星の嘘を、鬼は見抜くか 〜渋谷凛は星野アイを救いたい〜 作:百合太郎
卯月から連絡が来たのは、昼過ぎだった。
撮影帰りの電車の中で、凛は携帯の画面を見ていた。
島村卯月。
その名前の下に、少し長めの文章が表示されている。
今日、346プロダクションという事務所の方から声をかけていただきました。
一度、お話を聞きに来ませんかって。
それと……凛ちゃんのことも、少し聞かれました。
詳しいお話は、苺プロさんを通して連絡するそうです。
急にごめんなさい。でも、ちゃんと伝えたくて。
凛は画面を見つめたまま、少しだけ眉を動かした。
346プロダクション。
昨日、公園でこちらを見ていた男。
名刺の端に、その名前があった。
偶然ではなかったらしい。
隣に座っていたアイが、凛の顔を覗き込む。
「卯月ちゃん?」
「うん」
「どうしたの?」
凛は画面を見せた。
アイは文章を読み、目を少し大きくする。
「346プロ?」
「昨日、見てた人かも」
「卯月ちゃん、スカウトされたの?」
「たぶん」
アイは素直に笑った。
「すごいね」
「うん」
凛も頷いた。
卯月が見つかることは、きっといいことなのだと思う。
普通だと言っていた少女。
頑張ることしかないと言っていた少女。
その頑張りを見てくれる場所があるなら、それは悪いことではないはずだった。
けれど、凛の胸の奥は少し硬かった。
アイがそれに気づく。
「凛ちゃんにも?」
凛は少し間を置いて答えた。
「壱護さんのところに、私宛ての話も来るみたい」
アイの表情が止まる。
「……凛ちゃんにも」
その声には、嬉しさだけではないものが混ざっていた。
驚き。
不安。
少しの寂しさ。
凛はそれを感じた。
以前より、人の感情の揺れに気づきやすくなっている。
それが血の影響なのか、ただアイを見続けてきた結果なのかは分からない。
でも、アイが揺れていることだけは分かった。
「まだ、話を聞くだけ」
凛が言うと、アイは少し笑った。
「うん。分かってる」
その笑顔は、少しだけ整っていた。
凛は見逃さなかった。
けれど、今は何も言わなかった。
苺プロでの話し合いは、その日の夕方に行われた。
壱護は、346プロから届いた書類を確認しながら腕を組んでいた。
机の上には、346プロダクションからの資料が置かれている。
卯月への面談案内。
凛への見学と説明の提案。
そして、小さく書かれた一文。
特殊適性に関する支援体制についてもご説明可能です。
壱護はその文字を見て、眉を寄せた。
「特殊適性、ね」
凛はその言葉を繰り返した。
「特殊適性……」
頭の中に、母から聞いた言葉が浮かぶ。
先祖返り。
でも、すぐには口にしなかった。
346プロがどこまで知っているのか。
何を目的に近づいてきたのか。
まだ分からない。
「私の体質の話だと思います」
凛が言うと、アイが横で小さく息を飲んだ。
壱護は椅子にもたれる。
「お前たち、俺の知らないところでずいぶん物騒な話になってるな」
凛は少しだけ頭を下げる。
「すみません」
「謝る話じゃない」
壱護は資料を机に置いた。
「危ない話を子どもだけで抱えるな」
凛は顔を上げる。
壱護は続けた。
「俺が頼れる大人かどうかは別として、少なくとも事務所の代表ではある」
アイが思わず言う。
「そこ、自分で別にするんですね」
「信用は強制するもんじゃない」
凛が小さく言った。
「そこは少し信用できます」
壱護は眉を上げる。
「少し、か」
「はい」
「正直だな」
アイは少しだけ笑った。
その空気に、ほんの少しだけ呼吸が戻る。
けれど、話の中身は軽くならなかった。
壱護は改めて資料へ視線を落とした。
「モデルとしての仕事なら、苺プロでも続けられる。今の案件も、うちが窓口になってる」
凛は頷く。
「はい」
「だが、あっちが言ってる特殊適性とやらは、俺の専門外だ」
壱護の声は、いつもより少し低かった。
