ダンジョンにはTSがつきもの 〜TS転生した怪物は自分への愛が強すぎる〜   作:炭水化物は飲み物

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ココちゃん変態回です。

♡注意です。


共同生活は悶々と

 トントン、と小気味のいい音が、白くて無機質なキッチンに響く。

 

 

 

 出汁のやわらかな香りが湯気と一緒に立ちのぼった。お鍋の中で、合わせ味噌がゆっくりと溶けていく。

 

 

 

 如月ここ。孤児院育ちの意地を、見せるときが来た。

 

 

 

 同居生活、三日目の朝。

 

 

 

 このわずか三日間の間にわたしは同居人であるクロエさんの致命的な私生活の有様を嫌というほど思い知らされていた。

 

 世界を簡単に壊せる現代種最強の超越者。その実態はまともな社会生活のルールが一切通用しない弩級の生活破綻者だった。

 

 

 

 

 

 初日。

 

 お風呂の自動お湯張りの設定が分からなかったらしい彼女は限界設定の熱湯を床へブチ撒けて部屋全体を即席の地獄サウナへと変貌させた。

 

 

 

「この世界のシステムは随分と好戦的だな」と大真面目に戦気を練って電子パネルと戦っていた。

 

 

 

 慌ててわたしが制圧したもののすっかりのぼせてふらふらになった彼女は部屋着のボタンをすべて掛け違えたままソファへ沈没した。はだけた胸元から覗く白磁の肌にわたしの心臓は初手から完全停止に追い込まれた。鼻血を噴射した。

 

 

 

 

 

 二日目。

 

 高級冷蔵庫の自動製氷機能が気に入ったらしく面白がって一晩中氷を吐き出させ続けた。

 

 

 

 結果として床一面が凶悪なアイスリンクへと化したが本人は「涼しくて手間が省ける」と天然極まる供述をしてその上に直に寝そべっていた。

 

 

 

 冷気で水分を吸った薄手の寝間着がぴったりと肌に張り付き華奢な女の子の柔らかい輪郭が全方位へと完全透過していた。それを見たわたしの顔面が火山のごとく大噴火したのは言うまでもない。もちろん、鼻血も共に大噴火。

 

 

 

 

 

 シスター。わたしは今かなり危険な橋を渡っています。ダンジョンで死ぬより貧血で死にそうです。恥ずか死です。

 

 

 

 

 

 そして三日目の今。

 

 わたしは慣れない高級システムキッチンの前に立ちエプロン姿で朝食の仕上げにかかっていた。

 

 

 

 今日のメニューには、わたしのひそかな願いをこれでもかと詰め込んだ。

 

 

 

 しらすをたっぷり混ぜ込んだ卵焼き。わかめとお豆腐のお味噌汁。カルシウムの塊みたいな焼き魚に、小松菜のおひたし。納豆もひじきの煮物も忘れない。仕上げに、よく冷えた牛乳をコップへなみなみと。

 

 

 

 

 

 名付けて『クロエさんの背が、ちょっとでも伸びますように定食』。

 

 

 

 

 

 ……いや、別にね? 

 

 

 

 今のちっちゃくて世界一可愛いクロエさんに不満があるわけじゃないですよ? 

 

 

 

 ないんですけど、あの百四十八センチがもしほんの数ミリでも伸びたら、それはそれでまた尊いなって。健康にもいいし。うん。これは純度百パーセントの善意です。下心はゼロ。

 

 

 

 元々このキッチンは、誰も暮らしていないモデルルームみたいな部屋だった。

 

 

 

 なのに、わたしがこうして台所に立つだけで漂う匂いが一気に、家庭のそれへと塗り替わっていく。わたしはこれでも家事は施設時代にいっぱいやってきたから、主婦ができるレベルだ。えっへん。これはクロエさんの嫁入りは近い。

 

 

 

 よし。完璧。あとはあの人を起こすだけ。

 

 

 

 そう思ったその瞬間。

 

 

 

 寝室の扉が静かに開いた。

 

 

 

 ぱたぱたと素足が床を踏む軽い音が近づいてくる。

 

 

 

 振り返ったわたしの視界に──人類にはあまりにも早すぎる超弩級の最終兵器が飛び込んできた。

 

 

 

 

 

「ここ。腹減った」

 

 

 

 

 

 かすれた寝起き特有のダウナーな声。

 

 

 

 そこに佇んでいたのはぶかぶかの白いカッターシャツを一枚だけ身にまとったクロエさんだった。

 

 

 

 明らかにサイズの合っていないシャツは彼女の華奢な身体のせいで片方の肩がつるりと完全にずり落ちている。

 

 

 

 あらわになった白磁みたいな鎖骨。寝癖で少しはねた黒に赤の差した髪。とろんと眠そうに細められた底のない黒い瞳。

 

 

 

 だが。問題はそこではなかった。

 

 わたしの網膜が捉えたのはもっと凶悪極まるオーバーキルな情報だった。

 

 

 

 薄手の白生地。朝の逆光。

 

 遮るもののないシャツの向こう側に淡い桜色の突起がうっすらと二つその形を主張して透けている。

 

 

 

 ノーブラ。紛れもなくノーブラである。

 

 クロエさんが一歩踏み出すたび、シャツの内部に秘められた圧倒的な質量がぷるんと健気に揺れ動いていた。

 

 

 

 合法チビロリ身長。世界一可愛い顔面。

 

 それなのにあの下着同様に存在感だけはフルコンプしている胸の凶暴性が、無防備の破壊力となって襲いかかってくる。

 

 

 

 さらに言えば裾。

 

 歩くたびにふるりと揺れるぷりぷりの太ももの境界線。そこから覗くのは完全なる絶対領域。布の重なりが一切ない。

 

 

 

 ノーパン。嘘だろノーパンマジですか。朝からなんてご褒美を。死んでしまいます。

 

 カッターシャツ一枚以外下半身は完全に野生のままである。

 

 

 

 

 

 朝からラスボスのご登場、既に瀕死状態ですが……!? 

