陰キャVtuberな私は、今日も隣のギャルに負かされる 作:あっぷる
体育祭、当日。
目が覚めるとカーテンの隙間から朝の陽ざしが入り込んでくる。
カーテンレールには手持ちのぬいぐるみを縛りつけて吊るしていた。タルタルくんが恨めしそうに睨んでいる。
昨日の配信で体育祭が嫌だとこぼしたら、リスナーがこうすれば雨が降ると教えてくれた。逆てるてる坊主よりいいらしいが、今回は効果がなかったみたいだ。
こんな黒魔術している日陰者では、天に祈りを届けられないらしい。
体育祭は青春の一大イベント、と呼ばれているが、私みたいな運動音痴な人間には地獄でしかない。
体育祭が日に日に近づき、周りのテンションがぶち上がる中、反比例して私の顔はお通夜になっていった。
これを「一生の思い出」と呼ぶ人がいるらしい。
しかし思い出になるのは、輝けた人だけだ。輝けなかった側にとって、ただの負の遺産である。
だから、寮を出る前に、SNSに一言投げておいた。
『今日、体育祭にゃ。生きて帰れたら夜に配信するにゃ。めいっぱいねぎらってほしいにゃ。配信がなかった場合は、丁重に供養してほしいにゃ』
保険はかけた。あとは、行くだけだ。
校門をくぐると、アナウンスの試運転の声が聞こえてきた。
マイクの「あー、あー」という発声。私も配信始めたてはああしていたっけな。
スピーカーから流れるBGMは、運動会の定番のやつだ。天国と地獄。
オッフェンバックの喜歌劇の序曲で、原曲は五分以上ある。それを一分足らずに切り刻んで、中盤からループさせている。
クラスの集合場所、グラウンド東側のテント下に行く。
E組の旗が、白い棒の先で揺れている。
「ユッキー、ちっすー!」
集合場所に着いた途端、応援団の法被を羽織った宮下さんが声をかけてきた。
髪は普段より高いところで一本にまとめて、ハチマキを額に巻いている。
あと法被の下では体育着を結んでお腹を出していた。ギャ、ギャルだ。
「お、おはようございます」
「ユッキーも気合入れてこー!」
「あ、はい」
ただでさえ元気な宮下さんが、今日は会場の熱気に当てられてか、いつもの五割増しで輝いている。
眩しすぎて直視できない。
やがて、開会式のため整列するよう、アナウンスが流れた。
朝礼台の上に、生徒会長が立った。
中川会長だ。先週の応援看板作りで、巡回に来た時に一度だけ話した人。
あの時は制服姿だったけど、今日はみんなと同じ学校指定のジャージだ。
マイクの前に立った姿勢が、やけにきれいだった。
「皆さん、おはようございます」
声がスピーカー越しにグラウンド全体へ広がる。
「本日の体育祭は、晴天に恵まれました――」
定型の挨拶。簡潔で無駄がない。
各クラスの健闘を祈るとか、応援団への感謝とか、けがのないようにとか、必要な要素だけを過不足なく並べて、三分くらいで終える。
「――以上です。皆さん、思い切り、楽しんでください」
朝礼台から降りる時の、ピシッとした足の運び。壇上でも降りた後でも、姿勢が変わらない。
全校生徒の前で、あれだけ落ち着いていられるのすごいな。
***
午前中の種目を、私は淡々と消化していく。
玉入れ。籠の下、後方ポジション。
前の人たちの頭越しに、届く高さを探りながら投げ続ける。
入ったのは半分もない気がするが、投げないよりはましだ。E組、二位。優秀。
大縄跳び。クラス全員で跳ぶ種目。
私のポジションは、一番跳びやすい中央付近。私に配慮してくれていてありがたい。
連続記録は52回で、学年トップだった。
午前の競技が終わり、昼の休憩。
テントの下で、購買で買ったパンを齧る。
種目表で自分の出走時刻を確認する。午後、借り物競走。十三時二十分。
十三時を過ぎたあたりで、膝を抱えた腕を、ほどく。立ち上がって、出走者の集合場所へ向かう。
