ダンジョンにはTSがつきもの 〜TS転生した怪物は自分への愛が強すぎる〜   作:炭水化物は飲み物

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暴走回です。


退院

「あれを倒せる者はいなかった。あれを縛れる名も、なかった。だから私たちはただ祈った。どうかあれが退屈しませんように、と」

 

 

 ――旧時代の禁書より、書き手不明

 

 

 ◇

 

 

 退院することになった。

 

 お医者さんは「奇跡的な回復ですね」なんて言ってたけど。奇跡? いやいや。そんな言葉じゃ全っ然足りない。確実に死ぬはずだったんだ。

 

 六十一階層。お腹を抉られて肩を裂かれて血も出し切るくらい出した。意識だって半分以上あっち側に持っていかれてた。あれで助かるとか普通ありえるのか。いやありえない。

 

 ……なのに。

 

 今のわたしは病室のベッドにちょこんと座ってぴんぴんしてる。……ぴんぴんは言いすぎか。でもお腹に手を当てても痛くない。

 

 うん。やっぱりない。

 

 あんなに深く抉られた傷が今は薄い線が一本残ってるだけ。痛みも引き攣れもほとんどない。指でちょんって押しても平気。後ちょっとで今まで通りのお腹になると思われる。なんという治癒力なのだろうか。

 

 えぇ…?

 

 なにこれ。やっぱこわい。こわいけど嬉しい。初恋《クロエさん》の人に出会えて嬉しい。

 

 いやでもちょっとこわいかも?! どっちだ、どっちだわたし。

 

 だっておかしいもん普通。

 

 わたしの固有能力《ユニークスキル》──「拒絶」。その力は他人からの力をすべて弾き飛ばす体質となる。治癒魔法だって例外なし。十八年間ただの一回も誰かの治癒がわたしに効いたことなんてなかった。シスターの祈りも街の治癒術師さんの魔法もぜんぶ肌に届く前につるんって逸れていく。

 

 なのに治ってる。自然治癒じゃ絶対に間に合わない速さで。説明のつかない速さで。ありえない現象。

 

 担当の治癒術師さん──シスターさんっぽい格好の優しい人──もさっきからカルテとわたしのお腹を何回も見比べてうーんって首をかしげてる。

 

 

「あなたの体質だと、本当ならもっと時間がかかるはずなんですけど……正直ちょっと、説明というか原理が完全にスキル関係になっちゃいますよねぇ…誰かになにかされました?」

 

 

 わたしは「あはは」って曖昧に笑って誤魔化す。表向きはちょっと首をかしげる、クールな探索者の顔で。中身は冷や汗だらだら。

 

 ……ごめんなさいシスターさん。説明できないんです。

 

 だってわたし知ってるから。何がわたしを治したのか。

 

 あの時。気を失うほんの直前。お腹の傷の上でゆらゆら揺れてた赤と黒のもやみたいなやつ。血みたいで夜の闇みたいで。あれだけがわたしの「拒絶」をするんって素通りして、傷を内側から塞いでいった。

 

 十八年、誰の力も通さなかったこの体を。あの赤黒だけが平気な顔で。

 

 赤と黒。

 

 ……うん。間違いない。だってあの色はわたしにとって大切で一番記憶に色濃く残っているから。

 

 黒に赤の差したあの綺麗な──

 

 

「……クロエ、さん」

 

 

 ……。

 

 あ。

 

 

「……如月さん? どうかしました?」

 

「ひゃいっ!? な、なんでもないですっ! ほんとになんにもっ!!」

 

 

 覗き込んできたシスターさんに、わたしはぶんぶん首を振る。

 

 あぶないあぶないあぶない! 今の絶対声に出てた。心の中で言ってるつもりだったのに口から漏れてたらしい。恥ずかしい。

 

 ……はぁ。だめだわたし。

 

 退院が決まってからずーっとこれだ。気を抜くと頭の中がすぐあの人でいっぱいになる。傷のことを真剣に考えてても、シスターさんの大事なお話を聞いてても、気づいたらあの黒と赤の髪と底のない瞳と低くてちょっと掠れたあの声に、思考をぜんぶ持っていかれちゃう。

 

 恋…これが、恋。

 

 恋ってこんなに頭が馬鹿になるものなのか。

 

 ……うへへ。

 

 

 ◇

 

 

 マンションに帰るなり、わたしは端末を握りしめた。

 

 よし。情報収集!

 

 クロエさんにもう一度会って、ちゃんとお礼を言う。それが退院したわたしの最初の任務だ。命の恩人だもん。当然。当然だよね。べつに会いたいとか、そういうのが九割を占めてるとか、そういうことじゃ断じてなくて。

 

 まぁ、一応? 会ってダンメ交換して? 色々と一緒にお出かけしたりしたいなぁって…?

 

 はい解散! 検索します!

