昔からゲヘナ自治区の犯罪率は、3桁越えが当たり前。平均犯罪率は200%や300%と、紛争地帯もビックリの混沌の地であった。
しかし空崎ヒナの入学を機に、その暗黒時代は大きく崩れる。
なんと、入学してから現在に至るまでの犯罪率は僅か『4%』。それも他自治区から流れてきたヒナの恐ろしさを知らない極小数の愚か者によるものに過ぎない。
ゲヘナの不良とならず者たちは骨の髄まで理解していた。ヒナに逆らうことが『どういう末路』を迎えるのか…。
いくら悪党だからといって、自殺趣味の者などこの世にいない。命あっての悪行なのだ。
故に彼ら彼女らは魔王のいるゲヘナから離れて他自治区でやりたい放題暴れ回っているのだが、それはまた別のお話。
そんな悪党どものディストピアにて、新たなる『悪』が密かに胎動していた。
ゲヘナ自治区の最深部、打ち捨てられた広大な地下空間。
そこには、尋常ではない人数の影が集結していた。
何より異様なのは、その場にいる全員が医療服の上から、顔全体を覆い隠す黒いカピロテのような不気味な尖がり帽子頭巾を深く被っていたことだ。
「……『同志HS』。他ならぬあなたの頼みだからこの秘密召集に応じたのです。我々も暇ではない、要件はなんですか?」
背中に純白の翼を生やし、エプロンドレスを身に纏った『同志AM』が腕を組んで前に進み出る。
救護騎……巨大組織の頭領である彼女の威圧感は凄まじい。
「……あなたたちも知っておいででしょう? ゲヘナのみならず、他自治区を越えてあの『悪魔』が暴れているのを」
カピロテの布地を内側から突き破った悪魔の角をキラリと光らせながら、同志HSが冷徹に告げた。
「ッ…!? ティーパーティーのナギサ様を卑劣な洗脳で
その言葉に、ピンクのナース服を着た同志SSが小さく身震いをする。
「ひえぇっ…!! 恐ろしや! あの害虫は何故まだ死なないのですか!? 普通の人間ならとうに胃が破裂して残りの人生点滴生活のはずですよぉ…!?」
カピロテの裾から紫色のツインテールを覗かせた同志AHが、ガタガタと膝を震わせながら叫んだ。
そして同志AM率いるカピロテ頭巾の構成員たちにも、瞬く間に動揺が伝染していく。
「そうですわ! あの暴食の怪物のせいで、自治区の救護班の包帯の在庫が底を突きかけています!」
「私の担当病棟にも、油を過剰摂取してうわ言で『真実の牛丼』と呟く重症患者が運び込まれました!」
「これ以上、あの魔王の気まぐれで患者が増えたら、私たちの睡眠時間がゼロになってしまいますわ!」
ざわめきと怒号が地下空間に反響する。
バァン!!
乾いた破裂音が響き渡った。同志HSが机を叩いたのだ。
「話を戻しましょう……今日お呼びしたのは、これについてです」
同志HSがリモコンのスイッチを押すと、背後の巨大モニターにある映像が映し出された。
そこには、真っ赤な『空崎風麻辣炒飯』と、ミニカップに入った『ヒナちゃんアイス』。
ゲヘナの生徒が麻辣炒飯を口にして激痛に悶絶した後、狂った瞳でアイスを貪ると、白目を剥きながら天国へと『整う』様子が生々しく記録されていた。
会場が息を呑み、戦慄する。
「あの悪魔はあろうことか、チナ……可愛い後輩を拉致洗脳した末に、このようなおぞましい代物を作らせたのです。あの悪魔だけが勝手に早死にするならそれでいい。だが周りへの影響が極めて深刻なものとなっている…!!」
同志HS率いる救急医療の構成員たちは、怒りのあまり手に持ったガラス製注射器をパキィンと握り割った。
同志AMが瞳に鋭い光を宿し、大地を踏み鳴らす。
「トリニティの生徒たちにもヒートショックと中毒症状が広まっている。これは明確なテロ行為…! これ以上、寿命の前借りを見過ごす愚か者はここにいませんねっ……!!」
「うおおおおおおおおおおおおっ!!!!! 異議無ああああああああしぃぃぃ!!!!!!!」
組織長の咆哮に、同志SSと同志AH、そして数百名の構成員たちが一斉に吠えた。
そして同志HSは群衆の前に降り立った。
「よろしい……我らこそが真の正義となりましょう…。これより、
