星の嘘を、鬼は見抜くか 〜渋谷凛は星野アイを救いたい〜   作:百合太郎

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第54話 二つの星が生まれた夜

 

 

季節が、少しずつ進んでいった。

 

アイの中に生まれた小さな反応は、最初は名前をつけることさえ難しいものだった。

 

魂核。

 

生命反応。

 

凛の血と、アイの魂が共鳴したもの。

 

どの言葉を使っても、ぴったりとは収まらなかった。

 

それでも、確かにそこにあった。

 

アイが眠っている時、微かに温かくなる。

 

凛が近づくと、反応が落ち着く。

 

凛が雷の気配に触れると、小さく応える。

 

それは、まだ形の定まらないものだった。

 

けれど、時間が経つにつれて、曖昧だった反応は少しずつ輪郭を持ち始めた。

 

アイの仕事は調整された。

 

苺プロの壱護は、表向きには「体調管理のため」とだけ説明した。

 

B小町のメンバーたちは、詳細を知らない。

 

けれど、アイが前より疲れやすくなったことも、無理な笑顔を少しずつやめていることも、ちゃんと見ていた。

 

「無理なら言いなよ」

 

ニノは、相変わらずそっけなく言った。

 

「言ってるよ」

 

アイが答えると、ニノは目を細める。

 

「前よりはね」

 

高峯は淡々と水を渡し、渡辺は休憩時間を少し多めに取れるよう、さりげなくスタッフに声をかけた。

 

きゅんぱんとありぴゃんは、アイが座れる場所を何も言わずに空けてくれた。

 

何も知らないまま。

 

それでも、アイがひとりで立たなくていいように。

 

アイはその優しさに、何度も胸が詰まりそうになった。

 

凛は、さらに過保護になった。

 

階段を見る。

 

荷物を見る。

 

椅子を見る。

 

天気を見る。

 

それから、アイを見る。

 

「階段、持つ?」

 

「私は荷物じゃないよ」

 

「知ってる。でも危ない」

 

「凛ちゃん、最近お母さんみたい」

 

「否定できない」

 

「否定してほしかったなぁ」

 

「無理」

 

凛は真顔でそう言った。

 

アイは笑った。

 

その笑い声を聞くたび、凛の肩から少しだけ力が抜ける。

 

笑えるなら、まだ大丈夫。

 

そう確認しているようだった。

 

けれど、二人とも分かっていた。

 

笑えることと、怖くないことは違う。

 

ある日の検査で、プロデューサーは資料を見ながら、しばらく黙っていた。

 

アイと凛は並んで座っている。

 

志希は監視役のスタッフの隣で、珍しく余計なことを言わずに画面を見ていた。

 

プロデューサーが顔を上げる。

 

「反応が、二つあります」

 

アイは瞬きをした。

 

「二つ?」

 

凛も固まる。

 

「……二つ」

 

志希が小さく息を吐いた。

 

「双子、って言い方が一番近いかな。普通の双子って言うには、かなり特殊だけど」

 

アイは自分のお腹に手を当てた。

 

そこに、二つ。

 

まだ小さな反応。

 

二つの温度。

 

二つの星。

 

「二人……」

 

凛が呟く。

 

その声が、少し震えていた。

 

アイは凛を見る。

 

「凛ちゃん?」

 

凛は真剣な顔で言った。

 

「守る対象が、増えた」

 

アイは少しだけ目を丸くした。

 

「そこ?」

 

「そこ」

 

「いや、うん。大事だけど」

 

「最重要」

 

凛の顔があまりにも真面目で、アイは少しだけ笑ってしまった。

 

笑ってから、涙が出そうになった。

 

二つ。

 

怖さも二倍になった。

 

でも、不思議なことに、温かさも二倍になった気がした。

 

やがて、どこでその日を迎えるかという話になった。

 

都内の病院では目立ちすぎる。

 

アイはすでに、B小町の中心として注目を集めていた。

 

凛もモデルとして名前が知られ始めている。

 

さらに、魂核の存在は普通の医療だけでは扱いきれない。

 

苺プロと346プロ、渋谷家で何度も話し合いが行われた。

 

最終的に、壱護が言った。

 

「東京から離す」

 

アイは聞き返す。

 

「離す?」

 

「人目が少なくて、信頼できる医者がいる場所だ」

 

凛の目が鋭くなる。

 

「誰ですか」

 

壱護は短く答えた。

 

「雨宮吾郎。産婦人科医だ」

 

地方の病院は、東京とは空気が違っていた。

 

