8月14日。夏も真っ盛り。あつもなついのである。
キヴォトス全域を襲う記録的な猛暑。路上に放置された車のボンネットはもちろんのこと、そこらのアスファルトの上に直接フライパンを置き、卵を割り入れれば、わずか数十秒でカリカリの目玉焼きが出来上がるという灼熱の地獄絵図。
そんな酷暑の中、ゲヘナ学園風紀委員会では、とある画期的な「働き方改革」が推進されていた。
「おはよう、みんな。これ、聞こえてるかしら?」
「えぇ、バッチリ聞こえてますよ委員長」
「アコちゃんに同じくー」
「はい! 委員長! チナツ、委員長の神の如き御声を聞き漏らすことなど絶対に致しません!」
薄暗い室内で、空崎ヒナの目の前にあるノートパソコンの画面は綺麗に四分割されていた。
画面にはそれぞれ天雨アコ、銀鏡イオリ、火宮チナツ、そしてヒナ自身が映し出されている。
そう、某通信アプリによるオンライン会議である。
連日の記録的猛暑による熱中症患者の急増、そして風紀委員たちの疲弊を見かねた幹部からの働き方改革の提案――そして何より、ヒナ自身の強烈な希望により、風紀委員会へ試験的にリモートワークが導入されたのだ。
画面左上。背景を『清潔感溢れる近代的なオフィス』のフリー画像に設定したアコが、慣れた手つきで議題を進めていく。
THE王道中の王道。特筆すべき点のない優等生な画面構成だ。
「では本日の第一議題ですが、温泉開発部による第3自治区の地下水脈無断掘削の件についてです。すでに現地の哨戒班から報告が入っておりまして……」
画面右上。イオリの背景は、なぜか『剣と魔法のファンタジー世界の王宮』であった。
彼女の密かな趣味であるレトロRPGの世界観を忠実に再現した、重厚な石造りの城壁と松明が揺らめく画像である。
「あー、アコちゃん。その件なんだけど、現場の連中、すでに掘削ドリルに『ドワーフの爆薬』みたいな自家製ダイナマイトを装填してるらしいのよね。普通に突撃したらこっちが吹き飛ぶよ」
「イオリ、用語がファンタジーに侵食されていますよ……ですが、事態が深刻なのは分かりました」
画面左下。チナツの背景は、まともな人間が見れば一瞬で恐怖で狂い出しそうな代物であった。
なんと『無数のヒナの顔写真』が隙間なく敷き詰められた完全なコラージュ画像。集合恐怖症を発症させるレベルの狂気の背景である。
「アコさん、イオリさん。私から改善案があります。温泉開発部の違法採掘現場に対し、特製の『高濃度鎮静ガス弾』をドローンで上空から散布。全員を強制睡眠させた上で、重機ごと回収することを提案します」
「チナツ、案は素晴らしいですが、背景を今すぐ変えなさい。委員長の顔で画面が埋め尽くされていて、あなたの顔がどこにあるのか分かりません」
「えっ、委員長への絶対なる愛と忠誠を表現した素晴らしい背景だと思うのですが……」
「変えなさいと言っているのです」
そして画面右下。ヒナの画面は、不気味なほど薄暗く、あちらこちらで『巨大な何か』がギシギシと音を立てて揺れている、奇怪な背景であった。
「……いいわ。チナツのガス弾作戦を採用するわ。アコはドローンの手配をしなさい。イオリは突撃隊を率いて、ガス散布後の現場の制圧。……以上で本日のオンライン会議を終了するわ」
ヒナが無機質な声で会議をまとめ、パチリと通信を切断して画面から消えた。
しかし、残されたアコ、イオリ、チナツの3人の画面は繋がったままであった。
イオリが怪訝そうに眉をひそめ、画面に向かって口を開く。
「ねぇ、アコちゃん」
「なんですかイオリ?」
「委員長の背景……なんか『おかしくなかった』? あんな背景、アプリのプリセットにあったっけ?」
「バカですねイオリ。アプリの機能を使えば、自分で撮った写真やネットからダウンロードした画像も自由背景に設定できるのですよ。チナツのあの気持ち悪い背景と同じ理屈です」
「気持ち悪いとは心外ですアコさん。これは聖遺物です」
「黙りなさいチナツ……ですがイオリ、何か気になりましたか?」
イオリは腕を組み、画面の向こうで首をかしげた。
