呪術廻戦『懐玉・玉折・玉消』   作:神切優羽

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第7話:廻天ノ音、震天ノ地

天変地異の落とし子。

窓の向こうで揺れる景色を置き去りに、補助監督の車は都内から少し離れた山間部の被災地へと急行していた。

 

数日前、この地域を襲った直下型地震。

それによって引き起こされた土砂崩れと地割れの中心から、不気味な呪力の脈動が観測された。災害そのものが人々に植え付けた「大地が崩れる恐怖」の総量——それは一級の枠を遥かに超えた、正真正銘の『特級呪霊』の誕生を意味していた。

 

高専が下した判断は、異例の二方面同時攻略。

「特級昇格」の最終試験を兼ねて、五条悟は一人で湾岸部に出現した津波の呪霊の討伐へ。そして、宵町摂と夏油傑の二人は、山間部の地震呪霊の討伐へと割り振られた。

 

「……悟は一人で特級、か」

 

助手席でシートベルトに体を預けながら、傑がぽつりと言葉を漏らした。

その声は、いつも通りの穏やかなトーンを装ってはいたが、どこか砂を噛むような乾燥した響きを含んでいる。痩せた横顔に、西日が冷たく影を落としていた。

 

「不満かい、傑」

 

後部座席から、摂が眼鏡のブリッジを押し上げながら声をかける。

 

「まさか。役割分担として合理的さ。悟の術式なら、広範囲の質量攻撃(津波)を一人で相殺できる。……でも、少し前までは、僕たち三人で任務をこなすのが当たり前だったからね。少し、遠くに感じるだけさ」

 

傑は窓の外を見つめたまま、自嘲気味に薄く笑った。

あの日、反転術式をモノにして「現代最強」へと至った五条悟。その隣に並び立つためには、自分たちもまた、一人で世界を塗り替えられる「特級」としての証明を果たさなければならない。

 

摂は何も言わず、ただ衣服の下で、前話の任務で負った左腕の傷の微かな疼きを感じていた。

遠くに感じる、か。

 

(感傷に浸っている暇はないよ、傑。盤面はすでに、僕たちに立ち止まることを許してはくれないんだから)

 

車が目的地に到着し、二人が足を踏み入れたのは、地割れによって完全に崩壊した山間の集落だった。

不気味なほど、静かだった。いや、静かなのではない。

五感を鋭敏に尖らせた瞬間、摂の鼓膜に、鼓動を狂わせるような「超低周波の地鳴り」が直接突き刺さってきた。

 

ズズズ、ズズズズズズ……。

 

空気そのものが、そして大地の底が、絶え間なく鳴り響いている。

 

「ギギ、ガ、アアアアアア!!」

 

突如咆哮が聞こえた。

直後、二人が立つ地面が爆破されたように跳ね上がり、周囲のコンクリートの残骸、巨石、崩れた土砂が、まるで全方位からの「壁」のように空間を埋め尽くし、二人を押し潰さんと殺到した。

 

前後左右、退路も安全圏も存在しない。空間そのものを物質の質量で圧殺する、絶対的な範囲攻撃。

 

「——気を付けろ、摂! 上だッ!!」

 

傑の喉を引き裂くような怒号すら、その空間では紙風船のように呆気なく弾け飛び、霧散した。

 

ズズズ、ズズズズズズズズズズズ……ッ!!!

 

大地の底、数千メートル、あるいは地球の核そのものが悲鳴を上げているかのような大轟音。

それは生物の咆哮などという生温いものではない。世界という強固なシステムそのものが、内側からバキバキと音を立てて崩壊していく物理的な破壊の音律。

山間部の寂れた集落を丸ごと飲み込み、地殻そのものを歪ませて顕現した怪異——特級呪霊『震天』。

 

姿を現したその巨躯には、生物としての『眼』が存在しない。

土砂、鋭利に割れた花崗岩、引き千切られた巨木の根や腐葉土をデタラメに凝固させた、高さ十メートルを超える泥石の山。その頭部と目される位置には、噛み合わずに激しく擦れ合う無数の『子供の歯』が幾重もの同心円状に並び、超高速でぶつかり合っていた。

ガチガチガチガチガチガチと、狂ったミシンのように震える白い歯。その微振動が、全方位へと世界を狂わせる致命的なノイズを撒き散らし、周囲の空間を、地面を、ガタガタと激しく揺らし続けている。

 

「……『遍虚呪法』」

 

摂は自らの術式を発動し、右手の中に呪術的な触媒である刀『空音』を出現させる。

刃を抜き、流麗な動作でその細い刀身を割れたアスファルトの床へと叩きつけた。

 

キィィィィィン――ッ!!