「お前の中にあるものが何なのか。どう扱えばいいのか。それを知る手段があるなら、見に行く価値はある」
アイの手が、膝の上で少し動いた。
壱護はそれにも気づいたように続ける。
「ただし、所属をどうするかは別問題だ。苺プロの仕事もある。家のこともある」
そこで一度、壱護は凛を見た。
「それに、アイもいる」
アイの胸が、小さく跳ねた。
嬉しい。
そう思うより先に、少し怖かった。
自分が凛の足を止める理由になっている気がしたから。
凛は、何も言わないアイを見た。
そして、短く頷いた。
「分かってます」
壱護は資料を閉じる。
「知る必要があるなら、見に行け。だが、決めるのは話を聞いてからだ」
「はい」
凛は頷いた。
アイも、少し遅れて頷いた。
苺プロからの帰り道、アイは静かだった。
駅へ向かう道。
夕方の光。
通り過ぎる人の声。
凛は隣を歩いていた。
B小町の中で、アイはまだ完全に居場所を掴めていない。
高峯とは少し話せるようになった。
ニノの言葉にも、前より逃げずに向き合えるようになった。
渡辺やきゅんぱん、ありぴゃんとも、少しずつ言葉は増えた。
けれど、楽屋の空気はまだ時々冷たい。
ステージで光るたびに、誰かの顔に影が落ちる。
それを知ったばかりだった。
そんな中で、凛まで自分の知らない場所へ進むのだと思うと、胸の奥が少し狭くなった。
「嫌?」
凛が聞くと、アイは少しだけ目を伏せた。
「嫌、ではない」
「でも、嫌そう」
アイは苦笑した。
「凛ちゃん、そういうところ容赦ないよね」
「うん」
「否定してよ」
「嘘になる」
アイはまた少し笑う。
でも、すぐに表情を落とした。
「前はね」
アイは言葉を探しながら言った。
「凛ちゃんが芸能界に来るの、嬉しかったんだ」
「うん」
「同じところに来てくれたみたいで」
そこまで言って、少し止まる。
笑おうとして、やめた。
「でも、今日は……ちょっと違った」
凛は黙って聞いている。
「凛ちゃんが、私の知らない場所に立ってるみたいで」
アイは指先を軽く握った。
「置いていかれる、とは違うんだけど」
少し間が空く。
「……ちょっと、寂しかった」
凛は足を止めた。
アイも止まる。
「私も、少し怖い」
凛は言った。
アイが顔を上げる。
「凛ちゃんも?」
「うん」
凛は自分の手を見る。
「知らない自分が増える感じがする」
アイは静かに頷いた。
「そっか」
凛はアイを見る。
「でも、離れるためじゃない」
「うん」
「分かるため」
「うん」
アイはもう一度頷いた。
「それでも、寂しいは寂しい」
凛は少し考えた。
寂しくさせたくないから行かない、と言えば簡単かもしれない。
でも、それは違う。
凛が知らないままでいることを、アイはきっと望まない。
アイを安心させるためだけの答えは、たぶん後で苦しくなる。
だから凛は、正直に言った。
「寂しいままでも、言って」
アイは少し驚いたように凛を見る。
「言っていいの?」
「うん」
「面倒くさくない?」
「少し」
「そこは否定して」
「でも、言って」
アイは困ったように笑った。
その笑顔は、少し不安で、少しだけ安心していた。
346プロダクションのビルは、苺プロとはまったく違っていた。
大きい。
明るい。
受付にはスタッフが行き交い、エレベーターの前では資料を抱えた大人たちが短く言葉を交わしている。
廊下の先には、レッスン室がいくつもあるらしい。
歌声。
足音。
発声練習。
カメラ機材を運ぶスタッフ。
アイドル候補生らしい少女たち。
モデル。
俳優。
いろいろな人が、この建物の中で動いていた。
凛は入った瞬間、空気の違いを感じた。
ただの芸能事務所ではない。
管理されている。
見られている。
けれど、冷たいだけではない。
危険なものを安全な場所に収めようとしているような、独特の緊張があった。
卯月は隣で目を輝かせている。
「すごいです……!」
本当に、眩しいくらい前向きだった。
アイが少し笑う。