広い空。

 

低い建物。

 

白い壁。

 

窓から見える山の稜線。

 

人の流れは穏やかで、病院の廊下には、どこか生活の匂いがあった。

 

アイが受付の奥へ案内されると、白衣姿の男性が資料を持って現れた。

 

少しくたびれた雰囲気。

 

けれど、目は真面目だった。

 

その医師――雨宮吾郎は、アイの顔を見た瞬間、完全に固まった。

 

「……星野アイ?」

 

アイは少しだけ笑った。

 

「はい。内緒でお願いします」

 

「いや、内緒も何も、え、本人……?」

 

隣の凛がじっと見る。

 

吾郎はその視線に気づき、慌てて咳払いをした。

 

「失礼しました。雨宮吾郎です。担当します」

 

凛は軽く頭を下げる。

 

「渋谷凛です」

 

吾郎はさらに一瞬止まった。

 

「情報量が多いな……」

 

アイが少し笑う。

 

「よく言われます」

 

「いや、たぶん想定してる方向と違うと思います」

 

吾郎は額に手を当てたあと、真面目な顔に戻った。

 

「事情は、ある程度聞いています。普通のケースじゃないことも」

 

凛がすぐに聞く。

 

「大丈夫ですか」

 

吾郎は即答しなかった。

 

少しだけ考えてから言った。

 

「大丈夫と言い切る医者は、信用しない方がいいです」

 

凛はまっすぐ吾郎を見た。

 

「……信用できます」

 

吾郎は苦笑した。

 

「そこで?」

 

「はい」

 

アイは横で笑った。

 

その笑顔を見て、吾郎は一瞬だけ視線を逸らした。

 

推しを前にした動揺を、医師として必死に押し込んでいる。

 

凛はそれに気づいた。

 

「先生」

 

「はい」

 

「仕事してください」

 

「しています」

 

「目が泳いでます」

 

「……します」

 

アイは堪えきれずに笑った。

 

その日から、入院生活が始まった。

 

アイは病室で予定表を書いた。

 

凛はほとんど付き添った。

 

吾郎は検査のたびに真面目な顔でやってきて、アイの状態と魂核の反応を丁寧に確認した。

 

普通の病院で扱えること。

 

346プロ側の専門スタッフと共有すべきこと。

 

その線引きを、吾郎は慎重に行っていた。

 

「雨宮先生って、意外と真面目ですね」

 

アイがからかうように言うと、吾郎は眉を寄せた。

 

「意外と、は余計です」

 

「でも、最初すごく動揺してました」

 

「それは忘れてください」

 

「凛ちゃん、先生って私のファンかな?」

 

凛は吾郎を見る。

 

吾郎は目を逸らす。

 

凛は静かに言った。

 

「たぶん」

 

「渋谷さんまで」

 

アイはくすくす笑った。

 

けれど、夜になると、笑いだけでは済まなかった。

 

病室の明かりを落としたあと、アイは窓の外を見ながら言った。

 

「会えるのかな」

 

凛は椅子に座ったまま、アイの手を握っている。

 

「会える」

 

「言い切るんだ」

 

「言い切りたい」

 

アイは凛を見る。

 

凛の顔は真剣だった。

 

いつもより少しだけ幼く見える。

 

怖いのを隠している顔。

 

「怖い?」

 

アイが聞くと、凛は少し迷ってから頷いた。

 

「怖い」

 

「凛ちゃんも?」

 

「二人分、怖い」

 

アイは小さく笑った。

 

「そこは頼もしいって言って」

 

「頼もしくなりたい」

 

その答えがあまりにも凛らしくて、アイは泣きそうになった。

 

凛は凛のまま、怖がっている。

 

強くあろうとするのではなく、怖いまま隣にいてくれる。

 

それが、今のアイには何より心強かった。

 

数日が過ぎた。

 

魂核の反応は、少しずつ強くなっていった。

 

二つの反応は違っていた。

 

一つは、凛の雷に強く反応した。

 

もう一つは、アイの声に応えるように波形が揺れた。

 

吾郎は画面を見ながら、何度も首を傾げた。

 

「本当に、不思議な反応ですね」

 

凛が聞く。

 

「危険ですか」

 

「危険かどうかを判断するために、毎日見ています」

 

「分かりました」

 

「渋谷さん、ずっと戦闘態勢みたいな顔してますよ」

 

「そんなことないです」

 

吾郎はアイを見る。

 

「してますよね?」

 

アイは微笑む。

 

「してます」

 

