曇らせ注意です。
ママの襲来とお尻ぺんぺんの嵐から、一夜明けた翌日のこと。
ゲヘナ自治区の片隅に佇む、巨大な看板が目印の大衆焼肉屋『おいらが肉大将』。
ゲヘナでも有数の500種を超える圧倒的な肉メニュー数と広大な野球場並みの席数を誇るこの有名店は、今夜とある『団体』により完全貸切にされていた。
店の入り口には、重々しい文字で書かれた1つの立て看板が置かれていた。
【風紀委員会御一行様 貸切】
暖簾をくぐれば、白煙と香ばしいニンニクタレの薫香が充満するフロアに、黒い軍服を着た生徒たちが所狭しと各テーブルに鎮座していた。
風紀委員会メンバーたちはそれぞれ椅子に着席し、ジョッキを打ち鳴らし、大皿に山盛りのカルビやロースを金網へ豪快に放り込み、ガヤガヤと歓談しながら肉を貪り食っている。
そして――フロアの中央に位置する最上席テーブル。
火宮チナツ、銀鏡イオリ、天雨アコ。
そして、その中央のお誕生日席に足を組んでふんぞり返りながら鎮座している人物。
ド○・キホーテで購入されたド派手な金ピカのバースデーハットを小さな頭に被らされ、胸元には『あんたが主役』と極太フォントでデカデカと書かれた紅白のタスキを斜めがけにされた絶賛不機嫌真っ只中の空崎ヒナであった。
「ささっ、委員長! この特選上カルビ、ちょうどいい焼き加減ですよ! あっ、冷たいコーラもお注ぎいたしますね!」
満面の笑みを浮かべたアコが、トングとピッチャーを巧みに操りながら、かいがいしく世話を焼く。
「ほらほら委員長! 厨房から追加の特盛カルビと大盛りご飯がどんどん運ばれてくるよ! 遠慮しないでガンガン食べようよ!」
イオリもまた、自分の口にハラミを3枚同時に放り込みながら、景気よくヒナの皿に肉を積み上げていく。
「……………………………………」
その向かい側で、1年生のチナツだけが、なぜか居心地悪そうに小さくなって俯いていた。
昨日のお仕置き現場で目撃してしまった『ママ』という家庭内最高機密のギャップを彼女は未だ受け入れられていない。
「……ねぇ、アコ。イオリ」
今までハットの下で微動だにしなかったヒナが、低い声でポツリと口を開いた。
「はいはい何ですか? 委員長、タレは甘口ですか? 辛口ですか?」
手を休めることなく、アコが朗らかに応じる。
ヒナはゆっくりと顔を上げて2人を見据える。
「『ママにチクった』こと……まだ許してないからな?」
殺意。
目の前の生物を絶対にぶっ殺してやるという、呪いにも似た絶対的な殺気がテーブル一帯に噴出した。
「ヒッ……!!」
あまりのプレッシャーに、チナツが椅子ごと後ろへ仰け反り、冷汗を吹き出す。
しかし――。
「ねーねー、委員長」
イオリは一切動じる様子もなく、箸を口にくわえたまま、ニヤニヤとした不敵な笑みを浮かべてヒナの正面を見据えた。
「それってさぁ……私たちに対する『脅迫』って、受け取っていいんだよね?」
「ッ……!?」
ヒナの小さな肩が、ビクッと強張った。
(このクソガキ……『あのカード』をチラつかせてやがる……!)
