七つの大罪:暴食のヒナ   作:ていん?が〜

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前編です。
罪を背負った存在にも救いの手を差し伸べるヒナちゃんのお話です。


第10話:正義のアボカド 前編

 野菜嫌いでお馴染みの空崎ヒナだが驚くべきことに、その偏った世界観の中でも「基本的人権」を例外的に許可している植物が、なんと片手で数えるほども存在している。

 

 その神聖にして不可侵な植物たちの詳細については、また後日、別の機会に語るとして――その数少ない特権階級のうちの1つが、他でもない『アボカド』であった。

 

 

 アボカド。別名、森のバター。

 

 

 一般的な果物や野菜が果汁という名の下劣でシャバい水分をこれでもかと瑞々しく蓄える。

 だが、それに対してアボカドという植物は、自らの肉体にねっとりとしたクリーミーさと濃厚な「脂」を限界まで溜め込むという、極めて異質な特徴を持っている。

 

 水分やビタミン、糖分といったヒナの最も嫌悪する要素を司るべき「植物」という下等なカテゴリーに生まれながら、血のにじむような生態進化の果てに、動物性脂肪にも決して劣らない極上の脂質をその身に蓄えるに至ったその涙ぐましい努力の歴史。

 

 ヒナはその健気な進化の姿勢に、一人の捕食者として、そして一人の脂質信者として深く感心し、例外中の例外としてその存在をこのキヴォトスに置いてやることを公式に許していた。

 

 「(……だけど。だからこそ、私はあの子に、深い憐れみを感じずにはいられないのよ。本当に、あまりにも残酷な運命だわ)」

 

 パジャマ姿のまま自室のベッドに大の字になって寝転び、ぼんやりと白い天井を見つめながら、ヒナは密かにその胸を激しく痛めていた。

 

 アボカドは素晴らしい。アボカドの持つポテンシャルは本物だ。

 

 だが、それを小さな唇で噛み締め、舌の上に転がす度…ヒナの常人離れした鋭すぎる味覚は純粋な肉の塊や牛の脂身からは絶対に感知し得ない「ある致命的な要素」を、あまりにも正確に…そして冷酷に捉えてしまうのだ。

 

 

 

 ――微かに、本当に微かに鼻腔をくすぐる、あの特有の『青臭さ』。

 

 

 

 どんなに濃厚な脂を気取ろうとも、どんなにクリーミーな食感で誤魔化そうとも、アボカドを咀嚼した瞬間に脳裏をよぎる、「自分、所詮は植物ですから……」という、悲しいまでの植物としてのアイデンティティ。

 

 その抜けない泥臭さ、草としての限界を感じる度に、ヒナの胸中には激しい憤怒と、やり場のない悲しみが濁流のようにたぎるのだ。

 

 かつて、その矛盾に耐えかねたヒナは、誰もいないゲヘナ学園の深夜の校舎屋上へと這い上がり、満月に向かって孤独な狼の如く「ウォォォォォン!!」と激しく吠え散らかしたものだ。

 

 翌朝、風紀委員会の活動日誌に『深夜、屋上にて正体不明の巨大な野獣の咆哮を確認。周辺警戒を強化』とチナツが真面目な顔で書き込んでいたが、その野獣の正体がパジャマ姿の風紀委員長であることは誰も知らない。

 

 「(惜しいわ。本当にもったいない。あの青臭ささえ完全に消し去ることができれば、アボカドは『※ヒナファミリー』の、岩塩や牛の脂身と同格の最高幹部として加入させてあげられるのに……!)」

 

 

 ※ヒナファミリー……空崎ヒナの常用食として認められた特権階級の食材たちを指すヒナ帝国における絶対的なカースト。ただしキヴォトスの他の生徒や社会においては1ミリも意味を持たない。

 

 

 ヒナ曰く、アボカドは決して罪人ではない。彼らはただ、生まれながらにして「植物」という重すぎる枷と業(カルマ)をその背に背負わされているだけに過ぎないのだ。

 