 

 『ダン生』を開いて「クロエ」って打ち込む。

 

 

 ──ばっ。

 

 

 画面が埋まった。

 

 出るわ出るわで。初配信の切り抜き。考察動画。まとめ記事。同接記録の話。八十階層、九十階層、人類記録。「ゴリラ姫」に「狂戦士」のタグ。世界中がクロエさんの話をしてる。

 

 わぁ、すごい。やっぱりクロエさんはすごい。さすが。わたしの見る目に狂いはなかった。えっへん。でもゴリラは流石にダメじゃない??

 

 

 『あの世紀の神回からもう三日だぞ次の配信まだか』

 『情報なさすぎて禁断症状出てきた』

 『未登録ソロで90階の女、まじで何者』

 『協会が査定依頼出したのに本人と連絡つかないらしいw』

 『連絡つかないって何? 存在が謎すぎるだろ』

 『可愛い服のために配信始めたって言ってたの可愛すぎて成仏した』

 『で結局どこの誰なん?』

 『それがマジで誰も知らんのよ』

 『神出鬼没の美少女、もう都市伝説だろこれ』

 

 

 ……あれ?

 

 スクロールする指が、止まる。

 

 話題は無限にある。みんなクロエさんに夢中。なのに。肝心の「クロエさんがどこにいるのか」が、どこにもない。

 

 名前は分かった。すごい人なのも知ってた。

 

 でも──住んでる場所。所属。次に現れる場所、配信。何ひとつ分からない。

 

 …………。

 

 えっ。ない? 手がかりなし!? 幻のポケットでももう少しあるよ!?

 

 

「……あわ。あわわ」

 

 

 クールな探索者の仮面、秒で剥がれる。わたしが名乗ってる訳じゃないけど。

 

 あると思ってた。あんなに有名なんだから検索一発で会えると思ってた。なのに。なんで。なんでぇ!

 

 わたしはベッドの上でぎゅっと膝を抱えた。

 

 

「ど、どうしよう」

 

 

 いったん、落ち着こう。

 

 お茶を淹れて、わたしはもう一度初配信のアーカイブを頭から見返すことにした。手がかりはこの映像の中にしかない。冷静に。冷静に分析するんだ、探索者として。恋人として!

 

 ……うっ。

 

 画面の中でクロエさんが魔物を片手で消し飛ばしてる。可愛い顔で。にこにこ、ではないけど、どこか楽しそうに。怖いくらい綺麗で強くて、それでいて気持ちよさそうな──。

 

 はぅ。

 

 ……だめだ。全然冷静になれない。

 

 

『あのな。俺、可愛い服が欲しくて配信始めたんだ。だからいっぱい見てお金ちょうだい』

 

『見なよ、この顔。客観的に見ても可愛いだろ。さすが俺』

 

 

 ……はぅ。

 

 クロエさんは自分のことをものすごく可愛いと思ってる。

 

 配信中ずっとそう。可愛い服が欲しい。可愛い自分をもっと可愛くしたい。傷だらけの自分を大剣に映してうっとり。自分に本気で惚れてる。

 

 ……ちょ、ちょっと引くのかもしれない。

 

 でも。

 

 わたしは──分かる! めちゃくちゃ分かる。だって本当に可愛いんだもん! あんなに綺麗で可愛いんだから、自分を好きにならないほうがおかしい。むしろ「分かってらっしゃる」の一言。うんうん。そうそう。クロエさんは可愛い。世界一。異論は認めない。厄介オタクじゃない。決して。

 

 ……でも、待って。

 

 あんなに自分のこと大好きな人が、わたしなんかに構ってくれるのかな。命の恩人だけど。お礼を言いたいだけ、だけど。……正直、それだけじゃないけど。

 

 しかもわたし女の子だし。クロエさんも女の子だし。同性だし。……これって可能性、低くない? めちゃくちゃ低くない!?

 

 うぅ。

 

 ……いや。いやいやいや。待って待って。落ち着け如月ここ。落ち着け。

 

 よく考えて。クロエさんは自分に惚れてる。鏡に映った自分にうっとりしてる。つまり。

 

 ……女の子同士でも惚れさせられる、ってことだよね?

 

 ってことは。女の子でもイケる人。……だよね? たぶん。うん。たぶんイケる。だって自分でイケてるんだし。

 

 ……可能性は、ある! ゼロじゃない!

 

 よし。前向きにいこう。探索者は前向きさがなければ強くなれないんだから。うんうん。

 

 ……はっ。

 

 いやいや。さっきから何ひとりで盛り上がってるのわたし。話が逸れてる。手がかり。手がかりだってば!

 

 えっと、つまり。クロエさんは自己愛がすっごく強い。可愛いものが大好き。可愛い服を欲しがってる。

 

 ……ということは?

 

 ということは──!

 

 

「……おしゃれな場所に、いるのでは!?」

 

 

 わたしはばっと顔を上げた。

 

 そうだ。間違いない! あれだけ可愛いものが好きなら、可愛い服やおしゃれな店のあるところに出没するに決まってる。我ながら完璧な推理。名探偵。如月ここ、ここに見参。真実は……たまに複数あります。

 

 まあ、鏡に映った自分の顔は相変わらずのクール顔なんだけど。中身は名推理にめちゃくちゃドヤってる。自分でクール系ってやめといた方がいいのかな…まぁいいや。

 

 よし。行き先は決まった!

