陰キャVtuberな私は、今日も隣のギャルに負かされる 作:あっぷる
「ユッキー、ちょっといい?」
ゴールデンウィークまで、あと三日。教室の窓から差し込む光が、もう五月のものになりかけている。
帰り支度を終えて、リュックを背負ったタイミングで、隣から声がかかった。
宮下さんの声、いつもの「ユッキー、また明日ねー!」といったドカでかいテンションとは違う。だいぶ落ち着いた声。
普段はもっと跳ねている声が、今日は少し低い。何か、いつもと違う
(……機嫌が悪い? もしかして怒ってらっしゃる? えっ私、何かやらかしちゃいました?)
私は心当たりを高速で探る。
話を振ってもらっても、自分からはほとんど話しかけ返せていない、これか?
いや、宮下さんはそんなことで怒る人じゃない……たぶん。
もしくはクラスのみんなで「行ける人でどっか遊びに行こー」って流れになった時、本当は行きたかったのに言い出せず眺めるだけだった、これかもしれない。
常に受け身の陰キャムーブが、ついにこの陽キャギャルを呆れさせてしまった……?
「ねえ、なんでいつも一歩引いてんの? 付き合い悪いって、みんな言ってるけど」とガチ説教が来てしまうのか!?
教室にはもう数人しか残っていない。田辺さんと早坂さんは「愛ちゃん同好会がんばってねー」と言い残して先に帰った。前の席のクラスメイトも、もう廊下に出ていく。
私はリュックの肩紐を握り直して、宮下さんと対面する。
「……なんでしょう」
声が、低く出てしまった。
来る。
普段は緩んでいる眉間が、今日はちょっと寄っている気がする。怒り出す手前みたいに見える。
宮下さんが、机に頬杖をついて、こちらを見た。
「アタシ、スクールアイドル同好会入ってるんだけど、グループじゃなくてソロで活動することになったんだよねー。それで、ソロ曲作らなきゃいけないんだけどさー」
ソロ曲。
頭の中で、単語を一拍受け止める。
説教じゃない、相談だ。
脱力する。何を怖がっていたんだ、私は。ああ、良かった良かった。
――いや良くない、何故に私に相談を??
「アタシ、スクールアイドルやろうって思ったきっかけの子がいてさー」
宮下さんが続ける。
例の優木せつ菜ちゃんのことかな?
「その子の歌、ほんっとに良くてさー、心動かされるっていうか。アタシもああいう感じで行きたいって思ってんだけど」
「……はあ」
「練習してみたら、なんかしっくり来なくてさー」
宮下さんは机の上で頬杖をついたまま、少し首を傾けている。語尾が伸びる、伸びるけど、いつもの「楽しいー!」のテンションとは違う、困った声。
「で、ユッキー、曲詳しいじゃん? なんか意見聞きたくて」
「曲詳しい、ですか……」
前にランチで大好きなゲームの話を振られて、思わずオタク特有の早口でゲーソンのことを語った黒歴史。
覚えていたんですね……。
いや、まあ、合ってはいる。
歌についてはいろんな知識を頭に入れている。候補曲のキーが自分の音域に合うか、既存の歌い手の息継ぎとフェイクの癖、流行りの曲調、リスナー受けの傾向。
詳しい、というより、知らないと話にならない世界で活動している。
歌い手系Vtuberをやっていて、ほどほどにリスナーもついている。
「えっと」
私は口を開く。
「曲がしっくり来ない」と言われた瞬間、頭の中で勝手に答えが組み上がっていく。何の曲か、どんな曲調か、どういう声でどう歌っているのか、なぜしっくり来ないのか。考えがもう、走っている。
「……宮下さん、あの曲」
宮下さんが、私の方をまっすぐ見る。
「たぶん、宮下さんに合ってないんだと思います」
宮下さんが、目を少し見開いた。
「あの曲調だと、歌に振り回されると思う」
「振り回される……」
宮下さんが復唱する。考えている顔。
「宮下さんの声には、もっと、合う曲調があると思う」
私はそこで一度、口を閉じる。
宮下さんが、机に頬杖をついたまま、視線を一回宙に泳がせた。
「あー……」
宮下さんは口を開きかけて、止めた。
そしてもう一度、視線が宙を泳ぐ。それから、机の木目に落ちる。
「うん……うん、そうかも」
宮下さんは意外にも素直にうなずいてくれた。
宮下さんが、頬杖から顎を上げる。
