人類には遺伝子に刻み込まれた願望がある。生まれながらに、生まれる前から、そうある事を求めてしまう潜在的な願望が。
 それは遺伝子配列による、刻み込まれた欲求だ。人が、人類が人類である限り逃れることのできない願望。もしそれを持っていないものがいれば、それをもって欠陥品であると定義できるような、ホモサピエンスの必要条件。

 かつて誰にも発露することがなく、気付かれることのなかったその願望は、化け物たちの出現によって暴かれた。人の尊厳を奪うために作られた、赤黒く、ピンクの肉の塊に、人類は、男たちは逆らうことができなかった。

 妖魔、通称“触手さん”と呼ばれる化け物に対して、少女のみが戦うことができるのは、本来優先的に戦うべき成人男性たちが“触手さんのおよめさん”になりたがってしまうせいである。

 これは、Y染色体に刻み込まれた呪いによって、無条件に屈服してしまう哀れな男性を守ろうとする少女たちの話……ではなく、せめて触手さんがいない間だけは尊敬されるような大人であろうと務めていたお兄さんが、即落ち二コマで“しあわせなおよめさん”に成り下がり、助けに来た魔法少女を“だいすきなだんなさま”の敵として認識する話。




魔法少女はつよつよなので触手さんに負けません。守りたい相手に手が届かなかったヒーローってかわいいよね

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全成人男性は潜在的に"触手さんのおよめさん"になりたがっている

 原田慶蔵は、一般的且つ善良な成人男性だ。三人兄弟の長男として生まれ、後に生まれた二人の小生意気な妹達の模範になるため、自らを律して生きてきた。

 

 かつて妹たちが幼い頃、純粋な目に浮かんだ尊敬の色、“おにいちゃんすごい!”との肯定の言葉。それらに感じた喜びが、慶蔵の人生を決定付けた。つまり、いつまでもこの子達にとって尊敬できる兄でありたいと。自慢できる兄になりたいと。

 

 年の離れた兄弟であれば、特別珍しくもない決意だ。“親からの愛を奪われた!”と思うほど幼くはなくて、特に目的もなく生きてきた慶蔵は、ただキラキラした目を守りたいがために、努力することを決めた。いつか魔法が解けて(妹たちが成長して)、等身大の自分を見られるようになった時、その瞳に宿るものが失望ではなく変わらぬ尊敬であって欲しかったから。

 

 慶蔵には、特別な才能はない。努力せず、あるいはその努力を苦と思わず成功できるような、特別な何かは持っていない。頭の出来も平凡だ。逆上がりができるようになったのは少し遅いくらいで、計算の単位をよくつけ忘れて減点される。最初から上手くできることなんて、何もなかった。

 

 にも関わらず、慶蔵は努力を止めなかった。成長した妹たちから、大したことない存在だと見なされることが怖かったから。今持っている、心地よい憧れの目を、失いたくなかったから。

 

 体力作りのため、毎日ランニングをした。走ることは苦しくて、夏や冬は殊更に辛かったが、止めなかった。何かあった時に背負って走れるよう、リュックに詰めた重りは関節に負担をかけたが、いつか来るかもしれない“妹を背負って逃げる機会”を思えば、良い予行練習だった。参考の為にと体重を把握され続けた上の妹は、いつの間にかダイエットを始めていた。

 

 学校の授業について行くために、予習と復習を怠らなかった。親からは塾に通うことも勧められたが、かわいい妹たちと離れるのは嫌だから、という理由で通わず、幼い彼女らが眠ってから追い込みをかけた。妹たちに、努力を続ける姿勢を見せたいという願望と、できることならずっと構っていたい欲求の合わせ技によるものだった。

 

 そうやって、本来の才能以上に努力を重ねたお陰で、慶蔵はそれなりに成長する。日本中が知っている……とまではいかないが、地域では有名な高校に入り、そのまま知名度の高い大学に進む。それらの間、妹の面倒を見続けて、“いつもやさしいお兄ちゃん”の座を確固たるものにした。

 

 勉強で分からないところがあったら、お兄ちゃんに聞く。保護者が必要な外出は、お兄ちゃんを確保する。二人の妹がそれを当然のこととして疑わなくなるまで、慶蔵は妹たちを優先した。あまり数が多くない友人たちから、「シスコンすぎてきもい」「一周まわって尊敬できるが、もう一周まわってきしょい」と褒め(?)られるほど自分を貫き、両親からは「子供を最優先にする子煩悩なパパとしての才能は申し分ないので、子を設けることができれば魅力は伝わる。しかし恋人よりも妹を優先することが目に見えているため、実現は極めて困難。結婚は絶望的」と判を押される。周囲からの呆れ九割な視線は、しかし慶蔵にとって勲章のようなものであり、誇るべきことだった。

 

 そんな慶蔵だったから、妹たちが魔法少女になったことを察するのに時間はかからなかった。先に魔法少女になった下の妹の初変身から数時間後、小学校から帰ってきた彼女の姿を見て、慶蔵はすぐに何かしらの変化を感じた。“わたしが魔法少女!?”と、現実感のない出来事に頭をふわふわさせた少女の異常など、シスコンを拗らせた慶蔵に認識できないはずがない。

 

 本人の意向と、妹自身に危険がないことを確認して、慶蔵は魔法少女活動を応援することに決める。この国の安寧は魔法少女によって守られていて、魔法少女なくして世の平穏は続かない。大切な妹が妖魔と戦わなくてはならないのは受け入れ難い事だったが、その役割の大切さも、慶蔵には理解できていた。どれだけ代わりたいと願っても、自分には不可能なことも。

 

 だから慶蔵は、自身の危険を省みず、魔法少女をサポートすると決める。妹を守ることはできなくても、守られるだけの存在であっても、何もできないわけではない。妖魔と接触するリスクが低い、周辺での避難誘導や、バックアップなど、やれることはいくらでもある。

 

 そして慶蔵は、自身と同じような経緯でサポーターを志した先達に学びながら、魔法少女の補助業務に従事した。低いとはいえ、普通に暮らすのと比べると十分に高い妖魔との接触リスクのため、補助業務には給与が発生する。男性と比較して耐性の高い女性が多い職場ではあったが、妹以外に強い関心を見せない慶蔵は危険がないとみなされて、消極的に受け入れられた。

 

