陰キャVtuberな私は、今日も隣のギャルに負かされる 作:あっぷる
「愛ちゃん、昨日も活動遅くまでだったんでしょー? 大丈夫?」
一限が始まる前、にぎやかな教室の中で、田辺さんの声が聞こえた。私は文庫本を少し持ち上げ、本を読むふりでそちらに耳を向けた。
「同好会入ったってマジー?」
早坂さんが声を上げた。他にも宮下さんの机の周りに二、三人集まっている。
「うん、せっつーの屋上ライブ見て決めたんだ!」
「せっつー?」
「同好会の優木せつ菜ちゃんのことで、可愛いし歌がすっごくうまくて、めちゃくちゃかっこいいんだ!」
宮下さんの返事は、いつもより少しだけ柔らかかった。
同好会、入ったのか
文字の上で目が止まる。屋上ライブ、それに優木せつ菜ちゃんという言葉が、先日見たあの光景を引き戻してくる。
まっすぐ前に飛んでくる力強い声、サビで空に向かって伸びていったあの歌――あの人だかりの中に、宮下さんも混ざっていたのか。
「他の同好会の人たちもみんな可愛くて面白いしさー!」
宮下さんの声がもう一段大きくなる。宮下さんは本当に楽しそうに話す。
田辺さんたちはそんな宮下さんを見て、「同好会楽しそうだねー」と笑っていた。
(宮下さんがスクールアイドルか……。まあ、宮下さん可愛いし派手だし、似合うっちゃ似合うのか)
そう思って、視線を本に戻す。宮下さんが何をやっていようと、私には関係のない話だ。
「――そういえばユッキー、何読んでるのー?」
「うぇ!?」
すると急に宮下さんが振り返ってこちらへ聞いてきた。
視線はブックカバーをしている私の本に向いている。
今、完全に油断してた。まずい。
私は普段「本屋さん大賞受賞!」とかの一般の人々の前でも読める本しか学校に持ち込まない。
しかし何だかんだクラスにも慣れてきてついつい気が緩んでいた。
今日は好きなゲームの非公式の創作小説を持ってきていた。
つまり同人誌、薄い本と呼ばれる類の小説。しかもちょっとだけエッチで過剰なの。
どうせブックカバーで隠すしええやろ、と思っていた。
「え、えっと……」
そもそもそんなの学校に持ってくるなよ、という話ではあるが、昨夜に読破までもうすぐというところで寝落ちしてしまったので、断じてしょうがなかったのだ。
「……ミステリーです」
……生命の神秘的な?
濁して適当にジャンルを答えた。
「Eternal Linkage ~誓いは偽りでも、この熱だけは~(カイル×エミリア長編)」とは言えない。
「ね、何て小説なの?」
宮下さんが机の方に身を乗り出してくる。
「えっと、それは、その……」
口の中でモゴモゴしていると、ナイスタイミングで予鈴が鳴った。
教室の前のドアから数学の先生が入ってきて、ざわめきが少しだけ収まる。
宮下さんは「あ、また後でねー」と前に向き直って、教科書とノートを机の上に出し始めた。
(……危なかった。学校にこういうのを持ってくるの、マジでやめよう)
もし宮下さんにタイトルを見られて中身まで知られていたら、明日から学校で正気を保てる気がしない。
私は文庫本を鞄の奥底に押し込んで、ノートを開いた。
***
「はーい、おはよう。今日は最初に小テストやります」
教壇に立った先生が、いつもの淡々とした口調でそう言った。
教室にざわめきが走る。
「えっマジで?」「聞いてないんだけど!」「今日テストとか言ってた?」
数人がページを慌ててめくり返す音、誰かのため息、椅子の鳴る音が一斉に重なった。
「先週言いましたよ。聞き逃したのはこちらの責任ではありません。では机の上のものしまってー」
先生は一切の同情を示さず、テスト用紙の束を持ち上げてみせる。教壇の前列から後ろに向けて配り始めた。
「先生待って、せめて五分だけ復習時間ー!」
教室の真ん中あたりで、誰かが嘆いていた。私は教科書とノートを机に入れながら、その声を聞き流す。
(……問題ない)