借り物競走の集合場所はグラウンドの北側にあるコーススタート脇のテント。
出走順の番号が書かれた腕章を渡される。私は一組目の八番。
腕章を腕に通しながら、コースを見る。
スタートからお題箱までが50m、お題箱からゴールまでが100m。
途中で「借り物」を観客席か応援団の中から見つけて、連れて、ゴールする。
去年と同じだ。全部で150m。校庭を半周もしない。
あまり走らないし、周りとも差はつかない。
問題はお題だ。
宮下さんは昨年「校長先生」というお題があったと言っていた。
人を連れてくる系は気まずいので本当に勘弁してほしい。
「それでは一組目の選手、スタート位置についてください」
呼ばれて、スタートラインに立つ。
隣のレーンは知らない子で、その向こうはB組の女子。
そして一番外のレーンに高咲さんがいた。
高咲さんがこっちに気づいて、少しだけ手を上げる。
私も首だけで軽く返した。
高咲さんの顔にはまだ午前中の疲れが残っているようだった。
午前最後の種目だった障害物競走。
今年は三連続跳び箱と平均台渡り、そしてパン食い。
他の選手が全員ゴールした後も高咲さんだけがパンをとれず、最終的には実行委員の人にパンを手渡されてゴールさせられた。
――高咲さんになら勝てるか……?
邪な考えが浮かぶ。
いやいや、ぶっちゃけどんぐりの背比べだろう。私が障害物競走に出ていてもひどいことになっていただろう。
『ピンポンパンポーン』
なんて思っていたら急にスピーカーから音が鳴った。
『えー、次の借り物競走ですが、みなさんにサプライズのお知らせがあります!』
実行委員の女の子の声。語尾が無駄に弾んでいる。
『昨年のアンケートで、「借り物競走はもっと距離があった方が盛り上がる」というご意見をいただきましたので! 今年から、コースを400mに延長します!』
400m!?
150mが400mへ。2.5倍以上。トラックほぼ一周分である。
というよりすべての競技の中で一番長いじゃないか!
『みなさん、頑張ってくださーい!』
頑張ってくださーい、じゃない!
誰だ、そんなアンケートを書いたやつは。名乗り出ろ!
こちとらガチ種目じゃないと聞いて参加してるんだぞ!
一番外のレーンで高咲さんがこっちを見てくる。顔が白い。たぶん魂が半分口から抜けている。
私も似たような感じだ。
「やった、アタシの要望通ったー! ユッキー、ここ正念場だよ! みんなで応援するから頑張ってー!」
宮下さんの声が聞こえた。
お前、お前か――!!
***
「位置について――よーい」
係の生徒の声。
グラウンドの音が、少しだけ遠くなる。応援団の太鼓も、隣のレーンの子の呼吸も、全部が一段引いたところで聞こえる。
数秒の間があって、号砲が鳴った。
体が思ったより素直に前に出た。
どうやら怒りは燃料になるらしい。
お題箱までの最初の50m。ここはまだいい。短い。
私と高咲さんは置いて行かれてる気もしないでもないが、そこまで差はつかない。
前を走る人たちが、次々にお題箱へ手を突っ込んでは、紙を開いて散っていく。
ある子は観客席へ、ある子はテントの方へ。行き先が決まった人の走り方には迷いがない。
キョロキョロと辺りを見回している子もいる。
そうして私もお題箱に辿り着く。
お題箱の中を覗くと残っているのは五枚か六枚。
私はその中で一枚だけ孤立していた紙を掴んだ。何となく無難な気がした。
自分がぼっちだからあぶれていたやつを取ったというわけではない。
どうか、優しいお題でありますように。
くれぐれも校長先生ではありませんように!
そう祈って、私はお題を開いた。
<仲のいいクラスメイト>
思考が止まる。仲のいいクラスメイト?