 程よく勤勉で、バカが付くほど真面目で、絶対の優先順位こそ変えないが、だれに対しても人当たりがいい慶蔵は、平均より恵まれた体格もあって、荷物持ちや電球交換などに重宝された。最初は少し敬遠していた妹以外の魔法少女たちも、その姿勢と人柄に絆されて、秘かにあこがれを抱くものまで現れる。人々のことを守るのが役割で、そうするだけの力を持ってしまった少女たちにとって、自分たちを守ろうと陰に日向に駆け回る少し年上のお兄さんは、他の同年代にはない特別な魅力を持って見えたのだ。

 

 そんなふうに周囲から受け入れられていた慶蔵だから、卒業後の進路はおのずと決まった。これまでのアルバイトのような働き方だった状態から、正式な雇用関係を結ぶ。学業を優先していたものから、魔法少女の補助一本に集中する。

 

 言葉にすれば大きな違いだが、実態としては少しだけ仕事が増えたことと、責任が増えたことくらいしか変わりない。十分に慣れ親しんで、習熟した仕事をかえるメリットはなかったし、もとより魔法少女専属の担当者は、本来なら正規職員の業務である。

 

 上の妹である雨の魔法少女、下の妹である雪の魔法少女、そして妹たちの友人で、昔からの知り合いである氷の魔法少女。この三名が慶蔵の主担当の魔法少女たちで、大切な、守りたい相手だった。すべての魔法少女たちの中で、特に優先するべき相手だった。この子たちを守れるのなら、自分はどうなってもいい。慶蔵は、心の底からそう思っていた。

 

 

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 魔法少女補佐官の仕事は多岐にわたる。まだ未成熟な少女たちが日常生活でストレスをため過ぎていないか確認することから、健康で文化的な生活を送れているか監視すること、果ては、怖い夢を見た時に話を聞くことまで。

 

 多感な時期に特別な力を得てしまい、人々を守るために戦うことを選んだ少女たちは、多くの場合その力によってこれまでの平穏な暮らしを失うことになる。家族が働く必要のないほどの報酬、周囲に意思を押し通せる力、魔法少女というだけで無条件に寄せられる信頼。

 

 特権的といえるほどの扱いを与えられた少女たちは、本人がそれに狂ってしまうことはない。狂わされてしまうような気質では、魔法少女になれない。けれどいくら本人たちが善良でも、その周囲は必ずしもそうではないのだ。

 

 働く意義を見失い、仕事をやめてしまう親。助けてくれる強者に阿り、諂い媚びるクラスメイト。家でも学校でも、だれもに気を遣われて、もてはやされる生活。お願いをすれば嫌と言われず、何でも思い通りに動く周囲。

 

 自分の知るみんなとの違いに、不安定になる魔法少女は多かった。そして、本来なら親がするべきケアを受けられる少女は少なかった。そんな状況を改善するべく、導入されたのが補佐官制度だ。家族の、友人の代わりになって、メンタルのケアを実行する。当然、なろうとして簡単になれるものではなく、慶蔵がそこに収まれたのは、ひとえに魔法少女の家族だったからである。代わりになるまでもなく家族であったから、妹たちがそれを望んだから、慶蔵は特例的にその職につけた。

 

 けれど、それはあくまで最初の話。一番最初から補佐官になれた理由であって、その後も数年続けてられるのは、人柄と能力によるものだ。そしてその能力によって、慶蔵は担当外の魔法少女からも受け入れられている。少女のメンタルケアのため、同性が多い補佐官たちの中で、異性かつ年若い慶蔵は注目の的だった。

 

「慶蔵さん、今はあたし、さっきまでとちょっと違うんです。どこが違うかわかりますか?」

 

 そんな慶蔵のそでをつまみながら、自信なさそうに、けれども気付いてほしそうに問題を出すのは、氷の魔法少女グラキエース。白と水色を基調としたドレススタイルの衣装に身を包んだ、慶蔵の担当魔法少女である。魔法少女になった理由は、好意を寄せた相手を守れるようになるため。将来の夢は素敵なお嫁さんで、悩みごとは担当官(好きな人)から子ども扱いをされること。慶蔵にとっては、大切な妹の友達で、守るべき子供だ。

 

 担当外の魔法少女に挨拶をして、直後与えられた脈絡のない問いかけに、慶蔵は少し驚きながらグラキエースの全身を眺める。すぐに気がついた違いは、透明なキューブのイヤリングが通常の二個から三個に増えていること。

 

「正解です♪やっぱり慶蔵さんは、あたしのことちゃんと見てくれているんですね」

 

 景品として、これをあげちゃいます!と、グラキエースはイヤリングを外し、ちょっと背伸びしながら慶蔵の左耳につける。氷の魔法で作られた、冷気を帯びた小さな塊が、慶蔵の動きに合わせて小さく揺れた。

 

 体温で溶ける様子のないそれを眺めながら満足そうに笑うグラキエースを伴って、慶蔵は担当魔法少女たちの待機所に向かう。セキュリティカードをかざして扉を開けば、そこは少女たちのリラックススペース……ではなく、慶蔵に与えられた作業場にして休憩所だ。

 

「にいちゃん、おかえり〜」

 

「遅かったじゃん、お兄ちゃん」

 

 自室と呼んでもいいそこに入れば、当たり前のような顔をして待っていたのは二人の妹。人の仮眠用ベッドで寝そべっている上の妹は雨の魔法少女プルウィアである雨水。椅子で回りながらつまらなさそうにしていたのは、下の妹で雪の魔法少女ニクスである小雪。一緒に部屋に入ってきたグラキエースが変身を解き、中学生の冷子ちゃんに戻れば、慶蔵の担当魔法少女は揃った。人の部屋でリラックスしすぎだとか、ちゃんと魔法少女用に割り振られた待機場所にいなさいとか、補佐官の立場から慶蔵が言うべきことはいくらでもある。けれど、妹たちに甘い本人の気質と、魔法少女の意向を是とする職場の方針もあり、咎める言葉は出てこない。

 

 慶蔵はまず、放課後の貴重な時間に集まってくれたことに対する感謝を伝え、今日のシフトが夜まで続くことに対する謝罪を告げる。不規則かつ不定の場所に出現する妖魔の対処は、基本的にその近辺にいる魔法少女の仕事だ。

 

 けれど、だからといって少女たちを好きな場所に散らしておける訳ではなく、緊急時の出動のため、本部で待機している人員が必要になる。それは当番制で、今日の放課後その役目を負うのが、慶蔵その担当魔法少女たちだった。

 

「どうせなら学校の時間が良かったのに……。にいちゃん、次の当番いつ?」

 

 放課後を潰され、職場に拘束されることに対する不満は見せず、けれど別の文句があるらしい雨水が、当番を調整できないのかと訴えるように慶蔵を見る。慶蔵の姿を見て、その左耳にぶら下がっているものを認識する。