凛は少しだけ眉を下げた。

 

「二対一」

 

「赤ちゃんたちも入れたら四対一だよ」

 

「まだ数に入れるの?」

 

「入れる」

 

アイは自分のお腹に手を当てた。

 

「いるもん」

 

凛は何も言えなくなった。

 

それから、そっとアイの手に自分の手を重ねる。

 

小さな反応が、微かに揺れた。

 

凛の指先に、やわらかな痺れが返ってくる。

 

怖くない雷。

 

温かい雷。

 

凛は息を止めた。

 

アイはそれを見て、小さく笑った。

 

「返事してるみたいだね」

 

「うん」

 

凛の声は、少しかすれていた。

 

その夜。

 

雨が降った。

 

病院の窓を、細い雨粒が叩いている。

 

廊下は静かだった。

 

夜勤の看護師の足音が、遠くから近づき、また遠ざかっていく。

 

アイは浅い眠りの中にいた。

 

凛は椅子に座ったまま、ほとんど眠っていない。

 

雨の音。

 

アイの呼吸。

 

機械の小さな音。

 

その全部を聞いていた。

 

ふいに、アイの中の反応が強く揺れた。

 

凛は目を開ける。

 

「アイ」

 

アイも目を開けた。

 

「凛ちゃん」

 

声が少し震えている。

 

凛はすぐに手を握った。

 

「いる」

 

「手、離さないで」

 

「離さない」

 

「嘘つかないでね」

 

「つかない」

 

アイは息を吸った。

 

「私も、もう一人で決めない」

 

「うん」

 

凛はナースコールに手を伸ばした。

 

ほどなくして、病室の空気が慌ただしくなる。

 

看護師が来る。

 

吾郎にも連絡が入る。

 

けれど、その少し前。

 

病院の外で、一人の男が雨の中に立っていた。

 

フードを深く被り、顔はよく見えない。

 

手には、小さな何かを握っている。

 

写真。

 

あるいは、古い雑誌の切り抜き。

 

そこに写っているのは、星野アイ。

 

男は病院の窓を見上げていた。

 

その目は、どこか焦点が合っていない。

 

誰かに吹き込まれた言葉だけを、繰り返しているようだった。

 

その頃、吾郎は病棟へ向かう途中で足を止めた。

 

廊下の端に、見慣れない影があった気がした。

 

「……誰だ?」

 

返事はない。

 

吾郎は一瞬だけ病室の方向を見る。

 

呼ばれている。

 

行かなければならない。

 

けれど、嫌な予感がした。

 

ただの不審者なら、すぐに警備へ連絡すればいい。

 

そう思った瞬間、携帯が震えた。

 

画面には、差出人不明の短いメッセージ。

 

そこには、病院の裏手を示すような文面があった。

 

吾郎の表情が変わる。

 

「何だ、これ……」

 

彼は一度、病室へ向かおうとした。

 

その時、遠くから小さな物音がした。

 

裏手の方。

 

人の足音。

 

吾郎は迷った。

 

ほんの一瞬。

 

けれど、その一瞬が、彼の運命を変えた。

 

「すぐ戻る」

 

誰にともなく呟いて、吾郎は走り出した。

 

雨の音が強くなる。

 

病室では、凛がアイの手を握っていた。

 

看護師たちが動く。

 

別の医師が呼ばれる。

 

アイの中の二つの反応が、急に強く光るように揺れた。

 

凛は額に汗を浮かべる。

 

「先生は?」

 

看護師が一瞬だけ目を泳がせた。

 

「雨宮先生は、少し席を外していて……」

 

凛の胸に嫌なものが走った。

 

「どこへ」

 

「確認しています」

 

凛は立ち上がりかけた。

 

探しに行く。

 

そう思った。

 

けれど、アイの手が凛の手を強く握った。

 

「凛ちゃん」

 

凛は振り返る。

 

アイの顔は少し青い。

 

それでも、目は凛を見ていた。

 

「今は、ここにいて」

 

「でも」

 

「お願い」

 

その声に、凛は動けなくなった。

 

吾郎先生を探しに行きたい。

 

嫌な予感がする。

 

何かが起きている。

 

それでも。

 

今、アイのそばを離れたら。

 

二つの小さな反応が、凛の気配を探すように揺れていた。

 

凛は奥歯を噛んだ。

 

そして、アイの手を握り直した。

 

「いる」

 

「うん」

 

「ここにいる」

 

「うん」

 

その頃。

 

病院の裏手で、雨宮吾郎は雨に打たれていた。

 

