七つの大罪:暴食のヒナ   作:ていん?が〜

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お久しぶりです。
牛丼について思うところがあるヒナちゃんです。


第7話:正義の牛丼

 ゲヘナ学園風紀委員会には、キヴォトスの如何なる治安維持組織よりも厳格な、血と鉄の規律が存在する。

 

 

 『風紀委員たる者、いかなる理由があろうとも、職務中の私的な発言はこれを禁ずる』

 

 『万魔殿(パンデモニウム・ソサエティ)の挑発に対しては、風紀委員長の許可があるまで一切の報復行為を禁ずる』

 

 『支給された装備の私的改造は、威力向上を目的とする場合のみ特例として認める』――。

 

 

 これら、公式に配られた黒い手帳に記された箇条書きのルールの他に、もう一つ、風紀委員会の内部で絶対に破ってはならない「非公式」の、しかし最も恐ろしい奇妙な暗黙のルールが存在していた。

 

 

 ――風紀委員会に所属する者は、いついかなる時であっても、風紀委員長の前で『牛丼』という単語を口走ってはならない。

 

 

 もしもその禁忌を犯し、不用意にその2文字を唇から零した者がいれば、その末路は決まって同じ。

 翌朝、病院の冷たいベッドの上で、体中に包帯を巻かれた状態で目を覚ますことになるのだ。

 

 なぜ、風紀委員会の中で牛丼はタブーなのか?

 

 なぜ、肉好きのヒナの前で言葉に出してはならないのか?

 

 

 空崎ヒナと『牛丼』……この2つの概念の間には、あまりにも深く、そして血生臭い因縁が存在した。

 

 

 時計の針を、今から2年前へと巻き戻そう。

 

 

 ヒナがまだ風紀委員長ではなく、風紀委員会の内部部門である『情報部』の一生徒として、学園内外のあらゆる情報を闇から収集し、分析していた1年生の時の話である。

 

 「空崎、今回の報告書なんだけど、ここの暗号解読の精度が実に素晴らしい。やはりあなたを情報部にスカウトして正解だったわ」

 

 「ありがとうございます、先輩。お役に立てたのなら光栄です。ただ、次の任務の前に……少しだけ、まとまった休憩をいただいてもよろしいでしょうか」

 

 「ん? ああ、構わないけど。どうかしたの?」

 

 「いえ。少々、生命維持に必要な熱量が枯渇しておりまして……」

 

 当時からその底知れない戦闘力と異常な代謝能力の片鱗を見せていたヒナ。

 

 

 しかし、ある時期を境に、キヴォトス全域に展開する大手の複数の牛丼チェーン店から、公式に『永久出禁処分』を下されていた。

 

 

 そのチェーンの名は、『吉田家』『すきやき家』『松々屋』『まんなか卯』。キヴォトスの腹ペコな生徒たちの胃袋を支える四大巨頭である。

 

 ヒナがなぜ出禁になったのか。理由は単純明白、あるいはあまりにも理不尽だった。

 

 まず1つ目は、彼女が「牛肉の中に、なぜこれほどまでに大量の玉ねぎが混入しているのか」という意味不明なポイントで激昂し、調理カウンターを物理的に粉砕したこと。

 

 「おい、店員。ちょっと面貸せよ」

 

 「は、はい!? いかがいたしましたか、お客様?」

 

 「とぼけんじゃねぇ、この器の中を見てみろ。この、肉の隙間で不気味に透き通っているブヨブヨした植物は何だ? なぜ、神聖なる牛の脂をこんな水っぽい野菜で汚しているんだ、あぁ!?」

 

 「それは……玉ねぎですが。牛丼には必須の具材でして……」

 

 「必須なわけねえだろカスがっ!! 肉以外の不純物を混ぜるなと言ってるんだよオラァ!!」

 

 ドンッ!! という爆音と共に、特注のステンレス製カウンターが真っ二つに叩き割られた。それが、最初の衝突だった。

 

 

 そして2つ目は、彼女の底なしの胃袋がもたらした、経済的なテロ行為に他ならなかった。

 

 当時のヒナは、1つの店舗に入ると、その店にある全ての牛丼の在庫――肉、米、タレに至るまで――をものの数十分で完全に平らげた。しかし、彼女の超常的な消化力は、それでは「腹1分目」にすら満たなかったのだ。

 

 「早くおかわりを寄越しなさい。あるだけ全部よ」

 

 「す、すみません! もう厨房の炊飯器も、煮込んでいた肉の鍋も完全に空っぽでして……! これ以上は何もお出しできません!」

 

 「ハァ? 冗談でしょう。この程度の質量で店を畳むつもり? ……足りない。全く、お話にならないわ」

 

 胃袋が即座にエネルギーへと変換し、食えば食うほどに飢餓感が増していく地獄のような体質。

 ヒナは、まだグーグーと獣のように鳴り響く腹を抱えながら、その店舗の在庫が切れると、すぐ隣の、あるいは隣の地区にある「全く同じ系列のチェーン店」へと足早に移動した。

