ダンジョンにはTSがつきもの 〜TS転生した最強探索者、自分への愛が重すぎて他人への愛に気づかない〜   作:炭水化物は飲み物

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お試し感覚

脳みそ空っぽにして見て欲しいかも

5/13 ちょっと内容変更


ダンジョンにはTSがつきもの 〜TS転生した最強探索者、自分への愛が重すぎて他人への愛に気づかない〜

「世界の外から来たものを神と呼ぶか、怪物と呼ぶかは、遭遇した者が祈ったか、戦ったかで決まる」

 

 

 

 ――異界到来論〈ギアス〉・序文

 

 

 

 

    ◇

 

 

 

 

 血の味を引きずって、肺の底から這い上がってきた笑いだった。

 

 痛みでも、恐怖でも、ましてや喜びでもない。

 

 

 

 もっと根の深い場所――俺という人間が、生まれた瞬間からそこに在った衝動。それが、笑いという形で外へ滲んでいる。

 

 

 

 だからこそ、目の前のバケモンを「魔物」だの「怪物」だの、そんな手垢のついた言葉で括る気にはなれなかった。

 

 

 

 ……いや待て。俺は今、何を冷静に観測してんだ。

 

 

 

 あ? 何言ってんのか分かんない? 知るかバカ、俺だってわかんねぇよ。

 

 

 

 ともあれ事実として、目の前のソレは、訳が分からないものだった。

 

 

 

 形は、ある。輪郭も、ある。網膜には、確かに映っている。

 

 

 

 なのに、だ。

 

 なのに、どうしてだろうか。

 

 

 

 視ているはずの何かが、視ているそばから滑り落ちていく。理解という器の縁を、するりと逃れていく。掴もうとして手を伸ばすたび、そこにあったはずの輪郭が、影だけを残して反対側へ抜けていく。

 

 

 

 獣か? 違う。

 

 人型か? 違う。

 

 生物か。存在か。

 

 

 

 ああ、もうそこすら怪しい。

 

 

 

 〈神〉。それも、おそらく高位クラス。

 

 

 

 前にも同じようなものと殺り合ったことはあるが、そいつらはこんなにやべぇ存在じゃなかった。

 

 

 

 

「──────っ、は」

 

 

 

 

 喉の奥で、笑いが漏れた。

 

 

 

 潮時、か?

 

 

 

 ここはダンジョン最下層と明記されている、そのさらに下。記録にも残っていない。地図にも階層図にも載っていない、完全な未知。光も、温度も、まともな人間の理屈や常識すら届かない深度。

 

 

 

 潜って、潜って、潜り続けた末に、ようやく辿り着いた終端の、そのまた先。

 

 

 

 ようやく、だ。

 

 ようやく、ようやくなんだ……!

 

 

 

 肺は焼けている。右腕の骨はとうに逝っているし、肋も何本かやられた。腹も浅くない。血が口の端から垂れ、視界の端は黒く滲み始めている。命の終わりが、視界の隅から少しずつ手招きをしていた。

 

 

 

 壊れた骨の代わりに、ユニークスキル戦気で仮の芯を通す。裂けた筋繊維を無理やり縫い合わせ、砕けた関節の噛み合わせを戦闘に特化した骨組みに変形させ、血の抜けた肉体へ魔力を捻じ込んで、まだ戦える形に押し戻す。

 

 

 

 治癒であり、修復。

 

 

 

 戦闘に不要な痛みと損傷を黙らせ、動くための形に押し込んでいるはずなのに――それでも、足りない。

 

 

 

 強度を上げた腕が、一撃でへし折れる。重心をずらして避けたはずの爪が、まるで最初からそこに俺の腹があったみたいに、肉を抉る。

 

 

 

 骨格を組み替える。筋肉の流れを変える。防御の層を一枚増やす。踏み込みを半拍ずらす。視線を壁で切る。呼吸を消す。

 

 

 

 それでも、当たる。

 

 避けたはずなのに、当たる。

 

 防いだはずなのに、砕ける。

 

 読んだはずなのに、次の瞬間には読みそのものが古くなっている。

 

 

 

 

「はは……!!」

 

 

 

 

 どんな、どんな原理なんだ?!

 

 

 

 笑いが漏れた。おかしい。俺は今、数秒前の俺より確実に強い。

 

 

 

 一撃ごとに身体の使い方を耐えうる強度に作り直し、壊されるたびに余計なものを捨て、死に近づくたびに戦気の精度を上げている。数秒前の俺なら、もう死んでいるだろう攻撃。それを、今の俺だから立っていられる。

 

 

 

 なのに。

 

 

 

 そんな今の俺でさえ、目の前のバケモンにとっては、出来の悪い玩具と大差ないらしいぜ?

 

 

 

 弄ばれている? 試されている? もしくは、人形遊びをしているのか。

 

 

 

 

 ……いや、それすら不愉快らしい。

 

 

 

 

 向こうには、そんな意思すらないのかもしれない。ただ動いただけで、俺が壊れている。

 

 

 

 ……いい。

 

 いいぞ。

 

 最高だ……!!!!

