陰キャVtuberな私は、今日も隣のギャルに負かされる 作:あっぷる
四月も半ばを過ぎた放課後。
授業終わりのチャイムが鳴った瞬間、教室の空気が一段階ゆるむ。
(今日の配信は何を歌おうかな……)
そう考えながら私は教科書を素早くリュックに放り込む。
他の人たちは部活の話とか、この後どこ行くか話していたが、私は帰宅部なのでそのまま帰らなければならない。しょうがないね。
「ユッキー、また明日ねー!」
ふと、隣の席の宮下さんが相変わらず眩しい笑顔で手を振った。
私はぎこちなくではあったが、何とか会釈を返す。宮下さんへの対応も少しは慣れてきただろうか?
宮下さんはそのままクラスの誰かに「あ、ミナミー!」と声を上げて、教室の真ん中で別のクラスメイトと合流した。
何やら盛り上がりながら、2人で廊下に出ていった。
私はその様子を見送り、リュックを背負って教室をあとにする。
廊下に出ると、宮下さんがさっきの子と、一年生らしき後輩の子2人で立ち話を始めていた。
何かの部活つながりだろうか。いや、けど来ている服装がユニフォームや袴とバラバラだし別の部活か。
歩きながら横目で観察する。
宮下さんはお喋りしながら、すれ違う別のクラスの生徒に「やっほー!」と手を振り、その先の三年生らしき先輩にも「お疲れさまっす!」と挨拶した。
どちらも返事を笑顔で返し、宮下さんたちに加わった。6人グループになった。
学年も部活もバラバラで、見た目カオスな集まり。
共通点なさそうだけど、みんな楽しそう。中心には宮下さんがいる。
「愛ちゃんだー!」
「宮下先輩こんちわー!」
そしてまた2人、その輪に加わった。
教室から廊下を出て10メートル。
その間に宮下さんが会った相手は合計8人。
移動距離あたりのエンカウント率、高すぎないか?
どこを歩いても知り合いが湧いてくる。
陽キャのネットワーク、いったいどうなってるんだ。
***
宮下さんとは違い、私は誰とも話すことなく速やかに下駄箱にたどり着けた。
RTAだったら陰キャの方が有利。これってトリビアになりますか?
なんて悲しいこと考えながら、靴を履き替え外に出る。
四月の夕方の風はまだ冷える。
私はそそくさと帰ろうと、だが校舎を出てすぐのところで足が止まる。
校門までの通り道に、人が固まっている。10人、20人、もう少しいるかもしれない。
みんな同じ方向を見上げている。
え、何の集会だ。
人垣の数人が、明らかに屋上を指差していた。
つられて、私も上を見る。
校舎の屋上の縁に、誰かが立っていた。
制服姿の女子生徒、1人。
距離があるので顔ははっきり見えないけれど、シルエットだけは認識できる。
ああ、と理解した。
スクールアイドルの、ゲリラライブってやつか。
うちの学校には、スクールアイドルやってると去年の新入生オリエンテーションで聞いた覚えがある。あと、廊下のポスターでなんとなく見たこともある気がする。
でも、メンバーの顔と名前はよくわからない。自分にはあまり縁のない世界として意識をしていなかった。
屋上でやってるのは初めて見た。こういうところでもライブするんだ。
ふーん、と思って、人垣の脇を通り抜けようとした。
その時、屋上の人が大きく息を吸う気配がした。
私は通り抜けるのを辞めて、人垣の少し外側で立ち止まった。
歌が始まる。
——お、いい声してる。
最初のフレーズで、そう思った。
声が低いところからしっかり前に出ている。
でも、二フレーズ目で気づいた。
あ、これ、声がいいだけじゃない。
柔らかく聞こえるのに、芯が全然ぶれてない。語尾にふっと息を残して優しさを出しながら、音程は一ミリも揺れない。
歌に向き合ってきた人の声だった。
曲が、サビに向かって伸びていく。
