ダンジョンにはTSがつきもの 〜TS転生した怪物は自分への愛が強すぎる〜   作:炭水化物は飲み物

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解説&説明会です。
なんでか分かりませんが、2万近くあります。
脳みそ空っぽで読み進めてくだしゃい。深く読みすぎると頭こんがらがります。作者も後半何言ってるかわかってません。

次からちゃんと進みます。

感想くれたりしたらワクワクします。


自己愛が強すぎる変態

「怪物と戦うものは、その過程で自分自身が怪物にならぬよう気をつけねばならない。深淵を覗くとき、深淵もまた汝を覗いている」

 

 

 ――フリードリヒ・ニーチェ『善悪の彼岸』

 

 

 ◇

 

 

 階層は下層。それも多分浅めのほう。

 

 通路の奥から、気配。中型獣型が二体、魔導獣が三体、亜竜未満の上位個体が一体。たしか、千葉ダンジョン下層の標準遭遇基準ではCランクパーティーなら全滅判定。Bランクでも数分は持っていかれる構成、と情報にあったな。

 

 指先を跳ねさせ、戦気を展開。

 

 と同時に、先頭の獣型の頭が縦に裂けて二つに分かれた。中身が反対側の壁に飛び散る。二体目、頸動脈の位置で胴体と頭が分離。音はは音速を超えたので、遅れて届いていく。

 

 三体目は、肉薄して戦気を乗せた拳で胸骨の中心を殴り抜いた。拳の輪郭に薄く戦気が走る。打点が触れた瞬間、骨が陥没するというより、骨ごと押し抜けた。背中側の肉が外側にめくれて、奥の壁に貼りつく。

 

 四体目は脊柱、五体目は魔力流入口をそれぞれ瞬時に潰す。

 

 六体目、亜竜未満。足を踏み出して、戦気を纏わせた踵を頭部の側面に叩き込んだ。頭蓋が内側から弾ける。胸郭の中の臓器までまとめて衝撃が走ったらしく、口と鼻と耳から内側のものが噴き出した。膝が砕けて、巨体が床に倒れる。

 

 死骸は踏まないように、足の位置を少し調整しながら歩いていく。血が壁を伝って上の方まで飛んでいた。

 

 通路の壁に、前の通路で殺した魔物の臓器がまだ薄く貼り付いている。指先で軽く払う。床に落ちて湿った音がした。

 

 次の通路。今度は空中から来た。羽根の根元に鉤爪のついた鳥型の異形。魔導獣の上位群。

 

 

 ──……次は、短剣にするか。

 

 

 虚空に手を伸ばして、短剣を引き抜く。

 

 虚空、って言っても、青いタヌキが持ってるポッケではない。戦気で空間に薄く編んだ格納庫みたいなものだ。前に多種多様の武器を試したくて、どうしようか悩んでいたらいつの間にか使えるようになってた応用技。握り込めば刃が出てきて、放せば吸い込まれる。仕組みとしては、この武器を使いたい、って思うと出てくる。

 

 ん、新しい身体でも問題なく構築できるな。

 

 柄の握り方も刃の角度も、手が勝手に覚えてる。指の腹で柄頭を一度押さえる。

 

 振り下ろし、振り上げ、突き刺し、抜き、捻る。

 

 一体目、咽喉から後頭部へ突き抜ける。二体目、翼の付け根の動脈を一閃。三体目、心臓……右下の位置を正確に貫く。四体目、上顎から下顎へ縦に刺し抜く。

 

 羽根が散り、血が壁を伝った。

 

 ……よし。前と同じ感覚で振れる。短剣は問題ない。

 

 数体潰したところで、短剣の柄を一度緩めた。指先から離れる瞬間、床に向かって虚空を一つ展開する。短剣は床に触れる前に格納庫の口へ吸い込まれていく。刃の先端から柄頭まで、全部消えるのに一秒もかからない。いつもなら適当に放り捨てるが……

 

 ま、流石に同じ武器はこっちの世界にはないし、なにより前世からずっと使ってる愛用品だ。柄の重さも刃の重心も、自分の手の延長みたいに馴染んでる。新品の武器なら別に放っといていい。錆びても誰かに拾われてもダンジョンの澱に呑まれても、どうでもいい。代わりはいくらでもある。

 

 でも、こいつは違う。何百回、何千回と振ってきた手の馴染みは、新しい身体でも完全には再現できない部分がある。一度手放したら、もう同じものはないし。

 

 戻しとく。

 

 そのまま歩いて、次の角を曲がった。待っていたのは、群れの中央にひときわ濃い魔力を背負った亜竜未満の中位個体。

 

 次は……長棒《お気に入り》でいくか。

 

 虚空から長棒を引き抜く。

 

 体術と並んで、前世で一番手に馴染んでた武器。握っただけで、骨格の中の何かがすっと並ぶ感覚がある。背中の筋がほどけて、肩の位置が下がって、重心が腹の奥に落ちる。筋肉の使い方も勝手に切り替わる。呼吸も少し深くなる。視界の中の情報の処理速度も、半歩上がった気がする。

 

 ああ、やっぱ癖は体が女になってもかわんねぇな。

 

 一振り目。群れの三体が同時に潰れた。二振り目。亜竜未満の脊椎が砕ける。胴体が上半分と下半分に分かれた。三振り目はただの掃除。動いていた最後の一体の頭を、棒の先端で叩き割った。

 

 長棒を地面に突き立てた。それを支点に体を半回転させながら次の通路へ。

 

 長棒も戻しとく。虚空の口を開いて、棒の先端から吸い込ませる。柄の最後まで二秒もかからない。

 

 また気が向いたら引き抜けばいい。

 

 歩きながら次の通路へ進む。

 

 ……次は、片手剣でも試すか。

 

 虚空から片手剣を引き抜いた。相手の魔物の太刀筋に合わせて、刃を立てて流す。流したまま、切っ先を相手の重心の位置に滑らせた。胴体が綺麗に両断された。

 

 武芸書に載ってる教科書通りの動作だ。新しい身体でも問題なく振れる。

 

 片手剣も虚空に戻す。

 

 ……次は、矢。

 

「んっ、と……」

 

 矢じりを戦気にて具現化、生成。戦気で軌道を組む。それぞれが、別の魔物の眉間に吸い込まれた。

 

 ……次は、槍。

 

 ……次は、双剣。

 

 ……次は、戦鎚。と見せかけてハンマー。

 

 どれも感覚としては前世のままだ。手の馴染みは多少薄いが、振り方は身体が覚えてる。

 

 武器の選択に戦術的な意味は別にない。その場の気分で取り出して、振って、戻す。暇つぶしの延長みたいなものだ。

 