 

「なにそれどうしたの?……冷のマーキングか。そういうのはもっと目立たないようにしなよ」

 

「すいちゃん、目立たなかったらマーキングの意味ないよ。れいちゃんも、どうせやるならもっと大々的にアピールしなきゃ」

 

「ま、マーキングなんかじゃないもん!ただ、つけててくれたら何かあった時にすぐ助けに行けるとか、ちょっとしたお守り代わりになるとかくらいだもん!……慶蔵さんも、変な意味じゃないから誤解しないでくださいっ!」

 

 位置情報取れるならマーキングじゃなくてストーカーじゃん……とため息をつく雨水と、どうせなら監視機能もつけちゃいなよと煽る小雪。それに対してあたふた慌てた様子を見せる冷子。三人できゃいきゃいかしましくしているので、当然のように慶蔵は放置される。

 

 自分の部屋で、連絡事項を伝えようとしていたにもかかわらず、それが叶わなかった慶蔵は少しだけ悲しそう……なことはなく、慣れた様子で三人が落ち着くのを待った。この少女たちが脱線するのはいつものことであり、それがいつでも起きるのはよく言えばそれだけ打ち解けているからだ。悪く言えば舐められているのだが、慶蔵はそれを良しとしていた。

 

 楽しそうに喋る三人が落ち着くのを待って、“マーキングじゃないならわたしたちも”と左耳の重りを増やされながら、慶蔵はいつも通り、連絡事項を伝え終えた。いつもと何も変わらない、定型化された連絡なんかよりも、自身の担当する少女たちが楽しそうに過ごしていることの方が、慶蔵には大切だったのだ。

 

 

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 緊急時のための待機なんて仕事は、概ね何も起きずに終わる。必要なこととはいえ、結果論として時間の無駄だったと思うのがあるべき姿な仕事だからだ。無駄にならないのが当たり前ならば、それはもう緊急ではなく定常である。

 

 魔法少女の待機業務は、基本的に前者であった。自分の待機中に役目が来るなんてほとんどの場合思っていなくて、各々自由に過ごしている。一応、給与の発生する時間だから外出こそ許されないが、それ以外であればどこで何をしていても文句を言われることはない。

 

 慶蔵の魔法少女達にとって、この待機時間は魔法少女用の待機所でゆっくりする時間……ではなく、最近忙しそうにしていて構ってもらうのに気が引ける相手、慶蔵を独占できる時間だった。補佐官の役割として、担当魔法少女に望まれたら他の業務より優先して関わってくれることは知っていても、同時にその分の仕事が後ろに回ることも理解しているこの少女たちは、普段遠慮している。

 

 けれど、この待機時間において、慶蔵の仕事は魔法少女たちの相手をすることだ。他の業務を内職することもできるが、やるべき事としてはそうではない。

 

 折りたたみ式のテーブルを広げ、その上にお菓子と教材を並べながら勉強に励む冷子と、仮眠用のベッドを半分こしながらマンガを読む妹たち。

 

「慶蔵さん、ここの問題の解き方がわからなくて。おしえてくれませんか?」

 

「にいちゃん、背中かゆいからかいて」

 

「お兄ちゃんオレンジジュース飲みたーい」

 

 三方向から飛んでくるわがままを聞くのは、慶蔵にとって嫌なものではなかった。魔法少女として日頃から頑張っているこの子達が、気を緩められる場所になれるのなら、それはとても嬉しいことだったから。それに、日頃の接し方に僅かながら恥じらいが混ざり始めた妹たちにとって、構ってほしいと伝えるための方法がわがままなのだと、先達から教わった慶蔵は理解していた。

 

 そうして、頼まれた内容を一つ一つ対処していると、不意に部屋中に警報音が鳴り渡る。その場にいる人間に危機感を与えるための音は不愉快で、研修以外で聞くことのないそれは、ほとんど訪れることのない“緊急事態”を知らせるもの。

 

 稀にある予告されないタイプの訓練かと心の端で疑いながら、そのお陰で冷静さを保ちつつ、慶蔵は少女たちに支度を済ませるよう伝えようとする。けれど、直前までのゆるい空気が嘘みたいに、魔法少女たちは変身を済ませていた。部屋の中に伝わる冷気と湿気は、三人の体の周囲に展開された雨と雪と氷の魔法の片鱗だ。

 

 自身のこれからの時間に、文字通り人の命と尊厳がかかっている事を理解している少女たちは、慶蔵よりもずっと“悲劇”を直視してきた少女たちは、自分たちのするべきことを理解していた。声をかけられるよりも早く、支度は済んでいた。

 

 

 

 緊急車両と、最終的には魔法少女の身体能力を駆使して妖魔の出現した箇所に向かい、既に半ば手遅れな避難誘導を始める。妖魔の出現は基本的に単体で、けれどもものによっては高い繁殖力によって一気に拡散する。近隣の住民にとって気の毒なことに、今回発生した妖魔は特に繁殖に特化した個体だった。

 

 発生地である騒動の中心から、方々に広がる阿鼻叫喚。巨大化したミミズのような姿の妖魔を、一足先に駆けつけた近場の魔法少女が焼き切るが、対処の速度と数を考えれば、焼け石に水だろう。森林火災に対してバケツリレーをするような、意志はあれど意味はないに近い行いだ。

 

「にいちゃんはまだ無事な人を避難させて。こいつらの()()は私たちがやるから」

 

 一匹ずつ対処しても意味なんてない数だった。魔法少女が数人増えたところで、できることなんてこの地を見捨た後、増え代を失った妖魔を掃討するくらい。犠牲者の数を減らすことはできず、全員を切り捨てるのが最低条件。

 

 この場にやってきた魔法少女が、慶蔵の担当する三人でなければ。

 

 天候を支配下に置く、雨と雪の魔法少女は、影響を及ぼす全ての範囲の妖魔を補足し、阻害できる力を有していた。温度を奪う氷の魔法少女は、二人の攻撃能力を増強し、弱い妖魔であれば雨の一雫に触れるだけで死に至らしめさせることができた。

 

 雨が、雪が降るだけで、妖魔たちが痙攣を起こしてのたうつ。地面に落ちた雫は流れることなく凍りつき、触れる妖魔を苦しめる。人には一切の害を与えない魔法の霙は、拍子抜けするほど呆気なく、絶望的な状況を収束させた。

 

「これで雑魚は何とかなったから、お兄ちゃんはまだ無事な人の誘導をお願い」

 

「あたしたちは、まだ残っている大物の対処をしてますね。すぐ終わるので、ちょっとだけ待っててください」

 