先週の授業で予告があった時、私はそれを律儀に書き留め、昨日のうちにテスト範囲を一周しておいた。*1
勉強できない陰キャはただの陰キャ。なんてね。
「制限時間十五分。始めてください」
先生の合図と同時に、教室がしんとなる。シャープペンシルの音だけが、ぱらぱらと残った。
私は問題用紙に目を通す。複素数と方程式の範囲。基本問題が3つに応用問題が1つ。そして最後は文章題の1つの計5つの大問構成。
(……いける)
私はシャーペンを握り直して、一問目から順に手を動かし始めた。三問目までは詰まらず通過。四問目で一度立ち止まったが、計算をやり直して通った。五問目の文章題は、最初に式の立て方を間違えて消しゴムを使ったが、二度目で答えに辿り着いた。
「はい、終わり。後ろから集めて」
先生の声が響いた時、私は最後の解答欄を埋め終えていた。手応えとしては悪くない、というかむしろ良い。
私はシャーペンを置いて、ふっと小さく息をついた。
***
答案が返ってきたのは、その日の終わりのホームルーム前だった。
「はい、返すよー。名前呼ばれたら取りに来てください」
先生が答案の束を抱えて、教壇の前で読み上げ始める。クラスメイトが順番に取りに行って、戻ってきては席で点数を確認する。教室の各所で「うわー」「やばっ」「思ったよりひどい」みたいな声が散発的に上がった。
「渡さん」
呼ばれて、私は立ち上がった。教壇に向かう数歩のあいだ、密かに胸が高鳴っているのを感じる。手応えはあった。落としても15点くらいだろう。80点は固いはずだ。
「はい」
先生から答案を受け取って、軽く目を落とす。
85点
赤いペンで書かれた数字は、概ね想像通りの位置に着地していた。最後の応用問題を間違えたのと、二問目で少しケアレスミスがあったが、上々の出来だ。
私は内心でガッツポーズを取って、表情には一切出さずに席に戻った。答案は机の中央に伏せて置いた。
周囲の答え合わせ会話が聞こえてくる。「あたし62点だったー」「やば、58点」「平均70くらいかなー」「マジで?」「数学難しくない?今回」
今回は問題が難しめだったし、平均は70を切るくらいだろう。
みんなが手を焼いた回で85点なら、上出来も上出来だ。
内心で静かに胸を張っていた。
「愛ちゃん何点だったー?」
田辺さんが宮下さんに点数を聞いた。
「アタシ? 95ー!」
しかし宮下さんはあっけらかんと答えた。
(――は?)
85点。さっきまで胸を張れた数字が、95という数字の隣で一気に見すぼらしくなった。
「あー愛ちゃんやっぱねー」「相変わらずすごいねー」「愛ちゃんいつも上位じゃん」
周囲の反応は、慣れていた。誰も驚いていない。95点を取ったことを、当然の結果として受け止めている。
私は固まったまま、答案の隅をぎゅっと指で押さえていた。
昨日、同好会の活動で遅かったんじゃないの?
私は宮下さんの方をまっすぐ見られなかった。前の席の背中だけが視界の端で、いつも通りの陽気な動きで、田辺さんと笑い合っている。
点数の話はもう次の話題に流れていた。
私の85点は、机の中央で伏せられたまま、急速に色褪せていく。
勉強できない陰キャはただの陰キャ。そうテストの前に思っていた。
悲報、私はただの陰キャだった件。
ギャルで勉強もできるとか、反則でしょ。
***
その日の夜、いつもの時間に配信を始めた。
今回はゲーム実況回だった。前から積んでいたインディーゲームをプレイする。
横スクロールのシンプルなアクションゲームだが、結構難易度が高くボスを倒したら脳汁が出るようなタイプ。
あと主人公キャラが可愛い。
そうして一時間ほど無心でプレイして、適当なところで区切りをつけた。
「はい、ゲームはこのへんで切り上げますかね。続きはまた今度」
> おつー
> 面白そうなゲームで見てて楽しかった!
> 今日は終わり?
> 早くない?