 前世で散々仕込まれた武器の身体感覚は、新しい身体に転写されても無意識に作動する。武器を持った瞬間、骨格と筋肉と戦気の流路がその武器に最適化された配置に勝手に組み変わる。

 

 技術的なものはあるかと言われれば、長棒なら誰にも負けない自信がある。その他は感覚で扱ってるが負けたことはないな。

 

 結局のところ、この戦闘はデータ集めだ。違う武器をわざわざ試してるのも、データの種類を増やすためでもある。ついでに魔物の感触を片っ端から舐めておく。

 

 ふと、足を止めた。

 

 

「ん〜……戦気の練度は相当上がってる、かな」

 

 

 新しい身体での戦気の通り方は、前世の終盤と比べても明らかに洗練されてる。骨格との連動、筋肉への乗せ方、流路の細さと厚みの調整。どれも前世の感覚をそのまま再現できるどころか、その上を行ってる。

 

 

「なら、次は……っと」

 

 

 虚空からもう一度長棒を引き抜いた。戦気と魔力を手の中で混ぜる。

 

 戦気は、自分の意志を直接力に変える系統。魔力は、世界の側に流れてる汎用の力。この二つを混ぜると別の質感の力になる。

 

 魔気。

 

 前世で俺が付けた呼び名だ。戦気とも魔力とも違う第三の流れ。

 

 魔気は便利だ。空中に薄く流せば、周囲の構造を面で把握できる。普段の魔気地図もこいつの応用。そして武器に纏わせると、その武器に元々付与されている能力効果の底上げができる。

 

 長棒の表面に、薄い金色の膜が走った。

 

 試しに一振り。通路の奥にいた魔物の群れの上半分がまとめて吹き飛んだ。

 

 この長棒は魔力を流すと壁や敵に直撃したら小規模の爆発を起こす疑似スキルが施されている。それを魔気で能力を底上げして、遠方でも使用できるようにした。すごく便利である。

 

 ……ふぅん。前世の感覚と比べても、出力は二倍弱、ってところか。魔気の練度も戦気と一緒に底上げされてる、と。

 

 悪くない。

 

 長棒をまた虚空に戻す。

 

 

「良い感じ。もう少し遊んでいくか」

 

 

 身体をほぐしながら次の魔物に向かって歩いていく。

 

 

 ◇

 

 

 死骸の山の頂上に腰を下ろした。死骸は消えず、そのまま残る。多分ネットにあった情報で『素材』っつてたのがこれのことか。メモメモ。

 

 指先には血の匂いがまだ残ってる。

 

 遠くの通路で、別の魔物たちがこっちの気配を察したらしい。複数の警戒の魔力がそれぞれの位置から滲んできた。

 

 ……へぇ?

 

 にやり、と口の端が持ち上がった。

 

 

「子犬に分際で、他の雑魚集めて集団リンチってか? 悪知恵は働くんだな。今はストレス溜まってんだ」

 

 

 虚空から大弓を引き抜いた。

 

 矢を一本、戦気で編む。矢じりから羽根まで丸ごと戦気で形を組んだ仮の矢。本物の矢を装填する手間も、回収の必要もない。

 

 大弓自体は、ただ精度を上げるための装置だ。弦の張りを利用すれば、戦気の軌道はさらに鋭くなる。

 

 

「弱いものイジメは好きじゃないが……鬱陶しい」

 

 

 息を軽く吐く。弦を引き絞った。離す。

 

 矢が空気を裂いた。戦気の尾を引いて、通路の途中で──分裂した。

 

 一本が三本。三本が九本。九本の矢が扇形に広がっていく。それぞれが別の位置の警戒していた魔物の頭部に勝手に吸い込まれていった。

 

 遠くで複数の影が内側から弾ける。何かが砕ける音がまとめて遅れて返ってきた。警戒の魔力が全部一斉に消えた。

 

 うし。ストライク。

 

 にひっ、と口の端が持ち上がる。

 

 

「ふぅ〜……ちょっとすっきり」

 

 

 大弓も虚空に戻す。死骸の山の上で姿勢を楽な方に崩した。

 

 

「あれ、なんだったんだろうな」

 

 

 直後《救出からの出来事》のことを思い出す。

 

 最初、支部での出来事。あそこは奇妙な場所だった。いや、奇妙っていうのはちょっと違うか? とりあえず俺の想像していた地獄とは違った。

 

 

「あそこまで違うのは、びっくりしたな」

 

 

 ぽつりと声が漏れた。

 

 前世の似たような場所の記憶が、頭の中に並び始める。

 

 前世の治療施設は、要するに、傷を治すついでに人間を別の意味で追い詰めるための取り立て屋だった。

 

 軽い傷から、まだ機能不全にならない程度の重症までなら、その場で「回復薬」を使って終わり。治療そのものは、まあちゃんとしてた。

 

 問題はそのあとだ。

 

 治療費として、まともな人間が一生かけても払えないような請求書がぽんと出てくる。桁が一つ二つ違うなんてレベルじゃない。傷を治した直後に金銭に請求書を突きつけて、金を根こそぎ奪う。それが医療施設の本来の目的であり、利益出会った。

 

 払えない探索者は当然、借金として処理される。確か5日で借りた金の15倍だったか。借金を抱えた探索者は、ダンジョンに潜り続けるしか選択肢がなくなる。それ以外ではまともに返済できないしな。潜り続ければまた怪我をする。また治療費を請求される。また借金が増える。そういうループの装置として施設が組まれてた。

 

 で、借金を背負うのが嫌な連中は、違法な売店に流れる。

 

 売店のラインナップはろくでもない代物ばかり。

 

 正規品を数倍薄めた回復薬。効果は当然薄い。止血が遅れて死ぬやつもいた。でも、正規の治療費を払うよりはまだ安く済む。

 

 もうひとつは、どこから湧いて出てきたのかわからない人を使って錬金だったり実験をするマッドサイエンティスト達が勝手に作った魔改造の回復薬。効果は倍増する。代わりに副作用が出る。皮膚が変色するだけならまだいいほうで、感覚器官が一つか二つ機能不全になるとか、魔力流路が崩れて二度と魔力を扱えなくなるとか、人格が部分的に崩壊するとか、まぁこっちもこっちでろくでもない。

 

 ……まあそれでも、買うやつは買ってた。背に腹は変えられない、ってやつだな。

 

 もし、後遺症が残るレベルの致命傷を負った場合は、また別のルートになる。

 

 重要人物だったり、企業にとって利益になり得る人物だった場合は、「回復脊者」のいる教会で治療できた。

 

 回復脊者は、回復魔法が使用できる人のこと。人かどうか怪しいけどな。教会の管理下で、限られた人間にしか使われないし、治療費はそもそも個人で払うようなものじゃなくて、背後の企業が肩代わりする前提のシステム。

