星の嘘を、鬼は見抜くか 〜渋谷凛は星野アイを救いたい〜   作:百合太郎

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第50話 繋がりのかたち

 

 

朝、凛が部屋を出ると、廊下にアイがいた。

 

偶然ではない。

 

たぶん、ずっと待っていた。

 

壁に背を預けて、何でもない顔をしている。

 

けれど、凛が扉を開けた瞬間に目が動いた。

 

顔色。

 

呼吸。

 

歩き方。

 

手元。

 

全部を一度に確認された気がした。

 

「おはよう」

 

アイが言う。

 

「おはよう」

 

凛は返してから、少しだけ目を細めた。

 

「アイ、近い」

 

「近くないよ」

 

「近い」

 

アイは自分と凛の距離を見た。

 

肩が触れそうだった。

 

「昨日よりは離れてる」

 

「基準がおかしい」

 

「そうかな」

 

「そう」

 

凛が一歩横へずれると、アイも自然についてきた。

 

無意識だったらしい。

 

アイはそれに気づいて、少しだけ気まずそうに笑った。

 

「……ごめん」

 

「謝らなくていい」

 

「でも、近いんでしょ?」

 

「近い」

 

「じゃあ謝る」

 

凛は少し考えた。

 

「近くてもいいけど、隠さないで」

 

アイの笑顔が止まる。

 

「隠してるつもりは、ないんだけどな」

 

「怖いまま?」

 

凛が聞くと、アイはすぐには答えなかった。

 

廊下の窓から入る朝の光が、アイの横顔に落ちている。

 

きれいに笑おうとした。

 

でも、途中でやめた。

 

「うん」

 

小さな声だった。

 

「怖いまま」

 

「言えた」

 

「言えたね」

 

「でも、近い」

 

「そこは譲れない」

 

「少しは譲って」

 

アイは少し考えるふりをした。

 

「考える」

 

「考えるだけ?」

 

「今は」

 

凛は息を吐いた。

 

呆れたように。

 

でも、強く離れようとはしなかった。

 

朝食の席でも、アイは凛の隣に座った。

 

母が味噌汁を置く。

 

父が新聞を畳む。

 

いつもの朝。

 

けれど、アイの視線だけが落ち着かない。

 

凛が箸を持つ。

 

見る。

 

湯呑みを持つ。

 

見る。

 

少し黙る。

 

見る。

 

凛は味噌汁を一口飲んでから、横を向いた。

 

「アイ」

 

「何?」

 

「見すぎ」

 

アイは一瞬固まった。

 

「見てないよ」

 

凛は無言でアイを見る。

 

アイは負けたように視線を逸らした。

 

「……見てるかも」

 

母が二人を見て、少しだけ眉を下げる。

 

「凛ちゃん、今日は346プロ?」

 

「午後から。訓練じゃなくて、話だけ」

 

父が低く言う。

 

「無理はするな」

 

「うん」

 

アイがすぐに続ける。

 

「本当にね」

 

凛は頷いた。

 

「分かってる」

 

「分かってる時ほど危ないって、お父さん言ってたよ」

 

父は少し驚いた顔をする。

 

「よく覚えてるな」

 

アイは真面目な顔で言った。

 

「今の私は、凛ちゃん関係の言葉は全部覚えます」

 

凛が小さく呟く。

 

「重い」

 

アイは即答した。

 

「自覚あるから言わないで」

 

父が咳払いをした。

 

母は少し笑いかけて、すぐに表情を和らげる。

 

笑えるやり取りではある。

 

でも、笑いだけでは済まない。

 

そのことを、全員が分かっていた。

 

午前中、アイはB小町の仕事へ向かう準備をしていた。

 

靴は履いた。

 

鞄も肩にかけた。

 

家を出るだけ。

 

それなのに、玄関で足が止まった。

 

凛は廊下の奥からそれを見ていた。

 

「行って」

 

凛が言う。

 

アイはすぐには頷けなかった。

 

凛の顔を見る。

 

手を見る。

 

指先を見る。

 

昨日、雷をまとっていた手。

 

握り返してきた時、氷みたいに冷たかった手。

 

「……行きたくないって言ったら?」

 

