ダンジョンにはTSがつきもの 〜TS転生した怪物は自分への愛が強すぎる〜 作:炭水化物は飲み物
「人はかつて一つだった。引き裂かれた半身を、生涯をかけて探し求める」
――プラトン『饗宴』より
◇
夕暮れの街をクロエさんの半歩後ろで歩いてる。
さっきまでデートだと思ってひとりで真っ赤になってたのに、気づいたらわたしダンジョンに向かって歩いてた。
……今から、その、本当に今からクロエさんと潜るんだ。
心臓がうるさいし、手のひらが汗ばむ。
歩きながらクロエさんが端末をいじってひょいとこっちに画面を見せてきた。
「パーティ組むんだっけか、二人以上で。ほれ」
パーティ申請の画面だった。
ダンジョンメッセージの申請には二種類ある。
数日~数ヶ月で解散する『短期パーティ』。
それとどっちかが解除するまでずーっと続く『長期パーティ』。
クロエさんの指は迷いもなく『長期』を押してた。
直球?!
ちょ、ちょっと待って。
長期。長期って。それ解除しないかぎりずっとわたしとクロエさんがパーティのままってこと?
ずっと。ずーっと。
ま、まさか。
クロエさん、そんなにわたしと……ず、ずっと一緒にいたいってこと?! そういうアレ?! アレなの?!
ぼっと顔が燃えた。端末を持つ手がわなわな震える。
お、落ち着けわたし。軽率に喜んじゃだめ。深い意味なんてないかもしれないし。でも長期、長期だよ?! 迷いもなく即決で! これはもうそのつまりわたしのこと――
頭の中で勝手に未来が組み上がっていく。毎日隣で潜ってどんどん仲良くなってそれでいつかきっと――。
「うへへ……はっ」
両手で口を押さえた。
「……?」
クロエさんが少し気になったのか首をかしげながら見てくる。
数秒もしたらすぐに目線が外れ、そのまま進む。
「うぅ…初めてだから本当にどうかしちゃってるよ…」
小さくつぶやく。
わたしは誰かとパーティ組んで潜るの生まれて初めてだ。
『拒絶』のせいでわたしの体は他人の回復も補助もぜんぶ弾いちゃうから組んだところで連携の意味がない。だからずっとソロでやってきた。
その記念すべき人生初パーティがよりにもよって世界一可愛い初恋の人と。しかも長期。
……長期パーティ。それってつまり。
ほぼ。もう。その。
婚姻届では……?!
「で、配信はどうするんだ」
歩きながらクロエさんがぽつりと聞いてきた。
そっか、配信。
探索者は潜るとき配信か録画を支部に出す決まりだ。出さなくても罰則はない。でも出さないと収益が素材売買だけに絞られて、しかも買い叩かれる。だから実質、配信するのが前提。
クロエさんと二人で潜るなら形としては――コラボ配信。
……コラボ。クロエさんとコラボ。
……えへへ。
うわ。うわうわうわ。なにそれ。すごい。一生の記念にしたい。額に入れて飾りたい。なんならピック留めしとこうそうしよう。
「えっと、わたしのチャンネルとクロエさんのチャンネル、両方で同時に流すこともできますし。どっちか片方だけでも…」
「お前が決めて。そういうのよく分からないし」
即答だった。
それからクロエさんは自分の端末をちらっと見て、ちょっと不思議そうに首を傾げた。
「……つーかお前、登録者ってのがやたら多いな。俺の何十倍だ、これ? 俺んとこには客来ないんじゃないか?」
……あー。
普通ならそう思うんだけど、たぶん逆になる可能性がある。
わたしは言葉を選びながら説明した。
クロエさんの登録者は今まだ数万人。でもそれがそもそもおかしい。
だってクロエさんはついこの前配信を始めたばかり。たった数日でゼロから数万人、普通はありえないレベルの伸び方。
配信者の登録者はおおよそランクに比例する。
E級からC級くらいなら人気でも七十万から八十万を行ったり来たり。百万を超えたらすごいって言われる世界。
これがB級になると平均で二百万。A級で五百万。S級は平均八百万。あくまで平均だからB級でも八百万抱えてる人気配信者だっている。
その上の特級は……ほとんど配信なんてしないからわからない。でももし配信した場合、世界中の人がクロエと繋がりやパイプを持ちたいと思って観るから、一億なんて軽く超えるだろう。
……で、わたし。C級で登録者が百四十万人。
自分で言うのもなんだけどCランクでは相当多い方。毎日頑張ってやってたからね。皆勤賞だ。クロエさん捜索で途切れちゃったけど…。
「だ、だから、その。クロエさんがわたしとコラボすると……ど、どうなんだろう……? でもたぶん人は来ると思います」
ど、どうなんだろう、なんて言ったけど。
来るどころじゃない。クロエさんの噂を聞いた人がみんなわたしの配信に流れてくる。おそらく前回以上の――とんでもないことになる。
「ふぅん?」
クロエさんがこてんと首をかしげてわたしを見上げてきた。
ぐっ……!! な、なんだこのあざとい生物は……!! 誘ってるのか?!
頭ひとつ小さいクロエさんが上目遣いでこてんって。可愛すぎる。心臓が握りつぶされるかと思った。
◇
「で、どこ潜るんだ」
駅に向かう途中クロエさんがあくびまじりに聞いてきた。
き、決めてないんだ。
「ク、クロエさんがダンジョン行こうって……」
「言ったけど。やる気はあったけど。よく考えたらこのへんのダンジョン数えるのも面倒なくらいあるんだよなぁ。どれがどれだか。選ぶのめんどくせ。お前決めろ」
世界一可愛い人がすっごい綺麗な丸投げ。
まあでも。任せてもらえたってことだよね。うん。任せて。これでもわたし一応「期待の新星」って言われてるんだから。
ちょっと考えてわたしは『渋谷ダンジョン』に決めた。
全六十階層。難易度はAに近いBランク。ダンジョン攻略サイトで調べてみたら出てくる魔物は近接型が多めで剣を使うわたしには相性が良さそうだった。前々から自分の戦闘スタイルに合うなって行こうか迷ってたダンジョン。うん。ちょうどいい。
ここなら足を引っ張らずに済む。たぶん。きっと。そう信じたい。
「渋谷でどうですか。近接が多いのでわたしも戦いやすくて」
「お前が言うならどこでもいいよ」
興味ゼロの返事だった。可愛い。
電車に揺られながらわたしは配信の準備を進める。
タイトル。サムネ。タグ。コラボ相手の登録。カメラの調整。やることは山ほどある。指がいつもの三倍速で動く。
……だって。となりにクロエさんがいるんだから。緊張で勝手に手が速くなる。
ちなみにクロエさんはというと。
端末操作は人並みにできるらしいんだけどこういう細かい作業はぜんぶ「めんどくせ」の一言で完全にノータッチ。今もとなりでぼーっとわたしの手元を眺めてるだけ。
……見られてる。
ずーっと見られてる。
あの底のない瞳にじっと。
み、見ないでぇ……緊張で操作間違えちゃうってば……!