 

 問題は、それ以外の人間。

 

 一般市民や下等奴隷階層の人間が同じレベルの致命傷を負った場合は、そのまま被検体送りだった。

 

 被検体送りになった人間が向かう先は、人体を素材としていろいろな実験が行われている施設。

 

 ……まあ、思い出せる範囲で言うと。

 

 魔物の臓器を人間に移植したり、脊椎に直接人工魔力炉を埋め込んだり。魔力の流路を組み替えて人格を別物に作り変えたり、痛覚神経を間引いて戦闘耐性を試したり。致死量の薬剤を片っ端から投与したり、子供の骨格を切り刻んで再生速度の上限を計ったり。死亡寸前で蘇生を繰り返して、精神がどこまで持つか測ったり。陰部と陰部同士をくっつけながら性行為&脊髄手術をしたら、どんな人間が生まれるのか。

 

 そういうイカれた実験を片っ端からやってたらしい。医療施設じゃなくて実験施設だなこれ。

 

 倫理とか常識とかはもとから存在しなかった。なんなら子供の時はそれが常識だと思ってた。

 

 被検体はデータの取れる単位でしかなかった。生きてる間に取れるだけのデータを取って、死んだら次の被検体に切り替える。死体は適当に切り刻んで、貧民層の連中に食事として与える。成功例があれば企業の研究成果として論文になる。失敗例は損益計算書に「廃棄」として記載される。

 

 今なら分かる。あれは人が技術を持ちすぎてしまった世界。

 

 負傷者は最初から最後まで資材として扱われてた。回復術師なんて職業は存在しなかった。医療部門というのは、企業の利益を最大化するための、別の名前の生産ラインでしかない。

 

 施設の中に血と消毒液と機械油の匂いがずっと入り混じってた理由は、要するに、そういうことだ。

 

 ギルド相当の組織のほうも全然違ったなぁ。

 

 武装した守衛が出入りを管理してて、待合室では刃物の音が日常的に響いてた。職員は探索者を「使い捨ての駒」として扱って、探索者のほうは職員を「搾取する敵」として見てた。互いに目を合わせず、素材の売買は値切りと脅迫の混合で成立してた。なんなら切りあってた。俺も参加してた。

 

 探索者同士の関係も警戒だらけ。

 

 隣に座った相手が、次の瞬間に刃を抜くかもしれない。別に特別な日のことじゃなくて、毎日がそうだった。

 

 

 で、こっちの支部はと言うと。雰囲気からまるで違ってた。

 

 

 治療費は最初から公定の固定相場で決まってる。請求書にはまともな額の数字が並んでた。借金漬けにして探索者を縛り続ける、みたいな装置としては組まれてない。

 

 違法な売店も当然のように見当たらない。回復薬は全部正規の流通で品質管理下に置かれてた。薄めた粗悪品も副作用付きの魔改造品も、表にも裏にもたぶん流れてない。

 

 致命傷を負った場合も、階級は問われない。重要人物だろうが一般市民だろうが、同じ手順で治癒術師の処置を受けられる。被検体送りなんて選択肢はもとから存在しない。倫理規定でガチガチに縛られてて、子供を切り刻むとか、死亡寸前で蘇生するとか、そういう実験はやってなかった。

 

 負傷者は「資材」じゃなくて「患者」。回復術師というのは、ちゃんと人間が回復してた。なんかシスターっぽい格好をしてた。

 

 「廃棄」って言葉も、人間に対しては使われてない。「患者」だったり「けが人」って言ってたな。

 

 あと、職員は丁寧に応対してて、探索者は順番に並んでて、素材の売買には固定の相場が存在してた。不当な値引きも行われてない。負傷者は迅速に運ばれて、治癒術で短時間で復帰可能な状態に持ち込まれてた。

 

 誰も、誰のことも殺そうとしてなかった。

 

 

 ……なんていうか。

 

 

「ほぇ……」ってなった。

 

 

 びっくりしすぎて、変な声出した記憶がある。

 

 もう1つは、戦気の標をあの少女の首筋に残した件。

 

 支部内部に着いた直後、無意識に館内全員へ戦気を展開。前世から続く癖というか、習慣だ。場所に到着したら、まず戦気で空間と人間の強さを視る。

 

 結果は予想通り。全員の魔力が同じような系統の力を返してくる。地下水脈みたいに、誰もが似たような魔力の流路を持ってた。技術や量の差はあっても、構造としては均質。

 

 ただ。あの少女だけがなんか違った。

 

 アレの魔力の根元には、誰も持ってない別の構造があった。「拒絶」っていう、魔力系統とは別の力。それは魂と一体化してて、生まれた時点で組み込まれてるみたいだった。

 

 

 ──めっちゃ特殊な人間だな。観察してみよ。

 

 

 そういう、純粋な理由で戦気の標を残した。

 

 だって、これから強くなるかもしれないだろう? なら、そん時になって戦えたらなんて良いエサを見つけたんだと、未来のコイツに期待することにした。そこまで期待してないけど。

 

 戦気の標は、位置情報と感情の波形の両方を拾える機構。修復速度を上げる治癒の機能もついでに織り込んだ。いつでもどこでも、白い処女の位置を見失わないように。

 

 マーキング、と呼んでも近い動作だった。

 

 なんか変態っぽい言葉だな。

 

 

「ここまで人を気にしたのは、久しぶりだな」

 

 

 ……ん。

 

 自分の口から出た単語に、ほんの一瞬引っかかった。

 

 久しぶり、ねぇ。ってことは、以前にも誰かを気にしたことがあった、ってわけだ。

 

 ん〜、と、その方向を少し辿ろうとした瞬間。

 

 胸の奥がなんとなく、もやっとした。

 

 ……んん? なんだろうな、これ。

 

 ……ま、いいか。別に今気にすることでもないし。

 

 そう、他には。

 

 戦気の標を残す過程で、少し意識しすぎた。

 

 前世の感覚で、口から言葉が出かけた。医療班員に向かって、ごく自然にこう言いかけた。

 

 

「実験とか脊髄はだめだぞ。そいつは俺の──」

 

 

 そこで止まった。俺は偉い。

 

 

「……んにゃ、なんでもない」

 

 

 強制的に話を中断する。

 

 

 ──……さすがに、「そいつは俺のもの」というのは、語弊が生まれるよなぁ。

 

 

 内心でぼんやり恥じる。

 

 ……ん〜、でも、なんで咄嗟にあんなこと言いそうになったんだろうな、俺。

 

 あー、と半秒くらいで思い当たった。前世のせいだわ、これ。

 