 

 

 

 全身が壊れていく音を聞きながら、心だけが、ただただ静かに燃えていた。

 

 

 

 ここまで何もかもが通じない相手は、初めての経験。

 

 

 

 踏み込む。殴る。振り抜く。当たっている。確かに触れている。なのに届かない。

 

 

 

 こっちの一撃は、たしかに何かへ触れているはずなのに、致命へ届く手前で意味だけが滑っていく。殴っているのに、殴れていない。捉えているのに、捉えきれない。

 

 

 

 手応えが、遅れる。

 

 手応えそのものが、どこかで捻じ曲がっている。

 

 

 

 

「っ、はは……! ははははは!!!!!!!!」

 

 

 

 

 笑みがこぼれる!!!!!

 

 心臓が、楽しんでる!!

 

 思考が!! 俺の中の自問が!! 止まらねぇ!!

 

 

 

 何だそれ! 何なんだそれぇ!!

 

 

 

 ははっ、おかしいだろこれ! いや、違う。違うぞ!! おかしいという言葉は、こちら側の規則から外れたものへ貼る札である! こいつが本当に規則から外れているのか、そもそも俺が立っている規則の方が浅いだけなのか? いいや違う。いや違わない? 見誤るな俺ぇ!! 今のコイツはそういう理論や理屈じゃ通らねぇのは経験したはずだ!! 俺の拳は確かに触れた!! 触覚も! 衝撃も! 反作用もあった! なら? ならならなら?!「当たっていない」わけじゃない。問題は、当たった後だ!! 致命へ至るはずの意味だけが、滑る滑る滑る。まるで雨の日のピカピカなマンホールのように。肉を裂く、骨を砕く、核へ届く。そういう結果へ繋がる直前で、世界の側が成立していないと言い張るみてぇに! そう、事実。事実の接続が外される!! 魔力の防御なら押し潰せる。実際に初撃はそれが通った。二撃目からは終わったけど。術式なら構造を読める。神経経由の魔導信号なら伝達の遅れを斬れる。企業の改造兵器なら、どれだけ粘ついたバケモンでも必ずどこかに処理順序がある。あるはずなんだよなぁ!! だが! だが!! こいつは違う。こいつは間違いだった!! 順序がないんじゃない。順序そのものを、後から都合よく並べ替えてんだよ!! こいつはプレイヤーじゃない! GMだ。管理者なんだ。位置から位置へ動いているんじゃない。【そこにいた】。この訳の分からん結論を先に置いて、過程を後から世界へ押し込んでいる。だから視認が遅れる! だから手応えが狂う!! だから殴っているのに、殴ったという結果だけが届かない!!! それを都合よく書き換えてやがるから!! なるほど、なるほどな? 分かりやすい。最悪なくらい分かりやすいぞ。それと同じぐらい最悪なぐらいのぶっ壊れ野郎だってわかっちったぜ。つまり。つまりだ? 俺が殴るべきなのは肉でも外殻でも輪郭でもない。こいつが世界へ自分の存在を認めさせる、その一瞬。結果が結果として固定される前の、まだ名も形も持たない接続部。そこへ俺の戦気を捻じ込む!! そうすりゃ勝tfd……クソが、脳爆散されて思考が乱れやがった。どこまで考えた。思考した。外角……輪郭……接続部の攻撃!! おお、俺は天才か? 天才だなぁ!! そんでもって俺の意志で俺が殴ったという事実を先に立てる! 向こうが世界へ「そこにいる」と命じるなら、こっちは世界へ「そこを殴った」と命じ返せばいい。単純だ。乱暴だ。最高だ。だが、戦いなんて最終的には全部そうだろう!? より速く、より深く、より強く、自分の都合を現実に押しつけた方が勝つんだよ!! ……いや、待て。落ち着け。もう一度考えろ。接続部なんて本当にあるのか……? いや、あると仮定した瞬間、もうそれはこっちの理解に落ちている。理解に落ちたものが、こいつの本質であるはずがない。そうであった場合、最初の時点で俺の存在はなかったことになる。なら、なら……俺が見ているこれは、本質ではなく、本質がこちらに触れるために仕方なく作った影か? 影を殴っても、光源には届かない? いや、違う。影があるなら遮るものがある。遮るものがあるなら輪郭がある。輪郭があるなら、境界がある。境界があるなら、そこは裂ける。裂けるなら、潜れる。潜れるなら、届く。核心へと、本体へと届く。はは、はは! いい。良いぞぉ!! 論理は通った。理屈もまぁ通っただろう! たぶん通った! おそらく! 途中で三回くらい狂ってる気もするが、戦場の理屈なんて生き残った後で採点すればいい。今は十分だ。ゼロじゃない。ゼロじゃないなら、勝つことができる。勝つことができるということは、戦うことができる。戦う理由には十分。十分なんだよ!!!!!!

 

 

 

 以上、現実時間にして0.01秒。その間に、胴体、頭、四肢を5、6回ほど消し飛ばされた。超絶笑える。

 

 

 

 目の前のバケモンが動く。視界から、即座に消滅。これがデフォになってやがる。

 

 

 

 ……いや、消えてはいないんだよなぁ。まさかの、俺の認識の方が置き去りにされただけだ。

 

 

 

 一応これでもこの世界じゃトップ独走してんだけどなぁ。へこむなぁ!!