「いや……それにしたって変じゃない? 心なしか委員長自体も全体的に薄暗くて顔がよく見えなかったし、それに……周りで何か巨大な塊がギシギシ揺れてるように見えたのよね」
「…………」
アコが言葉を詰まらせた。言われてみれば、確かにあの影の落ち方、背景画像の立体感……。
「あれ……背景の『画像』じゃないのでは……?」
「えっ……それじゃあ何? あれ、委員長の部屋……?」
「いいえ、イオリも委員長の家に行ったことがあるから知っているでしょう? 委員長の自宅にあのような薄暗くて巨大なものが吊り下げられている部屋など存在しません」
アコとイオリの間に、重苦しい沈黙が流れる。
真夏の酷暑の中、2人の背筋にスーッと冷たい汗が伝わった。
「(ま、まさか……心霊スポット……!? 委員長、休日に怪しい怪奇現象の起きる廃墟にでも行ってリモート会議を……!?)」
その時、画面左下でチナツがヒナまみれのコラージュ画像の中から静かに口を開いた。
「先輩方、私知ってますよ」
「えっ!? 知ってるの!?」
「知っているのですか!!」
アコとイオリが同時に画面へ顔を近づける。チナツは眼鏡の奥の瞳をキラリと光らせ、得意げに胸を張った。
「はい、それはーーーーーー」
同時刻。
オンライン会議アプリを終了させた空崎ヒナは、パタンとノートパソコンの蓋を閉じた。
周囲では、ギシギシ……と、巨大な何かが、重厚な音を立ててチェーンで天井から吊り下げられ、ゆらゆらと揺れている。
ヒナはその巨大な塊へと近づくと、小さな手を素手で突き立て、力任せにその塊を引きちぎった。
そして、暗闇の床の上でおもむろに流木と薪を組み上げ、焚き火を始める。
ゴーッと燃え上がるオレンジ色の炎。ヒナはその激しい炎の中に引きちぎった塊を直接突っ込み、表面がカリカリの黒焦げになるまで豪快に炙った。
ガブリュッ!!
豪快にそれに食らいつく。じゅわりと溢れ出す濃厚な脂肪と、炭火の香ばしい匂い。
モグモグ……ゴクン。
「……ふぅ。『牛の丸焼き』は、いつ食べても心が洗われるわね」
ヒナが今、滞在している場所。
そこは、彼女が自らの個人資産を投げ打ってプロデュースした、あの狂気の牛丼屋『そらさき屋』の最奥にある『巨大冷凍倉庫』であった。
そう、ヒナは極寒の冷凍倉庫内で、オンライン会議を行っていたのだ。
元々、ヒナの体内に宿る『超高効率燃焼炉』は、常人の数十倍の熱量を絶え間なく生み出している。
そのため、この記録的な猛暑の中では、風紀委員会室のエアコンを最大出力で稼働させようが、彼女の周りだけ熱気が充満し、排熱が追いつかずに激しいストレスが溜まり続けていたのだ。
そんな折、『そらさき屋』へ視察兼昼食のために訪れた際、店長が奥の巨大冷凍倉庫から肉の塊を取り出すために奥に引っ込んだ、その瞬間の光景を見て、ヒナの脳内に天啓が舞い降りた。
「(そうだ、冷房をつけても暑いなら、もっと涼しい場所に行けばいいじゃない)」
そこからのヒナの行動は早かった。
「今日から私、ここに住むから」
「えぇぇぇっ!? オーナー、何をおっしゃっているのですか!? ここは『−20℃』の冷凍倉庫ですよ!? 死んでしまいます!!」
焦る店長の制止を冷酷に振り切り、ヒナは制服のまま、−20℃の吹雪く倉庫の中へとズカズカと侵入していったのである。
そして、天井から吊り下げられている『A5ランク黒毛和牛の丸ごと1頭の固まり』を手当たり次第に引きちぎっては直火で炙って貪り食うという、現代人から遥かに退化した『洞窟生活』は、今日で10日目に突入していた。
最初は「オーナーが凍死してしまう!」と半狂乱で心配していた店長であったが、天性のゴマスリ気質を持つ彼はすぐにこの狂気に順応した。
「流石オーナー! 極寒の冷気でさえ手懐けられてしまう!!」とオーナーの神々しさを褒めちぎりながら、ヒナの気まぐれな要望に応じて、高級ソファーやゲーム機、そして極寒の防厚壁を透過して圏外であっても電波の送受信が可能な『超高出力特注Wi-Fiルーター』などを運び入れたり、温かい特製牛丼を差し入れたりしていた。
普通の人間であれば、防寒着なしでは30分と保たずに凍死する極寒空間。
