トリニティ総合学園の目抜き通りは、キヴォトスでも随一の洗練と華やかさを誇る場所である。
大理石で舗装された路面、街頭を優雅に飾るガス灯風のイルミネーション、そして通りに軒を連ねるブランドショップや高級レストラン。
その一角に、今夜の舞台となる超最高級フランス料理店『ラ・ルミエール・ド・アンジュ』の豪奢な門構えがあった。
しかし、その美しい光景とは完全に断絶した、醜悪とも言える光景が通りの真ん中で展開されていた。
「帰る」
空崎ヒナは、店の看板を一瞥しただけで、心底嫌そうな顔をして踵を返した。その足取りには1ミリの躊躇もない。
「お、お待ちになって、ヒナさん! せっかくここまでお連れいたしましたのに!」
桐藤ナギサは顔を真っ青にしながら、必死になってヒナの背中にすがりついた。帰宅を止めようと、ナギサはなりふり構わずヒナの細い腰を両腕でガッチリとホールドする。
だが、ヒナの歩進パワーは、トリニティの最高権力者の必死の抵抗など、そよ風程度にしか認識していなかった。
ズズズズズズズズズッ!!!!
「あ、あら? あららららららっ!?」
高級な革靴の底を路面に擦り付けながら、ナギサは無様に引きずられていく。
ヒナの力強い前進により、ナギサはさながら重機に牽引される貨物車両のように、ずるずると音を立ててアスファルトの上を滑っていった。
その異様な光景に、通りを行き交うトリニティのお嬢様生徒たちが足を止め、驚愕の声を上げた。
「キャーッ!? な、何事かしらあのお姿……! ティーパーティーのナギサ様が、ゲヘナの風紀委員長に拉致されていらっしゃいますわ!」
「違いますわ、よく見てご覧なさい! ナギサ様が自ら腰にしがみついて放そうと指定されませんのよ!? まるでおもちゃをねだる駄々っ子のようですわ!」
「なんて尊い光景……! あのお二人の間には、私たちのあずかり知らぬディープな関係性が構築されているに違いありませんわ! 早く写真を、写真を撮ってSNSへ!」
お嬢様たちはスマートフォンを一斉に構え、キャーキャーと興奮しながら連写し始めた。
その日のうちに、ネット上には「#トリニティの外交崩壊の瞬間」「#ナギサ牽引祭」「#ヒナヒナトレイン出発進行」といったハッシュタグ付きの画像や動画が溢れかえり、バズり散らかすことになるのだがそれはまた別の話である。
「騙したわね、ナギサ。裏切り者」
ヒナは前進を止めないまま、冷徹な声を背後に落とす。
「サプライズにしようと思って詳細を伏せていたのは謝りますわ! だけど今夜は、ヒナさんのためにトリニティで一番格式高いお店を、私の権力と財力で完全貸し切りにしたのですのよ!?」
「うるさい、よりによって『フランス料理』なんて……ここまで喧嘩を売られたのは初めてだわ」
ヒナの冷たい言葉の通り、彼女はフランス料理……それも『コース料理』という概念そのものを心底憎んでいた。
なぜなら、彼らがお上品に差し出してくる「一皿一皿の絶対的な少なさ」は、彼女に言わせれば人類への明確な攻撃行為であり、侮辱に他ならないからだ。
食べ物というものは、大皿にキロ単位でうず高く盛られてこそ、ようやく人間様と対峙することを許される最低ライン。
数グラムの肉に小洒落たソースで落書きする暇があるなら、その皿の余白をすべて脂身で埋め尽くせ。それがヒナの揺るぎない哲学であった。
だからこそ、これまでの人生で一度もフランス料理屋の敷居を跨いだことのなかったヒナだが、ナギサは腰にしがみついたまま、必死の説得を試みた。
「分かっておりますわ! ですからシェフには、ヒナさんの想像を遥かに超える塩分と、溢れんばかりの脂、そして理性を破壊するほどの『量』を提供するよう、事前に特別な指示を出してありますの! 当然、費用はすべて私が奢りますわ! ティーパーティーの予算を丸ごと溶かしてでも、あなたを満足させてみせます!」
「……すべて、奢り?」
ピタッ、とヒナの足が止まった。ナギサは慣性でヒナの背中に顔をぶつけそうになりながらも、歓喜に瞳を輝かせる。
「ええ、ええ! 幾らでも、どれだけでも!」
「……言ったわね、ナギサ。タダ飯とその言葉に免じて、一度だけ店に入ってやるわ。だけど……もしも中に入って食べ物を粗末にした皿遊びなんて出てこようものなら……その時はあなたに『本物の地獄』を見せるから」
「望むところですわ!」