 

 

 

 

 

 初期村の寝室から測定不能のアンノウンがポップした。レベル1のわたしにいきなり裏ボスの第二形態をぶつけてくる運営の良心はいずこへ??? 

 

 

 

 

 

 実は、初日も二日目もまったく同じ全裸一歩手前のフルスロットルで寝室から這い出てきた。

 

 

 

 

 

 わたしは毎日顔を火山のように真っ赤に染めながら叫んでいる。

 

「ちゃんと服着て寝てください!」と。

 

 

 

 

 

 だが返ってくるのは「めんどい」「あつい」「だるい」の三拍子だけ。

 

 世界でトップレベルの強さを持ってるのに、私生活の壊滅ぶりは限界集落の過疎地レベル。

 

 だらしなさの天井。生活能力のゴミ箱。何だこの脳がイカれるギャップは。

 

 

 

 結果として。

 

 

 

 毎朝こうして羞恥の限界突破を迎えたわたしが、なるべく直視しないように視線を白い壁へと叩きつけながら、彼女に下着やズボンを履かせる着替えフェーズへと移行する。

 

 

 

 毎日の洗濯ミッションをこなしているおかげで、クロエさんの下着の質量そのものを目撃することには少しだけ慣れというか耐性ができてきた。

 

 だがそれを本人が今まさに身につける瞬間をノーガードの手探りで手伝うのは話が別である。

 

 

 

 シスター。わたしは今かなり危険な橋を渡っています。倫理や常識の欠けらも無い人に惚れてしまいました。お世話できて同棲できてるので後悔はありません。神様ありがとうございます。

 

 

 

 あとこれは決して覗き魔の視点ではありません。向こうから勝手に視界のド真ん中へ突っ込んできただけです。わたしは断じて無実です。あっちが加害者、こっち被害者です。お得ですうへへ。

 

 

 

 

 

「お、おはようございます……クロエさん。あの、その格好は……」

 

 

 

 

 

 お鍋の火を慌てて止めながら、わたしは裏返りそうな声を絞り出した。

 

 視線をどこに逃がしていいか分からず、キッチンのステンレスの溝を必死に凝視する。

 

 

 

 

 

「ん。通気性の確保」

 

 

 

 

 

 クロエさんは小さく欠伸をしながら、ずり落ちた襟元を直すどころか、さらにパタパタとシャツの裾を揺らした。

 

 ぷるんと跳ねる胸の質量。通気性という言葉が物理的な暴力となって牙を剥いている。

 

 

 

 

 

「確保できてませんが!? むしろいろんな防衛ラインが完全崩壊してます!」

 

「暑い。これ一枚で全部隠れるから楽だし」

 

 

 

 

 

 世界を滅ぼせる最強の超越者は、生活の領域においては信じられないくらいアホの子の方向に純白だった。

 

 本気で「シャツの下が野生のままでも、布が上から被さっていればセーフ」だと思い込んでいる。

 

 

 

 なんだ、羞恥心が一切ないの?? 

 

 

 

 

 

「隠れてません! 朝の逆光を舐めないでください! 完全にバックライト仕様でいろいろ透過してます! 主に上も下も布地が仕事をサボってます!」

 

「ふぅん? そんなに布の向こうが気になるのか?」

 

 

 

 

 

 クロエさんはちょこんとダイニングチェアの前で、底のない黒い瞳でじっとこっちを見上げてきた。

 

 ふてくされた猫みたいな、配置の甘いジト目。

 

 自分の無敵のビジュアルを最高効率で盾にしてくる。完全なるド天然の自覚。

 

 

 

 

 

「気になるとかそういう破廉恥な次元の話じゃなくて! 倫理観の『り』の文字が──」

 

「ふん、俺が可愛いからってそんな褒めんなよ。それに、服ちゃんと着てるし。裸を見たわけじゃないのに顔真っ赤にして、ホントよわよわだな。精神修行したほうがいいんじゃないか? ︎︎流石に雑魚すぎだろ」

 

 

 

 

 

 こ、このメスガキ……!? 

 

 

 

 でも……可愛い。ぐうの音も出ないほど可愛らしいお人形さんだ。それなのに言っているセリフの破壊力と無自覚な煽り特性が、インターネットの深淵でしか観測できないそれである。分からせたい気持ちが湧き上がるが、そんなことできるわけがない。主に力の差で。

 

 

 

 

 

「可愛いのは認めます! そこらのトップアイドルが裸足で逃げ出して引退するレベルでお人形さんです! でも可愛いからこそ、わたしの理性が限界突破してしまうんです!!」

 

「弱いな」

 

「クロエさんの無自覚な規格外特攻に対して、まだ人類の心臓は脆弱すぎるんです……!」

 

「なんだ、分かってんじゃん。やっぱ俺って可愛いしな」

 

 

 

 

 

 本人が自覚しているのがなお、腹立つ……!! 

