かなり時間がかかってしまいました。
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引き続き表現の違和感や誤字脱字等ありましたら教えていただけると幸いです!!
2006年、初夏。
高専の校舎を包む空気は、すでに梅雨の気配を孕んで重苦しい。だが、教室に集められた三人の少年たちの周りだけは、まるで別世界のような不遜な熱気が渦巻いていた。
教壇に立つ夜蛾正道が、手元の資料を机に叩きつける。
「いいか、この任務はお前たち三人に行ってもらう。正直荷が重いと思うが天元様からのご指名だ」
『天元』。その単語が出た瞬間、摂が驚いた表情を少し見せた。
「今回の任務は、天元様との適合者たる星漿体の少女の護衛。そして、――抹消だ」
「……抹消、ね」
摂が、手元の資料を指先でなぞりながら、不満げな声を発した。
「言葉選びがエグいよね。要は、天元様に飲み込まれて、個としての存在を消されるってことでしょ? 相変わらず上の連中は趣味が悪い」
「摂、言葉を慎みなさい」
傑が、溜息混じりにたしなめる。その視線は、資料に写る一人の少女――天内理子の写真に注がれていた。
「星漿体の少女の所在が漏れてしまった。今、少女の命を狙っている輩は大きく分けて二つ」
資料をめくると二つの組織の情報が載っていた。
「一つは天元様の暴走による現呪術界の転覆を目論む『呪詛師集団Q』」
どこか軍服のような白い服をまとった集団が写っていた。
「こっちは分かりやすいね。力でねじ伏せれば済む話だ」
悟が背もたれに深く寄りかかり、退屈そうに指先で机を叩く。
「もう一つ天元様を信仰・崇拝する宗教団体『盤星教』時の器の会」
こちらはどこにでもある宗教団体。非術師の集団が写っていた。
「天元様と星漿体の同化は、二日後の満月。それまで少女を護衛し、天元様のもとまで送り届けるのだ。失敗すれば、その影響は一般社会にまで及ぶ。心してかかれ!」
夜蛾の言葉が結ばれると同時に、教室を支配していた重苦しい静寂が、どこかピリついた戦闘の予感へと変わった。
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「理子ちゃんはこの部屋だね」
摂と傑は、理子が潜伏している高層マンションの一室の前に立っていた。悟は外周の警戒。先行して彼女を確保し、合流地点へ運ぶのが二人の役目だ。
摂がドアノブに手をかけた、その瞬間だった。
轟ッ!!
凄まじい爆風が、内側からドアを吹き飛ばした。
「理子ちゃん!!」
傑が叫ぶ。爆煙の向こう側、部屋の窓が粉砕され、一人の少女――天内理子が外へと投げ出されていた。
「摂、ここは任せる!」
「ああ、行ってくれ!」
傑は迷わず、呼び出した飛行型の呪霊に飛び乗り、落下する理子を救うべく虚空へと身を投げた。
煙が立ち込める室内。
摂は、部屋に近づいてくる存在に話しかける。
「……やれやれ。レディの部屋を爆破するなんて、野蛮だね」
煙の奥から、筋骨隆々の男が姿を現す。呪詛師集団「Q」の戦闘員だ。
「チッ、生きてんのか。だが、俺の手ですぐに殺してやる」
筋肉を膨らませた男が、嘲笑いながら摂へ肉薄する。
摂は素早く『空音』を具現化し、音叉状の刀身で男の拳を受け流すと同時にその根元を指先で鋭く弾いた。
コ───ン──…。
「……あ?」
男の足が止まった。
彼の視界の中で、摂の姿が揺らぎ、次の瞬間には「十人」に増殖していた。
「なんだ、分身か!? 姑息な真似を!」
男は1番近くの摂に拳を振るうが、手応えが軽い。殴ったはずの摂は、勢いよく飛んでいくが、シャボン玉のようにパチンと弾け消えてしまった。
「残念。君が殴ったのは、その辺にあった枕だよ」
「どういう…事だ…?」
「さてね。説明する義理は無いよ。少し眠っていてくれ」