声がまっすぐ引き伸ばされて、少しずつ音量の幅が広がる。耳が、否応なくサビに連れていかれる。
サビが来た。
声が一段階開いた。
高いところがすっと抜ける。透明感のある響きと、芯の太い力強さが、同時に乗っている。空に向かってまっすぐ伸びていく。
そして、熱量。
声に乗っている熱気が桁違いだった。
すごい、と素直に思った。
気づけば、息を詰めて聴いていた。
周りの観客も、声を上げ始めていた。
「うわ、すげえ」「やばい」「いいなあ」「めっちゃ伸びる声」
スマホを構えて撮影している人もいる。横で友達と顔を見合わせて笑っている人もいる。みんな、上を見上げて、口元がゆるんでいる。
二番に入って、表現がさらに深くなった。
声が、どんどん伸び伸びしていく。歌えば歌うほど楽しそうに聞こえる。
ああ、この人、歌うのが好きなんだな。
素直に、いいな、と思った。
あの人は、人前で、あの熱量で、自分の体と声を全部晒して歌っている。
私はこんなふうにはできないな。
歌の技術がどうこうじゃなくて、人前に立って歌うこと自体の話で。
歌は終盤に差し掛かっていた。
ラスサビで、もう一段階声が上がる。
観客がさらに沸いた。
私はずっと立ち尽くしていた。
最後のフレーズが空に伸びて、音が消える。
一拍の静寂のあと、人垣から拍手と歓声が上がった。
口笛を鳴らしている人もいる。隣の人と「やばい」「ね」と言い合っている人もいる。
屋上の人が、深くお辞儀をするのが見えた。
何か叫んでいるけれど、人垣の歓声にかき消されて、よく聞こえない。たぶん「ありがとうございました」みたいな、お礼の挨拶。
それから、屋上の人は手を振って、屋上の縁から下がっていった。
ライブが終わったらしい。
人垣がゆっくり解けていく。
「ヤバ」「めっちゃ良かった」「あの子、優木せつ菜ちゃんだよね?」
そんな声が、私の周りで飛び交っている。
優木せつ菜ちゃん、か。
私もリュックを背負い直して、歩き出した。
歩きながら、頭の中で、さっきの歌のサビが残響していた。
あの音の伸び方、あの熱量。
ぐるぐると、しばらく頭の中で回っていた。
久しぶりに、心が動いた気がする。
それくらいの歌だった。
***
寮の自室に戻って、リュックを机の脇に下ろす。
カーテンを閉めて、シャワーを浴びて、コンビニで買ってきた弁当を温める。
箸を動かしながら、頭の中ではまださっきの歌が回っていた。
サビの伸び。
息の置き方。
人前で、あの音量と熱量で歌えること。
弁当を食べ終えて、机に戻る。
配信開始まで、あと三十分。
PCの電源を入れて、配信ソフトを立ち上げる。
マイクの位置を整えて、ヘッドホンを耳に当てて、入力レベルを確認する。
声出し。「あー、あー」。OK。
歌だけなら、私だって上手い。
ふと、思った。
誇示じゃなくて、事実として。
中学から毎日積んできた発声、配信で何百曲も歌ってきた喉、1500人のリスナーに「質が違う」と言われてきた歌。
歌の話だけなら、屋上のあの人と並べても、勝負にはなる。
——でも。
椅子の背にもたれかかる。
人前で、自分の体と声を全部晒して堂々と歌う。
あれは、絶対に無理。
私の歌と、あの人の歌は、別種のものだ。
部屋で歌って、画面の向こうに向かって歌う。
それで足りる。
今までもそうだったし、これからもそうだろう。
切り替えていこう。
配信開始ボタンの上にカーソルを置いて、深呼吸を一回。
クリック。
---
「ハロにゃ〜♪ 今日も楽しく配信していくにゃ〜♪」
画面の中で黒髪猫耳の少女が手を振る。
> ハロにゃー
> ハロにゃー
> 今日も来ました
> 待ってた
「皆さま、今日もお越しいただきありがとにゃ〜♪ 今日は歌っていくにゃ〜」
> 歌回ですにゃ!
> 待ってました
> スカーレット:いつもありがとうございます!