手汗で何度も画面をミスタップしながら。それでもなんとか配信枠を立てた。
開始三十分前。
まだ告知を出しただけなのに待機画面にはもう千人二千人とスタンバイしてる。
そして待機所のコメントがぽつぽつ流れはじめた。
“今日も来たわよ”
“〈考察P〉さん毎日いて草。お勤めご苦労様です”
“如月ちゃんのコラボ告知見て飛んできた相手誰?”
“退院した情報見て早くね? と思ってたら数日経って『コラボ配信』だってよ。ブラック企業も白目剥くぞ”
TRANSLATED:“日本から見てマス ここチャン トテモ カワイイ”
“いつもの海外ニキもよう見とる”
“百合の波動を感じて参上いたしました”
“初見ですよろしくお願いします”
“↑初見にしては挨拶が様式美すぎる件”
“待機二千人て相変わらずのバケモンチャンネル”
“ていうかここちゃん数日ぶりだよな、調子狂ったわ”
“毎日休まず配信してたのが今思えば異常だったんよ”
“入院だったらしいから仕方ないけど…正直、生きた心地しなかった”
“もうちょい休んでてもよかったのに、無理してないか心配”
“てか数日で復帰…? あんだけの大怪我って話だったろ…”
……あ。
そういえば思い出した。
わたしの配信名物のあの挨拶。
もとはと言えばリスナーとのゲーム勝負に負けたのがきっかけだ。その罰ゲームでリスナーが考えたこの挨拶を配信の頭でやることになった。今ではすっかり名物で当たり前みたいに定着してる。
……正直、死ぬほど恥ずかしい。リアルでは一度もやったことがない。配信でしかやらない。なんなら配信でもやりたくない。
それを。
今日は。となりにクロエさんがいる前でやるの……?
どうしよ、なんか急に配信やめたくなってきた。
◇
渋谷ダンジョンの第二ゲート前に着いた。
巨大な門。その奥からひやりとした空気が流れてくる。実際に立つのは初めての場所なのに今日はとなりにクロエさんがいるだけで想像してたのと全然違って見える。
……よし。
配信枠を開く。
ぽちっとボタンを押した瞬間、待機してた人たちのコメントがなだれ込んできた。同時接続もぐんぐん伸びる。あっというまに一万。二万。
……いつもより全然速い。
そして流れ込んできたコメントを見てわたしはちょっとだけ胸があたたかくなった。
“お、配信ついた!”
“ここちゃんおかえりーっ!! 心配したんだからね!”
“数日いないだけでこんなにそわそわするとは思わなかった”
“毎日配信が当たり前すぎて、途切れた瞬間こっちが情緒不安定になったわ”
“入院って聞いてマジで生きた心地しなかった…無事でほんとよかった”
“てか復帰早すぎん? もっと寝ててもいいんだぞ”
“無理だけはしないでくれよまじでほんまに”
……みんな心配してくれてたんだ。嬉しい。
毎日配信してたのがいつのまにか当たり前になってて。それが急に途切れたからきっとたくさん不安にさせちゃった。
ごめんね。そしてありがとう。
その気持ちをぜんぶ笑顔に込めて。わたしはこほんと咳払いしてカメラに向き直った。
……でだ。とうとう来てしまった。
さっき散々「やめたい」って喚いた、例の名物挨拶を披露する時間が。
となりにクロエさんがいるのに。
でも配信はもう始まっちゃってる。
……うぅ。やるしかない。
わたしは意を決して。とびきりの営業スマイルを顔に貼りつけた。
「ゆきゆきーっ☆ 今日も舞い降りました、雪の妖精・如月ここだよっ。みんなの心、まっしろふわふわに、とろけさせちゃうからねーっ」
どう考えてもキツすぎるっっっっっ!!! 何がゆきゆきーっ☆!? どこも雪なんてないよ!? 雪の妖精?! 髪か、髪の毛の話なのか?! まっしろふわふわって、わたし
の頭の中が真っ白になるよ! 脳がとろけて死にたくなっちゃうよ!?
……言ってしまった。クロエさんのとなりで。
顔から火が出そう。今すぐダンジョンの最下層に飛び込んで二度と出てきたくない。
そんなわたしの横で、クロエさんがぽつり。
「……お前。あれか、ちょっと特殊な奴というか、羞恥心とかないのか?」
ぐさり。
…………うぐぅ。
刺さった。刺さった。ど真ん中に刺さった。
自分でもうすうす思ってたことを世界一可愛い初恋の人に、ど直球で言われてしまった。
膝から崩れ落ちそうになる。胸を押さえる。痛い。心が痛い……!!
でもわたしは、震える声で反撃した。
「……ク、クロエさんにも。いつかきっと。……分かる時が来ますから……」
「いや流石にアレはないだろ、どこのアイドルだ」
うごばぁ…!
“いつもの挨拶だぁぁぁ!”
“心にしみるぜ……”
“ぶふォッ”
“やばいコラボ相手からだいぶきつい攻撃受けてて草”
“『雪の妖精』宣言を真顔の横で炸裂させてて草”
“公開処刑で草草の草”
“草²”
〈考察P〉:“バチクソかわいい。それに興味深い。隣の子の表情筋が一切動いていない。何かのメンタル訓練でも受けているのか???”
“まだダメージ抜けてないのに反撃するの勇者すぎるだろ”
“『いつか分かる時が来る』の圧、嫌いじゃないぜ…配信者としての鑑すぎる”
“未だにリスナーから言われてやり続けてる純粋な子だもんね”
“これがもう四年続いてるのか…未だに大勢の人がいる場所で言えないのが可愛すぎる”
“ここちゃんメンタル鋼と見せかけてよわよわ木綿豆腐で好き”
TRANSLATED:“ナンデスカ イマノ カワイイ デス”
“海外ニキてめぇ初見じゃないだろw”
……ひどい。みんなひどい。
でもコメントが伸びてるってことはいいことだ。うん。そういうことにしておこう。じゃないとわたしのメンタルが持たない。
“ところでさっきから気になってたんだけど”
“ここちゃんほんとに数日で復帰したんだよな?”
“あんだけの大怪我って話なのにもう普通に動けるの…?”