摂が再び刀身を鳴らす。虹色の光が室内に爆ぜ、男の意識は強制的に深い闇へと引き摺り込まれた。
十数分後。
マンションの別の一室に少女の声が響き渡る。
「妾を離せ! この無礼者め!」
護衛対象である天内理子は、彼女を抱きかかえていた悟に対して、全力のビンタを食らわせていた。
「変な白髪に前髪に眼鏡!! 妾を殺したくばまずは貴様らから死んでみせよ!!」
ふんすっ! と謎のポーズを取り、理子が見知らぬ男三人を威嚇する。
「変な白髪がごめんね。僕は宵町摂。君を守るために僕たち三人は来たんだ。安心してほしい」
摂が一歩前に出て理子を落ち着けようと柔らかい口調で話しかける。
後ろから「変な白髪ってなんだー!」と抗議の言葉が聞こえるが無視する。
「胡散臭いのじゃ!!」
理子の言葉に反応し摂の後ろで吹き出す音が聞こえた。
「ははっ。やっぱり摂は胡散臭く見えるようだね。ここは私に任せてくれないか」
「変な前髪が一番胡散臭いのじゃ!!」
「……心外だな。これでもクラスでは一番の良識派だと思っているんだが」
傑が額を押さえながら苦笑する。その横で悟が腹を抱えて笑い転げていた。
「ギャハハハハ! 聞いたか摂、傑! お前ら二人とも『胡散臭いコンビ』認定だぞ!」
「悟、君も『変な白髪』って言われていたのを忘れないでくれよ」
摂は苦笑いしながら、外れた眼鏡の位置を直し、理子の正面に膝をついた。彼女の瞳には、強がりでは隠しきれない怯えの色が混じっている。無理もない。日常を爆破され、見知らぬ男たちに囲まれているのだ。
「理子ちゃん。怖い思いをさせて悪かったね。でも、信じてほしい。僕たちは君の味方だ」
これが最強の三人と星漿体である天内理子との出会いであった。
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「ハア!? さっさと高専戻った方が安全でしょ!!」
五条が苛立ったように、拳を壁に叩きつけた。サングラス越しでもわかるほど、その瞳には不満の色が濃い。
彼らは天内理子の要望で学校に来ていた。
『そうしたいのは山々だが、天元様からのご命令だ。天内理子の要望にはすべて答えよ』
言いたい事だけを言った夜蛾が一方的に電話を切る。
「チッ、ゆとり極まれりだな」
吐き捨てる五条の隣で、摂が銀縁の丸眼鏡を指先で押し上げ、水面に反射する眩い光を静かに見つめた。
「……いいじゃないか、悟。少しの間、彼女を『天内理子』という個人のまま、自由にしてあげようよ」
「摂、お前までそんな甘いこと言うのかよ」
「甘いかな。僕はただ、世界から消える前の数時間を、幸せな時間にしたいだけさ。……ねえ、傑?」
摂に話を振られ、傑が小さく溜息をついて頷いた。
「そうだね、悟。同化後、彼女は天元様として高専最下層で結界の元となる。友人、家族、大切な人とは二度と会えなくなるんだ」
一泊置き、傑が思いを口にする。
「好きにさせよう。それが、私たちの任務だ」
傑の言葉に、隣に控えていた黒井が、祈るように両手を胸の前で組んだ。その表情には、深い悲しみ色が混じっている。
「理子様に、ご家族は居りません……。幼い頃に、事故で。それ以来、私がお世話して参りましたが……ですからせめて、ご友人とは少しでも――」
黒井の絞り出すような声に、摂がゆっくりと視線を向けた。彼の瞳には、憐憫というよりも、もっと純粋で深い「肯定」の色が宿っている。
「黒井さん」
摂が、透き通るような穏やかな声で彼女を呼ぶ。
「それじゃあ、アナタが家族だ。……今までも、これからもね」
「……っ、はい」
黒井が瞳を潤ませて深く頭を下げた。摂はそれを見届け、全員に語りかける。
「さて。感傷に浸るのはこれくらいにしよう」
空気を変えるように、わざとらしく明るいトーンで手を叩いた。
「傑ー。監視に出してる呪霊は?」