「けどさー、いろんなタイプの曲歌う人もいるじゃん? アタシもさ、いずれそういうのできる人になりたいなー、とか」
反論というより、続きを聞きにきている顔だった。
「……それは、自分のスタイルが、もう確立してる人の話です。最初なら、まず自分のスタイルを作る方が、たぶん先かと」
宮下さんが、口をつぐむ。
ここで終わってもいい。でも、頭の中では、もう一つ言葉が出かかっている。
曲の話じゃない。もっと、宮下さん自身に踏み込む言葉。ここまで言った以上、これだけは言わないと話が完結しない。
「……宮下さんが」
私は、机の縁を見たまま、口を開く。
「何で、スクールアイドルやってるのか。何を、したいのか。何で、始めたいと思ったのか」
宮下さんが、顔を上げる。
「そこから考えるのが、たぶん、スタートラインだと思う」
言い切った。
教室の空気が、止まった気がした。
宮下さんは、すぐには答えなかった。
視線が、私の顔から、ゆっくり机の上に落ちる。考えている。
それから、宮下さんが、にこりと笑った。
「ありがと、ユッキー」
明るい声、でも、いつもの元気な声ではない。優しい声色。
「……うん、なんかさ」
宮下さんが、机に両肘を置いて、自分の手のひらを見る。
「そこ、ちゃんと考えたこと、なかったかも」
宮下さんの目が、机の上で焦点を合わせていない。
視線が、別の場所を見ている。私の言葉を、半分くらい飲み込み始めている顔。
「アタシ、ちょっと一回、ちゃんと考えてみる」
宮下さんが、顔を上げて、こちらに笑顔を向ける。
「ユッキー、マジで助かった。ありがとっ!」
宮下さんが、机から練習着の入った袋を引っぱり出した。
さっきまで歌の相談をしていた手が、もう次の準備に動いている。
「アタシ、同好会行ってくるね。ユッキーに相談できてマジでよかった! じゃ、また明日ねー!」
そしていつもの元気な宮下さんに戻り、手を振って教室を出ていく。
教室には、私だけが残った。
***
寮に戻って、夕飯を済ませて、部屋の机の前に座る。
今日は歌回の日だ。
ヘッドホンを耳に当てて、マイクの前に座る。
配信ソフトの開始ボタンを押す前に、一呼吸。
よし、にゃ口調にゃ口調。にゃ、にゃ、にゃ。
口を一回、ゆるめる。
開始ボタンを押した。
「ハロにゃ〜♪ 黒霧レモンですにゃー」
> ハロにゃー
> ハロにゃー
> 今日は歌回?
> 待ってた
「うん、今日は歌回にゃ♪ さっそく一曲目いってみよーかにゃ♪」
> はーい
> 楽しみ
> 始まる前のテンション好き
イントロを流す。
最近よく流れているJ-POPのカバー、テンポは速め、サビの抜けが気持ちいい曲。
息を吸って、マイクに向かって、歌う。
部屋の中の空気が、私の声で満ちる。配信ソフトの音量メーターが、波形を描く。
リスナーの顔は見えない。コメントだけが、画面の隅で時々動く。
——この感覚。
歌いながら、ふと思う。
部屋で、画面の向こうに向かって歌う、この感覚。
リアルの誰にも、私の顔は見えない。私の名前も知られない。
声だけが、知らない誰かに届いていく。届いた相手が「いい歌でした」と言ってくれる。それで、終わる。
これで、足りる。
リアルで名前を背負う必要はない。それで、十分。
サビを抜ける。間奏に入って、息を整える。
> 鳥肌
> やば
> なんでこの声無料で聴けるんだ
> 一曲目から本気
二番に入って、最後のサビまで、一気に歌い切る。
最後の音を伸ばして、息を抜いて、止める。
> はーー
> 一曲目から完成度高すぎ
> 仕事の疲れが溶けた
> 抜けの良さが気持ちよすぎる
「ありがとにゃ〜♪ 今日もみんなのお耳の保養になれて何よりにゃ♪」
> いい保養でした
> 今日も最高だった
> 聴けてよかった、にゃ!
「ふふ、褒めてもらえると気分がいいにゃ! ……あ、そういえばにゃ。歌つながりで、今日学校でちょっとあったんよ」
> ん?
> 何があったの
> 聞かせて聞かせて
「クラスのギャル子に、歌の相談されました」
> え?
> なんでレモンちゃんに?
> もしかして配信で歌っていることバレた?
「いやいや、さすがにバレてないにゃ」
> 何で歌の話?