 

 

 

 

「ガ……っ……?!」

 

 

 

 

 次の瞬間には、腹が抉られていた。遅れて衝撃が来る。肉が裂け、臓腑が噴き出し、血みどろの肉塊となった体は蒸発し――そのまま岩壁に叩きつけられた。

 

 

 

 

「ははっ……ははははははっ!!」

 

 

 

 

 笑いが止まらない。

 

 

 

 痛い。たまらなく、痛い!!

 

 

 

 その痛みすら、今は燃料となる。

 

 

 

 格が違う。強さの芯が違う。今まで殺してきた連中とは、何もかもが違う。暴力の密度が違う。存在の奥行きが違う。こっちが積み上げてきたものを、まとめて嘲笑うような差がそこにある。

 

 

 

 あの役にも立たない研究員も、改造兵も、戻れなくなった実験体も、誰もここまで届かないだろう。あいつらは全員、もっと弱かった。脆かった。もっと、人間の範囲内に収まっていた。

 

 

 

 だからいい。

 

 だからこそ、たまらない!

 

 

 

 もっと見せろ。もっと寄越せ!

 

 

 

 その強さの核心を、俺に触らせろ……!!!

 

 

 

 戦気を絞る。ただ流すんじゃない。捻じ切る。圧縮する。重ねる。

 

 

 

 これまでの戦いで積み上げてきた理屈も経験も、全部まとめて"今この瞬間の最適"へ叩き込んでいく。腕へ。脚へ。視線へ。呼吸へ。空間へ。奴へと。

 

 

 

 破損しかけた身体の内側を、無理やり戦うための形へ矯正する。細胞を作り、肉を縫い、骨を再構築させる。

 

 

 

 足りない。何もかも足りない! こんな状態で戦っていたら、俺は死ぬ!

 

 

 

 だったら。

 

 だったらぁ!

 

 

 

 削れ。もっと捨てろ。余計なものを殺せ! 費やせ!

 

 

 

 殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ!!!!!!!!!

 

 

 

 一歩、踏み込む。さっきまでより深く。さっきまでより細く。

 

 

 

 景色が、変わる。

 

 

 

 敵の前肢が、わずかに見える。踏み込みの前に走る"溜め"が、塊が、漏れが、見える。魔力の揺れが、見える。

 

 

 

 ああ、そうか。

 

 

 

 そうかそうかそうかそうか!!!

 

 

 

 そうやって噛み合っているのか! そうやって世界の側へ喰い込んでいるのか!

 

 

 

 はは、見えた、見えてきたぞ! 座標!! 座標の上書き! 位置から位置へ移るんじゃなくて、自分のいる場所そのものを"そこ"だと世界に再定義させてやがる、だから視認が間に合わない、認識が後追いになる、当たり前だ、追えるわけがねぇ、追う対象の方が世界より先に動いてる! はは! なんだよマッハじゃなくて瞬間移動かよ!! じゃあ攻撃は? 爪でも牙でも腕でもないあのナニカは、たぶん同じだ、肉の側じゃなく結果の側に直接干渉してる、だから手応えが滑る、致命の手前で意味だけが捻じれる、ああそういうことか、なるほどなるほど、ようやく一つ繋がった! じゃあどうするか――ぶつける場所を変えよう! 肉に当てるんじゃない! 奴が世界を書き換える、その"瞬間"に拳を捻じ込んでやればいい、再定義より速く、上書きより前に、書く側の手元へ直接!! はは、ははっ、見えた、見えた、見えたぞ!

 

 

 

 理解が、一段深くなる。

 

 

 

 同時に、戦気の通り方が変わった。さっきまで暴れていた熱が、急に一本の線になる。圧縮率が跳ね上がる。出力の逃がし方が変わる。死にかけの身体が、死にかけているからこそ、不要なものを勝手に切り捨て始める。

 

 

 

 笑う。笑ってしまう。

 

 

 

 成るほど、そうか。

 

 

 

 お前と殺り合えば、俺はまだ上がれるのか!?

 

 

 

 

「いいぞ……!」

 

 

 

 

 口角が、吊り上がる。

 

 

 

 

「そのまま来い!!」

 

 

 

 

 吼える。

 

 

 

 次の瞬間にはもう、それの懐へ踏み込んでいた。

 

 

 

 頬が裂ける。肩が砕ける。左脚が、遅れて悲鳴を上げる。

 

 

 

 知るか。

 

 

 

 その全部を無視して、拳を捻じ込む。当たる。今度は、前より深い。

 

 

 

 それの輪郭が、ほんの一瞬だけ、現実へ寄った。手応えが、変わる。

 

 

 

 

「っ、は……!」

 

 

 

 

 これだ……!

 

 

 

 まだ浅い。まだ核じゃない。だが、触れた。強さの表層じゃない。もっと奥にある"本当の何か"へ、指先だけは、届いた!

 

 

 

 なら、次だ。次でもっと深く潜る。次で剥がす。次で掴む!

