今回はヒナちゃん出てこないです。
ヴァルキューレ警察学校。法を司るキヴォトスの執行機関のとある場所には唯一例外の『治外法権区域』が存在する。
天井からは豪奢なクリスタルシャンデリアが眩い光を放ち、足元には毛足の長い深紅の絨毯が音もなく敷き詰められている。
左右の壁一面には金縁で額装された名画が整然と並び、冷徹な法秩序の象徴たる警察組織の無骨な校舎にあって、そこだけが中世貴族の宮殿のごとき静謐を保っていた。
そこの扉の前には油性マジックで
【志真王国】
と汚い字で書き殴られている。
太い黒のインクはところどころ擦れ、跳ね返ったような染みが木目を汚している。
周囲の優美な大理石の装飾を真っ向から嘲笑うかのようなその文字こそが、この区画の絶対的な支配権を誇示していた。
コンコン。
「『国王』様ー! お食事の用意が出来ました!」
1人のヴァルキューレ生徒がお盆に豪華な食事を持って、扉をノックする。
銀色に磨き上げられたトレイの上からは、焼きたての肉が放つ濃密な熱気と、香ばしい油の匂いが立ち昇っている。
運搬する生徒の制服の袖口は緊張による冷汗でかすかに湿り、盆を支える指先はカタカタと微かに震えていた。
しかし――。
「……あれ?」
扉の向こうからは何も返事がない。
「お出かけになられてるのかしら?」
国王様が帰られたらまた用意しないと、と生徒が思った時。
………………グオォ……………………
部屋の中から微かに物音が聞こえた。
生徒は不思議に思い、不敬ではあるが聞き耳を立てる。
…………グオオオオォォォ………ゴガガ……………
扉越しに聞こえるイビキ。部屋の主はどうやら爆睡中のようだった。
分厚い特注オーク材の板を通してなお、床板をビリビリと震わせる凄まじい地鳴りのような呼吸音。
まるで洞窟の奥底で冬眠する猛獣の唸り声そのものであった。
「なんだ…まだお休みになられていたのね」
ホッとした生徒は1時間後に作り直した食事を持っていこうと踵を返したその時。
パァンッ!
「ンガッ…!! …………んあぁ? 朝かぁ…?」
パァンと鼻提灯が割れたらしい音とともに扉の向こうから独り言が聞こえる。
コンコン。
「国王様ー! 朝食のご用意が出来ました!」
「ん? おぉ、入れ入れ!!」
「失礼致します」
ガチャッと生徒が扉を開ける。
そこには服が床に散乱し、ベッドにゲーム機が転がるお世辞にも綺麗とは言えない汚部屋だった。
廊下の気品ある静けさはどこへやら、室内にはポテトチップスや激辛スナックの濃厚な油臭と、飲み干されて底にわずかな原液が残った炭酸ジュースの甘酸っぱい匂いが充満している。
壁には綺麗に立てかけられた原色のアロハシャツがある一方で、破れた古雑誌が足の踏み場もないほどに散乱し、四隅にはアルミ缶の山が今にも崩れそうなバランスで積み上がっていた。
そしてそのベッドの上であぐらをかいている人物。
よれよれのスウェット、そして輝く『純金の王冠』をつけた志真コノカがいた。
【志真コノカ:元ヴァルキューレ警察学校公安局副局長及び現志真王国国王】
「国王様、本日の献立はトリニティから空輸いたしました最高級サーロインステーキと、百鬼夜行の新鮮な山菜を使った天ぷら、そして山海経の秘伝の食材をふんだんに使用したチャーハンでございます」
「いいねぇ、朝はガツンと食わなきゃだな! 言われずとも察して動ける臣下は好きだぜ?」
「ははぁー! ありがたきお言葉!!」
コノカは右手のフォークで無造作にステーキに突き刺すと300gあるその肉塊を豪快にかぶりつく。
ガブリュッ! ジュワァァァッ!!
