サンサンと照りつける真夏の太陽!
サワサワと涼やかに揺れる木々の木漏れ日!
サラサラと清らかに流れる納涼な渓流のせせらぎ!
そして――ジュージューと炭火の網の上で激しく爆ぜる、極厚の串刺し肉の塊!
絶好のBBQ日和である!!
しかし、百鬼夜行連合学院の奥深い山中、人里離れた風光明媚な河岸に漂っている空気は、およそアウトドアのそれとはかけ離れた『地獄』そのものであった。
「…………」
連邦生徒会首席行政官であり3年生の七神リンは、冷え切った絶対零度の視線で、目の前の光景をただじっと見据えていた。
そこには、爽やかな笑顔を浮かべてトングをリズミカルに鳴らしながら肉を焼き続ける、シャーレの先生。
その隣で、自らの存在を消し去るかのように両膝を抱え、土下座一歩手前の体勢で俯きながら目を逸らし続けるゲヘナ学園風紀委員会行政官、天雨アコ。
そして――。
両手の指と指の間に、それぞれ8本ずつ、合計16本の巨大な肉串を扇状に挟み持ち、ウ○ヴァリンならぬ『ヒナヴァリン』と化しているゲヘナ学園風紀委員長空崎ヒナ。
彼女はもはやお家芸である音速の咀嚼で肉を次々と胃袋へ消滅させていた。
バクッ! ガブリ! モグ、ゴクン!
バクッ! ガブリ! モグ、ゴクン!
「……ん。やっぱり炭火の直火焼きは、脂の甘みが引き立って最高ね」
ヒナは周囲の重苦しい空気など1mmも気に留めず、片手分の8本の串を一瞬で丸裸にし、空になった串をポイと足元へ投げ捨てた。
息が詰まるほどの沈黙。
なぜ、キヴォトスの頂点に君臨する行政組織のトップと、無法のゲヘナを束ねる暴力装置のトップが、山奥の河原で肉を囲む羽目になったのか。
時計の針を、2日前の昼下がりへと巻き戻そう。
2日前。ゲヘナ学園風紀委員会本部。
ジリリリリリリリリリリリリッ!!!!
執務室の直通電話が、けたたましい音を立てて鳴り響いた。
書類の山に埋もれていた天雨アコは、受話器のディスプレイに表示された発信元番号を一瞥した瞬間、心底嫌そうに顔を歪めた。
「(……連邦生徒会の専用回線。はぁ……『また』ですか……)」
要件など、聞くまでもなく決まっている。『クレーム』だ。
ここ最近、風紀委員長である空崎ヒナが引き起こした数々の破壊、犯罪、そして問題行動の数々に対する、連邦生徒会からの抗議声明に他ならなかった。
例えば、ヴァルキューレ警察学校の取調室にコンロを持ち込んでフライドホットドッグを揚げ散らかした挙句、30キロの特製カツ丼を出前させて代金とタクシー代を尾刃カンナ公安局長に全額ツケ払いした『公務執行妨害および不当利得事件』。
例えば、ゲヘナ自治区のメインストリートにて、一般生徒に対する『空崎風麻辣炒飯』による急性ヒートショック中毒の集団発生、およびそれを治療しようとした
例えば、トリニティ総合学園の最高幹部である桐藤ナギサを巻き込み、自治区を跨ぐ100kmの極太ナポリタンを強制摂取させ、急性胃拡張で集中治療室送りに追い込んだ『国際外交的過失致傷事件』。
我らが風紀委員長が問題を起こすたびに、連邦生徒会からは真っ赤な警告文書と厳重注意が嵐のように届いていたのだ。
過去には、あまりにも目に余るヒナの暴走に対し、連邦生徒会側が強硬策として『ゲヘナ学園への特別補填予算および食糧配給ルートの全面凍結』という大規模な経済制裁を発動したことがあった。
しかし、その制裁が発表された日の深夜、連邦生徒会の防衛室直下に所属する特殊精鋭部隊が『何者かの襲撃』を受け、拠点ごと物理的に消滅させられて全員が仲良く病院送りとなった。
さらに、密かにクーデターを画策していた防衛室長の不知火カヤも、巻き添えで執務室ごと粉砕され、全治半年の長期入院を余儀なくされる羽目になったのである。