「ああ。冥さんみたいに視覚共有ができれば良いんだけどね。それでも異常があればすぐに──」
傑が言葉を遮るように、眉をひそめた。その場にいた四人の空気が、一瞬にして戦闘のそれへと切り替わる。
「……悟、摂。急いで理子ちゃんの所へ。二体、祓われた」
摂が誰よりも早く、校舎の方向を見据えて空音を具現化する。
「この時間、理子ちゃんはどこにいる?」
摂は黒井に問いかける。
「この時間は音楽なので音楽室か礼拝堂ですね」
黒井が間髪いれずに答える。
「とりあえず移動しよう」
四人は走り出す。
「悟は礼拝堂、摂と黒井さんは音楽室、私はアンノウンを」
呪霊が祓われた場所と数を考慮して傑が指示を出す。
傑の指示のもと、四人は弾かれたようにそれぞれの目的地に向かって駆け出した。
「摂様、あそこが音楽室です!」
黒井さんが指差した扉を、摂は迷わず蹴り開けた。
だが、そこに広がっていたのは、静寂の教室だった。
並べられた譜面台、夕日に照らされたグランドピアノ。理子ちゃんの姿も、それを狙う刺客の気配も、そこには微塵も存在しない。
「……空振り、かな」
摂は眼鏡の奥で視線を鋭く走らせる。
「黒井さん。ここにはいない。理子ちゃんは礼拝堂にいる」
「理子様……!」
黒井さんの顔が蒼白になる。
僕は即座に判断を下した。
「黒井さん、悟が向かったなら理子ちゃんは安全だ。君は傑と合流して身の安全を確保するんだ」
「……分かりました。理子様をお願いします!」
黒井さんが走り去る背中を見届け、摂は反対方向、礼拝堂へと駆け出した。
理子ちゃんの予定と、呪霊が祓われた場所。最悪のケースが脳裏をよぎる。もし悟が間に合っていなかったら。もし、彼女が傷ついていたら。
全速力で廊下を駆け抜け、礼拝堂の重厚な扉を勢いよく押し開ける。
「理子ちゃん……!」
だが、そこに彼女の姿はなかった。
あるのは、ステンドグラスから差し込む西日と、ざわつきながら立ち尽くす数十人の女子生徒たちだけだ。
「……えっ、誰?」「またイケメンが来た……?」「それよりさっきの爆発、何だったの……?」
彼女たちの瞳には、恐怖と好奇心が混濁していた。このままでは、ここにいる女生徒の日常まで壊れてしまう。
摂は、冷めた瞳で静かに『空音』の刀身を指先で弾いた。
コ───ン──…。
虹色の振動が、礼拝堂の空間を満たす。
「——遍虚呪法。君たちの『今日』に、爆発も、不審な侵入者も存在しない。ただ、穏やかないつも通りの音楽の授業があっただけだ」
摂の呪力が、その場にいた全員の脳へ強制的に「嘘」を受理させる。
騒ぎ始めていた生徒たちは落ち着きを取り戻し、次の瞬間には、何事もなかったかのように彼女たちは合唱を再開し始めた。
彼女たちの世界から、数分間の記憶と「異常」の認識を丸ごと削り取ったのだ。
静寂を取り戻した礼拝堂の中で、摂は携帯を取り出した。
「……僕だよ。今、礼拝堂。音楽室はもぬけの殻だった。悟と理子ちゃんは?」
受話器の向こうから、傑の焦燥しきった声が返ってくる。
『……摂か。悟と理子ちゃんは無事だ。呪詛師は倒した。今校舎裏にいる。だが——』
傑の言葉が途切れる。嫌な予感が、背筋を駆け上がる。
『黒井さんが、攫われた。……私のミスだ』
「…………なんだって?」
摂の手の中で、携帯が軋む。
理子ちゃんの安全を優先するあまり、最も手薄になる場所を見誤った。
「……摂、すぐに合流しよう」
傑の声に生返事をして、摂は通話を切った。
「……僕の判断ミスで黒井さんが………!!」
摂が守りたかった「理子ちゃんの幸せな夏休み」に、決定的な亀裂が入った。
自分の慢心か、あるいは連携の不足か。
自分がいながら、最善の結果を手繰り寄せられなかったという事実が、鋭いナイフのように彼の自尊心を削る。
眼鏡の奥、虹色に揺らめく瞳には、消えることのない後悔と、冷徹な決意が宿っていた。