 

本来であれば、空音の発する音や光が相手に届いた瞬間。対象の五感を支配させるはずだった。

しかし。

 

(通じない。眼の無い怪異には光は届かず、叫び続ける大地の前には、音そのものが環境のノイズにかき消される)

 

「最近こんなのばっかだな……」

 

――呪術界上層部の思惑か、あるいは単なる不運か。ここ最近、相性の悪い任務が露骨に増えている。

摂は溢れ出そうになる毒づきを脳内で強引に処理し、即座に口を結んだ。

 

 

 

突如、爆音と共に世界が激しくスライドした。

縦に激しく跳ね上がり、横へと強烈にズレる大地。人間の脳が知覚する「上下左右」の座標が、足元から容赦なく書き換えられていく。

平衡感覚を司る三半規管が強烈な悲鳴を上げ、視界の輪郭が二重、三重にブレる。立っているだけで胃の底からドロリとした嘔吐感が競り上がってくるような、原初的なパニック。

 

だが、摂の眼鏡の奥にある瞳は、冷徹なまでにその絶望を観察していた。

 

ガチガチガチガチガチガチガチガチッ!!!

 

呪霊の歯が、さらに速度を増して擦れ合う。

瞬間、摂の真下の地面が、まるで巨大な獣の顎のように爆発的に割れた。地割れだ。底の見えない漆黒の亀裂が、凄まじい速度で摂の肉体を飲み込もうと迫る。

 

(――チッ!)

 

摂は脚部に呪力を爆発的に集中させ、地を蹴って宙へ跳んだ。

だが、その空中という逃げ場のない瞬間を、呪霊は見逃さない。

 

ズガガガガガガッ!!

 

頭上の山肌が限界を超えてめくれ上がり、何トンもの質量を持つ巨石と泥流の雨――土砂崩れが、全方位から摂を圧殺せんと降り注いだ。

 

空中での回避は不可能。

摂は迫り来る死の質量を見据え、ただ『空音』の柄を握る手に力を込めた。

 

――その時。

 

頭上を覆う土砂の濁流を、文字通り「引き千切る」ようにして、巨大な怪異が割り込んだ。

傑の放った、強固な甲殻を持つ大型の呪霊だ。

呪霊は摂の盾となり、降り注ぐ巨石をその肉体で強引に受け止める。ズシャァァン!と不気味な肉肉しい音が響き、傑の呪霊が土砂の重圧に軋み、潰されていく。

 

だが、その肉の盾は、摂に一瞬の『猶予』を与えた。

摂は潰れゆく呪霊の背中を、自らの第二の足場として思い切り踏みつける。

 

(——感謝するよ、傑!)

 

言葉は届かずとも、視線と呪力の気配だけで、親友の意図は痛いほど伝わってきた。

着地した摂は、即座に地を這うように滑り込み、再び前進を開始する。

 

しかし、特級の範囲攻撃は底が知れない。

一歩進むたびに足元が爆散し、大小の瓦礫が弾丸のような速度で吹き飛んでくる。連携を取ろうにも、傑の姿は立ち込める土煙と割れる大地の向こう側に遮られ、視認することすら困難だった。

 

近づけない。

呪霊の放つ絶対的な振動の結界が、二人の接近を物理的に拒絶していた。

 

 

 

 

 

 

戦闘開始から十数分。

 

「ハァ、――ッ、――フゥ、ッ」

 

呼吸が熱い。肺腑が泥と砂の混じった空気を吸い込んで、焼けるように痛む。

摂は激しくスライドする世界の中で、強引に肉体の軸を維持し続けていた。

 

この狂ったような足場で普段と同じように動くことは不可能だ。

だからこそ、摂が選択したアプローチは極めて単純だった。

 

