陰キャVtuberな私は、今日も隣のギャルに負かされる 作:あっぷる
中間考査が明けて、教室から張りつめたものが抜けていた。
ホワイトボードの右上、「中間考査一週間前」の赤字はもう消えて、代わりに「体育祭準備」と書き足されている。
朝のホームルーム前。いつもより隣が静かだと思ったら、宮下さんがまだ席にいなかった。
教室の前の方で、応援団の腕章をつけた三年生らしき女子と、何やら笑い合っている。三年生が抱えたプリントを覗き込みながら、宮下さんが「やるやるー!」と頷いていた。
(……応援団?)
机の脇を通りかかった田辺さんが、私の視線に気づいて教えてくれた。
「あー、愛ちゃん、応援団に呼ばれたんだってー。来月の体育祭」
「……そう、ですか」
「リレーのアンカーも愛ちゃんに決まったんだってー」
田辺さんはそれだけ言って、自分の席に戻っていった。
宮下さんが教室の前で、別の生徒から肩を叩かれて、また「いいよー!」と笑っている。応援団にリレーのアンカー、それでもまだ声がかかる。テスト明けの教室で、宮下さんの周りには、ひときわ人が集まっている。
(……あんな風にいろんな人から声をかけられるの、どんな感じなんだろうな。私だったら、すぐパンクする)
ホームルームのチャイムが鳴る直前に、宮下さんが急いで席に戻ってきた。
座る前に、ふっと私の方を向いて、にこっと笑う。
「ユッキー、おはよー!」
「……おはよう、ございます」
宮下さんが、楽しそうに、笑った。
***
放課後。
机の上の手帳を開いて、私は今日の予定を確認した。
『美化委員会・第二回 午後四時 第二会議室』
四月から続いている、月一の集まり。学期始めの係決めで、私は美化委員に手を挙げた。
本当は図書委員になりたかったけど、じゃんけんで負けて第二候補の美化委員を選んだ。
美化委員の仕事は、教室やクラスの掃除当番の割り振り、ゴミの分別や回収のとりまとめ、それに校内美化のポスター掲示の作成などである。
第一回は四月の半ばに済んでいる。各クラス二名、計十六名。
クラスごとに固まって座り、E組の私はもう一人のE組の子の隣に座って、一時間、ほぼ何も喋らずに資料を眺めて終わった。
現在の時刻は午後三時五十二分。
第二会議室まで、本校舎の三階。八分でちょうどいい。
私は鞄を肩にかけて、人気がまばらになった廊下を、第二会議室へ向かった。
第二会議室は、本校舎三階の奥まった位置にある。
普段の授業では使われない、長机を口の字に並べた打ち合わせ用の部屋だ。
扉を開けた時、室内には既に半数ほどが集まっていた。
第一回と同じく各クラスの二人組がそれぞれ固まって座り、それ以外は自由に座っている。
E組の席は、長机の角に近い位置。
もう一人のE組の子——前回隣に座った佐々木さん——が、既に着席して資料に目を通していた。私が近づくと、顔を上げて軽く会釈してくれる。
私も会釈を返して、佐々木さんの隣に座る。
前回と同じ並び。空席は隣の隣、まだ埋まっていない。
(……今回の話は次の体育祭関連だったっけな)
机の上にプリントを広げて、視線を落とした。
前回の議事録、今回の議題、来月の活動予定が書いてある。
「お、ここ空いてるねー、よかった」
声に、聞き覚えはなかった。
私は視線をプリントに落としたまま、視界の隅で、その人物を確認した。
穏やかな目つき。黒髪のツインテールで、髪先が緑がかっている。
(……高咲さん、だっけ)
廊下のすれ違いか、誰かの会話の切れ端か——どこで耳にしたかは、思い出せない。
顔と名前が、辛うじて結びついている、その程度の認識。話したことは当然ない。
「あ、佐々木さんだ。お疲れさまー」
「お疲れー! 高咲さん、今日はこっち?」
「うん、向こうの席埋まっててさ、こっちに流れてきた」
佐々木さんと高咲さんが、軽く会話する。
「あれ? E組の、もう一人の方、初めまして?」
あ、こっちに来た。
「……あ、はい。E組の、渡です」
「私、普通科の高咲侑。よろしくね」
「……渡友紀、です」
高咲さんが、ふっと首を傾けて、私を見た。
「友紀さん、って呼んでもいい?」
「……えっ? はい、どうぞ」
下の名前呼び。少しびっくりした。
だけど隣の席で毎日「ユッキー」と呼ばれ続けている身としては、この程度はジャブみたいなもの。
委員長が前に立って、第二回の議事を始めた。
議題は三つ。衣替えに合わせた清掃当番表の組み直し、梅雨時期のゴミ回収ルールの見直し、それから、来月の体育祭に向けた校内美化の計画。
月一の会合で消化する量としては、やや多い。
委員長——三年生の生徒——が手際よく進めていく。議題ごとに各クラスの現状を聞いて、作業を割り振って、次へ。資料に書かれている通りの順序で、淡々と進む。
私たちの役割は、E組の現状報告。といっても、佐々木さんが代表で答えてくれるので、私は隣で頷く係だ。前回と同じ。会議が終わるまで、私が口を開く場面は、たぶん、ない。