 担当する少女たちに言われて、慶蔵は自分の仕事を始める。まだ幼い、守るべき子供たちを戦わせている申し訳なさは変わらずあるが、それは自分にできることをしない理由にはならない。自分が一を助ける間に魔法少女が百を救っていても、万を救っていても、一の価値を否定する理由にはならないのだ。

 

 魔法少女たちから少しだけ遅れて到着した、他の職員たちとともに、慶蔵は犠牲者と生存者を仕分ける。口や腹から妖魔が漏れ出しているものは、既に手遅れ。無事に見えて体の一部が凍りついているものも、体内に巣食われているので手遅れ。腹部が肥大化しているものも同様だ。

 

 妖魔に侵された、現在の技術では救うことのできない人たちを介錯しつつ、間に合った人たちをいくつかのグループに分ける。かなりの高精度で寄生されたもの、感染者を判別できる魔法の霙も、100%妖魔を除けるわけではない。生存者をひとまとめにしたことで、うちに入り込んだ感染者とそれに寄生した妖魔によって全滅、そんな事例は、これまでの歴史で何度も起きた。

 

 そんな事態が起きた時に、全員は守れなくてもいくらかは救えるように、このような現場ではグループに分けて保護するのが定石だった。グループの数は状況と人員の余裕、安全を確保できた場所の広さによるが、基本的には魔法少女の数と質で決まる。

 

 今回は周囲の妖魔をほぼ完全に排除できていること、人を集められ、かつ屋外になっていることで妖魔避けの氷が機能していることから、いくつかの公園と学校が避難所になった。慶蔵が割り振られた小学校も、そんな避難所の一つだ。

 

 妖魔対策として降り続いている霙で体が冷えるのを防ぐため、運動会用のテントが設置され、避難民はいくつかのそこに身を寄せ合い待つ。一定時間を経て妖魔が湧かなければ、そのグループは問題ないと判断され、人の生活にもどることができる。それまでの間、隔離から数時間経つまで、彼らは皆潜在的な感染者と見られるのだ。

 

 ここのグループにとって幸いだったのは、冷たい霙が降る中で、身を寄せ合い凌げるテントがあったこと。これが公園や、ただの広場なんかであれば、ただ濡れ続けるか、妖魔が潜んでいる可能性を承知の上で建物内に逃げるしかなかった。

 

 そしてこのグループにとって不幸だったことは、霙が反応しないほど、上手く人の内に隠れていた妖魔が紛れ込んでしまっていたこと。そして、身を寄せあっていたせいで、すぐに逃げることができなかったこと。妖魔にとって危険な霙から、隠れる場所を自ら与えてしまったこと。

 

 慶蔵が入っていたテントとは別の場所で、赤い塊が弾けた。妖魔の繁殖に耐えられなかった苗床が、内側から食い破られて未成熟な幼体を撒き散らす。血液と一緒に飛び散った赤虫のような幼体は、周囲に存在する危険な霙を察知して、広範囲に広がることよりも先に身近な()()に入ることを選ぶ。

 

 赤い恐怖に追われて、正気を保ったまま逃げ出せてしまった人々が、我先にとテントの中から飛び出した。そしてそのうちの一部は、“安心できる場所”を目指して、ほかのテントに駆け込む。

 

 恐怖に負けず平静を保てていれば、慶蔵たちの説明を覚えていれば、真っ先にするべきは霙を全身に浴びて身についた()を落とすことだと理解できただろう。妖魔に魅入られる前であれば、入り込まれる前であれば、そうすることで“人”を保つことができたかもしれない。

 

 不幸なことだった。偶然、保護した市民の中に感染者がいて、その余波が届いてしまった。そうなっていなければ、当たり前に明日を迎えられた人々の人生は、そんな“不幸”で奪われた。そしてその“不幸な人”の中には、慶蔵も含まれていた。

 

 駆け込もうとした、赤をまとった人を霙に当てるため、テントに入れさせないために少し乱暴な手段だが蹴飛ばそうとして、その相手がまだ幼い、少女だったことで躊躇ってしまった。すぐ近くに来て、身につけた赤の中に線状のものが混ざっていることを認識して、それが自身に向かって跳んだことに気が付く。

 

 妖魔の退治には、魔法少女の力が必須だ。より正確には、魔法少女の宿した精霊と呼ばれる存在の力が必要だ。けれど、妖魔も物理的に存在している以上、触れることはできるし、衝撃を与えれば吹き飛ぶ。だから慶蔵は近寄らせないため、妖魔にとっての安全地帯たるテントに入れないために叩き落とそうとして、体の力が抜けるのを感じた。

 

 あげた腕を、振りおろせなかった。赤虫のようなものが跳んで来るのに対して、幼い頃の妹が転んで泣きながら歩み寄ってきた時のような感情を覚えた。線状の、生理的な嫌悪感を感じるはずの見た目がとても愛おしいもののように思えた。それは化け物だと理性では理解しているのに、慶蔵の体はそれの来訪を喜んだ。

 

 飛んできたそれが、慶蔵の肌に触れる。その瞬間、慶蔵はこれまでの人生で一番の幸福感を感じ、自身が生まれてきた理由を理解した。これまでずっと、妹たちのために生きることが全てだったのに、それが取るに足らないことなのだと理解した。大切にしていた、生きる意味だと思っていたことなんて、本当はどうでもいいことだったのだ。

 

 そう理解した瞬間、慶蔵は肩の荷がおりたように気が楽になった。そして、こんな素晴らしいこの世の真理を教えてくれた妖魔に対して、深い、深い敬愛の念を抱く。

 

 振り落とそうとすれば、小さな妖魔は簡単に落とすことができた。けれど慶蔵は、妖魔が小さな口を広げ、自分の肌に噛み付こうとしている様を、強い喜びを持ちながら見守った。この僅かな瞬間で、妖魔に魅入られた(この世の真理に気付いた)慶蔵にとって、妖魔の苗床になれることは祝福でしかなかったからだ。

 

 少し痺れるような違和感と共に、妖魔の小さな体から液体が慶蔵に流し込まれる。組織液と混ざって静脈から染み入り、全身に渡っていくそれは、人間を苗床として最適な状態に作り直すためのもの。

 

 妖魔という、この世のものでは無い存在によって、人としての未来を奪われていく現実を、慶蔵は歓喜とともに受け入れる。魅入られただけならまだ人に戻れる可能性があったことも、作り替えられた“苗床”を、人類は殺すしかないことも、慶蔵は理解していた。理解した上で、それらのことをどうでも良いと考えた。慶蔵にとって既に、大切なことは妖魔の繁殖の為に自身の体が有用ということだけだった。