アイが小さく言うと、凛は少しだけ目を伏せた。

 

「困る」

 

「だよね」

 

「でも、分かる」

 

その言葉で、アイの胸が少しだけ痛くなった。

 

止めてほしかったわけじゃない。

 

行けと言ってほしかったわけでもない。

 

ただ、凛から目を離すのが怖かった。

 

「連絡して」

 

「する」

 

「変だったら?」

 

「言う」

 

「本当に?」

 

「本当に」

 

それでも、アイはまだ動けなかった。

 

凛が、少しだけ手を伸ばした。

 

アイの袖をつまむ。

 

ほんの一瞬。

 

それから離す。

 

「帰ってくるから」

 

アイは息を止めた。

 

凛が帰ってくる。

 

その言葉だけで、ようやく足が動いた。

 

「……行ってくる」

 

「行ってらっしゃい」

 

扉が閉まる。

 

アイは廊下に出てから、一度だけ振り返った。

 

扉の向こうに凛は見えない。

 

それだけで、胸の奥が少し冷えた。

 

B小町の現場では、ニノがすぐに気づいた。

 

「スマホ、壊れるよ」

 

アイは画面を見ていた手を止める。

 

「え?」

 

「そんなに見てたら」

 

ニノは呆れたように言った。

 

「凛ちゃんから連絡?」

 

アイは画面を伏せる。

 

「まだ来てない」

 

「来てないから見るんだ」

 

「うん」

 

「重い」

 

「自覚あるから言わないで」

 

「自覚あるんだ」

 

「あるよ」

 

アイはそう言って、スマホを鞄にしまおうとした。

 

でも、指が離れなかった。

 

画面を伏せただけで、手元に置く。

 

高峯が鏡の前で髪を直しながら言った。

 

「今日は特に分かりやすい」

 

「そんなに?」

 

渡辺が柔らかく笑う。

 

「いつもより、少しだけね」

 

「少しだけ?」

 

ニノが横から言う。

 

「かなり」

 

「ニノちゃん」

 

「何」

 

「そこは少しだけにして」

 

「嫌」

 

そのやり取りに、きゅんぱんが笑う。

 

ありぴゃんも「ニノ、容赦ない」と呟いた。

 

軽い空気。

 

でも、アイはうまく笑いきれなかった。

 

撮影の合間、控室に戻ると、アイはまたスマホを確認した。

 

凛から短いメッセージが来ていた。

 

起きてる。変じゃない。午後から行く。

 

短い。

 

凛らしい。

 

それだけで息ができる。

 

でも、足りない。

 

アイは自分でもそう思ってしまった。

 

無事だと分かっても、まだ足りない。

 

目の前にいないと怖い。

 

声を聞かないと怖い。

 

手を握っていないと、どこかへ行ってしまう気がする。

 

ニノが隣に座った。

 

「凛ちゃん、そんなに危なかったの?」

 

アイはすぐには答えなかった。

 

控室の奥では、きゅんぱんとありぴゃんが衣装の話をしている。

 

高峯は台本に目を通している。

 

渡辺は飲み物を配っていた。

 

みんながいる。

 

でも、アイは一瞬、昨日の処置室を思い出した。

 

冷たい手。

 

遠い瞳。

 

感情のない凛。

 

「凛ちゃんじゃなくなってた」

 

声は、小さかった。

 

ニノが黙る。

 

高峯の視線も、わずかに上がった。

 

渡辺も手を止める。

 

アイは続けた。

 

「戻ってきたのに、まだ怖い」

 

ニノは少し考えた。

 

そして、ぼそっと言う。

 

「戻ってきたなら安心、ってならないんだ」

 

「ならない」

 

「そっか」

 

ニノは目を逸らした。

 

「面倒だね」

 

アイは少しだけ笑いそうになった。

 

「うん」

 

「でも」

 

ニノは続ける。

 

「ならないなら、ならないままでいいんじゃない」

 

高峯が静かに言った。

 

「無理に安心したことにしなくてもいいってこと」

 

アイは高峯を見る。

 

高峯は台本に目を戻しながら言う。

 

「顔に出てるのに、安心しましたって笑われても困る」

 

「……それはそうかも」

 

渡辺が微笑む。

 