 

 

 

 敵が腕を振るう。空間が、軋む。座標ごと刈り取るみたいな一撃が、来る。

 

 

 

 それを真正面から受けながら、俺は笑っていた。

 

 

 

 死ぬかもしれない?

 

 

 

 だから何だ!

 

 

 

 こういうのを待っていた。こういう、次の一瞬で死ぬかもしれない場所でしか、俺の血はまともに沸かない。

 

 

 

 ここには本物がある。本物の死と、本物の強さがある。

 

 

 

 だから。

 

 

 

 もっとだ。もっと寄越せ。もっと俺を壊せ!

 

 

 

 もっと、もっと、もっと──────その先を、見せろ!!

 

 

 

 戦気が、唸る。身体の内側で、何かが弾けた。

 

 

 

 感覚が増える。視界が増える。時間が細く裂け、相手の動きが分解されていく。

 

 

 

 拳の角度。重心の移動。衝撃の散らし方。死角への潜り込み方。相手が"世界の理"へ干渉する、そのほんのわずかな癖。

 

 

 

 全部が、見える。

 

 

 

 いや、見えるように、なっていく。急激に。無理やり。喰らいながら。死にかけながら。

 

 

 

 戦いの中で、俺が、俺自身を追い越していく。

 

 

 

 ああ、最高だ……これだ! 欲しかったのは!

 

 

 

 

「──────っ、はは、はははははっ!!」

 

 

 

 

 視界が赤い。血か。興奮か。もう今は、どっちでもいい。脳も、思考も、蒸発した。

 

 

 

 もう一度、踏み込む。

 

 

 

 敵が、迎え撃つ。ぶつかる。崩れる。砕ける。壊れる。

 

 

 

 それでも、まだ足りない。届きそうで、届かない。掴みかけて、滑る。

 

 

 

 あのバケモンの奥にあるもの。強さの芯。理不尽の核。存在そのものを成立させている、もっと深い"理"。

 

 

 

 あと少し。あと少しで、そこに、触れる──────!

 

 

 

 ああ、いける!

 

 

 

 届く──────!

 

 

 

 

 その瞬間。

 

 

 

 

 

 視界が、裏返った。

 

 

 

 

 

 衝撃というより、座標ごと引き剥がされる感覚だった。上下も前後も意味を失い、黒が世界を塗り潰していく。落ちているのか、浮いているのか、それすら分からない。

 

 

 

 

「……ぁ?」

 

 

 

 

 そこで初めて、笑いが、止まる。

 

 

 

 何だ、これ。

 

 

 

 敵の姿が遠ざかる。いや、遠ざかっているのは……俺の方か?!

 

 

 

 掴みかけた。ほんの少しだけ、あのバケモンの本質へ触れかけたんだ。あと少しだった。あと少しで、強さの核が、理不尽の正体が、この手に、引っかかるはずだった。

 

 

 

 なのに。

 

 なのに──────!

 

 

 

 

「ふっ、ざけんな……!」

 

 

 

 

 伸ばした指先が、何も掴めないまま、虚空を切る。

 

 

 

 そこで、俺の意識が、途切れた。

 

 

 

 最悪な後悔を、舌の上に残したまま。

 

 

 

 

    ◇

 

 

 

 

「……で?」

 

 

 

 

 目が、覚めた。

 

 それはもう、ぱっちりと。

 

 

 

 白い天井が、見える。のっぺりとしていて、継ぎ目も傷もない。岩肌では、ない。土の匂いも、しない。鼻に入ってきたのは、血でも瘴気でも、焼けた肉の臭いでもなく――妙に薄い、洗った布みたいな、清潔な匂いだった。

 

 

 

 

「……はぁ、なんで?」

 

 

 

 

 間の抜けた声が、出た。

 

 

 

 生きている。まずそこが、意味分からん。

 

 

 

 いや、生きていること自体は別に悪くない。死ぬのも悪くないが、生きているなら次がある。次があるなら、あの訳の分からんバケモンに、もう一回届く可能性もある。

 

 

 

 だから、まあ、いい。

 

 

 

 問題は、そこじゃない。

 

 

 

 

「……届きかけてたんだが? あとちょっとで至ってたんだけど?? 絶頂してたんだけど???」

 

 

 

 

 声が、低くなった。

 

 

 

 最下層、そのさらに下。あの、形容しがたいバケモン。理不尽の芯。強さの核。存在の奥にある、本物の何か。

 

 

 

 あと少しだった。あと半歩。いや、半歩ですらない。指先の皮一枚。ほんの僅かでも深く潜れていれば、あの奥に触れられた。

 

 

 

 なのに。

 

 

 

 掴めなかった。

 

 

 

 

「……チッ」

 

 

 

 

 舌打ちが、漏れる。

 

 

 

 逃げられた、とは思わない。邪魔された、とも思わない。あの瞬間、俺が足りていれば、届いていた。

 

 

 

 足りなかった。つまり、俺が悪い。実に、分かりやすい。

 

 

 

 

「はぁぁぁぁぁぁぁ」

 

 

 

 

 そりゃこんなため息と怒りが出るわけだ。

 

 

 

 だが、いつまでもベッドの上でキレていても強くはならない。反省は、後でいい。今は、状況確認だ。

 