 

 体が痙攣を起こして、テントのすぐ外に降る霙が有害なものだと、本能が警鐘を鳴らして安全な内側に向かう。テントの内側に向かう感染者たちと、外側に向かう未感染者。霙に触れられる者には恐怖の色が、触れられないものには比較にならないほどの喜色が浮かぶ。世の真理を得たことで、自ら異物を受け入れた元人間たちは、自身こそが幸福の絶頂と信じて疑わない。

 

 慶蔵がいたテントの中に、噛まれたものは五人いた。うち1人、年老いた男性がまず、限界を迎えて倒れる。体を根本から作り替えるという、極めて強い負担のかかる現象に、老人の体は耐えることができなかった。“触手さんの素敵なおよめさんになる”という志半ばで途絶えた不幸な老人の体は、ただの餌に成り下がって小さな妖魔に食われていく。きっと、数分後には立派な成体の妖魔が出現することだろう。

 

 全身を作り変えられていく苦痛と、それを誤魔化すために分泌される多量の脳内麻薬、自分の体が“触手さんの素敵なお嫁さんになる”という夢に近付いている事実へ、歓喜と苦悶が混ざった奇声を上げながら、苗床候補たちは人間をやめていく。

 

 小さな妖魔の幼体が、噛み付いた箇所から穴を開けて体の中に入り込む。不運なことに頭に穴をあけられた苗床候補の一人が、脳を壊され餌に成り下がった。慶蔵の腕から入り込んだ妖魔は血の流れに乗って、多量の血が溜まる腹部にたどり着く。そのまま腸に噛みついて、栄養のある血液を吸い始める。運悪く心臓に噛みつかれた苗床候補が、口から血を吐いて餌に成り下がった。

 

 無事体内に”だんなさま”を迎えることができた苗床候補たちは、拡張性のある腹部に”あかちゃんのおへや”を作る。人の体を保つために必要だったパーツを内側から溶かして、健康だった体を縮めながら、骨を、筋肉を”だんなさま”の養分としてささげながら、生き物を育てるのに適した体に変わっていく。

 

 健康な肉体とそれなりの運を持ち合わせていた二人の成人男性がいた場所には、二個の少女もどきが残った。大柄だった、恵まれた体とは程遠い、小さな、力を籠めたら簡単に折れてしまいそうな矮躯。もし彼らが異なる性別に生まれていたら、幼いころはこのような見た目だったかもしれない、と思う程度には辛うじて面影の残った容姿。

 

 めでたく”触手さんのおよめさん”になれた慶蔵の姿は、かつての彼が大切にしていた二人の妹に似ていた。元同僚が”成り果てる”様を見守ることしかできなかった職員は、本来ならこうなる前に射殺すべきであった。彼らが、人としての尊厳を保てているうちに。

 

 ともすればサイコパスの誹りを受けるまでに、二人の妹以外に対する執着が薄い慶蔵であれば、同僚の職員が噛まれたことを認識した瞬間、あきらめをつけて介錯を務めただろう。けれど、哀れなことに今回が初めての仕事だった新人職員には、指示役でもある先達を撃つ判断ができなかった。

 

 せめて、テントを崩せばよかった。直接手にかけるのではなく、妖魔から助けるために霙にあてようとした結果だと自分を守れたから。もう少し冷静であれたなら、これ以上慶蔵が醜態をさらすことはなかっただろう。

 

 自身が無事、素敵なおよめさんになれたことを確信した慶蔵は、小さくなった、皮の余った手で膨らみつつある腹部を撫でる。ドクリと伝わる脈動が、愛すべきだんな様が体内にいることを伝えてくれた。お腹の中のだんな様が、自分の体を材料にかわいい子供たちを増やそうとしているのだと理解できた。

 

 そのためには、材料が必要だった。触手さんがたくさん増えるには、この世界に生まれるための素材が必要だった。そして、離れたところにいくらでも見つかる”ごはん”に向かおうとしたところで、慶蔵はそれらとの間に邪魔なものがある事を認識する。

 

 新鮮な肉たちは、どれもテントの外にいた。慶蔵がだんな様に捧げるべき栄養たちは、厄介な霙の中に逃げていた。そこに向かって、だんな様に尽くしたいのに、あれに触れると自身の体が無事ですまないのは本能が理解している。栄養と一緒に吸われた記憶に残っていなくても、本能がその事実を示してくれる。

 

「ごめんなさいっ、けいぞう、ちゃんとごはんみつけるからゆるしてくださいっ」

 

 ズクリと、慶蔵のおなかが空腹を訴える。お腹の中のだんな様が、早く栄養をよこせと訴える。慶蔵の中で栄養を吸うしかできない妖魔には、テントの外が危険なことなど関係なかった。他に食べれるものがないのであれば、自身の体でも食べてしまえと命令する。体の中の妖魔はしゃべれなくとも、寄生された苗床には主人の考えていることがわかった。

 

 困った慶蔵は、お肉が近くに寄ってくることを期待して周りを見たが、哀れな蒙昧たちは警戒して近付こうとしない。触手さんに尽くせる幸福を知らない餌をかわいそうに思いながら、何とか餌がないか探した慶蔵は、お嫁さんになれなかった同胞の成れの果てに目をつける。

 

 触手さんの苗床になれなかった、哀れな存在のことは、思考の大半を旅立たせていた慶蔵も認識していた。上手くいった自分たちと、失敗したものたち。少し何かが違えば自身の姿だったかもしれない彼らのことを見て、慶蔵は同情する。せっかく世界の真理に気がついて、これから触手さんに尽くす幸せな生活が待っていたのに、不運なことにそれを逃してしまった彼らの残骸。放っておけば、別の触手さんが成長する礎になる存在。

 

「ごめんなさい、けいぞうはいい子にします。ちゃんとだんな様の栄養、手に入れます」

 

 それは、偉大な存在の糧だった。慶蔵が手に触れていいものでは、本来なかった。けれど、慶蔵の中の触手さんは、そんなこと気にせず早く食べろと命令した。

 

 同族殺しを是としない触手たちにとって、本来その命令はおかしいはずだった。異常なはずだったのに、そうとわかっていても慶蔵には内側からの声に背くことができない。

 

 少し前まで生きている人間だったものと、何かが違えば自身の主人になっていた存在に、慶蔵は手を伸ばす。お腹から伝わる催促に、乾きを訴える喉に急かされて、真っ赤な血の塊に顔を近づける。

 

