ゲヘナ学園の最高意思決定機関でありながら、文字通りの混沌と不毛な悪企みが渦巻くこの豪奢な部屋で、議長たる羽沼マコトは、執務机の上に広げられた1枚の書類と凄まじい形相でにらめっこを繰り広げていた。
「どうしたの、マコトちゃん? 眉間にシワ寄せちゃって」
妖艶な笑みを浮かべながら尋ねたのは、同じく3年生で議員の京極サツキである。
「どうもこうもない……! なぜだ……なぜなのだ……!!」
マコトは全身をワナワナと激しく震わせ、拳をギリギリと握りしめた。
「なぜ空崎ヒナのゲテモノが評価されるのだあああああああああああ!!!!!!!」
バンッ!!
叩きつけられた報告書。そこには、連日キヴォトス全域で猛威を振るっている『そらさき屋アイス本舗』の『ヒナちゃんアイス』、および『空崎風麻辣炒飯』の天文学的な売上グラフが記録されていた。
「あぁー、この変な抱き合わせセットね。激辛炒飯で舌を焼いた直後にアイスを胃袋に突っ込んで、サウナ感覚で整ってるんじゃない? 知らないけど」
サツキはヒョイと床に落ちた書類を拾い上げ、フゥと息を吐いた。
「世の中狂ってる!! なぜ世の馬鹿どもはわざわざ己の寿命を削りに行くのだ!! 流行っているのか!? 巷では早死にデスレースが空前の大ブームなのか!?」
「だから知らないってば」
青筋を立てて発狂するマコトを余所に、サツキは冷淡に切り捨てる。
「最近、KMUとかいう変態集団が向こうのお客さんを片っ端から拉致して治療したおかげで、売上も少しは落ちてきてるみたいじゃない。まあ、先日全員病院送りにされたみたいだけど、流れは崩れていくでしょうから問題ないんじゃない?」
「違う……!! そんなことなどどうでもいいのだ!! 問題は……問題なのはそこではない!!!」
マコトは机から身を乗り出し、執務室のシャンデリアが割れんばかりの大音声で吼えた。
「『マコト様アイス』がなぜ評価されなかったかだあああああああああ!!!!!!」
サツキは、その単語を聞いた瞬間に深々と眉を顰めた。
「本当なら濃縮100%の青汁スムージーでいきたかったが、愚民どもの舌に合わせてフルーツ100%使用の特製ジェラートにしてやったというのに、このザマだ……!! やはり肉を喰らい脂に塗れる野蛮人どもには、我が崇高なる『ヴィーガニズム』の美学が理解できんのか!?」
また始まった。サツキは頭痛を堪えるようにこめかみを押さえた。
そう、羽沼マコトは生粋のヴィーガンであった。生まれてこの方、肉や魚といった動物性食品を一切口にすることなく、大地の恵みたる植物性食品のみを愛し、摂取し続ける筋金入りの菜食主義者。
通常であれば、成長期の人間が極端な偏食を貫けば栄養失調に陥り、衰弱するという恐ろしい結末を迎えるはずである。
しかし、この羽沼マコトという女は、毎年の健康診断で全項目オールAを叩き出し、生まれてから一度も風邪すらひいたことのない超絶健康体であった。
この奇跡を『ヴィーガン生活による絶対的な恩恵』と本気で信じ込んでいるマコトは、事あるごとにヴィーガニズムの素晴らしさを周囲に熱弁したがるのだ。