“正直、致命傷レベルだったって聞いたんだが…”
“無事なのはうれしい、うれしいけど、普通そんな早く治る? ここちゃんの体質的にも”
その問いかけにわたしの指先が止まった。
……本当はもっと長くかかるはずだった。
わたしはちらっととなりのクロエさんを見上げた。
倒れて動けなくなったわたしをあのとき助けてくれた人。
……それを思い出した途端、かあっと頬が熱くなった。
いつもの無表情が保てない。口元が勝手にゆるんでしまう。わたしはうつむいて指先と指先をもじもじいじりながら。
「……えっと。その。クロエさんが……たすけて、くれた、みたいな……?」
……言ってから気づいた。
自分の声があんまりにも甘ったるく、恋人に助けられたかのような発音になっていたことに。
“は”
“今の言い方”
“尊い”
“んだこの可愛い生き物は”
“もしや惚れちゃったり?w”
「うぇっ!?」
“レモン?”
ち、ちが……否定しなきゃ。そういうんじゃないって。
……でも。
口が動かない。
あの人のことを思い浮かべるだけで胸がいっぱいになってなにも言えなくなる。
わたしはひとことも否定できないまま。
ただただ顔を真っ赤にしてうつむくことしかできなかった。
“…まじ?”
“今の沈黙は肯定とみなす”
“百合です。これは、百合です”
“うおおおおお!!!!”
“ここちゃんに春が来た”
“否定しないどころか茹でダコになってるの可愛すぎて無理”
〈百合提督〉:“本日は赤飯を炊かせていただきます”
“我々は今、歴史的な現場に立ち会っている。祝砲を撃ちなさい”
“は?ちょっと待て、その『クロエさん』とやら、性別は?”
“ここちゃんが惚れた相手、まさか男…?”
“男に惚れただとぉ?!”
“男か?!”
“んだと!?”
〈考察P〉:“理解不能理解不能理解不能理解不能理解不能理解不能理解不能理解不能理解不能”
“あぁ…壊れちゃった”
“お、お兄ちゃんは許しまへんで?!”
“急に湧いてきた兄面の民”
“ここちゃんに近づく不届き者は全員このオレが審査する。まず三親等ぶんの戸籍を提出しろ”
“まだ男と決まったわけじゃない、落ち着け同志諸君、槍と剣を持て。Warの時間だ”
〈百合提督〉:“全員戻れぇ。『振り直し』だ”
“ギルティ[死刑]”
“兄勢と百合勢で開戦してて草、ここちゃん置いてけぼりで代理戦争すんな”
“どっちにしろここちゃんが幸せならそれが一番だよ、と説く大社長ムーブの人すき”
“相手がまだ誰だか分かってないのにとりあえず全力で祝福する民”
TRANSLATED:“タイホウ ヲ モッテキマシタ”
“海外ニキてめえ……わかってんじゃねぇか!!”
“ところでクロエって誰?”
えええええ?!
ま、待って。コメント欄、とんでもないことになってない?!
百合だの結婚だの祝砲だの。挙げ句"男か?!"って戦争まで始まってるし。みんなしてわたしの気持ちを勝手に盛り上げて……!
だいたいあってるけど…!!
「あっ、ちょ、ちがっ……?! そ、そういうんじゃ……!」
真っ赤な顔でぶんぶん首を振る。違う。違うってば……いや、違わないけど。でもこんな公開処刑みたいなの心臓がもたないってば……!
わたしがあたふた両手をばたつかせていると。
ぬっ、と。
わたしの肩越しにクロエさんがひょいと画面を覗き込んできた。
……顔が良いっっっっ!!
画面を覗こうとちょっと前かがみになっていたわたしに、そこへクロエさんが顔を寄せてきたものだから。
ふたりの顔が、あと少し動いたら唇が触れちゃいそうな至近距離でぴたりと止まった。
ク、クロエさんの睫毛、長……っ息が頬にかかって……!
あ。あわ。あわわわわ……!
頭が一瞬で沸騰する。心臓が口から飛び出そう。なのにクロエさんときたらわたしのことなんてまるで眼中になくて。ただ画面だけをじっと見ている。
「へぇ、同じ配信カメラでも性能がちげぇのな。色合いだとかがべつもんだ」
“は????”
“顔良っっっっ”
“美人というか可愛いというか”
“その2つが両立してるって思わせるって…え、神様?”
“というか普通の……普通?の女の子じゃねえか、よかった…”
“さっき『男か?!』って絶叫してた兄勢、出てこいや”
〈考察P〉:“私の予想は外れていなかった”
“おう、おかえり”
“兄勢、一発も撃たずに敗北。安らかにお眠りください”
“今の声、まさか”
“その顔とロリ…じゃなくてえっっな体、嘘だろ”
“千葉ダンジョン更新した狂戦士さん!?!?!?”
“どっかで見た美少女だと思ったら先日の謎の少女だ!!”
“ソロ90Fまで到達した行方不明の未特定特級で千葉ダンジョン支部の支部長が涙目で「そんな人…バケモンはしりませぇぇぇん!!」って泣き叫んでそれでもなおギルド本部や協会に死ぬほど尋問、今もされてる状態で、政府からもなんかの通達が来て発狂して捜索願いだされてるバケモンがなんで新星の隣に座ってんの!?”
“千葉支部の現状を知って震えた”
“登録場所が千葉支部になっちゃってたらしいのよね…今も連続生配信で死ぬほど問い詰められてる”
“この配信見たら発狂して突撃してきそう”
“今晩、あなたの生態及び情報、いただけませんか? 的な?”
“てか今の流れ……如月ちゃんを助けたのこの人!?”
“えっじゃあさっきの『春』の相手って……狂戦士!?!?!?”
“情報が渋滞してる、誰か整理してくれ”
“五大ダンジョンでソロ階層更新者の美少女が死にかけの美少女を助けて美少女が美少女に好きだって告白して付き合ってるって感じか。QED”
“なるほど”
“なるほど、百合ってことか”
TRANSLATED:“ゴケッコン オメデトウ ゴザイマス ここチャン”
“海外ニキ…お前わかってんじゃねぇか!”
「付き合ってないよ!? まだ!」
「はぁ…?」
「あっ…んん!!」
“今『まだ』って言った?”
“『まだ』!? おい今しれっと『まだ』って言ったぞ!?”
“本音が漏れてるwww”
“諸君、また我々は成功した”
“否定の文面が世界一の肯定になってる現象”
“『まだ』は時間の問題って意味だからな、よく覚えとけ諸君”
“ここちゃん、墓穴を掘る天才”
“口がもう隠す気ゼロなの可愛すぎてもう無理”
〈百合提督〉:“『まだ』いただきました。本日二度目の赤飯を炊きます”
〈兄勢〉:“…『まだ』、とは …『まだ』、とは!?”
“さっき『男か?!』で暴れてた連中、そろそろ現実を受け入れろ”
TRANSLATED:“『マダ』 ハ ジカン ノ モンダイ デスネ ワカリマス”
“海外ニキ…分かってんじゃねぇか!!”