> 何かやってんのかな
同好会でスクールアイドルやってるらしい、と言ったら身バレあるかもだよな。
「具体的なことはぼかすけど、音楽系の活動やってるらしくって、それで聞いてきたみたいにゃ」
> 合唱部? あとはスクールアイドルとか
> 普通にカラオケとかかね
> レモンちゃんが歌うまいのは事実だけど、相談されるのは意外
> 相談相手がレモンちゃんなのは謎人選すぎる
「私もそう思うにゃ」
これは本当にそう。
「憧れてる相手がいて、その人みたいに歌いたいんだけど、なんかしっくり来ない。ざっくり言うと、そんな相談にゃ」
> あー、それは確かに困るやつ
> 憧れと自分の声質、別問題だしな
> よくあるやつ
「それで、色々、言ったにゃ。曲が合ってないとか、歌に振り回されてるとか、まず自分のスタイルを作る方が先だとか」
> 普通にいいこと言うね
> ギャル子の歌の先生、就任
> 黒霧先生
「先生じゃないにゃ。ただの隣の席にゃ」
> レモンちゃん的にはどんな曲調がそのギャル子に合うと思ったの?
> 興味ある
> 声質の話?
「あー、まあ、声質と、表現の話にゃ」
私は、少し言葉を選ぶ。
宮下さんの普段の声を、コメント欄に伝わるように言葉にするのは、案外、難しい。
「明るくて、抜けがいい声で、人懐こい話し方をする子だから。歌う時も、距離感が近い感じの曲調の方が、合うと思ったにゃ」
> ふーん
> ちゃんと観察してて草
> レモンちゃん、だいぶ見てらっしゃる
「見てない。一緒にいる時間が長いから、勝手に情報が入ってくるだけにゃ」
> 言い訳
> そこまで分析して助言する相手に相談されるって
> レモンちゃん、信頼されてるじゃん
手が、止まる。
「……いや、そういうのじゃないにゃ。あの子は、誰にでも優しいんだにゃ。私が特別ってわけじゃない。たまたま隣の席で、たまたま曲詳しいやつが座ってたから、相談してきただけにゃ」
> まあ確かに。話聞く限りギャル子は誰にでも優しそう
> でも曲の見立てが確かなのは事実だろ
> 俺たちもレモンちゃんの音楽の目は信用してる
「それは、まあ……」
> 否定しないんかい
> でもそれ、的外れだったら信頼度下がるな
> アドバイス失敗したら明日から口きいてもらえないね
「やめてくれにゃ。マジで。クラスで私の居場所が、なくなるにゃ」
> 急に切実
> 居場所ww
> レモンちゃんにとってギャル子、わりと命綱では
「そんなことない。……次の曲いくにゃ」
> はーい
> 待ってた
> 何歌うの?
「秘密にゃ♪ イントロ流したらわかるにゃ」
イントロを流す。
軽快なリズムが、部屋に流れ始める。
息を吸って、歌い出す。二曲目は、さっきより軽い曲。雑談で温まった分、声がよく回る。最後のサビまで、一息で持っていく。
> やっぱうまい
> 今日も最高だった
> 来てよかった
「はい、今日はこんなとこにゃ♪ みんな、来てくれてありがとにゃ〜♪ また次の配信でにゃ♪」
***
ゴールデンウィーク、三日目。
私は、寮の最寄り駅前のドラッグストアで、シャンプーの詰め替えと洗濯洗剤と、ついでに目についたチョコレートを買った。
レジ袋を提げて、外に出る。
五月の昼下がりの空気は、もうだいぶ柔らかい。日差しは強いが、風は涼しい。
連休中の駅前は、家族連れと、私服の高校生と、犬の散歩のお年寄りで、いつもよりだいぶ人が多い。
私は、寮までの帰り道を歩く。
寮までの道は、住宅街の中を抜けていく。途中に、小さな公園がある。
子供向けの遊具と、ベンチが何個かと、緑の葉となった桜の木が数本。
普段は、保育園帰りの親子連れが、滑り台の前で遊んでいる。そんな日常の穏やかな場所。
公園の前まで来たところで、視界の隅で、誰かが走ってきた。
公園の入口の方から、広場に向かって、軽快なフォームで駆けていく後ろ姿。
制服じゃない。白のへそ出しシャツ、ジャージのパンツ、腰には上のジャージを巻いている。
髪は普段より高めにまとめてある。
――宮下さん?