ヴィーガニズムを他者へ強要するという最後の一線こそ踏み越えていないものの、そのウザさは学園内でもトップクラスであり、サツキからも日常的に呆れ果てられていた。
「あのねぇ、マコトちゃん。商品のアイディア自体は悪くないわよ? だけど、カップ1個で1000クレジットというボッタクリに近い価格設定に、1杯作るのに30分かかる手動搾り機の製造工程、挙げ句の果てには高級メロンとマンゴーを惜しげもなく使いすぎて原価率が200%超え……素人でも分かる文句なしのスリーアウトよ。よりによって『イブキが遠足』で不在の時に強行採決するから、失敗して当然じゃない」
「うぐっ……! そ、それはだな……! あのにっくき空崎ヒナが好き放題にゲヘナの胃袋を牛耳っている中で、万魔殿の主たる私が黙って指を咥えて見ているわけにはいかんだろうが……!」
痛いところを突かれてしどろもどろになるマコト。相変わらずの爪の甘さに、サツキは盛大に溜息を漏らすと、部屋の隅へと視線を向けた。
「ねぇ、イブキ! 万魔殿の『経営顧問』として、マコトちゃんのヴィーガン食を使った新商品は何がいいと思う?」
サツキが声をかけた先。そこには、「ぶーん! ぶーん! イロハせんぱいごう、はっしゃー!」と無邪気な声を上げながら台車を押して遊ぶ1年生の丹花イブキと、その台車の上に大の字で横たわり、死体のようにピクリとも動かない2年生の棗イロハの姿があった。
「んー? ん〜とねぇ……次は、ナゲットが当たると思うなぁ!」
「ナゲット? それはどうしてかしら、イブキ?」
サツキが優しく微笑んで促すと、イブキはイロハを乗せた台車を巧みにターンさせながら、プレゼンを開始した。
「えっとね! イブキ調べによると、いまゲヘナの女子生徒の間では、カロリーは抑えたいけどお肉みたいな満足感が欲しいっていう需要がすっごく高まってるの! だから、お肉の代わりに『大豆ミート』を使ったナゲットを作れば、ヘルシー志向なみんなのハートをガッチリ掴めると思うんだ!」
「ほうほう、大豆ミートね」
「うん! 原材料の大豆タンパクは山海経の玄武商会から規格外品を一括で安く買い付けるルートを使えば、仕入れコストを通常の4分の1に抑えられるよ! それに、成形と油揚げの工程は給食部の使ってない旧式オートフライヤーを借りて自動化すれば、製造時間を1個あたり3秒に短縮できるの! 販売価格は五個入りで250クレジット! これなら原価率は30%を切るから、絶対に大儲けできるよ!」
「流石イブキ! よっ、我が万魔殿の頭脳! 天才!!」
マコトが両手を上げて大絶賛する。台車の上で目を閉じたままのイロハの横で、イブキは「えへへぇ〜」と誇らしげに小さな胸を張った。
「そうと決まれば、早速商品開発だ!! チアキ、広報用の宣材写真は頼んだぞ!!」
話を振られた2年生の元宮チアキが、首から下げた一眼レフカメラを構えてニヤリと笑った。
「お任せあれ! それでは抱き合わせ用の初回限定特典として、まずはサツキ先輩の扇情的な袋とじヌード写真の撮影からーーー」
「却下よ馬鹿!! 誰が脱ぐか!!」
バチィィンッ!!