 

 

 俺は上体を起こした。

 

 

 

 軽い。

 

 

 

 

「……ん?」

 

 

 

 

 軽い。もう一度、身体を動かす。

 

 

 

 痛くない。腕も動く。脚も動く。呼吸も通る。

 

 

 

 さっきまで胴体が何度か爆散して、その修復過程で大事な部分しか修復してなかったから、普通に絶叫レベルの痛みがあるはずなんだが。だけど、その辺りの主張が、一切ない。

 

 

 

 不気味なくらい、健康。というか、ふわふわすぎる。なんだこれ。

 

 

 

 

「……だれぇ?」

 

 

 

 

 そこで、ようやく違和感が来た。

 

 

 

 視線が、低い。肩幅が、狭い。腰の位置が、違う。腕の長さも、重心も、呼吸の入り方も、俺の知っている身体と微妙に違う。

 

 

 

 微妙どころじゃ、ないかもしれない。

 

 

 

 何というか、全体的に、小さい。

 

 

 

 小さい。

 

 ……小さい?

 

 

 

 

「は……?」

 

 

 

 

 俺は、自分の手を見た。

 

 

 

 白い。細い。指が、長い。

 

 

 

 戦闘用に鍛えた男の手、というより、妙に綺麗な手だった。すべすべ。爪も、きっちり手入れが行き届いている。シミも傷もなく、まるで赤ちゃんみたいな、おてて。

 

 

 

 

「…………」

 

 

 

 

 沈黙。状況確認。

 

 

 

 白い手。細い腕。やたら軽い身体。視線が、低い。

 

 

 

 胸元に、謎の重み。

 

 謎の重み。

 

 ……なぞ、の、おもみ。

 

 

 

 …………フニュン。

 

 

 

 

「……待って、待って待って?」

 

 

 

 

 待った。何がフニュン? 何も、待ってくれなかった。

 

 

 

 胸の前に、ある。何かが。わりとしっかり。

 

 

 

 ……D、いやE。

 

 

 

 

「……」

 

 

 

 

 俺はゆっくり、視線を上げた。

 

 

 

 部屋の隅に、姿見がある。なぜある。しかも結構、大きい……いや、そんなことなかった。俺が小さいだけか。

 

 

 

 ……イラっとするな、なんか。

 

 

 

 いや、助かる。助かる? 助かる……のか?

 

 

 

 一応、助かる、かも。現状確認には、必要だ。

 

 

 

 俺はベッドから降りた。一歩目で重心がずれて、少しよろける。

 

 

 

 

「うわ、軽っ。うさぎかよ」

 

 

 

 

 身体が、軽い。軽すぎる。

 

 

 

 前の身体なら、多少の損傷があっても地面を踏み潰す感覚があった。今の身体は、床を踏んでいるというより、床の上に乗っている感じがする。

 

 

 

 気持ち悪い。だが、悪くない。慣れれば速そうだ。

 

 

 

 そんなことを考えながら、鏡の前に立つ。

 

 

 

 映っていた。

 

 

 

 

    ◇

 

 

 

 

 最初に目を奪われたのは、髪だった。

 

 

 

 夜をそのまま糸にしたような、黒髪。その内側に、燃え残った火種みたいな赤が潜んでいる。光の角度が変わるたび、黒の奥から赤がちらつき、まるで血を吸った刃の反射みたいに、ぞっとするほど綺麗。

 

 

 

 長い。肩を越え、背へ流れ、腰の少し上で揺れている。手入れなどした覚えはないのに、指を通せば絡むこともなく滑り落ちそうなほど細く、柔らかく、妙に艶がある。

 

 

 

 次に、顔。

 

 

 

 

「ちっさ。いやちっさ」

 

 

 

 

 小さい顔だった。輪郭は細く、顎の線は華奢で、頬にはまだ幼さに似た丸みが残っている。だが、その幼さを甘さだけで終わらせないだけの鋭さが、目元にあった。

 

 

 

 睫毛が、長い。濃く、深く、瞬きをするたびに、影が落ちる。

 

 

 

 瞳は、黒い。けれど、単なる黒ではない。光を吸い込むような、底の見えない黒だ。そこに赤い髪の色がわずかに映り込むせいで、時折、瞳の奥に火が灯ったように、見える。

 

 

 

 綺麗、というより、なんか危うい。なんか、えっちぃぞ。

 

 

 

 可愛い、というには目が冷たすぎるけど、それを加味しても、可愛い。

 

 美しい、というには、幼すぎる身長。

 

 

 

 

 白い肌は、病的というほど弱々しくはない。むしろ、余計な熱を削ぎ落としたみたいに、澄んでいた。首筋から鎖骨にかけての線は、細く、薄い。肩も、小さい。腕も脚も、以前の俺の身体とは比べものにならないほど、華奢だった。

 

 

 

 だが、弱そうではなかった。細いだけじゃない。

 

 

 

 余計な肉がなく、動くために必要な線だけを残した身体。柔らかそうに見えるのに、重心の置き方ひとつで空気が変わる。飾るための美しさではなく、刃物を人間の形に押し込めたような、妙な緊張感があった。

 

 

 

