バトル開始ぃぃ!!
ゲヘナ学園本校舎最深部、風紀委員会執務室。
重厚な大理石の執務机の天板に、漆黒の軍靴を履いた両足をドカリと投げ出し、不遜極まりない態度で背もたれに深く沈み込む空崎ヒナ。
「これが例の『試供品』なのね?」
ヒナは先ほど桐藤ナギサから無造作に手渡された豪奢な金色のリボン付き紙袋を鷲掴みにすると、バリバリ! と包装紙を雑に引き裂いた。
中から現れたのは、重厚な彫刻が施された円形の特注ブリキ缶。
ヒナが缶の蓋をパカリと跳ね上げると、そこには直径わずか5cmほどの手のひらサイズの焼き菓子が整然と10枚並べられていた。
ヒナはそのうちの1枚を二本指でつまみ上げると、ニヤリと凶暴な笑みを浮かべた。
「ほぅ…」
執務机の前に佇むナギサは、優雅に扇子を開きながら誇らしげに胸を張る。
「お気づきになられましたか? そのクッキー1枚だけで小麦粉、卵、バター、砂糖、練乳それぞれ1kgを極限まで圧縮した大きさ5cm、重さ5kgの特製クッキーですわ。重さが重さなので今日はそれだけしか持ってこれなかったのですが」
ナギサは手袋を外すと、ジンジンと痺れて赤く腫れ上がった両手を揉みほぐした。
総重量50kgを超える金属塊同然の菓子缶を抱え、トリニティからゲヘナまで笑顔を崩さず運搬しきったのだ。
ここに持って来るまでは完全な痩せ我慢であったが、最愛のヒナのためならば、それすらも至高の愛の試練であった。
ヒナは指先に力を込め、つまみ上げたクッキーをヒョイと口の中へ放り込んだ。
ズン…ッ!!
超高密度の5kgの圧縮鈍器が、重力に従ってヒナの舌の上に容赦なくのしかかる。
普通の人間であれば顎骨が粉砕されて物理的に顎とさよならバイバイとなる質量。
だが、キヴォトス最強の胃袋と顎を持つ魔王は一切のダメージを受けることなく、平然と奥歯でその超硬度物質を挟み込んだ。
ゴリ……ゴゴゴ……ガギギ………
とても洋菓子を咀嚼する音とは思えない、岩石粉砕機が稼働しているかのような凄まじい重低音が執務室に響き渡る。
『岩を噛み砕く』という表現が、これほど似合う咀嚼音もなかなかあるまい。
ゴクンッ! と喉を鳴らし、5秒で胃袋へと落とし込むヒナ。
「……方向性は良い。だけどもっと重厚感と密度が欲しい。次からは1枚100kgクッキーを作ってきなさい」
「ひゃっ…!?」
ナギサの喉から情けない悲鳴が漏れた。
ティーパーティーの全財力と科学班の限界を注ぎ込んでようやく越えたハードルを、安々と飛び越えた上で更なる無茶振りを課す暴君の所業。
「ダッハハハハ!! あたしの王国でもそこまでの無茶振りはしないっすよ〜! ナギちゃんどんま〜い!」
ヒナのすぐ隣、来賓用の高級本革ソファーの上に素足で寝転がりながら、『N○ntendo S○itch 2』のコントローラーをピコピコと連打していた志真コノカが、腹を抱えて大爆笑した。
「……志真コノカ。ゲヘナの風紀委員会本部に勝手に不法侵入して居座るなと何度も言ったはずだけど?」
ヒナが半目で忌々しそうに睨みつける。
「おいおーい! そんな冷たいこと言わねぇで欲しいっすよヒナっち〜! 学食を全壊させながら殴り合った末に、瓦礫の上で一緒に夕日を眺めた仲っしょー? 夕日を見たらダチ、これ学生の常識っすよ!」
「ふん……まぁいいわ。せっかく来たんだしあなたも1枚いかが?」
ヒナが缶から5kgのクッキーを1枚つまみ、ソファーのコノカへと放り投げる。
だが、コノカはゲーム画面から目を離さず、飛来したクッキーを左手の甲でバシィン! と叩き落とした。床の絨毯がメリッと音を立ててへこむ。(※この後、風紀委員長が美味しくいただきました)
「は? いらねぇよ、そんなゴミ」
「あ? 人の好意をゴミ扱いするとはいい度胸ね。殺すぞ生ゴミ」
「あぁ!? 王に向かってなんだその口の聞き方はぁ!? テメェのその頭の角、根元からへし折って灰皿にしてやろうか!? クソチビィ!!」
それぞれソファーと執務机を蹴り飛ばしたヒナとコノカが、ズンズンと地響きを立てて間合いを詰め、額と額をミリ単位で押し付け合ってメンチを切り始める。
「ちょっと2人とも!! ここをどこだと思っているのですか!! 喧嘩なら外でやりなさい!!!」
書類の山から飛び起きた天雨アコの怒声が飛ぶが、完全に馬耳東風。
ドゴォ!! バギャッ!!ガスッ!! メキャッ!!