 

 

 ◇

 

 

 結論から言う。わたしは馬鹿だった。

 

 千葉のおしゃれと評判のカフェ。可愛いと噂の雑貨屋。流行りのファッションビル。思いつく限りの「おしゃれな場所」を、半日かけて全部巡った。

 

 いない。

 

 どこにも、いない。

 

 黒と赤の髪の、ありえないくらい可愛い女の子なんてどこにも!

 

 雑貨屋のお姉さんに「あの、黒と赤の髪の、すっごく可愛い子、来ませんでした?」って聞いたら、「……うちの商品より可愛い子?」って微妙な顔をされた。別の店では完全に不審者を見る目。そりゃそうだ。突然来て可愛い子可愛い子って言ってる女はただの怪しい人でしかない。

 

 当たり前か。考えたら当たり前だった。

 

 千葉のダンジョンに潜ってたからって、千葉に住んでるとは限らない。むしろあんな規格外の人がわたしのご近所をうろうろしてる方がおかしい。

 

 わたしはベンチにぐったり座り込んだ。

 

 

「ふ、振り出し……」

 

 

 その時。頭の隅で何かが引っかかった。

 

 わたし、退院したらすぐ配信再開するって。シスターさんにも施設のみんなにも言ったよね。だって仕送りが。今月の施設の生活費が。まだ余裕あるけど。でももうちょっと送れるって言っちゃって……

 

 

「……あ”っ!!」

 

 

 忘れてた。完全に。

 

 三日。退院してから三日間、わたしは一度も配信してない。それどころかダンジョンにすら潜ってない。クロエさんを探す以外、何ひとつしてない。

 

 さーっと血の気が引く。

 

 まずい。まずいぞ。家族のために稼がなきゃいけないのに。

 

 十八年間、ずっと家族のためだけに生きてきたわたしが。施設のみんなのために命まで懸けてきたわたしが。その家族のことすら、今、後回しにしかけてる。

 

 よし。今日はもう帰ろう。明日からちゃんと潜って、稼いで──。

 

 でも、明日もクロエさん探さなきゃ。

 

 

「──って、そうじゃなくて!!」

 

 

 だ、だめだ。クロエさんのこと考えるとすぐにそれ以外ぜんぶ頭から消える。家族のことすらちょっと霞む。十八年、一度もブレなかったのに。

 

 これって、全部。

 

 ……全部、クロエさんのせい、だよね。多分。絶対。確実に。

 

 あの人がわたしを助けたから。誰にも触れられなかったこの体に、あの赤黒で平気な顔で触れたから。

 

 それに、わたしの血を指で掬って、ぺろって舐めたんだ。味わうみたいに、ゆっくり、目を細めて。「ふぅん」って。

 

 …っ、思い出しただけで顔が熱い。

 

 なにあれ。なんなのあれ。あんな綺麗な顔で、あんなえっちな飲み方で人の血を飲んでおいて。

 

 あんなの見せられて、なにも思わない人なんているわけない! いないし!!! 絶対にいないし!!!

 

 はぁ。はぁ。

 

 うん。だからこれは、もう、しょうがないんだ。わたしのせいじゃない。ぜんぶあの人があんまり綺麗で魅惑的だったのが悪い。

 

 あんな綺麗な顔で笑って、わたしの心をこんなふうにぐちゃぐちゃにして。

 

 わたしは、わたしじゃなくなった。家族より、生活より、自分の命よりあの人のことばっかり考える変な女の子になっちゃった。

 

 だったら。

 

 ……責任、取ってもらわなきゃ。

 

 うん。そうだ。そうだよ。こんなにしたんだから。わたしをこんなふうにしたのはクロエさんなんだから。ちゃんとわたしのこと、引き受けてもらわないと。最後まで。ずっと。

 

 ……あれ?

 

 なんだろう。今、すごくいいこと思いついた気がする。さっきまで死ぬほど焦ってたのに胸の奥がすうっと軽くなった。これでいいんだよって誰かに言われたみたいに。

 

 あったかい。ぽかぽかする。なんだかいけそうな気がする。

 

 気づいたら、ちょっとだけ、笑ってた。

 

 ……恋ってすんごいんだ。

 

 

 ◇

 

 

 わたしは諦めなかった。

 

 帰り道、もう一度端末を開く。今度は目撃情報を片っ端から探す。あれだけ目立つ人だ。「どこそこで見た」って情報が絶対どこかにあるはず。

 

 ……ない。

 

 また、ない。

 

 配信であんなに騒がれてるのに。あんなに有名なのに。街で見かけたって話が、ほとんど出てこない。たまにあっても何ヶ月も前だったり、別人だったり、どう見てもデマだったり。

 

 なんで?