(……平和、世界はこうあるべき)
頭の中でそうぼんやりしながら、私はプリントに視線を落とし続けた。
議事は三つ目、体育祭の校内美化に移った。ポスターの掲示と、体育祭前日の見回りに、クラスごとに人を出すらしい。前日は準備で忙しいクラスも多く、割り振りが少し詰まる。
「うちのクラス、前日は大丈夫です。多めに引き受けられますよ」
高咲さんが、手を挙げて発言する。はきはきと、けれど押しつけがましくなく。
「あ、佐々木さんのところ、厳しそうですか? じゃあそこ、うちと合同にしちゃいましょうか」
発言の量が多いわけではない。ただ、中身を聞いていると、自分のクラスの主張だけではなく、他クラスの状況にも目が向いている。困っていそうな委員に声をかける、足りなそうな分担に手を挙げる。発言の半分くらいが、誰かのフォローに回っている。
気遣いのできる、いい人。それが私の中での高咲さんの第一印象になった。
カチ、カチ。
シャーペンをノックしていたら、ペン先から芯が抜け落ちた。机の上を転がって、隣の佐々木さんではなく、反対側——高咲さんの方へ流れていく。
高咲さんが、それを指で軽く止めて、私の方へ滑らせた。
「はい、これ」
「……あ、すみません」
小声で礼を言って、芯をケースに戻す。高咲さんは軽く笑って、もうプリントに視線を戻していた。
議事は、残りを淡々と消化していった。
***
午後五時。第二回美化委員会、終了。
委員長が「お疲れ様でしたー」と締めて、会議室の空気がふっと緩んだ。各クラスの二人組が、立ち上がってプリントを片付け、雑談を始める。
私もプリントを揃えて、鞄に入れる。隣の佐々木さんも、同じ動作をしている。このまま寮に直帰して、配信の準備だ。
「友紀さん、来月の体育祭、なんか出るの?」
——え。
横から、高咲さんが、私に話しかけてきた。
立ち上がりかけた姿勢のまま、こちらを向いている。委員会の議題が体育祭関連だったから、その流れの世間話らしい。
「……あ、えっと、種目は、走らないのを中心に……」
答えてから、気づいた。今、普通に返事ができた。
少し前の私なら、急に話しかけられた時点で頭が白くなって、微妙な空気になって会話を終わらせていたはずだ。
毎日、隣の席で不意打ちの会話を浴び続けているうちに、慣れてしまったらしい。誰のせいかは、考えるまでもない。
「あー、私もそれ! 運動苦手で!」
高咲さんが、嬉しそうに笑った。
(……運動、苦手?)
意外だった。何でもそつなくこなしそうな人なのに。
「私、玉入れと借り物競走にしたんだ。走るやつは全部回避」
「……同じです」
「えっ、ほんと!?」
「……私も走るのが、その、ちょっと」
「私もー! 友紀さん、運動苦手仲間だね」
(……仲間)
仲間認定された。悔しいくくりだが嬉しい。
「あ、そうだ、佐々木さん、E組の応援団のリーダーって決まった?」
高咲さんが、佐々木さんに話を振った。
「あー、それなら、宮下愛ちゃんに決まったよー」
「あ、愛ちゃん!」
高咲さんが、ぱっと顔を明るくした。
「同好会のメンバーが、応援団の中心になるってことかー、楽しみだなー」
「……同好会?」
私の口から、勝手に、その単語がこぼれた。
「うん、スクールアイドル同好会。私、そこの……んー、何て言えばいいかな、マネージャーみたいな」
(……ああ、それで「学校でちらほら名前を聞く」だったか)
同好会のマネージャー。それなら、名前くらい耳に入ってくるわけだ。
「あ、愛ちゃんって、友紀さんと同じクラスだよね?」
「……はい、隣の席、です」
「えー、隣なんだ! 愛ちゃん、楽しい子だよね!」
(……隣の席で毎日その「楽しい」を浴びている身としては、なかなか、消耗する)
口には出さない。
「友紀さんも、そのうち遊びに来てよ、同好会」
「……あ、いえ、私はそういうのは……」
「そっか、無理にとは言わないけど、いつでも歓迎だからね!」
高咲さんが、にっこり笑った。
「じゃあ、またね、友紀さん」
「……あ、はい。また……」
高咲さんが、手を振って、会議室を出ていった。
私は割り振られた作業の分担を佐々木さんと決めて、少ししてから会議室を出た。
***
午後九時。配信開始。
「ハロにゃ〜♪ 予告通り、今日は質問コーナーをやっていくにゃ〜♪」
> 待ってた
> ハロにゃー
> 俺の質問読み上げてくれー(懇願)
ここ最近、歌の練習配信が続いていた。雑談が減っている自覚はあったので、前回の終わり際に「次は質問コーナーでもやるにゃ」と軽く予告しておいた。そうしたら、思ったより質問が集まった。
「じゃあ早速、一つ目の質問にゃ。……『配信をしていて、一番嬉しかったことは何ですか』」
読み上げてから、少し考える。
「歌を褒められた時、かにゃ」
> おお
> まっとうな回答
> 優等生か?