「あれっ……」
血の気が引いた。
さっきまで借り物を探していた生徒が、私の横を走り抜けていく。
二年生になって二か月、挨拶する人はいる。
でも「仲のいい」人は、一人も思い当たらない。
そりゃそうだ。
部活に入っているわけでもなければ、積極的に人に話しかけているわけでもない。
人とのかかわりが希薄だったんだ。
どうすればいい。
とりあえずクラスのところに行って誰かを連れてくる?
ダメだ。ろくに話したこともない人を、私が「仲がいい」と決めて連れていくなんてできない。
選ばれた人はどう思うだろうか。どうしようもなく怖い。
グラウンドの音が、やけに遠い。
目元が熱くなる。どうしよう――。
「ユッキー! 何やってんのー!? 走れー!」
応援席から大声が飛んできた。
宮下さんの声。頭が上がる。
クラスのテントの前列。
宮下さんがメガホンを下ろしてこっちを見ている。両手を口の横に当てていつものように笑っていた。
(……いやいや。私なんかが、宮下さんを「仲のいいクラスメイト」として連れていくなんて)
たまたま隣の席なだけだ。あれを「仲がいい」と数えるのは図々しい。
クラスで一番の陽キャを、陰キャの私が選ぶ。なんておこがましさ。
――だけど
足が応援席の方に向く。
走る。
クラスのテントの前まで走る。
宮下さんが私の来るのを見て、メガホンを脇に挟んで身を乗り出している。
「あの――」
息が切れている。
「お題が――仲のいい、クラスメイト、で」
宮下さんが一瞬、きょとんとする。
それから目がぱっと開いた。
「アタシでいいの!?」
「他に……いないんで」
「うっわ、それ、アタシ超嬉しいんだけど!」
宮下さんが後ろのクラスメイトに振り返って、「ちょっと借り物呼ばれたー!行ってくる!」と声をかける。
他の子が「渡さん行けー!」「愛ちゃんに大事に連れてってもらえー!」と笑い声を上げていた。
宮下さんがテントから出てくる。
そして私の手を、当然のように取った。
「行こ、ユッキー!」
「ちょ――」
抗議は間に合わない。
私の手が宮下さんの手に握られている。指の体温が私のと違う。私の方が低い。
そうしてコースに戻り、二人で走り出した。
***
お題箱の元まで戻り、残り350m。
350mというのは、短いようで長い。
普通に頑張って走ると100mくらいで息が切れる。
「ユッキー、この調子この調子!」
「わわわっ、宮下さん速いって」
手を引っ張ってくれている宮下さんはたぶんそれをわかっていて、ある程度抑えているのだろう。
落としているのに息が全然乱れていない。会話ができる余裕もある。
だけど悲しいかな、そのペースはほぼ私の全力に近いのである。
ふと隣のレーンに人影が見える。高咲さんだ。
高咲さんの隣には片方の髪をお団子に結んだ女子がいる。
高咲さんは私と大差ないフォームで、大差ない速度で、大差ない息の切れ方をしている。
その隣でお団子の子は涼しい顔で高咲さんの手を引いている。
奇しくも私と高咲さんは並走していた。
お互い借り物に手を引かれる構図もそのままに。
「ゆうゆー!お題なにー!?」
宮下さんが楽しそうに隣のレーンへ声をかける。
よく走りながら他の人に喋れるな。
高咲さんが振り向く。
「かわ、いい、おんなの、こ!」
息も絶え絶え。
高咲さんの隣で、その子の頬が赤くなる。耳まで赤い。
(……少女漫画かよ)
内心でツッコむ。
宮下さんが「あー、それで歩夢ね! わかるー!」と、走りながら同意を放つ。
歩夢、と呼ばれた女子の頬がさらにもう一段赤くなる。それでも足は乱れない。
宮下さんが知っているということはこの子もスクールアイドル同好会の人なのだろうか。スクールアイドルは体力も化け物なのか?