 

 なんでなんで?

 

 おかしい。絶対おかしい。あんなに綺麗で可愛くて歩いてるだけで人だかりができそうな人が。あんなに存在感の塊みたいな人が。

 

 

「なんであんなに存在感放ってるのに、どこにもいないのぉ?!」

 

 

 わたしは端末を握ったまま、ぷくーっと膨らませた。

 

 むぅ。

 

 見つからない。会えない。手がかりもない。なんなのもう。

 

 ……っていうか。あの人、本当にこの世にいるの?

 

 ほんとは幻だったんじゃないの。わたしが死にかけて見た、すっごく都合のいい夢だったんじゃ──

 

 ……ううん。

 

 ううん、違う。

 

 お腹にそっと手を当てる。塞がった傷。薄い線。この、ありえない治り方が証拠だ。あの赤黒は本物だ。クロエさんはちゃんといる。どこかに絶対いる。

 

 ぷくっと膨らませた頬を、ぐっと引っ込める。

 

 ……よし。探す。何が何でも絶対見つけ出す。

 

 見つけ出して、捕まえて。そのまま……ずっと一緒にいてやる。

 

 わたしがいないとだめになっちゃうくらい。離れられなくなるくらい。べったり、ぜんぶ。

 

 い、一回助けられただけで、これって重い…のかな。いやそんなことない。あの人がわるいんだもん。

 

 あの人がわたしをこんなにしたんだ。だったら責任取って、最後までそばにいてもらう。離れるなんて、許してあげない。離してあげない。ずーっと、ずーっと一緒。

 

 ……えへへ。

 

 待っててね、クロエさん。今迎えに行くから。

 

 

 ◇

 

 

 そして、その日の夜遅く。

 

 ついに一件。

 

 信頼できそうな目撃情報が流れてきた。

 

 

 『港区のセレクトショップで、ありえん可愛い子見た。黒と赤の髪。マジで人形かと思った』

 『は? それあの噂のクロエちゃんでは?』

 『え、嘘、港区にいるの?』

 『画像は? 画像はないんか』

 『撮ろうとしたら一瞬で人混みに消えた。マジで蜃気楼みたいだった』

『え、忍者?』

 

 

 ……港区。

 

 どくん、と心臓が跳ねた。

 

 港区。安全区域《セーフ》。関東本部のお膝元。わたしみたいな千葉拠点のC級が用もなくふらっと行っていい場所じゃない。場違いもいいところだ。

 

 でも。

 

 そんなの関係ない。知ったことか!

 

 気づいたら、わたしはもう走り出してた。財布。鍵。端末。よし。たぶん全部ある……たぶん。

 

 夜の電車に飛び乗る。窓の外を街の灯りが後ろへ流れていく。

 

 千葉から港区へ。

 

 ……ようやくだ。

 

 

 ◇

 

 

 港区はまるで別の世界だった。

 

 磨き上げられた高層ビルが夜なのに昼みたいに光ってる。空気まで千葉より澄んでる気がする。道行く人の服もお店の構えも何もかもがおしゃれで、洗練されてて。

 

 ……なるほど。

 

 ここならいる。クロエさんがいるなら、絶対こういう場所だ。今度こそ間違いない。

 

 わたしは、たったひとつの確かな手がかり──「自己愛が強くて、可愛いものが大好き」──を頼りに、片っ端から可愛いお店を巡り始めた。

 

 可愛い服のお店。可愛い雑貨のお店。可愛い小物のお店。

 

 

「……あ、これ可愛い」

 

 

 はっ。

 

 いけない。つい自分の買い物をしてた。手の中に、ちっちゃなうさぎのキーホルダーが握られてる。いつ手に取ったのわたし。

 

 ……でも可愛い。買おう。

 

 って、そうじゃない!! クロエさんを探しに来たの!!

 

 でも可愛いし……うん、買う。

 

 ちっちゃなうさぎを鞄のいちばん見えるところにぶら下げた。……えへへ。なんか、お守りみたい。

 

 自分で自分につっこみながらふらふらおしゃれな通りを歩いていく。途中で可愛い髪飾りも買った。あと、ふわふわの靴下も。

 

 恋する乙女は、なぜか財布の紐までゆるくなるらしい。知らなかった。

 

 ……だめだってば。これじゃ、ただのお買い物だ。

 

 しっかりして、わたし。今日こそ絶対クロエさんに会うんだから。

 

 

 ──。

 

 

 胸の奥で何かが鳴った。

 

 わたしの気配察知。探索者としてダンジョンを生き抜くために、人一倍磨いてきた感覚だ。協会の査定じゃC級だけど、この「気配を読む」感覚だけは、上のランクの人にだって負けない自信がある。

 

 その感覚が今、微かに。本当に、ほんの微かに。

 

 知ってる波形を捉えた。

 

 

「……っ」

 

 

 間違えようがない。

 

 三日間、ずっと頭の中で繰り返してきた波形だ。あの人の気配。底のない、深い深い瞳、黒と赤。

 