「……あと、登録者が増えた時。数字は正直、嬉しい」
> 素直で助かる
> 承認欲求にゃんこ
> 後半が本音だろ
「どっちも本音にゃ。次の質問行くにゃ。……『レモンちゃんの好きな配信者は誰ですか』」
これは考えるまでもない。
「姫咲ミライさんにゃ」
> 即答
> 懐かしい名前出た
> ミライちゃん歌えぐかったよね
顔面が良くて、歌がめちゃくちゃうまい配信者。私が中学の頃、スクール配信界隈で一番勢いがあった人だ。
去年、高校卒業と同時に配信からは離れてしまったけれど。
彼女の歌を初めて聴いた夜のことは、今でも覚えている。
「ミライさんの歌枠がなかったら、たぶん私は配信を始めてないにゃ。……はい、次の質問。『クラス以外の人と話すことはありますか』」
読み上げてから、気づいた。しまった、先に中身を確認しておくべきだった。
「は? あるが?」
見栄が、脊髄で返事をした。
ある。あるはずだ。頭の中で、検索が走る。クラス以外の人と、話した記憶。最近で、クラス以外——
> 沈黙?
> 沈黙こわい
> 該当なしなのでは?
「……あった。ちょうど今日、学校の委員会で感じのいい人と話したにゃ」
> ぎりぎりセーフ
> 知らない人と!? 大丈夫!?
> レモンちゃん固まってなかった?
「失礼な。普通に話して、普通に終わった。私だってちゃんと話せる。ギャル子は陽キャすぎて刺激が強すぎるだけだ。今日の人はね、なんというか、話しやすい人だった」
> 話しやすい?
「ぐいぐい来ないのに、優しいというか。私、初対面だと大体固まるんだけど、今日は割と普通に喋れたにゃ」
> ほー
> 聞き上手なんだ
> よかったな
「たぶん私にだけじゃなくて、誰にでもああなんだと思う。委員会でも、困ってる人に自然に手を貸してて。……なんか、嫌味なくできる人っているんだにゃ」
> 誰にでも優しくて自然に手を貸す
> それギャルゲーの主人公では?
> 無自覚に好感度上げてくるタイプ
「いや、ギャルゲーて」
ツッコミが素の声で出た。
うちは女子高だぞ。ギャルゲーの主人公が生息できる環境じゃないんだわ。
> でも珍しいね
> レモンちゃんが人を褒めるの
> 人と話せるようになったのギャル子のおかげでは?
「…………」
否定の言葉を探した。ちょうどいいのが、見つからなかった。
「……次の質問。レモンちゃんは普段どんなジャンルの曲を――」
> 逃げた
> 図星じゃん
そのあと軽い質問をいくつか消化して、私は適当なところで配信を切った。
***
配信オフのアイコンが灯った画面を、私はぼんやり眺めた。
久しぶりに、あの名前を口に出した。
検索欄に「姫咲ミライ」と打ち込む。歌唱動画のアーカイブは、今も残っている。一番再生されているやつを、なんとなく開いた。
——うまい。
三年前の動画なのに、色褪せていない。まっすぐな声。ためらいのない伸び。画面の向こうで、制服姿のミライさんが、楽しそうに歌っている。
中学の頃、この動画を見つけた夜のことを、今でも覚えている。
歌は好きだった。でも、人前で歌うのは、無理だった。だからずっと、一人で歌っていた。誰にも聴かせないまま、部屋の中だけで完結する歌。それでいいと思っていたし、それしかないとも思っていた。
そこに、この動画が流れてきた。
学校の外に、歌っていい場所がある。顔を出せない私でも、やりようはある。あの夜、そう思わせてくれたのが、この人だった。
それから、ゼロから始めた。機材を調べて、モデルの静止画を自分で描いて、誰も来ない配信を何ヶ月もやった。初めてコメントがついた日のことも、覚えている。
今は、千五百人が登録してくれている。
千五百人。ゼロから数えたら、途方もない数字だ。
(……もっと増えたら、いつか、大きなイベントに呼ばれたりして)
ないな。
夢想に、自分でオチをつけて、動画を閉じた。
パソコンをシャットダウンする。画面が暗くなって、部屋が少しだけ静かになった。
悪くない夜だった。
◆かんたん解説
〇高咲 侑
スクールアイドル同好会のマネージャーで、アニメ版の主人公的ポジション。
原作のゲーム版にはいないアニメオリジナルキャラクター。
オリ主、ハーレム、可愛い幼馴染がいる、とハーメルンの主人公みたいなキャラでもある。
あと侑ちゃんが同じクラスだったら多分友紀は同好会に入っていたかも。