「イーーーーーーーーーー!!!!!!!」
その場にいる全員が、某悪の組織戦闘員のような狂った咆哮を天に向かってあげた。
今、ここに新たなる悪が芽吹いたのだ。
ある日の午後。
『そらさき屋アイス本舗』から出てきたゲヘナ学園の1年生が、フラフラとした足取りで路地を歩いていた。
激辛と極冷の暴力に晒された彼女の顔には、完全に理性が吹き飛んだ恍惚の笑みが浮かんでいる。
「あは……あはは……整ったぁ……世界がキラキラしてる……」
「イーーーーーーーーーー!!!!!!!」
突如として、路地裏にけたたましい奇声が鳴り響いた。
「ひゃっ!?」
ビクッと肩を跳ね上げた1年生が振り返ると、ナース服に不気味な黒い三角頭巾を被った変質者2人が、猛烈なダッシュでこちらに向かって突進してきていた。
「いやあぁ!! な、なに変態!?」
トランス状態ながらも身の危険を察知し、悲鳴をあげて逃げようとする1年生。
しかし変質者……KMU構成員たちの素早いフットワークは、あっさりと1年生の退路を塞ぎ、包囲を完了した。
パッ、サッ!
熟練の連携により、2人のKMU構成員が1年生の手首と足首を掴み上げ、まるで人間担架のように軽々と持ち上げる。
「ちょっとおぉっ!? 何してんのよ、アンタたち!! 風紀委員会呼ぶわよ!!」
ギャーギャーと喚き散らす1年生の声を完全に無視し、KMU構成員たちは冷房のよく効いた近くの雑居ビルの一室へと連れ込んだ。
中に入ると、KMU構成員1号こと『同志SS』がポケットから3cm角の謎の金属キューブを取り出し、地面へと放り投げた。
カシャッ、ガシャン!!
瞬く間にキューブが超高速で展開・拡張され、折りたたみ式の医療用ベッドがドスンとその場に出現した。
そしてKMU構成員2号こと『同志AH』が、手慣れた手つきで1年生をベッドに乗せ、横向きに寝かせる。
「回復体イーーーーーー!!!!」
叫びながら、気道を確保し横向きに寝かせる完璧な回復体位。
さらに同志SSが、ボトルを取り出して1年生の口元へと押し当てた。
「経口補すイーーーーー!!!!」
ゴクゴクと無理やり流し込まれる電解質と水分。
続けざまに、同志AHが凍りついた氷嚢を1年生の側頭部に敷き、同志SSが極太の注射器を構えた。
「KMU特製栄養ざイーーーーーー!!!!!注入!!!」
ブスリと腕に刺さるビタミンと糖分の混合点滴。
「うぉんぎゃあああああああああああああああ!!!!!!!!」
乙女が発するべきではない獣の雄叫びが部屋中にこだました。
が、
3分もしないうちに1年生の瞳から濁った光がスーッと消え去り、先ほどまでの異常なトランス状態が嘘のように落ち着いて、完全な正気を取り戻した。
「……え? あ、あれ……? 私、なんでこんなところで寝かされて……あ、あの……ありがとう?」
呆然とする1年生に対し、同志SSと同志AHはビシッと胸の前で敬礼を交わした。
「健康が、イーーーーーーーーーー!!!!!!!」
奇声を残し、2人の三角頭巾は窓から風のように素早く飛び去っていったのだった。
数日後。ゲヘナ学園本部の長い廊下を、天雨アコと銀鏡イオリが歩いていた。
「最近、『KMU』なる不審者集団がそらさき屋帰りの客を襲撃しているようですね」
アコが手元のパトロール日誌をめくりながら眉をひそめる。
イオリは面倒くさそうに後頭部で手を組みながら、ため息交じりに返した。
「えー、でもアコちゃん。あいつら、別に放っておいてもよくない? 襲ったって言っても、ヒートショックでフラフラになってる子たちを無理やり介抱して治療しただけでしょ? むしろ風紀委員会の手間が省けるし、もっとやればいいっていうかさ」
「言葉を慎みなさい、イオリ。そりゃあ生徒たちの健康が大事なのは言うまでもありませんが、問題はそらさき屋の客が襲われたことそのものですよ」
「客が?」
「正気に戻された彼女たちは、二度と中毒症状に陥るリピーターになることなく、全員が規則正しい健康第一の生活を送るようになってしまったのです。……それにより、そらさき屋の売上が激減。つまり……」
ドゴォン!!!!!