「言えるところからでいいんじゃない?」

 

アイは三人を見る。

 

以前なら、ここで笑ってごまかしていた。

 

大丈夫。

 

平気。

 

ちょっと心配性なだけ。

 

そう言って、きれいに閉じていた。

 

けれど今、閉じなくてもいい隙間がある。

 

大きくはない。

 

すぐに壊れそうな隙間。

 

でも、ある。

 

「ありがとう」

 

アイが言うと、ニノは肩をすくめた。

 

「それも後で聞く」

 

アイは少しだけ自然に笑えた。

 

午後。

 

346プロの面談室で、凛はプロデューサーと向かい合っていた。

 

卯月も同席している。

 

今日は訓練ではない。

 

前回の暴走についての振り返り。

 

そして、今後の確認だった。

 

プロデューサーは資料を閉じ、低い声で言った。

 

「しばらく実戦対応は禁止します」

 

凛は頷いた。

 

「分かってます」

 

「分かっている時ほど、動いてしまう人が多い」

 

凛は少しだけ視線を落とす。

 

「……否定できない」

 

卯月も手を膝の上で握っていた。

 

「私も、昨日は何もできませんでした」

 

凛はすぐに卯月を見る。

 

「卯月は悪くない」

 

「でも、凛ちゃんを呼べませんでした」

 

「アイが呼んだ」

 

「はい」

 

卯月は目を伏せる。

 

「でも、私も呼びたかったです」

 

その声には悔しさがあった。

 

卯月もまた、自分の力の未熟さを知った。

 

人の痛みに反応できる。

 

でも、引き込まれてしまう。

 

助けたいのに、近づくほど苦しくなる。

 

凛だけではない。

 

卯月も課題を抱えていた。

 

プロデューサーは二人を見て言った。

 

「昨日、渋谷さんを戻したのは、星野さんの声です」

 

凛は頷く。

 

「はい」

 

「ただし、声そのものというより、関係性に反応した可能性が高い」

 

凛が顔を上げる。

 

「関係性?」

 

「帰る場所。守りたい相手。自分が自分である理由」

 

凛は黙った。

 

アイの声を思い出す。

 

戻ってきて。

 

私、ここにいる。

 

帰る場所、置いていかないんでしょ。

 

あれは、ただの音ではなかった。

 

言葉でも足りない。

 

自分の奥にある何かを、掴んで引き戻すものだった。

 

「星野さんは、渋谷さんにとって強い帰還点になっています」

 

「帰還点」

 

凛はその言葉を繰り返した。

 

硬い言葉だった。

 

でも、意味は分かる。

 

帰る場所。

 

戻るための点。

 

アイ。

 

その時、面談室の扉がノックされた。

 

プロデューサーが顔を上げる。

 

扉が開く。

 

そこにいたのは、アイだった。

 

仕事帰りなのか、まだ薄くメイクが残っている。

 

息は少し上がっていた。

 

凛は目を瞬かせる。

 

「来なくていいって言った」

 

アイは真っ直ぐ答えた。

 

「来たかった」

 

凛は何か言おうとして、やめた。

 

アイの顔を見れば分かる。

 

言っても無駄だ。

 

プロデューサーは立ち上がる。

 

「星野さん。ちょうど、あなたにもお話ししたいことがありました」

 

アイは凛の隣に座った。

 

自然に、近い位置。

 

凛が少しだけ横を見る。

 

「近い」

 

アイは前を向いたまま言った。

 

「今日は許して」

 

「今日だけ?」

 

「たぶん明日も」

 

「正直」

 

「嘘つかない練習」

 

凛は少しだけ息を吐いた。

 

でも、離れろとは言わなかった。

 

プロデューサーは静かに説明を続けた。

 

アイが凛にとって帰還点であること。

 

暴走状態の凛に、アイの声が届いたこと。

 

それは偶然だけでは説明しづらいこと。

 

アイは黙って聞いていた。

 

そして、聞いた。

 

「凛ちゃんを戻す方法って、声以外にもありますか」

 

凛がすぐに反応する。

 

「アイ」

 

アイは凛を見ない。

 

プロデューサーを見ている。

 

「知りたいんです」

 