しかし、ヒナの皮膚から放たれる異常な排熱により、−20℃の冷気と彼女の熱量が完璧に相殺され、ヒナの周囲『半径2m』だけが、程よく快適な『25℃』に保たれているという、倉庫の機能だけでなく物理法則そのものさえも殺しにかかっている始末であった。
ガチガチに凍りついた革張りソファーに深く腰掛け、携帯ゲーム機をピコピコと操作して遊ぶヒナ。
彼女の体温と接触しているソファーの表面だけが、じわじわと解凍されていき、元のふかふかな状態へと戻りつつある。
だが、10日目を迎えた今のヒナには無視できない不満があった。
それは『食事のレパートリー』である。
メインは、吊り下げられた牛の塊肉の丸焼き。時折、店長が気を利かせて差し入れてくるテイクアウトの特製牛丼。
しかし、いくら肉と脂を愛するヒナであっても、こうも毎日毎日同じものばかりを食べ続ければ、多少の飽きが来てしまう。
彼女の肥えた舌が、贅沢な我儘を言い始めているのだ。
かといって、他の食べ物をこの倉庫内に持ち込むと、あまりの極寒ゆえに数分でカチカチに凍りつき、まるでシャリシャリとした無味乾燥な氷を噛み砕いているようになってしまうのだ。
店長が持ってくる牛丼でさえ、受け取ってから1分以内に完食しなければ、タレと脂が白く固まって凍りつく始末であった。
「(……なぜ、食べ物如きがこの私を急かすのかしら…。食事というものは、自分のペースで優雅に楽しむものよ。それを凍りつく前に急いで詰め込むなんて、私の美学に反するわ。味わって食べられないなら、食べる意味がないじゃない。……かといって、私が食べ物を抱きしめて保温しながら食べるなんて、めんどくさいし……なぜ私が食べ物ごときに気を遣わなければならないの?)」
考えていたら、また腹が減ってきた。
なにが悲しくて、この極寒の中で既に飽きた肉の丸焼きを噛み砕いているのか。
図々しい『そらさき屋』のオーナーは、悲劇のヒロインのように深々と溜息をつきながら、本日5度目となる牛の丸焼きにガブリと食らいついた。
「はぁ……。口直しに、甘いデザートでも食べたいわね……」
その時。
ピコン!
ヒナの白い前髪の上で、一光の電球が鮮やかに点灯した。
「(……そうだわ。なんで今まで気づかなかったのかしら)」
ヒナはソファーから立ち上がった。
「(食べ物がすぐに凍るなら……この充満する冷気を、『逆に利用すれば』いいじゃない)」
ヒナの瞳に、悪魔的な歓喜の炎が灯る。
「作りましょう……至高の『アイスクリーム』を」
ヒナはインターホン越しに、外で待機していた店長を呼び出し、アイスクリームの材料を緊急手配させた。
・生クリーム:5t
・砂糖:5t
・練乳:5t
・チョコレート:5t
当然、すべて『ヒナ基準』の数量である。此度のヒナヒナクッキングにおいて、999kgを下回る質量は人権を持たないのだ。
数時間後、笑みの張り付いた店長が業務用大型トラック数台で運び込んできた材料を前にして、ヒナヒナクッキングが幕を開ける。
「混ぜる。……それだけよ」
ズボラなヒナでもできる、超お手軽レシピ。
巨大なドラム缶の中に5tの生クリーム、砂糖、練乳、そしてチョコレートを豪快にぶち込み、太い鉄パイプで力任せに勢いよく攪拌する。
−20℃の冷気が、攪拌される巨大なチョコレートの塊を一瞬にして急速冷凍していく。
「ふふ……ふはは! 大好きなチョコレートアイスクリームちゃんの山が、私を待っているわ……!」
「さぁ、ショータイムの始まりや」
テンションが上がるあまり、関西弁になったヒナの不敵な笑みが、極寒の冷凍倉庫の奥へと消えていった。
翌日。午前10時。風紀委員会オンライン会議の時間。
定刻を過ぎても、会議アプリの画面にはアコ、イオリ、チナツの3人しか映し出されていなかった。
右下のヒナの枠は、黒い画面のまま『オフライン』となっている。
沈黙の空気が漂う。
アコが画面に向かって、抑えた声で問いかけた。
「……チナツ。委員長は、『そらさき屋』の冷凍倉庫にいらっしゃると言いましたね?」