> 喉の調子は?
> 流行りの曲やってほしい
「絶好調にゃ。今日も気持ちよく歌わせてもらうにゃ〜」
軽くチャットを流して、画面の選曲リストに目を移す。
今日の一曲目は、最近よくカバーされてる流行りの曲。テンポ良く入って、配信の空気を作るのに向いている。
「じゃあ、一曲目いくにゃ〜」
イントロを再生する。
息を、すっと吸い込んで、最初のフレーズに乗せる。
声を出す。
最初の一音目で、コメント欄が一瞬止まる。
それから、勢いよく流れ始める。
> おっ
> 今日も来た
> 一音目で空気が変わるやつ
> ヤバ
> 鳥肌
> スカーレット:最初から空気が変わる感じ、本当に好きです!
今日は、いつもと毛色の違う曲を選んだ。
普段の選曲は、息の柔らかさで聴かせるバラード寄りや、テンポは速くてもポップでまとまった曲が多い。
でも今日は、屋上で聴いたあの歌が頭に残っていて、つい疾走感のあるアップテンポなロックに手が伸びた。歌い始めから踏み込みで持っていくタイプの曲。
声を張って、勢いで持っていく。
サビ前で一回ふっと息を抜いて、サビに突き抜ける。
声が上に伸びる、伸ばす、ブレずに保つ。
一曲を最後まで通して、ラスサビで一段階開いて、最後のフレーズで余韻を残して止める。
イントロから三分半。
歌い終わって、息を整える。
> 今日もごちそうさまでした
> 鳥肌
> 一曲目から飛ばすやん
> 普段と選曲違うね?
> めっちゃ良かった
> スカーレット:今日のレモンさんの歌、いつもより踏み込みが強くて、すごくかっこよかったです!
「ありがとにゃ〜♪ 今日は気分でちょっと違うの選んでみたにゃ」
> 気分大事
> どんな気分?
> 疾走感あったね
> 喉の負担大丈夫?
「大丈夫にゃ〜。喉休めながら次の曲考えるにゃ」
水を一口飲んで、息を整える。
コメント欄を眺めながら、次の曲のことを考えようとして、ふと思い出した。
「あ、そういえばさ」
軽く切り出す。
「今日帰り道でね、スクールアイドル見たんよ」
> スカーレット:いいですね!
> スクールアイドル?
> ライブ見たの?
> 学校で?
「自分の高校でね、屋上でゲリラライブやってる人がいて」
> 屋上!?
> ゲリラとかすご
> 青春じゃん
> いいなー
> うちの高校にもいたら毎日見るのに
> スカーレット:え、屋上?
「校舎の前に人だかりできてて、私も流れで聞いちゃった」
> で、どうだった?
> よかった?
「……まあ、上手かった」
> 素直やん
> 歯切れ悪い褒め方
> なんか含みあるな
「いや、上手かったは事実にゃ。私は耳がいいから、上手いものを上手いって言うだけにゃ」
> 自己評価高い
> でも耳がいいのは事実
> レモンちゃんの耳は信頼できる
もっと褒めてもいいのよ。
> どんな子でした?
> 外見気になる
> 写真ないの?
「えーっと、遠目だったから細かくは見えなかったけど」
少し考えながら、思い出す。
「黒髪のロングで、衣装は制服のままだったにゃ。あと、片方の髪に髪留めしてた」
遠目だったけど、可愛い顔立ちの人だった。
堂々とした姿勢がカッコ可愛く、屋上の縁に立ってる時のシルエットはとても様になってた。容姿でもファンがつくタイプだろうな、と思う。
> スカーレット:レモンさん、その方の歌、どんな感じでした……? 差し支えなければ、もう少し詳しく聞きたいです
「歌? 歌はね……」
ヘッドホンの位置を直しながら、思い出す。
あの息の置き方、サビの突き抜け方。
「えーとね、語尾の処理が綺麗だったにゃ。ふっと息を残して優しさ出すんだけど、それでいて音程は一ミリも揺れない。あの両立、簡単そうに見えてかなり難しいんよ」
> 解説モード入った
> 真面目なレモンちゃんも好き
> 玄人感いいね
「あと、人前であの音量と熱量で歌うって、相当練習してないと喉が持たないにゃ。屋上の縁から人だかりの一番外側まで、しっかり声が届いてたんよ。あれ、一日二日でどうにかなる喉じゃないにゃ」
> べた褒めじゃん
> 珍しいですね
> レモンちゃんが他人の歌をここまで褒めるの初めて見た
> 何があったの
「事実を言ってるだけにゃ。推してるとかじゃないにゃ。耳が良いレモンちゃんが、耳に入ってきたいいものを正当に評価してあげてるだけにゃ」
> 出た
> ツンデレ
> 偉そう
「うっさい」
> スカーレット:あの、他にも何か感じたこと、ありましたか……?