 「これは自分のもんだから、奪ったりしたら殺す」って、自分のものに手を出そうとする相手にずっと言ってた。何回言ったか覚えてないくらい、口に染み付いてたフレーズだ。あの口癖が無意識に出かかったんだろうな。

 

 ……あと、まあ、俺、もともと独占欲わりと強いほうだしなぁ。

 

 自分のものに他人が触れるのが、生理的に嫌い。武器でも装備でもデータでもなんでも。「俺のもの」と認定したものに、許可なく触れた相手は、前世だったらたぶん即座に地獄行き。

 

 ……で、こいつに対しても、もう半分くらいその感覚で見てたことになる。

 

 

「ちょっと、気にしすぎか?」

 

 

 医療班員に勝手にいじられるのが無意識に嫌だった。だから、「実験とか脊髄はだめだぞ」って警告が勝手に口から出た。そのまま流れで、「そいつは俺のもの」って、ほぼ反射で続けようとしたわけだ。あと普通に治療手伝ってたし。

 

 自分が思ってる以上に、こいつのこと気になってるってことか。うん。そういうことなら別に変でもないか。

 

 ……変か? やっぱり。

 

 立ち上がって、周りを把握。

 

 通路の奥で、次の魔物群がぼちぼち魔力を膨らませ始めてた。

 

 

「なんか知らんがストレス溜まったな……もうちょっと発散しよ」

 

 

 〜少女、発散中〜

 

 

「ふぅ、すっきり」

 

 

 軽く伸びをして、また歩き出す。

 

 周りには、新しい死骸がいい感じに散らばってた。

 

 満足、満足。

 

 歩きながらぼんやりと、頭を回した。

 

 ……あ、そうだ。もう一つ引っかかってた件あったな。

 

 支部の出口に向かう廊下で、戦気の標越しに受信した、少女の魔力の色合い。あれは何度味わっても慣れないものが飛んできた。

 

 淡いピンクみたいな、ふわふわした揺らぎ。感情と呼んでもいい何かが、少女から俺の方へまっすぐ向いてた。

 

 含まれてたのは、憧憬と、懸想。あと、依存と執着の薄い影、みたいなやつまで薄く混ざってた。

 

 ……ん?

 

 

 ──……なんでぇ?

 

 

 

 なんでこいつがこんなピンクな感情を俺に向けてくるんだ? と困惑した。

 

 条件が全然揃ってへんやん。会話らしい会話もまだしてないし、さっき助けたばかり。しかも、見た感じ向こうの意識はもう半分以上飛んでた。

 

 なのになんで。

 

 この世界に来て、自分が女になってることを発見した瞬間と、ほぼ同じ温度の困惑が頭の中で揺れた。

 

 数百年も生きた俺でも、こういう細かい人間の感情の動きには、相変わらず慣れない。

 

 しかも悪いことに、返ってくる色合いは、間違いなく経験のある種類のやつだった。前世でも何度か浴びてきた、あの感情。

 

 ……ただし、前世のそれらはこれよりはるかにやばい連中だったけど。

 

 顔がほんの少し勝手に歪んだ。眉のあたりがわずかに寄る。喉の奥から短い音が勝手に漏れた。

 

 

「うぇ」

 

 

 普通に今も思い出しちゃった。

 

 あいつらのこと、できれば思い出したくない、っていうのがほぼ反射で思ったこと。

 

 でも、波形が一致しちゃった以上、記憶の引き出しが勝手に開いた。内心で断片が流れ出してくる。

 

 具体的な台詞はもう覚えてない。覚えてないことにしておく。思い出したくない。

 

 ただ印象だけが、頭の隅に薄く滲み出る。

 

 

 ──脊髄と脳が連動してるかと思うレベルのイカれぶりな人間。

 

 今の姿でもおそらく、前みたいに襲い掛かってきて、監禁&解体ショーが起こりそうだな。

 

 

 通路の奥で、また別の魔導獣が壁を蹴った。振り向きもせず、手の甲で空気を払う。背後で何かが砕ける音がした。

 

 

 ──逃げるだけで、街、何個壊滅してたんだろうかなぁ。

 

 ──ろくでもないことばかりだった。

 

 

 ……まあ、ただ、悪いことばかり、っていうわけでもなかったんだけど。

 

 叩き潰すたびにその分強くなって、また絡みに来やがったのだ。毎回、殺す気で潰してたのに、ゴキブリみたいに数日経つとひょっこり復活してくる。

 

 サンドバッグの機能としては、ぶっちぎりで最高クラス。俺の戦気の底上げにある程度貢献してくれていた存在だった。

 

 戦闘相手としては、わりとありがたかった部分も、ないわけじゃない。

 

 ……まあ、それはそれとして、だ。

 

 俺の体に勝手にナノマシン仕込んで、ナイトシティの監視カメラとドローン網ぜんぶ掌握して二十四時間張り付いてきたり、自分の義体を自前で切り刻みながら「俺がいないと壊れちゃう」ってブレインダンス配信を毎日送りつけてきたり、自分の脳と俺の脳をシナプス融合させる手術プランを裏で組み立ててたり、っていうようなことしてたから、俺は常時一緒には居たくはなかったがな。大半は叩き潰したが。

 

 

 ──……忘れよ。

 

 

 代わりに、返ってくる現在の波形のほうに意識を戻した。

 

 

 ──まあ、こっちのはあいつらに比べれば、まだマシだし。

 

 

 種類は一致してる。でも桁がまったく違う。前世の連中が灼熱の真紅だったとすれば、少女のは淡いピンクの霞、ぐらいの差がある。可愛い。

 

 今のところ、まだ『あっち側』には入ってない。なら、まあ、たぶん大丈夫だろう。急いで対処する必要も特にない。

 

 もし。もしだ。

 

 あのガキがあっち側になったら、またあの地獄のような紛争が起こるのか…? 今、潰した方が……いや、犯罪になるのか。でも可能性は先に潰した方が良いって言うし……

 

 

 ──ま、また後で考えるか。

 

 

 そう結論を出して、頭の中の保留棚に放り込んだ。

 

 通路の奥で、また別の群れがもぞもぞと動き始めてた。多くね。

 

 

 ◇

 

 

 歩きながら、頭の中でさらに別の項目がぼんやり浮かび上がった。

 

 そもそも、なんで、あの救難配信であいつに引っかかったんだったかなぁ、俺。

 

 画面の中の少女の顔に、見覚えがあった気がしたから、っていうのが、自分でもそう認識してた理由だ。

 

 でも、なんで見覚えがあるのか、どこで見たのか、前世のどの記憶に該当するのか。どれもまったく思い出せなかった。

 

 前世で出会った人間の顔は……いや、でも覚えてねぇな。でも、強烈に見覚えがある気がした。

 