2人はゼロ距離で目にも留まらぬ超高速の拳の打ち合いを始める。
「はぁ……すみません、ナギサさん。うちの委員長が毎度毎度、他校の皆様に多大なるご迷惑をおかけして……」
額を押さえ、胃薬の瓶を握りしめながらナギサへと即座に深々と頭を下げる謝罪生物アコ。
しかし――。
「あの女、私のヒナさんと組んず解れつをして何様のつもり?……この泥棒猫…!」
ナギサはアコの謝罪など1mmも耳に入っておらず、親指の爪をギリギリと噛み締めながら、ヒナと戯れ合うコノカを血走った目で睨みつけていた。
アコは悟った。
世界が異常者しかいない空間においては、たった1人の正常者こそが異物であり狂人なのだと。
アコは深い諦めの境地に至り、静かに自席へと戻って決裁書類に判子を押し始めた。
まさに、その時であった。
グジュル…
「ん?」
アコの耳に、不快な湿り気を帯びた水音が届いた。
雨も降っていないのに、外の廊下の水たまりでも踏んづけた不届きな生徒が来たのか? と訝しんだアコが、注意しようと席を立ち上がったその刹那――。
ズチュ…ブジュジュ……グジュル…グジュ………
執務室の重厚な防音扉が、強烈な異臭を放つ煙を噴き上げながら、まるで強酸を浴びせられた発泡スチロールのように見る見るうちにドロドロと溶け崩れていく。
そして――ギィ…と半分溶け落ちた鉄枠を押し広げ、暗闇の中から2つの影が足を踏み入れた。
そこに立っていたのは、両目からコールタールのような黒い粘液を絶え間なく溢れ出させている阿慈谷ヒフミと、その隣で両手の指に挟んだイカ焼き串をモチャモチャと咀嚼し続けている白洲アズサであった。
「ヒ、ヒフミさん…!?」
ナギサは目を丸くし、トリニティで最も大切に慈しんでいたはずの後輩が、見るも無残な姿でゲヘナの深奥に現れたことに激しく狼狽する。
「……はっはぁ〜ん、ナギちゃんがここに来た理由分かったっすよぉ〜」
ヒナとの殴り合いを中断したコノカが、ヒナの顔面を左手で鷲掴みにしながらも頭をボリボリと掻き、口を開いた。
「クッキーは建前、本当は『このガキの相談』で来たんだろ?」
コノカはヒフミの足元からボタボタと床の大理石を溶かしながら広がる邪悪な黒液に鋭い視線を向ける。
「2ヶ月前からトリニティの生徒を中心に『犯人不明の加害事件』が複数件発生してる。被害者はどいつもきったねぇ黒い液体に塗れていたが、驚くべきはそいつの身体能力、頭脳は退化しきって『シャーレの先生と同等』か『それ以下の能力』にまで落ちきっていたってことだ」
「ヴァルキューレじゃ犯人を『トリニティの悪霊』なんて呼んで捜査に踏み切っていたが……犯人がトリニティ生徒だとバレりゃ面目丸潰れ。だから内々にヒナっちに
猛禽類のようにギラつく瞳でナギサの内心を射抜くコノカ。
ナギサは唇を噛み締め、痛ましげに目を伏せた。
「……しょうがないでしょう。大切なヒフミさんを犯罪者にするわけにはいきません…。正義実現委員会やティーパーティーに命令しようにもそこから噂が流れてヒフミさんの学生生活は終わる」
ナギサは意を決したように顔を上げる。
「……だからこそ、信頼できるヒナさんにしか頼まなかった。お願いですヒナさん……ヒフミさんを止めてください」
プライドの高いトリニティの最高権力者が、ゲヘナの風紀委員長の前で深々と頭を下げる。
しかし――。
「…………ナギサ様? なぜその害獣に頭を下げてるのですか? ナギサ様は私だけを見てたらいいのに」
ゴボゴボと口からも黒液を溢れさせ、首を不気味に傾げているヒフミの耳にはナギサの悲痛な叫びなど1mmも届いていなかった。
その瞳の奥には、ドス黒い嫉妬の狂気だけが渦巻いている。