 人であった時の理性が、その名残が忌避感を保っていられたのは、最初の一瞬だけだった。赤い鉄分を甘みと感じるように改造された慶蔵にとって、目の前の塊はご馳走だった。半分以上失われた知性の残り滓で、慶蔵は加熱後よりも生の食材が美味しかったことを思い出し、納得する。生き物は、その時に一番必要なものを美味しく感じる事実も、目の前のものを食べるよう慶蔵に伝える。

 

 お腹の奥がカッと焼けるように熱くなって、度数の強いアルコールを飲んだような陶酔感が慶蔵に与えられる。必要なものを獲得した、優秀な苗床に対する妖魔(ご主人様)からのご褒美だ。増殖の欲求を満たせると理解した妖魔が、頭の悪い苗床に、これをもっとよこせと伝えるための脳内麻薬。人間(この生き物)は快楽と結びついた行動を繰り返すのだと理解しているがゆえの、安直で、しかし的確な報酬。

 

 栄養を摂取するだけの機構となった慶蔵は、捕食用に進化した見かけよりも強い顎で人の残骸を貪る。食べれば食べるだけ、やさしくて素敵なだんな様は慶蔵のことを褒めてくれた。

 

 継続的な使用を想定していない、耐久性を無視した速度重視の消化によって、慶蔵が新たな小さいお口で食べたものは、すぐさまスープになって妖魔の元に届けられる。その過程で保護が間に合わなかった胃の一部が一緒にとかされ、慶蔵の体に激痛を与えるが、苗床の痛みなど主たる妖魔には関係がない。無視して食べ続けろと与えられた命令に対して、隷属の幸福に溺れた慶蔵は“使い捨ててくださるご主人様かっこいい”と悦ぶことしかできない。

 

 腕一本分を食べ尽くすと、十分な栄養を得た妖魔は慶蔵の鳩尾の下あたりを食い破って、赤い血でぬらぬらテカる触手を覗かせる。周囲にちょうどいい母体がいればそこに産み付けようとしていた卵は、けれど餌どもに距離を取られていたせいで、手近なところに落とされる。

 

 鋭くとがった産卵管が付きたてられたのは、慶蔵の下腹部だった。慶蔵が見た目通りの少女であれば人の子を育む器官が備わっていたであろうそこは、妖魔によって作り変えられた類似器官があった。十分な拡張性があって、栄養を送り込むのに都合がいい器官。

 

 お腹を貫かれて、異物を産み付けられた慶蔵は、体内で孵ったそれが体組織に癒着し、脈打つのを感じる。小さな命が、かわいい我が子が、大きく成長するために栄養を求めた。

 

「えへへ、けいぞうのあかちゃん。ちょっとまっててね。すぐにごはんたべるから」

 

 栄養を取られて十分に委縮した脳みそで、慶蔵は求められたものに応えるため、残ったごはんを口に運ぶ。かつて人だった食べ物は、目の前にまだたくさん残っていた。

 

 血を啜り舐め、骨を砕き、肉を裂く。飲み込んだものは強酸によってたちまち溶かされ、スープとしてお腹の中の子供たちに届く。生き物を構成していた肉体は、自然他の生き物にとっても必要な栄養を多分に含んでおり、単一の餌で触手さんを育てることを可能としていた。

 

 食べた分だけ、慶蔵のおなかが膨らんでいく。少女のような小さな体に、不釣り合いなサイズの肥大化した腹部。客観的に見ても蠢いているその内に宿るものが、”あかちゃん”なんて呼べるようなかわいらしいものではないことは、周囲で見ている全ての人間が理解していた。

 

「あかちゃん、うまれる?」

 

 なにかを察した慶蔵が、蠢く腹部を撫でながら問いかけると、それに応えるように大きく脈打ち、産卵管の穴をこじ開けるように、蛭のような妖魔が顔を出す。慶蔵の小さな握りこぶしくらいの穴を開けながら出てきたそれは、母の小さな手に受け止められる。

 

「かわいいあかちゃん、うまれてきてくれてありがとう」

 

 赤い液体にまみれた、巨大な蛭だ。とてもかわいいなんて言えるものではないし、控えめに言ってグロテスクな見た目である。けれども慶蔵には、完全に妖魔の虜になってしまった慶蔵には、それはかわいい我が子であった。

 

 濡れた体に、慶蔵は唇を落とす。人から生まれた、新たな人類の敵。それらから人を守るため、魔法少女のサポートをしていた職員の面影は、もうない。

 

 慶蔵はそのまま、次々に生まれてくる様々な見た目の妖魔に口付けをし、空っぽになった胎に新たな卵を産み付けられる。かわいい子供たちに囲まれて、素敵なだんな様から多産DVを受けて、慶蔵は人生の幸福に浸っていた。唯一の心残りは、かわいい我が子のお嫁さんを用意できないことと、それなら自身がそれになろうと試みたところ、独占欲の強いだんな様に浮気を咎められ叱られたことくらい。慶蔵の素敵なだんな様は、たとえ我が子であろうとも自身の苗床に手を出すことを許さなかった。

 

 たべて、産んで、愛されて。そのサイクルを繰り返し、二つの亡骸を妖魔に作り替えた頃、慶蔵の周囲にはたくさんの子供たちがいた。小さなテントに閉じ込められた、かわいそうな子供たち。テントの外の霙に触れると死んでしまう、命運の閉ざされた子供たち。待っているものが死だけなのは明白なのに、脳みその委縮した慶蔵は気が付けない。だんな様から気持ちよくしてもらえることだけに溺れて、求められる喜びに流されて、死にゆくだけの命を量産する。

 

 

 そんな哀れな命たちの終わりは、突然だった。ずっと同じ強さで降っていた霙が次第に強くなり、空から二人の少女が降りてくる。その片割れが指を振ると、テントの中に霙が舞い込む。テントの下に、慶蔵の周りにひしめいていた妖魔たちは、ただそれだけで凍っていく。

 

 天候を支配する二人の魔法少女にとって、生まれてまもない妖魔を駆除することは容易だった。慶蔵とは比べ物にならないほど妖魔に対して耐性を持つ二人の少女であれば、例えば丸呑みされたとしても魅了されずに耐えるだろう。危害を加えられる心配はなく、対照的に二人は指をふるだけで妖魔を死に至らしめる。

 

「たくさん産んじゃってるね〜。かわいそうに」

 

「こんなにされちゃったら、もう助からないね。せめて最後は苦しまないように終わらせてあげる」

 