 その違和感の正体を確認するために、千葉ダンジョンに潜って、六十一階層まで降りて、間近で少女の顔を見て──。

 

 

 あー、違うわ。

 

 

 内心であっさり結論が出た。

 

 

 全然、知らない他人だ。

 

 

 あの顔は、俺が知ってるどの顔とも違う。白い髪も白い肌も灰青の瞳も、初めて見るものだった。

 

 違和感の正体は、ま、勘違いだったってことだ。見覚えがあるような気がしたのは、ただの錯覚。そういうことにしておく。

 

 

「あと、ちょっと顔が良かったし、現物見て俺の顔と比較して、優越感味わいたかった」

 

 

 あ。声に出てた。

 

 周囲は魔物の死骸しかいない。誰にも聞かれないな。

 

 俺の中では完全に完結した話だ。

 

 

 ──だから、もう、この件は考えなくていい。

 

 

 そう自分に言い聞かせて、意識を別の項目に移そうとした。

 

 移そうとしたはずだったんだけどなぁ。

 

 ふと、頭の中によぎる、あの顔。

 

 白い髪。白い肌。灰青の瞳。

 

 画面の中のあの顔が勝手にもう一度、像を結ぼうとしてくる。

 

 目を軽く細めた。

 

 

 ──……。

 

 ──いや、解決した。

 

 

 頭の中で強制的に像を消した。

 

 ……うん、そういうことにしておく。

 

 なんか、一瞬、自分の動作に引っかかる感触があった気がしたけど、まあ、気のせい、気のせい気のせい。

 

 気のせいったら気の所為。

 

 歩幅は、変わらない。

 

 

 ◇

 

 

 通路の奥で、次の魔物群がまた殺到してきた。

 

 

「なんだ、本当に多いな。これが普通なのか?」

 

 

 今度は素手で対応した。拳、掌底、肘、膝、踵を、必要なところに必要な分だけ叩き込んでいく。一発ずつが確実に致命に届く。

 

 動作の合間で、頭の中の別の項目が立ち上がってきた。

 

 そろそろ、現在の自分の戦闘力について改めて整理しておく時期だ。

 

 ここに潜り直した最大の目的は、戦気の成長を確認すること。その確認作業が、ようやく一段落しそうな段階に来てた。

 

 最後の一体の頭を踏み潰したところで、足をふと止めた。

 

 目を軽く閉じる。意識を戦闘の表面から切り離して、自分の身体の内側に向けた。

 

 骨の組成、筋肉の繊維の質、神経の走り方、血管の太さ。それから、魔力容器の壁の厚みと流路の本数。

 

 全部、ひとつずつ、内側から感触で確認していく。

 

 

 ──……ふぅん。

 

 

 目を開けた。

 

 右手を目の前に持ってきて、ゆっくりぐっと握る。開く。もう一度握る。開く。

 

 指の関節の硬さ、握力の上限、腱の張りの強さを、感触の方からも追加で測る。

 

 

「ん〜……やっぱり、身体の影響が、でてるのかなぁ」

 

 

 ぽつりと漏れた。

 

 新しい身体の能力は、前世の身体の三割にも満たない。

 

 骨格は華奢、筋量も少ない。骨密度も柔らかいし、魔力容器の容量に至っては大幅に劣ってる。

 

 だから戦気を、普段の数倍の量を身体に流し続けてる。足りない筋肉、足りない骨、足りない魔力容器の容量、その全部を戦気で底上げして埋めてる感じだ。戦気だけじゃ補いきれない繊細な部分は、魔気を併用してもう一層追加で補強する。

 

 戦気は魔力とは違う、っていうのがこれの肝だ。

 

 魔力は使えば減る。容器が空になったら、補充するまで止まる。戦気は使っても減らない。底から勝手に湧いてくる。半永久的に出し続けられる仕様。

 

 しかも、前世で死んだ瞬間に触れた戦気の核心の層。あれを意識して以来、出力の上限そのものが根本から押し上げられた。濃度も自由度も、前よりもっと桁が上がってる。

 

 とはいえ、純粋な肉体性能の話に限定すれば、前世での到達点には絶対に届かない。

 

 わかりやすく言えば、戦場で走る重戦車だったのが、街の空を走る自空車みたいなものになった感じ。

 

 フレームの強度もエンジンの出力も装甲の厚みも、全部桁違いに低い。

 

 

 重戦車の頃の自分なら、亜竜の喉を素手で握り潰せた。自転車の今の自分には、それは無理だ。物理的に骨が先に砕ける。

 

 なので、もし戦気が一切なくて、魔力のみで戦うってなったとしても、この世界ならまあ、それなりに楽しく……。

 

 

 ──……。

 

 

 そこまで考えて、頭の中ではっと、ひとつの妙案がぴこんと立ち上がった。

 

 

 『魔力だけ、もしくは、その魔力さえも封じた状態での、戦闘』。

 

 

 これは、今まであんまり考えたことがなかったやつだな。

 

 前の世界でも、こういう条件付きのトラップはいろんなダンジョンに転がってた。けど、あの頃の俺は自前の肉体性能と技術があったから、戦気抜きでも魔力抜きでも、結局攻略は普通にできてた。

 

 今の俺の残ってる戦力は、技術と、戦気と、それから、少量の魔力。

 

 戦気をもし完全に封じたとしたら。残るのは技術と魔力だけだ。

 

 俺の魔力容器は、別にそんなに馬鹿でかいわけじゃない。

 

 魔力だけで、数百キロ単位の大陸をまるごと囲えるほどの容量はないし、一日中フル稼働させ続けるってのも、たぶん半日経つ前にガス欠で枯れる。

 

 今は戦気が出力の大部分を補ってて、繊細な調整に少量の魔気と魔力を回してる、っていうバランスだから、魔力の残量はまだまだ全然ある状態、なんだけど。

 

 

 ──……この世界での魔力の扱いも、まだちゃんと把握しきれてないが、天然の魔法士なら大陸全体は無理でも、数十キロ程度囲めるほどの魔力を扱える人間はいるか。

 

 

 天然魔力で運用してる文化らしいし、まあ、それ相応の量をみんな普通に持ってるはずだ。

 

 俺の量がこの世界で特別多いのか、少ないのか、平均的なのか、今の段階じゃまだ判断材料が足りない。

 

 

「アレとまた殺り合う前の強化……」

 

 

 やってみる価値はあるかもしれない。

 

 戦気を完全に封じて、魔力だけで戦う。あるいはその魔力さえも余裕があったら封じて、純粋に技術とぺらっぺらの肉体だけで戦う。

 

 

 ──これは、新しい戦闘の楽しみ方として、ちょっと面白そうだ。

 

 

 戦気以外がすべてゼロからの組み直しっていうのは、まあ、確かに少しだけ不満ではある。

 