「いや、下手なシリアス描写とかいらないんだけど、ここギャグコメディ小説でしょ?」
突如、冷酷極まりないメタ発言で空気を粉砕しながら口を挟む空崎ヒナ。
ヒナはコノカが頭を押さえつけていた手を鬱陶しそうにパシッと払い落とすと、スタスタと大理石の床を踏み鳴らしてヒフミの前へと歩み出た。
「『この小説の主人公』は私なの。設定の重いポッと出のメンヘラモブは帰って寝ろ」
相変わらずのトンデモ主人公補正発言。だが、この狂気の世界においては彼女こそが絶対の法則であるため、誰も論理的に否定できない。
「あぁ!? 主人公だぁ!? 主人公はこのコノカ様だろうがぁ!! 今すぐタイトルを【七つの大罪:傲慢のコノカ】に変えさせてやっからな!!」
横から割り込んできたコノカ王がヒナの襟首を掴み、ヒフミを完全にそっちのけにして再び大乱闘を再開する。
せっかくシリアスでサスペンスな雰囲気が出来上がりつつあったのに、IQがモンキー以下のバカ2匹は容易くそれを叩き壊した。
「主人公……あぁ、なんて傲慢。エリート故…才能に満ち溢れるが故の絶対的自信………」
完全無視されたヒフミの全身から、シューッ! とすさまじい怨念の蒸気が立ち昇る。
「あ な た た ち も 堕 と し ま し ょ う ね ぇ」
ドッバアアアアアアアアンッ!!!!!!
ヒフミが纏う黒液が突如として禍々しい紫色の光を放ち、爆発的な衝撃波とともに部屋一面へと黒い泥水が飛び散った!
「きゃああああああ!!!!!!」
吹き飛ばされたナギサとアコは、降り注ぐ強酸性の黒液に触れないよう、間一髪で頑丈な鉄製事務机の陰へと滑り込んで身を隠す。
そして――轟音がおさまり、ナギサとアコが恐る恐る机の隙間から顔を覗かせた瞬間、2人は息を呑んで目を見開いた。
そこには、完全なる『異形』が降臨していた。
蠢く黒液で編み上げられたゴシックドレスに身を包み、死人のように一切の血色を失った青白い肌。
皮膚のあらゆる毛穴から絶え間なく流れ落ちる黒い泥。そして――自らの両目を覆い隠すように、首の付け根から異様に長く伸びた『2本の骨ばった青白い腕』。
これこそが、狂おしき嫉妬の果てに『反転』を遂げた黒の色彩。
【ヒフミ*テラー】
2ヶ月の間に数多の生徒たちを絶望の淵へと叩き落としてきたトリニティの悪霊の真の姿がそこにあった。
「……私以外」
乾ききった黒い唇が、怨嗟を込めてカチカチと開閉する。
「私以外……等しく凡才に堕ちましょうねええええええええええええええええ!!!!!!!!!!」
ヒフミ*テラーは両手を掲げ、触れる者すべての才能と筋力を強制的に退化させる嫉妬の水――概念結界【嫉妬の堕天】を、津波のような濁流として執務室全体へ展開させようとした。
「ぶげぇっっっ!!!!」
だが、その神聖なる大技の展開は、開始コンマ1秒で無残に粉砕された。
真下から突き上げられた超音速のアッパーカットにより、ヒフミ*テラーの顎骨が天井に向かって派手に跳ね上げられたのだ。
ドサリと無様に背中から床へ叩きつけられるヒフミ*テラー。
その一撃を叩き込んだ張本人――空崎ヒナは、パンパンと両手を払っていた。
「なるほど……コピー用紙10枚重ねれば殴る時間はできるわけね」
見れば、ヒナの小さな拳には、ゲヘナの予算申請書類用A5コピー用紙が十数枚重ねてガムテープで巻き付けられていた。
床に散らばった用紙は、ヒフミ*テラーの黒液を吸ってジュージューと音を立てて溶けているが、ヒナの皮膚には一切のダメージが届いていない。
「ほぉ〜、そりぁいいこと聞いた……ねぇ!!」
ボゴオオオォッッッ!!!!!