 脚は、長く見える。いや、実際の身長は低い。視線の高さからして、かなり小さい。……なんでだ。

 

 

 

 だが、腰の位置と膝下の線が妙に整っているせいで、鏡の中の姿は小柄なわりに、均整が取れていた。

 

 

 

 胸も、ある。そこだけは、見間違えようがなかった。

 

 

 

 細い肩、薄い腰、白い肌――その流れの中に、不自然なくらい柔らかい丸みが存在している。戦うための身体として見れば、邪魔そうで。女の身体として見れば、腹立たしいほど、形がいい。

 

 

 

 全体としては、綺麗に作られすぎていた。偶然で、こうはならない。髪の色も、顔の造形も、肌の白さも、身体の線も、どれもこれも、誰かが悪趣味なほど丁寧に整えたみたいだった。

 

 

 

 黒と赤。白い肌。底のない瞳。華奢な輪郭。

 

 

 

 柔らかさと鋭さが同居した、チビロリ美少女。

 

 

 

 鏡の中のそれが、俺と同じ顔で、こちらを見ている。

 

 

 

 

「……顔が良いけどそれを許さないロリ。あのマッドなロリコン野郎が見たら、暴走してるんじゃないのか?」

 

 

 

 

 思わず、そんな感想が漏れた。

 

 

 

 自分の身体に向ける言葉としてはだいぶ間抜けだが、他に言いようがない。

 

 

 

 ……あまりにも美少女だもん。

 

 

 

 腹が立つほど、完成度の高い美少女だった。そしてそれが、俺だった。

 

 

 

 

「……なぜに?」

 

 

 

 

 やっぱりそこだけは分からない。

 

 

 

 

「……そんでなぜに女?」

 

 

 

 

 鏡の中の美少女も、同じ顔で呟いた。いや、俺であるから同じ顔はドッペルすぎるか。そこは分かる。分かるが、納得はしていない。

 

 

 

 

「というか、なぜにチビ?」

 

 

 

 

 そこも、問題だった。てか、ある意味、台無し……いや、そっちのが需要あるのか?今の人間どうなってんだ。

 

 

 

 女になった。まあ、分からん。

 

 美少女になった。もっと、分からん。

 

 チビになった。なんでぇ?

 

 

 

 いや、女になっている時点で大概なのだが、身長まで削る必要あったか? 誰の判断だ。出てこい。殴るから。消し飛ばすから。ちょっと感謝した後に跡形もなく飛ばしてやる。

 

 

 

 鏡の前で、しばらく固まる。冷静に考えてみよう。

 

 

 

 最下層のさらに下で、世界のバグみたいな何かと殺り合った。届きかけた。神秘と言えば少し乱雑。純粋な暴力と言えば美しすぎる、あの核心の力。そして視界が裏返った。意識が飛んだ。目が覚めた。知らん部屋。女。ロリ。そんでもってどこに出しても人が集まるような美少女。

 

 

 

 

「…………」

 

 

 

 

 俺は、腕を組んだ。鏡の中の美少女も、腕を組んだ。

 

 

 

 顔が良い。腹立つくらい顔が良い。正直自分好みすぎる。

 

 

 

 

「……なに、なぞなぞ? 答えは?」

 

 

 

 

 答えが、出なかった。

 

 

 

 どう考えてもあそこにいたバケモンが仕組んだことなのは間違いない。何なら今も見てるんじゃないかと思う。性別も何もかも変えて戸惑う俺を見て嘲笑ってるかもしれない。

 

 

 

 ……それにしても、だ。

 

 

 

 

「…赤ちゃんみたいな肌」

 

 

 

 

 おずおずと、指先を自らの頬に這わせた。

 

 

 

 吸い付くような肌のきめに指がわずかに沈み込む。かつての乾いた張りと、硝煙に焼かれ、戦火で強張った硬質な筋肉の感触はどこにもない。そこにあるのは指を押し戻すような、それでいてどこまでも無防備な、柔らかい弾力。

 

 

 

 指を離せば淡い桃色の余韻を残して、滑らかな曲線が何事もなかったかのように戻る。そのあまりの瑞々しさは、なんと、いうか――生まれたての赤子の無垢さと整いすぎた人形の冷たさが同居しているみたいだった。

 

 

 

 

「ぷにぷにしてる」

 

 

 

 

 吐き出した吐息がわずかに熱を帯びていることに気づき、眉を顰める。自分自身に対する感想としてはちょっと過激すぎる表現で、気味が悪い。

 

 

 

 これ、は……やばいぞ?!

