「ヴァルキューレだ! 空崎ヒナ! 貴様を業務上横領の疑いで連行する!!」
バン! と音を立てて風紀委員会執務室の分厚い扉が勢いよく開かれた。
踏み込んできたのは、ヴァルキューレ警察学校の公安局長を務める三年生、尾刃カンナである。
その背後には、武装した警察学校の生徒たちがゾロゾロと隊列を成して雪崩れ込み、室内へ向かって一斉に銃口を突き突き突き出していた。
突如として乱入してきた公僕どもに対し、執務室内の幹部たちが弾かれたように叫び声を上げる。
「な、なんなんですかあなたたち!! 委員長が横領ですって!? 馬鹿おっしゃい!!」
アコが書類の束を抱えたまま顔を跳ね上げ、ヒステリックに怒号を放つ。
「そうだそうだ!! 証拠はあるんだろうね!? 単なる言いがかりなら、ただじゃ済まさないんだから!!」
イオリが即座にスナイパーライフルを構え、カンナの額へと狙いを定めた。
「委員長、ご命令を!! 不肖、火宮チナツ! 神風特攻により、命の輝きを公僕どもに見せつけてやる所存であります!!」
チナツが腹にダイナマイトのベルトを巻きつけ、狂った瞳で命令を待ち受ける。
「チナツ!? あなた発言が色々とアウトだから落ち着きなさい!!」
アコの鋭いツッコミが飛び交い、執務室内は怒号と銃声直前の金属音が入り乱れる完全な不協和音へと陥っていた。
そんな混沌の極みの中で、当の容疑者――空崎ヒナはというと。
ゴワワワワワワワワワワワ!!!!!!
執務デスクの真っ只中にどっしりと置かれた大鍋と、ゴーゴーと青い炎を吹き上げる巨大ガスコンロ。
鍋の中に波打つ漆黒のラードの中では、衣を纏った大量のホットドッグの群れがパチパチと弾け、油の海を優雅に泳いでいた。
ヒナは菜箸でその中から1つを豪快に掴み上げると、卓上のケチャップとマスタードをノイローゼになるほどの勢いでドバドバとぶちまけた。
そのまま、一切の躊躇もなく狂気のフライドホットドッグを一口で喰らい尽くす。
バリボリ、ザクッ、ゴクン。
カリカリに揚がった表面を凄まじい音を立てて噛み砕きながら、ヒナは油で光る唇を拭いもせず、ジッとカンナの目を見据えた。
だが、狂犬と恐れられる公安局長は一歩も怯まない。
「とぼけても無駄だ。こちらには動かぬ証拠が揃っている」
カンナは懐から取り出した捜査資料を広げ、朗々とヒナの横領の証拠を読み上げ始めた。
・ゲヘナ風紀委員会の公式予算から『備品購入費』の名目で計上された1500万クレジットが、全額『直輸入・最高級業務用豚背脂(3トン)』の購入に充てられていること。
・学園の『燃料補給費』から落ちている300万クレジットの領収書が、すべて特定の大衆ジャンクフード店『骨肉肉』および『モモ・ドナルド』の特注メガ盛りセットに回されていること。
・『特別治安維持費』として申請された予算が、個人プロデュース店舗『そらさき屋』の絶望的な赤字補填にダイレクトに流用されていること。
「……まだまだ証拠はあるが、まだ聞くか? 空崎」
カンナが鋭い眼光で問い詰める。
シーーーーン……。
この空間に反論できる者など誰一人として存在しなかった。
風紀委員会内で日常茶飯事として行われていた、ヒナの胃袋を満たすための公金使い込み。
内部では『委員長の燃料補給』として半ば当たり前の光景と化していたが、世間様から見れば、立派な業務上横領罪である。
おそらく万魔殿の羽沼マコトあたりが鬼の首をとったかのようにヴァルキューレへリークしたのだろうが、罠に嵌められたわけでも卑劣な仕打ちなどではない。
因果応報の当然の帰結。一言で言えば、自業自得である。
「……」
ヒナはデスクの上に投げ出していた脚をゆっくりと下ろすと、コンロの上で煮え立つ大鍋を片手で軽々と持ち上げた。
そして、もう片方の手の菜箸で次のフライドホットドッグを摘み上げる。
「いいよ」
「……は?」
あっさりとした同意に、アコ、イオリ、チナツの三人が同時に顔色を変えた。