「まだ終わらんにゃ。せっかくだし、最後に質問タイム行きまっしょい」
> おっ
> いいね
> 待ってました
質問用のフォームに溜まっていたものから、いくつかピックアップして読み上げていく。
最近のおすすめの本、好きな飲み物、配信を始めたきっかけ、定番の質問が続く中で、ふと、ある一行が目に止まった。
「えっと、次は……『そういえばレモンちゃんって勉強できるの?』。お、いい質問が来たな」
> あー
> 気になる
> 配信のノリ的にバカっぽいけど
「失敬にゃ。私はこう見えて、そこそこできる方ですにゃー」
> えーマジで?
> 意外
> いつもバカっぽい配信してるじゃん
> 実は頭よかったのか
> 証拠は?
「証拠、ね。ふっ、よくぞ聞いてくれましたにゃ。実はね、今日ちょうどテストがあったのにゃ」
> ほう
> 自信ありげ
> よっぽど言いたいやつ
「クラスでも上位、余裕の高得点ですにゃ。普段の行いがいいからね」
> おお
> ガチじゃん
> ほんとに?
「むう、信じてほしいにゃ。ちなみに、私の学校、まあまあの進学校にゃ。普通の高校じゃないんだぞ」
> えっそうなん?
> 進学校でそれは普通にすごい
> レモンちゃん見直した
> ガリ勉キャラもいけるな
> 学年全体で何位くらい?
「二年生になってからはわからないけど、一年最後のテストでは上位三割には入ってたにゃ」
> はぇー
> 配信と勉強両立できるの偉い
> ギャップ萌え
褒めコメントが流れてくる。私は内心、悪い気はしない。普段「バカっぽい」と弄られている分、こういう逆方向の評価が来ると、地味に嬉しい。
そう、私は隠れ優等生というか、暗いオタクのフリをしているけど実は学業もそれなりにこなす、実は強キャラタイプなのだ。
「もっと褒めていいぞ」
> 調子乗るな
> いやいや、進学校で上位三割は確かにすごい
あまり褒められ慣れていないぶん、こういう時はほんとに心地いい。
ふふん、もっと讃えるがいい。
> じゃあギャル子にマウント取れるじゃん
「うっ……」
マウスから手が離れた。
> あー
> 確かにそうじゃん
> 成績ならギャル子に勝てそう
> 学生の本分は勉強だからね。それで勝てたら万々歳よ
私はこめかみに指を当てた。
リスナーは、知らないのだ。今日、何があったか。
「……うん、せやね」
> ん?
> なんですか、その間
> なになに?
「実はね。今日の小テスト、私、85でぬくぬくしてたんよ。クラスの平均70切るくらいだから、上々だなって」
> うん
> 普通にいい点
「ギャル子、95点だった」
> は???
> ちょっと待って
> ええ……
「しかも昨日、同好会の活動で遅くまで忙しかったらしい。なんで95点取れるんだよ!」
> 文武両道すぎる
> ギャル子強すぎぃ!
> ギャル子推します
> レモンちゃんのファンやめて、ギャル子のファンになります
「君たちギャル子の話するとすぐそう言う! レモンちゃんだっていいところいっぱいあるよ! 可愛いし、ゲームうまいし。あと歌もうまい!!」
> 必死すぎる
> Vtuberだから可愛いかはわからないぞ
> ゲームうまいけど中級者レベルだし自慢するほどでは……
> だけどゲームはともかく、歌うまいのは事実
> 言うてレモンちゃんの歌は神やし
ゲームと容姿は流されたが、歌だけは全肯定された。まあ、そこは譲れない。私の一番の武器だし。
> でもギャル子も歌がうまい可能性が……
> 陽キャならカラオケ行きまくるだろうし、絶対うまい
> もしかしてレモンちゃん完全敗北?
「い、いやいや。歌は私の方がうまいでしょ! こうしてたくさんのリスナーも来てくれてるし!」
さすがに、ね。
なんだかんだ歌だけで群雄割拠なスクールVtuber業界で伸びてきてるし、普通の女子高生には負けないでしょ。
……あれ、そういえば宮下さん、新しく入ったところはスクールアイドル同好会だったっけ。
歌でも負けるようなことあれば、それこそ私のアイデンティティが崩壊するのだけど……。