それは、ある蒸し暑い夜の事だった。
私、九条カレンは、電話をしながら塾からの帰り道を歩いていた。
来年の冬に受験を控えていた私は、その日は塾で模試を受けていた。
帰る頃には日が暮れていたので、お母さんに電話をした。
「今日の晩ご飯はハンバーグよ」というお母さんの報告に、軽い足取りで小道を歩いていると。
子猫を咥えた小柄な黒猫が、目の前を横切った。
何気なく、スマホを猫に向けて写真を撮ろうとした、その時だった。
視界に、二つの眩しい光が視界に映り込んだ。
それが何かを考える暇もなく。
気がついたら、体が動いていた。
◆◆◆
………あれ?
どこだろう、ここ。
ぼんやりとしか見えない。
私、こんなに目が悪かったっけ?
それに、ものすごく体が動かしづらい。
なんとか周りを見ようと、体をモゾモゾ動かしていると。
「あれ? 起こしちゃった?」
巨大な何か……いや、誰かが、私の顔を覗き込んできた。
長い黒髪の…女の人…なのかな?
え、怖……何mあるんだこの人…巨人…?
ぼんやりと視界に映り込んだ人物の大きさにプチパニックを起こしていると、大きな手が私の体に触れた。
私、目が見えないし、体も動かないんだけど…
私、これから何されるの?
怖い、誰か助けて…!!
助けを呼ぼうと、声を張り上げた。
だけど口が思うように動かない。
出てきたのは、甲高い泣き声だった。
「ふぎゃ、ふにっ、んぎゃああああ!!」
泣き声を上げた直後、体に浮遊感を覚えた。
体を柔らかくて温かい何かで包み込まれて、ゆらゆらと揺らされる。
「どうしたの? 瑠奈」
大きい女の人が、聴き覚えのない名前で私を呼ぶ。
あぁ、ようやく察しがついた。
……もしかして私、赤ちゃんになっちゃったのでは?
◇◇◇
早いもので、あれから一ヶ月が経った。
この体で一ヶ月過ごしてきて、わかってきた事がある。
塾の帰り道、車に轢かれて死んだ私は、赤ちゃんに転生してしまった。
多分、俗に言う『異世界転生』というやつだろう。
なんでこんな事になったのかって聞かれても困る。むしろこっちが聞きたい。
初めて意識がハッキリした日は、現実を受け入れられずに一晩中泣いた。
お父さん、お母さん、お姉ちゃん、学校や塾の友達……私を大事に思ってくれていた人達の顔が、浮かんでは消えた。
皆を置いて死んでしまった事が、たまらなく悲しくて、罪の意識でいっぱいだった。
家族が待ってる、私を産んでくれたあの家に帰りたい。
本当は私は死んでいなくて、寝てまた目が覚めたらあの家に戻っているのかもしれない、そんな事を期待した時もあった。
だけどそんな事は起こらなくて、三日ほど経ってようやく現実を受け入れた。
…いや、人間の適応力ってすごいなって改めて思う。
最初は生臭くてまずいと思っていた母乳も、体が本能的に欲しているのか、少しずつ美味しく感じるようになってきた。
オムツ替えも沐浴も、しょーがねーだろ赤ちゃんなんだから、のメンタルで全部受け入れた。
夜泣きは……ごめんよお母さん、自分で感情の制御ができないんだ。
私だって、オムツの擦れごときで泣きたくなんかなかったよ。
あと、毎日ミルクとオムツ替えありがとう。大きくなったら絶対親孝行するから。
とまあこんな感じで赤ちゃんライフも板についてきた頃、私はある重大な事実に気がついた。
私の今世での名前は、
ここまではいい。
「瑠奈〜、ごはんだよ〜」
この人が、私の今世での母親。
名前は菜奈という。
「おぎゃあああ!! ほぎゃあああ!!」
「どうしたの〜、弧太朗」
この子は弧太朗。
私の双子の弟として産まれた子供だ。
私は、母親と弟の名前に聞き覚えがあった。
この二人、私が前世で読んでいた漫画…『僕のヒーローアカデミア』、通称『ヒロアカ』のキャラと同姓同名なのだ。
私はどうやら、ヒロアカの世界に転生してしまったらしい。
ニュースで“個性”とかヒーローとかいう単語が聴こえたから、多分間違いない。
世界総人口の約8割が“個性”と呼ばれる特殊能力を持ち、ヒーローという職業が脚光を浴びる超人社会だ。
ヒロアカは漫画やアニメをリアタイで追ってたし、映画も三作目まで履修済みだけど、受験生になってから原作もアニメもほとんど追えていないから、アーマードオールマイトが出てきたあたりまでしか知識が無い。
ついこの前原作が最終回を迎えたらしいけど、受験が終わったら全部読もうと思っていた矢先に逝ってしまったので、結局結末を知る事はできなかった。
てか何だよ、ダークマイトって。
よりによって受験を控えた大事な時期に、気になりすぎるパワーワードぶちこんでくるのやめてもらえます?
私、映画の四作目もまだ履修できてないんですけど。
……閑話休題。
私は『ワン・フォー・オール』7代目継承者・志村菜奈の息子、志村弧太朗の姉として転生したらしい。
つまるところ、私は原作主人公の緑谷出久の最大の宿敵として立ちはだかる
このままだと私の弟は、ちょうど32年後に凄惨な最期を迎える。
家族を守る為にヒーローを遠ざけるはずが、ヒーローを遠ざける為に家族を傷つけ、挙句実の息子の“個性”で殺されてしまう。
何も知らずに母親の腕の中でふぎゃふぎゃ泣いているこの赤ちゃんが、だ。
なんとなく、わかってきた気がする。
どうして私がこの世界に、本来いないはずの弧太朗の姉として転生したのか。
そうと決まれば、私のやるべき事はひとつ。
弧太朗を、弟を死なせない。
転弧が、未来の甥が生きやすい世界にしてみせる。
待っててね、弧太朗。
お姉ちゃんが、絶対幸せにしてあげるから。
ここで簡単な人物紹介をば。
九条カレン(18)
大学受験を来年に控えた女子高生。
港区白金住まい。父、母、姉の4人家族。
模試の帰りに、猫を助けようとしてトラックに轢かれて即死。
高2から本格的に受験勉強を始めたため、ヒロアカ原作は最終決戦の途中までしか知らない。
ダークマイト? いえ、知らない子ですね。
志村瑠奈(0)
本作の主人公。
カレンが死後転生した姿。
ちょっぴりブラコン気味な赤さん。
弟を破滅の未来から救うべく、行動を起こす決心をする。
志村菜奈(??)
主人公の母親。
後のオールマイトの師匠。
この時点ではまだ『ワン・フォー・オール』を継承していない。
志村弧太朗(0)
主人公の双子の弟。
かわいい(瑠奈アイ)。
原作の世界線だと、32年後に実の息子によって家族諸共殺害される。