そうしてトラックを半周したところ。
ゴールまでようやく半分となる。
肺が痛い。喉の奥が鉄の味になっている、気がする。
腕がちゃんと振れているのか、自分でも分からない。
隣のレーンで高咲さんが歩夢さん?に手を引かれている。
歩夢さん?が何か短く声をかけて、高咲さんが首を横にぶんぶんと振った。
恐らくもう少しスピード上げられるか聞かれたのだろう。高咲さんの気持ちはすごくわかる。
すると応援席の外側の方から、別の声が飛んでくる。
「侑せんぱーい! かすみんも、可愛いですよーっ!」
薄茶色のボブヘアーの子が柵の手前で、両手を口の横に当ててめいっぱい声を張っている。
胸の前で握ったこぶしを上下に振っている。アピールが強い。
隣では大きなリボンをした子が頬を膨らませており、さらにその隣では茶髪の生徒*1が『侑ちゃん ファイト!』という団扇を掲げていた。
(……高咲さんモテモテすぎでは? ギャルゲーかな?)
二度目のツッコミが思わず出る。
高咲さんの人気がすごい。高咲さん自身はスクールアイドルじゃないと言っていたけど、同好会内のいわゆるサークルの姫みたいな感じなのだろうか。
「ユッキー、もうちょっとだよ!」
宮下さんが私の手をぐっと引く。
視界の端がじわじわ狭くなる。足の裏の感覚が遠い。
それでも、手を引かれている方向にだけは体が進んでいく。
ゴールテープが近づいてくる。
そして、四人ほぼ並んでゴールに突っ込んだ。
判定の係員が四人の足元を見比べて、一瞬迷う。
観客席から笑いと拍手。高咲さんとはどうやら順位がつけられなかったらしい。
だけど宮下さんが手を引いてくれたおかげ*2で、トップではないものの、最下位にはならなかった。
私は二歩か三歩、惰性で進んでから膝に手をつける。
つく、というより、そこに置かないと上体が支えられない。
呼吸が荒い。吸っているのか吐いているのか自分でもよく分からない速度で肺が動いている。
隣で宮下さんが両手を頭の後ろに当てて息を整えている。
三回か四回深く吸って、それでもう戻っている。
一つ向こうのレーンでは高咲さんがしゃがみ込んでいた。
歩夢さん?がその背中にそっと手を当てている。
宮下さんがぱっと顔を上げる。
「ユッキー、ちゃんと走れたじゃん!」
汗の浮いた額の下で笑っている。私の肩を軽くぽんと叩く。
叩かれた分だけ上体が少し沈む。
私は声が出なかったため、うんうんと頷いた。
「アタシ次の競技あるから先に行ってるね。ユッキーと走れて嬉しかったよ! また走ろうね!」
息を整える。
「……私も、嬉しかった、です。だけど、走るのは、もう勘弁……ゴホッ」
宮下さんがにこっと笑った。
そして宮下さんがクラスの方に戻っていった。
一方、隣のレーンで高咲さんがまだしゃがんでいる。
「ウッ……。お疲れ様……友紀さん」
「お疲れ様、です」
「400mって……ないよ……」
「本当にそれです」
高咲さんが歩夢さん?に支えられて立ち上がる。
歩夢さん?がこちらに軽く頭を下げる。
「初めまして、上原歩夢です。侑ちゃんの、その、幼馴染、で」
自己紹介で幼馴染って言う人本当に存在するんだ。なんか少し感動した。
だけど今の私にはそこに触れる余裕はない。
「あ、はい……E組の、渡です」
「渡さん。侑ちゃんから話聞いてますよ」
上原さんがにっこりとほほ笑んだ。
「……話?」
「同じ美化委員の人で、似たもの同士の仲間だって」
「そ、そうですか」
「良ければ同好会にいつでも見に来てください。スクールアイドル好きになってくれる人増えるの嬉しいですから。侑ちゃんもきっと喜ぶし。それでは」
そう言って、上原さんは高咲さんを連れて応援席へ戻っていった。
スクールアイドルか。