 

 

 まるで、作物を食い尽くしながら移動するイカれたイナゴの大群。たった1人でその災害を体現する彼女を、業界の人間は恐怖を込めてこう呼んだ。

 

 

 ――『牛丼ホッパー』が来た…と。

 

 

 一晩で1つの都市の牛丼チェーンが機能停止に追い込まれる怪現象。

 各本部は緊急会議を開き、恐怖と共に「空崎ヒナには、絶対に牛丼を売るな」という通達を全店に回した。

 

 それが、ヒナが牛丼界から追放された真相だった。

 

 しかし、ヒナの側にも言い分はあった。情報部の暗室に戻った彼女は、デスクに突っ伏しながら、先輩に対してその胸中を激しく吐露していた。

 

 「聞いてください、先輩。私にとって、世間に蔓延る牛丼という料理は、その存在自体が我慢ならない歪んだシロモノなんです。そもそも、牛の肉を『煮込む』という行為自体が、底知れない腹立たしさに満ちているとは思いませんか?」

 

 「は、はあ……。まあ、味が染みて美味しいとは思うけど……」

 

 「優しすぎます、先輩。煮込むなんてことをしたら、せっかくの濃厚な牛の油が、スープの中に逃げていってしまうじゃないですか。……焼けよ!! 焼けゴラァ!!! と、あの情けない顔をした店員どもに叩き込んでやりたかった」

 

 「急に口が悪くなったわね、空崎……」

 

 「(肉を水で煮込むなど、人類が文明の過程で犯してしまった最大の『原罪』よ。もしも今、私の前にタイムマシンがあるならば、私は迷うことなく原始時代へと時間を巻き戻すわ。そして、火を手に入れて調子に乗っている愚かな原始人たちの胸ぐらを掴んで、こう言ってやるのよ。『煮込む暇があるなら焼け。お前たちのその安易な罪が、遥か未来のキヴォトスに消えない咎を残したんだ』ってね……!)」

 

 それほどまでに、ヒナは『煮込まれた薄い牛丼』を憎み、同時に『本物の牛丼』への渇望を拗らせていた。

 

 

 

 

 そして現在。

 

 トリニティのナギサにおんぶされ、カレーをハシゴした後の別の日の夜。

 

 ヒナは、ゲヘナ自治区の裏通りのさらに奥、およそ普通の生徒なら迷い込むこともないダークな雑居ビルの合間を歩いていた。

 

 彼女の足が止まったのは、ポップで明るい外観の店舗の前だった。

 

 看板には、デフォルメされた二頭身の可愛いヒナのイラストが描かれており、そのキャラクターが笑顔で巨大な丼を抱えている。店名は『そらさき屋』。

 

 一見すれば風紀委員長の人気にあやかったファンショップか、あるいは悪質な悪徳パロディ店に見えるが、違う。

 この店は、ヒナが自らの理想を具現化するためだけに、自身の莫大な個人資産を湯水のように注ぎ込んで作ったヒナプロデュースの新規開業店舗である。

 

 ガラガラと扉を開けて中に入ると、店内には静寂が広がっていた。客は誰もいない。ただの一人も、だ。

 

 それもそのはず、この店に並ぶ『狂気のメニュー』に、キヴォトスの並の生徒がついていけるはずがなかったからだ。

 当然、毎日が破滅的な赤字だったが、その損失分は全てヒナのポケットマネーから即座に補填されている。

 

 実質的に、ここはヒナが1人で悦に浸るための、ヒナ専用の秘密基地であった。

 

 「オーナー! お疲れ様です!! お待ちしておりました!!」

 

 カウンターの奥から、元気よく飛び出してきたのは、ヒナがどこからか雇い入れた、彼女に対して絶対の服従を誓っている太鼓持ちの若い男の店長だった。

 

 「店長。……いつもの、私の『本物の牛丼』を作って」

 

 「かしこまりましたっ! 喜んで、オーナー!!」

 

 店長が厨房で凄まじい爆音と共に炎を上げ始める。この店での調理は、一般的な牛丼屋のそれとは全く異なっていた。

 巨大な鉄板の上に載せられたのは、厚さが優に5センチはある、ステーキと見紛うような牛肉の塊、総重量20キロ。

 

 店長は、特製の霧吹きを両手に持つと、醤油と砂糖、そして純度の高い牛脂を限界まで混ぜ合わせた濃縮タレを、焼き続ける肉に向けてシュッシュと激しく吹き付け始めた。

 ジューッ!! という、鼓膜を震わせるほどの猛烈な肉汁の弾ける音が響く。

 

 「(これよ……。強火で一気に表面を焼き固め、霧吹きでタレを浸透させる。こうすることで、肉汁と脂を一切外に逃がさず、肉の内部に完全に閉じ込めることができる。これこそが、煮込みという罪を犯さない唯一の正解)」

 