 

 

 

 本人は何ひとつ悪いことなんてしていないという顔で、眠そうに目をこすっている。

 

 

 

 その圧倒的な無自覚さが、逆にどうしようもないくらいの色気を醸し出している。あざとさの欠片もないのに、世界一あざとい。理不尽すぎる。

 

 

 

 ずり落ちた襟元から覗く肌の白さに、わたしの視線はもう泳ぎっぱなしだった。呼吸が止まる。

 

 

 

 

 

「そんなことはどうでもいい。今はお腹が空いた。はやく飯を食べたい」

 

 

 

 

 

 クロエさんは気だるげにダイニングチェアを引いて、ちょこんとそこに腰掛けた。

 

 

 

 シャツの裾が、さらに危ない位置まで跳ね上がる。

 

 

 

 わたしは必死に理性を総動員して、出来上がった料理をテーブルへ運び始めた。今のわたしの理性は過労死寸前で静かに泣いている。

 

 

 

 朝食を並べ終えたところで、クロエさんが何故か一度寝室に戻っていった。

 

 

 

 ふうとようやく肺に空気を送り込んだのも束の間。

 

 

 

 彼女は両手で、何やら大きな布の塊を抱えて戻ってきた。

 

 

 

 

 

「これも洗うやつだろ。置いとくぞ」

 

 

 

 

 

 テーブルの端の椅子に、どさりと雑に置かれた洗濯物の山。

 

 

 

 日常の服に寝間着にタオル。

 

 その崩れた隙間から、ひらりと淡い桜色のレースが顔を覗かせていた。

 

 

 

 

 

 oh……

 

 

 

 

 

 ちょっと待って。普通に混ざっている。

 

 クロエさんにとっては、たぶんただの洗うべき布の一種。

 

 

 

 毎日洗濯ミッションをこなしているおかげで、その圧倒的な存在感を主張するサイズ自体には、少しだけ耐性がついていた。

 

 けれど目の前で無防備に晒される肌の残響は話が別である。

 

 

 

 洗濯物の塊から、クロエさんのあの甘いグリーンアップルと白い花の香りが、ふわりと鼻腔をくすぐる。

 

 あまりにもいい匂いだった。初恋の過剰摂取で脳の流路が完全に混濁する。

 

 

 

 わたしの理性が完全に限界突破のチピチピチャパチャパ状態を引き起こす。

 

 脳内で猫ミームが虚空に向かってハッピーハッピーと踊り狂う現象が発生していた。

 

 

 

 吸い寄せられるように、その淡い桜色の布地へと顔を近づけた。

 

 スーハースーハーとダイレクト吸引の構えに入る。

 

 

 

 

 

「何してんだ」

 

 

 

 

 

 背後から低めの調子が響いた。戦闘中のジャスト回避を超える速度で全身の毛が逆立つ。

 

 

 

 わたしは神速を遥かに超越したマッハの速度で、桜色の最終兵器を洗濯物の山の最深部へと放り込んだ。

 

 何事もなかったかのように、全力の真顔で天井を見上げる。

 

 

 

 アカン。脳内緊急最高裁判所を開廷します。

 

 

 

 見えた。見ようとしたわけじゃない。これは不可抗力の事故。

 

 指一本触れていない。けれどあまつさえ吸引しようとした。その不名誉な犯罪的行為は世界の規則に刻まれて消えない。

 

 

 

 弁護側。初恋過剰摂取による一時的なニューロンの誤作動およびシステムバグを強く主張。

 

 検察側。確信犯的なスーハースーハーであり存在自体のアカウントBANに値すると冷徹に断罪。

 

 

 

 判決。ギルティ。コンフィスケイション。理性を没収します。

 

 刑罰。満場一致で顔面火刑に処す。脳細胞がトップギアで爆散して終わる。

 

 

 

 

 

「パンツとかブラもも一緒でいいのか?」

 

「言い方をもう少し……! ︎︎もう少し人類のピュアな心臓に優しくしてください……!」

 

「それお前だけじゃないのか? それに布だろ。形が違うだけだ」

 

「形が違ったら意味が変わるんです! ︎︎説明するとわたしの理性が死にます……!」

 

 

 

 

 

 わたしが頭を抱えて悶絶していると、クロエさんは不思議そうに首を傾げた。

 

 

 

 自由奔放に伸びた小さな指先が、ひらひらとした淡いレースの端を洗濯物の奥から引きずり出す。

 

 そしてちょんとつまみ上げた。

 

 

 

「これ、昨日買ったやつだ。可愛いだろ。お前、こういうのを俺が履いてると思うと、今みたいにバグるのか?」

 

「バグります!!! ︎︎バグるなんてもんじゃなくて、サーバーごと物理的に爆破されます!!」

 

「ふーん、へー……?」

 

 

 

 

 

 わたしの限界突破した悲鳴がよほど愉快だったのか、クロエさんはわずかに口の端を吊り上げた。

 

 少しニヤニヤとした、底意地の悪い、けれど恐ろしいほどに整った顔立ち。

 

 

 

 

 

 彼女はおもむろに、あのぶかぶかの白いシャツの裾へと指先をかけた。

 

 

 

 

 

 ひょい、と。

 

 なんの躊躇もなく、シャツの裾が彼女の細いおへその上まで捲り上げられる。

 

 

 

 あ。

 

 声にすらならなかった。

 

 

 

 朝の逆光が、遮るもののない彼女の下腹部を容赦なく照らし出す。

 

 

 

 ノーパンの絶対領域。

 

 ほんの少しだけ脚の付け根が動くたび、布地の奥に秘められた、女の子としての最も神聖で、かつ凶悪な局部が、うっすらとわたしの視界へ晒された。

 

 

 

 

 

「俺の体で自慰でもやるか?」

 

「じっ……?!?!?!」

 

 

 

 

 

 脳の全回路が一瞬でショートした。

 

 バチバチと火花を散らして、思考が完全に物理的な黒煙を上げだす。

 

 

 

 

 

 シスター。これは不可抗力です。いや、強制イベント。避けるボタンが画面から消滅しています。

 

 

 

 

 

 というか、クロエさん。いくら生活破綻者だからって、いくら恥じらいのデータが未実装だからって、それは人類にはあまりにも早すぎる。

 

 

 

 これ、今この場で襲われても文句言えないよ?! 