ナイフで上品に切り分ける手間すら惜しみ、分厚い赤身と脂身の層を一撃で噛みちぎる。
肉汁が顎を伝ってスウェットの襟元にポタポタと滴り落ちるが、意に介した様子すらなく豪快に咀嚼する。
そして空いた左手のスプーンで炒飯を掬って口にかっこむ。合間に天ぷらをバリボリ齧り、まるで野生児のように喰らい尽くす。
山海経のネギ油と黒胡椒が効いたパラパラの米粒を口いっぱいに詰め込み、百鬼夜行のタラの芽とフキノトウの天ぷらを衣ごと奥歯で豪快に砕く。
ガツガツ! モグモグ、ゴクン!!
「ぶはぁー! うんまかったー!」
満足げに食器を置いたコノカだが、目の前の臣下がまだ去ってないことに眉を顰める。
「おい、なんか用か?」
「は、はい! 実はヴァルキューレ上層部から伝言がありまして……」
「あのアホどもがかぁ〜? なんだ?」
「は、はい…国王様にお願い事があるため至急会議室へ来てほしいとのことです」
その瞬間――。
「……あ?」
部屋の温度が氷点下にまで下がった。
さっきまでの気だるげな朝食の余韻が一瞬で掻き消え、室内の空気が物理的な質量を帯びて重く沈み込む。
生徒はその冷気にヒィッ…! と腰を抜かす。
「王を……『呼び出す』だぁ? 話があるならテメェからこっちに来いと言ってこい…分かったな?」
「は、はいいいいいいいいぃぃぃ!!!!!」
ドタドタと足をもつれさせながら生徒は部屋から飛び出した。
10分後、志真王国の汚い部屋の中でヴァルキューレ上層部の3年生4人、そして公安局長の尾刃カンナが部屋に不釣り合いなほど豪華な純金製の玉座でだらしなく座るコノカの前に跪いていた。
散らばったポテトチップスの袋や空き缶を踏み躙りながら、日頃は全校生徒の上に君臨するエリート幹部たちが、額を床に擦り付けて震えている。
「ハハハハ、『姐御』〜! 姐御まで跪かなくていいんすよぉ〜?」
さっきまでの威圧はどこへやら、コノカは戯れつく子猫のようにカンナの前でしゃがむ。
「す、すまないなコノカ…。時間をとってもらって……」
「ホントっすよぉ〜! 姐御がいるなら話は別でさぁ〜! ほらほら、姐御の耳、今日もモフモフしてて最高っすねぇ〜! …………で、テメェら。話ってなんだよ?」
カンナの頭に頬をスリスリと擦り付けながら、首だけをギチギチと上層部へ向け、氷点下の瞳で上層部の生徒たちを睨むコノカ。
「ヒィッ…!! し、志真国王…実は……例のゲヘナの風紀委員長、『空崎ヒナ』の件でして……!!」
「……空崎ぃ?」
ピクッとコノカがカンナの耳を触り戯れつく手を止める。
「あの悪魔が取調室に居座って30kgのカツ丼を食い散らかし、出前代とタクシー代を全額カンナ局長にツケ払いした事件はご存知かと思います……!」
「あぁ、姐御が誤報処理して帰らせたってアレだろ? 警察の威厳ねーなぁ!」
ケラケラと笑うコノカ。
「笑い事ではございません! 警察学校の公金が底をつきかけているのです! しかもあのゲヘナの害獣は、事件後も平然とパトロール中の我が校生徒を恫喝してはお弁当を強奪し、食堂に忍び込んでは寸胴鍋ごとカレーを飲み干して去っていく始末……!」
「ハハッ! 完全に我が物顔でバイキングされてんじゃねぇか! テメェら警備班は何やってんだよ!」
「止められるわけがないでしょう! 銃を向けた瞬間に鉄拳で薙ぎ払われ、全員が病院送りになるのですから!」
「そ、それだけではありません! 定期的に空崎ヒナによるヴァルキューレ警察学校への侵入及び食堂での食い荒らし、そして連邦生徒会からも『ヴァルキューレの警備体制はどうなっているのか』と連日ネチネチと責め立てられ、このままでは警察学校の威信が地に堕ちてしまいます! そこで……」