廊下の曲がり角の先から、床が抜けんばかりの凄まじい轟音が響き渡った。
「ひっ!?」
アコとイオリが慌てて飛び退き、角の向こうを凝視する。
そこに転がっていたのは、分厚い強化ガラスで作られた、巨大な『400L特注ガラス瓶』。
瓶の中身は、通常のシロップを100倍に煮詰めた真っ黒な原液に、工業用高圧炭酸ガスを直接限界まで注入した、狂気の『ヒナちゃんコーラ(等身大サイズ)』であった。
そしてその瓶をゆっくりと拾い上げたのは――空崎ヒナであった。
その顔は、手にしたコーラと同じ『ドス黒い怒り』の闇に包まれていた。
「…………」
ヒナは何も言わなかった。
ただ無言のまま、400Lの巨大瓶の王冠を親指でパキンと弾き飛ばすと、瓶の口をそのまま大口で咥え、ゴクゴク、ゴクゴクと凄まじい勢いでラッパ飲みし始めた。
喉を通るたびにバチバチと火花のような炭酸の破裂音が鳴り響く。
ヒナは空になった瓶を片手に抱えたまま、青ざめるアコとイオリの横を無言ですれ違い、影の中へと消え去っていった。
「……あ、アコちゃん……」
「ええ……分かっています、イオリ……」
2人は確信していた。
『マジギレ』だ。
ただでさえ気が短いあの怪物が、己が最も愛する『食の聖域』を土足で踏み荒らされたのだ。
野菜を食わされることと並び立つ『絶対の禁忌』を犯した愚か者たちが、今もなお、のうのうと、この世の空気を吸っている。
「(……せめて、死人が出ないことを祈るしかありませんわね……)」
アコは天を仰ぎ、静かに十字を切るしかなかった。
翌日。
ゲヘナとトリニティの境界にある巨大総合病院の一室。
昨夜、『何者』かによって襲撃を受けたKMUの構成員及び幹部たちは、揃いも揃って重傷を負い、病室のベッドへと叩き込まれていた。
「ふむ……ゲリラ医療では早々に目をつけられますね。次はもっと大規模な医療制裁の方法を模索しますか」
全身を隙間なく包帯で巻かれた同志AMこと蒼森ミネが、頭の上に巨大な3段たんこぶを生やしながら、平然と呟いた。
「ひいぃん…! 団長ぉ…! まだ頭もお尻も痛みますぅ……!!」
首から下が包帯でぐるぐる巻きにされ、もはや動くこともままならない同志AHこと朝顔ハナエが、頭の上に建設された巨大なたんこぶを涙で濡らしながらメソメソと泣いている。
「ハナエさん、痛いのはみんな同じなんですよ? 今は体力の回復を待ちながら次の作戦タイムです」
まるでミノムシのように足先まで包帯で固められた同志SSこと鷲見セリナが、頭から立派な2段たんこぶを生やしながら、冷静にハナエを宥めていた。
そして、部屋の中央のベッド。
顔以外の全身が古代エジプトのミイラのように分厚く何重にも包帯で巻かれたKMUリーダー、同志HSこと氷室セナが、天井を突き破らんばかりに聳え立つ巨大な3段たんこぶを怒りで真っ赤に染め上げ、血を吐くような勢いで復讐を誓った。
「おのれ、空崎ヒナァァ……!! 今度こそチナツを取り返して、貴様のその狂った消化器官ごと闇に葬り去ってやりますからねぇぇ……!!」
負けるな、空崎ヒナ!
活動休止に追い込まれた悪の組織KMUは、水面下で次なる邪悪なる計画を目論んでいるぞ!
ゆけ、空崎ヒナ!
暴食の正義を、悪の医療従事軍団に叩き込んでやれ!!
こうしてKMUとの長い闘争が始まったのであった。