で殺す。
摂の術式の媒介となる「光」と「音」を、自ら拒絶したのだ。
六眼は光を必要としない。呪力の密度と揺らぎだけで、闇の中に潜む摂の「圧倒的な物量の呪力」を直接捉える。
「そこだ!!」
悟と傑、二人の阿吽の呼吸が重なった。
傑が闇の中から摂の足を呪霊で拘束し、その一点を目掛けて、悟が逃げ場のない「蒼」を叩き込む。
「……あはは、そこまでやるかい」
引力に引き寄せられ、悟の拳が、ついに摂の腹部を捉えた。
ドォォン! と空気が爆ぜるような衝撃音が響き、摂の体が砂煙を上げてグラウンドの端まで吹き飛ばされた。
「……まいったな。完敗だよ、二人とも」
砂煙が収まる中、摂は仰向けに倒れたまま、眩しそうに空を見上げた。外れた眼鏡が少し離れた場所に落ちている。
悟と傑は肩で息をしながら、ようやく実体を取り戻した摂へと歩み寄った。
「……ハァ、ハァ……。やっと一発入ったぜ……。バケモンかよお前」
悟が額の汗を拭い、荒い呼吸のまま笑った。
「二人で協力して、ようやく、といったところだね。……正直、一人では勝てる気がしなかったよ」
傑も苦笑しながら、摂に手を差し伸べる。
「最強の二人にここまでされたんだ。光栄だよ」
摂はその手を取り、立ち上がった。
第一ボタンまで留められていた制服は土で汚れ、髪も乱れている。レンズの奥の瞳は、いつも通り穏やかで、敗北を微塵も悔やんでいないように見える。
「……なぁ摂。お前、悔しくないのか?」
悟がジロリと摂を睨む。
「まさか。悔しいよ。ただ全力を出し合って戦えるのが楽しいだけさ」
摂は土を払い、いつも通りの穏やかな微笑を浮かべた。
「さて、ボコボコにされたから、二人には傷ついた僕にアイスでも奢ってもらおうかな。硝子、行こうか」
「いやいや!負けた摂が奢れよ!!」
「硝子はどう思う?」
「奢ってくれるなら誰でもいーよ」
先ほどまで組手の枠を超えた大規模な戦闘を行っていた者たちの会話とは思えない軽口のやりとり。
四人は仲良く近くのコンビニへ向かうのであった。