 普通なら捉えられない。。

 

 あとで知ったことだけど、クロエさんは外を歩くとき気配を遮断してるらしい。なんでぇ…見つけにくいの絶対それじゃん。Sランクの探索者でもそう簡単には見つけられないくらい完璧な精密だった。

 

 なのに。

 

 なんでか、わたしには分かった。

 

 あの人の存在が、わたしの中で強すぎたから。

 

 ……それと。たぶんもうひとつ。

 

 大好きな人の気配って、こんなにも遠くから見つけられるんだ。わたしはその時、初めて知った。

 

 

 波形を辿って走る。

 

 角を曲がる。

 

 一軒の小さな上品なお店。そのガラス越しに。

 

 

 いた。

 

 

 黒と、赤。底のない瞳。陶器みたいに白い肌。

 

 ……あの人がいた。

 

 全身が、黒だった。

 

 

「ぁ…」

 

 

 濡れたみたいに光沢のある、黒。革か、それともこの世界の素材か。胸元から腰にかけて、細いベルトと留め具が幾重にも複雑に交差して、まるで身体を編み上げる檻みたいになっている。肩からは、わざと引き裂いたみたいに裾の長い薄い黒のドレープが垂れていて、ほんの少し身じろぐだけで無数の細い鎖がしゃらり、と涼しい音を立てた。

 

 片方の脚が、際どいところまで覗いていて、そこにも黒い革のベルトが一本。足元はごつい編み上げのブーツ。

 

 そして、その黒のあちこちを赤い光が血管みたいに走っている。魔石のあの赤と紫の渦を巻く色——その、燃え残りの火種みたいな赤が。淡く、脈打つように明滅して。

 

 ……ロックバンドのステージ衣装みたい。正直すっごい癖に刺さりますうへへ。

 

 暗くて、重くて、尖ってて。本当なら近寄りがたいはずの格好。なのに、それを着てるのがあの小さくて可愛いクロエさんなんだから。

 

 禍々しさと可愛さが、同じ場所にいるなんて、クロエさん以外絶対にできない。

 

 黒と赤の髪に黒の衣装と、血みたいな赤い光。きついはずの色なのに、あの人が纏うとただ、ぞっとするくらい綺麗で。

 

 露出だって少なくない。なのに、いやらしさがまるでない。ただ、どうしようもなく様になってる。誰かが何十年もかけて描いた一枚の絵が、そのまま立ってるみたいに。

 

 レジの向こうで店員さんが口を半開きにして固まってる。

 

 分かります、名も知らない同士。おそらくわたしもそんな顔してます。

 

 魔性。その言葉が今のクロエさんにピッタリだ。

 

 あれは見ちゃいけない種類の可愛さだ。見たが最後、惚れる。惚れて、二度と抜け出せなくなる、やつ。

 

 ……は。

 

 はわ。

 

 はわわ……。

 

 わたしの頭が、真っ白になった。

 

 ……はっ。

 

 我に返る。

 

 ガラスの向こう。お店の中に、クロエさんがいる。

 

 心臓が痛い。痛いくらい鳴ってる。

 

 わたしはふらふらとお店の扉をくぐった。ちりん、と鈴が鳴る。

 

 クロエさんは、気づいてない。商品を熱心に見てる。その見てる横顔もまたイイ。

 

 近づく。一歩。また一歩。

 

 近づくほど、心臓が爆発しそうになる。

 

 ど、ど、どうしよう。なんて言えばいいの。

 

 ……お礼。そう、お礼だ。お礼を言うんだ。

 

 「助けてくださって、ありがとうございました」。これ。これを言う。病室で何十回も、何百回も練習した。完璧なはずだった。

 

 なのに。

 

 近づけば、近づくほど。

 

 頭の中から、言葉が、どんどん消えていく。

 

 

(ど、どうやって話しかければいいの?!)

 

 

 あと三歩。あと二歩。

 

 口はぱくぱく動く。でも、声が出ない。

 

 あ、とか、う、とか。意味のない音だけが、喉の奥で潰れていく。

 

 だめだ。なんにも出てこない。あんなに練習したのに!

 

 ……あと、一歩。

 

 

 ◇

 

 

 ……ん。

 

 なんか、いる。

 

 俺──クロエは、棚に並んだ可愛い小物を物色しながら、首筋の標が拾った気配に意識を向けた。

 

 淡いピンクの波形だ。

 

 最近やたらと動き回ってると思ってたんだよな。あっちへうろうろ、こっちへうろうろ。しかもジリジリ近づいてきていた。それが今、すぐ背後にいる。

 

 ……ほぉ。

 

 振り返る。

 

 いた。

 

 白い髪に灰青の瞳。千葉の穴で拾った、あのガキだ。死にかけのくせにしぶとく息を繋いでた白い少女。

 

 そいつが俺のすぐ後ろで、口をぱくぱくさせて突っ立っていた。顔は真っ赤、目は潤んで、両手は所在なげに宙をさまよっている。

 