“なんなんだよこのクソコンビはw”
と、とりあえず誤解(?)はとけたみたい。
ちなみにこのコラボ配信はわたしのチャンネルとクロエさんのチャンネル両方に同時に流れてる。わたしが操作してクロエさんのほうの画面にも同じ映像を出してる。
本人は「めんどくせ」で完全ノータッチだから……ついでに連絡先を交換しようと思ったけど流石にそれは倫理的に…うん。
それにどうせならクロエさんにもお客さんと収益がちゃんといってほしいし。
ちらっと。クロエさんのチャンネルのコメントも覗いてみる。
……そっちはそっちで大変なことになっていた。
“ここちゃん!?!?!?”
“まさかのコラボ”
“何がどうなってこうなってんだまじでw”
“狂戦士の初コラボ相手が140万人の新星とか誰が予想できる”
“やっぱりあの助けられたのもあるのかな”
“二人とも可愛すぎて情報量の暴力”
“こっちも同接やばい三万超えてまだ伸びてる”
“運営はよ公式トップに上げろこの歴史的瞬間を”
“あ、千葉支部号泣崩壊事件の黒幕だ”
同時接続を両方合わせたら四万に届きそう。
すごい。すごいけど。お願いだからみんな。
……これ以上わたしのこと映さないでぇ……!
心の中で泣きながら顔を覆ってると。
「おい。いつまで突っ立ってんだ。行くぞ」
クロエさんがあっさりダンジョンの門をくぐっていく。
あ。待って。置いてかないでぇ!
わたしは慌ててその小さな背中を追いかけた。
ん~……。
改めてこうして見るとクロエさんって、すごく小さくて可愛らしい。それに身長に見合わない大きさの果実や腰のクビレを持ってて…その、眼福ですはい。
……と。その小さな背中がぴたりと止まる。
クロエさんが肩ごしに少しだけ振り向く。じとっとわたしを見た。
「……お前。今、なんか馬鹿にしたか?」
……。
「な、なにも……?」
「…?」
わたしはこてんと首をかしげて、せいいっぱいの無実をアピールした。
……『小さくて可愛い』って、思っただけです……。
◇
ダンジョンに入る。
ひんやりした石の通路。薄暗い。奥から魔物の気配がする。
……よし。落ち着けわたし。
正直すごく緊張してる。だって初めてのパーティだ。誰かと並んで戦うなんて生まれて一度もやったことがない。
連携とか立ち回りとか、足引っ張らないかな。クロエさんに邪魔って思われないかな。タイミング合わせられるかな……。
なんて考えてたわたしが、バカだった。
奥から最初の魔物が数体走ってくる。わたしは剣を抜いて身構えて――。
……あれ。
戦いやすい。すごく戦いやすい。
目の前に来る魔物がなぜか全て、わたしの得意な間合いに得意な角度で入ってくる。
一番きれいに振れる位置で、一番踏み込みやすい足場に。
横から回り込もうとした一体はいつのまにかクロエさんの棒に小突かれてわたしの正面に戻されてる。背後を取られそうになるとその隙間はもう塞がってる。
気づいた。
クロエさんは無作為に進んでるんじゃない。わたしの隣で並んでいる。
そして魔物の流れをわたしが一番きれいに戦える形にずっと整え続けてる。わたしが崩れないように、わたしのスタイルが一度も乱れないように。
……ずっと。途切れなく。的確に。
(……なに、これ……!)
わたしは今、人生でいちばん気持ちよく剣を振れてる。
でもそれはわたしが上手いからじゃない。クロエさんがわたしの戦いを丸ごといちばん良い形に置き直してくれてるからだ。
一言の指示もなく涼しい顔のまま、お散歩みたいな足取りで。
こんな立ち回りは見たことがない。
誰かのために戦場の構図をここまで完璧にずっと維持し続けるなんて。
しかもだ。
「下。そこ罠」
ぽつりと、クロエさんがわたしの足元を指した。
見ると、床のタイルが一枚わずかに色が違う……ほんとだ、踏んでたら危なかった。
わたしの戦いを完璧に整えながら同時にわたしの足元の罠まで見てる。どこまで見えてるんだろうこの人。
“援護うますぎて逆に怖いんだが”
“これここちゃんもレベル高いはずなんだけど、それ異常にカバー力というか…なんだろ、場面を整える力が規格外なんだ”
“初コンビだよな? 十年組んでるベテランの動きなんだけど”
〈考察P〉:“異常。自分で殲滅するのではなく、味方が『最も力を出せる構図』を一瞬も崩さず維持し続けている。これは戦闘というより管理だ。それにぽかんとしているここちゃんカワユス”
“強いだけじゃないのかよこの人。ちゃんと連携できるとかマジで特級のバケモンじゃん”
“周り見えすぎだろ後頭部に目でもあんのか”
“ほんとなんで今まで誰も知らなかったんだ!?”
“ソロ90Fも納得だわこんなん測定不能”
“ここちゃん完全に手のひらの上で戦わされてて尊い”
TRANSLATED:“コノ コ ツヨイ ヲ トオリコシテ コワイ”
“海外ニキ、お前……”
“もういいって”
通路を抜けて、開けた広間に出た。
おそらくサイトで見た場所。
たしか最初の難所って書かれてた。広間の奥から群れで湧く大型の魔物。装甲みたいに硬い甲殻を持ってて当時の攻略隊でも一体倒すのに何分もかかったらしい。
その群れがぞろぞろと十体以上。地響きを立ててこっちに迫ってくる。
……っ、さすがにこれは。
わたしひとりならちょっと苦戦する相手。傷を負うのを前提で立ち回らないといけない。
クロエさんは相変わらずわたしの隣にいた。
群れが雪崩れ込んでくるその瞬間、クロエさんの棒の一振りで、群れの足が勝手にもつれて隊列がばらける。
ばらけた一体がわたしの正面に、ちょうど硬い甲殻の継ぎ目がこっちを向く角度で。
……ここなら!
わたしはその継ぎ目に剣を差し込んだ。硬い殻の内側にすっと刃が通る。
……斬れた。あの硬いはずの魔物が。
一体、また一体。クロエさんが崩してわたしにいちばん斬りやすい急所を向けてくれる。わたしはただそこへ剣を入れるだけ。
わたしひとりじゃ何分もかかるはずの相手を、気づいたら群れごと片付けていた。
……わたしが、やった?
ううん。違う。クロエさんがわたしにやらせてくれたんだ。
“え、如月ちゃん今あの群れ捌いた!?”
“硬い甲殻の継ぎ目『だけ』的確に抜いてる、上手すぎ”
“いや待て、全部クロエさんが急所こっち向けさせてるやつだろ”
〈考察P〉:“……二人で一匹の生き物みたいだ。片方が崩し、片方が抜く。初対面でこの精度は、もう運命の相手だ。尊い”
“また考察Pが情緒やられてる”
“新星もちゃんと強くて嬉しい”
“片方が無双で、もう片方を最強にしてる枠”
〈切り抜き班〉:“今の連携の流れ保存はよ”
TRANSLATED:“チームワーク カミ デスカ”
“海外ニキ…”
“いや、だから”
“そこはチームワークじゃなくて、夫婦共同作業だろうが!!!”