そう、背後に控える絶対のジョーカー――『
「そうですよ委員長。私たち、何か風紀規律に反するような悪いことでもいたしましたか? 私とイオリはただ、保護者であられるお母様に日頃の委員長の多大なるご活躍の数々を、誠心誠意ご報告しただけですのに」
「……っ、アコ、お前……!!」
「あら、お怒りですか? でも、あんまり声を荒らげたり、私たちに暴力を振るったりすると……大変なことになりますよ? 私のスマートフォンの短縮ダイヤル一番には、今もお母様の直通番号がしっかりと登録されておりますので」
笑顔のまま、流れるように脅迫を言い放つアコ。
ヒナには痛いほど理解できた。この女、完全に勝ち誇っている。
ママという絶対の抑止力が部下たちの背後に控えている限り、ヒナは手も足も出ない。
ここで暴力に訴えれば、即座に『ママ通報』が発動し、翌朝には再びママが校門前に降臨、全校生徒と不良どもの前で公開お尻ぺんぺんの刑に処されるのだ。
そんな屈辱を二度も味わうくらいなら、死んだ方が100億倍マシであった。
もしもこの力関係が完全に固定化してしまえば、自分は飼い慣らされるどころか、部下たちの完全な傀儡へと成り下がってしまう。
「(……舐め腐りやがって……!!)」
そうならないために、一昨年も、そして去年も、ヒナはその都度完璧なステルス作戦を実行してきたのだ。
深夜、風紀委員会本部のセキュリティを完璧にハッキングして侵入し、アコやイオリ、そして他の古参メンバーたちの私用端末から、ママの連絡先データと通話履歴をひとつ残らず消去してきた。
今年もやることは同じだ。
今夜、アコたちの油断を誘い、寝静まった隙を突いてママの電話番号とモモトークのアカウントを完全消去する。
それさえ完了すれば、再び自分が絶対君主として君臨できるのだ。
「(……耐えるのよ、空崎ヒナ。真の勝者は、最後に笑うものよ……! 機が熟すその瞬間までは、下手に動かず、大人しく従順なボスのフリをするしかない……!)」
ヒナは奥歯をギリリと噛み締めると、屈辱に震える手で割り箸を握りしめた。
そして、アコが取り皿に盛り付けた特上カルビの山を、無言のまま一気に口の中へと放り込んだ。
ガブリュッ! ギュウウウウッ!
「(……んぐっ! 悔しいけれど、やっぱり肉大将のタレカルビは絶品だわ……! 肉汁と牛脂が、昨日の痛むお尻の細胞に染み渡っていく……!)」
モグモグ、ゴクン!と咀嚼音を立てながら、怒りと脂を同時に胃袋へと流し込むヒナ。
その様子をじっと観察していたアコは、スッと目を細める。
そして、天井に向かって高く右手を挙げた。
「すみませーん! 『焼き野菜盛り合わせ』1人前お願いします!」
ピキリ。
ヒナの鼓膜を、信じられない単語が叩いた。
今、この女は何と叫んだ?
「……アコ、気が狂ったの? 私の前で『草』を取り寄せるだなんて」
「……はい? 何かおっしゃいましたか?」
「チッ……食うなら別のテーブルに行って焼きなさい。金網が汚れる。……そこでなら特別に草を食うことを許可してやるわ」
シッシッ、と不快そうに手を払うヒナ。
しかし、アコはクスリと小さく笑う。
「何をおっしゃってるんですか? これは『あなたが食べる野菜』ですよ」
「…………は?」
ドクン、と。
心臓を冷たい氷の手で直接鷲掴みにされたような感覚が、ヒナの全身を駆け巡った。
視界の端がチカチカと点滅する。
「な……何を言ってるの……? 冗談よね? 今なら聞かなかったことにしてあげるわ」
「いいえ、発言を取り下げません。委員長、この機に野菜を食べなさい」
アコの瞳には、一片の揺らぎもなかった。
裏切り。
長年、最も近くで自分の背中を支え、信頼してきたはずの忠臣が、真正面から自分に向けて刃を突き立ててきたのだ。
信じられない。信じたくない。
「おー、いいじゃんアコちゃん! いい年して好き嫌いなんてみっともないし恥ずかしいよ、委員長!」
イオリがジョッキを置き、ゲラゲラと笑いながら同調する。
懐刀であるイオリまでもが、あまりにも容易く裏切った。
なんだこの感覚は。この底知れない喪失感と恐怖は。
目の前にいるのは、いつものアコとイオリのはずなのに――なぜ、いつもの親しい笑顔のまま、私を殺そうとしているの……!?
「チ、チナツ……!!」
ヒナはすがるような目で、唯一沈黙を守っていた1年生へと視線を向けた。
だが――。
「チナツ〜? いつまでも委員長を甘やかしてちゃダメだよ〜?」
「そうそう、小さい子たちの手本になるようお野菜も食べてもらわないとね〜!」
ガシッ、ガシッ!