それ以降、連邦生徒会内部において『害獣・空崎ヒナを刺激することは絶対の禁忌』とされ、どれほど凶悪な問題を起こそうとも『形だけの厳重注意』にとどめるという、行政の完全なる敗北が定着していたのだ。
とはいえ、連邦生徒会側も体面がある。
形式上だけでも厳重注意の儀式を執り行い、外面的には『ゲヘナの暴虐に指導を入れた』というポーズを保つため、定期的にヒナをサンクトゥスタワーへ呼び出そうとするのだが――。
「パス、めんどくさい。アコ、代わりに行ってきて」
当のヒナは、あろうことか連邦生徒会からの公式出頭要請を鼻で笑って拒否。
身代わりとして呼び出しに応じたアコが、連邦生徒会の冷え切った会議室の中で、上司の監督責任をネチネチと問い詰められるという、誰も幸せにならない時間を過ごすこと――通算168回。
「(……今回もどうせ、身代わりの出頭要請でしょうね。はぁ…嫌だなぁ……)」
アコは痛む胃を掌で押さえながら、重い手つきで受話器を取り、耳に当てた。
「お電話ありがとうございます。風紀委員会行政官、天雨アコです」
「恐れ入ります。連邦生徒会首席行政官、七神リンです」
「しゅっ…!?」
アコの目玉が漫画のように飛び出した。
連邦生徒会長が失踪して久しい現在、キヴォトス全土の最高権力者として実務を取り仕切る実質トップの人間が、自ら直接電話をかけてきたのだ。
「ご、ご用件は……何でしょうか……」
絶対に碌でもない。せめていつもの形式的な呼び出しであってくれと、アコは心の中で神に祈った。
受話器の向こうから、リンの事務的な声が響く。
「単刀直入に申し上げます。『そらさき屋』における麻辣炒飯による中毒者続出の件、並びに救護騎士団および救急医学部への集団襲撃の件についてです。事態を重く見た連邦生徒会として、空崎ヒナ委員長本人に対する直接の事情聴取を行います。2日後の午前11時、サンクトゥスタワーまで出頭するように」
「(た、助かった……! いつものパターンね!)」
アコは心の中で安堵の息を漏らした。本人が行くわけがない。ならば、いつものように自分が代理で出頭し、適当に頭を下げて書類にサインをしてくれば済む話だ。
「承知いたしました。ですが現在、ヒナ委員長は激務による過労で重度の体調不良に陥っておりまして、ベッドから起き上がることもままならない状態です。つきましては、今回も私が代理として伺い――」
ガシッ!!
「ひゃんっ!?」
突如として、横から伸びてきた小さな手が、アコの手から強引に受話器を掻っ攫った。
アコが愕然として横を向くと、そこには『ダチョウの丸ごと1羽フライドチキン』を骨ごとバリボリと咀嚼し終え、口の周りを黄色い油でギトギトに光らせた空崎ヒナが、2匹目のフライドダチョウを片手に持ったまま受話器を耳に当てていた。
「もしもし? また呼び出し? あなたたちも暇ねぇ」
ヒナはクチャクチャと咀嚼音を響かせながら、無意識的にキヴォトスの最高責任者を煽り倒した。
「……先程、天雨行政官から空崎委員長は体調を崩されているとお聞きしましたが……まぁいいでしょう。2日後の午前11時に、サンクトゥスタワーに――」
「は? なんで私が行かないといけないの?」
「…………は?」
受話器の向こうで、リンの思考が完全に停止した気配が伝わってきた。
静寂が執務室を支配する中、ヒナはダチョウの太もも肉を豪快に引きちぎりながら、冷淡に言い放った。
「前々から思ってたけど、話があるならそっちから来るのが筋でしょ? あぁ、どうせなら肉が食べたいわね。BBQがしたいわ。百鬼夜行の山中の河岸がいいわね。当然、費用はそっち持ちね。明後日の11時現地集合ね」
「ちょっ……!? 何を言って……!!」
「じゃ」
ガチャンッ!!