面談室の空気が、少し変わった。

 

プロデューサーはすぐには答えなかった。

 

その沈黙で、答えがあることだけは分かった。

 

「あります」

 

アイの表情がわずかに変わる。

 

凛の手が、膝の上で動いた。

 

プロデューサーは続ける。

 

「ただし、勧められるものではありません」

 

「危ないんですか」

 

アイが聞く。

 

「はい」

 

プロデューサーは言葉を選びながら話した。

 

「一部の先祖返りには、魂や血、感情の反応を共有する方法があります」

 

卯月が少し息を飲む。

 

凛は黙って聞いている。

 

「互いの位置や状態を感じ取る。片方が暴走した時、もう片方が深く干渉できる。そういった記録があります」

 

アイの指が、膝の上でわずかに握られた。

 

「でも、その分、負荷も共有します」

 

「負荷」

 

「痛み、恐怖、衝動、場合によっては力そのもの。接続が深すぎれば、片方の暴走にもう片方が巻き込まれることもあります」

 

凛が短く言った。

 

「危ない」

 

「はい」

 

プロデューサーは頷いた。

 

「星野さんの場合、先祖返りとしての記録はありません」

 

アイは頷く。

 

「はい」

 

「ですが、渋谷さんへの干渉力は異常に高い」

 

凛が眉を動かす。

 

「異常」

 

プロデューサーは表情を変えない。

 

「暴走状態の渋谷さんに、声だけで届いた。偶然では説明しづらい」

 

アイは少し怖くなった。

 

自分にも何かあるのか。

 

それとも、凛との関係がそうさせているのか。

 

どちらにしても、自分がただの付き添いではなくなっている。

 

それが嬉しいようで、怖かった。

 

「現時点では断定できません」

 

プロデューサーは言った。

 

「ただ、星野さんは渋谷さんにとって、強い帰還点になっています」

 

アイは小さく呟く。

 

「帰還点……」

 

その言葉は、不思議と嫌ではなかった。

 

帰る場所より、少し硬い。

 

でも、はっきりしている。

 

凛が戻るための点。

 

自分が、そこになれる。

 

その事実が、胸の奥の震えに少しだけ形を与えた。

 

「その接続って」

 

アイは少し前のめりになる。

 

「どうすれば――」

 

凛が遮った。

 

「アイ」

 

アイは凛を見る。

 

凛の目は、まっすぐだった。

 

「今はだめ」

 

「でも」

 

「アイが危ない」

 

「凛ちゃんも危ない」

 

「だから、今はだめ」

 

アイは言葉に詰まった。

 

凛は続ける。

 

「私を戻すために、アイが壊れるのは違う」

 

その言葉は、正しい。

 

正しいから、苦しかった。

 

アイは膝の上で手を握った。

 

「じゃあ、私はどうすればいいの?」

 

声が少し揺れた。

 

「凛ちゃんが遠くに行った時、また間に合うか分からない」

 

凛は黙る。

 

「声が届くかも分からない」

 

卯月は不安そうに二人を見る。

 

「それなのに、待ってるだけ?」

 

アイの声が、少しずつ抑えきれなくなる。

 

「怖いよ」

 

その言葉は、面談室の中に落ちた。

 

凛はアイの手に触れた。

 

握る。

 

アイの手は、少し冷たかった。

 

「待ってるだけにはしない」

 

「どうするの?」

 

「一緒に、戻る方法を増やす」

 

凛はゆっくり言った。

 

「でも、アイを危ない方法に使わない」

 

アイはすぐには頷けなかった。

 

納得できない。

 

でも、凛が自分を遠ざけようとしているわけではないことは分かった。

 

守ろうとしている。

 

同じように。

 

アイが凛を失いたくないように、凛もアイを壊したくない。

 

卯月が、そっと口を開いた。

 

「怖いままで、いいと思います」

 

アイが卯月を見る。

 

卯月は少し緊張しながら、それでも言った。

 

「私も、怖いまま346プロで頑張るって決めました」

 

卯月の手は震えていた。

 

けれど、声はちゃんと前を向いていた。

 

「怖いのが消えるまで待ってたら、何もできないから」

 

アイは黙る。

 

「でも」

 