「はい。昨日、私が医療用データの回収に伺った際、倉庫内で肉塊を焚き火で炙り喰らう御姿が確認されております」
アコは溜息をつき、画面越しに立ち上がった。
「行きましょう。現地へ突撃します」
「ア、アコちゃぁん! やめようよぉ!!」
画面右上から、イオリが猛反発の悲鳴を上げた。
「アイツ、絶対無事だって! 絶対くだらないことで会議に来てないだけだって!! 行ったらまた変な劇物食わされるか、とばっちりで殴られるに決まってるじゃん!!」
「コラ、イオリ!! 口が悪いですよ!! 万が一のことがあったらどうするのですか!! 今すぐ現地集合です! 来ないなら今月は減給処分にしますからね!!」
「ひいぃぃっ!? 不当な処分だぁぁぁっ!!」
イオリがメソメソと泣き叫びながら通信を切断して部屋を飛び出していく。
チナツが「あのアコさん……」と言いかけようとしたが、アコは「チナツ、現地集合ですよ!」と言い捨てて通信を切ってしまった。
30分後。猛暑の眩しい日差しが照りつける中、『そらさき屋』の店舗前に3人が集結していた。
相変わらず、看板にはデフォルメされた二頭身の可愛いヒナのイラストが描かれているが、ガラスの自動ドアには『本日臨時休業』という達筆な紙が貼られていた。
「何が臨時休業ですか! 委員長、開けなさい!!」
アコが強引に自動ドアを押し開けようとするのを、チナツが「あ、アコさん、待ってください!」と止めようとする。
すると、店内から滝のような汗をかいた店長が必死の形相で飛び出してきた。
「アコさん! 何やってるんですか!! 今日は休業です! お引き取りください!!」
「シャラップ!! 委員長が定刻になっても会議に現れないんですよ!! 委員長は奥の冷凍倉庫にいらっしゃるのでしょう!? イオリ! 店長を止めなさい!!」
「えぇー……私の役目それぇ……?」
やる気のないイオリがノソノソと歩み寄り、店長の両腕をガッチリとホールドして拘束する。
アコはその隙に、制服のポケットからピッキングツールを取り出すと、得意の技術でガラス扉下の鍵をカチャリと解除した。
「アコさん、ですから委員長は……」
チナツの制止も聞かず、アコは電気の消えた薄暗い店の奥へと突っ切っていった。
地下へと続く階段を下り、目の前に立ち塞がる巨大な防厚冷凍扉の前に立つ。スキマから、尋常ではない冷気がヒューヒューと漏れ出していた。
「委員長……! どうかご無事で……!!」
普段はヒナの暴虐に呆れ果てているアコであったが、やはり根底にあるのは確かな忠誠心と心配であった。
アコは意を決して、重厚な扉のハンドルを力任せに引き絞った!
ガチャリ!
だが――。
「……は?」
そこに、空間は存在しなかった。
いや、正確に言えば、扉を開けたすぐ目の前には『壁』がそびえ立っていた。
茶色く、ツヤツヤとした壁。そして、鼻腔をくすぐる濃厚で甘いチョコレートの薫香。
アコはおずおずと指先を伸ばし、その茶色い壁を少し掬い取ると、ペロリと舌で舐め取ってみた。
「……チョコレートアイス……?」
は? 冷凍倉庫の扉よね、これ? 一体全体、何が起きているの?
アコが完全なフリーズ状態に陥った、その時であった。
ドドドドドドドドド……ッ!!!!!
目の前の巨大なチョコレートアイスの壁が、内側から激しく振動を始めた!
ズボッ!!
アイスの壁を突き破り、茶色い泥に塗れた空崎ヒナの首がニュッと飛び出してきた。
「……なに、アコ?」
顔中チョコレートアイスまみれになりながら、不機嫌そうに目を細めるヒナ。
アコは数秒間絶句した後、顔面を真っ赤にして叫んだ。
「言いたいことは山ほどありますが、何やってるんですか!! 会議に出られないならせめて連絡くらいしてくださいよぉぉぉぉっ!!」
激怒するアコ。しかし、ヒナは心底ウザそうに鼻を鳴らした。
「は? 会議は欠席だって、昨日連絡したわよ」
「へ……?」
アコがポカンとした、その瞬間。
ドゴォン!!!!!
「あぶっ!?」
ヒナの容赦ないアイスまみれのヘッドバットが、アコの額へと直撃した!
衝撃波で吹き飛ぶアコ。
その意識は瞬く間に刈り取られ、彼女は床へと垂直崩落してKO!!