私は、足を止める。
公園の入り口に立ったまま、レジ袋を提げ直して、視線だけ広場の方に置く。
宮下さんは、広場の真ん中まで走り抜けると、ふっと足を止めた。
両手を腰に当てて、上体を一回反らす。空を、見上げる。
大きく、息を吸っていた。吸って、吐いて、もう一度、深く、吸う。
何してるんだろう。
私はふと立ち止まって宮下さんを眺めた。
レジ袋の取手が、手のひらに食い込んでいる。
シャンプーの詰め替えが、けっこう重い。
宮下さんが、もう一度、息を吸う。
そして、ふっと、公園にいる人たちに笑みを浮かべた。
ゆっくりと、周りを、一瞥する。
ベンチの人、犬の散歩の人、親子連れ。視線が、宮下さんに、集まり始める。何だろう、という空気。
広場の真ん中にいる宮下さんが何かを始めようとしている、と気づいて、みんなが見る。
そして宮下さんが、歌い出した。
明るい、曲。
歌い出しの音域、テンポ、声の置き方。
宮下さんが憧れた、学校の屋上で優木せつ菜ちゃんが歌っていた曲調ではない。
私も聴いた、あの力強い、声を張って熱量で押す歌。それとは、違う。
宮下さんの声は、もっと距離が近い。聞いている人の方に、すっと入ってくる距離感の声。
「心に響く」というより「隣に寄り添う」ように声が出ている。
歌い出しと同時に、宮下さんの体が、リズムに乗って動き始めた。
動きが、軽くて、よく伸びる。手足の先まで、リズムが通っている。
なのに、見せつける感じが、まるでない。
上手いのに、近い。
観客の方に体を開いて、一緒に楽しもうよ、と誘うみたいに跳ねる。
広場の中を、ゆっくり回りながら、ベンチの人にも、犬の散歩の人にも、親子連れにも、順番に、体を向けていく。
一人ずつ、輪の中に、入れていくみたいに。
ダンス自体の技術の細かいことは、わからない。
でも、これはきっと魅せるためのダンスじゃない。その場の全員を、楽しくするためのダンスだ。
子供の手を引いていたお母さんが、足を止めた。
ベンチに座っていたお年寄りが、顔を上げた。
犬を散歩している男の人が、立ち止まった。
広場の周りに、人が、増え始める。
私の見立てが、目の前で、当たっていく。
宮下さんが声を広場いっぱいに伸ばす。そのまま、観客の正面に立ち直って、サビに、入った。
サビが、明るく突き抜けた。
声が、上に伸びる、けど、突き刺すんじゃなくて、開く。
明るい光が、広場の上に、ぽんと放り投げられたみたいな抜け方。観客のみんなが、自然に手拍子を始める。
聴いていて、わかる。この曲は、宮下さんだ。
明るくて、まっすぐで、聴いている人との距離が近い。
教室でいつも、隣の席から、当たり前みたいに話しかけてくる、あの感じ。
相手も、そして自分も楽しもうとするあのスタンスが、そのまま音になっている。
背伸びも、無理もない。借りものの服を着ているような、ちぐはぐさが、どこにもない。
私は、教室で言った。
自分のスタイルを作る方が先だ、と。
何でスクールアイドルをやりたいのか、そこから考えたら、と。
ずいぶん偉そうなことを言ったと思う。
だけど、宮下さんは私の言葉を、ちゃんと考えてきてくれたみたいだ。
気づいたら、レジ袋の取手が手に食い込んでいたことも、忘れていた。
宮下さんの声は、最初から最後まで、トーンが落ちなかった。
最後のフレーズを、ふわっと、伸ばす。伸ばし切って、息を抜いて、止める。
歌が、終わった。
一拍、間が空いて、観客の拍手が、起きた。
子供が「おねーちゃん、上手!」と声を上げる。お母さんが笑って、宮下さんに向かって、手を振り返す。
お年寄りが、ベンチから「感動したよ」と声をかける。犬を連れた男の人も、笑って小さく拍手していた。
宮下さんが、両手を体の前で合わせて、深く、頭を下げる。
「みなさんありがとうございましたー! 虹ヶ咲学園のスクールアイドル同好会、宮下愛でしたー!」
明るい声が、広場に、もう一回、響く。
頭を上げて、満面の笑みで、観客に向かって、両手を広げる。
そのまま、視線が、ふっと、観客の外側を、流れた。
そして私と、目が、合った。
宮下さんの、手を広げたままの姿勢が、一瞬、止まった。
目が、見開かれる。
それから、口の端が、ゆっくり、上がる。
――ありがとうね、ユッキー
声は聞こえなかった。だけど宮下さんはそう言っていた気がした。
私は、その場からしばらく動けなかった。
宮下愛さんの親愛度が上がりました。