 骨格も筋量も魔力容器も、全部一からやり直しだ。蓄積した戦闘のクセも関節のなじみも、何もかもゼロから組み直す必要がある。

 

 だが、基礎的な部分等は向上する見込みがある。

 

 

「悪くないねぇ」

 

 

 低く、低温の声が勝手に喉から漏れた。

 

 自分でもびっくりするくらいウキウキしてる。

 

 ──戦闘の楽しみ方が、またひとつ増えた。

 

 

 そう自覚した瞬間に、口の端が無意識のうちにほんの僅か上がってた。

 

 新しい身体、強化された戦気、増した自由度、それから、さっき思いついたばかりの『封印戦闘』っていう未開拓の領域。これだけの遊び場が目の前にぽっかり広がってる。

 

 戦闘狂の俺にとっては、これ、まあ、『悪くない』どころの話じゃないんだよなぁ、本当のところは。

 

 おい誰だ今マゾとかドMとか思ったやつ出てこいぶっ飛ばす。

 

 

「……んふふ」

 

 

 声に出すつもりはなかったのに、勝手にちいさく笑いが漏れた。

 

 喉の奥から嬉しい音が、ぽろりと零れた感じだ。慌てて口を軽く閉じてみるけど、口角はもうすっかり戻ってくれない。

 

 頭の中ではもう、新しい戦闘の試案が何種類か勝手に組み上がり始めてた。早くいくつか試してみたいなぁ。

 

 そのくせ心拍は、ほんの僅か速くなる。

 

 戦気成長の確認作業、これで一段落ってやつだ。新しい身体でもちゃんと機能してる。やることも増えた。

 

 ダンジョン再潜入の最大の目的は、これでひとまず達成できた。

 

 目的が片付いたということは、他のことを考える余裕が、その分ぽっかり生まれたということでもある。

 

 

 歩幅がふと緩んだ。

 

 通路はほぼ無人。死骸はそこら中に転がってるけど、動いてる生き物は自分以外誰もいない。

 

 軽く息をついた。

 

 

「んんっ」

 

 

 ふと無意識のうちに、視線が自分の身体へと落ちた。

 

 ……。

 

 

「……やっぱり、エグいよな俺の体」

 

 

 熱を孕んだ呟きが、ぽつりと乾いた唇から漏れた。

 

 視線が上から下へと、肌の表面をじっと這うように移動していく。

 

 

 ──胸の重み

 

 

 薄い布地を内側から強く押し上げてるのは、明らかな質量を持った柔らかな膨らみだ。前世の記憶にある、あの冷たく頑強な装甲板とは完全に対極にある存在。

 

 呼吸を繰り返すたびに、たっぷりと肉の詰まった曲線が、自重でたわむみたいにゆったりと上下に揺れている。自分の意思とは無関係に主張してくる、その重みと衣類に擦れる皮膚の感覚が、脳を生々しく刺激した。

 

 

 ──腰のくびれ

 

 

 さらに視線を下に滑らせると、そこには不自然なくらい深く抉れたくびれがあった。

 

 指を広げてあてがえば、自分の両手のひらだけできつくすっぽり掴みきれてしまいそうな細さだ。かつて数多の衝撃を撥ね返した強固な車体は、もうどこにもない。力を込めれば容易に折れてしまいそうな、あまりにも無防備で危うい、肉の窄《すぼ》み。

 

 

 ──肉感的な臀部

 

 

 そのまま視線が外側に流れると、今度は一転して、過剰なくらい豊かな丸みが視界を支配する。

 

 布の下で破裂しそうなくらい張り詰めた、形のいい肉の塊。一歩歩くたびに、自分でも制御しきれない肉の波が、ぶるりと小さく、しかし確実に震えているのが視界の端で捉えられる。大地を踏み鳴らす履帯の振動とはまったく違う、肉そのものがもたらす自堕落なまでの揺らめきだ。

 

 

 ──太股の量感

 

 

 最後に視線は、太股へと至る。

 

 引き締まってるように見えて、その実、触れずともわかるくらい密度の高い、独特の柔らかい量感がそこにはある。膝に向かって滑らかに細くなっていく肉の輪郭は、いちいちこちらの理性を狂わせるくらい瑞々しくて綺麗、なんだよなぁ。

 

 

 ──え、江戸すぎる。

 

 

 何度確認しても、かつて戦場を駆けてた重戦車だった頃の身体とは、何もかもが根本から決定的に違いすぎている。骨格の構造も肉の柔らかさも、そこから立ち上る微かな熱も、ぜんぶ別物だ。

 

 「男」と「女」もしくは「鉄」と「肉」っていう決定的な差異。

 

 俺は今、自分の内側から訴えかけてくる肉体の感触を通して、ぞっとするくらい、しみじみと実感させられていた。

 

 俺の心は、男のままだった。

 

 性欲も一般人と比べたら低い方。前世でもそれは同じだった。戦闘以外のことに脳のリソースを割く時間がほとんどなかった、っていうのが、たぶん正確な理由だ。

 

 

 しかし。しかしだ。

 

 

 ここで深刻な問題が発生していた。

 

 俺は、自分のこの美しい顔と身体の造形美に、ばっちり一目惚れを起こしていた。

 

 整いすぎていた。陶器みたいに滑らかな肌。底のない深い瞳。黒と赤の長い髪。小柄で華奢な輪郭。

 

 そして極めつけは──前世での俺の、ど真ん中の好み、ど真ん中ストライクの体型と顔面。

 

 前世の俺の美的感覚の頂点を、いきなりぶん殴ってきたんだ。

 

 ちゃんと性的な意味でもだ。

 

 心が男のままだから、目の前の美少女に対する反応は、前世の男性的なそれがまだしっかり残ってる。そしてその美少女が、自分自身、っていう事実。

 

 

 ──自給自足自家電式の機能付きとは。本当にありがとうございます。

 

 

 結果。性欲が人一倍強くなってる、っていう、なんとも嬉し……面倒な状態が定着していた。

 

 だからたまに、こうやって人気のない場所で自分の体にまさぐって発散することにしている。

 

 別に変なことじゃない。男は誰だってゲートインオープン。いっつも触りまくるんだし、これも普通の範疇に入ってるはずだ。

 

 

 ──変じゃないったら、変じゃないのだ。

 

 

 ダンジョンの薄暗い闇の中。しかも、いつ魔物が襲いかかってきてもおかしくない、緊迫した戦域の真っただ中。

 

 それなのに俺の右手の指先は、戦意とはまるで違う種類の熱に導かれるみたいにして、無意識のうちに自分の太股の内側へと、ゆっくりと滑り落ちていた。

 

 指の腹が、吸い付くような肌の質感をじっとなぞっていく。

 

 

「ぉぉ……」

 

 

 は、犯罪的だ……!!