凄まじい縦揺れが足を突き上げるならば、それを上回る呪力の質量を足の裏に集中させ、文字通り地面を上から「力ずくで踏み潰す」。

横揺れによって世界が激しくブレるならば、この数ヶ月間、高専で五条悟や夏油傑という化け物たちに、泥まみれになりながら叩き込まれた体幹の強度だけで、立ち続ける。

 

割れたコンクリートの鋭利な破片が、容赦なく摂の頬を切り裂き、衣服を破り、背中や腕に無数の裂傷を作っていく。鮮血が飛び散るが、摂の眼鏡の奥の瞳は、一ミリのブレもなく『震天』の核心を見据え続けていた。

 

その時、地割れの向こう側から、無数の細長い腕を持つ人型の呪霊が十数体、津波のように『震天』へと突撃していくのが見えた。

傑の仕掛けた、物量による波状攻撃だ。

呪霊たちは激しい振動に肉体をハサミのように引き千切られ、肉片になりながらも、その肉壁となって『震天』の注意を一瞬だけ引きつける。

 

(傑が、手数を惜しまずに盤面を動かしている。……僕が近づくための、道を、視線を誘導しているんだ)

 

確信があった。言葉はいらない。

傑がこれほど乱暴に呪霊を消費して暴れているのは、摂という「一撃」を通すための布石に他ならない。

 

だが、『震天』の防御機構は完璧だった。

突撃する傑の呪霊たちを、顔面の同心円状の歯が、ガチガチと激しい音を立てて噛み砕いていく。その咀嚼の衝撃波だけで、近づくものすべてが物理的に粉砕されていくのだ。

 

あと、五メートル。

その距離が、あまりにも遠い。

再び山肌が大きくめくれ上がり、摂の足場が完全に消失した。肉体が宙に浮き、自由を奪われる。

正面からは、摂の肉体を肉片へと変えるための、凄まじい硬度を持った岩石の礫が全方位から迫っていた。

 

(術式が届かない。刃も刺さらない。連携も物理的に阻害される。……なら、やり方を変えてみるだけだ)

 

宙に浮いた摂が、極限の死線の中で、自らの術式の構造を再確認する。

 

(僕の『遍虚呪法』は、自身の呪力を光や音といった【媒体】に変換して届ける術式だ。だが、この大轟音と土砂の前では通用しない。僕の強みは何だ?)

 

摂は考える。

自分の強みは圧倒的な呪力量と決まれば一撃決着の術式である遍虚呪法。

しかし、遍虚呪法を通じない。

なら──。

 

「物事はいつだって単純だ。難しくしているのはいつだって自分自身だったって訳だ」

 

環境のノイズに負けるなら、変換などしなければいい。

術式という精密なフィルターを、自らの意思で力ずくで引き千切る。

肉体の中で生成された膨大な生の呪力を、特定の形に整えることなく、そのままの質量、そのままの高出力で、正面一点へと指向性を持たせて解放する。

 

摂は空音の切っ先を特級呪霊『震天』へと向ける。

 

「上手くいくと良いな」

 

肉体から溢れ出た呪力が、空音の刃から虹色の閃光となって爆縮した。

それは術師としての効率を完全に度外視した、ただのエネルギーの暴走。

体内の呪力の半分近くが、強引に持っていかれた。

 

次の瞬間。

 

――ドォォォォォォォォォォォォォンッ!!!!!

 

指向性を持った暴力的なエネルギーの奔流が、真っ白な閃光となって世界を染めた。

放たれた呪力の巨砲は、摂の眼前に迫っていた何トンもの土砂崩れを一瞬にして原子レベルで蒸発させ、そのまま一直線に特級呪霊『震天』の顔面へと突き刺さる。

 

ガガガガガガガガバキィィィィィンッ!!!

 

擦れ合い、絶対の防壁を成していた無数の子供の歯が、その圧倒的な呪力の質量によって、正面から木っ端微塵に粉砕された。

硬質な皮膚が、泥の肉壁が、内側から爆砕され、背後の空間までをもブチ抜く大風穴が開く。

 

凄まじい熱量と、出力の反動が摂の右腕を襲った。

右腕の衣服がボロ切れのように弾け飛び、皮膚が焼けただれ、肉が裂けて鮮血が豪快に舞う。

ミシミシと嫌な音が響き、骨に無数のヒビが入る激痛。連発など到底不可能な、身を削る一撃。

 

だが、その代償の果てに、絶対の防壁は消し飛んだ。

『震天』の肉壁の奥、生得領域の核心である、脈打つ巨大な『呪力の核』が、完全に外界へと剥き出しになる。

 

(今だ、傑――ッ!!!)