 ……なにやってんのコイツ。

 

 戦闘の癖で、一瞬身構えかけた。背後を取られて、間合いはゼロ。前世ならもう刃が首に届いてる距離だ。果たし合いか、不意打ちか。

 

 だが、すぐに違うと分かった。

 

 殺気がない。敵意もない。流れてくるのは、あのふわふわした淡いピンクの霞。前世の連中の灼熱の真紅とはまるで違う。

 

 むしろ、なんだこれは。

 

 ……捨てられた子犬みたいな顔してる。

 

 と、そこで気づいた。

 

 俺は、こいつを見上げる形になっている。

 

 でかいな、こいつ。

 

 頭ひとつぶん、完全に俺より上だ。見上げないと目が合わない。

 

 ……むかつく。

 

 べつに身長なんて戦いには関係ない。いや厳密には関係あるんだが、こう、釈然としない。前世なら確実に見下ろす側だったのに。なんで俺が、こんなガキを見上げてやらなきゃならないんだ。

 

 ……いや。今はそれはどうでもいい。

 

 俺は改めて、こいつの顔を見た。

 

 白い髪。白い肌。灰青の瞳。

 

 初めて、まじまじと、正面から見る。なのに──

 

 ……どこかで会った気がするんだよなぁ。

 

 また、これだ。

 

 こいつを見ると、いつも胸の奥がもやっとする。会ったことなんて、千葉のあの一回きりのはずだ。なのに視線が、すうっと馴染んでしまう。違和感なく、収まってしまう。

 

 おそらく気のせい。

 

 いつものように、俺はそれを放り出した。考えても答えは出ない。出たところで面倒なだけだ。

 

 俺は、口を開いた。

 

 

「で、なにか用か」

 

 

 その瞬間。

 

 ガキの顔が、ぼん、と音を立てて、さらに赤くなった。

 

 

「ふぁ、ふぁいっ!! あ、あの、わ、わたし、その!!」

 

 

 声が、見事にひっくり返っていた。

 

 ……うん、なんだ、ちょっと変な奴なのか。

 

 あ、とか、う、とか、ふぁ、とか。さっきから、人間の言語として成立していない。

 

 俺は首を傾げた。

 

 助けてやった相手が、わざわざ俺を探し出して、こうして突っ立っている。理由なんてひとつしか思いつかない。

 

 

「……果たし状か?」

 

 

 礼が言いたいか、それとも強くなって俺と一戦交えたいか。後者なら歓迎だ。今はまだ話にならない弱さだが、()()()()()芽くらいはあるからな、コイツに関しては。

 

 

「ち、ちがっ……!」

 

 

 ガキが必死に、首をぶんぶん横に振った。白い髪が、ぶわっと舞う。

 

 

「お、お礼が……! お礼を、言いたくて……!た、助けてくれて、傷も、治して、くれて……!あ、ありがとう、ございました……!!」

 

 

 ……ああ。

 

 なるほど。果たし状じゃなかったか。少し残念。

 

 まあ、礼か。律儀なやつだ。死にかけのくせにわざわざこんなところまで……あれ、意外と回復してるな。

 

 どう返したものか、と思っていると。

 

 ガキが潤んだ目で俺を見て、それから俺の着ている服に視線を移して。

 

 ぽつりと、こぼした。

 

 

「あ、あの……その服、すっごく……可愛い、です……!」

 

 

 ──……ほう?

 

 俺はぴたりと止まった。

 

 俺の服が。可愛い。

 

 ……分かってるじゃないか。

 

 そうだ。可愛いんだ、これは。今日のために選んだ自信作だ。色も形も俺に最高に似合っている。なのに店員も、すれ違う連中も、ぽかんと見惚れるばかりで誰もちゃんと言葉にしなかった。

 

 なのに、こいつは。震えながら、ちゃんと言葉にした。「可愛い」と。

 

 

「……へぇ」

 

 

 低く、漏れた。

 

 

「お前、見る目あるな」

 

 

 ミジンコの見開かれた目が、じわ、とまた潤んだ。なんでだ。

 

 まあいい。

 

 俺の中で、こいつの評価がひとつ上がった。

 

 俺の可愛さをちゃんと伝えてくれる人間は貴重だ。そこらの、ぽかんと見惚れるだけの有象無象よりはこうやって言葉で伝えられるだけで人の感情は簡単に変化する。

 

 

「お前、こういうの好きか」

 

 

 俺は、棚の別の服を指さした。白いふわふわのやつと、黒いレースのやつ。どっちにするかさっきから決めかねていた。

 

 

「ど、どっち、ですか……?」

 

「どっちが、似合うと思う」

 

 

 ミジンコが、はっと息を呑んでそれから真剣な顔で二着を見比べ始めた。さっきまで人語を話せなかったくせに、急に目が真面目になる。

 

 

「……く、黒の、ほうが……。クロエさんの、髪の、赤が、映えると、思います……。白も、可愛いですけど、黒のレースのほうが、その……っ、色っぽ、くて……」

 