“えぇ……?”
最後の一体が崩れ落ちて、広間がしんと静まる。
わたしは肩で息をしながら隣を見た。クロエさんはもう興味をなくしたみたいに欠伸をしてる。
……すごい。
配信で何度も見たはずなのに、隣で見ると全然違う。
あの可愛い人が、さっきまでわたしの足元の罠を気にかけてくれたあの人が、わたしをこんなにも強くしてしまう。
美しくて。ほんの少しだけ怖くて。それでもどうしても目が離せない。
……この人、ほんとに何者なんだろう。
そんなことわたしが考えてるなんて知らずに、クロエさんはのんびり奥へと歩いていく。
その小さな背中を追いかけながらわたしは思った。
なんで、こんな差があるのに、わたしをダンジョンに誘ったんだろう。
◇
久しぶりだ。
誰かと並んで潜るなんてのは。前世も含めて何百年ぶりだろうな。たいてい俺はひとりだった。そのほうが気楽だったし。
正直、今日は目的がない。可愛い服を買って化粧して街をうろついて、すこぶる気分が良かった。んで、その勢いで「ダンジョン行くか」となっただけ。深い理由はない。
強いて言うなら金稼ぎ。だがそれも微妙だ。前回の配信で売っぱらった分がまだ馬鹿みたいに残ってる。当分遊んで暮らせるし、俺はコツコツ貯めるのが性に合わない。一発ドンと稼いで財布が寂しくなったらまたふらっと潜る。まぁ、それに関係なくダンジョンは潜るけど。
配信なんてのも本来めんどくさい。録画を出して素材を売る。それだけでよかったはずなんだ。
……なのに続けてるのは。
俺は視界の隅に流しっぱなしのコメントとやらにちらっと目をやった。
『可愛い』『顔が良すぎる』『この子何者』『尊い』『服のセンスも神』。
……ふぅん……へぇ……ほぉ?
口の端が緩む。そうだろうそうだろう。分かってるじゃないか、こいつら。俺の容姿。俺の服。俺のセンス。有象無象のくせに見る目がある。承認欲求ってやつがぐいぐい満たされていく。これだこれ。
まあ、それはそれとして。
寄ってきた雑魚を片手間に一体薙ぎ払う。砕ける。弱い。たいして手応えもない。
これもどうでもいい。
俺の興味はさっきから隣のガキにある。
こいつの体の作りなら血析で大体さらってある。骨格、筋の付き方、力の流れ。前に一度こいつの血を読んだからな。
だが――血析で分かるのはしょせん"紙の上の数字"だ。実際に生身がどう動くかは見てみないとな。数字どおりのやつもいれば紙より化けるやつも化けそこなうやつもいる。そこがあの能力の穴だ。
だから俺はこいつが一番力を出せる盤面をずっと整えてやってる。
崩されず囲まれず得意の形だけで振り抜ける状況を、その中で生身の地力をじっくり見る。ついでにこの世界の強さの物差しとして見ている。レベルは低そうだがな。一石二鳥ってやつだ。
……まあ、欲を言えば。本当はもっと追い詰めて極限まで削られたときこいつが何を見せるのか――それも見てみたくはある。
だがこの階層にそこまでさせられる魔物なんていない。やったところで無駄だな。俺が腕の1本や2本ぶった切って、そこから魔物の大群にぶち込む…
“さっきからクロエさん如月ちゃんガン見してない?”
“魔物そっちのけで相方の戦い観察しててちょっと怖い”
〈考察P〉:“強者が格下の戦いをここまで注視するのは妙だ。確定、惚れている”
“精度がガタ落ちしてない? この考察さん”
〈百合提督〉:“新たな航路を発見しました”
TRANSLATED:“センパイ ガ コウハイ ヲ ジーット ミテル ヤツ”
コメントもよく分からないことを言ってる。
ガキの観察の結果だが。
…悪くはない。
剣筋はまっすぐで素直。間合いの嗅覚もいい。拒絶とやらでずっとひとりでやってきたにしては上等な部類だ。
だが、ひとつ引っかかる。
こいつ――剣より刀のほうが向いてるな。
体の捌き。踏み込みの質。刃を魔物に"入れる"ときの一瞬の鋭さ。あれは正面で打ち合う剣の才能じゃない。
抜き打ち、一閃で仕留める――居合の系統だ。
なのに握ってるのは基本に忠実で教科書のようなバカ正直の優等生な剣。
もったいない。
その型がこいつの本当の才能を引きずってる。抑え込んでる。本来もっと跳ねるはずの刃をわざわざ鈍らせてるみたいに。
……少し、面白くしてもいいかもな。
俺はそう結論づけて、またのんびりここの隣を歩いた。
◇
浅層を抜けて中層へ。
魔物が少しずつ強くなってくる。でもこわくない。だって隣にクロエさんがいるから。
わたしも剣を抜いて戦う。前から来る魔物を斬る。横から回り込もうとしたやつはクロエさんがさばいてくれる。気づけばわたしの背中側には一体も残ってない。
……あれ。なんだろう、これ。
すごく心が軽い。
わたしはずっとひとりで潜ってきた。『拒絶』のせいだ。誰の回復も誰の補助もわたしの体はぜんぶ弾いてしまう。
だからパーティを組んだって意味がない。連携なんて絵に描いた餅。守ってもらうことも背中を任せることもわたしにはできなかった。
だからずっと思ってた。わたしはぜんぶ自分ひとりで背負わなきゃいけないんだって。傷も命も結果も。それが当たり前で、疑ったこともなかった。
……でも。
今は違う。
後ろを気にしなくていい。横を警戒しなくていい。ただ前だけを見ていられる。
誰かがわたしの背中を守ってくれてる。誰かと同じ戦場に並んで立っている。
……こんなことが。
誰かと一緒に戦うってことが、こんなにも心強くてあたたかくて、こんなにも嬉しいことだったなんて。
わたし、今日までぜんぜん知らなかった。
……胸の奥がじんわり熱い。
“コンビネーション完璧で草”
“如月ちゃん生き生きしてる”
“二人の距離感よ……尊い”
“百合提督、本日も巡回ご苦労様です”
“新星、明らかに動きキレてんな。誰かさんが余計な敵全部処理してるからのびのび戦えてる”
“いつもソロの如月ちゃんが誰かと組んでるってだけでなんか泣ける”
〈考察P〉:“ここちゃんはこれまで完全な単独行だった。その彼女が『背中を預ける』選択をしている。この信頼の構築速度は、控えめに言って神。尊いですえへへ”
“初見ですが二人の空気が良すぎて永住を決めました”
“おいさっきから考察さんが暴走してるぞ”
“ダメだ百合に脳を焼かれてる、手遅れかも”
TRANSLATED:“ヒトリ ダッタ コ ガ ヒトリ ジャ ナクナル ヤツ ボク スキ”
“海外ニキ……お前分かってんじゃねぇかぁぁぁぁ!!!!”