サツキの容赦のない強烈な張り手がチアキの頬に炸裂し、執務室に乾いた炸裂音が響き渡った。
数日後。
万魔殿が満を持して発表した新商品『マコト様ナゲット』は、ゲヘナ学園を皮切りに爆発的な大流行を巻き起こした。
体型やカロリーを気にするお年頃、だけど部活や銃撃戦の後にはガッツリとお腹を満たしたい。
しかもKMUによる『そらさき屋』帰りの客へのゲリラ襲撃事件の余波が残り、ジャンクフードへの警戒感が高まっていた絶妙なタイミング。
小腹を満たすのに丁度いい一口サイズ、5個入りで250クレジットというワンコイン感覚の安さ。
そして何より、ナゲットの表面には可愛らしくデフォルメされたマコトのドヤ顔が焼印で刻まれており、「なんかウザ可愛い」「食べる時にマコトの顔を噛み砕く背徳感がたまらない」と生徒たちの間で大評判となったのだ。
キヴォトス全域へブームが飛び火するのに、時間はかからなかった。
各地に続々と専門店がオープンするも、どの店舗の前にも長蛇の列ができ、瞬く間に幻の入手困難商品と化した。
だが、この商品の真の強みである『手軽さ』を損なわせないため、万魔殿はキヴォトス全土に展開する大手コンビニエンスストアチェーン『エンジェル24』などと電撃提携。
レジ横のホットスナックコーナーで誰でも気軽に『マコト様ナゲット』を購入できる流通網を完成させたのだ。
結果として、万魔殿の金庫へ転がり込む利益は鰻登り。マコトは毎日、執務室で高笑いを上げ続けていた。
――そして、そんな状況が面白くない人間がいた。
風紀委員会本部、執務室。
カリカリ、と書類をめくる音が響く中、銀鏡イオリがデスクで紙袋から何かをつまみ食いしながら作業をしていた。
そこへ、淹れたてのコーヒーを持った天雨アコが通りかかる。
「あら、イオリ。それは巷で噂のナゲットですか?」
「そうなんだよアコちゃん! 近くのエンジェル24でラスイチだったのを買ってきたんだけどさ、これマジで美味しくてついつい手が止まらないんだよねー」
「大豆ミートを使っているから、どれだけ食べてもローカロリーというのが素晴らしいですよね。おまけに5個で250クレジットと、風紀委員の懐にも優しいですし」
「だよねぇ!
大笑いしていたイオリの視界が、突如として真っ暗に染まった。
目の前にあったのは、白髪の死神の顔。
鼻先と鼻先が触れ合うほどの超至近距離。即死距離である。
「ひっ……!? い、委員長……!?」
「い、委員長! こ、これはその、敵情視察の一環としてイオリが試食をしていただけでして……!」
アコが青ざめて弁明しようとするが、ヒナの氷のような冷徹なひと睨みによって、喉の奥で言葉が完全に凍結した。
「
「……殺すしかないわね」
ヒナの瞳の奥で、メラメラと暗黒の業火が燃え盛る。
空崎ヒナにとって、羽沼マコトという存在は、もはや単なる政敵を超えて『この世から抹消すべき生物』であった。
馬鹿だの、偉そうだの、態度がウザいからだの、そんな些細な理由は問題ではない。
マコトが、『ヴィーガン』だからだ。
ヒナにとって、ヴィーガニズムという思想は到底理解できるものではなく、同じ惑星の生物とすら思えなかった。
水分と繊維質しかない下等な植物を喜んで貪るどころか、肉や脂を一切拒絶して草しか口にしないという狂気の偏食ぶり。
嫌いとか、苦手とか、そんな生温い感情ではない。気持ち悪い、気味が悪い、不気味。
台所の隅で黒光りするGを目撃した人間が抱くような、背筋が凍りつくほどの絶対的な生理的嫌悪。
近づきたくもない、視界に入れたくもない、同じ空気を吸うことすら吐き気がする。
それなのに、あの気色の悪い怪物が、大豆で作った偽物の肉という名の『エセ食品』を、自分の縄張りであるゲヘナで堂々と売り捌いているのだ。
ヒナにとっては、近所で勝手に粗悪な麻薬を売り捌かれているのと同等の屈辱であった。
「愚民ども、見てなさい……『本物のナゲット』というやつを、私の手で教えてあげるわ」
正義を行使すべく、ヒナは軍服の裾を翻し、怒りの足音を響かせて『そらさき屋』へと直行した。
そして数日後。
『そらさき屋』の新商品として、ヒナが自らプロデュースした渾身の逸品――『ヒナヒナゲット』の販売が開始された。
――が。
結果は、見事なまでの大ゴケであった。
それもそのはず、ヒナが作ったナゲットは、常人の理解を遥かに超越していた。
1つ1つのサイズが巨大なフリスビーほどもあり、その1個の中に『丸ごと1羽分の鶏肉』を骨ごと強引にミンチにして圧縮。