 

 衣服越しでもはっきりと伝わってくる、男のそれとは決定的に違う、どこまでも柔らかく密度の高い肉の量感。その滑らかな感触が指先を伝うたびに、胸の奥がじわりと熱くなって、呼吸が少しずつ深く熱を帯びていく。

 

 自然と視線は下を向いて、熱に浮かされたみたいに瞼が、半分とろりと閉じかけた。

 

 ふ……、と吐き出された吐息が薄く白い。

 

 重なるようにして、今度は左手もゆっくりと、自分の腰のあたりへと添えられた。指先を軽く沈めれば、驚くほど容易に肉がたわむ。

 

 

 ──柔らかい。

 

 ──不自然なくらい、細い。

 

 ──そして、狂おしいくらい綺麗だ。

 

 

 かつて戦場を蹂躙してた、あの無骨で強固な鉄塊の面影なんて、もうどこにも残ってない。

 

 今ここにあるのは、指を這わせるだけでこちらの理性を狂わせてくるような、極上の肉の曲線。

 

 

 ──それが他ならぬ、自分自身の身体だ、っていう事実が、脳髄の奥をじわじわと痺れさせてくる。これが俗に言う『脳破壊』ってやつなのか。

 

 

「……うん、可愛い」

 

 

 危険な戦場にいることすら一瞬忘れてしまうくらい、自らの肉体の瑞々しさに魅了されて。

 

 半分とろけたみたいな甘い声が、ぽつりと淫らに、静寂の中へと漏れ落ちた。

 

 その時。

 

 

「あ」

 

 

 目の前に、魔物が襲いかかってきてた。

 

 今までの群れよりひとまわり大きい個体で、肌の質感もまとってる魔力の濃度も、桁ひとつ違う。

 

 亜竜級。

 

 軽く上げた右足の爪先が、その個体の顎の下にふっと入り込んだ。そのまま頭部を上方へと蹴り上げ、ヤクザキック。

 

 骨が砕ける音が複数、ほぼ同時に響いた。脳漿が天井のあたりまで飛び散る。巨体が後方の壁に勢いよく叩きつけられた。壁がわずかに陥没した。死骸がずるずると床に滑り落ちていく。

 

 足を下ろして、軽く咳払いをした。

 

 

「……っん、ん」

 

 

 頬がほんの少し熱い。

 

 視線をわざとらしく別の方向に逸らして、無意識に自分の髪を耳の後ろにかけてしまった。

 

 

「……帰ったら。うん。今はやめとこ」

 

 

 誰に向けたわけでもない独り言で、強いて言えば自分への約束、ってやつだ。

 

 続きは帰ってから。よく考えたら、ダンジョンの中で、しかも襲撃される位置でやるような種類のことじゃないし。

 

 そう自分の中で結論にしておいて、もう一度咳払いをした。

 

 そして、ふと死骸の方を見た。

 

 ……ん?

 

 なんだ、こいつ。

 

 妙にデカいし、この階層では一番強いな。

 

 近寄って、死骸の顔を軽く靴の爪先でつついてみた。

 

 亜竜級の魔力反応に、独特な筋肉の繋ぎ方、骨格の組成。それから、額のあたりに骨を組み合わせたかのような王冠状の角。手元には不格好な、棍棒のような巨大な武器が転がってる。

 

 

「これ、オークか」

 

 

 声が思ったより低くなってた。

 

 

「亜竜級だの、中層大ボスだの、肩書はあるみたいだが」

 

 

 頭を踏み潰し、首を傾げる。

 

 

「要するに、ちょっとデカいだけだな」

 

 

 ちょっと大きくて、ちょっと飾りが多い、それだけのオークってやつだ。

 

 

 千葉ダンジョン五十階層大ボス、オークキング。本来なら高ランクパーティーが、討伐対象として組織的に挑む危険個体。それがクロエの自己愛発散の邪魔をしただけで、頭を蹴り上げられてヤクザキックにて即死。なんとも自分勝手な変態野郎《主人公》なんだ

 

 

 もう一度咳払いをした。

 

 

「……まあ、いいか」

 

 

 頬の赤みはまだ薄く残ってた。

 

 数秒後、オークキングの死骸のすぐ脇で、薄い光がふっと湧いた。光はゆっくり収束していって、形を結んでいく。現れたのは黒い木枠に銀色の金具で装飾された、ちょっと立派めな見た目の宝箱だった。

 

 それを軽く一瞥。

 

 

 ──あー、ここは、同じなのか。

 

 

 特段の驚きはなかった。前世にも同じ仕組みは存在した。なんか特別強いモンスターの撃破のボーナスとして宝箱が湧いて、中身は武器、防具、魔法具、素材、それぞれがランダムで配置される、そこまでは構造として同じ、ってことか。

 

 強いて言うなら、モンスターは死亡したらそのまま光のつぶになって消えるて魔石がコロンと落ちるだけ。こっちは死体も残る。なのでさっきから魔物の腹ほじくって魔石だけ回収している。血生臭いったらありゃしない。

 

 ……まあ、別に欲しいかと言われると微妙なんだよなぁ。装備は前世から使い慣れた感覚で十分回ってるし、魔法具の類いも戦気で大体代用が利く。素材に関しては、ここまでの道中で潰した魔物の魔石を、戦気で編んだ虚空の格納庫に片っ端からぶち込んできてるから、すでに結構な量が溜まってる。

 

 ちなみにこの格納庫、便利は便利なんだけど、時間停止とか鮮度保持みたいな気の利いた機能はついていない。要するに常温の大型倉庫を空間ごと持ち歩いてる、っていうそれだけの仕組みだ。長期保存にはまったく向かない。

 

 で、装備も魔法具も素材も、その辺がだいたい間に合ってる以上、宝箱をわざわざ開ける理由もない、ってことになるなぁ。

 

 

 ──……いや、待てよ。

 

 

 ここって、ギルドがちゃんと素材も装備も買い取ってくれるんだったよなぁ。

 

 前世のあっち側じゃ、ギルドってやつは大抵、企業が作って運営してた組織だったから、まあ信頼できるはずもなかったんだよなぁ。普通にぼったくられるし、売買の数字をちょろまかすのなんて当たり前で、挙げ句の果てには査定に出すって理由でいいやつを持っていかれて、粗悪品とすり替えられてる、なんてことも普通にあった、っていうろくでもない仕組みだ。

 

 その都度、俺はその支部を物理的にぶっ壊して、で、懸賞金がそれに応じて加算されていく、っていうのがお決まりの流れになってたんだよなぁ。

 