……うん。コメントの言うとおりだ。わたしは今、のびのびしてる。
ふふ。なんだか楽しい。ずっとこうしていられたらいいのに。
……って、だめだめ。集中、集中。ここはまだダンジョンの中なんだから。
そう気を引き締めた、そのときだった。
……と。
少し前を歩いていたクロエさんがふと足を止めた。
つられてわたしも止まる。
そのすぐあとだった。
通路の奥から魔物が何体も走ってきた。
……っ、来る!?
反射的に剣を構えて――でも、違った。
その魔物たちはわたしたちのことなんて見てもいなかった。襲ってくるんじゃない。クロエさんとわたしのすぐ横を必死の形相ですり抜けて。後ろへ後ろへと逃げていく。
……逃げて、る?
魔物が。何かから必死に逃げてる。
(……なに。いったい、何から……?)
コメント欄もざわついた。
“ん?魔物が逃げてった?”
“魔物が逃げるって何から逃げんだよ”
“嫌な予感しかしないんだが”
〈考察P〉:“魔物が群れで逃走している。この階層に本来いるはずのない『上位の捕食者』が現れた可能性が高い”
“如月ちゃん逃げて案件では?”
TRANSLATED:“イヤ ナ ナガレ デス”
“海外ニキ、分かってんじゃねぇか……逃げてここちゃぁぁぁぁぁん!?!?!”
わたしがぞわりと嫌な予感に背筋を冷やした、そのとき。
隣のクロエさんがぽつりと言った。
「……へぇ」
その声が。
……ほんの少しだけ、うれしそうで。
通路の奥。魔物たちが逃げてきた方向から。
ずぅん……ずぅん、と。重い地響きがゆっくり近づいてくる。
そうして薄闇の奥からのっそりと姿を現したのは。
……この階層にはまるで似合わない"化け物"だった。
獅子のような巨躯。額からねじれて生える山羊の角。背からはこうもりじみた皮膜の翼。そして――長い尾の先では蛇の頭がまるで別の生き物みたいにちろちろと赤い舌を出していた。
一頭の体に何種類もの獣を無理やり縫い合わせたみたいな。継ぎ目からはぐつぐつと黒い瘴気が漏れている。そんなありえない姿。
……なに、あれ。
こんな魔物、攻略サイトにも図鑑にも載ってない。明らかにこの中層のレベルじゃない。
冷たい汗がつうっと背中を伝う。
でも。
わたしの隣で。
クロエさんは。その化け物を気だるげに見上げて。それでもほんの少しだけ口の端を上げて言った。
「ちょうど良い具合のレベル……手間が省ける」
◇
その化け物が。
ずるり、と。一歩こちらへ踏み出した。床がその重さにぎしりと軋む。
ぴこん、と。配信に協会からの自動警報が割り込んできた。
『未確定個体を検知。脅威度、大。周辺探索者は、Sランク及びそれと同等の探索者が派遣されるまで、身を隠すかただちに退避してください』。
“は?なにこれなにこれ”
“協会の警報出たぞ!?しかも『脅威度大』てなんだよ”
〈考察P〉:“これはSランク――S級探索者でも苦戦する魔物警報。本来この階層に湧くものじゃない。明らかな異常事態”
“ちょ、如月ちゃん逃げて!!マジで!!”
“相手が悪すぎる、撤退一択だろこれ”
TRANSLATED:“ニゲテ ここチャン ハヤク”
“協会もようみとるなぁ”
“協会さん、いつもご苦労さまです。ところでもちょい収益の還元率、上げることできまへん?”
“もっと依頼内容に見合った報酬金にしやがれぇ!”
“お前らこんなときに何の話しとんねん”
“oh…ファッキューデス”
“てめぇ日本人だろこら”
“緊急速報の真下でいつもの陳情すなwww”
“協会「危険です」視聴者「報酬上げろ」如月ちゃん「」”
“こいつら危機感ゼロで草、でもこの民度すこ”
“いや笑ってる場合か!?画面の子ガチでやばいって!!”
“危機感ある人とない人の差でゲロ吐きそう”
みんな、危機感がなさすぎじゃない???
でも言ってることは正しい。これはわたしの手に負える相手じゃない。
逃げなきゃ。クロエさんの手を引いてすぐにでも――。
そう思って隣を見て。
……固まった。
クロエさんは逃げるどころか、その化け物を気だるげに見上げてこきりと首を鳴らしていた。
まるでちょっとした準備運動でも始めるみたいに。
「逃げんなよ、ガキ」
そう言ってクロエさんはちらっとわたしを見た。
「ちょうど、試しに良さそうな奴が来てくれたんだから」
……? どういう意味だろう。
分からない。けど。その横顔があんまりにもいつもどおりで。
縮こまっていたわたしの心臓がほんの少しだけほどけた。
“今こわいのに頼もしすぎて変な声出た”
“準備運動のノリで規格外と戦うな”
“ねえ画面の子、さっきから一ミリも動じてないんだけど何者なの”
“あぁ…狂戦士ってそういう”
◇
その化け物のいくつもの眼が。ぎょろりとわたしを捉えた。
……ぞっとした。
獲物を選んだ目だった。群れのなかでいちばん弱いほうを。つまり――わたしを。
次の瞬間。
あの巨体が消えた。
……ううん。消えたんじゃない。速すぎて見えなかったんだ。
山みたいに大きな獅子の体が地を蹴って、鉤爪の生えた前脚を振りかぶり、尾の先の蛇が牙を剥いてこちらへ――まっすぐわたしめがけて襲いかかってきた。
空気が悲鳴みたいに唸った。
……っ、
はや、い。
避けられない。剣を構える間もない。受けることも躱すこともなにひとつ間に合わない。
頭の中が真っ白に染まる。
あ。
死ぬ。
わたし、ここで――。
そう思った、瞬間だった。
ずぁんっ、と。
世界が揺れた。
鼓膜を内側から殴るような衝撃音。足元のタイルが放射状に砕けてめくれ上がる。巻き上がった砂塵が視界を白く塗りつぶす。
……その真ん中に。
クロエさんがいた。
わたしと化け物のあいだに、いつのまにか割り込んで。
たった一本の長い棒で。
あの山みたいな巨体の渾身の一撃を。
真正面から受け止めていた。
ぴくりとも動かずに。
棒を握る細い腕。その輪郭を赤黒い光がちりちりと舐めるように這っている。何百キロもあるはずの質量を片手で軽々と押し返しながら。
化け物が唸る。前脚にぐっと力を込めて押し込もうとする。
でも、びくともしない。
クロエさんは心底めんどくさそうにひとこと。
「邪魔っ!」
ぶうん、と。
棒が無造作に薙がれた。
たったそれだけで。
あの巨体が冗談みたいに横へ吹き飛んだ。翼をばたつかせる暇もなく広間の壁に轟音を立てて叩きつけられる。石壁が放射状に陥没して瓦礫がばらばらと降りそそぐ。
ずしん、と。重い地響きが足の裏から背骨まで駆け上がってきた。
……わたしは。
かすり傷ひとつ負ってない。
あんな必殺の一撃を、すぐ目の前で受けたのに。
……ぜんぶ。クロエさんが止めてくれた。わたしの前に立って、守ってくれた。
◇
硬いことは硬いな。
だが――大したことはない。前に潜ったとき最後にやり合った武器を無限に吐く竜。あれに比べりゃずっと格下だ。
正直、俺ひとりなら一瞬で挽き肉にできる。
だが、それはしない。
チラッと、後ろにいるガキを見る。
俺はまだこいつの――如月ここの本当の力を見ていないからだ。
血析で読んだ数字でもない。さっきまでの剣の手並みでもない。こいつが本気で追い詰められたとき、その底から何を引きずり出すのか。
その真髄を、俺はまだひとつも見ちゃいない。
こんな半端なやつの一撃で死なれちゃ困る。見る前に終わるなんてつまらなすぎるだろう?