つなぎには小麦粉や卵を一切使わず、限界まで煮詰めた純度100%の
挙げ句の果てに、客に提供される際は、家庭用のタライほどもある巨大な箱の中に満杯に敷き詰められた『塩の砂漠』の中に、揚げたてのナゲットフリスビー10個が完全に埋没した状態で発掘しながら食すという狂気のスタイル。
価格は10個入りで250クレジットという、原価率1万%超えの破滅的プライス。
先の『ヒナちゃんアイス』と『空崎風麻辣炒飯』の成功によって完全に調子に乗っていたヒナは、己のプロデュースセンスを過信し、ブレーキ役であるチナツを一切噛ませずに単独で暴走。
当然、太鼓持ちの店長は「流石オーナー! 鶏の命を丸ごと喰らう新時代の質量兵器です!」とゴマを擦るだけで何の役にも立たず、この惨劇は誰にも止められないまま店頭へと並んでしまったのだ。
結果として、『真実の牛丼』と同様に一般客からは完全に無視され、客たちはナゲットには目もくれず、相変わらず『ヒナちゃんアイス』と『空崎風麻辣炒飯』だけを注文して帰っていくのであった。
後日。
バガアァァァン!!!!!!
万魔殿の重厚なエントランス扉が、凄まじい衝撃波と共に木っ端微塵に蹴破られた。
粉々になった木片を踏み荒らしながら、ドカドカと殺気全開で踏み込んできたのは空崎ヒナ。
その後ろでペコペコと平謝りするアコ、見て見ぬフリをして口笛を吹くイオリ、そして眼鏡のブリッジをクイッと押し上げて手帳に記録をつけるチナツ。
「マコト……辞世の句は、詠み終えたかしら?」
バギギッ……!!
ヒナは両手の指を組み合わせ、万力のような力で拳の骨を鳴らした。愛銃『デストロイヤー』すら抜かない。かの阿呆を粉砕するのは、素手で十分だ。
「すみません、皆様……! うちの委員長が多大なご迷惑を……! 扉の修理費用は風紀委員会の予備費から全額弁償いたしますので……! あ、これ、つまらないものですが日頃の感謝の品です……!」
「いえいえ、これはご丁寧に……。うちの議長も毎日やらかしてばかりですから、お互い苦労が絶えませんわね……」
高級和菓子の包みを差し出して深々と頭を下げるアコと、それを受け取りながらお辞儀を返すサツキ。
2人の間で苦労人お辞儀合戦が繰り広げられている横では、相変わらず台車の上で死体のように横たわっているイロハと、美味しそうにプリンをスプーンで掬っているイブキがいた。
「イロハ先輩! はい、あーん!」
イブキは手元の『マコト様ナゲット』を1個つまむと、台車の上で口を半開きにしているイロハの口内へと強引に突っ込んだ。
………………………………モム………………………………………モム……………………………………モム…………………………モム……………………………
目を凝らして観察しなければ動いていることすら分からない、超スローモーションの咀嚼。
口から半分飛び出たナゲットが、ミクロン単位で微弱に上下しているだけで、もはや時が止まった静止画と見紛うばかりの光景であった。
「……なぁ、イロハ。前々から言おうと思ってたんだけどさ、お前、11歳の女の子に介護してもらってて恥ずかしくないわけ?」
イオリがゴミを見るような冷たい目で、台車上のイロハを見下ろす。
「……………………………んあー……………………………それは……………………………………」
この2単語が紡ぎ出されるまでに、実に3分間を要した。
そこへ、奥の柱の陰からチアキがピョコッと顔を出す。
「アハハ! 無駄ですよイオリさん! イロハは身も心もナマケモノですから、『恥』という高等な概念が存在するわけないじゃないですか! それよりイオリさん、今度発行する『週刊万魔殿』の巻頭グラビアなんですけど、その引き締まった褐色の御足をですねーーー」
「死ね、エロ野郎!!」
イオリのスナイパーライフルの銃床が、チアキの脳天へと容赦なく叩き込まれた。
周囲で茶番コントが繰り広げられる中、部屋の中央では、風花委員長であるヒナと、万魔殿議長のマコトが至近距離で対峙していた。
「な、なななななな何用だ……! そそそ空崎ヒナ……!!」
マコトは足どころか全身の毛穴から冷や汗を吹き出し、ガタガタと生まれたての子鹿のように震えていた。
『ビビりのマコト』+ 『マジギレのヒナ』=『冬眠から目覚めたばかりの凶暴なヒグマの前に素手で立たされている』
上記の公式が綺麗に成立しているのである
「死ね、ゴ○ブリ」
感情の一切籠もっていない冷酷な宣告と共に、ヒナの鋼鉄の右ストレートが、マコトの顔面目掛けて一直線に振り下ろされた!
