インフィニット・ストラトス ~暮桜の懺悔~ 作:熾天使セラフィム
「どう? 終わった?」
「あと少しで終わるよ、母さん」
倉持技研第一研究所所長、烏間真理は、日付が変わってなお端末に向かい続ける息子へ、はちみつ入りのホットミルクを差し出した。
青年は「ありがと」と素直に礼を言い、マグカップを受け取る。湯気へふう、と息を吹きかけながら、熱を確かめるように少しずつ口を付けていく。その表情には疲労よりも、好きなことへ没頭している人間特有の充足感が浮かんでいた。
世間一般では、大学生にとって長い春休みと呼ばれる時期である。にもかかわらず、息子はほとんど研究所へ入り浸っていた。
しかも、その原因を作ったのは真理自身だ。
人手不足を理由に、軽い気持ちでアルバイト募集の話をした。せいぜい、資料整理や簡単な整備補助を任せる程度のつもりだったのである。
――まさか、アルバイトの応募条件を満たすためだけに、『第一種IS機装整備士』の国家資格を取得してくるとは思わなかった。
しかも、合格は一発。
二十歳そこそこで取得したというだけでも異常なのに、実技試験では試験官達を黙らせるほどの成績を叩き出したらしい。
その報告を受けた時の、技術部主任の引き攣った顔を真理は今でも覚えている。
「……普通はね、資格に合わせて仕事を選ぶの。バイトに合わせて資格を取ってくる子なんていないのよ」
「そう? 別にいいじゃないか。どうせ卒業までには取るつもりだったし、二年早まっただけだよ。それに、おれは」
マグカップを口元から離し、青年は真っ直ぐ真理を見る。
「倉持技研第一研究所所長、烏間真理の息子だ。できないはずがないだろ」
真理は、女手一つで育てた息子から真正面にそんな言葉を向けられ、胸の奥が熱くなるのを感じた。
「生意気なこと言ってくれちゃって」
恥ずかしくて赤い顔を隠したかったのか、真理は永夢の後ろに回り背中から腕を回して抱きしめた。
「事実だよ。現に母さんは、世界初の量産型第3世代ISヤタガラスを完成させたじゃないか。世間がまだ第2世代を作るのに忙しい中、試作とはいえ第3世代機白夜を建造。そこから、改良を加えたのがヤタガラスだろう?」
永夢は母の腕を抱き込むように、自分の身体へ引き寄せながら呟いた。
「世間で母さんがなんて言われてるか知ってる?篠ノ之束の再来だよ。そんな女性から産まれたんだ。息子が多少おかしくても問題ないさ」
そして、母の腕に顔を沈めながら口からこぼす。
「こんな、とてもまともじゃない息子を二十歳まで育てて、大学にまで行かせてくれたんだ。……これじゃ、いつまで経っても恩返しできない」
少し湿っぽい空気を感じたのか永夢は話題を転換した。
「それよりも今回の仕事。わざわざ、母さんの最高傑作を引っ張り出す必要あったの?」
親子の目の前には、一機のISが静かに鎮座していた。
無駄を削ぎ落した流線型のシルエット。その姿はまるで、一振りの日本刀をそのまま鋼鉄へ変えたかのようだった。
――第1世代型IS《暮桜》。
かつて“世界最強”と謳われた女性、織斑千冬が駆った専用機であり、倉持技研が生み出した最高傑作。
「えぇ。一ヵ月前に見つかった世界初の男性ISパイロット、織斑一夏。彼は織斑千冬の弟なのよ。だったら、技術、実績共に最高傑作である《暮桜》のデータを使うのが一番合理的でしょう?」
真理は静かに機体を見上げながら答えた。
「でも、織斑一夏と織斑千冬じゃ体格差が結構あるぞ」
永夢は端末を操作し、空中ディスプレイへ二人の身体データを並べる。
肩幅、筋肉量、骨格比率、反応速度。
並べられた数値は、同じ血縁とは思えないほど差があった。
「いくら弟でも、この《暮桜》のデータでISを扱うのは無理がある。資料を見る限り、身体能力は天と地ほど違うし。下手をすれば、肉離れどころか関節を壊すかもしれない」
特に問題なのは、瞬間加速時に発生する慣性負荷だ。
織斑千冬の身体能力を前提に調整された可動補助は、一般人にとって過剰出力もいいところである。
補助ではなく、暴力になりかねない。
「分かってるわ」
真理はあっさり頷いた。
「《暮桜》のデータをそのまま使うわけじゃないもの。流用できる部分だけ使うのよ。例えば、身体の可動範囲とかね。身体能力に差があっても、姉弟である以上、骨格構造や関節の動きには共通点があるわ」