卯月は自分の胸に手を当てた。

 

「怖いからって、自分を壊す方法を選ぶのは違う気がします」

 

その言葉は、アイの胸に刺さった。

 

卯月は、自分を壊しかけた。

 

笑顔で自分を閉じ込めかけた。

 

だからこそ、その言葉には重さがあった。

 

プロデューサーは三人を見てから、静かに言った。

 

「当面の方針を決めます」

 

資料を開く。

 

「渋谷さんは実戦対応禁止。基礎訓練のみ」

 

凛は頷く。

 

「はい」

 

「島村さんも、発現制御の基礎を優先します」

 

「はい」

 

「星野さんには、渋谷さんの帰還点として、訓練に協力していただく可能性があります」

 

アイが顔を上げる。

 

「声、接触、合図。暴走の入口から戻るための安全な手順を増やします」

 

凛はアイを見る。

 

アイも凛を見る。

 

「ただし」

 

プロデューサーは強く言った。

 

「魂や血の接続に関するものは、現時点では保留です」

 

アイは少しだけ唇を結んだ。

 

「……分かりました」

 

完全に納得したわけではない。

 

でも、今ここで危険な方法へ飛びつくことはしなかった。

 

凛の手が、アイの手を少し強く握る。

 

それだけで、アイは少しだけ息を吸えた。

 

帰り道。

 

アイは凛の袖を掴んでいた。

 

子どもみたいだと思う。

 

でも、離せなかった。

 

凛が横を見る。

 

「近い」

 

「今日は許して」

 

「今日だけ?」

 

「たぶん明日も」

 

「さっき聞いた」

 

「確認」

 

凛は少しだけ呆れた顔をした。

 

でも、袖を払わなかった。

 

アイは夜道を歩きながら、小さく言う。

 

「帰還点って、変な言葉だね」

 

「うん」

 

「でも、嫌じゃなかった」

 

凛は少し間を置いて答える。

 

「私も」

 

アイは凛を見る。

 

「じゃあ、帰ってきてね」

 

「帰る」

 

「私のところに?」

 

凛は迷わなかった。

 

「うん」

 

アイは袖を握る手に、少しだけ力を込めた。

 

安心したわけではない。

 

怖さが消えたわけでもない。

 

でも、帰ると言ってくれた。

 

今は、それを何度でも聞きたかった。

 

その夜。

 

アイは予定表を開いた。

 

凛ちゃんを戻す方法が、声以外にもあるらしい。

でも危ない。

私は帰還点らしい。

帰る場所より、少しかたい言葉。

でも、少し嬉しかった。

 

そこで手を止める。

 

もっと深く繋がりたい。

 

その気持ちは、消えなかった。

 

けれど、繋がることが凛ちゃんを守るとは限らない。

 

私が壊れれば、凛ちゃんも傷つく。

 

凛ちゃんが壊れれば、私もきっと戻れない。

 

アイは鉛筆を置いた。

 

焦りはまだ胸の奥にある。

 

でも、その焦りに名前がついた。

 

帰還点。

 

凛ちゃんが帰ってくる場所。

 

アイはその言葉を、予定表の端にもう一度書いた。

 

帰還点。

 

その文字を、今夜は何度も見返した。

 

同じ頃。

 

神木ヒカルは、雑誌の切り抜きを見ていた。

 

B小町。

 

星野アイ。

 

そして、別のページには小さく、渋谷凛のモデル写真が載っている。

 

静かな目。

 

こちらを見返すような、強い視線。

 

神木は指先で、その写真の端を軽く撫でた。

 

「帰る場所を持つ子は、壊れにくい」

 

声は静かだった。

 

誰に聞かせるでもない。

 

ただ、確かめるような声。

 

「なら」

 

神木は、星野アイの写真を見る。

 

ステージの上で笑う少女。

 

嘘を本当にしようとする目。

 

誰かの帰る場所になり始めた星。

 

「その場所ごと揺らせばいい」

 

窓の外では、夜の街が輝いている。

 

その光を映さない目で、神木ヒカルは静かに笑った。

 

星は、誰かの帰る場所にもなる。

 

ならば。

 

その星が揺れた時、帰る場所を失った者はどこへ落ちるのだろう。

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