……ふん。
なら、お膳立てはこっちでしてやる。こいつが本気を出せるように。
……考えてみれば。
誰かのために盤面を整えてその隣に立つなんてのも、俺は一度もしたことがなかったな。
……まぁ。今は気分が良い。別にそこまで不愉快ではないし、やってやる。
◇
わたしが腰を抜かしたまま見上げていると。
クロエさんがこっちにすたすた歩いてきた。
そして虚空に手を突っ込むみたいな仕草をして――次の瞬間、その手に一振りの刀が握られていた。
例の、虚空の格納庫。
白い鞘のきれいな刀だった。
クロエさんはその刀の柄を指先でつ、と撫でる。一瞬、鞘の奥で赤黒い光がちろりと揺れた気がした。……気のせい、だろうか。
そして、ぽい、とわたしに放ってよこした。
「それ、『白咲』っていう刀。一応名刀の部類に入る怪物刀になるな」
……えっ。
慌てて両手で受け止める。ずしりと手のひらに重みが乗る。
「お前、さっきから見てたけど、そっちの剣より、こういう系のほうが向いてそう」
……刀。『白咲』。
わたしは剣使いだ。刀なんて握ったこともない。
なのに……
鞘から抜いてみる。すらり、と涼しい音。
握った瞬間わかった。手に馴染む。指が柄の収まりどころを勝手に知ってる。まるでずっと前からこの振り方を知っていたみたいに。
……なに、これ。
体の奥から構えがひとりでに立ち上がってくる。
腰を落として。刀を鞘に納めたまま半身に構える。重心を低く。呼吸を鎮める。抜く瞬間にすべてを乗せる。一閃で終わらせる。
誰に習ったわけでもない。今、この瞬間、わたしが自分で考え抜いた、わたしだけの構え。
名前をつけるなら――『居合型』。
……いける。これなら、いける。
壁の向こうで化け物がぐらりと身を起こす。こちらへ向き直る。
わたしは鞘の中の刃にありったけの力を込めて。
――抜いた。
名刀、『白咲』。
この刀にはひとつの技が宿っている。その名を『抜刀術』。
効果は単純にして凶悪。
鞘から刃を抜き放つその一閃に限って――刃に乗せた魔力の威力を二倍に跳ね上げる。
刃が直接届く必要はない。乗せた力を“飛ぶ斬撃”として放ってもその倍化は変わらず発動する。
そして、今。
この刃には持ち主すら気づかぬうちに。別の手によって桁違いの力が――否、『魔気』がそっと注ぎ足されていた。
二倍にされるその“元の値”そのものが底上げされている。
ゆえに。
たった今放たれるその一閃は。
本来であれば格上の、アンノウンと認定された魔物の装甲ごと――断ち斬ることが可能。
しゃんっ、と。
澄んだ抜刀の音が響いた。
わたしの構えから白い三日月みたいな斬撃が奔る。空気を裂いてまっすぐ、起き上がりかけたあの化け物の胴へ――。
ずぱぁんっ!!
硬いはずの装甲が。まるでやわらかい果実みたいに裂けた。
化け物の巨体が大きくのけぞる。斬り口から黒い瘴気を撒き散らしてたたらを踏む。
……斬れ、た。
わたしの一閃が。あの怪物に。確かに届いた。
“は?”
“今の何!?如月ちゃんが斬った!?”
“Sランクの装甲ぶった斬ったぞこの子!!”
“刀持った瞬間に動きが別人すぎる”
〈考察P〉:“ありえない。あの個体の装甲は、本来C級が傷つけられる代物じゃない。あの一閃……刀そのものに加えて、尋常じゃない火力が乗っていた。何が起きた? あとあの構えのここちゃんかっこいぃ…惚れるよぉ”
“さっき『雪の妖精』とか言ってた子と同一人物か?”
“ゆきの妖精、Sを両断する”
TRANSLATED:“ナンデスカ イマノ イアイ カッコ ヨスギ デス”
“海外ニキ…”
“今ちょっと黙ってろ”
深手を負った化け物が咆哮した。
ぐらり、と巨体を立て直して怒り狂ったみたいに暴れ出す。
尾の先の蛇が鞭みたいにしなって飛んでくる。鉤爪が横薙ぎに迫る。翼がばさりと風を叩いて砂塵を巻き上げる。
前から、横から、いっぺんに。
……っ、多い!
でもっ!!
「ここ。右空けるぞ」
クロエさんが棒を一閃。
飛んできた蛇の尾を、振り下ろされた鉤爪を、まとめて弾き返した。その一振りで――化け物の右の胴がぽっかりとがら空きになる。
わたしの名前を。クロエさんが初めて呼んだ。
……っ、はい!
考えるより先に体が動いていた。
がら空きになった右へ一息で踏み込む。刀は鞘に納めたまま。腰を落として。
――抜くっ!!!