そういえば前に屋上でライブしていたのもスクールアイドルだったし、宮下さんもそう。
何だかんだ縁があるのかもしれない。
テントに戻って、空いている場所に腰を下ろす。
ジャージの袖で額の汗を拭う。水筒の麦茶を半分くらい一気に飲む。
ぬるくなった麦茶が喉を通る間に、走った興奮が少しずつ引いていく。
膝を抱えて、テントの天井の影をぼんやり眺めた。
***
午後の種目が進んでいく。
各学年の100m走、騎馬戦、棒倒し。
グラウンドが土埃と歓声でまだら模様になっている。応援団の太鼓が断続的に鳴る。
E組のテントの中では、出場した人が戻ってきて水を飲み、出番を待つ人がジャージのジッパーを下ろしたり上げたりしている。
私は玉入れも大縄跳びも借り物も、もう終えた。あとは、見守るだけだ。
そうして午後の最後の種目。
「続きまして、クラス対抗リレー、各クラスの選手は招集テントに集合してください」
アナウンスが入る。E組のテントからリレー選手が出ていく。
その最後に宮下さんが出ていく。
応援団の法被を脱いで、ハチマキを頭に巻いていた。
(……アンカーだ)
そしてリレーが始まる。
E組は第一走者が悪くないスタートを切った。
しかし第二走者でやや遅れて、第三走者で離される。第四走者、第五走者と、差は開く一方だ。
第六走者でようやく一つ順位を上げた。
第七走者にバトンが渡った後、私はその走りを追わずに、次のバトン中継地点を見ていた。
最終走者が並ぶ場所。
E組のアンカーは、宮下さんだ。
宮下さんは軽く足踏みをして、両手を一度だけ握って、開く。
遠目でもわかる。集中している。
この後にもう走る人はいない。あの人が、E組の最後の一人だ。
第七走者が最後のコーナーを抜けてくる。
宮下さんが走り出す姿勢で片手を後ろに伸ばして、視線だけを後ろに向けている。
バトンがきれいに収まる。
第七走者から受け取った時、E組は四位だった。
前を走っていた一人を、あっさり抜く。
その次の一人も、直線の半ばで抜いた。
残るは一位だけ。差が、一歩ずつ詰まっていく。
宮下さんの足が全然ぶれない。
腕の振りも、歩幅も、最初から最後まで同じ形のまま、ただ速度だけが上がっていく。
――速い。
クラスのみんなが立ち上がる。
隣の田辺さんが両手を口の横に当てて「愛ちゃーん!」と叫んでいる。
早坂さんはその隣でジャンプしている。
気づけば、私も身を乗り出して立ち上がっていた。
いつ立ち上がったのかは、分からない。
ゴールテープに宮下さんと、一位の生徒がほぼ同時に突っ込む。
判定の係員が写真判定の指示を出す。沈黙。
「――E組、一着!」
E組のテントが爆発した。
田辺さんが私の腕を掴んでいる。早坂さんがジャンプしながら隣の子の肩をばんばん叩いている。
私は、自分の腕が田辺さんに掴まれていることを二秒くらい遅れて気づいた。
ゴールの先で、宮下さんが両手を頭の後ろに当てて息を整えている。
それから顔を上げて、応援席の方に両手を広げる。両手を広げて、にかっと笑っていた。
第七走者の子が走り寄って、宮下さんに飛びついている。他の走者も集まってきて、人の塊になる。塊の真ん中で、宮下さんの髪だけが跳ねているのが見える。
田辺さんが「愛ちゃんすごーい!」と、まだ私の腕を掴んだまま叫んでいる。
痛い。でも、振りほどく気にはならなかった。
(……来てよかったな)
ふと、自分がそう思ったことに少し驚いた。
***
閉会式が始まる前の、待機の時間。
各クラスのテントの間を、汗だくの生徒たちが行き来している。実行委員の人たちは自分たちのテントに戻って、片付けと撤収の段取りに入っている。
宮下さんがE組のテントに戻ってくる。
「ユッキー! 見てくれた!? アタシの走り!」
