トリニティ総合学園、ティーパーティーの円卓。
陽光がステンドグラスを透過し、紅茶の香りが優雅に漂うその場所で、桐藤ナギサはいつものように完璧な所作でカップを口に運んでいた。
――ポコン。
不意に、テーブルの上に置かれた彼女のスマートフォンが、場に不釣り合いな通知音を鳴らした。
「失礼……」
ナギサが画面を確認する。そこにはモモトークの通知が表示されていた。
ヒナ『暇なら今日の放課後付き合いなさい。場所は追って送るわ』
その文面を目にした瞬間、ナギサの理性が吹き飛んだ。
「あ、あああ……っ!」
ガタンッ! という大きな音と共に、ナギサは椅子から転げ落ち、床に這いつくばった。
手にした最高級のボーンチャイナは奇跡的に無事だったが、彼女の顔は見たこともないような法悦に染まっている。
「へー、ナギちゃん。ヒナちゃんと仲良しなんだー。意外な組み合わせだね」
聖園ミカがケーキを頬張りながら、面白そうにその様子を覗き込んだ。ナギサは這い上がり、スカートの土を払うのも忘れてデレデレとした笑みを浮かべる。
「仲良し……。ええ、ええ、そうですわ! 私たちは親友…いえ、魂のレベルで共鳴し合っているんですの!」
「……ナギサ、あまり口出しはしたくないが、彼女との付き合いは少し考え直したほうがいい」
百合園セイアが、深い懸念を込めた瞳でナギサを見つめた。
「君のその様子を見る限り、悪い影響を受けているようだ。ゲヘナの風紀委員長は、君が思っている以上に……その、極端な存在だぞ」
しかしセイアの忠告は、ナギサの耳を素通りしていった。残念ながらもう手遅れ、覆水は盆に帰らないのだ。
放課後までの数時間、ナギサの頭の中はヒナとの「デート」のことで埋め尽くされ、授業の内容など一切頭に入らなかった。
放課後のチャイムが鳴り響くと同時に、ナギサはトリニティの正門を弾丸のような速度で飛び出した。指定された場所は、ゲヘナとトリニティの境界線に近い、薄汚れた路地裏。
「ヒナさ……っ!」
呼びかけようとしたナギサの言葉が、その背後にそびえ立つ建造物を見て凍りついた。
そこにあったのは、ステーキハウス『マッドブル・怒りの肉ロード』。
外観は、巨大な牛の頭蓋骨が看板として掲げられ、壁には無数の弾痕を模した装飾が施されている。
重厚な鉄の扉には「肉を喰らわぬ者はくたばれ」という血のようなペンキで書かれた文字。
煙突からは、黒く濁った肉の焼ける煙が絶え間なく吐き出され、周囲の空気を重油のような脂の匂いで汚染していた。
「……ようやく来たわね。入りなさい」
ヒナは気だるげに扉を蹴り開けた。
店内は、外観以上に世紀末的だった。照明は暗く、ドラム缶を再利用したテーブルの上には、直接ナイフが突き立てられている。
客層は、モヒカン頭や全身タトゥーを施した、キヴォトスでも指折りのならず者たち。店員も言わずもがなである。
だが、ヒナが一歩足を踏み入れた瞬間、店内から一切の喧騒が消えた。
さっきまで大声で笑っていた巨漢たちが、ヒナの姿を見た瞬間に顔面を蒼白に染め、一斉に俯いて震え始めたのだ。
彼らは過去、店に来たヒナを「ガキの来る場所じゃねぇ」と馬鹿にした結果、壁にめり込まされて物理的に「わからせられた」負け犬たちであった。
ザッ、と男たちが左右に分かれる。モーゼの十戒のように開かれた道を、ヒナは悠々と歩いていく。
「マスター。いつもの『死の挑戦状(デス・チャレンジ)』を。……3倍の量で」
「へ、へい……! 直ちに!」
眼帯をつけたギャング風のマスターが震える声で返事をする。ナギサは壁に貼られたポスターを見て、心臓が跳ね上がった。
『チャレンジメニュー:マッド・ステーキ30キロ(1枚1キロ×30枚)。制限時間30分。完食で賞金10万クレジット。失敗は実費支払い(50万クレジット)』
「(30枚……!? 30分……!? これを3倍ということは……90キロ!?)」
ナギサが戦慄する中、ヒナは驚くべき行動に出た。テーブル席に座るかと思いきや、そのまま厨房の暖簾をくぐり、調理場へと侵入したのだ。
「ヒ、ヒナさん!? そこは厨房ですわ!」
「いいのよ。焼けるのを待っている時間が、死ぬほど腹立たしいから」
ヒナはステーキを焼く巨大な鉄板のすぐ後ろ、調理人の背後に無理やり椅子とテーブルを引き寄せると、そこにドカリと座り込んだ。
これぞ、ヒナスタイルである。
「……焼けたそばから寄越しなさい。皿はいらないわ」
鉄板の上で、1キロのステーキ肉が豪快に焼かれる。表面が焦げ、中から脂が溢れ出した瞬間、店員が震える手でそれをヒナの前に差し出した。
「(わ、わんこそば形式……!?)」
ナギサは背後で固唾を飲んで見守る。ヒナはナイフなど使わない。両手にフォークを握りしめ、1キロの肉塊をそのまま串刺しにすると、猛獣のように噛みついた。
「ガッ、ムシャ、ズズッ……!」
咀嚼。嚥下。わずか数秒で1枚のステーキが消滅する。