 雨の魔法少女プルウィアと、雪の魔法少女ニクス。慶蔵の、二人の妹が変身した姿だ。青と白をそれぞれ基調とした衣装を身にまとった二人は、目の前の犠牲者を憐れみながら、介錯のために指を振ろうとして、その耳に下がった三つの飾りに気がつく。

 

 見覚えのある飾りだった。大切に思っている家族に渡したお守りだった。友人へのからかい半分で渡したそれは、けれどその実普段素直に口にすることができない感謝を込めて贈ったもので、妖魔に対して無力ながらも頼りになる人がつけているはずのものだった。

 

「おにぃ、ちゃん?」

 

 けれど、二人の前にいるのはいつも見ていた大きな背中ではなくて、自分たちと同じかそれより小さいくらいの少女もどきの姿。下腹部をふくらませながら、氷漬けにされた妖魔に手を伸ばして泣いている姿。その容姿が、変身する前の自分たちにどこか似ていることに気がついて、二人の動きは止まる。

 

 受け入れられるはずがなかった。彼女たちにとって兄とは、いつも自分たちのことを考えてくれる日常の象徴であり、わずかとはいえ危険が存在する魔法少女の役割に務める理由なのだから。そんな相手が、少し目を離したうちに妖魔に魅入られて、“すてきなおよめさん”なんかに成り下がっているなど、受け入れられるはずがない。

 

 同時に、目の前のそれを兄だと信じられなくても、他の犠牲者と同じようにそのまま凍らせるなんてことも、できなかった。例えそれが、妖魔を思って泣きながら、こちらを睨みつけていても。

 

「そこのお姉さん、これ、お兄ちゃん?」

 

 下の妹、雪の魔法少女ニクスが、テントの外で距離を取っていた職員を見つけて、そう尋ねる。三人が血の繋がった兄妹であることは、職員たちであれば誰でも知っていた。魔法少女の二人が、姉妹で揃ってトップクラスの実力を有すること、その兄である慶蔵が、絶対数が少ない男性の補佐官であり、かつ長年生き抜いたベテランであること。目立つ要素しかない彼らは有名であり、仮にそうでなかったとしても、同じ現場に配属されている職員同士は平時からある程度関わりがある。

 

 問いかけに対して、新人職員は頷くことで返す。何も出来なかった新人は、先輩が“すてきなおよめさん”に成り下がるのを見守っているしか出来なかった新人は、けれど一番大切な役割、魔法少女への情報伝達だけは果たすことができた。

 

 質問をした時点で、その事実を概ね理解していたはずの二人は、何かを拒絶するかのように小さく頭を振って、そのまま慶蔵に歩み寄る。直前まで睨みつける余裕があった慶蔵は、絶対に敵うことのない存在が近づいてくるのに対して、小さく後ずさりしながら拒絶の言葉を口にする。

 

 それが近付けば、近付かれることを許せば、自分がどうなるのかを理解しているのだ。“だいすきなだんな様”に魅入られた、“すてきなおよめさん”の末路を理解しているのだ。もう元には戻れない彼ら彼女らは、最後の慈悲としてなるべく苦しまないように介錯される。すかすかになった脳みその一欠片か、あるいは新たに刻まれた苗床の本能によってそれを知っている慶蔵は、逃げ場のないテントの端まで下がる。自身の身の安全を守るため……ではなく、お腹に抱えた妖魔の幼体(かわいいあかちゃん)と、胴に寄生する成体(素敵なだんな様)を守るために。

 

 やめて、こないでと子供みたいに叫ぶ慶蔵に、目を逸らしたくなるのを堪えながら少女は歩み寄る。そんなことせずとも、ただその場から指をふるだけで、哀れな犠牲者を救うことはできる。けれど、人としての情が、その行動を拒絶した。犠牲者であれば知人も友人も手にかけられた魔法少女にも、手にかけられない相手がいた。

 

「いやっ!やだっ !けーぞーのあかちゃんっ!」

 

 慶蔵の眼前まで迫ったプルウィアが、たっぷり妖魔が詰まった腹部に拳をねじ込んで、成長途中の幼体を掻き出す。異物を除けば兄が帰ってくる、そんなありもしない幻想に縋ったプルウィアは、慶蔵が必死になって抵抗するのにも構わずに、その胎を空にする。成長途上の妖魔が、死に際に新たな母体を求めて噛み付くが、成長済の個体ですらない未熟児の噛みつきなんて、魔法少女には通用しない。

 

 自身にとっての存在意義、苗床としての役割を邪魔された慶蔵は、半狂乱になりながら本人にとっては全力の抵抗をする。小さな手で叩いて、非力な腕で押して、すかすかな脳みそで思いつく限りの罵倒をする。けれど、苗床用に作り替えられた貧相な身体で、元の鍛えていた体でも敵わなかった魔法少女に抗えるはずがない。

 

 最後の一匹が取り出されて、無造作に投げ捨てられて、そのまま絶命する。あれだけたくさんいたはずの、慶蔵のかわいい子供たちは、もう一匹も残ってはいなかった。その事実に慶蔵は胸がぽっかり空いてしまったような悲しい気持ちになって、涙を流しながら子を呼ぶ。

 

 悲しみにくれる慶蔵と対照的に、怒りに燃えたのはその“すてきなだんな様”だった。せっかく都合のいい母体を手に入れて、心ゆくまで繁殖の本能を満たしていたのに、その結晶たる成果物が目の前で損なわれた。

 

「だんな様!?いまはだめっ!」

 

 許し難い暴挙に対して、妖魔が選んだのは損なわれた分の成果を新たに補うこと。幸い、彼の選んだ母体は優秀で、時間と餌さえあればすぐに同じくらいの繁殖を果たせる。そう思考して、母体の静止を無視しながら産卵管を伸ばした妖魔を受け止めたのは、柔らかく快適な苗床……ではなく、柔らかいにもかかわらずピクリとも動かせない小さな手。

 

()()、おまえのおもちゃじゃなくてわたしのお兄ちゃんなの。汚い触手で穴開けないでよ」

 

 音もなく背後に回り込んでいたニクスが、小さな指でギリギリ一周できる太さのそれを握り、その内側に雪の魔法を流し込む。突然の直接的な生命の危機に、妖魔は慶蔵の中で暴れだす。

 

 発声器官がなく、叫び声をあげられない妖魔の代わりに苦悶の声を出したのは、その宿主である慶蔵だ。産卵管を掴まれ、壊されたことで暴れた妖魔の動きは、そのまま慶蔵にフィードバックされる。

 