周囲のテーブルから駆け寄ってきた風紀委員会の上級生たちが、チナツの両腕と肩をガッチリと取り押さえ、身動きを封じた。
「は、離してください先輩方!! 委員長……! いいんちょおおおおお!!!!!」
チナツの悲痛な叫び声は、天井の巨大な吸煙ダクトの轟音と、フロア中の楽しげな歓声の中へと無残に吸い込まれて消えていった。
ヒナは悟った。
風紀委員会は、すでに内部から完全に崩壊していたのだ。
この店の中に、自分を助けてくれる味方など、誰一人として存在しない。
「お待たせしましたー! 焼き野菜盛り合わせでーす!」
活気のある店員が、コトリと陶器の平皿をヒナの目の前へと置いた。
ニンジン、ピーマン、玉ねぎ、ナス、椎茸。
色鮮やかに輝く、子供が嫌いな野菜のオールスターズ。
そして、それらをトングで掴み、ヒナを屠ろうとする冷酷なる社会執行人――天雨アコ。
「さぁ、楽しみに待っててくださいね〜」
ジュージュー、パチパチ……。
アコの手によって、網の中央に並べられていく緑黄色の毒物たち。
神聖なる肉の脂が滴る金網の上で、ゴミを焼き始めるという狂気の暴挙。
周囲のテーブルでは、他のメンバーたちが嬉々としてカルビを頬張り、ライスを胃袋にかき込み、烏龍茶やコーラを流し込んで楽しそうに宴会を満喫している。
それなのに、自分はなんだ?
私は肉を食うためにここに来たはずだろ?
なのに……なぜ、草を食べる羽目になった?
なんで? どうして?
「私が……私が何をしたっていうのよ……先生……助けてよぉ………」
小さく掠れたヒナの弱音は、網の上で弾ける野菜の音にかき消されていく。
漫画や映画なら、ここでドアを蹴破ってスーパーヒーローが助けに来てくれるはずだ。
だが、ここは現実。祈るだけで奇跡が降臨するはずなどなかった。
「はい、委員長。上手に焼けましたよ。……あーん」
アコが箸で持ち上げたのは、表面に焼き目のついた、青々とした『ピーマン』の一片であった。
よりにもよって、青臭さと苦味の頂点に君臨する最凶の怪物をチョイスしてきたのだ。
悪意の緑が、ヒナの顔面へとゆっくりと迫り来る。
「はぁ……! はぁ……! はっ…! はっ…! はっ…!」
ヒナの心臓が、鐘のように早鐘を打つ。
呼吸は浅く荒くなり、過呼吸の波が押し寄せる。
「うっ……! うううううぅぅぅぅぅぅぅ!!!!!!」
大粒の涙が、ボロボロと両目から零れ落ちる。
死にたくない……こんなところで死にたくない…!!
だが、死神の箸は止まってくれない。
20cm、10cm……そして5cm。
青臭い香りとともに、『死が』ヒナの唇の直前まで迫ってきた。
「ほら、委員長。観念して、お口をあーんしてください」
死、死、死、死、死――!!
「うああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!」
絶叫。
ヒナは背負っていた愛銃『終幕:デストロイヤー』を一瞬で引き抜くと――。
ドガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアン!!!!!!!!!
銃身の最も分厚い鉄塊部分を『自らの側頭部目掛けて』とんでもない怪力で叩きつけた!
ドシャッ……!
自らのフルスイングを脳天に直撃させたヒナは、そのまま白目を剥いて椅子の下へと崩れ落ちた。
完全に意識を手放しているにもかかわらず、頭頂部からは漫画のようにグングンと巨大なたんこぶが急成長し、湯気を噴き上げている。
静寂。
アコ含め、箸を止めたイオリも、取り押さえていた上級生たちも、フロアにいた全員が、目の前で何が起きたのかを理解できずにフリーズしていた。
「……えっと。これってさ……ただ野菜を食べるだけの話だよね……?」
イオリが完全に顔を引きつらせ、ロボットのように首を傾げて尋ねたが、誰も答えることができなかった。
そんな静寂の中――。
先輩たちの拘束が解けたチナツが、ただ1人、床に倒れ伏すヒナの元へと駆け寄った。
「委員長……!」
チナツの目からも、ボロボロと大粒の涙が止まらなかった。
「委員長……っ! 本当に……本当にかっこよかったです……!!」
誇りを守るため、敵に屈するくらいなら自決を選ぶ。
そこには、最後まで己の信念を貫き通した孤高の戦士の姿があった。
これぞ、武士の誉れなり。