「卯月ちゃん、すごく前向きだね」
卯月は両手を胸の前で握った。
「はい! 怖いですけど、でも、行ってみたいです!」
凛は卯月を見る。
卯月は普通の女の子だ。
自分でそう言っていた。
でも、その普通さは、この場所ではひどく眩しい。
前に進みたいと、素直に言えること。
怖いと言いながら、それでもやってみたいと言えること。
それは、簡単なようで難しい。
案内された部屋には、大柄な男性が立っていた。
表情は硬い。
背が高く、少し威圧感がある。
けれど、差し出された名刺を持つ手つきは丁寧だった。
「本日は来ていただき、ありがとうございます」
低い声だった。
真面目で、少し不器用そうな声。
名刺には、346プロダクションの名と、プロデューサーという肩書きが記されていた。
名前も書かれていたが、凛の目には肩書きの方が先に入った。
プロデューサー。
アイドルを見つけ、育て、舞台へ立たせる人。
苺プロの壱護とは、まるで違う種類の大人に見えた。
壱護は強引で、雑で、でも火のような熱を持っている。
目の前のプロデューサーは、硬く、静かで、深く沈んだ水のようだった。
「所属を急がせるつもりはありません。今日は、見学と説明だけです」
声は丁寧だった。
けれど、凛はその視線に気づいていた。
優しいだけの目ではない。
測っている。
守るために。
そして、使えるかどうかを見るために。
その両方が、同じ目の中にあった。
プロデューサーはまず、卯月へ視線を向けた。
「島村さんには、アイドル候補生として正式にレッスンへ参加していただく道があります」
卯月は背筋を伸ばす。
「はい」
次に、凛を見る。
「渋谷さんについては、モデルとしての適性。それから、もう一つ」
凛は静かに聞いた。
「それは、私の体質の話ですか」
プロデューサーは表情を変えなかった。
「そう考えていただいて構いません」
アイが横で息を飲む。
プロデューサーは少し考えてから言った。
「ここには、芸能の仕事をしながら、自分の体質や力と付き合っている子たちがいます」
卯月が小さく瞬きをする。
「体質……」
「歌やダンスだけではなく、その子が自分を壊さずに舞台へ立つための支援もする」
プロデューサーは凛を見る。
「そういう場所だと思ってください」
卯月は、自分の手を見る。
「私も、そうなんですか?」
「可能性は高いです」
プロデューサーは資料を伏せたまま答えた。
「島村さんの場合、人の心を外へ向ける性質が見えます。閉じた感情を、笑顔や舞、明るさで開く力」
卯月は少し俯いた。
「でも、昨日……」
「自分を追い込みすぎると危険です」
プロデューサーの声は穏やかだった。
けれど、言葉は軽くなかった。
「扉を開く力が、自分自身を壊す方向へ働くことがあります」
卯月は唇を結んだ。
凛が短く言う。
「卯月だけじゃない」
プロデューサーは頷いた。
「はい。渋谷さんもです」
部屋の空気が少し重くなる。
プロデューサーは凛の資料を閉じた。
「断定はできません」
凛はプロデューサーを見る。
「ただ、記録上かなり近いものがあります」
「近いもの?」
「雷。刃。防衛反応。そして、感情の切断」
凛の指が、膝の上でわずかに動いた。
感情の切断。
その言葉だけは、嫌なほど正しかった。
アイに危険が迫った瞬間。
自分の中で、何かがすとんと落ちた。
怒りも、恐怖も、焦りも消えて、アイ以外がどうでもよくなった。
あれを、切断と呼ぶなら。
たぶん、そうなのだ。
「分かるんですか」
凛が聞くと、プロデューサーは首を横に振った。
「完全には分かりません。だからこそ、危険です」
「制御できなかったら?」
プロデューサーはすぐには答えなかった。
少しだけ言葉を選ぶ。
「周囲も、自分も傷つけることがあります」
アイの手が、膝の上で強く握られた。
凛は静かに聞いていた。
予想していた答えだった。
あの時の自分を思い出せば、分かる。
もしアイの声が届かなかったら。