「……ったく。冷気が逃げるから勝手に開けるんじゃないわよ」
ヒナはアイスの中から突き出した手で、扉をバタン!! と乱暴に閉めた。
遅れて地下階段を降りてきたチナツ、イオリ、店長。
白目を剥いて倒れているアコを見下ろし、チナツが悲しそうに呟いた。
「だからアコさん……委員長は今日お休みだって、言おうとしたのに……」
そう。ヒナは昨日の夕方、自身のスマートフォンで『明日の会議は欠席(アイス作成に集中するため)』の旨を、モモトークのグループチャットおよび幹部個人チャットへ送信していたのだ。
しかし、彼女が滞在していた冷凍倉庫内は、見渡す限りのチョコレートアイスによって完全に埋め尽くされており、いくら特注の超高出力ルーターであっても電波が遮断されていた。
そのため、グループチャットおよびアコとイオリの個人チャットへはメッセージが届いていなかったのだ。
そしてチナツへの個人チャットだけが、会議が始まった後、実に『16時間』のラグを経て、奇跡的に電波の隙間を縫って通知されたのであった。
イオリが倒れたアコを一瞥し、呆れたように吐き捨てた。
「ほら見たことか! やっぱり馬鹿馬鹿しいことになってんじゃん! 解散解散!」
イオリはさっさと背を向け、地上へと階段を登っていく。店長が「あ、イオリさん! お詫びにお土産の特製牛丼を……!」と追いかけるが、「いらない!!」と一蹴された。
残されたその特製牛丼(※脂身増し増し)は、床で気絶して白目を剥いているアコの枕元に、そっとお供え物のように置かれた。
1人残されたチナツは、チョコレートアイスで封印された扉を見つめ、眼鏡の奥の瞳を怪しく光らせてポツリと呟いた。
「……これは、『ビジネス』としてイケるかもしれませんね」
数日後。
『そらさき屋』の外部役員(※勝手に就任)でもあるチナツの発案により、『そらさき屋』店頭にて新メニューの販売が開始された。
その名も――『ヒナちゃんアイス』(価格:500クレジット)。
可愛らしいヒナの顔がプリントされた特製チョコがちょこんと乗っており、『終幕:デストロイヤー』を模したウエハース入りの特濃チョコレートアイスクリームである。
これが、キヴォトス全土で飛ぶように売れた。
ゲヘナの生徒たちだけでなく、他のあらゆる自治区――ミレニアムサイエンススクールの理系生徒たち、百鬼夜行の観光客、山海経の料理人たち。
彼女らのみならず、本来であれば犬猿の仲であるはずのトリニティ総合学園のお嬢様生徒たちでさえ、制服のフードを深々とかぶって行列に並ぶ始末であった。
「まぁ、ご覧になって? これが噂の『ヒナちゃんアイス』ですわ! なんて濃密でクリーミーな味わい……!」
「ええ、ゲヘナの品とは思えない上品な甘さですわね。……あ、でもこれ、私たちが買っていたこと、ティーパーティーには秘密にしておいてくださいましね?」
「ミレニアムの計算によれば、このアイスの糖分と脂質の黄金比率は、脳の演算速度を12%向上させることが証明されたわ。毎日箱買い決定ね」
当初は期間限定の突発デザートとして売り出す予定であったが、あまりの狂気的な人気ぶりに、今や『そらさき屋』の常設グランドメニューとして定着。
客たちはメインであるはずの『総質量数40kgの真実牛丼』には一切目をくれず、ひたすらチョコレートアイスの注文だけを連呼し、行列が途切れることはなかった。
結果として、『そらさき屋』が創業以来抱え続けていた天文学的な累積赤字は余裕で全額回収され、店は空前の大黒字へと転換したのである。
ホクホク顔で売上金口座の数字を眺めるチナツと店長。
しかし、オーナーである空崎ヒナの顔だけは、不機嫌そうに深く、深く重く沈み込んでいた。
「……なぜ」
「えっ? 委員長、何か不満でも……? 売上は去年の3000倍ですよ?」
ヒナは売上伝票を握り潰し、血走った目で店長とチナツを睨みつけた。
「なぜ……なぜ、誰も私の『真実の牛丼』を頼まないのよぉぉぉぉぉっ!!!!」
周りではチナツと店長が「ははーっ! オーナーのアイスの才能が凄すぎるせいです!」とおべっかを使いまくっているが、ヒナの胸中には、牛丼という至高の肉料理がチョコレートアイスに敗北したという、激しい屈辱と敗北感が深く刻み込まれていたのだった。
なんやかんや言いつつも、札束を前にしたヒナちゃんはチョコレートアイスの販売続行を許可したのでした。