ヒナはナギサを腰から引き剥がすと、お上品な薔薇の彫刻が施された『ラ・ルミエール・ド・アンジュ』の重厚な扉を、容赦ない蹴りでバゴォン!! と蹴破って店内に侵入した。
店内では、純白のタキシードに身を包んだギャルソンや店員たちが、扉の破壊音に肩を震わせて固まっていた。
場違いなゲヘナの悪魔の襲来に恐怖する彼らの前に、ナギサはさっと、漆黒に輝く最高ランクのブラックカードを印籠のように提示した。
「良いクオリティの対応を期待しますわ。……早く、料理を持ってきなさい。彼女を怒らせては、この店ごとキヴォトスから消滅することになりますわよ」
ナギサの冷徹な命令に、店員たちはパニック状態で厨房へと走った。
まず最初に運ばれてきたのは、前菜の最高峰、フォアグラのソテーであった。
通常なら数センチ四方の濃厚な肝臓が一切れ、美しく盛り付けられているはずの皿を前に、ヒナの眉間が深く歪んだ。
「……おい、ギャルソン」
「は、はいっ!」
「これ、何かの試供品? 本番の肉はどこにあるの?」
「い、いえ……! こちらが本日最高級のガチョウから採れました、正真正銘ご提供の品でございますが……」
その瞬間……ヒナの瞳から完全に感情が消えた。
バンッ!!!!
ヒナが無表情のままテーブルを手のひらで叩いた。凄まじい衝撃波が走り、フォアグラの載った皿が垂直に跳ね上がって天井近くまで宙を舞った。
そして、物理法則を完全に無視した軌道を描き、テーブルの元の位置に、割れることも中身が溢れることもなく、寸分の狂いなく着地した。
「……聞こえなかったわ。今、なんて言ったの?」
ヒナは相変わらず無表情、しかしその顔の至るところに青筋が浮かぶ。
ギャルソンは恐怖のあまり白目を剥きかけながら、狂ったように頭を振った。
「ご、50キロ単位で持ってきます!! 厨房の在庫すべてを今すぐ!!」
数分後、テーブルの上は、信じられないほどの厚みを持ったフォアグラの「壁」で埋め尽くされた。
ヒナはそれをフォークで豪快に突き刺すと、ムッチャムッチャ、ゴクン、と頬いっぱいに詰め込みながら、瞬く間に平らげていく。
「あああああ!! 可愛い、可愛いですわヒナさん!! その、リスのように頬を膨らませながら世界最高峰の脂質を蹂躙するお姿……! 最高ですわ!!」
ナギサは狂乱しながら、片手のスマートフォンで動画を回し、もう一つのスマートフォンで狂ったように連写を繰り返していた。
次に出てきたのは、三大珍味の次なる刺客、キャビアであった。
だが、運ばれてきたのは皿ではない。
「……ほう」
ヒナが感心したように呟いた先には、通常なら展示会などで使われるような、四方が10メートルはある巨大な強化ガラス製のプールが設置されていた。
そしてその中には、黒い真珠とも呼ばれる最高級キャビアが、並々と、文字通り溢れんばかりに満たされていたのである。数十億クレジットは下らないであろう、狂気の質量。
ヒナはキャビアプールに近づくと、何のためらいもなく、その場でバサリと外套と制服を脱ぎ捨てた。
その下には、なぜかスクール水着(3-4:空崎ヒナの名前入り)が着用されている。
「ヒ、ヒナさん!? なんて破廉恥な……! いけませんわ、そのようなお姿……!」
ナギサは咄嗟に両手で目を覆った――が、指の隙間をこれでもかと全開に広げ、まじまじとヒナの白い肌とスクール水着の境界線を凝視していた。
興奮のあまり、ナギサの鼻からはツララのように鮮血が垂れ流されていたため、お上品な口調の説得力は皆無であった。
ヒナはそんなナギサを完全に無視し、超人的な跳躍力で、10メートルプールへとダイブした。
ザッパーン!!と、黒い粒の波飛沫が上がる。
ヒナの小さな体が完全に埋まるほどの深さのキャビアプールの中で、彼女は豪快にクロールで泳ぎ回りながら、大口を開けてその漆黒の結晶をゴクゴクと飲み干していった。
高級な塩分と魚卵の濃厚な旨味が、彼女の乾いた喉と胃袋を極限まで満たしていく。
この圧倒的な体験は、ヒナの精神に深い感銘を与えた。
彼女の脳内にある『将来の夢のリスト』が、静かに書き換えられていく。
・チョコレートになりたい
・全世界の共通貨幣を岩塩にする
・地球の土全てをクッキーにする
・ヒナブランドの全身100%脂身で出来た牛を開発すること
・キャビアになりたい←New dream!!