開口一番で、私に聞いてきた。
やっぱりすごく嬉しそうだった。
「あ、はい、見てました。すごく速かったです」
「小学生の感想か!」
「えっと、一位、おめでとうございます。一気に逆転していってさすが宮下さんって感じでした」
思ったことをそのまま口にした。宮下さんは普通にすごかった。
「やったー、嬉しい! ありがとー!」
宮下さんがそう言って抱き着いてきた。
「ほわっ!?」
腕が背中に回ってくる。
制汗剤と、日焼け止めの匂い。走った後だからか、体が熱い。
息が止まる。心臓もたぶん一緒に止まった。
押し返そうとして、手が中途半端な高さで止まる。
押し返す動作の正解が分からない。結局、私は両手を上げたまま、されるがままになっていた。
「あ、ユッキー。そういえば今日の写真、めっちゃあるんだよね!」
宮下さんが、私を離さないまま喋る。
耳のすぐ横で声がする。話が頭に入ってこない。
「しゃ、写真?」
「まゆまゆがずっとクラスの人の写真撮っててくれてさ。借り物でユッキーと走ってるやつもあったの! LINEで後で送るね!」
「あ、はい」
宮下さんが、うんっと満足そうに頷いて、私を解放してくれた。
ハグ、なんて今までされたことがなかった。
それをクラスで一番の陽キャな美少女に、正面からやられた。
ドキリとした。というか、今もしている。
(……これ、私が男だったら一発で落ちてたな)
危険だ。この人は沼だ。
こんな人がスクールアイドルなんてしてはいけない(戒め)。
「愛ちゃん、写真撮ろー!」「アンカーの写真!」「早く早くー!」
するとテントの奥からクラスメイトの声が飛んで、宮下さんが引っ張られていく。
引っ張られながら振り返って、こっちに手を振る。私は小さく手を上げて応えた。
人の輪に吸い込まれていくのを見送る。グラウンドの空が、少し夕方の色になっている。
その後の閉会式は、表彰と講評が淡々と流れていって、気づいたら終わっていた。
胸の奥が、まだ少しうるさい。
***
寮の自室。
シャワーで一日分の土埃を落とす。ジャージは洗濯機に放り込んだ。
髪を乾かして、デスクの前に座る。配信用のヘッドホンを耳に当てる。
朝に投げた告知には、それなりの数の反応がついていた。
供養する気満々の人も何人かいた。
二十時。配信開始。
「みなさま、ハロにゃー♪」
> ハロにゃー
> レモンちゃん生きてる!?
> ねぎらいに来たぞ
> 体育祭どうだったー?
「みんな来てくれてありがとー! ちゃんと生きてるにゃ。死ぬかと思ったけど」
> とりあえずお疲れ
> 生きて帰ってきて偉い
> 存分によしよししてあげますわ
「そう、もっとねぎらうにゃ。レモンちゃんは今日、体力を使い果たしてきたにゃ。もう指一本、動かないにゃー」
> 何したの
> そんなに?
> 何の種目出たんですか?
「玉入れと大縄跳びと借り物競走」
> 全然疲れねえじゃん
> ええっ……
> 俺たちは何をねぎらえばいいんだ?
「失敬な。玉入れはともかく、大縄跳びは50回以上連続で跳んで学年トップだったんだにゃ! それに借り物競走も距離が馬鹿みてーに長くなりやがって、一番走る競技だったんだにゃ。もう足ガクガクー」
> 口の悪さが出てるぞ
> 草
「オ、オホン。あー、そう言えば、ちょっと面白いことがあったにゃ」
> なんだなんだ
> 聞こう
> どうぞ
「借り物競走で知り合いも走ってたんだにゃ。私と同じくらい運動が苦手な子。その子がお題を引いて、連れてきたのが、その子の幼馴染だったにゃ」
> 幼馴染!
> 幼馴染という存在は実在するのか
> 幼馴染がお題だったん?
「お題は『可愛い女の子』とのこと」
> あら^~
> www
> 幼馴染は大正義ですからね!