 

 最後のほうは消え入りそうだったが。

 

 ……ふむ。

 

 黒か。なるほど、髪の赤を映えさせると。こいつ、ただの世辞じゃなく、ちゃんと理由で言ってやがる。

 

 悪くない審美眼だ。

 

 

「……ふぅん。じゃあ、両方買う」

 

「りょ、両方!?」

 

「ん。どっちも可愛いしな」

 

 

 俺は、二着とも抱えた。可愛いものは迷ったら全部買う。生の実感ってやつの基本だ。最近覚えた。『気になったら奪え』はあのロリコン野郎の言葉だ。

 

 会計に向かおうとして、ふと、ミジンコに目をやる。

 

 こいつ、まだ突っ立ったまま、潤んだ目で俺を見ていた。その白い首筋に、薄く、俺の標が残っているのが見える。

 

 ……ああ、そういえば。さっきこいつ『傷も治してくれて』と言っていたな。

 

 

「ああ、傷な。標つけといたから勝手に塞がる。たいしたことじゃない」

 

 

 俺は軽く言った。

 

 戦気の標を、千葉の支部でこいつの首筋に残しておいた。位置情報と感情の波形を拾うついでに、治癒の機能も織り込んである。傷が勝手に塞がるのは、当たり前だ。

 

 なのに。

 

 ミジンコは、なぜか雷に打たれたみたいな顔で固まっていた。

 

 

「……っ、やっぱり……!あの赤黒、クロエさんの……!」

 

「? まあ、俺の戦気だしな。色は髪と同じだ」

 

 

 何をそんなに驚いてるんだか。

 

 俺の力が俺の色をしてるのは当たり前だろう。

 

 ……まあ、こいつにとっては何か意味があるらしい。よく分からんが、俺には関係ない。

 

 俺は、二着の服を持って、会計を済ませた。

 

 代金を払って、さて帰るか、と思った時。

 

 店員が、なぜかもじもじと、自分のスマホを取り出した。そして、画面を俺のほうへずいっと向けてくる。

 

 ダンメ──ダンジョンメッセージツールの、パーティ申請のQRコードだった。

 

 

「よ、よければ、この後、一緒に、ダンジョンに……!」

 

 

 顔を真っ赤にして、声を震わせて。

 

 ……ふぅん?

 

 俺は首を傾げた。

 

 パーティ、ねぇ。べつに組む気はないが。こいつ潜れるのか。強いのか? 一戦、見てやってもいいかと──

 

 考えかけた、その時だった。

 

 ガキの様子が変わった。

 

 さっきまで潤んだ目で突っ立ってたはずのこいつが。何かのスイッチが入ったみたいに、かっ、と顔色を変えて。

 

 ばっ、と、俺の袖を掴んだ。

 

 

「い、行きましょう! 私が、一緒に行きますからっ!!」

 

 

 ……あ?

 

 ガキはもう自分の会計を済ませていたらしい。買ったばかりの袋を抱えたまま俺の袖をぐいぐい引っ張る。必死の形相で。まるで、店員から引き剥がすみたいに。

 

 そのまま、ずるずると、店の外へ。

 

 おぉぉぉぉ……

 

 なんだ。なんなんだこれは。

 

 俺はわけも分からないまま、ガキに引きずられて店を出た。

 

 

 ◇

 

 

 ど、どうしよう。

 

 わたしは、混乱の極みにいた。

 

 勢いで、クロエさんの袖を引っ張ってお店から連れ出してしまった。あの店員から引き剥がすみたいに。

 

 ……今さらだけど。わたし、何してるの。命の恩人の袖を、いきなり掴んでずるずる引きずって。完全に不審者だ。嫌われた。絶対、嫌われた。

 

 おそるおそる、クロエさんを見る。

 

 

「スイーツ……いいな、クリームか」

 

 

 ……あれ。

 

 クロエさんは、べつに、怒ってなかった。それどころか。

 

 

「次、あっちの店も見るぞ。ガキ、お前も来い」

 

 

 って。

 

 ……来い、って。言ってくれた。

 

 それで、わたしはクロエさんと並んで港区のおしゃれな通りを歩いてる。夢みたいだ。世界一可愛い人と並んで。

 

 ……でも。

 

 歩き始めて、すぐに気づいてしまった。

 

 クロエさんは、いつのまにか車道側を歩いていた。わたしを建物側に。人とすれ違うたびさりげなく、わたしと相手の間に肩を入れる。

 

 人混みに差しかかった時。はぐれそうになった瞬間、ひょい、と手首を掬うみたいに引かれた。乱暴にじゃない。迷子にならないように繋ぎとめるみたいに。

 

 ……っ。

 

 石畳の、段差。つまずきかけたわたしに、クロエさんがぽつり。

 

 

「足元」

 

 

 

 わたしの紙袋が、重そうに見えたんだと思う。「貸せ」ってひょいと取り上げて。次の瞬間、ふっ、と空間に消した。例の虚空の格納庫。気づいたらわたしの両手は空っぽで軽くなってた。