しゃんっ。
白い斬撃が化け物の胴を薙いだ。手応えなんてまるでない。硬い体表がすうっと裂けて黒い瘴気が噴き出す。
……すごい。この刀。
斬って、すぐ納刀。クロエさんがまた崩す。空いたところへまた踏み込んで抜く。
クロエさんが崩したところにわたしが斬り込む。わたしが引いたところにクロエさんがすっと入る。
言葉なんてほとんどいらなかった。
クロエさんが次にどう動くのか。どこが空くのか。わたしにはなぜか手に取るようにわかった。息をするみたいに自然に。
初めての共闘なのに。今日、初めて組んだばかりなのに。
まるで。生まれたときからずっと、二人で戦ってきたみたいに。
“は????”
“今日が初コンビだよな???”
“嘘だろこの連携、何年組んでんだよ”
〈考察P〉:“ありえない。初共闘でこの同調率は説明がつかない。まるで……まるで、運命の恋人ぉ!! うわぁぁぁ脳がぁぁぁぁ”
“考察Pがまた焼かれてる…”
“鳥肌やばい、こんなん見せられると思わんかった”
“二人の呼吸ぴったりすぎて泣いてる”
TRANSLATED:“コレ ナンナノ カゾク? ソウルメイト?”
“海外ニキ、こういうのを……『運命』、つうんだよ”
TRANSLATED:“oh......ベートーベン”
“多分別のやつじゃないかな……”
そして、最後。
クロエさんが棒を低く薙ぎ払った。
化け物の太い四肢がまとめて足を払われて。巨体が大きく前へ傾ぐ。
崩れ落ちるその首が、ちょうどわたしの目の前に降りてくる。
……ここだ。
わたしは刀を構える。鞘に納める。腰を落とす。呼吸を止めて。
ありったけの力をその一点に込めて。
――抜いた。
しゃぁんっ!!
いちばん深く、いちばん速い一閃。
白い光が化け物の首をすうっと通り抜けて。
……一拍おいて。
どぅっ、と。山みたいな巨体が崩れ落ちた。地響きを立てて。それきり動かなくなる。
しん、と。静まり返った広間に。わたしの荒い息だけが響いていた。
……勝った。
クロエさんと、二人で。
◇
息を整えてると。
クロエさんがこっちに歩いてきた。
そしてわたしを見て。ふっとほんの少しだけ笑った。
「やるじゃん」
……っ。
そのひとことで。その笑顔で。
体じゅうの疲れがどこかへ吹き飛んでしまいそうになる。
……あ。あ、ありがとう、ございます……。
込み上げてくるものを必死に噛みしめる。だめだ。顔が勝手にゆるんでしまう。
“勝ったあああああ”
“C級がSランク討伐とか前代未聞すぎる”
“歴史的瞬間に立ち会ってしまった件”
“如月ちゃん今にも倒れそうなのにめっちゃ可愛い、守りたい”
“てか相方のほう、ピンピンしてて草。あれで準備運動だったんか…”
“ここちゃんがゼェゼェ言ってる横で涼しい顔してるの、よく見たら怖すぎる”
“やっぱあの『90F更新者』ってのは、嘘じゃなかったんか…”
“すげぇ…ここちゃんもだけど、この子、特級だろ絶対”
“特級が一般枠の配信にしれっと紛れ込んでる事件”
〈考察P〉:“結論を述べる。あの黒髪の個体の戦闘力は、現行の等級では測定不能だ。『特級』でも、まだ言葉が足りない”
“考察Pが結論を出した上でさらに突き抜けてて草”
“ていうか今日、『雪の妖精』がSランク両断したんだが”
〈百合提督〉:“本日、供給過多につき昇天します”
“俺はもう、この黒髪の子に一生ついてくと決めた”
“しれっと信者爆誕してて草”
“やべぇの生まれちゃってない???”
TRANSLATED:“ワタシ モ シンジャ ニ ナリマス”
“お前もかよ”
わたしがまだ夢見心地で立っていると。
クロエさんがわたしの手の中の白咲をちらっと見て言った。
「それ、やる」
……え。
「お前のほうが似合う。俺が持ってても宝の持ち腐れだしな」
……えっ。えっ。
い、いいんですか。こんなすごい刀。あの硬い魔物を豆腐みたいに斬れる刀をもらっていいんですか。クロエさんから。
……うれしい。
うれしすぎて白咲をぎゅっと胸に抱きしめる。一生、大事にする。家宝にする。お墓に一緒に入れてもらう。
……って、重いなわたし。でも、いいの。だってクロエさんがくれたんだもん。
ちなみに配信のほうは。
もうわたしが操作する余裕なんてとっくになかったけど。コメント欄は見たこともない速さで流れ続けていた。
“攻略済みダンジョンの未確認Sランを新星コンビが討伐とか、歴史に残るだろこれ”
“同接、両方合わせて十万超えたぞ”
“切り抜きもう回り始めてる、世界中で”
“協会の公式アカウントが反応した!!”
“海外トレンド入りしてるんだが、この二人何者なの”
“如月ちゃんの刀、最後の一閃やばすぎた、もう一回見たい”
TRANSLATED:“レキシテキ ナ ヒ ニ タチアエタ アリガトウ”
“海外ニキ、お前……俺も同意だ”
……十万。世界中。
ついていけない。すごすぎて頭がくらくらする。
でも今のわたしには。そんなことよりずっと大事なことがあって。
……クロエさんと、一緒に戦えた。
それだけでもう胸がいっぱいで。
だから、次のクロエさんの言葉に頭が追いつかなかった。
「お前、今日から俺の家に住め」
「はへぇ……????」
◇
俺は、刀を抱きしめてうるうるしているガキ……ここを見下ろしていた。
……やはり、俺の予想は外れない。
さっきの戦いを思い返す。
初めての共闘。初めての刀。なのにこいつは俺の動きに完璧に合わせてきた。崩したそばから的確に斬り込んで。一切、無駄がなかった。
……ああ。見えた。お膳立てまでして見たかった、こいつの“真髄”が。まだ、ほんの片鱗だとしても。
あの『居合型』とかいう構えも。即興であの域まで組み上げたのか。
……才能、なんてもんじゃない。
俺は知っている。こいつの才は。
前の世界――化け物どもがひしめいて、神を脊髄に詰め込むのが当たり前だった、あの世界。あそこに放り込んでも。こいつは間違いなく上位……いや、トップにまで食い込む才能がある。
…んふ、んはは。
胸の奥が疼いた。
ずっと凍りついて動かなかったはずの、どこかが。
……欲しい。
ひさしぶりにそう思った。武器でも魔石でもない。こいつが。この才能が。この、
……欲しい。俺の、ものにしたい。
前の世界なら、こんなのは簡単な話だった。欲しいものは囲って手元に置く。誰にも触れさせない。俺だけの玩具にする。
俺はここの手を掴んだ。
「おい」
「は、はいっ?」
「お前、今日から俺の家に住め」
ここがぽかんと口を開けた。
「はへぇ……????」
俺はこいつを手放す気はもうなかった。
もう、俺の玩具だ。
もう、二度と逃がさない。