 

 

 

 理性の防衛壁が、今にも蟻の一穴からドロドロに決壊しそうだった。

 

 怖いのに、その網膜に焼き付いた白磁の肌から、どうしても視線が滑り落ちてくれない。

 

 

 

 呼吸の仕方が本気で分からなくなる。

 

 わたしは両手で顔を覆いながら、なんとか残った理性の糸をギリギリで繋ぎ止めていた。

 

 

 

 

 

「ほ、ほんとに……っ、何考えてんの、このひと……っ!?」

 

 

 

 

 

 ハァハァと熱い吐息が口元から漏れる。

 

 顔面どころか全身の血液が沸騰して、肌という肌が真っ赤に火照っていくのが自分でも分かった。

 

 胸の奥の鼓動が、部屋中に響いてしまうんじゃないかと思うほどにうるさい。

 

 

 

 そんな、完全にオーバーヒートを起こしているわたしの目の前へ、パタパタと素足の音が近づいてきた。

 

 はっとした瞬間には、もう遅い。

 

 

 

 クロエさんの甘いグリーンアップルの香りが、すぐ真横から爆発した。

 

 

 

 耳元に、彼女の小さな唇が、ピトリと触れそうな距離まで近づく。

 

 ぞくりと、背筋に冷たい電流が走った。

 

 

 

 

 

「お前なら、俺を使ってもいいぞ」

 

 

 

 

 

 鼓膜のすぐ奥へと滑り込んできた、少し掠れた、囁くようなつぶやき。

 

 そこに含まれた、熱を帯びた吐息が、わたしの耳たぶを優しくなぞっていった。

 

 

 

 ……。

 

 ……。

 

 ……っ。

 

 

 

 

 

「きゅぅ……」

 

「すっげぇ、顔が血より真っ赤」

 

 

 

 

 

 わたしの脳のキャパシティが、完全に最大値をオーバーフローした。

 

 思考、停止。

 

 

 

 身体のすべてのモーターが完全停止し、わたしは置物のようにその場で硬直した。

 

 瞬きをすることすら忘れて、完全にフリーズする。

 

 

 

 

 

「ん。ほんと、面白いなコイツ」

 

 

 

 

 

 クロエさんはわたしの様子を見て、ふっと満足そうに息を漏らした。

 

 

 

 質の良い音の鳴る玩具を突ついたあとのような、実につまらなそうで、けれどどこか満足げな目つき。

 

 彼女はそのまま何事もなかったかのようにシャツの裾を下ろし、お箸を持つためにダイニングチェアへと戻っていった。

 

 

 

 

 

 マジでこの人なんなのぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!! 

 

 

 

 

 

 内心のわたし会議が、絶叫のクソデカ大声で核爆発を起こしていた。

 

 

 

 この圧倒的な無自覚と、前世からの倫理観のズレ。

 

 振り回されるわたしの心臓は、この同居生活が始まってから一秒たりとも平穏な時間を許されていなかった。

 

 

 

 如月ここ。本日二度目の死亡確認。

 

 好きな人の下着を本人から直接対面で公式設定としてプレゼンされた挙句、この仕打ちである。

 

 

 

 大手同人サークルの神絵師でも、そんな過激な公式燃料は一発で投下しません。

 

 解釈違いで尊死するレベルの暴挙。

 

 

 

 わたしは指先をぷるぷる震わせながら、その甘い香りのする塊を洗濯カゴへと放り込むしかなかった。

 

 

 

 

 

 あと、何がとは言いませんがツルツルでした。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 気を取り直して、ようやく始まった朝食の時間。

 

 

 

 向かいに座ったクロエさんは、お箸を小さく動かしながら料理を口へ運んでいく。

 

 彼女は食事に対して、お世辞を言ったり豊かな語彙で褒めたりはしない。

 

 

 

 

 

「悪くない。ん」

 

 

 

 

 

 もぐもぐと卵焼きを咀嚼しながら、ぽつりと呟く。

 

 

 

 相変わらず上はあのぶかぶかの白シャツ一枚なので、前傾姿勢になるたびに襟元が自重で大きく前に垂れ下がった。

 

 お味噌汁の湯気の向こう側、ノーブラの胸の、あの淡い桜色の突起がテーブル越しにゆらゆらとアピールを始めている。

 

 

 

 出汁のたっぷり染みた卵焼きを、小さな前歯でハムリと噛みちぎる。

 

 じゅわりと滲み出た出汁が、彼女の桃色の唇を艶やかに濡らした。

 

 

 

 お味噌汁をすするたびに、きゅっとすぼめられる薄い唇。

 

 喉を鳴らして飲み干したあと、唇の端に付いた一滴を、小さな舌先でねっとりと舐め取る。

 

 あろうことか、木製のお箸の先端を、ちゅ、と小さく咥えて吸うような仕草まで見せた。

 

 

 

 

 

 うわ。何そのあざとい仕草。ありがとうございます。

 

 

 

 

 