幹部生徒が意を決して顔を上げた。
「かつて公安局の絶対的切り札として君臨したあなた様の武力で……あの空崎ヒナを叩きのめし、ヴァルキューレの敷地から永久に駆逐していただきたいのです!!」
「………………」
コノカは鼻をほじりながら、天井を仰いだ。
「嫌だね」
コノカは視線すら合わさずに言い放つ。
「ええっ!?」
「なんでそんな面倒なことしなきゃならねぇんだよ。他校のガキのケンカだろ? ウチには関係ねぇよ。帰れ帰れ」
シッシッ、と手で払うコノカ。
「志真国王! そこを何とかお願いできませんでしょうか! 我々上層部としても、これ以上連邦生徒会からの突き上げを食らっては立場が……!」
「知るかよ。テメェらの席なんざ最初から腐ってんだろ。大体なぁ、他所のチビが飯食いに来てるくらいでガタガタ抜かすな。姐御が被害食らったってんなら、姐御が自分でシバき返せばいいだけの話だろ?」
「コノカ……それを私ができるなら、とっくにやっている……」
カンナが苦渋に満ちた表情でうなだれる。
「あいつの戦闘力は常軌を逸している。正面から部隊をぶつければ、校舎ごと消し飛ぶのは明白だ……」
「姐御ぉ〜、だからってあたしが他所のチビと喧嘩する義理はねぇっすよ。他校のクソガキが何を食い散らかそうが、あたしには1mmも関係ねぇっすからね」
「そこをどうにか……! 我が校の予算を削られれば、国王様への日々の豪華な献立にも影響が出かねません!」
「あぁん!? テメェら、王への貢ぎ物を人質に脅そうってのか!? だったらテメェらの私財を全部売り払って肉を買ってこいよ! 順番が逆なんだよボケが!!」
「ひ、ひぃっ……!」
「大体なぁ、他所の自治区の魔王と喧嘩しろだぁ? ゲヘナと全面戦争になったら誰が一番最初に前線で盾になると思ってんだ? あたしだろ? なんでテメェらの保身のためにあたしが泥かぶらなきゃならねぇんだよ。話にならねぇ、解散解散!」
コノカは興味を失ったようにあくびを噛み殺し、ベッドに転がっていた漫画本へ手を伸ばしかけた。
その時、後ろに控えていた幹部生徒がおずおずと声を上げる。
「で、ですが……先日『リーク』された情報によると、鎮圧にあたり志真王国の国民も巻き添えになり怪我を負ったと………」
その時――。
「なぁんだとおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!!!?????」
ドガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアン!!!!!!!!!!
ヴァルキューレ警察学校全体にコノカの怒号が鳴り渡る。
ビリビリと振動があたり一面を覆いつくす。
汚部屋の床が派手に波打ち、散乱していた空き缶やゲームソフトが天井まで吹き飛んだ。
「お、落ち着いてください志真国王…!! 今は完治しておりますので……!!」
「黙れぇ!! 落ち着いてなんかられるかぁ!!! 可愛い臣下がやられてんだぞ!! 命の一つや二つ取ってやらねぇと見舞い代わりにならねぇだろ!!」
コノカは血走った目で怒鳴り散らす。
しかし大きく深呼吸をする。
「スゥゥゥゥ……ハァァァァ……ッ! おい。それで……誰がやられた?」
「はっ! 2年生の縦縞ヤエです!!」
「ヤエか……大人しくて消極的だけど、必死にウチの後ろをついてきて可愛いやつだよ……あぁ、ホントに」
「殺してやらねぇと気が済まねぇなぁ」
コノカの顔には青筋で埋めつくされ、全人類が見ても激怒以外の感想が出ない形相であった。
志真コノカ。