まさに、彼女の狂信的な食の帝国に、新たな領土が加わった瞬間であった。
しかし、次に出てきた『コンソメスープ』によって、ヒナの幸せな時間は唐突に終わりを迎えた。
運ばれてきた、美しく澄み切った琥珀色のスープ一瞥したヒナの顔から先程までの悦楽が全て消え失せた。
「……シェフを呼びなさい、今すぐに」
地を這うような声に応じ、奥から震えながら出てきた総料理長に対し、ヒナは椅子を蹴飛ばして掴みかかった。
「おい、ジジイ…貴様、私を舐めているのか? 金を取って、ただの『お湯』を飲ませるなんて、一体どういう詐欺ビジネスだ、あぁ!? スープが透き通っているだと? ふざけるな、不純物を極限まで濾過した結果、旨味(あぶら)まで全部捨て去っているじゃないのよ!!」
「ひ、ひえぇっ! それがコンソメの極致で……!」
「言い訳するなボケが!!」
ヒナは総料理長を突き飛ばすと、隣で動画を撮っていたナギサの胸ぐらを激しく掴み、前後に揺さぶった。
「ナギサ!! お前の紹介する店は、こんな悪質な水分詐欺を働く無法地帯なのか!? フォアグラとキャビアの幸福感を台無しにしやがって!! 腹切るか!? 腹切って詫びるか、あぁ!?」
「ひ、ひいいいいいいぃっ!? 次! 次の料理を持ってきなさい! 早く!!」
ナギサはヒナに胸ぐらを掴まれ、足が完全に地面から浮いた状態のまま、宙を浮きながら必死にスタッフに指示を出した。
続いて運ばれてきたのは、美しく型に詰められた「テリーヌ」であった。しかし、その断面に色鮮やかなヤングコーンや人参が見えた瞬間、ヒナの怒りは再沸騰した。
彼女は再びシェフと、そのテリーヌを作った担当調理師を目の前に呼びつけた。
「……部下の教育はどうなっているの? テリーヌ? 笑わせるんじゃねぇぞ!! 肉のジュレの隙間に、なぜこんな『草』が堂々と敷き詰められてるんだよ!!この店はこんなに堂々とした犯罪を犯してるのか!? 今すぐ警察を呼べ!! お前ら全員、肉への名誉毀損罪で豚箱にぶち込んでやる!! 戦争よ!! 法廷で徹底的にぶちのめしてやるから覚悟しとけ!!!」
ヒナのヤンキー顔負けの恫喝に、厨房スタッフたちは失禁寸前で平伏した。
「次、メインディッシュの『子牛のソテー』です……」
「子牛のソテー? はぁ〜〜〜??? そんなヒョロい牛ガキで、私の胃袋をごまかせると思ったら大間違いよ。成体の、現役バリバリの凶暴な雄牛を、丸ごと一頭丸焼きにして持ってこい!!」
店員たちは大急ぎで、トリニティの秘密地下倉庫から調達してきた野生の巨大牛を、一頭丸ごとローストしてテーブルにドン!! と叩きつけた。総重量800キロを超える肉の山。
ヒナはその巨体に躊躇なく食らいつき、頭の骨から、蹄に至るまで、バリバリ、ゴキゴキと恐ろしい音を立てて噛み砕き、咀嚼し、飲み込んでいった。文字通り、骨の一本すら残らなかった。
「ひ、ひいいぃっ……! 悪魔だ、ゲヘナの悪魔が牛を骨ごと喰うておられる……!」
店の片隅で、店員たちが一塊になってガタガタと震える中、ナギサだけは違った。
彼女は恋する乙女のように頬を染め、うっとりとした表情で、瞬きをすることすら忘れてその『捕食劇』を録画し続けていた。
「そして最後は、デザートね。……生クリームを、ビル1棟分持ってきなさい。それで今日の非礼をすべて帳消しにしてあげるわ」
店外の通りに、巨大な産業用コンテナ車が横付けされた。コンテナの内部には、数十トンの最高級生クリームが限界まで充填されている。
そこから太い給水用ホースが店内に引き込まれ、ヒナはそのノズルを小さな唇で咥えた。
ズゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ!!!!!