「……うまい」

 

「っ」

 

 

 

 

 

 空になったクロエさんのお茶碗を受け取ろうとしたわたしの指先が、ピキリと硬直した。

 

 唐突にド直球のストレートを心臓のド真ん中に叩き込まれた。

 

 

 

 

 

「どうした」

 

「い、いえ。今の尊い公式供給を、もう一度お願いしてもいいですか。できれば端末の録音ボタンを押すので、もう一回」

 

「? よく分からんが嫌だ」

 

「ですよね……!」

 

「また作れば、言うかもな」

 

 

 

 

 

 ジト目で小さくお茶碗を突き出してくる。

 

 ふてくされた猫が、おねだりをするような絶妙な配置の甘い目つき。

 

 

 

 分かってんじゃん。何この小悪魔。可愛すぎる。

 

 

 

 

 

「作ります。毎日、地の果てまで追いかけてでも作ります」

 

「重いな」

 

「軽く言ったつもりです……!」

 

「0か100しかないのか?」

 

 

 

 

 

 朝食を終えて、わたしが食器を片づけようと立ち上がると、改めて部屋の有様が目に入った。

 

 

 

 ソファの背には、脱ぎっぱなしの黒い上着。

 

 ガラステーブルの端には、蓋の開いたままのリップに、高級そうな香水瓶。

 

 可愛い、けれど雑に丸められたリボン。値札のついたままのアクセサリーが、ころんと転がっている。

 

 

 

 ベッドの上には、あの黒いうさぎのぬいぐるみ。

 

 洗面所からは、さっき彼女の濡れた身体を拭いたらしい、まだ湿り気を含んだタオルが覗いていた。

 

 

 

 綺麗に整えられた、あの血の通わない白い箱の中に、クロエさんという存在が確かに息づいている。

 

 その形跡が、点々と散らばっている。

 

 

 

 その生々しさに、喉の奥がヒリリと収縮した。

 

 彼女の肌が残した輪郭を、指先でそっとなぞっているような強烈な背徳感。

 

 胸の鼓動がうるさくて、視界の端がくらりと揺れる。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 意味が分からない。

 

 

 

 俺はソファに深く腰掛けたまま、キッチンで忙しなく動くここの後ろ姿を眺めていた。

 

 

 

 戦場でたった一度、危うい才能の片鱗を覗かせた個体。育てれば、おそらくはあの世界でも上位レベルにまで上がる、そう考えて手に入れようとしたガキ……結局訳にわからんこと言われて有耶無耶になったけど。

 

 

 

 ただ、一緒に住み始めて数日。

 

 

 

 飯が、勝手に出てくる。部屋が、勝手に片づく。脱ぎ散らかした洗濯物が、いつの間にか消えて、綺麗に畳まれて戻ってくる。

 

 

 

 そのくせ、起きてくれば格好がどうのとうるさい。風呂から上がれば、髪を乾かせとうるさい。変なところでいちいち顔を真っ赤にして、心の波形を、ぼふぼふと爆ぜさせている。

 

 

 

 少し突いてやるだけで、期待以上の悲鳴を上げる。まるで、質のいい音の鳴る玩具だ。反応がいちいち大きすぎて、見ていて飽きない。

 

 

 

 家事の処理速度もそうだが、あの無駄に細い指先は、服を着替えさせるときも、驚くほど手際が良かった。そういえば、化粧の装飾技術も持っているらしい。俺をさらに最高効率で可愛く仕立て上げる資材として、そのうち使わせてみるつもりだ。

 

 

 

 前世の、あの煮えたぎるようなドロドロした赤黒い執着とは違う。こいつの向けてくる調子は、淡い桃色で、どこかぬるくて、ぽかぽかしている。

 

 

 

 だから、不愉快ではない。

 

 

 

 ただ、ひとつだけ誤算がある。

 

 

 

 この俺が立ち上がったとき、視線をわずかに上へ向けねばならんという事実だ。

 

 

 

 前世の有象無象なら、見下ろされた瞬間に首を刎ね飛ばしていたところだが。このガキはあろうことか、その無防備な手のひらで俺の頭頂部をよしよしと撫で回してくる。

 

 

 

 ……撫でられると、少し気持ちがいいのも、気に食わない。

 

 

 

 そのたびに奥歯の裏がジリジリと疼いて、無性に拳を叩き込みたくなる。だが、なぜか振り上げきれない。ま、このチビな身体の仕様ってやつがいささか恨めしいだけだ。

 

 

 

 首筋に刻んだ標からは、こいつの心拍の乱れがリアルタイムで伝わってくる。

 

 

 

 料理をする、細い指先。何かあるたびに沸騰する、白い髪に隠れた赤い耳。

 

 

 

 ……変なやつ。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 お昼過ぎ。

 

 

 

 わたしはクロエさんの許可をもらって彼女の寝室の片づけに足を踏み入れていた。

 

『適当にやれ』とダウナーに言われたけれど。

 

 

 

 いざベッドの前に立つと全身の血流がトップギアで逆流しそうになる。

 

 そこにはクロエさんがついさっきまで眠っていた形跡がこれでもかと濃厚に残留していた。

 

 

 

 寝返りの跡がそのまま残る少し乱れたシーツ。

 

 中央のくぼみは彼女の小さな身体の重みをリアルタイムで記憶している。

 

 

 

 枕元には黒いうさぎのぬいぐるみがぽつん。

 

 そしてシーツの真ん中に黒と赤のグラデーションが美しい長い髪の毛が一本綺麗に落ちていた。

 

 

 

