七つの大罪:暴食のヒナ   作:ていん?が〜

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ヒナ委員長のキャラ崩壊しまくってます。


第1話:正義の朝昼晩3食

 深い紫色の帳がゲヘナ学園を包み込む深夜、風紀委員会本部は依然として不夜城の如き輝きを放っていた。

 

 窓から漏れる明かりは、この学園の治安を一身に背負う少女たちの献身の証。

 しかし、その執務室の奥で、委員長である空崎ヒナが抱えていたのは、治安維持への使命感ではなく、胃袋を掻きむような、どす黒い「飢え」であった。

 

 「(……お腹が、空いた)」

 

 デスクに積み上げられた書類の山を、ヒナは虚ろな目で見つめる。ペンを握る指先が微かに震えていた。

 今日の午後は万魔殿(パンデモニウム・ソサエティ)が引き起こした無意味な爆破騒動の鎮圧に駆り出されていたのだ。今の彼女は、燃料を使い果たした超高性能エンジンと同じだった。

 

 「(限界……。何か…何か食べないと……)」

 

 そんな時、ドアが控えめにノックされた。入ってきたのは、最近配属されたばかりの1年生、風紀委員会の新人であった。

 彼女の手には、トレイに乗せられたボウルが握られている。

 

 「委員長、夜食をお持ちしました! 毎日お忙しい委員長のために、栄養バランスを考えた特製メニューです!」

 

 新人の明るい声が室内に響く。デスクの隣で書類を整理していた行政官、天雨アコがふと手を止めた。

 アコは一瞬、そのトレイの中身に目を向け――そして、顔面を蒼白に染めた。

 

 「ちょっと、あなた! それ、何を持ってきたの……!?」

 

 アコの戦慄を含んだ問いかけに、1年生は誇らしげに胸を張る。

 

 「はい! 近頃流行りの『デトックス・グリーン・ガーデン・ボウル』です! 12種類の新鮮な温野菜を中心に、味付けは素材の味を活かすために極薄の出汁と岩塩のみ。油は一切使わず、タンパク質は脂肪分を削ぎ落とした鶏ささみをスチームしたものです! 委員長の健康を第一に考えました!」

 

 

 その瞬間、執務室の空気が物理的な重さを伴って凍りついた。

 

 

 ヒナの視線が、デスクの上に置かれたその「物体」に注がれる。そこにあるのは、申し訳程度に置かれた白身の肉と、見るからに青臭そうな、水気を切っただけの葉物野菜。

 そして、彩りだけは良いが味の想像がつく蒸しカボチャやブロッコリー。

 

 ヒナの額に、ドクン、と太い青筋が浮かび上がった。

 

 「(…や、さ……い……?)」

 

 彼女の脳内で、何かが決定的に、そして音を立てて断絶した。ヒナにとって、食べ物とは「熱量」であり、「脂」であり、「塩分」の塊であるべきだった。

 それは彼女の生存本能に直結する弾薬であり、生きるためのガソリンだ。それを……この、味も素っ気もない、草の切れ端で代用しようというのか。

 

 「ひ、ヒナ委員長!? 落ち着いてください、彼女はただ、良かれと思って……!」

 

 アコが悲鳴のような声を上げながら割って入ろうとするが、遅すぎた。

 

 

 「おい」

 

 

 低く、地獄の底から響くような声がヒナの唇から漏れた。いつもの気だるげな雰囲気は微塵もない。そこにあるのは、獲物を屠る直前の捕食者の殺気だった。

 

 「え……? はい、委員長……あぐっ!?」

 

 次の瞬間、ヒナはデスクを乗り越えるような勢いで立ち上がり、新人の胸ぐらを片手で力任せに掴み上げた。

 華奢な腕からは想像もつかない剛力が、1年生の体を軽々と浮かせ、背後の壁へと叩きつける。

 

 「ふざけてんのか……。貴様、私が誰だか分かっててこれを出したのか……?」

 

 ヒナの目は血走り、その貌は怒りで歪んでいた。

 

 「殺すぞ、クソガキ……。サラダ? サラダだぁ…? 喧嘩売ってんのか? こんな、家畜の餌にもならないようなゴミを、私に食えと言ったのか……!?」

 