 

 

 

 好奇心に押されるまま指先を首筋へと滑らせる。

 

 

 

 細い。あまりにも華奢すぎる。

 

 

 

 指を添えただけで、薄い皮膚のすぐ裏側を走る脈動がドクドクと指の腹に直接伝わってくる。前の身体を覆っていた醜い傷跡の引き攣れも、埋め込まれた強化チップの異物感も、消え失せていた。今はただ絹のような滑らかさが、指先を弄んでいる。

 

 

 

 抵抗がない。撫でるだけで、背筋にぞわっと軽い痺れみたいなものが走った。

 

 

 

 なんだこれ。反応が…感度がよすぎないか。

 

 

 

 

「うへぇ……きっも、俺」

 

 

 

 

 拒絶を口にしながらも、指は止まらない。未知の肢体という「玩具」への戸惑いは、いつしか、自らの身体に触れる奇妙なくすぐったさに変わっていた。

 

 

 

 肩を確かめるように掴む。

 

 

 

 薄い。手のひらの中にすっぽり収まってしまいそうなほど、細い骨格。力を込めれば、容易く折れてしまいそうな脆さを予感させる。それでいて、腕を動かせばしなやかに、羽のように軽く――別の生命の理屈で組み上げられたような、躍動感があった。

 

 

 

 不意に視線が胸元へと目が吸い寄せられる。

 

 

 

 視覚が捉えるのは、この華奢な身体には分不相応な、暴力的なまでの膨らみ。

 

 

 

 

「…………」

 

 

 

 

 呼吸が浅くなる。

 

 

 

 見えている。頭では分かっている。分かっているんだが、その質量を自分の一部として認識しようとすると、回路が焼き切れたみたいに思考が停滞する。

 

 

 

 確認のために薄い布越しに、指先をそっと添えた。

 

 

 

 

 ――熱い。

 

 

 

 

 布の繊維を通して伝わる、確かな重みと、ふわっとした弾力。吸い込む息に合わせて、曲線がわずかにせり上がり指先を押し返してくる。軽く圧を加えれば、形を変えて、深く、柔らかく受け入れ、離せばじわりと元へ戻る。

 

 

 

 そこにあるのは紛れもなく自分の肉。命を宿した柔らかな肉の塊。指先から流れ込んでくる情報の濁流に、頭の芯が、ぼうっとした。

 

 

 

 

「い、がいと…弾力性? ってのがあるんだな…」

 

 

 

 

 声が震えていた。

 

 触れることで、視覚だけでは捉えきれなかった「女」としての事実が、逃げ場のない現実として、突きつけられる。掌に余る重量感。指先を弾くような瑞々しい反発。そして、心臓の鼓動に合わせて波打つわずかな熱。

 

 

 

 

「んんっ……あぅ……?!」

 

 

 

 

 …………ファッ?!

 

 

 

 喉の奥から自分でも信じられないような、甘さを含んだ声が漏れた。その声に驚き、反射的に手を離す。

 

 

 

 

「……これは、ヤクだ。ヤっちゃんだ」

 

 

 

 

 危ない。危ないぞ自分の体?! エッチすぎる。犯罪だ!

 

 

 

 そんでもって……俺の体、最高じゃん。

 

 

 

 戦士としての本能が警鐘を鳴らしていた。だが、それは敵の接近を知らせるものではない。このまま自らの肢体の感覚に呑まれてしまえば、もはや二度と「俺」に戻れなくなるような――そんな得体の知れない予感だった。

 

 

 

 熱を持った胸の鼓動を鎮めるように、荒くなった呼吸を整え、俺はただ一点を見つめ続ける。

 

 

 

 

「……こ、これは後回しだな。うん。そうしよう……あとで」

 

 

 

 

 そう、結論づける。

 

 

 

 ……次はベッドで触るか。

 

 

 

 

「……まぁ、あとはそうなるとやっぱ戦闘面か」

 

 

 

 

 戦えるか。スキルは使えるか。敵を、殺せるか。まずは、そこだ。女体の確認は……めっちゃ気になるが後。今は戦えるかどうか。

 

 

 

 俺は、いつも通りスキルの感知を防ぐため、首筋へ指を滑らせた。右の付け根にあるあの忌々しい鉄製の小さなものに触れようとする。

 

 だが――

 

 

 

 

「……あ?」

 

 

 

 

 何もない。

 

 

 

 何も、ない。

 

 

 

 もう一度、撫でる。ない。皮下チップの感触が、ない。

 

 

 

「……っ!」

 

 

 

 一瞬、衝撃のあまり反応が遅れてしまったが、鏡の位置を調整して首の付け根を見えるようにする。

 

 

 

するとどうだろうか。

 

 

 

 生後すぐに埋め込まれた、あの忌々しいもの。どんな場所にいても特定され、管理されていたそれがない。肌の下に、骨と肉だけがある。

 

 

 

 

「……へぇ」

 

 

 

 

 しばらく撫でた。何度撫でても、ない。長年首の裏で鳴っていた小さな共振が、消えている。

 

 

 

 妙な静けさだった。安堵ではない。寂しさでもない。ただ、ずっと背後にいた監視カメラが、ある日突然消えていたような感覚。

 

 

 

 

「ふぅん……ほぉ……まあ、別にいいか」

 

 

 

 

 軽く首を回す。気分が良い。ないならないでいい。俺の場合は自分のスキルで感知を避けていたので、あってもなくても別によかった。強いて言うなら邪魔なものが一つ減ったぐらいだな。

 

 

 

 

「ふぅ……あるな」

 

 

 

 

 薄く、戦気…自分の持つ唯一無二のスキルを発動し、流す。指先。肘。肩。背骨。脚。身体の芯へ戦うための熱を、脈動を通す。

 

 

 