そして狂気は加速する。
「油が足りないわ。……マスター、これ」
ヒナは、寸胴いっぱいに入ったドロドロのグレービーソースを、両手で抱え上げた。
そして、それをまるでスポーツドリンクでも飲むかのように、グビグビと喉を鳴らして飲み干し始めたのだ。
「ああああ……っ! 普通の人間なら即死するのに…! なんて……なんて冒涜的で美しいのかしら!」
ナギサは絶叫し、夢中でシャッターを切る。
ヒナは止まらない。次は、別の寸胴に入った液状の溶かしバターに、致死量レベルの塩胡椒をぶち込んだ「特製バタージュース」を手に取り、一滴残らず胃袋へ流し込んだ。
「……ふぅ。喉が潤ったわ」
「飲み物じゃありませんわよ、それ!!」
さらにヒナは、業務用炊飯器を丸ごと足元に引き寄せると、しゃもじで直接ライスを掬い、肉とバターの濁流を追いかけるように口へ詰め込んでいく。
なお余談だが、かつてこの店が彩りとして「付け合わせのブロッコリー」を皿に乗せた際、ヒナの逆鱗に触れて店主が半殺しになった事件以来、この店から野菜の概念は完全に消え去っていた。
30分後。
店内に響き渡るタイマーの音。
ヒナの足元には、90枚のステーキの骨と、空になった3つの寸胴、そして空っぽの炊飯器が転がっていた。
「……ごちそうさま。少しは、繋ぎになったわ」
「へ、へい……。完食です。……賞金、30万クレジットになります……」
マスターが血の涙を流しながら札束を差し出した。ヒナはそれを無造作に掴むと、呆然とするナギサを連れて店を出た。
「ヒナさん! 素晴らしいですわ! あの肉の繊維を断ち切る牙、脂を飲み干す喉越し……ああ、私は今、歴史的な瞬間を目撃してしまいましたのね!」
ナギサは歩きながら、マシンガントークでヒナを賞賛し続けていた。しかし、ヒナは心ここにあらずといった様子で、虚ろな目をしている。
「うるさい、ナギサ。…………あ」
「ヒナさん? どうしまーーーーー」
その瞬間。
ゴルルルルルルルルルルゥッ!!!!!!!!!
周囲の建物の窓ガラスが震えるほどの、凄まじい「獣の咆哮」が路地裏に響き渡った。
「な、ななな、なんですか!? ライオン!? ゲヘナには猛獣が放し飼いなんですの!?」
ナギサが腰を抜かして狼狽する。だが、その直後。
パタン。
ナギサが何事かと隣を振り向くと、そこには地面に大の字になって倒れたヒナの姿があった。
「ヒ、ヒナさん!? 大丈夫ですか!? 今、救急車を……!」
「いらない……お腹すいた」
「は?」
「さっきのは、お腹が空いた時の音」
「はぁああああああああああああああああ!!!!!?」
今日一番の絶叫がナギサの口から解き放たれた。
ヒナの代謝を舐めてはいけない。
彼女の体内に宿る消化機構は、生物学の常識を遥かに逸脱した「超高効率燃焼炉」に等しい。
摂取された膨大な質量は、胃に落ちた瞬間に分解され、即座に血肉を駆け巡る莫大なエネルギーへと変換される。
特に調子の良い時の彼女に至っては、もはや嚥下と消化が同時並行で行われており、右手に持った肉を咀嚼している間に、左手で食べた先ほどの肉が既に熱量として消費されている。
食えば食うほどに腹が減るという、終わりのない暴食の永久機関。それが空崎ヒナという生物の真実である。
「(……な、なんて超常的な代謝……! あの90キロの肉が、数分でゼロに!?)」
ヒナは床に転がったまま、ナギサをジロリと見上げた。
「……おぶりなさい」
「……はい?」
「私が指示する場所まで、あなたがおんぶして運ぶの。……命令よ、拒否権は無い」
「――! はいっ! 喜んで!!」
ナギサは歓喜の悲鳴を上げながら、ヒナの小さな体を背負い上げた。背中に伝わる、信じられないほど熱い体温。
これこそが、膨大なカロリーを瞬時に消費し続ける「暴食の怪物」の熱量。
「……次は、あっちよ。……『極光カレー・奈落』。……あの店の『全油脂集約・ギガ盛り・カレー・オブ・アビス』……あれなら、少しは保つかもしれない……」
その店のカレーは、ラードをベースに独自のスパイスを配合した漆黒のルーが特徴で、米は水ではなく背脂で炊き上げられ、具材は全て厳選された肉の脂身のみという、狂気の料理だった。
「わかりましたわ、ヒナさん! どこへでも、どこまでも! 私はあなたをお運びいたしますわ!」
ナギサは恍惚とした表情で、ヒナの指定した「次の戦場」へと駆け出した。
その背中で、ヒナは次の食事を美味しくいただいてる自分の姿を想像し、再び喉を鳴らしていた。
少し忙しくなるので、次以降は出来次第投稿します。
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他作品の「クソーアーカイゲー・青春ドブ捨て録」については書き溜め済みの21話までは毎日18時05分に投稿しますのでそちらも見ていただけると嬉しいです。