 

 クレープのお店で、わたしが二つの味で迷ってたら。「半分こな」って勝手に両方頼んで。わたしの食べたそうなほうを、ずい、と差し出してくる。

 

 マカロンを食べてたら。口の端にクリームがついてたらしい。クロエさんが、すっ、と指で拭って。それをなんでもない顔で自分の口に運んだ。

 

 車道側を歩く。人混みで庇う。はぐれないように、手を引く。段差を気にかけて、荷物を持って、食べ物を分けて、口元を拭って。

 

 しかも、それを。ぜんぶ、無自覚に。可愛い顔で、さらっと。見返りも、ドヤ顔も、なんにも、なく。

 

 ……なんだこの女誑しは。

 

 完璧なエスコートに、疲れない速度のスペースで歩いてくれる。お店の食べ物も、他の服や装飾品も払ってくれる。勝手に手を繋いでも振りほどかず横目で見ただけでそのまま。

 

 まだ2回目の邂逅でここまで許してくれるなんて。

 

 え、襲えって言ってるのかこの人は。いいのか。いいんだろうか。多分拒まないぞこの天使。

 

 クロエさんが、ふと、わたしの鞄に目を留めた。

 

 そして、ぽつり。

 

 

「……可愛い」

 

 

 ……え。

 

 今、可愛いって。……わたしに?

 

 ぼっ、と顔が、燃えるみたいに熱くなる。か、可愛いって!? クロエさんが、わたしを!?

 

 いや待って。落ち着け、わたし。よく見て。クロエさんの視線は、わたしの鞄の……あ。

 

 ……うさぎのキーホルダー。

 

 うさぎ、だった。可愛いって言ったのは、うさぎに。わたしに、じゃ、ない。

 

 分かってる。分かってるのに、一瞬本気で勘違いした。期待した。心臓が跳ねた。それが死ぬほど恥ずかしい。

 

 ……後でぶん投げてやるこのウサ公が。

 

 わたしは心の中でぎゅっと拳を握って結論づけた。

 

 とりあえずこの人は、天性のたらしのクソ野郎だ……!!

 

 無自覚なのが、一番タチが悪い。本人にその気がまるでないのが一番。

 

 なのに、わたしは。罵倒しながら確実にもっと好きになっていた。

 

 ……最悪だ。

 

 それから二人で、ふわふわの綿あめみたいなドリンクを買って。並んで歩く。

 

 ……あれ?

 

 わたしはふと立ち止まった。

 

 手にはクロエさんとお揃いで買ったドリンク。隣には神袋を抱えた世界一可愛いクロエさん。夕暮れのおしゃれな街。並んで食べ歩き。

 

 ……これ。

 

 可愛いお店を、一緒に回って。可愛いものを、一緒に食べて。並んで、歩いて。

 

 ……これって。

 

 

 ……な、なんで、わたし、デートしてるのぉ!?

 

 

 デートだ。完全にデートだ。好きな人と。お買い物デート。食べ歩きデート。世間で言うところのまさにそれ。

 

 みんなごめん、わたし、女の子の恋人できちゃった。

 

 いつから!? いつから、こうなったの!? わたし、お礼を言いに来ただけなのに!! それが、なんでデートに!?

 

 頭がぐるぐるする。顔が熱い。心臓が口から飛び出しそう。

 

 クロエさんと、デート。クロエさんと、わたしが。デ、デート──。

 

 

「──おい」

 

 

 その時。

 

 クロエさんが、ぽつりと言った。

 

 わたしは、はっと視線を下に向ける。

 

 頭ひとつぶん低いところに、クロエさんの顔がある。底のない黒い瞳が、わたしをまっすぐ、見上げてる。しかも袖を少し引っ張りながら。

 

 無表情。だけど、その上目遣いが。

 

 ……可愛すぎて心臓が止まるかと思った。しかも袖引っ張ってくるとか萌殺しかよ。

 

 

「……ちょうどいい」

 

 

 ちょうど、いい?

 

 何が。何がちょうどいいんだろう。

 

 わたしがぽかんとしていると、クロエさんはドリンクをひとくち飲み、それからまたわたしを見上げて。

 

 無表情のまま、上目遣いで言った。

 

 

「ダンジョン、行こうぜ」

 

 

 ……。

 

 …………。

 

 わたしの思考は、完全に停止した。

 

 ダンジョン。クロエさんと。一緒に。行こう、って。今そう言った。

 

 言葉の意味が、頭に入ってこない。ただ、その無表情の上目遣いと、低くて不思議と耳に心地いい声だけが頭の中をぐるぐる回ってる。

 

 顔が熱い。頭がふわふわする。

 

 ポーッと、したまま。

 

 わたしは、こくり、と頷いていた。

 

 

「……は、はい」

 

 

 こ、これはもうパーティー…いやバディと言っても過言ではないのだろうか。

 

 ……えへへ。

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