かつてキヴォトス全域の暗黒街を震撼させ、幾多の武装勢力や凶悪なヘルメット団を単身で叩き潰して頂点に君臨していた伝説のスケバンたちの王。
装甲車を素手で横転させ、ロケット弾の直撃を歯で噛み砕いたという規格外の怪力と路地裏の荒くれ者たちを惹きつけてやまない凶暴なカリスマ性を見込まれ、ヴァルキューレ警察学校の上層部によって『警察組織の最終兵器』として異例中の異例の待遇でスカウトされた少女であった。
しかし、天を衝くエベレストよりも高くそびえ立つ自尊心と地上のあらゆる存在を虫ケラ同然に見下す生まれついての傲岸不遜さは警察組織という枠組みや既存の法律ごときで飼い慣らせる代物ではなかった。
入学早々、公安局副局長の座をあてがわれた彼女は、着任初日の訓示式で上層部の訓示を「眠い」の一言で一蹴。
配属からわずか数日後には、校舎最深部の重要防衛区画を単身で武力制圧し、分厚い鋼鉄の防護壁で区切った私的領土『志真王国』の建国を宣言したのである。
白大理石の床に純金製の玉座を据え、公務を完全にボイコットして自堕落なゲーム三昧の日々を送るという前代未聞の国家内国家。
当然、学園本部は当初、規律違反として強制排除部隊を送り込んだ。
しかし、突入した一個大隊の重装警備部隊が、武装を施したままわずか3分で全員窓から放り出されて校庭に山積みにされ、増援の装甲車部隊が金属バットの一撃でスクラップに変えられたことで上層部は血を吐く思いで悟ったのだ。
この怪物を敵に回すことは、ヴァルキューレ警察学校という組織の『物理的消滅』を意味する、と。
結果として、彼女のあらゆる暴挙は『特別治外法権』として全面黙認され、毎月莫大な予算が『年貢』という名目で志真王国に湯水の如く貢がれることとなった。
だが、その暴虐無比な絶対君主には、鋼の如き『王の掟』が存在した。
それは――己に付き従う臣民、志真王国の国民に対する絶対的な庇護。
志真コノカの逆鱗は2つ。『王たる己への不敬』そして『愛する国民に傷を負わされる』こと。
かつて裏社会で彼女の部下に手を出した悪徳ギャング団は、構成員全員が病院送りにされた上で事務所ごと跡形もなく更地にされ、その首領はコノカの前に正座させられて三日三晩泣きながら謝罪させられたという。
理不尽なまでの暴力の裏にある、身内に対する絶対の安全保障と義理人情。
その圧倒的な強さと庇護を求め、日々の過酷な警備任務や理不尽な職務に疲れ果てたヴァルキューレの一般生徒たちが次々と志真王国へと忠誠を誓い――今や、学園全体の実に4割の生徒が、公安局の制服の下に志真王国の臣民たる誓いを秘めていた。
そして何より、彼女の真の恐ろしさをキヴォトス全土に知らしめた不滅の実績。
かつて連邦生徒会を震撼させ、各地で破壊の限りを尽くした『七囚人』の凶悪犯たち。
あの大規模な捕獲作戦において、警察部隊が何重にも包囲しながら壊滅寸前に追い込まれる中、現場に遅刻気味にフラリと現れた志真コノカは、銃器の類を一切持たず、ただ素手の拳ひとつで戦場へと殴り込みをかけた。
飛び交う銃弾と爆薬の嵐を嘲笑いながら突き進み、あの『災厄の狐』狐坂ワカモが放った渾身の至近距離射撃を掌底で弾き飛ばすと、驚愕に目を見開くワカモの狐面を素手のストレートで粉々に粉砕。
逃走を図る七囚人たちを路地裏で1人残らず力任せに締め上げ、全員を矯正局の檻の中へと叩き落としたのは他ならぬ志真コノカたった1人の武力であったのだ。
【ヴァルキューレの王】
【も と い】
「さぁて…そのスマしたツラを泣かせてやるよ、ヒナちゃん♪」
【七つの大罪:傲慢のコノカ】
バキリボキリと拳が鳴る。
暴食の獣の元に法務機関の王者の影が迫る。
次回、暴食 VS 傲慢。