「なるほどねぇ」
永夢は感心したように頷きながら、改めて《暮桜》を見上げる。
しかし、その視線はすぐに細められた。
「……けど、それでも難しいぞ」
「何が?」
「織斑千冬の操縦データが異常すぎる」
永夢は真顔だった。
「参考にならないレベルで完成されてる。反応速度も姿勢制御も、完全に人間辞めてるだろこの人」
「そうよねぇ。作った私が言うのもなんだけど、千冬ちゃんよくこれで世界を獲れたと思うわ」
「それ、褒めてるの?」
「えぇ」
即答だった。
「普通のパイロットなら、“ここで減速する”ってポイントで加速してる。しかもそのまま制御を成立させてる。こんなの真似したら、織斑一夏は確実に吐くぞ。なぁ、母さん本気で使うのか?このデータ」
永夢は頭を掻きながら端末へ視線を戻した。
空中ディスプレイへ、次々と新たな数式と人体モデルが展開されていく。
筋肉負荷予測。
神経伝達補助。
慣性緩衝。
姿勢制御補正。
「もちろん」
真理はうなずき、永夢はため息を吐きながらデータを暮桜のISコアから抽出して、専用ストレージに移し替える。
「後は待つだけで終わりだよ。そういえば、白夜のほうはどうなってるの?織斑一夏の専用機として使うんだろ?このデータと一緒に」
ワーキングチェアに座りながら、首を後ろに向けて永夢は尋ねた。
試作型第3世代型IS《白夜》
暮桜のワンオフアビリティー・零落白夜を再現するために建造されたこの機体は、再現には成功したものの拡張領域が全部埋まってしまうという、とんでもない機体である。スペックだけはやたらと高いが。
日本の量産型第3世代型IS《ヤタガラス》
この機体は零落白夜を白夜とは違い簡易型とはいえ、性能をそのまま搭載している。発動時間に限りがあるが、そもそも一撃必殺である。ずっと、発動しっぱなしにする阿呆はいない。拡張領域もフランスのラファールに匹敵するくらいある。素のスペックはセカンドシフトした暮桜と同等のレベルはある。このあまりにも凄すぎる性能故、現在輸出規制対象に引っ掛かっているのだが。
「白夜に関しては第2研究所が担当してるからこっちには情報が流れてきてないのよねぇ」
「なるほど、リスク分散か」
後に、このリスク分散はとある天災ウサギ博士によってちっとも意味がなかったことが判明する。
「そういえば、織斑一夏が見つかって1ヵ月。二人目が見つかったって報告は無いのかい?」
永夢は、写し終えたストレージを母親に渡しながら聞いた。
「今のところ、そういう報告は聞いてないわね。永夢は、一斉検査は終わったの?」
「明日」
「明日?あらそうだったの?」
「うん。だから明日バイトにはいけない。一応、担当の人にも伝えてあるから」
そう言って、彼は荷物を片付け始めて帰る準備をし始めた。
「もし、あなたが動かしたらきっと大惨事ね。お母さん、胃が壊れちゃうわ」
「よしてくれよ。僕の場合、洒落にならんぞ。だいたい、今日だって散々《暮桜》に触れてたんだよ。反応してたらとっくに動かせるさ」
片付けを終えて、バックパックを背中に背負い、
「じゃ、明日は検査で早いから帰ったら寝るよ。母さんは?今日も泊まり?」
「お母さんは後2ヶ月近くは絶対家に帰れないわ。あとシャワーくらい浴びなさい。匂いが残るわよ。部屋の片付けはしなくていいわよ。お母さんまだ使うから」
そう言って真理は、研究室から出て行った。
永夢は真理を見送った後、もう一度《暮桜》を見た。そして、暮桜の装甲に手を触れながら呟いた。
「なぁ、暮桜。お前はどう思う。世界を獲ったと思ったら、ご主人様には突然捨てられて、倉持の倉庫に放りっぱなし。挙句データの回収に使われる。もし、僕だったら嫌だね。今すぐにでもこんな狭い部屋、飛び出すね。お前にもし自我というものあるのなら、今すぐ飛び出して行っても構わないさ。お前の生き方だ。好きに飛べばいい。俺も好きに生きてるから」
体の奥底にある、形容しがたいものを吐き出して、暮桜から手を離す。
<なら、お前が私を連れていけ。言質は取ったぞ>
「え?」
後ろから声が聞こえる。振り向くと、暮桜が無人で起動している。
頭が真っ白になった。後頭部が殴られたかと思った。
次の瞬間、装甲を開いた暮桜が永夢を抱き寄せるように動いた。
そして本当の意味で気を失った。