 ……っ。

 

 

 

 待って。これは新手の罠。

 

 現代種最強が仕掛けた凶悪な精神汚染トラップ。

 

 

 

 脳内の限界オタクが爆速で「ジップロック!!! 今すぐジップロックに密封して家宝にしろ!!!」と。

 

 

 

 ピンセット。マイピンセットはどこ。

 

 

 

 落ち着け如月ここ。これはただのタンパク質の繊維。クロエさんそのものではない。

 

 でも。彼女がここで。あのぶかぶかの白シャツ一枚のまま小さな身体を丸めて体温を分け与えていた。

 

 

 

 わたしは理性を完全にドブに投げ捨て四つん這いでベッドへと這い上がった。

 

 シーツのくぼみに向かって吸い寄せられるように顔面を急降下させる。

 

 

 

 枕にそっと鼻先を寄せた瞬間。あのグリーンアップルの瑞々しさと白い花の甘い残り香が鼻腔をダイレクトに滅多打ちにした。

 

 圧倒的な供給。脳内物質のドーパミンが限界値を突き抜けて大洪水を起こす。

 

 

 

 スーハースーハー。スーハースーハー。

 

 肺胞の隅々までクロエさんの成分を充填する構え。

 

 

 

 だめ。言い方から行動まで完全にインターネッツの深淵に棲まうヤバい不審者のそれ。

 

 倫理の二文字がマッハで消滅していく。

 

 

 

 シスター。わたしはもう光の差す世界へは戻れません。

 

 このままこの香りに溺れて社会的に抹殺されても本望です。

 

 

 

 理性を蒸発しかけているわたしは、クロエさんのぬくもりが染みついた枕を両腕でぎゅっと強奪するように抱きしめ、さらに顔面を深く埋めた。

 

 

 

 鼻孔の奥へと容赦なく滑り込んできたのは、シャンプーや石鹸の洗練された残響だけではない。

 

 じっとりとシーツの繊維に染みついた、ほんのりと酸味を帯びた彼女自身の生々しい汗の匂い。

 

 

 

 

 

「んぁ……♡」

 

 

 

 

 

 小柄な身体から発せられたとは思えない、濃厚で、どこか焦らすように鼻腔へまとわりつく、どうしようもなく癖になりそうな匂いの塊。

 

 それが頭髄のコアを直接マッサージするように、わたしの理性フィルターを内側からどろどろに溶かしていく。

 

 

 

 お腹の下のあたりが、きゅううううっと切なく、疼くように窄まった。

 

 じゅわりと熱い痺れが下腹部の奥へと溜まっていき、身体の芯の制御盤がカチカチと狂ったようなシグナルを上げだす。

 

 

 

 スーハースーハー。

 

 ダメだ、このままでは肺胞の形状がクロエさんの成分専用に強制書き換えされてしまう。

 

 倫理の二文字が消滅して、右腕が下の方にいく──と、その瞬間。

 

 

 

 

 

「何してる」

 

 

 

 

 

 低めの気だるげな調子が背後から鼓膜を叩いた。

 

 戦闘中のジャスト回避を遥かに超越する神速の反応で、わたしの身体が垂直に跳ね上がる。

 

 

 

 振り返ると、部屋の入り口にクロエさんが立っていた。

 

 相変わらずぶかぶかの白シャツ一枚。

 

 片方の肩がつるりと落ちたまま、配置の甘いジト目を真っ直ぐこっちへ向けている。

 

 

 

 

 

「な、何もしてませんっ!? 断じて怪しい吸引ミッションなど、現代科学のプロセスには含まれていませんっ……!?」

 

 

 

 

 

 完全に現行犯だった。

 

 両腕でがっつりと枕を抱きしめ、顔面を限界までめり込ませていた。

 

 言い訳の余地がナノメートルも残されていない、圧倒的ギルティのポーズ。

 

 

 

 

 

「枕、引きちぎる勢いで抱き潰してるぞ。お前、さっきからスーハースーハーと、そこで何のバグを誘発させてるんだ」

 

「バグじゃありません! ちょっとこの高級寝具の繊維に付着した不純物を、わたしの肺胞という名の超高性能防衛フィルターで全除去しようと試みていただけです!」

 

「ふぅん。それ、俺の匂いが染みついてるはずだけど。お前、人の生活痕跡を吸い込んで、何が楽しいんだ。そういうスキルでもあるのか?」

 

 

 

 

 

 世界を壊せる最強の超越者は、私生活においては羞恥心という概念のデータがインストールされていない正真正銘アホの子だった。

 

 本気で「ただの自分の匂いがついた布」として名詞のまま口にしている。その天然の無防備さが一番、質が悪かった。

 

 

 

 

 

「顔真っ赤だぞ。枕吸って何が楽しいんだか。もしかしてそういう特殊な奴なのか??」

 

「特殊な人じゃありません! 寝室という概念の質量があまりにも凶悪すぎるんです! グリーンアップルと白い花の残響が、ダイレクトに脳内のニューロンを焼き切りにきてるんです!」

 

「概念?」

 

「忘れてください……!!」

 

 

 

 

 

 クロエさんは、ふぅん、と鼻を鳴らしてベッドの上へ歩み寄ると、転がっていた黒うさぎのぬいぐるみを、ひょい、と拾い上げた。

 

 

 

 そして、商標登録でもされていそうな愛らしさで、その小さな両腕でぬいぐるみをぎゅうっと胸に抱きしめる。

 

 

 

 

 

「これ、そこに置いといて。寝るときに使うから」

 

 

 

 

 