 少し前の恍惚とした様子とは別の意味で、目を逸らしたくなるような光景と叫び声が周囲に響く。妖魔にとって都合よく作り替えられた体を、ピッタリ合う内容物が掻き回す。先程までの慶蔵にとって、“だんな様の形と動きがわかってうれしい”ものだった、内側の動きをダイレクトに伝える密着が、凶器として牙を剥く。

 

 人の動きとは思えない、関節を無視した奇妙な悶絶と叫び声は、周囲で見ていた避難民が、目と耳を塞ぐには十分なものだった。それだけ悲痛で、それだけおぞましくて、それだけ見るに堪えないものだった。

 

 大切な妖魔(だんな様)を失った慶蔵は、それに伴って与えられた痛みもあって、意識を失う。それに対して魔法少女が本来するべき対応は、もう戻れない命を終わらせること。つまり、血と肉を分けた兄妹だっだものを、自らの手で終わらせること。

 

 そこに立ち会って、妖魔を滅したプルウィアとニクスに求められる役割は、間違いなくそれだった。たとえ親兄弟であろうとも、妖魔に魅入られたものであれば、終わらせることが唯一の救い。それが魔法少女の基本方針で、これまでの二人はそれを信じ、言い訳としながら自らの役割を果たしてきた。ならば、たとえ相手がほかの何よりも大切な兄であったとしても、同じ選択をするべきだったのだ。もう助けられない犠牲者として、終わらせる決断をするべきだった。

 

 けれど、そう無感動に諦めるには、今回の犠牲者には思い入れがありすぎた。あるいは、同じくらいの思い入れがある相手だったとしても、強い言葉で指示を、命令を下してくれる相手がいれば、責任を負ってくれる相手がいれば、果たせていたのだろう。けれど残念なことに、二人にとってその役割を果たせる唯一の人間は、今目の前で“あわれな未亡人”に成り果てている。

 

 そんな状態で、決断できるはずがなかった。誰にも命じられない中で、兄の、その残滓の終わりを、決められるはずがなかった。

 

 慶蔵の体内に妖魔が残っていないことを念入りに確認して、二人はそれを“安全なもの”と解釈する。避けるべきものはあくまで妖魔とその苗床であって、苗床に落ち、しかし妖魔を宿さぬ元人間ではない。そんな、言い訳にするのも憚られる屁理屈は、それを窘める現場責任者の不在と、状態良好な“苗床サンプル”の不足によって、受け入れられてしまう。死ぬべきはずの人もどきが、存在を許されてしまう。

 

 あってはならないはずのその出来事は、この状況で苗床に成り果ててしまった慶蔵と、それを撃ち殺すことができなかった新人職員の責任だった。けれど、その罪を認識して、挽回に務められる自覚のあるものはもう、どこにもいない。

 

 

 

 ━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 けいぞうは、とってもかわいそうな子だ。心の底から愛していた、すてきなだんな様との仲を引き裂かれて、お腹を痛めて産んだ、たくさんのかわいい子供たちを失っている。その上、大好きなだんな様と一緒に死ぬこともできず、死出の旅に連れて行って貰うこともできず、ただ恐ろしい“敵”に囲まれて、後を追うことも許されず生かされている。

 

 会いに来るのは、よくわからない、難しいことばかり言ってけいぞうを困らせる白い服の人達が主で、たまに二人の少女がやってくる。一人はけいぞうのかわいい子供たちに、たいせつなあかちゃんたちにひどいことをした、水色の少女。もう一人は、ただけいぞうにあかちゃんをくれようとしていただけのやさしいだんな様を凍らせて、たくさん苦しめた白い少女。

 

“にいちゃん”“お兄ちゃん”と、それぞれけいぞうを呼ぶこの二人の少女のことが、けいぞうは嫌いだった。大切な、大好きな子供とだんな様を奪ったこの二人を、けいぞうはどうしたって許すことができなかった。

 

 たとえどれだけ話しかけてきても、多少姿形を変えたとしても、その二人は変わらずけいぞうにとって仇であり、許せないことに変わりはないのだ。相手から向けられる感情がどれだけ慈しみと思いやりに満ちたものであったとしても、この二人の行動自体はけっして拭うことができない。

 

 だからこの二人は絶対的な敵であり、前述の白服と合わせて、警戒しなくてはいけない対象だ。けれども、周囲が敵だらけなこの暮らしの中にも、けいぞうか好ましく思う相手はいる。

 

「慶蔵さん、大丈夫です。あなたがどんな形になったとしても、どんな状態になったとしても、私は必ずそばに居ます」

 

 けいぞうがずっと患っている、だんな様に思いを馳せると襲ってくる全身の熱。主に空っぽになってしまった下腹部に感じるその熱は、だんな様の不在を嘆く涙であり、独り身の体を苛む炎である。

 

 その炎に焼かれる辛さを、けいぞうは初めの一回でよく理解していた。体が内側から焼かれるような苦しみと、それを解決できるのはだんな様だけだという本能的な理解。気が狂いそうになるほどの苦悩の中で、不意にもたらされた冷たい安寧。

 

 熱に苦しむけいぞうの手を握って、そこから心地いい冷気を送り込んでいたのは、水色の魔法少女だった。青や、白の魔法少女とは違ってけいぞうに対して酷いことをしなかった魔法少女で、だんな様を失ったせいで苦しむけいぞうのことを癒してくれる、唯一の存在。

 

 白と青の二人も、同じことをしてくれることはあったが、あの二人はけいぞうのことを苦しめた張本人だ。心を開けるはずはないし、救われるくらいならそのまま苦しい方がましだった。けいぞうが苦しむ原因を作っておいて、”あなたのために助けたいんだ”と嘯くその姿は、どうしたってけいぞうの癪に障った。

 

「大丈夫です。私が付いてますから。もう何も、怖いものなんてないですよ」

 

 真っ白な部屋の中で、冷たい手がやさしく、けいぞうの肌を撫でる。だんな様の不在に不満を訴える体を、心地いい冷たさが落ち着かせる。繰り返される”発作”と、そのたびに与えられる安寧によって、けいぞうのすかすかな脳みそは、幼児に劣る知能は、すっかり”あいじょう”を教え込まれてしまった。

 

「れーこ、けーぞー、れーこのことすき」

 

 自分よりも大きい、やわらかい体に、けいぞうは抱きつく。だんな様が健在であれば、子供たちが生きていれば、絶好の捧げものになったであろうそれに、ふわふわした好意を伝える。

 

「私も、冷子も、慶蔵さんのことが大好きですよ」

 

 そうすることで流し込まれる冷気が、だんな様を失った寂しさを唯一誤魔化してくれるのだと、けいぞうは学習していた。


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