 そんなわけで大体は闇業者か、もしくは俺になんでか支援を続けてくれてた物好きな連中の方に流してた、ってわけだったんだけど、ここなら普通に買い取ってもらえるのか。

 

 

 ──……だったら、後で開けるか。中身をまとめてギルドに持ち込めば、それなりの金にはなるはずだしなぁ。

 

 

 そういえば、配信のことも考えとかないといけないんだったな、と思い出した。ちょうど座って考え事するのに、いい高さの場所もあるじゃないか、ってことで宝箱の上に腰を下ろして、軽く息をついた。

 

 

「ふぅ……」

 

 

 視線を足元の宝箱の縁にちらっと落とす。黒い木枠の艶のある質感が、薄暗い通路の照明をわずかに撥ね返していて、座り心地もまあ悪くない感じだ。

 

 他の探索者は……まぁ、来たときに考えよ。どうせそんなに長居はしないはずだ。そう結論を内心で出したつもりだったんだけど、ふと、さっき自分の身体をまさぐったときの感触が、肌の奥のほうにまだぼんやりと残ってる気がした。

 

 指の腹に覚えのある柔らかさ。胸の重み、腰の細さ、太股のぞわぞわした量感。頭の芯がちょっとふわふわしてる感じが、まだ抜けきっていない。

 

 もう一度、宝箱に視線がちらっと落ちた。黒い木枠の上で、自分の足が軽く組まれて揺れている。その膝の角度が、なんかわれながら可愛い気がする。

 

 ふむ、可愛くて造形美のような身体を持つ美少女。ほぉほぉ。

 

 

 ──探索者が来たら来たで、俺のこの可愛さを見せつけてやろう。

 

 

 頭の中でなんかこう、妙なテンションが立ち上がってる自覚はあったけど、別に悪い気分じゃない。

 

 懐から端末を取り出した。

 

 画面が明るくなる。指先でダンジョン関連の規約を検索する。

 

 

「そういえば、なにかダンジョン規則のルールに書いてあったなぁ」

 

 

 軽く独白を漏らしながら、画面をスクロールしていく。やがて該当の項目が見つかった。

 

 

 『探索の際、配信または探索録画を支部に提出すること』

 

 

 提出しない場合の罰則は特に規定されてはいなかった。ただし、収益が素材売買のみに制限される。さらに素材売買でも少し値引きをされる、という記述だ。

 

 要するに、配信または録画をしなければ収益面で圧倒的に不利、ってことらしい。

 

 

 ──……。

 

 ──……値引き。

 

 

 即断即決ができない。

 

 配信なんて面倒くさいし、素材なんてその辺に放置でいい。戦って強い相手と刃を交えられればそれで満足。金はその辺の死体から剥ぎ取れば、ある程度足りる。前世のスタイルなら、だいたいそういう雑な結論で片付いていた。

 

 ところが、だ。

 

 俺の中に、いつの間にか新しい欲望がひとつだけできていた。ひとつだけなんだけど、それがわりと強烈に。

 

 

 ──自分を、可愛くしたい。

 

 

 その一点だけが、俺の中ではっきりと立ち上がっていた。

 

 宝箱の上で、姿勢を少しだけ整える。背筋を伸ばして、髪を片手で軽く後ろに流した。

 

 ……見なよ、この顔。客観的に見ても、めちゃくちゃ可愛いお人形さんのような顔。

 

 瞳の底のない黒の濃さ。肌の不自然なくらいの白さ。唇の薄いピンクの形。髪の黒赤のグラデーションの艶。全部、一個一個見ていっても可愛いし、組み合わさったらもう、反則っていうレベルだ。まるでお人形さんだ(2回目)

 

 見てよ、この身体のラインを。信じられないくらい綺麗な曲線しているまるでお人形さんのy

 

 胸の重みも腰の細さも太股の量感も、全部ちゃんと整ってる。まるでお人形さn

 

 こんな顔と身体に、ふわふわの可愛い服を着せて、自分で何時間でも眺めて発電したい。

 

 ふわふわの白いワンピースとか、リボンのついたブラウスとか、絶対似合うっていう確信がある。

 

 化粧も覚えたらもっと可愛くなる自信がある。覚えたら、鏡の前で何時間でも自分の顔を眺めてられると思うんだよなぁ。

 

 あとは街に出て、すれ違うやつ全員捕まえて見せつけたい。「見なよ、この顔」って言って回りたい。

 

 いや、こういう場面は俺じゃなくて、私、とか言うべきか? ……でも、まあ、俺は俺……ちょっと練習だけでもしておくか。

 

 とにかくもっと可愛くなりたい。可愛い自分をもっともっと可愛くしたい。

 

 自分で自分にぜんぶ貢ぎたいまである。

 

 これって、もしかして、恋ってやつなんだろうか。

 

 いや、自分が自分に向けてる感情だから、これは自己愛ってやつだな。うん、そうだ、自己愛だ。恋じゃない、自己愛。

 

 別にどっちでもいいんだけど。昔人に貢物をすることを推し活と聞いたことがある。ならこれは推し活なのか。

 

 ……念のため補足しておくが、ここまで頭の中で垂れ流していた一連の話、ぜんぶ本気で考えていた。冗談のつもりは一ミリもない。

 

 改めて言うが、これは俺にとって、わりと切実な欲望。前世の戦場で刃を握っているときのあの冷えた温度とは、まるで逆の温度なんだけど、両方ともちゃんと同じ俺の中に入っているし、別に矛盾は感じない。

 

 ……ところで、可愛くなるには、それなりに金が要るっていうのが周知の事実だ。

 

 服とか化粧品とかアクセサリーとか、靴とか鞄とか髪飾りとか、思いつく限り並べていくと、それぞれたぶんそれなりにいいお値段するはず。

 

 前世だったら戦場で死体から必要なものを剥ぎ取ればよかったんだけど、こっちの世界では、たぶんそういう雑な調達方法は使えない。普通に犯罪扱いになる。

 

 だから合法的に稼ぐ必要がある。具体的な手段としては、配信ってやつだ。稼いだ金は、可愛い自分のためにぜんぶ注ぎ込む。推し活だ。

 

 宝箱の上で、端末の画面を操作し始めた。

 

 認証画面は指紋とかで適当に進める。収益設定の項目はいくつか細かいオプションが並んでいたけど、いまいちよくわからなかったから、とりあえず一番上のやつを押しておいた。たぶんこれで合ってるはずなんだよなぁ。

 

 探索者情報の読み込みは勝手に走ってくれた。便利な世の中だ。

 

 画面の表示が次々と切り替わっていく。指先はなんとなく滑らかに動いてくれている。

 

 頭の中では、可愛い服のことと可愛い自分のことを、ぐるぐる考えていた。

 

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