激しい銃撃戦と抵抗を予想していたカンナも、すんなりと従う容疑者の態度に何か裏があるのではないかと、警戒の手綱を緩めなかった。
「おい……その鍋は置いていけ」
「なんで?」
「常識的に考えて連行中に飯を食うな! しかも揚げ物を揚げながら連行される容疑者など、地球上で貴様が初だぞ!?」
「なんで? これ何罪? 公務執行妨害ですらないよね? 私はただ、自分の燃料を補給しながら移動するだけだけど」
「屁理屈を抜かすな!」
押し問答の末、カンナは頭を抱えながら、鍋を持ったままの容疑者をパトカーへと連行せざるを得なくなった。
なお、連行中のパトカーの後部座席で、容疑者が猛烈な勢いでホットドッグを揚げては喰らい続けた結果、シートに飛び散った大量の油跳ねと強烈なジャンク臭が染み付き、その後数ヶ月間にわたって臭いが取れなかったのは、また別の話である。
ヴァルキューレ警察学校、取調室。
頑丈な鉄の取り調べ机の上に、ドン!! と置かれたガスコンロと巨大な油鍋。
そこから菜箸で掬い上げたフライドホットドッグを、バリボリと豪快に喰らい続ける空崎ヒナ容疑者。
対面では、頭を抱えた尾刃カンナが深いため息を吐き出していた。
ゴクン。
大きな塊を喉の奥へと滑り込ませたヒナは、油で塗れた口元を制服の袖で拭うと、不機嫌そうに切り出した。
「それで? 取り調べといえば定番の『カツ丼』はいつ出すの?」
「は、はぁ!? まだ取り調べは始まってすらないんだぞ!! しかもまだ食うのか貴様は!?」
「当然でしょ。私はカツ丼目的でここに来たんだし」
「取調室を食堂か何かと勘違いしているのか!?」
とんでもない発言が飛び交うが、カンナは横に座る書記官に対し、「今の発言は記録しなくていい」と手で指示を出し、こめかみを押さえた。
「はぁ……いいが、自腹だぞ? ドラマでよくある『警察がカツ丼を奢ってくれる』などというものは幻想に過ぎないのだからな」
その言葉がカンナの唇から溢れ出た、まさに次の瞬間であった。
「はああああああああああぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!?」
取り調べ室の壁を物理的に震わせるほどの、凄まじい絶叫がヒナの口から解き放たれた。
「うおっ!?」
至近距離で大音量の咆哮を浴びたカンナは、あまりの衝撃波に椅子ごと後ろへ転げ落ちた。
「タダ飯が食えると聞いてわざわざ足を運んであげたのよ!! 容疑者を拘束しておいて飯の金を払えですって!? 私に餓死しろというの!? この人殺し!!!!」
ヒナがデスクを叩いて身を乗り出し、ヤンキー顔負けの怒号で捲し立てる。
「知るか!!! 勝手な想像と思い込みが挫かれたからといってギャーギャー喚くな!!! 金を払わなくても標準の留置場飯なら出るわ馬鹿タレ!!! カツ丼なんかの出前が有料なんだよ!!!」
取り調べが始まる前に、まさかの『カツ丼の支払い責任』を巡る醜い口論が勃発。
書記官はこれも記録すべきか本気で迷ったが、あまりの惨状に半ば感情を殺し、目の前の醜態をありのままにキーボードへ打ち込むことにした。
結局、容疑者の理不尽な圧に押し負けたカンナは、自身のポケットマネーでヴァルキューレ御用達の老舗蕎麦屋『安斎』へ電話をかけ、出前を注文することとなった。
30分後。
ヒナの前に、出前持ちから受け取った塗り物の丼が置かれた。
パカッと蓋を開ければ、ふんわりとした出汁と醤油の香りが優しく漂う。
中には、とろとろの卵に包まれた黄金色のカツ。その上に彩り鮮やかな三つ葉がちょこんと乗った、シンプルながらも伝統的な王道のカツ丼であった。
だが、ヒナはそのカツ丼を一瞥した瞬間、冷たい視線をカンナへと向けた。
「早くカツ丼を持ってきなさい」
「……あ?」
カンナは最初、彼女が何を言っているのか理解できずにフリーズした。
「何を言っている? 目の前にあるそれがカツ丼だ。早く食え」
その瞬間。
「誰が豚カツで水遊びしろっつったよおおおおおおおおおお!!!!!!!」
バァン!!!