 さらに、丼に盛られる米も異常だった。白いご飯などという軟弱なものは存在しない。

 醤油と砂糖、そしてこれでもかと投入された牛脂の塊と一緒に炊き上げられた、完全に茶褐色に染まった20キロの特製ライス。

 その上に、焼き上がった20キロの肉塊が、隙間なく、ギチギチとした暴力的な密度で盛り付けられていく。

 

 ドン、とカウンターに置かれた『空崎印の真実牛丼』。それは、牛丼界の常識を木っ端微塵に粉砕する、総重量40キロの茶色い山だった。

 

 「素晴らしいわ、店長。今日も完璧な焼き加減ね」

 

 「恐れ入ります、オーナー! オーナーの理論に基づいたこの焼きの技術、我ながら惚れ惚れする仕上がりです!」

 

 ちなみに、この『空崎印の真実牛丼』の価格は、メニュー表には「500クレジット」と書かれている。

 原価の数百分の1という、正気の沙汰ではない価格設定である。

 

 売れば売るほど、ヒナの資産が破産に向かって猛スピードで加速していくデスゲーム。

 

 ヒナがなぜこんな価格にしているのかといえば、「牛丼の真の素晴らしさを、安価でキヴォトス全土に知らしめるため」であった。

 しかし、その圧倒的な見た目の恐怖と脂の暴力に恐れをなし、一般客は誰一人として近寄らないため、結局流行っていないのが現実だった。

 

 「いただきます」

 

 ヒナは両手に持った特大のフォークで、5センチ厚の肉をザクッと突き刺し、豪快に口へと運んだ。

 

 

 ガブッ……! ムシャ……ジュ、ジュワァァッ……!!

 

 

 口の中に入れた瞬間、閉じ込められていた牛脂と、醤油砂糖の甘辛いタレが、爆弾のように弾けて溢れ出した。濃厚な脂が喉を灼き、米の一粒一粒に染み込んだ牛脂が胃袋へと滑り落ちていく。

 

 「(あぁ……ほっこりするわ。これが、これこそが本物の食事よ……)」

 

 ヒナは、頬を微かに緩ませながら、凶暴な速度で40キロの山を切り崩していく。

 その脳裏には、世間に蔓延る「薄っぺらい水たまり牛丼」をありがたがって口に運んでいる、哀れな消費者たちへの深い憤りと憐れみが浮かんでいた。

 あんなシャバい薄味汁で煮ただけの肉を牛丼と呼ぶなんて、キヴォトスの味覚はどうかしている。本当の救いは、ここにあるというのに。

 

 ものの10分で、40キロの丼は完全に空になった。ヒナは満足げに息を吐き出すと、カウンターに肘をついた。

 

 「店長。この店を流行らせるために、私は新しいメニューの考案を怠らないわ。キヴォトスの生徒たちの最新の流行を取り入れるべきよ」

 

 「おおっ! さすがオーナー! 常に先を見据えていらっしゃる! 具体的にはどのようなメニューでしょうか!?」

 

 店長がすかさずメモ帳を取り出し、目を輝かせる。ヒナは真剣な表情で、自身の練り上げた戦略を語り始めた。

 

 「まずは女性受けよ。最近の流行りは、おしゃれな見た目と、特定の流行食材の導入ね。だから……アボカドよ」

 

 「アボカド! いいですね! 女子生徒が大好きなやつです!」

 

 「ええ。アボカドを、まるごと50個用意しなさい。それを、さっきの20キロの肉の上に、隙間なく敷き詰めるの。もちろん、アボカドの種はくり抜いて、その穴の中に全て『溶かしバター』を並々と注ぎ込む。これで、ヘルシーでおしゃれな見た目と、必要な脂質を同時に確保できるわ」

 

 「ヘルシーの概念が完全に崩壊していますが、抜群の破壊力です、オーナー!! バターのコクがアボカドを包み込む、まさに天才の発想!」

 

 店長は狂ったようにペンを走らせる。ヒナの暴走は止まらない。

 

 「次は、美容効果を謳ったメニューよ。キヴォトスの生徒たちは『コラーゲン』という単語に弱いわ。だから、牛のぷるぷるした生脂身だけを15キロ、そのまま米の上に乗せて、上から甘いハニーシロップをボトルごとぶちまけるの。コラーゲンを出せば、どんなに重くても確実に受けるはずよ。どうかしら?」

 

 「素晴らしい!! 美容と破壊の融合、まさに新時代のレディース丼です、オーナー!! コラーゲンという大義名分があれば、ゲヘナの女子生徒も狂ったように貪り食うに違いありません!!」

 

 「そうでしょう。……フッ、やはり私のプロデュースセンスは完璧ね。これで『吉田家』も『すきやき家』も、恐怖で夜も眠れなくなるわ」

 

 誰も来ない店内で、手揉みする手から煙が出るほどゴマを擦る店長と、完全に調子に乗っている風紀委員長。

 歪んだ牛丼への愛が詰め込まれた『そらさき屋』の夜は、赤字のカウンターを激しく回しながら、静かに更けていくのであった。




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