もし止まらなかったら。
凛は、自分の手を見た。
プロデューサーは続ける。
「だから、知る必要があります」
凛は黙った。
346プロに行けば、分かることがある。
自分の中の雷。
角。
刀。
冷たさ。
卯月の笑顔。
体質と呼ばれるもの。
先祖返りという言葉を、ここで使うべきかどうか、凛はまだ迷っていた。
けれど、少なくともこの人はそれに近いものを知っている。
それだけは分かった。
プロデューサーは、机の上に別の資料を置いた。
「すぐに所属を決める必要はありません」
凛は顔を上げる。
「苺プロとの契約や活動を尊重した上で、まずは訓練協力という形も取れます」
「訓練協力」
「はい。体質に関する基礎的な知識、制御訓練、危険時の対応。その範囲から始める形です。モデル活動についても、必要なら苺プロと協議の上で業務提携という形にできます」
アイは少しだけ肩の力を抜いた。
全部をすぐに決める必要はない。
それだけで、呼吸が少し楽になる。
プロデューサーは卯月へ向き直る。
「島村さんは、アイドル候補として正式にレッスンへ参加してみませんか」
卯月は一度、目を伏せた。
そして、ゆっくり頷いた。
「私、346プロで頑張ってみます」
そう言ってから、少しだけ笑い直す。
「……怖いです。また昨日みたいになったらどうしようって、思います」
凛は黙って聞いた。
「でも、怖いって言ってもいいって分かったので」
卯月は両手を握る。
「今度は、怖いって言いながら頑張ります」
凛は卯月を見る。
「それならいい」
卯月は少しだけ安心したように笑った。
「はい」
その笑顔は明るかった。
でも、前より少しだけ無理が少なかった。
次に、プロデューサーが凛を見る。
「渋谷さんは?」
凛はすぐには答えなかった。
アイを見る。
アイは少し不安そうだった。
けれど、逃げるような顔ではなかった。
アイは小さく頷いた。
「知れるなら、知った方がいいと思う」
凛は目を細める。
「いいの?」
アイは少し笑った。
「嫌じゃないって言ったら嘘だけど」
その正直さに、凛は言葉を失いかけた。
アイは続ける。
「でも、凛ちゃんが怖いままでいる方が、もっと嫌」
凛はしばらくアイを見ていた。
アイの声は震えていない。
無理に笑ってもいない。
ちゃんと、不安を持ったまま言っている。
凛はプロデューサーへ向き直った。
「所属は、まだ決めません」
プロデューサーは頷く。
「はい」
「苺プロでの仕事もあります」
凛は一度、隣のアイを見た。
アイは何も言わない。
ただ、凛の答えを待っている。
「それに」
凛は視線を戻した。
「帰る場所を、置いていくつもりはありません」
アイの胸が、また小さく跳ねた。
嬉しい。
でも、同時に少し苦しい。
自分が凛の帰る場所であることが嬉しくて。
その場所が、凛の重荷になることが怖かった。
凛は続ける。
「でも、力のことは知りたい。卯月のことも、気になる」
卯月が小さく声を漏らす。
「凛ちゃん……」
凛は卯月を見てから、もう一度プロデューサーを見る。
「だから、訓練協力なら」
プロデューサーは深く頷いた。
「十分です」
その返事は、契約ではなかった。
所属でもなかった。
でも、確かに一歩だった。
帰り道。
卯月は何度も資料を見ながら、嬉しそうにしていた。
けれど、ただ浮かれているわけではない。
資料を持つ指先が、少しだけ緊張している。
駅の前で、卯月は二人へ向き直った。
「私、346プロで頑張ってみます」
そう言ってから、照れたように笑う。
「怖いです。でも、今度は怖いって言いながら頑張ります」
アイは微笑んだ。
「卯月ちゃんらしいね」
凛も頷く。
「無理に笑わないなら」
「はい!」
卯月は大きく頷き、手を振って別の道へ帰っていった。
その背中を見送ってから、アイと凛は並んで歩く。
しばらく、二人とも黙っていた。
先に口を開いたのは、アイだった。