一切の妥協を許さぬ神速のガチャ切り。
アコは目の前で繰り広げられた暴挙の数々を脳内で処理しきれず、餌を求めて水面まで浮上した鯉のように口をパクパクと開閉させることしかできなかった。
ヒナは何事もなかったかのように2匹目のフライドダチョウを完食し、3匹目に手を伸ばそうとした。
一方、サンクトゥスタワーの最上階執務室。
ツーツー……と虚しく鳴り続ける受話器を耳に当てたまま、七神リンは彫像のように固まっていた。
「う……うぐぅぅぅぅぅ……っ!!」
ポロポロと、大粒の悔し涙がリンの切れ長の瞳から溢れ出た。
彼女は冷徹なアンドロイドではない。血の通った一人の少女なのだ。
世間からどれほど『鉄の女』だの『冷血な首席行政官』と罵られようとも、理不尽に舐め腐った態度を取られれば腹が立つし、悔しくて泣きたくもなる。
「(……絶対に許しません……! あの害獣に、行政の威厳というものを骨の髄まで思い知らせてやります……っ!)」
リンは涙を乱暴に拭うと、震える指先で『唯一の切り札』の電話番号へと発信ボタンを押したのだった。
――そして現在。
百鬼夜行の山奥、清涼な風が吹き抜ける河原。
特設された巨大なBBQコンロを囲んでいたのは、七神リン、連邦生徒会の護衛2名、天雨アコ、空崎ヒナ、そして――。
「あっ、先生お久。最近元気?」
「やぁ、ヒナ。元気元気だよ。今日は私の奢りだからいっぱい食べてね」
「うん、いっぱい食べる。ありがと、先生」
満面の笑みで肉を焼き続けるシャーレの先生と、嬉しそうにパタパタと悪魔の羽を揺らしながら肉を受け取るヒナ。
2人の間に流れる空気だけは、完全に休日の微笑ましいピクニックそのものであった。
しかし、その和やかな円の外側では、必然的に取り残されたリンとアコが、火花を散らすような視線で対峙していた。
「……なぜ空崎委員長を説得しないのですか? まさか本当にBBQを始めるのではないでしょうね?」
リンが眉間を寄せ、ボソボソと小声でアコを問い詰める。
アコは額から滝のような冷汗を流しながら、小声で平謝りした。
「すみませんすみません、後で言い聞かせますので勘弁してください……!!」
そしてBBQが本格的に始まると、ドカリと椅子に腰掛けたヒナの前で、先生はまるでわんこそばの給仕のように、次々と焼き上がった肉を平らげさせていく。
ちなみに食材だが、2日前の電話の後にアコを通じて、ヒナ直々の食材指定がなされていた。
食材は――。
・脂身
以上である。
野菜? 赤身? そんな水分と繊維質の不純物は一切排除。
肉の脂はあればあるほど良い。どうせなら極上の脂身の食べ放題をしたいと考えたヒナは、1個あたり5kgの特大脂身ブロックによる狂気のBBQ大会を始めさせたのである。
そして、ニコニコと脂身を焼き続ける先生。
「はい、焼けたよヒナ〜。いっぱい食べて元気になってね」
「当然よ先生、だからもっと追加で焼きなさい」
相変わらずの尊大な態度。しかし、先生は全く怒らない。
先生は基本的に『褒めて伸ばす』スタイル。注意をする際も、頭ごなしの否定から入るのではなく、まず相手の頑張りを褒めた上で、「こうすればもっと良くなるよ」と自尊心を傷つけないアドバイスを心がけている。
このスタイルこそが、空崎ヒナという狂暴な怪物の逆鱗に巧く触れずに、これまで平穏に生きてこられた秘訣であった。
だがそれ故に、『致命的な欠点』も存在した。
「先生、焼いてばかりでいないで先生も食べたら?」
「そうだね、ありがとうヒナ。それじゃあ遠慮なく」
先生は今しがた焼き上がったばかりの、純度100%の牛脂が滴り落ちる、狂気の5kg脂身串を躊躇なく口に運ぼうとする。
「あっ……!? 先生、いけません!!」
「先生、それは人間が口にしていい油の量では――!!」
リンとアコが同時に気づいて叫び、止めに入ろうとした,
――が、遅かった。
――チーン。
先生は、立ったまま静かに昇天した。
口から魂のような白いモヤを吐き出しながら、バタリと河原の小石の上に倒れ伏す。
「いやああああああああああああああ!!!!!!! 先生えええええええええええぇぇぇぇぇ!!!!!!」