 「ひ、ひぃっ……!? ごめんな、さい……!」

 

 「あぁ!? 聞こえねぇよ! 味が薄いんだよ、この会話も、この餌も! 私が求めてるのはなぁ……血管が詰まるような脂と、脳が痺れるような塩分なんだよ! ヘルシー? デトックス? 死に晒せ! 私の体から何を抜こうってんだ、あぁ!? 私の体は、ジャンクと肉でできてんだよ!」

 

 あまりの剣幕に、1年生は恐怖で失禁しそうになりながら震える。アコが必死になってヒナの腕にすがりついた。

 

 「委員長! 委員長、やめてください! 建物が壊れます、彼女の骨も折れます! すぐに……すぐに私が買いに行かせますから! あなたの好きなものを!」

 

 ヒナはアコを一瞥し、チッと忌々しげに舌打ちをして1年生を床に放り捨てた。

 

 「アコ。今すぐ、このゴミを片付けなさい。私の視界に、1秒たりとも『緑色の何か』を入れないで。吐き気がする」

 

 「わ、分かりました! ほら、あなた、早くそれを下げて! 今すぐに!」

 

 新人が泣きながら逃げ出した後、執務室には重苦しい沈黙が流れた。ヒナは肩を怒らせ、荒い呼吸を繰り返している。

 

 その瞳には、未だに消えない食欲という名の憤怒が燃え盛っていた。

 

 「……めんどうくさい。本当に、めんどうくさい。どうしてこの学園には、私の『燃料』を理解できない馬鹿が沸いてくるの?」

 

 「それは……委員長が表向き、風紀維持のためのエネルギー摂取だと、もっともらしい理屈を並べていらっしゃるからですよ。まさか、単純に野菜が死ぬほど嫌いで、脂ぎった肉しか愛せない偏食家だなんて、新人は思いもしません」

 

 アコは溜息をつきながら、手慣れた手つきでデリバリーサービスの端末を操作した。ヒナのこの「発作」は、今に始まったことではない。

 

 「いつもの場所でいいですね? 『ジャイアント・モモ・バーガー』の深夜限定セット」

 

 その言葉を聞いた瞬間、ヒナの表情から刺々しさが僅かに消え、代わりに幼い子供のような渇望が浮かんだ。

 

 「……ポテトはLサイズを5つ。コーラは2リットルボトルを3本。当然、ダイエットじゃないやつ。あと、ベーコンを追加で15枚トッピングして」

 

 「了解しました。……全く、あんなに食べて、どうしてその体型と健康数値を維持できているのか、私には理解不能です。昨日の健康診断の結果も、全項目が理想的な数値だったじゃないですか。あれだけ塩分と脂質を摂取して……」

 

 「知らないわよ、そんなこと。私の体がそれを欲してるんだから、それが正解なのよ」

 

 ヒナは椅子に深く腰掛け、窓の外を見やった。彼女の朝は、いつだって激動から始まる。

 

 

 

 

 

 翌朝。午前7時。

 

 ゲヘナ自治区の片隅にある大手ハンバーガーチェーン、通称『モモ・ドナルド』。

 

 店内には、開店直後だというのに異様な圧迫感が漂っていた。その中心にいるのは、制服の肩に外套を羽織った小さな少女。風紀委員長、空崎ヒナである。

 

 彼女の前のテーブルには、およそ1人分とは思えない量の「茶色い物体」が積み上げられていた。

 

 肉厚のパティが10枚重なった特製チーズバーガーが4個。さらに、厚切りベーコンが溢れんばかりに挟まった期間限定のバーガーが8個。

 山盛りのフレンチフライポテトがトレーを埋め尽くし、サイドメニューのチキンナゲットは15ピース入りが10箱。

 

 「(……これよ。これこそが、私の朝の儀式)」

 

 ヒナは無言でバーガーを手に取る。レタスやトマトの姿は一切ない。彼女が注文したのは、全ての野菜を抜いた「肉とチーズとソースだけ」の特注品だ。

 唯一、ポテトやバーガーに付随する僅かな野菜成分は「これがあるからジャンクフードとしての完成度が高まる」という独自の理論で許容されている。

 

 大口を開け、ガブリと肉に食らいつく。

 

 「(ん……。脂が、脳に染みる……)」

 