 如月ここ。本日、三度目の撃沈。

 

 

 

 夜、あの世界一可愛い顔をして、このぬいぐるみを抱っこしながらすやすや眠っているクロエさん。

 

 

 

 脳内に展開された妄想映像の破壊力が特級呪物レベル。可愛いと、無防備と、底なしの引力の三重がけ。わたしの心臓は限界を迎えようとしていた。

 

 

 

 ……あのうさぎと代わってほしい。ただのぬいぐるみのくせに、死ぬほど羨ましいです。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 夕方になってリビングで新しく買った服の入った袋を整理していたクロエさんが、急に立ち上がった。

 

 おもむろにぶかぶかの白シャツの第一ボタンに小さな指先をかける。

 

 ちょっと待って。着替えの仕方がが野生児すぎる。

 

 

 

 

 

「わ──ーっ!? ちょっ、クロエさんっ!? ここで脱いだら駄目です!」

 

「着替えるだけだろ」

 

「見ますが!? ︎︎わたしが最前線のアリーナ席で、全部見てしまいます!」

 

「見たら、駄目なのか」

 

「駄目です! ︎︎蒸発します! 主にわたしの理性が!」

 

 

 

 

 

 不思議そうに首を傾げる彼女の手を全力で止めて、わたしは袋から新しいカーディガンを取り出した。

 

「動かないでください、わたしが着せますから」と、合法的なお手伝いという名の極上身支度ミッションを申し出る。

 

 ここからは触覚の領域における、国家存亡をかけた極限の戦いだ。

 

 

 

 そっと彼女の細い腕を取り、カーディガンの袖へと誘導する。

 

 その拍子にシャツの広い襟ぐりがつるりと横へ流れ、白磁を滑らかに削り出したような剥き出しの肩先が露わになった。

 

 ……ちっさ。折れてしまいそうなくらい細い。

 

 

 

 腕を伸ばした拍子に、シャツの内部に秘められたノーブラの質量がぷるんと健気に自己主張を始めた。

 

 薄手の白生地越しに、あの淡い桜色の突起がわたしの視界の隅でゆらゆらと揺れている。

 

 アカン。目を逸らせ。視線を必死に天井の換気口へ固定しながら、手探りでフロントのボタンを留めていく。

 

 

 

 カチカチと狂ったように鳴り響く心音を必死に無視する。

 

 だが、見ないようにすればするほど指先の感覚が異常なまでに研ぎ澄まされていった。

 

 不器用な手つきでボタンを拾おうとするたび、指の背が、シャツ一枚を隔てただけのクロエさんの胸のやわらかなふくらみにピトリと触れてしまう。

 

 

 

 ひゃんっ、と脳内で悲鳴が上がった。

 

 熱い。触れた部分から直接ニューロンに消滅呪文が叩き込まれている。

 

 しかも、当の本人はじっと真顔のまま、底のない黒い瞳でわたしの顔を下から覗き込んできた。

 

 

 

 

 

「お前。さっきから手が震えすぎだろ。ボタンひとつに、何分かけるつもりだ」

 

「緊張してるんです! ギルティな自爆の罠が多すぎて、わたしの指先がログアウト寸前なんです!」

 

「ふーん。よわよわだな。お前、俺の身体に触れるだけでそんなに心の波形がバグるのか?」

 

 

 

 

 

 こ、この無自覚メスガキ……!!! 

 

 

 

 脳内の猫ミームが虚空を見つめたままハッピーハッピー踊り狂う大バグが再発した。

 

 でも可愛い(2回目)。ぐうの音も出ないほどお人形さんだ(2回目)。それなのに無防備な距離感から繰り出される天然の煽りスキルが特級呪物すぎる。

 

 

 

 

 

「バグります!!! バグるなんてもんじゃなくて、サーバーごと物理的に爆破されて強制終了です!!!」

 

「おー、二回目だ。冗長化大丈夫そうか?」

 

「ちょっと黙っててもらえない!?」

 

 

 

 

 

 何とか最後のボタンを留め終えたものの、今度は彼女の長い毛並みがカーディガンの襟元にがっつりと巻き込まれているのが見えた。

 

 これじゃチクチクして可哀想だ。

 

 わたしは小さく息を吐き、彼女の首の後ろへと両手を回した。

 

 

 

 さらさらとした黒と赤のグラデーションの髪を、襟の外側へとそっと引き出す。

 

 その瞬間、ふわりと弾けたのは、あの甘いグリーンアップルと白い花の香りだった。

 

 お昼に枕へ顔面急降下した時に吸い込んだ、あのどうしようもなく癖になりそうな汗の匂いが、至近距離の体温を伴って直接鼻腔を滅多打ちにしてくる。

 

 

 

 また、お腹の下のあたりがきゅううううっと切なく、疼くように窄まった。

 

 じゅわりと熱い痺れが下腹部の奥へと溜まっていき、身体の芯の制御盤がカチカチと狂ったようなシグナルを上げだす。

 

 だめだ。またインターネッツの深淵に棲まうヤバい不審者の身体反応だ。

 

 

 

 引き出した髪がわたしの指先をさらりと滑り落ちる。

 

 その拍子に、ほんの一瞬だけ、わたしの指の腹が彼女の剥き出しの温かい首筋に掠れた。

 

 びくりと、クロエさんの小さな肩が微かに跳ね上がる。

 

 

 

 

 

「……ん」

 

「あ、すみませんっ!? ︎︎今、冷たかったですか!?」

 

「くすぐったい。お前、手つきが妙に生々しいぞ」

 