リンが髪を振り乱し、取り乱しながら先生の元へ駆け寄る。
殺人現場を目撃してしまったアコはその場で腰を抜かして動けず、ヒナは「食事中に昼寝なんて行儀悪いわよ」とまったく気にせず、バクバクと5kgの脂身串を食い続けていた。
「先生ええええぇ!!! 先生ええええええええええええ!!!!! 返事してよ先生えええええええええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!!!!」
動かなくなった先生の両肩を掴み、グワングワンと激しく揺さぶり続けるリン。
「やぁ、呼んだかい? リン」
先生は、何事もなかったかのようにムクッと上半身を起こした。
「うわああああああああああああああ!!!!!! 生き返ったああああああああああああああ!!!!!!!!」
リンが飛び退き、本日一番の絶叫を上げる。
ここで何が起きたか説明しよう。
先生は神秘の肉体を持たないただの普通の人間であるが故に、キヴォトスにおいてはちょっとした衝撃や油分の過剰摂取ですぐに死んでしまう。
しかも彼は相手を決して否定せず、何事も笑顔で受け入れる性格のため、危険なことにもホイホイついていってしまい、普通の人間よりも圧倒的に致死率が高い。
そのリスク管理能力は絶滅してしまったドードーよりも低い。
だが彼は、あの世で閻魔大王と妙にウマが合ったことで大親友となり、特別に『
それ故に、死んでもすぐに生き返るという不老不死に近い特異体質となっており、その臨死体験回数は既にギ○ス記録に認定されていた。
「先生、早かったね」
ヒナは串を1本齧りながら、涼しい顔で声をかける。
「うん、閻魔さんのスポーツジムでのすべらない話を聞こうとしたら戻ってきたもんだから、もう少しあっちで聞いていたかったなぁ」
「生き返りの遅延を希望しないでくださいよ先生ええぇ!!!」
リンが涙目で怒鳴りつける。
リンとアコは先生の蘇生劇を間近で目撃するのが今回初めてであったが、ヒナは過去に幾度となく見ていたため、完全に慣れっこであった。
「ほら、肉が冷めるわよ先生。早く食べなさい」
「そうだね、それじゃあ改めていただきます」
パクッ。
チーン。
パクッ。
チーン。
パクッ。
チーン○ーン。
まるでリズムゲームのように輪廻転生を高速で繰り返す先生。
最近では、この『押せば昇天して起き上がるギミック』が、トリニティやゲヘナ、ミレニアムなどの無邪気な1年生生徒たちのおもちゃとして大人気になっているらしい。
その目まぐるしい生き死にの様を見せつけられ、リンは「……さっきまでの私の涙を返してください…!!」と河原の小石を力任せに蹴っ飛ばして八つ当たりをし、アコは現実から目を逸らすように、震える手で胃薬の瓶を取り出してポリポリと貪り食っていた。
やがて、狂気のBBQ大会は夕暮れと共に幕を閉じた。
山積みにされていた数百kgの脂身串のすべてを綺麗に平らげたヒナは、満足そうに川の水で手を洗うと、先生に向かって手を振った。
「先生、今度シャーレに遊びに行くから、お肉たくさん用意しておいてね」
「うん、最高級和牛を揃えてるから、いつでも待ってるよ」
先生も満面の笑みで手を振り返す。
そしてヒナは、魂の抜け殻となった亡霊のようにトボトボと後ろをついてくるアコを引き連れて、夕闇の中へと颯爽と帰っていった。
静まり返った河原。
炭火の灰を見つめながら、七神リンはハッと我に返った。
「(……あれ? 私……空崎ヒナへの事情聴取と厳重注意のために、ここへ来たはずでは……?)」
呼び出しの件――何一つとして、話が進んでいなかった。
進んでいないどころか、連邦生徒会とシャーレの予算を大量に消費して、ただの『風紀委員長の極上ディナー親睦会』を主催しただけという無残な現実。
「……この報告書、どう処理をすればいいのですか……」
茜色に染まる空を見上げ、七神リンは底知れない疲労感と共に、深く、深く頭を抱えるのであった。
三途の川を1回渡るたびにスタンプカードにスタンプ1個押してもらえるらしい。
そして三途の川スタンプカードも12枚目に突入している先生。
スタンプカード1枚につき、地獄の獄卒による寄席チケットが貰えるよ。