「で、それだけでも見応えがあったんだけど。応援席の方から『なんで私を選ばなかったんですか!』って別の声が。その子以外にも何人かいて」
> ハーレムじゃん!
> もげろ
> 修羅場?
「修羅場ではない。一応知り合いの子も女の子だし、応援席の子たちも悪ノリっぽかったし。だけど後輩から先輩、果ては幼馴染までモテモテだなって」
> ギャルゲーの主人公みたい
> ハーメルンにいそう
> 僕は幼馴染ちゃんに一票!
「ま、まあ、なかなか愉快な借り物競走だったにゃ」
> そういえばレモンちゃんのお題は?
> 自分のは?
> 何引いたん
ぎくり。
一番、聞かれたくないところを聞かれた。
「私のお題は、ノーコメントにゃん♪」
あざとく声を出してごまかす。
だけどワイプのアバターが震えている。おい、目を泳がすな。
> アバター目を背けてるぞ
> 怪しい
> 言って!
「言わない。絶対」
> 絶対なんかある
> 沈黙は正解じゃないぞ
> ↑アンチクラピカ乙
言えるわけがない。お題は「仲のいいクラスメイト」。それで私は、あの宮下さんを選んだ。
陰キャの私が、よりにもよって、クラスで一番の陽キャを。
何で選んだのとか恥ずかしくて口にできない。
> てかレモンちゃん、さっきからめっちゃ楽しそう
> 声のテンション高くない?
> ノリノリ
楽しそう?
「現在進行系でリスナーから自白強要されているところなんだが!?」
> それはそれだけど、何か明るくなった感じがする
> アバターの表情がよく動くようになったから感じてるだけかもしれないけど……
> ていうか最近よく学校の話するようになったよね
> ↑たしかに!
最近?
「気のせいじゃない?」
私は麦茶を一口飲む。学校の話、そんなにしていただろうか。
だが、リスナーのコメントは止まらない。
> 去年は学校の話ほぼしなかったよね
> 昔はもっとつまらなそうだった
> 最近ちょっと楽しそうだよ
そう、だっただろうか。
> それギャル子と関わってからじゃない?
> 時期的には確かに
> やっぱりギャル子効果だよ
「な……それは関係ないにゃ」
> 動揺してる
> 図星かな
> はいはい関係ない関係ない
「去年だって……」
否定しようとして、口が止まる。
去年の私が配信で喋っていたのは、歌とゲームと、たまの愚痴だけだった。
学校の話は、しなかった。というより、話せることがなかった。
それが今日はどうだ。聞かれてもいないのに、学校であったことを勝手に喋っていた。
あんなに嫌だった体育祭の話を、笑いながら。
否定できない。
いつからか、なんて考えるまでもなかった。
(……やっぱりノーコメントにゃ)
心の中でだけ、そう言った。
その後はリスナーと当たり障りのない雑談をいろいろした。
宮下さんの話には、もう戻らなかった。私は適当なところでおやすみを言って、配信を切った。
◆かんたん解説
〇高咲 侑
虹ヶ咲学園2年普通科 スクールアイドル同好会所属。
歩夢ちゃんの幼馴染。
可愛い子のお題で歩夢ちゃんを選ぶ。
〇上原 歩夢
虹ヶ咲学園2年普通科 スクールアイドル同好会所属。
侑ちゃんの幼馴染で侑ちゃんが大好き。
〇中須 かすみ
虹ヶ咲学園1年普通科 スクールアイドル同好会所属
愛称はかすみん。スクールアイドル同好会の部長。
〇桜坂 しずく
虹ヶ咲学園1年国際交流学科 スクールアイドル同好会所属
大きなリボンがトレードマーク。演劇が好きで演劇部と掛け持ちしている。
〇近江 彼方
虹ヶ咲学園3年ライフデザイン学科 スクールアイドル同好会所属
侑ちゃんを団扇を持って応援。他校にスクールアイドルの妹がおり、溺愛している。