「えぇい! こ、この野蛮人が!! イロハ!! 『出番』だああああああっ!!」
マコトは叫ぶと同時に、腰から伸ばしていた太い金属チェーンを力任せに引っ張った!
グォンッ!!
チェーンの先――髪の毛の根本と頑丈に結束されていたイロハの身体が、台車からふわりと宙を舞い、マコトの前方へと超高速で射出された!
「んあー」
間の抜けた気の抜ける声を上げながら、イロハは空中で姿勢を変えることもなく、ヒナの必殺の拳の軌道上へと綺麗に滑り込んだ。
――ガギイイィィィンッ!!!!!!
室内に、戦艦の装甲板に徹甲弾が直撃したかのような凄まじい金属衝突音が響き渡り、火花が激しく飛び散った!
「くっ……!?」
あまりの反動と衝撃波に、殴った側のヒナの身体が数m後方へと弾き飛ばされた。
ヒナは着地すると、痺れた右腕をコキコキと振って眉をひそめた。
「チッ……相変わらず、理不尽な化け物ね」
一方、顔面からシュウウウウと白い摩擦煙を上げているイロハ。
「んおー」
傷一つない顔のまま、チェーンに吊るされてブラブラと振り子のように揺れ、再び夢現の表情へと戻っていく。
棗イロハ。
彼女はゲヘナ学園……いや、キヴォトス全土を探しても片手で数えるほどしか存在しない『空崎ヒナの全力攻撃を正面から無傷で防ぎきる超生命体』であった。
その全身の細胞密度と硬度は、地球上に存在するあらゆるダイヤモンドや超合金を掛け合わせても遥か足元に及ばない神の硬度を誇り、有史以来、彼女の肌に擦り傷一つつけた者は誰一人として存在しなかった。
だが、その宇宙最強の防御力と引き換えなのか、彼女自身は想像を絶する極限の『ナマケモノ』であった。
仕事をするのがめんどくさい。歩くのがめんどくさい。喋るのがめんどくさい。トイレに行くのがめんどくさい。ご飯を噛むのがめんどくさい。とにかく、生命活動のすべてを拒絶する究極の役立たずなのである。
飲食や排泄を一切行わないまま2日や3日放置されていることなど日常茶飯事であり、酷い時には夏休み期間中の誰もいない校舎のソファーで、丸1ヶ月間1歩も動かず完全絶食していたイロハを発見したサツキが、涙目で「救急車、警察、葬儀社のどこに一番最初に電話すべきか」と大パニックに陥ったほどであった。
しかし、そんな極限状態を経てもなお、彼女もヒナやマコト同様に風邪一つひかない完全な健康体なのである。
そして少食の極みでもある彼女は、先ほどイブキから無理やり口にねじ込まれた『マコト様ナゲット』1個を消化・吸収するだけで、なんと1週間分の活動エネルギーを賄うことができるという、生物の代謝法則を完全に嘲笑うエネルギー効率を持っていた。
そんな無敵のニートである彼女は、万魔殿において唯一『対空崎ヒナ用の護身武器』として重宝されていたのである。
【戦闘において人権のない女、棗イロハ】
「キキキキキッ!! 死ねぇぇ空崎ヒナァァ!! 我が万魔殿の最終兵器、『イロハンマー』の錆となれええええええええええ!!!!!!!」
マコトは勝ち誇った狂気の高笑いを上げながら、チェーンを両手で掴み、イロハの身体を頭上でグルングルンと凄まじい風切り音を立てて振り回し始めた!