ヒナが渾身の力で机を叩き割らんばかりに叩いた。
衝撃で丼が宙へと垂直に飛び上がるが、元の位置へと吸い込まれるように着地する。
「いいかぁ!? カツ丼ってのはな、サクサクの衣と濃厚な脂が命なんだよ!! 私がカツ丼っつったら、ソースカツ丼のことだろうが馬鹿野郎!!!! 肉を出汁で煮込むなとあれほど……!!」
「知るか! 一般的にカツ丼と言えばこれだ! 文句を言わずに食え!」
容疑者のめちゃくちゃな言い分。当然、取り調べなど1mmも進んでいない。ゴミ以下の無駄な時間。
「ふんっ、私が納得するカツ丼が出るまで、一言も喋らないし、絶対にここから帰らないから」
そしてここから、尾刃カンナの地獄が始まった。
ヴァルキューレのツテを使い、近所の高級洋食屋に頭を下げて作ってもらった『デミグラスソースカツレツ丼』。
ヒナは一口かじると、「カツの下に
続いて、名店のトンカツ屋からテイクアウトしてきた特製ソースカツ丼。
ヒナは「肉が薄っぺらい。肉を紙か何かと勘違いしてるの?」と一蹴し、衣と肉だけを全部食べて説得力のない説教を始める始末。
挙げ句の果てに、容疑者の「脂分を増やせ」という要望を叶えるため、カンナが部下に命じて警察学校の食堂で作らせた特製ラードカツ丼が出されたが、ヒナは「素人のおままごとがしゃしゃり出るんじゃないわよ」と、食うことすら拒否して鼻で笑う有様。
カチカチと、壁の時計の針が虚しく音を立てる。
カンナはデスクに両肘をつき、俯いたまま動かなくなった。
対面のヒナは、片手でフライドホットドッグを頬張りながら、書記官から強奪したスマートフォンのアプリゲームをピコピコと優雅にプレイしている。
カンナは、限界だった。
彼女の脳内には今、目の前の害獣をとっとと、この敷地外へ追い出すことしか残っていなかった。
このままでは自分の給料袋が破裂し、ヴァルキューレの予算が経費で壊滅してしまう。ついでに過剰なストレスで自分の胃に穴が空く。
もう横領の罪状なんてどうでもいい。なんとかしてこの怪物を追い出す方法はないのか。
不退去罪で再逮捕? 警察学校の中に居座り続けるだけで意味がない。
保釈金? ケチで強欲なこの馬鹿は、金を要求された瞬間に警察学校を更地にし兼ねない。
数分間の重苦しい沈黙の後、カンナはかすれた声で絞り出した。
「……釈放だ、空崎」
カンナは机に突っ伏したまま、呻くように続ける。
「誤報として処理しておく……。頼むから……とっとと帰れ……」
法が、犯罪者に屈した瞬間であった。
しかし。
「なんで? 私、帰らないわよ」
「……は?」
カンナの脳は、その言葉を処理できなかった。
「だって、まだ私が納得するカツ丼を食べてないもの」
カンナは、本当の絶望というものを知った。
30分後。
ヴァルキューレ警察学校の正門前に、1台のいかつい黒塗りのワゴン車が到着した。
車体には『怒怒怒軒』という凄まじく達筆なロゴが躍っている。
車から降りてきたのは、パンチパーマに眉毛のない、全身から堅気のオーラを消し去った強面の男。
彼は手に特大の岡持ちを引っ提げ、警察学校の廊下をのしのしと歩いていった。
「お待たせしやしたぁ! 怒怒怒軒です!!」
バァン!! と取調室の扉が開かれる。
室内には、回転椅子でクルクルと回りながら暇そうにしているヒナと、机に突っ伏したままピクリとも動かないカンナ、そして完全に感情を失って機械となった書記官の姿があった。
「ご苦労様。お代はそこの犬のお巡りさんにつけといて」
ヒナが顎でカンナを指す。
「へ、へい! 毎度あり!」
男は岡持ちから、巨大な漆黒の丼を取り出した。
それは、カツ丼界の新生物と言える異形であった。
厚さ20センチを超える極厚のロース肉は、塩分濃度100%の特製激辛ソースを全身に纏った上で、カリカリのラードで揚げられている。
さらにその下の米は、ただの白米ではない。醤油と砂糖で炊き上げられた米を、さらに油で丸ごと揚げた『フライド醤油ライス』。
総重量30kg。どこをどう切り取っても揚げ物以外存在しない、まさにカツ丼界のニューカマーであった。
「これよ、これこれ」
そそくさと去っていく男など眼中にないヒナは、割り箸を割ると、その茶色い要塞へと豪快に喰らいついた。
ガブリ!! ムシャ、ジュワァァァッ!!
10秒、20秒。
驚異的な速度で30kgの山が消え去っていく。機械と化した書記官のカタカタというキーボードの打鍵音だけが、虚しく室内に響いていた。
――2分後。
30kgのカツ丼を完璧に平らげたヒナは、ヴァルキューレ警察学校の正門を出ると、自分で呼んだタクシーへと乗り込んだ。
もちろん、タクシー代を『ヴァルキューレ警察学校公安局長・尾刃カンナ』にツケた上で、ゲヘナの自宅へと直帰していった。
後日。
ヴァルキューレ警察学校の内部規定に、新しい絶対禁忌のルールが追加された。
『その1、空崎ヒナはいかなる事情があろうとも、逮捕・連行してはならない』
『その2、いかなる理由があろうとも、空崎ヒナをヴァルキューレの敷地内に入れてはならない』
その日の朝。
ヴァルキューレ本部の屋上で、コーヒーカップを片手に静かに朝日を眺める尾刃カンナの姿があった。
「……綺麗な朝日だな……」
寂しげに呟く彼女の悲しい背中に、声をかけられる者は一人として存在しなかった。
この後も、ヒナちゃんは普通にヴァルキューレに遊びに来ます。