 

摂は心の中で、親友の名を叫んだ。

会話は成立せずとも、この凄まじい呪力の光柱を見逃すような男ではない。

 

土煙を切り裂き、影が跳んだ。

五条悟に勝るとも劣らない、圧倒的な瞬発力で空間を駆けたのは、夏油傑だった。

彼の衣服もまた、土砂と地割れによってボロボロに引き裂かれていたが、その切れ長の瞳には、猛烈な闘志と、摂が開いた突破口への絶対的な信頼が宿っていた。

 

傑は空中で、無防備になった『震天』の頭上へと右手を大きく掲げる。

 

「――おのれぇッ!! 泥に塗れて、墜ちろッッ!!」

 

傑の怒号が、ようやく轟音の止んだ空間に響き渡った。

『呪霊操術』の発動。

形を失い、ただの巨大な呪力の濁流と化した『震天』の残滓が、傑の全開の術式によって力ずくでねじ伏せられ、引きずり込まれ、一箇所へと急速に圧縮されていく。

 

ズズズ、ズズズズズ……ッ!

 

世界を激しく揺らしていた大地の怒りが、テレビの主電源を突然切ったように、完全に静止した。

あれほど鼓膜を破壊せんばかりに響き渡っていた大轟音も、空間そのものをガタガタと歪ませていた輪郭のブレも、すべてが嘘のように消え去り、静寂が周囲を支配する。

 

特級呪霊の巨躯は、傑の掌の上で、ただの不気味な漆黒の球体――『呪霊玉』へとその姿を変えた。

 

 

 

 

 

静寂が戻った山間に、摂の荒い呼吸の音だけが小さく響く。

摂は空音を消し、血に染まった右腕を押さえながら、その場に膝をつきそうになるのを、自らのプライドだけで強引に踏みとどまった。

 

すぐ隣に、着地した傑が歩み寄ってくる。

彼もまた息を切らし、顔や腕に擦り傷を負っていたが、その表情には、摂の放った「呪力の高出力放出」への驚愕と、それ以上の深い感嘆が浮かんでいた。

 

「……見事だ、摂。術式を介さない、呪力の純粋な放出か。あの状況でそれを閃き、実行するとはね」

 

手の中の呪霊玉をじっと見つめ、それから、いつもの微笑みを向けながら、その不気味な球体を口元へと運んだ。

ゴクリ、と呪霊が傑の肉体へと完全に同化していく。

 

「これで、私もまた一つ、上の領域へ行ける。君の命懸けの突破口がなければ、この呪霊取り込む事はできなかった。ありがとう、摂」

 

傑はいつもの、どこか飄々とした、しかし確かな温かみを持った微笑みを摂に向けた。

 

摂は眼鏡の位置を左手で少しだけ直し、血の混じった唾を地面に吐き捨てた。

右腕の激痛は凄まじく、アドレナリンが切れれば気絶しかねない状態だったが、自らの親友の前で無様な姿を見せるわけにはいかない。

 

「……効率が悪すぎる技だよ。体内の呪力の半分をドブに捨てるようなものだ。連発もできないし、右腕はこの有り様だ。及第点には程遠い」

 

摂は、冷ややかに、自嘲気味にそう言った。

血に染まった右腕をだらりと下げたまま、彼は親友へと背を向ける。

 

「傑。——ご馳走の味はどうだった? 泥臭くて、君の口には合わなかったかもしれないけれどね」

 

「いや」

 

傑は、去り行く親友の背中を見つめながら、静かに、しかし力強く答えた。

 

「最高に、素晴らしい味わいだったよ」

 

崩壊した山間部の集落に、ようやく本物の静寂が訪れる。

二人の少年は、互いの血と泥にまみれた背中を預け合いながら、高専への帰路へとつき始めた。




6話のアンケートが今の所半々ですね…。
とりあえずこのまま残しておきます。

6話の内容を変更しました。どちらが良いと思いますか?特に反応が無ければ改訂版で続きを書こうと思います。

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