ブオンブオンブオンブオンブオンッ!!!!!!
「んおーーーーー」
遠心力で目が回ることもなく、相変わらず気の抜けた声を垂れ流しながら回転するイロハ。
そしてマコトは、ヒナの脳天目掛けて、人間ハンマーを渾身の力で叩き落とした!
ドガアァァァンッ!!!!!!
大理石の床が一瞬にして粉々に砕け散り、巨大なクレーターが穿たれる。
しかし、ヒナは紙一重の神速ステップでその直撃を回避していた。
「チッ……!」
舌打ちし、瓦礫の山の上に着地するヒナ。いくら規格外の肉体を持つヒナであっても、あの絶対硬度を誇るイロハンマーの一撃を喰らえばタダでは済まない。
「キキキキキッ!! どうした空崎ヒナァ! 年貢の納め時かぁ!? 我が至高の大豆ミートナゲットの前に平伏し、貴様のその脂ぎった胃袋ごと改心するがいい!!」
マコトは完全に勝利を確信し、調子に乗って鼻の穴を広げていた。
邪智暴虐なる脂と塩分の権化を叩き潰し、ゲヘナ学園を清らかなヴィーガニズム溢れる緑の楽園へと造り変えるのだ!
――まさに、その時であった。
ピピピピピピピピピピピピピピピピッ!!!!!!
「……あ?」
緊迫した戦場に、場違いな電子アラーム音がけたたましく鳴り響いた。
「あっ! 温泉開発部の人たちのレンタルの時間だ! 行くよ、イロハ先輩!」
イブキが腕時計のアラームを止めると、ガラガラと予備の台車を押して駆け寄ってきた。
そして、地面に突き刺さっていたイロハの身体を「よいしょっ」と軽々と持ち上げ、台車の上へと積み直した。
そう、これこそが万魔殿の誇る裏の主力財源――『棗イロハ・レンタルサービス』。
どんな銃撃や爆破にも耐えうる最強の物理盾・掘削機・護身武器として、学園内外問わずあらゆる組織から引っ張りだこの大人気サービスであり、その予約枠は現在10年先までびっしりと埋まっていたのだ。
【人間と備品の境界線が存在しない女、棗イロハ】
「んあー」
間の抜けた呟きを残し、イブキが押す台車に揺られながら、イロハはガラガラと優雅に執務室から退場していった。
静寂が戻った執務室の中央。
手ぶらとなり、空っぽの両手を前に突き出したまま、完全に硬直している羽沼マコト。
そしてその目の前には、パキパキと拳の関節を鳴らしながら、静かに、そして禍々しいオーラを纏って歩み寄ってくる空崎ヒナの姿があった。
「…………」
「…………」
「………は、話し合おうじゃないか、空崎くん。民主主義の精神に基づいてだな……」
「却下」
ドガァァァァァァァァァァンッ!!!!!!
ヒナの怒りの鉄拳が、マコトの顔面にクリーンヒットした。
凄まじい衝撃波と共に執務室の天井が丸ごと吹き飛び、羽沼マコトの身体は音速を突破して大気圏へと打ち上げられ、真昼の青空にキラリと眩しく輝く『通算600回目』の空の星となったのであった。
棗イロハ・レンタルサービス
1時間1万クレジット
発案者:丹花イブキ