 「(彼らは泣いているわ。ヒョロガリの樹木に吊るされながらも、救いを求めて叫んでいるのよ。『ヒナ委員長! 僕は本物の脂として美味しく食べられたいんです!!』『そうだ! 俺も植物としての肉体を捨ててでも変わりたいんだ!!』ってね……。救いを求める者の手がすぐ目の前にあるというのに、それを取りこぼす者は、もはや治安維持を預かる人間ではない。……いいえ、1人の人間として失格よ)」

 

 一人の空崎ヒナとして…そして、迷える食材を導く一人の救済者として。

 

 アボカドという哀れな魂に真の救済を執行するため、ヒナは実は数年前から、風紀委員会の誰にも明かしていない「ある極秘計画」に着手していたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 夜の帳が降り、ゲヘナの街が混沌とした静寂に包まれる頃。

 

 ヒナは風紀委員会の軍服を身に纏い、愛銃である『終幕:デストロイヤー』を背負って、学園の自治区からも完全に外れた、キヴォトスの「外側」へと一人で足を運んでいた。

 

 その歩みに躊躇はない。重厚な軍靴の音が、静まり返った夜の荒野に規則正しく響き渡る。

 

 

 向かったのは、地図にすら載っていない、荒涼とした廃ビルの地下。

 

 

 コンクリートの壁はひび割れ、剥き出しになった鉄筋がまるで奇怪な化物の牙のように突き出している。

 およそ一般の生徒であれば、その入り口に漂うただならぬ気配を察知した瞬間に恐怖で理性を失い、泣き叫びながら逃げ出すような場所。

 

 そこには、キヴォトスの理(ことわり)から外れた、禍々しくも圧倒的な暗黒のエネルギーが濃密な霧のように渦巻いていた。

 

 階段を下りるほどに、冷気が肌を刺す。しかしヒナは冷徹な眼差しのまま、迷うことなくその闇の奥底へと歩みを進めていく。

 

 その最深部。周囲の空間を歪ませるほどのプレッシャーを放つ、不気味な黒い紋章が刻まれた重厚な鉄の扉の前に、ヒナは躊躇なく立った。

 

 

 

 バゴォォォォォン!!!!

 

 

 

 「ごきげんよう。今日の研究成果はどうかしら?」

 

 いつものヤンキー染みたキレ方はどこへやら、ヒナは扉を粉々に蹴破って堂々と室内に侵入すると、大富豪の社交界にでも出席するかのような優雅で、しかし完全に獲物を値踏みするような極冷の微笑みを浮かべて挨拶した。

 

 蹴散らされた鉄扉の破片が転がる部屋の奥。

 

 豪華な革張りのデスクに腰掛け、書類をめくっていたその男――キヴォトスの外側から現れた謎の組織「ゲマトリア」の構成員である『黒服』は、ペンを握ったままピキリと硬直した。

 

 その名の通り、仕立ての良い黒いスーツを完璧に着こなし、顔面にあたる部分は影のように真っ黒で無機質。

 右目の位置にある発光部がパチパチと不快な音を立てて明滅し、そこからひび割れた亀裂が顔全体に走っている。

 頭部からは不気味な黒いモヤが立ち上り、まさに怪異そのものの姿だ。

 

 しかし、そんなキヴォトスの天敵たる黒服は、目の前に君臨した小さな風紀委員長に対し、顔面の亀裂をさらに深く歪ませ、心底、本当に心底嫌そうな、ウンザリとした態度を隠そうともせずに冷たく言い放った。

 

 「……帰ってください」

 

 ここは世界のバランスを揺るがす恐怖の組織ゲマトリアの本拠地。その最高機密室にてゲヘナの最高戦力とゲマトリアの怪人が対峙している。

 

 なぜ? なぜこの2人に接点が…? 2人はどういう関係なのか…?

 

 それを語るには時計の針を大きく戻さねばなるまい。

 

 遡ること5年前、夢と希望を持ってゲヘナ学園中等部に進学した12才の少女、空崎ヒナが体験したある『事件』のことを…。




次回、悲しい事件が語られます。
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