暗い視界。

 

足音。

 

荒い息。

 

問いかける声。

 

答えにならない言葉。

 

すべては短い瞬間の中に飲み込まれた。

 

何が起きたのかを、誰かがはっきり見ることはなかった。

 

ただ、雨音だけが強くなった。

 

その夜、病院の廊下は静かだった。

 

静かすぎるほどだった。

 

凛は扉の前で、両手を握りしめていた。

 

何度も呼吸を整えようとして、そのたびに失敗した。

 

アイの声。

 

看護師の声。

 

別の医師の短い指示。

 

雨の音。

 

全部が混ざって、遠く聞こえる。

 

凛は祈った。

 

神にではない。

 

運命にでもない。

 

ただ、アイに。

 

二つの小さな星に。

 

戻ってきて。

 

生まれてきて。

 

どうか。

 

やがて、中から小さな声が聞こえた。

 

一つ。

 

細くて、震えるような声。

 

凛の身体が固まる。

 

そして、もう一つ。

 

少し遅れて、もう一つの小さな声が響いた。

 

凛はその場に膝をついた。

 

雷でも、刀でも、角でもない。

 

ただ、命が生まれた音だった。

 

扉が開いた。

 

別の医師が顔を出す。

 

少し疲れた表情。

 

でも、その目は優しかった。

 

「二人とも、無事です」

 

凛は顔を上げる。

 

「二人……」

 

「はい。小さいですが、ちゃんと泣いています」

 

凛の口が震えた。

 

「アイは」

 

「落ち着いています」

 

その言葉で、凛はようやく息を吐いた。

 

立ち上がろうとして、足に力が入らなかった。

 

看護師が慌てて支える。

 

凛は小さく頭を下げた。

 

「すみません」

 

「無理もありません」

 

病室へ入ると、アイは疲れ切った顔をしていた。

 

けれど、笑っていた。

 

腕の中には、小さな二つの命。

 

まだ本当に小さくて、壊れてしまいそうで。

 

それでも、確かにそこにいる。

 

アイは凛を見る。

 

「会えたね」

 

凛は何も言えなかった。

 

アイが少しだけ笑う。

 

「凛ちゃん、顔すごいよ」

 

「無理」

 

「何が?」

 

「全部」

 

アイは小さく笑った。

 

凛はそばに座り、震える指を伸ばす。

 

片方の小さな手が、凛の指に触れた。

 

その瞬間、微かな雷の気配が返ってきた。

 

青白くはない。

 

痛くもない。

 

ただ、温かい。

 

もう片方は、アイの声に反応するように、小さく身じろぎした。

 

アイは二人を見つめる。

 

「名前、考えなきゃね」

 

凛はまだ言葉を探している。

 

「うん」

 

「凛ちゃん」

 

「何?」

 

「怖い?」

 

凛は二つの小さな温度を見た。

 

それから、アイを見る。

 

「怖い」

 

「うん」

 

「でも、嬉しい」

 

アイの目に涙が浮かんだ。

 

「うん」

 

その時、廊下の向こうが少し騒がしくなった。

 

凛は顔を上げる。

 

アイも気づいた。

 

雨宮先生が戻っていない。

 

その事実が、病室の温かさの外側で、冷たく立っていた。

 

凛は立ち上がりかける。

 

けれど、アイが小さく呼んだ。

 

「凛ちゃん」

 

凛は止まる。

 

アイの腕の中で、小さな命が二つ、かすかに動いた。

 

「今は、ここにいて」

 

凛は目を閉じた。

 

一瞬だけ、悔しさが喉を塞ぐ。

 

行くべきだったのか。

 

探すべきだったのか。

 

でも、今この手を離せない。

 

凛はゆっくり座り直した。

 

「いる」

 

アイは頷いた。

 

「うん」

 

夜明けが近づいていた。

 

雨は少しずつ弱くなっている。

 

病室の白い壁に、薄い光が差し始めた。

 

間違いから始まった。

 

隠し事から始まった。

 

怖さから始まった。

 

それでも、腕の中にいる二つの温度は、もう間違いだけではなかった。

 

アイは二人を見つめて、小さく笑った。

 

「ようこそ」

 

凛はその隣で、震える指をそっと伸ばした。

 

小さな手が、その指を握る。

 

その夜、二つの星が生まれた。

 

けれど、その誕生を見届けるはずだった医師は、夜明けまで戻らなかった。

 

命の声が響いた同じ夜。

 

ひとつの命が、誰にも知られない場所で途切れていた。

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