間髪入れずに踏み込んだコノカが、ソファーの上に転がっていた週刊少年ジ○ンプを盾のように右拳に添え、倒れていたヒフミ*テラーの鳩尾へ全体重を乗せたボディブローを叩き込む!
「いぎゃああああああああぁ!!!!!!」
テラー化しているはずの怪物が、あまりの物理的な痛みに内臓を吐き出しそうになりながら悶絶の悲鳴を上げる。
地面に落ちたジ○ンプの紙面は黒液に侵食されてドロドロと溶け始めたが、役目は十二分に果たしていた。
「読み終わったから捨てようと思ってたんだ……ちょうどいいゴミ処理じゃねぇか」
ニッと八重歯を光らせるコノカの横へ、ヒナがスタスタと歩み寄ってくる。
「コノカ、シュレッダーにかける前の紙ゴミが執務室の裏に山ほどあるから『ゴミ捨て』手伝ってくれない?」
「オッケ〜…地球に優しいエコ活動も王の務めってなぁ♪」
2人はバサバサと、万魔殿から届いていた膨大な抗議文書の束を足元に積み上げると分厚く重ねた紙束を両手にクラッチして即席のボクシンググローブを作り上げた。
「ひぃっ…! や、やめてください…!! もう反省したから許してください!!!」
あまりの理不尽な暴力の前に、ヒフミ*テラーの戦意はわずか数十秒で完膚なきまでにへし折られた。
概念的な呪いも、精神攻撃も、触れる前に紙越しに物理で殴り殺されるという前代未聞の脳筋攻略法。
彼女の頭の中には、もはやこの命の危機から脱出することしか残っていなかった。
だが――。
「は? やめるかよタコ」
「あんたが反省しても私の腹は膨れないわ」
聞いた相手が悪すぎた。
この世において、命乞いというものは『話を聞く知性と情緒を持った相手』にしか通用しない。
『空腹のヒグマに命乞いが通じますか?』という話である。
紙のグローブを装着し、ゴキゴキと首を鳴らしながらジリジリと間合いを詰めてくる蛮族の王たち。
ヒフミ*テラーは腰を抜かしたまま、情けなく涙目で後ずさる。
死ぬ……本当の本当にミンチにされて殺される……!!
その絶望の極限にあって――。
「ヒフミィィィッッッッ!!!!!」
部屋の奥から、聞き馴染みのある澄んだ声が木霊した。
「(ア、アズサちゃん…?)」
ヒフミ*テラーの胸の奥に、かつてない温かな光が差し込んだ。
思えば、白洲アズサという少女は、いつだってこんな自分についてきてくれた。
自分がどれほど平凡で無力だと泣き言を漏らしても、どれほど醜い本性を剥き出しにして当たり散らしても、冷たく突き放しても……彼女だけは決して軽蔑することなく、変わらないいつもの調子で隣にいてくれたのだ。
ナギサからの特別な承認など、最初から必要なかったのだ。
あぁ……自分はなんて愚かで、なんて馬鹿だったのだろう。
自分にとっての真の『特別』は最初からずっと一番近くのそばにいてくれたのに――!
「アズサちゃん……!!」
ヒフミ*テラーは涙を拭い、救いを求めて親友の姿を振り返った。
「このクッキー、歯応えがあって美味いぞ。お前もどうだ?」
ヒナの空いた執務机の上にドカリとあぐらをかき、5kgの圧縮クッキーを両手で持ってゴリゴリと前歯で少しずつ削り喰らいながら、傍らに置かれていた1.5Lミニサイズの『ヒナちゃんコーラ(※19話参照)』で豪快に喉へ流し込んでいる白洲アズサがそこにいた。
ヒフミ*テラーは絶望した。
助けるとか助けないとか、友情とか絆とか、そういった人間的な概念を完全に超越した正真正銘のクソバカ役立たずがそこにいた。
「それじゃあRound2」
ヒナが冷酷に拳を構える。
「開始っす〜❤︎」
コノカが凶悪な笑みを浮かべて紙束グローブを振りかぶる。
「いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!」
ドガバキグシャボコォッ!!!!!!
【暴食&傲慢 VS 嫉妬 ―― 暴食&傲慢の完全勝利!】
この後、ボッコボコのボコボコにしばかれたヒフミはテラー化が解除された上に後日、ナギサから一連の事件の罰として補習授業部の課題100倍の刑に処されたのであった。
七つの大罪編が終わった後、誰の話が見たいですか?
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コノカ
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ヒフミ
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フブキ
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アズサ