「生々しくしてませんっ! ︎︎これでも全神経をすり減らしてピュアに徹してるんです……!」

 

 

 

 

 

 クロエさんはふてくされた猫のようにジト目を向けながらも、それ以上は逃げようとせず、されるがままに身を預けていた。

 

 恋人未満の距離で、まるで本当の恋人のような濃厚な身支度をしているという事実に、わたしの顔面は本日何度目かも分からない大噴火を起こしていた。

 

 

 

 

 

「自分でできるんだが」

 

「できますけどクロエさん、ボタン掛け違えるくらい雑なので。ほら、動かないで」

 

「ん」

 

 

 

 

 

 襟元を整えるために、彼女の首の後ろへ手を回す。

 

 

 

 さらさらの黒と赤の髪を、襟の外側へとそっと引き出した。指先が、ほんの一瞬だけ、彼女のあたたかい首筋に掠れる。

 

 

 

 びくり、とわたしの背筋に、甘い痺れが走った。

 

 

 

 

 

「……見ないで、ください」

 

「何を」

 

「わたしを、です……! そんなジト目でじっと見つめられると、呼吸が狂うので……!」

 

「目の前にいるから無理だろ」

 

「そうなんですけどぉ……!」

 

 

 

 

 

 至近距離で交わる視線。

 

 

 

 クロエさんの吐息が、わたしの鎖骨のあたりに、ふ、と小さく触れる。

 

 

 

 恋人未満の距離で、まるで本当の恋人みたいな身支度をしている。その事実に、わたしの顔面はまた、大噴火を起こしていた。今回はギリ鼻血はせき止めた。

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 シーツの交換も終えて──夜。

 

 

 

 お風呂上がりの時間が、この同居生活、最大の試練となった。

 

 

 

 ぱたん、と浴室の扉が開いて、薄い湯気と一緒に、信じられないほど濃密な香りがリビングへ流れ込んでくる。

 

 

 

 シャンプーの匂い。石鹸の清潔な香り。そして、それらすべてを従えるような、クロエさん自身の甘く濡れた肌の匂い。

 

 

 

 出てきたクロエさんは、ゆるめの部屋着の襟元を大きくはだけさせていた。

 

 

 

 濡れた黒と赤の髪が、白磁の首筋にぴたりと張りついている。お風呂上がりでほんのり桃色に火照って、白さを増した肌。

 

 

 

 鎖骨の上を一筋の水滴がするりと滑り落ちて、部屋着の奥へと消えていった。

 

 

 

 本人は面倒くさそうに、指先で雑に髪を払っている。

 

 

 

 

 

「ここ。髪~」

 

「あ、はい」

 

 

 

 

 

 水を弾くような沈黙が、ふたりのあいだに落ちる。

 

 

 

 ソファの前にちょこんと座ったクロエさんの背後に回って、わたしはドライヤーのスイッチを入れた。

 

 

 

 ブォー、という音と一緒に、あたたかい風が彼女の髪を揺らす。

 

 

 

 五感が、完全に狂いそうだった。

 

 

 

 濡れた髪の、ずっしりとした心地よい重み。風に煽られて舞い上がる、圧倒的に甘い香りの濁流。髪を持ち上げるたび、数センチの距離まで近づく彼女の小さな耳。伏せられた、長い睫毛。

 

 

 

 これは、家事。これは、ただの同居人の介護。断じて、お風呂上がりの無防備なクロエさんを五感すべてで堪能しているわけではありません。

 

 

 

 そう内心で必死に、念仏みたいに唱えるけれど。首筋が、あまりにも近すぎる。

 

 

 

 

 

「そこ、悪くない。もう少し下で」

 

「ん……それでいい」

 

「お前やっぱ手つき丁寧だな」

 

 

 

 

 

 ドライヤーの音の向こうから、喉の奥で漏れる気だるげな『ん』という声。

 

 

 

 文脈的には、ただ髪を乾かしているだけの会話。なのに、ここ視点では、完全にアウト。

 

 

 

 無理です、シスター。今日の対戦相手は無自覚の天然野郎です。勝てるわけがありません。

 

 

 

 すると、クロエさんが、こてりとわたしの膝のあたりに小さな背中を預けてきた。

 

 

 

 びくり、とわたしの身体が強張る。

 

 

 

 クロエさんは、ただあたたかい風が気持ちよくて、眠いだけなんだろう。

 

 

 

 けれど、その小さなぬくもりは、わたしにとって何よりも確かな、繋がりの形に見えた。

 

 

 

 

 

「クロエさん。眠いですか」

 

「少し」

 

「寝てもいいですよ。髪はちゃんと、乾かしますから」

 

「ん」

 

「……任せて、くれるんですか」

 

「お前がやるって言っただろ」

 

「はい。言いました」

 

「じゃあ、任せる。布団まで頼んだ」

 

 

 

 

 

 そのぶっきらぼうな『任せる』の一言が胸の奥に、すとん、と落ちていく。

 

 

 

 世界を滅ぼせるほどの怪物が。誰のことも信じられなかった過去があるこの人が。今、わたしの手の中に、その無防備な体を預けている。

 

 

 

 指先の震えを必死に抑えながら、わたしはそのなめらかな黒赤の毛並みを、さらに優しく、撫でるように乾かしていった。

 

 

 

 お願いだから、この時間がもう少しだけ続きますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……変なことするなよ?」

 

「貴方はわたしのことなんだと思ってるんですか」

R18見たい? スカは圏外

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  • どエロいの頼む
  • マニアックなのもいけるなら……
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