ダ○ソンの掃除機すら平伏するほどの、超常的な吸引力。コンテナ車がミシミシと音を立てて凹んでいく中、ヒナはわずか数分で、ビル1棟分の生クリームをすべて自らの体内へと吸い尽くした。
店員たちは、もはや世界の終わりを目撃したかのようにただただ立ち尽くし、ナギサは極上の映画のクライマックスを見たかのように、深い感動と共に録画ボタンを押し続けた。
すべての食事が終わった。
店内に残されたのは、完全に空になったプールと、綺麗に舐め尽くされた夥しい数の皿、そして空っぽのコンテナ。
そしてテーブルの中央には、食べたものの質量がそのまま反映され、直径10メートルほどの完璧な『球体』へと巨大化した空崎ヒナが、ドームのように鎮座していた。
手足が球体からちょこんと飛び出している、異様極まる姿である。
「……コンソメスープとテリーヌの時は、本当に殺してやろうかと思ったけれど。……フォアグラとキャビアと生クリームの量で、今回は相殺してあげるわ。フッ…命拾いしたわね、ナギサ」
ヒナは、10メートルの球体の姿のまま、冷たく言い放った。
「(なんと素晴らしい……! 今、私は生命の、いや、キヴォトスの奇跡を目の当たりにしていますわ……!)」
ナギサが心の中で狂喜乱舞した、その瞬間だった。
ヒナの巨体が、内側から凄まじい熱気を放ちながら、シュウウウウウ……と目に見える速度で縮み始めたのだ。
超常的な代謝能力が、数十トンの質量を瞬時に純粋なエネルギーへと変換していく。
――ジャスト10秒。
そこには、何事もなかったかのように、元の小柄で可憐な体型に戻った空崎ヒナが、衣服を完璧に着直して立っていた。
「素晴らしいわ、ヒナさん……! 本当に素晴らしいお姿です!」
ナギサが涙を流して拍手する中、思いのほか胃袋が満たされたヒナは、微かに満足げな表情を浮かべた。
「……フン。思いの外、機嫌が良くなったわ。少しはフランス料理というものを見直してあげてもいい。……ナギサ。今すぐ、次のフランス料理の店に連れていきなさい。私の胃袋は、まだ始まったばかりよ」
ナギサの時が止まった。
さっきの料理は、トリニティの総力を挙げ、何日も前からの準備と準備を重ねてようやく提供できた奇跡の産物。
それを、事前連絡なし、予約なしで次の店に突入するなど、ただの経済テロであり、1軒の高級店を物理的・概念的に圧殺して潰すに等しい行為である。
しかし
「はぁ〜い❤︎ すぐに手配いたしますわ、私の愛しいヒナさん!」
今のナギサにとって、そんな常識や倫理はどうでもいいゴミそのもの。
彼女はとろけた笑顔でスマートフォンを取り出すと、近隣の別の最高級フレンチにダイヤルし、狂気のフルコースの準備を命令し始めるのだった。
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