 じゅわりと溢れ出す肉汁。濃厚なチェダーチーズのコク。そして、舌を刺すような強い塩気。

 それらが渾然一体となって、ヒナの全身の細胞に活力を与えていく。彼女の喉が鳴り、次々と肉の塊が胃袋へと吸い込まれていった。

 

 周りの生徒たちが、驚愕の表情でその様子を見つめている。これだけの量を食べれば、普通の少女なら半日で寝込むか、1週間は胃もたれに苦しむはずだ。

 しかし、ヒナは涼しい顔で、まるで水を飲むかのようにハイカロリーな食事を平らげていく。

 

 「……ごちそうさま」

 

 ものの15分で全てのトレイが空になった。口元の脂をペーパーで拭うヒナの表情は、ようやく人心地ついたような穏やかさを取り戻していた。

 

 「(これで、午前中の治安維持活動は乗り切れる……。次は、昼食ね)」

 

 彼女にとって、食事は喜びであると同時に、戦いでもあった。自分を縛り付ける数多の「面倒な事象」に対抗するための、唯一の武装。それが飽和脂肪酸と炭水化物なのだ。

 

 

 

 

 

 

 昼時。ヒナが向かったのは、キヴォトス全域に展開するカレーチェーン『キヴォハチ・ゲヘナ支店』。

 

 ここの名物は、カスタマイズの自由度だ。

 

 「……ご注文を伺います、ヒナ委員長」

 

 店員は震えていた。彼女がここに来る時、注文される内容は常に決まっているからだ。

 

 「ポークカレー。ご飯は3キロ。辛さは20辛。……トッピングは、ロースカツ10枚、メンチカツ、ハンバーグ、フィッシュフライ、ソーセージもそれぞれ10個ずつ……あぁ、あとチーズは30枚で」

 

 「……か、かしこまりました。お野菜のトッピングはいかがなさいますか? 本日のおすすめは――」

 

 ヒナの冷徹な眼光が店員を射抜いた。

 

 「……死にたいの?」

 

 「申し訳ございません! すぐに作ります!」

 

 運ばれてきたのは、もはやカレーというよりも「揚げ物の海」だった。茶褐色のルーの上を、肉の島々が埋め尽くしている。

 一切の緑が存在しないその光景に、ヒナは満足げに頷いた。

 

 「(煮物なんて、これに比べたらただの温かい水よ。味が薄いなんて、存在価値がない。塩分こそが正義、スパイスこそが命)」

 

 スプーンを手に取り、まずはチーズが絡みついたロースカツを口に運ぶ。サクッという快音と共に、豚の脂が口内に弾けた。

 そこに激辛のルーを流し込む。暴力的なまでの刺激が味蕾を蹂躙するが、ヒナにとってはこれこそが至高の快楽だった。

 

 彼女は新陳代謝が異常に激しいため、普通の食事ではすぐに低血糖に陥ってしまう。

 歩いているだけで、風紀委員会の仕事で思考を巡らせるだけで、他の生徒の一日分のカロリーを消費してしまうのだ。

 だからこそ、こうした「濃縮されたエネルギー」でなければ、彼女の活動限界を維持できない。

 

 「(……美味しい。やっぱり、肉は裏切らない)」

 

 一心不乱にカレーを胃に収めていく姿は、まさに『暴食』の二文字を体現していた。

 しかし、その食いっぷりとは裏腹に、彼女の所作はどこか気品に満ちている。本棚の本を揃えなければ気が済まない神経質さが、食事の美しさにも表れているのだ。

 皿の縁にルーを一滴も残さず、カツの破片すら完璧に回収する。

 

 完食。ヒナは満足げに吐息を漏らした。

 

 「……さて。午後の巡回に行くわよ、アコ」

 

 店外で待機していたアコは、店から出てきたヒナの顔色が、入店前よりも劇的に良くなっているのを見て、安堵と困惑が混ざった表情を浮かべた。

 

 「……委員長、その。胃の方は大丈夫なんですか? その量……」

 

 「何が? まだ腹6分目にも届いてないわ。……それよりアコ、今日の夕食の予約は?」

 

 「……はい、ご指定通り。自治区で一番脂の乗った肉を出すと評判の焼肉店『地獄苑』を押さえてあります。もちろん、『野菜焼き禁止、サンチュ禁止、ナムル禁止』の特別コースで」