 通る。違和感。

 

 

 

 

「……お」

 

 

 

 

 通る。通るどころじゃない。妙に馴染む。

 

 

 

 前の身体より素直だ。暴れない。漏れない。すべての細胞に、新たなに生まれてくる細胞にもすぐに感知できる。収束が早い。熱が細くまとまる。戦気が肉体の中で引っかからない。

 

 

 

 気持ち悪いくらい、綺麗に通る。

 

 

 

 

「……ふぅ」

 

 

 

 

 この感覚を、俺は知っている。

 

 先の死闘、バケモンの実態を捉えた際と同じ感覚だ。

 

 

 

 

「んふふ……ちゃんと強くなってやがるのか」

 

 

 

 

 うれしさのあまり、ベッドにある枕を抱きしめて喜びを噛みしめる。

 

 

 

 あのバケモンとの死闘で掴みかけたものが残っている。戦気の圧縮。出力の噛み合わせ。世界の次元へ食い込む感覚。あの奥へ届きかけた時俺は確かに、一段上がっていた。

 

 

 

 全部こぼしたわけじゃ、ない。途中で死んだ。たぶん死んだ。だが無駄ではなかったということ。

 

 

 

 

「……いいじゃん」

 

 

 

 

 口元が、吊り上がる。

 

 

 

 いい。

 

 すげぇいい……!

 

 

 

 まだ届かない。あのバケモンには、遠い。

 

 

 

 けれど遠いままだからいい。

 

 

 

 まだ上がれる。まだ削れる。まだ強くなれる。

 

 まだ、俺は果たせる――!

 

 

 

 

「まだまだ全然いけるじゃん」

 

 

 

 

 身体は違う。女にもなった。チビにもなった。原理は不明。多分あのバケモンの仕業。現状も不明。戸籍もたぶん不明。だってこんなん俺だって誰が信じるんだよ。

 

 

 

 ……冷静に考えると、問題しかないな。

 

 

 

 え、戸籍ないなった?

 

 

 

 ……めんどくせ。

 

 

 

 

「まあ、殺り合えんなら別にいいか」

 

 

 

 

 結論は出た。戦える。ならおっけーだ。

 

 

 

 俺はもう一度、鏡を見る。黒と赤の髪をしたチビロリ美少女が、同じ顔で、こちらを見ている。

 

 

 

 腹立つくらい整っている。正直見た目はかなり良い。俺好みの美少女だ。

 

 

 

 今日何回美少女って言ったんだろ。

 

 

 

 どれだけ見ても飽きないな。

 

 

 

 試しに少しピースをしてみる。

 

 ……ぶい。

 

 

 

 

「こりゃ世界狙えるな」

 

 

 

 

 次に確認することは決まっている。

 

 

 

 ここがどこか。何が起きたのか。この身体は何なのか。そして、この原因となる黒幕は――俺をどこまで到達させてくれるのか。

 

 

 

 

「さて」

 

 

 

 

 俺は部屋を見回し、机の上に置かれた端末へ目を向けた。

 

 

 

 

「まずは、情報収集だな」

 

 

 

 

 ……ふと、自分の声に違和感を覚える。

 

 

 

 単に低いだけでは、なかった。どこか気怠げで常に吐息が半分混じり込んでいるような湿度を孕んだトーン。

 

 

 

 ……正直、さっきから聞いていてエッチすぎると思っていた。

 

 

 

 言葉の端々が微かに掠れ…それがかえって、聴く者の耳元へ直接囁かれているような、奇妙な感触を呼び起こす。

 

 

 

 

「…………」

 

 

 

 

 俺は、自分の喉に指先をそっと添えた。

 

 

 

 かつての野卑な響きを奏でていた喉仏は消えて――そこにはただ、繊細な音を紡ぐための滑らかな曲線がある。

 

 

 

 

「あ……ぁ……」

 

 

 

 

 音を確かめるように、喉を震わせる。

 

 

 

 漏れ出たのは深く、重厚な響き。ベルベットの布地が擦れるような、あるいは深夜の静寂に溶け出す煙のような――実体の掴めない妙な色気。

 

 

 

 低く響くたびにその振動が指先から背中へと伝わっていく。自分の声でありながら、その心地よさに、自分自身がほんの少し引きずられそうになる。

 

 

 

 

「……声まで、やべぇよなぁ」

 

 

 

 

 呟いた言葉さえも、湿度を含んで重く響いた。自嘲気味な低い声が、かえって、自分の耳を裏切るような色を纏っている。

 

 

 

 視覚、触覚、そしてこの「聴覚」。全方位から突きつけられる「女」としての完成度に俺はただ喉の震えを噛み締めるしかなかった。

 

 

 

 最悪ではない。最悪ではないが――後々、面倒ごとを起こしそうな気配がある。特に人間関係で。

 

 

 

 ……あのマッドロリコンと姫さんには会いに行かないほうが良いな。あいつら何しでかすか分かんねぇし。

 

 

 

 とりあえず俺は納得しないまま、端末へ手を伸ばした。

 

 

 

 

「……【日本】?」

 

 

 

 

 とりあえず問題が発生したことについてまた頭を抱えることになる。

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