「他にね……」
少し考えて、答える。
「好きな歌い方だったにゃ。私はああいう、まっすぐ声をぶつけてくる感じの歌、けっこう好きにゃ」
少し考えて、付け足す。
「あと、あの曲自体もよかったにゃ。なんていうか、何かを吹っ切った人の歌、って感じがしたんよ」
水を一口飲んで、続ける。
「悩んでた人が、それを越えた先で歌ってる感じっていうか。あれだけ力強い声を張ってるのに、変な力みが一個もないんよ。迷いがあるとどこかに引っかかりが出るんだけど、それが全然なかった。自分の中で答えが出てる人の歌い方にゃ」
> 曲の内面まで読みに行くやつ
> プロファイラーかな?
> スカーレット:あ、あの、すみません、レモンさん、その……!
「ん? どした?」
> スカーレット:い、いえ……いちスクールアイドルファンとして、スクールアイドルの歌をそこまで聴き取ってくださって、本当に、嬉しくて……!
> めっちゃ丁寧でよき
> 急にどうした?
> 草
「うんうん、丁寧なファンの方にゃ。落ち着いてにゃ〜」
> スカーレット:はい……っ、すみません、取り乱しまして……
> スカーレット:レモンさんがあの曲をそこまで深く受け取ってくださったこと、わたし、一生忘れません……っ!
いや、一生覚えてもらうほどではないんだけど……
> スクールアイドルファン熱い
> 自分のことみたいに喜んでる人いる
> わかる、好きなものが褒められると嬉しい
「そんなに嬉しくなっちゃうものなのかにゃん? まあ、別にわからないこともないけど」
水を一口飲んで、息を整える。
「まあ実際、熱心なファンがいてもおかしくないような歌だったにゃ。そういう人がスクールアイドルやってるの、いいことにゃ」
> スカーレット:……!
> そのスクールアイドルの子、幸せ者やな
「まあ、こんだけ褒められたら幸せかもしれんにゃ。本人に届くかは知らんけど」
そのあとは、いつもの歌回の流れに戻った。
バラードを一曲、アップテンポをもう一曲、リクエストを拾って小ネタの曲を一曲。
歌い終わるたびにコメント欄が賑わって、合間に短い雑談を挟んで、また次の曲に移る。
「じゃあ、今日はこのへんで。皆さま、おつかれさまでしたにゃ〜♪ またね〜♪」
***
ヘッドホンを外して、椅子の背にもたれかかる。
机の上のミネラルウォーターを一口飲んで、息を吐く。
あの人、本気で歌に向き合ってきた人だったな。
そう思ったことは、今も変わらない。
スマホを手に取って、なんとなく配信の終了画面を眺める。
アーカイブの再生数が、いつもよりちょっと早く伸びている。
リスナーが、思ったより食いついてきたな。
普段の歌回より、コメント欄の熱が一段強かった気がする。
妙に情緒不安定な反応もあったけど、それを差し引いても全体の反応が良かった。
スクールアイドルって、本当に人気なんだな。
次の配信、有名なスクールアイドルの曲でも歌ってみようかな、なんてね。
後日、隣の金髪ギャルがスクールアイドル始めたと知るのは、また別の話。