「凛ちゃん、少し遠くなった気がした」
凛はすぐに答える。
「遠くない」
「うん。分かってる」
アイは空を見上げる。
「でも、卯月ちゃんと346プロにいる凛ちゃんを見たら、知らない凛ちゃんが増えたみたいだった」
凛は少し考える。
「私も、知らない自分が増えた」
アイが凛を見る。
凛はまっすぐ前を向いていた。
「でも、帰る場所は変わらない」
アイは少しだけ目を伏せる。
「……うん」
「別の場所から、並ぶ」
「隣じゃなくて?」
凛はアイを見る。
「隣にもいる」
アイは少しだけ笑った。
「欲張りだね」
「必要」
「凛ちゃんって、たまにすごく強引」
「たまに?」
「うん。たまに」
凛は少しだけ首を傾げた。
アイは笑った。
その笑顔は、まだ少し寂しさを含んでいた。
でも、不安だけではなかった。
渋谷家に帰ると、父と母も話を聞いた。
母は慎重に資料を確認し、父は何度も「条件はちゃんと見る」と繰り返した。
壱護にも改めて話す必要がある。
苺プロとの関係。
モデル活動。
訓練協力。
決めることはたくさんある。
すぐに何かが変わるわけではない。
でも、凛の前に新しい道ができた。
それはもう、消えない。
その夜。
アイは予定表を開いた。
346プロに行った。
卯月ちゃんは前向きだった。
凛ちゃんは所属を決めなかった。
でも、訓練協力はすることになりそう。
私は少し寂しかった。
そこまで書いて、アイは手を止める。
少し、という言葉では足りない気もした。
でも、全部を大きく書くと、自分が凛を縛ってしまいそうで怖かった。
だから、最後にこう書いた。
凛ちゃんは、別の場所から並ぶと言った。
アイはその文字を何度も見返した。
別の場所。
隣。
帰る場所。
全部が同時にあるなら、それはきっと簡単ではない。
でも、凛はそう言った。
なら、自分も信じたい。
その頃。
小さなレッスンスタジオの控室で、一人の青年がスマホを見ていた。
画面には、B小町の動画が流れている。
中央で笑う星野アイ。
小さな会場の空気を、一瞬で自分のものにする少女。
青年は、唇を噛んだ。
次に画面を切り替える。
芸能ニュースの端に、346プロの名前があった。
新しい候補生。
新しい才能。
また、誰かが見つけられる。
自分ではない誰かが。
青年はスマホを握る手に力を込めた。
「なんで、あいつらばっかり」
声は低かった。
彼は、オーディションに落ち続けていた。
レッスンでは、そこそこできる。
歌も、ダンスも、人並み以上にはこなせる。
けれど、強い印象がないと言われる。
華がないと言われる。
次に期待していると言われる。
その「次」は、一度も来なかった。
隣の椅子に置かれたバッグには、返された書類が入っている。
不採用。
見送り。
またの機会に。
その言葉ばかりが増えていく。
「才能がないわけじゃないよ」
声は優しかった。
優しすぎて、青年は逆に顔を上げた。
控室の入口に、誰かが立っていた。
照明の影で、顔はよく見えない。
「ただ、君の中の扉が閉じたままなだけだ」
「何だよ、それ」
青年は眉を寄せた。
その人物は、小さく笑った。
「開け方を、知りたい?」
差し出されたのは、小さな黒いチャームだった。
舞台用のアクセサリーにも見える。
ただの飾りにも見える。
けれど、光を受けても、その黒だけは沈んだままだった。
青年は、それを見つめる。
触れてはいけないものだと、どこかで分かっていた。
それでも、手を伸ばした。
触れた瞬間、心臓が強く鳴る。
どくん、と。
身体の奥で、何かが軋んだ。
彼には、古い血などなかった。
鬼も、神も、獣も、祖先の中には眠っていない。
それでも、胸の奥で何かが開いた。
開いてはいけないものが、誰かの手でこじ開けられた。
青年は笑った。
久しぶりに、うまく笑えた気がした。
けれど、その笑顔を見ている者がいれば、きっと気づいただろう。
それは、彼自身の顔に貼りついた、彼ではない何かの笑みだった。