 

 「……分かってるじゃない。行きましょう」

 

 

 

 

 

 

 夜、焼肉『地獄苑』。

 

 貸し切りにされた店内の中心で、ヒナは燃え盛る網を見つめていた。

 

 運ばれてくるのは、真っ白な脂肪が網目状に入ったA5ランクの霜降り肉。タン、カルビ、ロース、ハラミ。そのどれもが、一般人が見れば「脂っこすぎる」と敬遠するほど重厚なものばかりだ。

 

 ヒナはトングを操り、肉を網に乗せる。ジュウウウ、と肉の焼ける香ばしい匂いと、脂が炭に落ちて弾ける音が店内に響き渡る。

 

 「(サラダなんて、何の冗談? 女の子向けのヘルシー料理? お洒落なテリーヌ? ――笑わせないで。そんなものを食べて、どうやってこの混沌としたゲヘナを守れと言うの?)」

 

 焼き上がったカルビを、たっぷりの濃厚なタレに潜らせる。さらにその上に、追い打ちをかけるようにコチュジャンとニンニクを乗せ、白米と共に口へ放り込む。

 

 「……っ!」

 

 至福。その一言に尽きた。

 

 肉の繊維が解け、脂が甘みを伴って溶けていく。強烈なタレの塩分が白米の甘さを引き立て、無限の食欲を呼び覚ます。

 

 「委員長、少しはペースを落としてください……。網の交換が追いつきません」

 

 アコが呆れたように言うが、ヒナの手は止まらない。彼女にとって、焼肉の網の上に野菜が乗ることは万死に値する大罪だった。

 玉ねぎ? ピーマン? カボチャ? そんな水分と食物繊維の塊に、貴重な肉のスペースを譲るつもりは毛頭ない。

 

 「……アコ。あなたも食べなさい。栄養が足りてないわよ」

 

 「私は委員長ほどモンスターじみた代謝を持ってませんから! それを全部食べたら、明日には顔がパンパンになります!」

 

 「……ふん、軟弱ね」

 

 ヒナは鼻で笑い、追加のホルモンを注文した。脂の塊のようなシロコロが網の上で踊る。

 

 彼女の食生活は、医学的見地から見れば自殺行為に近い。しかし、空崎ヒナという個体において、その常識は通用しない。

 摂取された膨大な脂質は即座に熱エネルギーへと変換され、過剰な塩分は風紀委員長としての激務の中で汗と共に排出される。

 彼女の血管は驚くほどに若々しく、内臓は鋼のように強靭だった。

 

 むしろ、彼女にサラダを食べさせることこそが、彼女の健康を害する唯一の手段かもしれない。

 味が薄く、エネルギーの乏しい食事は、彼女の精神を不安定にさせ、免疫力を低下させる「毒」に他ならないのだ。

 

 「(……あぁ。満たされていく)」

 

 最後の一切れを飲み込み、ヒナは冷たいコーラ(in ピッチャー)で流し込んだ。

 ゲップが出そうになるのを上品に抑え、彼女は席を立つ。

 

 「……さて。帰って、明日の作戦を練り直すわよ」

 

 「はいはい、分かりました。……でも委員長、明日の朝食はどうなさるおつもりで?」

 

 ヒナは少しだけ足を止め、夜空を見上げた。その瞳には、再び次の「飢え」への予兆が宿っている。

 

 「……朝は、駅前の『ギガ・タコス』。全部のせ、ハラペーニョ増量で。……当然、レタスは抜きでね」

 

 空崎ヒナ。ゲヘナ学園で最も恐れられ、最も信頼される風紀委員長。

 

 彼女の強さの源は、鋼の意志と、そして何よりも――決して満たされることのない、圧倒的なまでの『暴食』の情熱にあった。

 彼女の戦いは終わらない。胃袋が空になるたびに、彼女は再び肉と脂を求めて、地獄の如き美食の戦場へと赴くのだ。

 

 「(……明日の昼からは何を食べようかしら)」

 

 彼女の小さな背中からは、満足感と共に、どこか次の獲物を探すような、凄絶な覇気が漂っていた。




次以降は出来次第、投稿します。
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